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第2話 味方という言葉は、こういう時に使うものです

「では、私の侍女に罪を着せた侯爵令嬢を、今ここで告発してもよろしいですか?」


私のその一言で、絢爛豪華な夜会の広間は、文字通り水を打ったような静けさに包まれた。


先ほどまで私を取り囲み、甘い言葉を競うように囁いていた男たちの顔から、さぁっと血の気が引いていく。

彼らの瞳に浮かんでいるのは、愛や熱情ではない。

『厄介事に巻き込まれたくない』という、明確な保身の光だった。


沈黙を破ったのは、当の告発された側である侯爵令嬢、エリシア・ヴェルカ様だった。


「なっ……! 何を仰るの、ミオラ様! 告発だなんて……悪いのは私の月光石のブローチを盗んだその薄汚い侍女でしょう!?」


エリシア様は顔を真っ赤にして扇を震わせた。

彼女の取り巻きたちも、ハッとしてエリシア様に同調する。


「そうですわ! 身分の低い者が手癖を悪くするのはよくあることです」

「エリシア様は被害者ですのに、月の姫ともあろうお方が、泥棒を庇うおつもり?」


彼女たちの甲高い声が響く中、床に引き倒されたままのナナは、私のドレスの裾を弱々しく掴んだ。


「お、お嬢様……私、本当に……」

「大丈夫よ、ナナ」


私はナナの震える手にそっと自分の手を重ね、顔を上げた。

視線の先には、この国の未来を背負う第一王子、レオルド殿下がいる。

彼は困惑したように眉を下げ、ゆっくりと口を開いた。


「ミオラ嬢、少し落ち着こう。エリシア嬢は侯爵家の令嬢だ。確証もないのに告発など……事を荒立てるのは良くない。ここは穏便に済ませよう」


穏便に。

その言葉の裏にある意味を、私は正確に理解した。

侯爵家という大きな権力と揉めるより、身分卑しい侍女一人を犠牲にして、この場を丸く収めようという提案だ。

それが、彼にとっての『正しさ』なのだ。


「……殿下の仰る『穏便』とは、一体誰のためのものでしょうか?」


私が冷たく問い返すと、殿下は言葉に詰まった。


「ミオラ様の言う通り、真実は明らかにすべきだ」


そう言って前に出たのは、聖騎士団長のアスカル様だった。

彼の言葉に、私はわずかに期待を寄せたが、続く言葉にすぐさま失望することになる。


「しかし、高貴な貴族の令嬢を、明確な理由なく追及することは騎士団の規定により難しい。まずはその侍女を騎士団の詰め所に連行し、厳しく調査するのが筋というものだ」


正義感が強く、民を守ると公言する聖騎士団長。

だがその実態は、騎士団の面子と貴族社会の秩序を守ることに縛られている。

ナナを連行すれば、密室でどんな『調査』が行われ、どんな調書が作られるか。火を見るより明らかだ。


「お待ちください。そもそも、そのような下賤な侍女の言い分など聞く価値もありません」


そう声を上げたのは、先ほど『世界中が敵になっても味方だ』と熱烈に語っていた、名門伯爵家の令息だった。

彼は気障な仕草で肩をすくめ、私に向かってにこやかに微笑んだ。


「ミオラ様のような美しい月の姫に、泥棒の侍女など相応しくない。君のためにも、そんな侍女などさっさと捨ててしまえばいいのです。新しい者なら、私がいくらでも手配いたしますよ」


瞬間。

私の奥底で、冷たい怒りが限界を突破した。


(一人目、脱落ね)


私は冷え切った目で伯爵令息を睨みつけた。

彼に向かって、口先だけの言葉を徹底的に糾弾してやろうと息を吸い込んだ、その時だった。


「失礼。少しよろしいですか」


抑揚のない、淡々とした声が広間に響いた。

華やかな貴族たちの中に割って入ってきたのは、この場に似つかわしくない、ひどく地味な青年だった。


黒に近い青髪に、灰色の瞳。

仕立ては良いが飾りのない地味な礼服を着ており、両手には黒い手袋をはめている。

そして、夜会の場であるにも関わらず、小脇には分厚い書類の束を抱えていた。


「彼は……宰相補佐官のカナト・エルゼン?」


誰かが小声で彼の名を呼んだ。

カナトと名乗ったその青年は、周囲の怪訝な視線など全く気にする様子もなく、エリシア様の正面に立った。


「侯爵令嬢、エリシア・ヴェルカ様。あなたが被害を訴えられていることは理解しました」


「な、なによ。宰相府の人間が何の用?」


「事実確認です」


カナト様は手元の書類をパラリとめくり、感情の読めない灰色の瞳でエリシア様を見据えた。


「この侍女がブローチを盗んだと主張されていますが、証拠はありますか?」


「証拠……?」


エリシア様は鼻で笑った。


「私がすれ違いざまにぶつかられたのよ? その直後にブローチが無くなったのだから、この女が盗んだに決まっているでしょう!」


「それは『推測』であり、証拠ではありません」


カナト様は即座に切り捨てた。


「身体の接触があったという事実だけで窃盗の罪は成立しない。あなたが落とした可能性も、別の人間がすり抜けた可能性もあります。第三者の客観的な証言、もしくは盗品そのものを見つけない限り、拘束の理由にはならない」


甘さの欠片もない、冷徹なまでの実務的な言葉。

その言葉に、私は思わず目を見張った。


彼は、泣いている侍女を哀れんだわけではない。

貴族に媚びを売ったわけでもない。

ただ純粋に、「手続き」と「事実」だけを提示したのだ。


カナト様は視線をめぐらせ、私と目が合った。


「ミオラ・ルナシア公爵令嬢」


「……はい」


「誤解のないように申し上げておきます。私は、あなたの味方ではありません」


その言葉に、周囲の貴族たちがざわめいた。

だが、カナト様は顔色一つ変えずに続けた。


「私は、証拠の味方です。証拠があれば、動けます」


――ああ、なんて。


なんて、安心する言葉なのだろう。

「君の味方だ」という甘く無責任な嘘よりも、その冷たい事実の宣告の方が、私にとってはどれほど誠実に聞こえたか。


「ふざけないで! 私を疑うというの!? 被害者は私なのよ!」


エリシア様が金切り声を上げ、扇を振り回した。


その時だった。

私の目の奥に、月光がチカチカと瞬くような鈍い痛みが走った。

視界がわずかに歪む。


月鏡つきかがみ』。

月の加護を受けた私が持つ、唯一の異能。

相手の「言葉」と「行動」に矛盾がある時、その人物の周囲に黒い染みのようなものが浮かび上がる力。


エリシア様が「被害者は私だ」と叫んだ瞬間。

私の目には、エリシア様の両手――精緻な刺繍が施された美しいシルクの手袋の指先から、どす黒いインクのような染みがじわじわと滲み出ているのが見えた。


(……矛盾している)


彼女の言葉は嘘だ。

ブローチは盗まれてなどいない。彼女自身の手でどうにかしたのだ。


私は、微かに口角を上げた。


能力で真実が分かっても、それだけでは彼女を裁けない。

カナト様が言った通り、必要なのは証拠だ。


「分かりましたわ、エリシア様。カナト様のおっしゃる通り、確たる証拠を見つけましょう」


私は扇を閉じ、エリシア様の手袋を真っ直ぐに見つめた。


「あなたのその手袋から、証拠を紡ぎ出させていただきますわ」

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