第2話:どんぶり勘定の女神(ポンコツ)
王都を追われたアルノルトは、格安の乗合馬車に揺られること3日、荒くれ者どもが集う辺境の街へとたどり着いた。
職を求めて彼が足を踏み入れたのは、地域一の規模を誇る冒険者ギルド『鉄拳の咆哮』。
だが、扉を開けた彼を待っていたのは、喧騒ではなく、受付カウンターの奥から聞こえる悲痛な呻き声だった。
「ううう……合わない……。あと3ペニーどこ行ったのよぉ……!」
金髪の美少女が、ボロボロの羽根ペンを握りしめたまま机に突っ伏していた。
彼女の涙と鼻水、そしてひっくり返したインクが混ざり合い、羊皮紙の帳簿は文字通りドロドロの悲惨な状態と化している。
さらに見れば、計算が合わない腹いせにペンを強く握り込みすぎたのか、頑丈なオーク材の机には、彼女の指の形にメキメキとヒビが入っていた。
アルノルトの『不正検知衝動(脳内監査アラート)』が、その地獄絵図のような帳簿を見た瞬間に限界突破の警戒音を鳴り響かせる。
「……失礼。そこのお嬢さん」
「ひゃいっ!? あ、ご、ごめんなさい! 依頼の受付ならちょっと待って……って、あなた冒険者じゃなさそうね?」
「ええ、求職中の会計士です。……それより、その帳簿、少々拝見しても?」
「え? ちょっと、何するのよ――」
アルノルトは少女の手から、すさ、と帳簿を引き抜いた。
彼のバグじみたスキル『簿記・仕訳能力:MAX』と『損益分岐点計算速度:2.0 \times 10^4 op/sec』が強制起動する。瞳の奥で、膨大な数字が超高速で仕訳されていく。
一秒。二秒。三秒。
アルノルトは、引きつりそうになる顔を鉄の意志で無表情に保った。
「……これは素晴らしい。実に見事な芸術作品だ」
「え? ほ、褒めてるの?」
「皮肉です、リーザさん。あ、胸元のネームプレートを拝見しました。……まず、この『討伐報酬』の仕訳は何ですか。なぜ借方と貸方が逆になっている?」
「え? みぎがわと、ひだりがわ……? どっちでも良くない? お金が入ってきたんだから、どっかに書いとけばセーフでしょ!」
「アウトです。資産の増加は借方、収益の発生は貸方です。基本すら崩壊している。それからこの『備品費:大剣3本(補填)』の横にある、インクのシミのような丸は何ですか」
「あ、それは『だいたいこれくらい!』の丸!」
「『だいたい』で国家が傾くのを見てきたばかりなんですよ、私は。……さらに決定的なのはこれです。この『使途不明の飲食費:金貨50枚』。これ、誰が承認しました?」
「あー、それはね! 先週、ギルド長が『景気づけにみんなで飲むぞー!』って言って、一晩でどんちゃん騒ぎして使ったやつ!」
アルノルトの脳内で、即座に現代の貨幣価値への換算が行われる。
(この世界の金貨1枚は、現代日本円で約10万円相当……。つまり、一晩で500万円を飲み食いに使ったということか)
「……領収書は?」
「ないよ? 勢いって大事だし!」
「却下です。ギルド長の私的流用、もしくは役員貸付金として処理し、本人の給与から全額天引きします。一晩で500万の使途不明金を出す組織など、私の前世でも即座に強制捜査の対象です」
「ご、ごひゃく……!? よくわからないけど、そんなことしたらギルド長、今月の生活費なくなって干からびちゃうよ!?」
アルノルトは眼鏡(※かけていないが、かけているような仕草で)のブリッジを押し上げた。
その瞳は、絶対零度の冷徹さを宿している。
「知ったことですか。だいたい、このペースで使途不明金とどんぶり勘定を垂れ流せば、このギルド……あと2週間で実質的債務超過(倒産)に陥りますが、その自覚は?」
「と、とーさん……!? ギルドが潰れるのっ!?」
ガタタッ! とリーザが勢いよく立ち上がる。その拍子に、彼女が着ていた服の袖がめくれ、そこからのぞく二の腕には、事務職には到底必要のない、オークの机を破壊するに足る「武力」がみなぎっていた。
「嘘、嘘でしょ!? 私、数字は苦手だけど、このギルドが大好きなの! 潰れちゃうなんて嫌だよ!」
「ならば、今すぐ監査を入れるしかありません。……リーザさん、あなたに一つ提案です」
アルノルトは、絶望に震える脳筋受付嬢を見下ろし、邪悪とも言える完璧なビジネススマイルを浮かべた。
「私をこのギルドの『主任財務監査官』として雇いなさい。私が2週間で、この泥沼の帳簿を、1円の狂いもない『無欠の複式簿記』に再定義して差し上げます」
(つづく)




