第12話:到着15分の震撼
ギルド『鉄拳の咆哮』の空気は、エレオノーラが踏み込んでからわずか5分で、完全に「処刑場」へと変質していた。
彼女はギルド長室の椅子に座ることすらしない。
立ったまま、漆黒の書類鞄から計算魔術の数式が刻まれた虫眼鏡を取り出すと、受付カウンターに並べられた直近の財務諸表へ、冷酷に視線を走らせた。
パサ、パサ、パサ。
3秒に1回、ページがめくられる。その乾いた音が、ギルド職員たちの心臓を直接削るように響く。
「……事務員のガロフ」
エレオノーラが、名前すら見ていないはずのベテラン職員の男を指名した。声の抑揚は完全に平坦だ。
「は、はい……っ?」
「一昨年、11月のウルフ討伐戦における『負傷者補償金』の支給記録。……総額4万クローネに対し、支給先が39名。ですが、当時の王都からこちらの医療院へ支給された特級薬草――その『空き容器』の返還数を逆算すると、実際に治療を受けたのは38名のはずです。消えた1名分の1000クローネは、どこへ消えました?」
「え……? い, いや、それは……2年も前の話ですし、確か、現場の混乱で……」
ガロフの顔からダラダラと冷や汗が流れ落ちる。本人すら、着服したのか処理を忘れたのか覚えていないレベルの「過去の些細な誤差」だ。
エレオノーラは表情一つ変えず、懐から1枚の冷たい銀の用紙を突きつけた。
「王都の検収記録です。固有刻印の施された容器が、1個分、確実に足りない。……意図的な余剰金の詐取、および公文書偽造。事務員ガロフ、あなたの全資産をこの瞬間から凍結、および即時解雇を宣告します。……抵抗は無意味です。中央の監査令に基づき、執行されます」
「な……ッ! た、たった1000クローネのことで、解雇……!? 資産凍結って、家族はどうなるんだ!!」
ガロフが悲鳴を上げる。だが、エレオノーラはその叫びを、ただの「雑音」として処理した。
その顔には、怒りも、嘲笑も、愉悦すらもない。ただ、淡々と書類をめくるだけだ。
「統計の健全化のために、不要な数値を間引く。それだけのことです。……次、14ページ」
「……っ、ふざけないで!!」
ギルドの仲間が目の前で一瞬にして人生を破壊されるサマを見て、リーザが激怒し、カウンターを叩いて身を乗り出した。
「ガロフさんは、ずっとこのギルドを支えてきた人です! 2年前の、そんな細かい数字のズレだけで、そのすべてを否定するなんて……あんた、人間じゃないわ!!」
リーザの魂からの怒り。
だが、エレオノーラは虫眼鏡を動かす手を止め、ガラス玉のような瞳で、リーザをただの『出来損ないの計算機』を見るように見下ろした。
「人間性、ですか。そんな不確定な数値を計算式に混ぜるから、辺境のギルドは常に非効率なのです。……感情では、人は救えませんよ」
「な……っ」
圧倒的な『合理的正義』の前に、リーザの言葉が詰まる。ギルド全体が、抵抗する術を失い、底なしの恐怖に震えていた。
誰も逆らえない。
その恐怖の空間の最奥で、アルノルトだけが、顔面を真っ白に染めて立ち尽くしていた。
黒革の手袋をはめた右手が、先ほどからずっと、激しく震えて止まらない。
カラン、と静かに靴音が響く。
エレオノーラは帳簿から視線を外し、ゆっくりと、受付の奥にいるアルノルトへと歩み寄った。
その表情は、やはり無感情のままだ。
「お久しぶりですね、アルノルト。……相変わらず、あなたの周りには、無駄な感情が満ちている」
アルノルトの喉が、引き攣ったように鳴った。
エレオノーラは彼の間近で立ち止まり、その震える右手を冷たく見据えながら、淡々と言い放った。
「安心してください。今回の監査は公平です。あなたが正しければ、何も起きません。……間違っていれば、消えるだけです」
「……っ、エレ、オノーラ……」
アルノルトの乾いた唇から、初めてその名前が漏れる。
その一言だけで、ギルドの門前にいた全員が息を呑んだ。
まるで、人間ではなく数字そのものが歩いてきたかのように。
(つづく)
「第12話をお読みいただきありがとうございます! 到着わずか15分、ガロフへの公開処刑によるエレオノーラの圧倒的な『実績』。そしてアルノルトの過去のトラウマが完全に開示されました。彼女の持つ『国家の正義』に対し、アルノルトの防壁は本当に通じないのか……!? 緊迫の第13話、近日更新です。面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや応援評価でアルノルトを応援してください!」




