第35話 聖騎士は、命令ではなく名前を守る
広場の中央で、白銀の刃が冷たい光を放っていた。
私と証人たちを取り囲むように円陣を組んだアスカル様と数十人の下級騎士たち。
彼らは、王家の紋章を掲げる衛兵たちの槍衾を前にしても、一歩も退かずに立ちはだかっていた。
「アスカル・ヴェイン! 自分が何をしているのか、本当に分かっているのか!」
一段高い壇上から、裁判長が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「貴族院に逆らい、あまつさえ王妃様の御前で剣を抜くなど! 長きにわたって王国を支えてきた『聖騎士団』の輝かしい名誉を、貴様自身のちっぽけな感傷で泥に塗る気か!」
「騎士団の名誉だと?」
アスカル様は、衛兵たちを睨み据えたまま、地を這うような低い声で笑った。
その声には、かつて「組織の秩序」と「個人の正義」の間で引き裂かれ、血を吐くような葛藤を抱えていた青年の迷いは、微塵も残っていなかった。
「孤児が違法な労働に売られるのを見過ごし、助けを求める人々の口を塞ぐことで守られる名誉など……そんなものは、ただの腐臭を放つ虚飾に過ぎない!」
彼は背後にいるナナやユイナ、そして怯えながらも必死に前を向こうとしている孤児たちを振り返った。
「私はかつて、命令系統という言葉に逃げ、彼らが理不尽に連れ去られるのを見て見ぬふりをした。騎士の誇りを口にしながら、一番守るべき民の前で、剣から手を離してしまったのだ」
アスカル様の琥珀色の瞳が、痛切な悔恨と、それを上回る強靭な決意を帯びて燃え上がった。
「だが、もう二度と間違えない」
彼は再び正面を向き、迫り来る衛兵たち、そしてその奥にいる王妃イザナに向かって、雷鳴のような声で宣言した。
「私は騎士団の名誉ではなく、彼らの名前を守る!」
シャァァンッ!
アスカル様の言葉に呼応するように、下級騎士たちが一斉に剣を構え直した。
彼らもまた、上層部の腐敗に絶望し、それでも「誰かを守るための剣」を信じたいと願った者たちだ。
彼らが放つ圧倒的な実戦の気迫に押され、数で勝るはずの王宮の衛兵たちでさえ、完全に足を止めてしまっていた。
「……見事ですわ、アスカル様」
私は枷を嵌められた手のまま、彼らの頼もしい背中を見つめて微笑んだ。
彼は完全に、聖騎士としての自分を完成させたのだ。
「裁判長。彼らに対する武力行使は、法的な手続きの重大な瑕疵となります」
張り詰めた空気の中、カナト様が冷静な声で一歩前に出た。
「ここにいるナナ・リネット、ユイナ・マーレを含む数十名は、私が宰相府監査官代理の権限において、正式に本裁判の『証人』として保護登録した者たちです。彼らを偽証罪で不当に拘束しようとするなら、我々はこの裁判の公平性が保たれていないと判断し、すべての審理を拒否します」
カナト様が、分厚い書類の束――証人たちの保護申請書を高く掲げた。
「証人たちはここに揃っている。武力で蓋をするのは諦め、彼らの証言と証拠に基づいた正当な審理を進めていただきたい」
法廷という場において、カナト様の主張は絶対的な正論だった。
数万の民衆が見守るこの公開裁判で、正式な手続きを踏んだ証人たちを問答無用で斬り捨てるような真似をすれば、王家といえども暴君のそしりは免れない。
裁判長がギリッと奥歯を噛み締め、助けを求めるように王妃イザナを振り返った。
王妃は、しばらく無言のまま私たちを見下ろしていた。
やがて彼女は、手にした扇をパチンと閉じ、ふふっ、と冷ややかな笑い声を漏らした。
「……よろしい。そこまで言うのなら、その証言とやらを聞いてあげましょう」
王妃の突然の譲歩に、広場がざわめく。
「王妃様! しかし、それでは……!」
「構いません。彼らがどれほど必死に言葉を紡いだところで、何の意味もないのですから」
王妃は立ち上がり、私たちを見下ろしながら優雅に歩み寄ってきた。
その表情には、追い詰められた焦りなど微塵もない。むしろ、私たちの必死の抵抗をあざ笑うかのような、絶対的な余裕が漂っていた。
「ミオラ。あなたは本当に、哀れな娘ですね。自分が集めたその『証人』たちが、私の前で都合よく真実を語ってくれるとでも思っていたのですか?」
「……どういう意味ですか」
私が問い返すと、王妃は傍らに控えていた近衛隊長から、一枚の羊皮紙を受け取った。
「読み上げなさい」
王妃の命令を受け、近衛隊長がその羊皮紙を広げ、声を張り上げた。
「証人、ナナ・リネット! 同じく、ユイナ・マーレ! エリシア・ヴェルカ!」
次々と読み上げられていく名前。
それは、間違いなく今日この場に集まった証人たちの名前だった。しかし、カナト様の手元にある名簿を、彼らが知っているはずがない。
「……まさか」
カナト様の灰色の瞳が、驚愕にわずかに見開かれた。
「なぜ、王妃側がその名前を? 証人名簿の原本は、私が極秘裏に手配し、厳重に管理していたはずです……!」
カナト様が手元の書類束を確認するが、原本は確かにそこにある。
だが、王妃が持っているのは、それと全く同じ内容が記された『写し』だった。
「不思議そうな顔をしていますね、エルゼン。あなたがどれほど優秀でも、あなたを支援した宰相府の暗部や、貴族院の一部には、私の息がかかった者が大勢いるということです」
王妃イザナは、冷徹な笑みを深めた。
「証人名簿は、昨夜の時点で私の手元に届いていました。……つまり、私が何を言いたいか分かりますね?」
その言葉の意味を理解した瞬間、私の背筋にぞくりと冷たいものが走った。
昨夜の時点で、誰が証人として法廷に立つのか、王妃はすべて把握していた。
であれば、国家の最高権力者である彼女が、その情報を得て何もしないはずがない。
「王妃、様……! あなた、まさか……!」
エリシア様が、青ざめた顔で一歩後ずさった。
「ええ、そのまさかです」
王妃は、残酷な宣告を下した。
「ナナ・リネット。あなたの故郷にいる両親と幼い弟は、昨夜、王家への不敬の疑いで近衛兵が『保護』しました」
「え……っ」
ナナが、血の気を失ってその場にへたり込んだ。
「他の者たちの家族や、大切な恩人たちも同様です。全員、私の手厚い庇護下にありますよ。……さあ、愛すべき証人の皆様。どうぞ、思う存分『真実』を証言しなさい」
証人名簿の漏洩。
それは、私たちが最後の希望としていた彼らの声を、王妃が事前に『人質』をとることで、完全に封じ込めたことを意味していた。




