第13話 聖女候補の声は、誰が奪った
「神に自らの声を捧げることこそ、最高の信仰の証なのです」
王都の中央広場に、神官の朗々とした声が響き渡る。
純白のベールを被った十数人の少女たちが、石畳の上に跪き、胸の前で手を組んで静かに祈りを捧げていた。
彼女たちは月神殿が誇る『聖女候補』と呼ばれる少女たちだ。その神聖な姿に、集まった民衆たちは涙を流し、次々と神殿の募金箱に浄財を投げ入れている。
「ご覧なさい、この美しき沈黙の行を! 彼女たちは神殿で手厚く保護され、自らの意志で世俗の言葉を捨て、神への祈りだけにその身を捧げているのです。なんと無私で、尊い姿でしょうか!」
神官が両手を広げて語りかけるたび、民衆から感嘆の溜息が漏れた。
その光景を、私は広場の端から冷ややかな目で見つめていた。
「自らの意志、ですか。随分と都合の良い言葉ですね」
「神殿は、孤児院の不正疑惑から民衆の目を逸らすために、彼女たちを『広告塔』として利用しているのでしょう」
隣に立つカナト様が、無表情のまま淡々と分析する。
ナナが神殿の神官たちから濡れ衣を着せられそうになったあの日から、私たちは神殿の不正を決定づけるための調査を急いでいた。
孤児院の二重帳簿と莫大な横領。その事実を公開審問の場で突きつけるには、帳簿という「物証」に加えて、神殿の内部事情を知る者の「証言」が不可欠だった。
「ですがカナト様、神殿の内部の者は極端に口が堅いのでは?」
「ええ。長年の洗脳と恐怖支配によるものでしょう。特に、神殿の奥深くで管理されている聖女候補たちは、外部との接触すら厳しく制限されています」
カナト様が書類の束を軽く叩く。
私は再び、広場で祈る少女たちに視線を戻した。
一見すると、神官の言う通り「敬虔な祈り」に見える。
しかし、私の目は誤魔化せなかった。
少女たちの一人――薄水色の髪をした、ひときわ小柄な少女の様子が、どこかおかしかったのだ。
彼女は祈りの姿勢を保ちながらも、その肩は微かに震え、ベールの下から覗く瞳には、祈りとは程遠い「深い絶望」と「焦燥」が宿っていた。
まるで、声にならない悲鳴を上げているかのように。
その瞬間。
私の目の奥で月光が瞬き、『月鏡』の能力が発動した。
(……え?)
私は息を呑んだ。
声高に美辞麗句を並べ立てる神官の口元から、どす黒い染みがボタボタと零れ落ちているのは予想通りだった。
だが、それだけではなかった。
祈りを捧げているはずの、あの薄水色の髪の少女。
彼女の細い首元に、まるで首輪のように、真っ黒なインクの染みがきつく巻き付いているのが見えたのだ。
月鏡は、相手の「言葉」と「行動」の矛盾を見る力。
彼女は今、一言も言葉を発していない。それなのに矛盾の染みが見えるということは、彼女の「沈黙」そのものが、神官が語るような『自らの意志』ではないという絶対の証明だった。
(声を出さないんじゃない。……出せないんだわ!)
神殿に不利な真実を知ってしまったがゆえに、物理的、あるいは魔術的な手段で声を奪われているのだとしたら。
彼女は、祈っているのではない。助けを求めているのだ。
私は考えるより先に、群衆を掻き分けて広場の中央へと歩み出ていた。
「ミオラ様!?」
背後でナナが驚く声がしたが、カナト様は静かに私の後を追ってきた。
「これはこれは、月の姫であられるミオラ様」
私が聖女候補たちに近づくと、引率していた神官が、胡散臭い笑みを浮かべて立ち塞がった。
「我々の尊い祈りに、何かご用でしょうか? ああ、もしや、先日の一件を悔い改め、神殿に謝罪しに来られたのですか?」
「いいえ」
私は神官の言葉を冷たく遮り、その背後に跪く薄水色の髪の少女を見つめた。
「彼女たちは本当に、自らの意志で沈黙しているのですか?」
「もちろんです。月の姫様には理解できないかもしれませんが、これこそが無私の信仰というものです。神にすべてを捧げた彼女たちの邪魔をしないでいただきたい」
神官が庇うように少女の前に立つが、私は引かなかった。
「では、彼女自身に聞いてみましょう」
「無駄ですよ。彼女たちは決して声を発しません。それが掟――」
「声が出せないのなら、書けばいいわ」
私がそう言った瞬間。
サッと私の横から差し出されたのは、真新しい羊皮紙と、インクのついた羽ペンだった。
私の専属侍女であり、優秀な記録官として成長しつつあるナナが、完璧なタイミングで筆記用具を用意してくれたのだ。
「さあ、これを使って」
私が羊皮紙を少女の膝元に置こうとした途端、神官の顔色が変わった。
「や、やめなさい! 神聖な行の最中に俗世の道具を触れさせるなど、言語道断だ! 神殿騎士、この者たちをつまみ出せ!」
神官が声を荒らげ、周囲を警備していた白銀の鎧の騎士たちが一斉に動き出そうとする。
だが、その前に、黒い手袋をした手がスッと突き出された。
「宰相府監査官代理の権限において、警告します」
カナト様が、いつも通りの一切の感情を排した声で、神官と騎士たちを威圧した。
「現在、宰相府は神殿の各種事業に対する内偵を進めています。神の使いである聖女候補が、民の前で自らの信仰を文字で書き記すことすら禁じられているというのなら、我々はそれを『不当な拘束』および『証拠隠滅の疑い』とみなし、直ちに彼女たちを王宮へ保護する手続きを取ります」
「なっ……! ここは神域だぞ! 宰相府の役人ごときが――」
「法と手続きは、神域であろうと適用されます。妨害するなら、公務執行妨害であなたを拘束しますが、いかがしますか?」
カナト様の冷徹な実務の壁にぶつかり、神官はギリッと歯を食いしばって押し黙った。
彼らが手を出せないと見るや、私は再び少女――ユイナという名の聖女候補に向き直った。
「大丈夫よ。無理に声を出さなくていいわ」
私はしゃがみ込み、彼女の震える手に羽ペンを握らせた。
月鏡で見える彼女の首の黒い輪が、痛々しいほどに濃く脈打っている。魔術の力で喉を封じられているのだろう、彼女は声を出そうとするように喉元を押さえ、苦しげに顔を歪めていた。
「あなたが伝えたい事実を、ただ記録として残して。私たちが、必ずそれを守るから」
私の言葉に、ユイナの瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
彼女は嗚咽を噛み殺しながら、羽ペンを握りしめ、羊皮紙に向かった。
震える手で、彼女が必死に書き記した言葉。
それは、神への祈りでも、感謝の言葉でもなかった。
インクの滲んだ羊皮紙には、たった一言、こう書かれていた。
『助けて』




