ss01 # 【10話記念短編】あの日、監査官が初めて笑った(リーザ視点)
「おーい、リーザ! 悪いがこっちの査定書、もう一回見てくれ!」
「はいはい、今行きます!」
闇商人が消え、中央のあくどいピンハネがなくなってから、辺境ギルド『鉄拳の咆哮』の受付は、目が回るほどの忙しさだった。でも、机に向かう私の心は、何ヶ月ぶりか分からないくらい軽かった。
チラリと、受付の奥にある、新設された『監査官室』のすりガラスを見る。
そこには、いつもと変わらず、生真面目なシルエットで書類に向き合うアルノルトさんの姿があった。
……正直に言う。
最初は、この人が大嫌いだった。
王都から落ちぶれてやってきた、冷血で、傲慢で、数字のことしか頭にない、嫌味な元宮廷会計士。
私たちの血の滲むような現場の苦労も知らないで、「レートの異常だ」「薬草の流通をロックする」なんて正論を突きつけて、ギルドをめちゃくちゃにしにきた悪魔だと思ってた。
でも、違った。
あの嵐のような数日間。この人は完璧な計算のために、一睡もせず帳簿をめくり続けていた。
私たちが闇商人に足元を見られて、ギルド長が泥水をすすったとき、この人は黒革の手袋が破れるほど拳を握りしめて、自分の『正論』が現場を傷つけたことに、誰よりも責任を感じて、冷や汗を流していた。
『消したわけではありませんよ。ただ『正しい場所』から回収しただけです』
昨日、差し押さえた闇商人の倉庫から金貨35枚分の物資を回収したとき、アルノルトさんは平然とそう言った。
不敵で、冷徹で、でも、誰よりもこの辺境のギルドを――私たちを守るために、命を張って、数字の武器で戦ってくれた。
ガザルさんが彼の背中を叩いたとき、アルノルトさんは痛そうにしながらも、ほんの少しだけ、本当に小さく、優しく笑ったのだ。
(あ、この人、ちゃんと人間の血が通ってるんだな)って。
不覚にも、ちょっとだけ、格好いいと思ってしまった。
だけど。
私のそんな淡い安心は、王都から届いた【真っ白な手紙】によって、一瞬で粉々に砕け散った。
手紙の底に浮かび上がった、不気味な【赤い印章】。
それを見た瞬間、アルノルトさんの顔から、サァッと血の気が引いていくのが分かった。
あの、どんな悪党の前でも眼鏡をクイッと上げて冷笑していた人が、まるで死刑宣告を突きつけられた子供みたいに、カタカタと全身を震わせていた。
『……私たちは、触れてはいけない怪物の尾を……呼び寄せてしまった……』
掠れた声でそう呟いたアルノルトさんの横顔を、私は忘れられない。
中央監査局。
名前だけで大商会が自主崩壊する、国家の最凶機関。
その本物の牙が、このギルドに向かって動き出している。
「……アルノルトさん」
私は受付の椅子から立ち上がり、監査官室のドアを見つめた。
あんたが数字で私たちを救ってくれた。
だったら、次にあんたを殺しにくる『化け物』が来るときは――今度は私たちが、現場の力で、あんたの盾になってやるから。
だから、お願い。
またあの、嫌味なくらい完璧な冷笑を、私たちに見せてよ。
(短編・完)




