第20話:死数の換算
王都中央監査局、各部署の窓口が並ぶ重厚な回廊。
そこには「規則通り」を盾にした、特権階級の官僚たちによる懃懃無礼な嫌がらせの空気が満ちていた。
「泥にまみれた地方ギルド上がりの小娘が、ハインリヒの威光を傘に着て」と鼻で笑われ、わざとらしくデスクへ叩きつけられる、山のような「全く無関係な雑多な廃棄書類の山」。
「おいおい特命監査官殿。そんなゴミの山から何を探そうってんだ? たかが『銀貨3枚(3レアル)』の記載漏れだろう? 端数の誤差で大騒ぎするとは、これだから地方の貧乏人は品性がない」
冷笑と共に吐き捨てられる言葉。
だが、そのノイズを前に、エレオノーラの万年筆は1ミリもブレない。
不快な舌打ちも、鉄製の引き出しを乱暴に閉める耳障りな雑音も、彼女が集中を高めるための演算リソースに過ぎなかった。
目の前にあるわずかな数字の歪みを逆算していくだけで、他組織の防衛線を嘲笑うかのように、次の帳簿の、その次の帳簿の『嘘』が芋づる式に浮かび上がる。
「――見つけました。これが、あなたたちの『バグ』です」
パキィィィン、と彼女の計算魔術の数式が、廃棄書類の底に隠されていた“ある一つの不整合”を暴き出す。
それは、かつて自分が辺境ギルド『鉄拳の咆哮』でガロフたちの帳簿を精査した際に見つけた、あの『7―0―3』の暗号の、王都側における『真の還流先』のデータだった。
王都の官僚たちの顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「な、貴様……何を勝手に中央の予算執行書を――」
「騒がないでください。私は統計の健全化のために、不要な数値を間引くだけです」
エレオノーラは氷のように平坦な声で言い放ち、その決定的な証拠書類を漆黒の書類鞄へと収めた。
同じ頃。
王都の喧騒から離れた、薄暗い裏通りの安宿の一室。
「……本当に行くの、アルノルトさん」
リーザが、不安そうに窓の外の王都の街並みを見つめながら呟いた。その手は、かつて辺境でエレオノーラから守り抜いた、新しく書き直された財務諸表を強く握りしめている。
「路銀なら心配いりません。私がこれまでの残業代をコツコツ貯めた『ヘソクリ』がありますから! でも……」
その傍らでは、ガロフがかつてエレオノーラから資産凍結を言い渡された際の絶望から立ち直り、王都の複雑な地図を広げて険しい表情を浮かべていた。
「リーザの言う通りだ、アルノルト。俺の個人資産は確かにあの女に凍結されたが……だが、長年泥水をすすりながら帳簿をつけてきた、俺たち辺境事務員の『意地と知識』までは凍結できん。手伝えることがありゃあ、何でも言ってくれ」
二人の言葉に、アルノルトはゆっくりと立ち上がった。
懐から【黒革の特製手袋】を取り出すと、指の一本一本にぴったりと嵌めていく。
恐怖で震えそうになる右手を左手で強く抑え込みながらも、眼鏡の奥の瞳には、冷徹な青い光が宿っていた。
「ああ。エレオノーラが単身、王都の中央監査局本部に乗り込んで、上層部の『嫌がらせの書類の海』と戦っている。……あの女の狙いは、ギルドの解体などではなかったんだ」
「え……? どういうこと?」 リーザが目を見張る。
第20話:死数の換算(アルノルト台帳修正・確定版)
(※前中半略、安宿のシーンより)
「彼女は7年前、私を宮廷から追い落とした」
アルノルトは黒革の特製手袋を嵌めた拳を、静かに、しかし強く握りしめた。
「だが──もし、あの行動に別の理由があったとしたら。もし、当時から彼女が『7―0―3』の存在を知っており、私をそこから遠ざけようとしていたのだとしたら……」
リーザが息を呑み、ガロフが驚愕に目を見張る。
「まだ証明はできません。ですが、数字が示す仮説としては、十分に成立します。エレオノーラは今、一人で王都の巨悪の帳簿をひっくり返そうとしている。……ガロフ氏、リーザさん。俺たちのホームである辺境ギルドを守るための戦いは、もうあの受付カウンターの前だけでは終わらない。王都中央監査局──俺たち三人の数字で、あの怪物どもの帳簿を、今度こそ完全に処刑する」
アルノルトの眼鏡の奥の瞳が、青く輝きを増す。
エレオノーラが王都の窓口で暴き出した『嘘の糸口』。
そして、それを追って王都へと足を踏入れたアルノルトたち。
交錯する二つの監査が、国家の暗部を今、激しく撃ち抜こうとしていた。
(つづく)




