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第21話 月の姫裁判、開廷

貴族院が管轄する王都の最高法廷。

その重厚なオーク材の扉が開かれた瞬間、私に向けられたのは、無数の冷ややかな敵意だった。


吹き抜けの高い天井と、冷たい大理石で囲まれた威圧的な空間。

私は今、その法廷の中央にある被告主席に立たされていた。


周囲のすり鉢状の傍聴席は、私を好奇と嘲笑の目で見下ろす貴族たちで埋め尽くされている。彼らにとって、私はただの世間知らずな飾り物の姫であり、貴族社会の絶対的な特権と「秩序」に踏み込んだ愚か者に過ぎない。


傍聴席の最前列には、レオルド王太子殿下の姿があった。

彼の顔色は青白く、膝の上で固く握られた拳が微かに震えている。王族としての立場上、この裁判を止めることもできず、ただ苦しげに眉をひそめて私を見つめている。

彼が私を案じているのは分かるが、やはり彼は、この「枠組み」の中から出ることはできないのだ。


一方、法廷の扉の向こう――証人たちの控室の前には、白銀の鎧を纏ったアスカル様の姿があった。

彼は騎士団上層部からの帰還命令を完全に無視し、自らの意志でナナやエリシア様たちの警護に就いている。威圧しに来た貴族院の私兵たちを前にしても、彼は一歩も引かず、そびえ立つ城壁のように通路を塞いでいた。


「これより、ミオラ・ルナシア公爵令嬢に対する名誉毀損および業務妨害の審理を開始する」


法廷に、高く冷たい声が響き渡った。

一段高い席から私たちを見下ろしているのは、白髪交じりの厳格そうな初老の裁判長だった。


「被告人ミオラ・ルナシアは、月の姫という特権を笠に着て、ガーラン子爵が正当に結んだ雇用契約を不当に妨害した。あまつさえ、その契約を『違法な奴隷契約である』などと吹聴し、善良なる貴族の名誉を著しく毀損した。これは王国法において到底看過できない重罪である!」


ガーラン子爵の代理人である検察官が、大げさな身振りで私を指差して叫んだ。

傍聴席の貴族たちが、待ってましたとばかりに「そうだ!」「姫だからと許されるものではない!」と同調の声を上げる。


完全に出来上がったアウェーの空気。

だが、私は少しも動じず、ただ静かに前を見据えていた。


「異議があります」


怒号の飛び交う法廷を切り裂くように、感情の読めない淡々とした声が響いた。

私の隣に立つカナト様だった。

今日は私の特別補佐人――事実上の弁護役として、彼は大量の書類の束と共にこの法廷に立っている。いつも通りの黒手袋と無表情が、なぜかとても頼もしく感じられた。


「ガーラン子爵の主張する雇用契約は、労働条件が白紙であり、労働期限も記されていない。これは王国法に明確に違反する、実質的な人身売買の契約書です。違法行為を指摘することは名誉毀損には当たりません」


「静粛に!」


裁判長が木槌を激しく叩き、カナト様の言葉を遮った。


「聖騎士団の署名が記された公式な契約書を『違法』と呼ぶなど、法廷に対する侮辱である! 聖騎士団が承認した時点で、その契約の適法性は担保されているのだ。被告人側には、契約そのものの正当性を疑う権限などない!」


「騎士団の署名があるからといって、法律を無視して良いという道理はありません。我々は、この契約の裏で行われた不正な資金のやり取りを証明する準備があります」


カナト様が怯まずに書類を掲げようとするが、裁判長は鼻で笑ってそれを一蹴した。


「却下する。本法廷は、ミオラ・ルナシアの『名誉毀損』の罪を裁く場である。契約の内容そのものや、関係のない証拠を持ち込むことは許されない」


「関係がない? 契約が違法であれば、名誉毀損自体が成立しないはずですが。証拠を提示させないというのは、裁判の公平性を欠くものです」


「黙りなさい! ここは私が法だ! これは決定である!」


あまりにも強引な裁判の進行。

こちらの証拠や証人を出す機会すら与えず、ただ「騎士団の署名がある」という一点のみで押し切り、有無を言わさずに私を有罪にしようとしている。


私の目の奥で『月鏡』がチカチカと瞬いた。

「公平な裁き」を装う裁判長の口元から、そして彼が纏う黒い法衣から、どす黒い染みがじわじわと滲み出ている。

最初から結論ありきの、ただの茶番劇だ。


だが、それにしても不自然だった。

いくら貴族院の権力があるとはいえ、宰相府の監査官代理であるカナト様の正当な証拠提示まで、ここまで露骨な権限の乱用で弾き返せるものだろうか。


「カナト様。この裁判長は……」


私が扇の陰で小声で尋ねると、カナト様は灰色の瞳を鋭く細め、静かに答えた。


「ええ。単なる貴族院の息がかかった判事ではありません。彼の強気の裏には、さらに巨大な後ろ盾があります」


カナト様の視線は、裁判長の胸元に飾られた小さな徽章を捉えていた。

それは、ルネリア王国王家の紋章の意匠。それも、国王のものではない。


「あの徽章は……」

「はい。彼は、王妃イザナ様が直々に後援している法務派の重鎮……完全な『王妃派』の人間です」


「王妃様が……?」


私は思わず息を呑んだ。

王国の実務的な支配者であり、私を「王国の便利な宝」として王太子妃に据えようと企んでいる王妃イザナ。


「神殿と貴族院だけではない。この国の最も深い闇――王妃自身が、あなたを危険視し、この法廷を使って完全に封じ込めようと動いているのです」


カナト様の声は低く、しかし揺るぎない現実を告げていた。


王妃は、私が自らの意志で動き、腐敗を暴くことを許さない。

だからこそ、この裁判で私を「罪人」に仕立て上げ、自由を奪い、最終的には王家が『恩赦』を与える形で、私を逆らえない所有物にするつもりなのだ。


国家の最高権力が、私一人を潰すために動き出した。

絶対的に不利な盤面。

逃げ場のない法廷で、四面楚歌の状況の中、カナト様は私に視線を向けた。


「どうしますか、ミオラ様。相手は、この国の法そのものです」


その問いかけに、私は扇を閉じ、小さく笑った。


「証拠がないから却下する、と言うのなら。彼らが逃げられないだけの証拠を、さらに積み上げるまでですわ」

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