3話:経営トップの首を傾げる(物理ではなく財政的に)
「おいおいリーザ、さっきからギャーギャーと何の騒ぎだ? 俺の昼寝を邪魔するんじゃねえよ」
奥のギルド長室からノソリと現れたのは、熊のように強靭な体躯に、無数の傷跡を刻んだ大男だった。彼こそが、この『鉄拳の咆哮』ギルドのトップ――ギルド長・ガザルである。
アルノルトは一歩引き、改めてギルド内を見渡した。
本来、この『鉄拳の咆哮』は辺境随一の大型ギルドだ。朝から多くの冒険者が行き交い、高価な魔獣の素材が次々と運び込まれ、一見すると非常に「儲かっている」ように見える。だが、よく観察すれば、床の木板は腐りかけ、掲示板の依頼書を留めるピンすら錆びついている。稼ぎの割に、設備への再投資が全くされていない――典型的な『放漫経営』の兆候だった。
「あ、ギルド長! 大変なの! このアルノルトさんが、あと2週間でこの互助会が破綻して、みんなにお金が払えなくなるって――」
「ああん? 破綻だぁ?」
ガザルは太い眉をひそめ、品定めするようにアルノルトを睨みつけた。
「初めまして、ギルド長。本日付でこちらの主任財務監査官に就任いたします、アルノルトと申します」
「あ? 監査官? そんな役職、うちにはねえよ。おいリーザ、適当に塩撒いて追い出しちまえ。うちは国営のぬるい役所じゃねえんだ、冒険者たちの命金で回ってる自主組織(互助会)なんだよ」
「ええ、まさにその『冒険者たちの命金』の話をしています」
アルノルトは先ほど仕訳を終えたばかりの、リーザの涙とインクで汚れた羊皮紙を突きつけた。
「ガザル氏。先週、あなたが『士気を上げるため』と称して執行した金貨50枚の飲食費。これの領収書を出してください」
「領収書ぉ? そんなもんあるわけねえだろ! 馴染みの酒場で『美味い酒を持ってこい!』ってガバッと払ったんだよ! 冒険者がケチケチ細かい紙切れ集めてられるか!」
「なるほど。では、あなたのその『豪気』のせいで、来週、命懸けで魔獣を狩ってきた冒険者たちへの『素材買い取り資金』が完全に底を突く(ショートする)事実はご存知で?」
「……あ? 底を突く?」
「金貨50枚は現代の価値で**【約500万ゴールド】**。このギルドの月間プール金の3割に達します。もし明日、高価なドラゴン素材を持ち込まれても、このギルドには買い取る現金がありません。買い取りを拒否された荒くれ者たちが、この事実を知ったらどうなるでしょうか?」
その言葉に、ガザルの顔からスッと血の気が引いた。
ギルド内の酒場で飲んでいた冒険者数人が、アルノルトの「500万」という不穏な単語を耳にし、ギラついた目でこちらを振り返る。
『おい……今、買い取り資金がねえって言ったか……?』
『ギルド長、俺たちの積立金を一晩で500万も飲み干したってのは、マジなのか……!?』
ざわざわと、ギルド内の空気が一瞬で殺気立つ。椅子を蹴立てる音が響き、数人の大男が武器の柄に手をかけた。身内の横領と破綻の危機を知れば、冒険者たちが暴動を起こすのは時間の問題だ。
「お、おい、お前ら落ち着け! 俺はだな――」
慌てるガザルの前に、アルノルトがすっと立ち塞がった。そして、暴れそうになっている冒険者たちに向けて、凛とした声を響かせる。
「皆さん、落ち着いてください。本日私が就任した目的は、まさにその『皆さんの命金』を守るためです。ガザル氏が一晩で消費した500万ゴールドは、税法および規定に基づき、本日付で『ギルドの経費』としての承認を【却下】しました」
『却下……? ってことは、どうなるんだ?』
「全額、ガザル氏個人への『仮払金(借金)』として処理します。本日から彼の役員報酬の8割を強制差し押さえとし、全額を買い取り資金および、リーザさんの消えかけた残業代の補填に充てます。つまり、ギルドの資産は1円も毀損していません。来週の買い取りも、私の徹底的な資金繰り改善(キャッシュフロー適正化)により、予定通り現金で支払うことを保証します」
アルノルトの理路整然とした宣言に、冒険者たちは顔を見合わせ、握っていた武器からそっと手を離した。
『……ちゃんと俺たちに金が払われるなら、文句はねえが……』
『ギルド長、お前……これから8割天引きかよ。ウケるな』
嵐のような暴動の気配が、数字の論理によって一瞬で鎮静化していく。
「ガザル氏。そういうわけですので、ここにサインを。それとも、私の監査を拒否して、今すぐ後ろの冒険者たちに物理的に監査られますか?」
ガザルは、アルノルトの後ろに佇む「残業代を守られて『さすがアルノルトさん!』と目を輝かせているリーザ(武力:測定不能)」と、怒れる冒険者たちの視線、そしてアルノルトの冷徹な書類を前に、生まれて初めて、恐怖でペンを握る手を震わせるのだった。
(つづく)




