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第25話 婚約発表は、本人不在で行われた

王妃イザナからの書状が届いた翌朝。

王都ルネリアは、お祭り騒ぎのような歓喜に包まれていた。


「第一王子レオルド殿下と、月の姫ミオラ・ルナシア公爵令嬢の婚約内定!」

「三日後の建国記念の式典にて、正式な婚約式が行われるぞ!」


広場では王家の広報官が声高に宣言し、祝いの号外が宙を舞っているという。

公爵邸の門前には、朝から途切れることなく祝いの品々を抱えた使者たちが押し寄せていた。最高級の絹織物、珍しい南方の果実、宝飾品の数々。それらはすべて、次期王太子妃となる私への「媚び」と「祝福」の印だった。


「おめでとうございます、ミオラ様!」

「王国の宝であるミオラ様と、完璧なる王太子殿下の結びつき……これほど民を安心させる吉報はございません!」


応接室に次々と通される貴族たちに対し、私は完璧な角度の微笑みを浮かべ、優雅に紅茶のカップを傾けていた。

「皆様、温かいお言葉をありがとうございます。もったいないことでございますわ」

その声には、少しの翳りもない。誰もが、私がこの婚約を心から喜び、恥じらっているのだと信じて疑わなかった。


しかし、私の内心は、煮えたぎるような怒りで満ちていた。

(本人である私の承諾も得ず、事前の打診すらなく……ただの一方的な通達で、国中に発表して既成事実を作ったわね)


社交界の祝福ムードは、王妃イザナが意図的に作り出した「檻」だ。

これだけ大々的に祝われてしまえば、普通の貴族令嬢なら、もはや「嫌だ」と断ることなどできない。神殿や貴族院の不正を暴き、少しずつ手に入れかけていた私の自由は、王妃のたった一手の盤面操作によって、完全に封じ込められようとしていた。


昼下がりになり、ようやく祝いの客の波が引いた執務室で、私は音を立てて扇を閉じた。


「……見事な手際ですこと」

「外堀を完全に埋められましたね」


傍らで静かに書類を整理していたカナト様が、感情の読めない灰色の瞳をこちらに向けた。

「神殿と貴族院が相次いで打撃を受けたことで、民衆の間には王国の統治に対する不安が広がっていました。王妃は、あなたという圧倒的な人気を持つ『月の姫』を王家に縛り付けることで、その不満を一気に払拭し、王国の安定を図ったのです。……あなたの意思など、最初から考慮されていません」


「ええ、分かっていますわ」

私は冷めた紅茶を見つめた。

王妃イザナは、神殿のセザン大神官や、貴族院のガーラン子爵のように、己の私腹を肥やすための浅はかな悪党ではない。彼女が守ろうとしているのは、あくまで「ルネリア王国」という巨大な体制そのものだ。国のためなら、個人の意思や自由など、平気で踏み潰すことができる実務的な支配者。


「ミオラ様。王宮の離宮より、王妃イザナ様の使いが参りました。お茶会へのお誘いとのことです」

家令が恭しく告げた言葉に、私は短く息を吐いた。

「逃げ隠れするつもりはありません。参りますわ」



王宮の奥深く、見事な薔薇が咲き誇る離宮の庭園。

白亜のガゼボの奥で、優雅に紅茶を飲んでいる女性がいた。


ルネリア王国王妃、イザナ。

四十代とは思えないほど若々しく、氷のように透き通った美しさを持つ女性だった。彼女の周囲には、セザン大神官が放っていたような下劣な黒い染みはない。彼女の言葉と行動には矛盾がないのだ。彼女は本気で、「個人の意思を犠牲にしてでも国を守るのが正しい」と信じている。


「よく来てくれましたね、ミオラ。さあ、掛けてちょうだい」


王妃は完璧な笑みを浮かべて私を迎え入れた。その声音は優しく、まるで本物の娘を慈しむかのようだった。

私は一礼し、彼女の向かいに腰を下ろした。


「王妃様。この度は、随分と唐突な発表でしたね。私には何の事前のご相談もありませんでしたが」

私が微笑みを崩さずに、しかし明確な棘を込めて言うと、王妃は小さく笑った。


「あら、ご不満かしら? でも、あなたにとっても悪い話ではないでしょう? 神殿の横暴を暴き、貴族院の不正を正したあなたの正義感は、王太子妃として大いに役立つはずよ」


