第15話 大神官セザンの祈り
王都の中央広場に特設された、公開神殿審問の舞台。
その周囲は、足の踏み場もないほどの人だかりで埋め尽くされていた。
「おお、慈悲深き女神リュナよ。どうか、迷える月の姫に救いの光をお与えください」
静まり返った広場に、セザン大神官のよく響く、涙ながらの祈りの声が響き渡った。
彼は純白の法衣に身を包み、祭壇に向かって深く頭を垂れている。その背中は、教え子に裏切られた哀れな聖職者の悲哀を見事に演じ切っていた。
「月の姫たるミオラ・ルナシア様は、若さゆえに何者かに唆され、神殿に刃を向けてしまわれました。しかし、我々は彼女を憎みません。彼女が過ちを認め、再び民の前で微笑んでくださる日を、ただ静かに祈り、待っているのです」
まるで私が悪辣な存在に操られ、狂乱しているかのような言い草だった。
彼が両手を広げて祈りを捧げ終えると、集まった民衆から次々とすすり泣きや、同調する声が漏れ始めた。
「ああ、なんてお労しい大神官猊下……」
「神の慈悲を蔑ろにするなんて、公爵令嬢は狂っている!」
「月の姫を騙る偽物め! 神殿に謝罪しろ!」
広場を包み込むのは、私に対する圧倒的な敵意と憎悪。
貴賓席には王太子レオルド殿下の姿もあったが、彼は苦悶の表情を浮かべたまま、押し寄せる民衆の熱狂を前に沈黙を保っていた。
セザン大神官はゆっくりと振り返り、冷たい嘲笑を隠し持った目で私を見下ろした。
「さあ、ミオラ様。民衆の声が聞こえるでしょう。今ここで跪き、涙と共に謝罪の言葉を述べるのです。そうすれば、すべては穏便に――」
「お祈りは終わりましたか?」
私が感情の一切こもらない、氷のように冷たい声で遮ると、セザン大神官はピタリと言葉を止めた。
私は広場に渦巻く敵意を、正面から受け止めた。
「あなたの美しい祈りも、民衆の皆様の涙も、とても感動的でしたわ。ですが、ここは『審問』の場です。感情や祈りで事実を覆い隠すことはできません」
私は一歩前へ出た。
「愛や慈悲といった甘い言葉は、もう結構です。……カナト様。記録の提示を」
私が振り返ると、背後に控えていたカナト様が無言で進み出た。
黒に近い青髪に、無機質な灰色の瞳。彼の手には、荷馬車で運び込んだ膨大な量の書類の束が抱えられている。
その一番上には、昨夜、ナナが震える手で何度も書き写してくれた孤児院の名簿があった。
「宰相府監査官代理、カナト・エルゼンです。これより、月神殿における不正の数々を、証拠に基づき立証します」
カナト様は、民衆の怒号が飛び交う中でも、一切の抑揚がない事務的な声で話し始めた。
しかし、彼が書類を読み上げるたびに、広場の空気は少しずつ、だが確実に凍りついていった。
「証拠物件第一。神殿が国に提出した寄付帳簿と、神殿倉庫の実際の在庫記録の照合結果。孤児院への食料費および修繕費として計上されている『金貨一万枚』は、実際には倉庫に存在しません。代わりに、同額の支出が、大神官猊下および上位神官の祭具と法衣の購入に充てられていたことが、王都の商会の取引記録から証明されています」
「なっ……! それは書類の記載ミスだ!」
セザン大神官が顔色を変えて叫ぶが、カナト様は手元の紙を一枚めくっただけで、止まらない。
「証拠物件第二。孤児院の在籍名簿と、神殿が手配した馬車の移送記録。過去半年間で、名簿から『奉仕』という名目で消えた孤児は計十五名。しかし、神殿の公式な奉仕先リストに彼らの名前はありません。代わりに、彼らが馬車で移送された日付と完全に一致するタイミングで、神殿の裏口座に合計『金貨五千枚』の入金がありました。これは違法な人身売買の動かぬ証拠です」
「でたらめだ! 宰相府が捏造した偽の記録に決まっている!」
セザン大神官は額に脂汗を浮かべ、必死に声を張り上げた。
民衆たちも、次々と突きつけられる生々しい数字と記録の羅列に、先ほどの熱狂を忘れ、戸惑いのざわめきを広げ始めている。
「捏造ではありません。すべての書類には、神殿の正規の印章と、関係する商会、および貴族院の一部書記官の直筆署名があります」
カナト様は、冷酷なまでに淡々と、事実だけを積み上げていく。
彼が読み上げる一つ一つの数字が、セザン大神官の纏う「聖職者」という化けの皮を、確実に剥がし落としていった。
「くそっ……! だまされるな、民よ! これは神への冒涜だ!」
セザン大神官はついに取り繕う余裕を失い、祭壇から身を乗り出して叫んだ。
「ただの紙切れだ! どこからでも数字など都合よくでっち上げられる! そこに書かれていることが真実だと言うのなら、実際に神殿の裏で泣いているという被害者を連れてくるがいい! 誰もいないだろう! 我々は、誰の口も塞いでなどいないのだから!」
彼は勝ち誇ったように言い放った。
孤児たちはすでに遠くへ売られ、神殿の闇を知る聖女候補たちの口は、魔術によって完璧に塞がれている。
「証言できる人間など一人もいない」という絶対的な確信が、彼を支えていたのだ。
しかし、私はその言葉を待っていた。
私はにっこりと、今日一番の美しい笑みを浮かべた。
「ええ。その通りですわね、大神官様」
私は扇を閉じ、広場の端に控えていた衛兵たちの後ろを指し示した。
「誰も口を塞がれていないというのなら。神に仕える彼女が、その真実を語ってくれるはずです」
私の言葉に応えるように、衛兵たちが左右に道を開けた。
そこから進み出たのは、純白のベールを被った、薄水色の髪の少女。
「……なっ、なぜ、お前がここに……!」
セザン大神官の顔が、今度こそ完全に恐怖に歪んだ。
広場の中央に立ったのは、神殿に不都合な真実を知ったがゆえに声を奪われた聖女候補――ユイナ・マーレだった。




