第22話 証拠が足りないなら、敵から借ります
「彼らが逃げられないだけの証拠を、さらに積み上げるまでですわ」
私の静かな決意表明に、カナト様はわずかに目を細め、灰色の瞳に理知的な光を宿した。
「……ええ。証拠が足りないなら、敵の懐から借りてくるまでのことです」
彼はそう言うと、持参していた鞄から分厚いファイルの束を取り出し、弁護側の卓にドン、と重々しい音を立てて置いた。
「裁判長。弁護側より、新たな証拠書類の提出を求めます」
「なんだと?」
一段高い席に座る王妃派の裁判長が、忌々しそうに眉をひそめた。
「本法廷は名誉毀損の審理であると言ったはずだ。被告人側がこれ以上、関係のない書類を提出することは認め――」
「これは、名誉毀損の根幹に関わる『事実確認』のための公式な過去記録です」
カナト様は裁判長の言葉を冷たく遮り、ファイルの束をパラパラとめくった。
その表紙には、見慣れない印章が押されている。神殿のものでも、貴族院のものでもない。
「それは……」
傍聴席の貴族たちがざわめき始めた。
「ご明察の通り。これは、宰相府の地下深く、国家の最重要機密を保管する『特級保管庫』から引き出してきた過去十年分の契約記録です」
カナト様が淡々と告げた言葉に、法廷の空気が一瞬にして凍りついた。
レオルド王太子殿下でさえ、驚愕に目を見開いている。
宰相府の特級保管庫。
そこは、王家の許可か、宰相本人の決裁がなければ立ち入ることすら許されない絶対の聖域だ。一介の補佐官に過ぎないカナト様が、それを独断で持ち出すなど、明らかな越権行為であり、下手をすれば彼自身が国家反逆罪に問われかねない重大な職務違反ギリギリの行為だった。
「なっ……! 貴様、自分の立場が分かっているのか! 宰相府の機密を無断で持ち出すなど……!」
裁判長が声を荒らげるが、カナト様は全く動じない。
「私は監査官代理として、王国の法と秩序を守るために必要な証拠を保全したまでです。これを提示させないというのであれば、本法廷は真実から目を背ける不当な裁判であると、宰相府の名において公式に記録させていただきます」
「くっ……!」
裁判長は顔を赤黒くして口を閉ざした。
宰相府という、王家に直結する行政の最高機関の名を出されれば、いくら王妃派の裁判長とはいえ、無碍に却下することはできない。それをすれば、王妃と宰相の間に決定的な亀裂を生むことになるからだ。
「……カナト様」
私は、彼の背中を見つめながら小声で尋ねた。
彼は最初から、私を助けるために、自分の身分と職を失うかもしれない危険な橋を渡っていたのだ。
「なぜ、そこまでしてくださるのですか?」
甘い言葉を囁く求婚者たちは、誰もが保身に走り、この法廷から逃げ出した。
それなのに、一度も私に「愛している」と言ったことのない彼だけが、今、最大の危険を冒して私の隣に立っている。
カナト様は、書類から目を離さずに、ポツリと答えた。
「……あなたのためではありません」
いつもの、素っ気ない言葉。
「ただ、保管庫の奥で埃を被っていた記録たちが、あまりにも無念そうに泣いていたので。私は、彼らの声を聞き過ごすことができない性質なだけです」
嘘だ。
彼は、私がエリシア様の証言を採用した時と同じように、照れ隠しで「実務的な理由」を並べているだけだ。
彼が本当に守ろうとしているのは、私が正しいと信じた正義そのものなのだと、今の私には痛いほど分かった。
「ふふっ……」
絶対的に不利な法廷のど真ん中で、私は初めて、心からの小さな笑みをこぼした。
「どうしました、ミオラ様」
「いいえ。カナト様は本当に、頼りになる方だと思っただけですわ」
私が扇で口元を隠すと、カナト様は「真面目に聞いてください」と少しだけ咎めるような口調になり、再び裁判長に向き直った。
「裁判長。ガーラン子爵が提示した『雇用契約書』と、宰相府が保管していた過去十年分の『違法な人身売買による押収記録』を照合しました」
カナト様は、二つの書類を高く掲げた。
「この偽造契約書に記された、流れるような独特の筆跡。……これは、ガーラン子爵の筆跡でも、下請けの騎士の筆跡でもありません」
「な、何を馬鹿な……」
ガーラン子爵の代理人が青ざめる中、カナト様は冷酷に事実を突きつけた。
「過去に発覚した複数の違法契約書、そして、神殿が作成した孤児の移送記録。そのすべてにおいて、この偽造契約書と全く同一の筆跡が確認されました」
法廷が、水を打ったように静まり返る。
「筆跡鑑定の結果はクロです。この契約書を偽造し、一連の違法な人身売買を裏で取り仕切っていたのは、ガーラン子爵ではありません。もっと強大な権力の中枢にいる人物……」
カナト様の灰色の瞳が、裁判長を飛び越え、さらにその背後にある見えない巨大な敵を射抜いた。
「王宮書記官、およびその背後にいる貴族院の重鎮たちです」