「私は、王家の飾りになるために動いたわけではありません。罪のない子どもたちを守るためです。私の意思を無視して婚約を強行することは、彼らから自由を奪った者たちと同じ暴挙です」


私の言葉に、王妃は紅茶のカップをソーサーにコトリと置いた。

その瞬間、庭園の空気が数度下がったように感じられた。


「ミオラ。あなたは少し、賢くなりすぎましたね」


王妃の冷ややかな眼差しが、私を射抜く。


「神殿や貴族院の腐敗を暴いたところまでは、国としても助かりました。不要な膿を出してくれたのですから。ですが、あなたがこれ以上自由に動き回り、王国の根幹を揺るがすことは許されません。民衆は今、あなたを英雄のように崇め始めている。その力は、王家が管理しなければならないのです」


「私を、飼い殺しにするおつもりですか?」

「『保護』と言ってちょうだい。あなたは美しすぎる。そして、影響力を持ちすぎた。だから、自由でいてはならないのです」


王妃は立ち上がり、私の傍へと歩み寄った。

そして、私の頬にそっと冷たい指先を触れ、決定的な言葉を口にした。


「あなたは王国の宝。宝に意思は要りません」


それは、私という人間を完全に否定する、冷酷な宣告だった。

「明後日の建国記念の式典で、レオルドと共に民衆の前に立ちなさい。そして、幸せな王太子妃として、美しく微笑むのです。それが、あなたの新しい役割です」


王妃はそれだけ言い残し、優雅な足取りでガゼボを去っていった。

私はその背中を、ただ静かに、冷たく見送った。



王宮の回廊を歩く私の横には、待機していたカナト様が音もなく並んでいた。


「……王妃様は、決してご自分の考えをお曲げにならないでしょうね」

私がポツリとこぼすと、カナト様は手元の書類から顔を上げずに頷いた。


「ええ。王妃の論理は、国家運営としては極めて合理的です。あなたの自由を奪うことが、王国を安定させる最善の手段であると確信している。だからこそ、どんな反論も通じません」


「私は、愛を語る男たちに失望して、自分の足で立つと決めました。それなのに、結局は『王国の宝』という名目で、一番大きな鳥籠に閉じ込められようとしている。……滑稽ですわね」


私は自嘲気味に笑った。

このままおとなしく婚約を受け入れれば、私は一生、王家の飾りとして生きることになる。レオルド殿下は善人だが、王妃の決定を覆す強さはない。私は彼の隣で、何も言えず、ただ微笑むだけの存在になる。


そんな未来は、死んでも御免だった。


「カナト様。婚約式は、明後日の建国記念の式典でしたね」

「はい。王族、神殿の幹部、貴族院の重鎮、そして数万の民衆が集まる、王国最大の行事です」


「そうですか」


私はピタリと足を止め、王宮の窓から見える青空を見上げた。

そして、一切の迷いのない声で、彼に告げた。


「では、その式典の場で、この婚約に対する異議を申し立てます」


カナト様が、わずかに目を見開いた。


「……本気ですか。王家が公式に発表した婚約を、数万の民衆と全貴族の前で拒絶すれば、それは王家への明白な反逆とみなされます。不敬罪、あるいは国家反逆罪で拘束される危険があります」


カナト様の言う通りだ。これまでの神殿や貴族院相手の裁判とは次元が違う。国家そのものを敵に回す行為だ。

だが、私はすでに腹を括っていた。


「私の選択は、私が決めます。誰にも、私の人生を奪わせはしない」


カナト様は私の目をじっと見つめ返し、やがて、小さく息を吐いた。


「……分かりました。ならば、あなたが異議を唱えた直後に、王妃の決定を覆せるだけの『政治的な爆弾』を用意する必要がありますね。……忙しくなります」


カナト様はそう言って、分厚い書類の束を抱え直した。

私を止めない。それどころか、私が国家を敵に回すと決めた瞬間から、それに勝つための実務を計算し始めている。

その事実が、私の足元を強く、確かなものにしてくれていた。


明後日の婚約式。

私は、月の姫という呪いを、自らの手で完全に断ち切ってみせる。

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