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第16話 月の姫は、黙って祈らない

「……なっ、なぜ、お前がここに……!」


公開神殿審問の舞台。

衛兵たちの間から進み出た薄水色の髪の少女――ユイナの姿を見た瞬間、セザン大神官は幽鬼でも見たかのように顔を引き攣らせた。

先ほどまでの堂々とした「聖職者」の演技はどこへやら、彼は慌てて祭壇から駆け下りようとした。


「おのれ、神聖なる沈黙の行を妨げるなど! 神殿騎士よ、直ちにその狂乱した聖女候補を保護しなさい!」


セザンの怒号に応じて神殿騎士たちが動こうとしたが、それよりも早く、カナト様が懐から一枚の羊皮紙を突きつけた。


「宰相府監査官代理の権限により、月神殿がユイナ・マーレに施した『神聖なる沈黙の行』の術式認可を、直ちに無効とします」


カナト様のよく通る声が広場に響く。


「本術式は、本人の自発的な信仰と同意が必須条件です。しかし、彼女自身が執筆した『助けて』という証言記録により、同意なき不当な拘束と断定されました。……解除を!」


カナト様の合図とともに、宰相府から同行していた魔法院の術士が印を結んだ。

パァンッ、と。

空気が弾けるような鋭い音が響く。

私の『月鏡』を通して見えていた、ユイナの首をきつく締め付けていた真っ黒なインクの輪が、粉々に砕け散るのが見えた。


「あ……っ、こほっ、かはっ……!」


ユイナは首元を押さえ、激しく咳き込んだ。

長期間声を奪われていたせいで、喉が張り付いているのだろう。それでも彼女は、顔を上げ、広場を埋め尽くす民衆たちと、顔面蒼白になっているセザン大神官を真っ直ぐに見据えた。


「大神官様は……!」


掠れた、けれど広場の隅々にまで届く必死の叫びだった。


「大神官様は、孤児院の子どもたちを、夜中に白い馬車で連れ去っていました! 私が……偶然その帳簿と裏取引の証拠を見てしまったからっ……! 誰にも言えないように、無理やり術式を飲まされて、声を奪われたんです!」


静まり返っていた広場に、彼女の悲痛な証言が響き渡った。


「私が神に祈っていたのは……民のためではありません! どうか、あの子たちを助けてくださいと……この恐ろしい神殿から救い出してくださいと、泣いていただけなんですっ!」


ユイナがその場に泣き崩れると、張り詰めていた広場の空気が、一気に爆発した。


「なんだと……!? 子どもを売っていたのが、本当だというのか!」

「私たちの寄付金を私欲に使い、あまつさえ幼い少女の声を奪うなど……神への冒涜だ!」

「偽善者め! 聖職者の面を被った悪魔!」


怒号が渦を巻き、民衆の敵意の矛先は完全にセザン大神官へと裏返った。

先ほどまで彼を讃え、私に投げつけられていた石や小銭が、今度は祭壇の上のセザンに向かって雨あられと降り注ぐ。


「ち、違う! これは何かの陰謀だ! 私を誰だと思っている! 大神官だぞ!」


セザンは頭を抱えて逃げ惑ったが、すぐに宰相府の衛兵たちに取り押さえられ、冷たい石畳に引き倒された。

彼の周囲から滲み出ていた『月鏡』の黒い染みは、彼自身の罪とともに、衆目に晒されたのだった。


「……ミオラ嬢」


ざわめきの中、貴賓席から駆け下りてきたレオルド王太子殿下が、息を切らして私の前に立った。

彼の青い瞳には、激しい後悔と焦燥が浮かんでいた。


「君が正しかった。神殿は完全に腐敗していた。すぐに王家の近衛騎士団を動かし、神殿の全権を掌握しよう。私は、君の味方だ」


民衆の怒りを見て、ようやく「穏便」という逃げ道を捨てたのだろう。

だが、その言葉を聞いても、私の心は少しも揺れなかった。


「もう終わりましたわ、殿下」


私は冷ややかに、しかし礼儀正しく微笑んで告げた。


「あなたのその心強いお言葉は、いつも、すべてが終わった後にしか聞こえません。証拠がすべてを証明した今、殿下の『味方』という言葉に、いったい何の意味があるのでしょうか」


「ミオラ嬢……」


殿下はひどく傷ついたように顔を歪め、伸ばしかけた手を力なく下ろした。

私はそれ以上彼を一瞥することもなく、カナト様と共に広場を後にした。



公開審問が終わり、王宮へと向かう馬車を待つ控室。

緊張の糸が切れた瞬間、私はぐらりと視界が揺れるのを感じた。


「っ……」


連日の証拠調べの疲労と、『月鏡』を酷使した代償。

膝から力が抜け、冷たい床に崩れ落ちそうになった私の体を、黒い手袋をした両手がしっかりと受け止めた。


「お疲れ様です、ミオラ様」


カナト様だった。

彼は私を抱え留めたまま、近くの長椅子に静かに座らせてくれた。


「……申し訳ありません。少し、気が張っていたようですわ」


私は浅く息を吐きながら、何とか微笑みを作ろうとした。

神殿の不正を暴き、ナナやユイナ、そしてあの子たちを救うことができた。完全な勝利だ。笑わなければならないはずだった。


「勝った人間の顔ではありませんね」


私の内心を見透かしたように、カナト様が淡々と言い当てた。


「あなたは今、救った人数を数える前に、失った人数を数えている」


その言葉に、私は思わず目を見開いた。

図星だった。

確かに今いる子どもたちは救えた。しかし、私たちが帳簿を見つける前に、すでに「奉仕先」へ送られ、行方が分からなくなってしまった十五名の子どもたち。その子たちのことを思うと、胸が締め付けられ、勝利の余韻など微塵も感じられなかった。


「……嫌な人ですね」


私は俯き、ぽつりとこぼした。

求婚者たちのように「君は立派にやり遂げた」と手放しで称賛するわけでもなく、私の抱える重い罪悪感を、容赦なく言葉にして突きつけてくる。


「証拠を見る仕事なので」


カナト様は、相変わらず抑揚のない声でそう答えた。

けれど、彼が私に差し出してくれた温かい紅茶の入ったカップには、彼なりの不器用な労りが込められていた。


大げさな慰めは一つもない。

だが、彼は私が背負っている重さを正確に測り、目を逸らさずに共に背負ってくれる。

その実務的で静かな思いやりが、私の冷え切った心を少しずつ溶かしていくのを感じていた。



数日後。

神殿の資産は宰相府によって凍結され、セザン大神官をはじめとする不正に関与した神官たちは一斉に投獄された。


孤児院の子どもたちは、神殿の管理から完全に切り離され、王都の郊外に新設された「一時保護院」へと移された。

明るい陽射しが差し込む中庭では、子どもたちが元気な声を上げて駆け回っている。その傍らには、声を取り戻し、笑顔で子どもたちの世話をするユイナや、彼らの名前を新しい名簿に丁寧に書き込んでいるナナの姿があった。


その平和な光景を、私は遠くから静かに見守っていた。


だが、腐敗の根はまだ残っている。

孤児たちを「買い取った」のは誰なのか。偽の契約書を用意し、人身売買に加担していた黒幕たちの存在。


同じ頃。

王宮の最も高いバルコニーから、王都の街並みを冷たく見下ろす女の姿があった。

ルネリア王国王妃、イザナ。


彼女は優雅に扇を揺らしながら、氷のような瞳で神殿の方向を睨みつけ、微かに唇を動かした。


「……月の姫を、自由にしすぎたわね」

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