第17話 助けた子どもは、貴族の所有物でした
王都の郊外に新設された孤児たちの一時保護院。
かつての月神殿の冷たい石造りの施設とは違い、そこには柔らかな陽光と、子どもたちの穏やかな笑い声が満ちていた。
「お兄ちゃん、お花!」
「ああ、綺麗だな」
中庭で、小さな女の子が編んだ花冠を、兄である少年に被せている。彼らは、神殿の「白い馬車」で不当に売り飛ばされそうになっていたところを間一髪で救い出した兄妹だ。
声を取り戻した聖女候補のユイナが、微笑みながら子どもたちの世話を焼き、ナナがその様子を新しい名簿に丁寧に書き留めている。
「良い場所になりましたね」
私が目を細めて呟くと、隣に立つカナト様は無表情のまま頷いた。
「ええ。ですが、安心するのは早計です。神殿という大きな『仲介業者』が潰れたことで、焦っている顧客たちが必ず動きます」
そのカナト様の予言は、あまりにも早く、そして最悪の形で的中することになる。
「どきなさい、下賤な者どもが!」
怒声と共に、保護院の木の扉が乱暴に蹴り開けられた。
土足で踏み込んできたのは、上質な絹の服に身を包み、傲慢な態度を隠そうともしない中年の貴族だった。彼の背後には、威圧的な体格の私兵たちが数人控えている。
「あ、ああ……っ!」
その男の顔を見た瞬間、花冠を被っていた少年の顔が恐怖に引き攣り、妹を庇うようにして後ずさった。
ユイナとナナが咄嗟に子どもたちの前に立ち塞がる。
「……どなたですか。ここは宰相府の保護下にある施設ですわ」
私が冷ややかな声で問いかけると、男は私の顔を見て大げさに鼻で笑った。
「これは月の姫様。私は貴族院議員を務める、ガーラン子爵と申します。本日は、不当に拐引された我が家の『所有物』を返還していただくために参りました」
「所有物、ですか?」
「ええ。そこの男児です」
ガーラン子爵が、太い指で怯える少年を指差した。
「その薄汚い孤児は、我がガーラン家の領地にある鉱山で働くために、正当な『雇用契約』を結んだ立派な労働力です。神殿が潰れたドサクサに紛れて逃げ出したようですが、盗まれた我が家の財産は、きっちり返していただきますよ」
少年がガタガタと震え出した。
神殿が彼を「奉仕先」として売ろうとしていた相手は、このガーラン子爵だったのだ。過酷な鉱山労働の使い捨ての道具として。
「……ふざけないでください」
私は静かに、だが明確な怒りを込めて前に出た。
「こんな幼い子どもに、鉱山での労働など耐えられるはずがありません。それに、彼自身が恐怖に怯えているではないですか。そんなものを、正当な雇用とは呼びません」
「月の姫様。あなたは世間知らずでいらっしゃる」
ガーラン子爵は、やれやれと首を振って見せた。
「下層の子どもたちは、我々貴族が仕事を与えてやらなければ生きていけないのです。それを、可哀想だというだけの浅はかな同情で勝手に動かされては、王国の雇用契約の根幹が崩れてしまう。労働力がいなくなれば、経済は止まる。これでは貴族院も黙ってはおりませんよ。あなた方の勝手な正義感で、王国の秩序を壊さないでいただきたい」
いかにも国を憂いているような、もっともらしい言葉。
しかし、私の『月鏡』は、彼の嘘を完璧に暴き出していた。
「秩序、ですか」
私の目の奥で月光が瞬く。
ガーラン子爵の口元から、そして彼が懐から取り出して見せびらかしている「契約書」という羊皮紙から、どす黒いインクのような染みがボタボタと滴り落ちていた。
彼の言う雇用契約は、絶対に偽物だ。
「国のため」と言いながら、ただ安価で命をすり減らす使い捨ての奴隷を求めているだけ。
「……カナト様。契約書の確認を」
「承知しました」
私が促すと、カナト様はガーラン子爵の前に進み出た。
「宰相府監査官代理のカナト・エルゼンです。あなたが正当性を主張するその契約書、拝見いたします」
カナト様は子爵から羊皮紙を受け取ると、灰色の瞳で文字の羅列を瞬時に読み解いていく。
「……なるほど。酷いものですね」
カナト様の冷ややかな声が響いた。
「王国法により、十歳未満の児童を危険な鉱山労働に従事させることは禁じられています。さらに、この契約書には賃金の支払い額が白紙のままであり、労働期間は『負債を返し終えるまで』という実質的な無期限になっている。これは雇用契約などではない。ただの違法な奴隷契約の偽造書です」
カナト様の的確な実務のメスが、子爵の「正論」を切り裂く。
ナナが隣で、その事実を一言一句漏らさず調書に書き留めていた。
「偽造だと!? 馬鹿なことを言うな!」
ガーラン子爵は顔を真っ赤にして吠えた。
「その契約書は、正式な手続きを経て承認されたものだ! 神殿が潰れたからといって、貴族院の議員である私の書類を、たかが宰相府の小役人ごときが偽造と決めつけることなどできんぞ!」
確かに、一介の貴族がこれほど堂々と違法な契約を公的なものとして押し通すには、裏で強い権力が動いているはずだ。
神殿という後ろ盾を失った彼が、なぜここまで強気でいられるのか。
カナト様は、無表情のまま羊皮紙をパラリと裏返した。
「ええ、その通りです。一介の貴族の力だけでは、このような違法な契約書を公的文書として偽造することは不可能です。必ず、強大な権力を持つ『証人』のサインが必要になる」
「ふん! 見れば分かるだろう! その書類は完璧だ。お前たちにそれを覆す権限など――」
「ミオラ様」
カナト様は子爵の言葉を無視し、契約書の末尾、一番下の証人欄を私に見せた。
「この契約書が『正当』だと主張できる理由が、ここにありました」
私はその署名を見て、思わず息を呑んだ。
そこには、神殿の印章でも、貴族院の印でもない。
私がよく知る、そして民衆が最も信頼を寄せている組織の、見事な署名と封蝋が刻まれていたのだ。
「……まさか」
「はい。神殿と貴族院だけではありません」
カナト様は、冷徹な事実を口にした。
「この子どもを使い捨ての道具にする違法契約を、公式なものとして承認し、署名を与えていたのは――『聖騎士団』の上層部です」




