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第20話 一人目の敵が、証人になる

エリシア様が自白した「侯爵家の裏帳簿」の隠し場所――それは、王都の外れにあるヴェルカ侯爵家所有の別邸、その地下ワインセラーの隠し金庫だった。


カナト様が手配した宰相府の隠密部隊が直ちに急行し、半日後には、分厚い革張りの帳簿が私たちの目の前の長机に置かれていた。


「……間違いありません。ヴェルカ侯爵の私印と、暗号化された取引記録です」


カナト様が手袋をした手でページをめくり、淡々と解読していく。

彼の向かいのソファには、私に保護を求めてきたエリシア様が力なく座っていた。


「お父様は用心深いから、貴族院の重鎮たちや騎士団の総監とやり取りした賄賂の記録を、すべてその帳簿に残していたわ。いざという時、相手を脅して自分だけが助かるための切り札としてね」


エリシア様が自嘲気味に笑う。

カナト様の解読が進むにつれ、この国の腐敗の全体像が、おぞましいほど鮮明に浮かび上がってきた。


神殿が孤児院から横領した寄付金や、人身売買で得た裏金。それはヴェルカ侯爵をはじめとする貴族院の議員たちに流れ、彼らの贅沢な生活や政治工作の資金となっていた。

そして貴族院は、ガーラン子爵のような末端の貴族たちが孤児を鉱山で違法に働かせる「奴隷契約」を承認させるため、今度は聖騎士団の上層部へ莫大な賄賂を渡していたのだ。


神殿、貴族院、騎士団上層部。

本来なら互いを監視し合うはずの三つの強大な組織が、金と利権でがっちりと結びつき、弱い民を食い物にしていた。


「これで、すべての金の流れが繋がりました。エリシア・ヴェルカ様、あなたの証言とこの帳簿があれば、貴族院の重鎮たちを追い詰めることができます」


カナト様が書類から顔を上げ、実務的な評価を下した。

エリシア様は「そう」と短く呟き、伏し目がちに視線を逸らした。


その視線の先には、部屋の隅の小さな机で、このやり取りをすべて調書に書き留めているナナの姿があった。


「…………」


ナナの横顔は蒼白だった。

ペンを握る小さな手が、微かに震えている。

無理もない。彼女にとってエリシア様は、大勢の貴族の前で自分に「宝石泥棒」の濡れ衣を着せ、床に引き倒し、あわや人生を終わらせようとした張本人なのだから。


エリシア様も、ナナの視線に気づいていた。

彼女は気まずそうに唇を噛み、やがて、絞り出すように口を開いた。


「……あの時は、悪かったわね」


それは、侯爵令嬢としてのちっぽけなプライドが混じった、ひどく薄っぺらい言葉だった。


「私がブローチを隠したのよ。ミオラ様がちやほやされているのが気に食わなくて、あなたの侍女を貶めれば、少しは溜飲が下がると思ったの。……謝るわ」


ナナの肩が、ビクッと跳ねた。

彼女はペンを置き、ギュッと両手を握りしめ、エリシア様を睨みつけようとして――しかし、身分差の恐怖から、すぐに俯いてしまった。


「……謝罪は結構です」


冷ややかな声で、私が割って入った。


「エリシア様。あなたはその程度の言葉で、ナナの心の傷が消えるとお思いですか?」

「っ……だって、私は謝ったじゃない!」

「形だけの謝罪など、何の意味もありませんわ」


私はエリシア様を冷たく見据え、そしてナナの傍へと歩み寄った。

震えるナナの肩を、そっと抱き寄せる。


「ナナ。無理に彼女を許す必要はありません。あなたが彼女を恐れ、憎むのは当然のことです」


「お嬢様……でも、エリシア様の証言がないと、あの子どもたちを助けたことの証明が……」


ナナは涙目になりながら、必死に自分の感情を押し殺そうとしていた。

彼女は賢い子だ。この戦いにおいて、エリシア様の証言がいかに重要か、痛いほど理解している。だからこそ、自分の個人的な恨みを飲み込もうとしているのだ。


私はナナの震える手を、優しく包み込んだ。


「いいえ、ナナ。許すことと、証言を採用することは別です」


その言葉に、ナナだけでなく、エリシア様もハッと顔を上げた。


「私は彼女の証言と、彼女がもたらした裏帳簿を使います。それは、この腐った王国を裁き、これ以上虐げられる子どもたちを出さないためです。ですが、だからといって、彼女があなたにした非道を無かったことにするわけではありません」


私はエリシア様を振り返った。


「あなたの証言は、正義のためではなく、自分を切り捨てた侯爵家への復讐のためのもの。違いますか?」


エリシア様は唇を震わせ、やがて力なく頷いた。

「……ええ。その通りよ」


「ならば、それで十分です。私たちは互いの目的のために、実務的な取引をするだけ。そこに、偽物の友情や、安っぽい赦しは必要ありません」


私の宣言は、この部屋にいる全員の立ち位置を明確にした。

エリシア様はもはや「悪役令嬢」ではなく、ただの「証人」だ。

そしてナナは、被害者として泣き寝入りするのではなく、堂々と彼女の罪と証言を記録する「記録官」なのだ。


「……ミオラ様の仰る通りです」


カナト様が、静かに同意を示した。


「感情で罪を許せば、法と記録の重みが失われます。エリシア様、あなたの証言は証言として正当に評価し、保護を提供します。ですが、あなたが過去に犯した罪が消えるわけではない。それを理解した上で、証言台に立っていただきます」


「……分かっているわ。どうせ私には、もう帰る場所なんてないのだから」


エリシア様は自嘲気味に笑い、ソファに深く背中を預けた。

これで、神殿、貴族院、そして騎士団上層部を繋ぐ決定的な証拠と証人が揃った。

あとは、これを公開の場でどう突きつけるかだ。


私たちが次の戦略を練ろうとした、その時だった。


「ミオラ様! 一大事でございます!」


公爵邸の家令が、血相を変えて執務室に飛び込んできた。

その手には、貴族院の重々しい封蝋が押された書状が握られている。


「どうしましたの?」


「き、貴族院からの通達です! ミオラ様を、貴族の正当な雇用契約を妨害したことによる『重大な名誉毀損』で、直ちに裁判にかけると……!」


「……なんですって?」


私は眉をひそめ、家令から書状を受け取った。


ガーラン子爵の違法契約を暴き、神殿を追い詰めた私を、貴族院の重鎮たちがついに危険視し、強硬手段に打って出たのだ。

彼らは私たちが裏帳簿を手に入れたことにはまだ気づいていない。だからこそ、先手を打って「月の姫」である私を被告人として法廷に引きずり出し、社会的に抹殺しようとしている。


「ミオラ様」


カナト様が、私から書状を受け取り、その灰色の瞳で文面を素早く読み解いた。


「敵は、私たちが準備を整える前に叩き潰すつもりのようです。貴族院による裁判の開廷が、間近に迫っています」


「随分と急ぎますのね」

「それだけ焦っているということです」


私は、手元にある「侯爵家の裏帳簿」に視線を落とした。

一人目の敵が、最大の証拠をもたらしてくれた。


「受けて立ちましょう」


私は顔を上げ、冷たい闘志を込めて微笑んだ。


「彼らが用意した法廷を、そのまま彼らの処刑台に変えて差し上げますわ」

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