第10話:帳尻合わせの祝杯と、新たなる不協和音
(伝書使が去り、アルノルトが手元に残された不気味なほど真っ白な手紙の封を切るシーンから)
アルノルトが震える指で封を切ると、そこには簡潔に、しかし絶対の強制力を持った一文だけが、魔力で刻印されていた。
『地方ギルドにおける特殊監査事例を評価する。――追って、本省より特任監査官を現地へ派遣。アルノルト殿、貴殿の“資格”を再審査する』
手紙の末尾には、血のように鮮やかな、【赤い印章】が、じわじわと不気味に浮かび上がってきた。
「……っ!」
その瞬間、アルノルトの視界が、一瞬だけ暗転した。
眼鏡の奥の瞳が、これ以上ないほどに大きく見開かれる。
――その赤い印章を、彼は嫌というほど知っていた。
宮廷会計局時代。雲の上の存在だった上司たちが、ある日突然、顔を真っ青にして部屋の記録を焼き始めた。
「監査対象が自殺した」
「大貴族の一家が丸ごと市場から失踪した」
「王族すら逆らえず、すべての財産を凍結された」
国家の暗部で囁かれる、そんな絶望的な噂話の最後に、必ず書類の底に押されていた、死の宣告。
【赤い監査印】
それは、国家が本気で、合法的に誰かを社会から「消す」時の、絶対の識別符号。
(なぜだ……。ただのアラートシステムを誤作動させただけのはずだ。なぜ、あの化け物どもがもう私の場所に気づいて――)
アルノルトの背中を、どっと冷たい汗が伝い落ちる。
黒革の手袋を脱いだばかりの右手が、さっきまでとは全く違う、【本物の生存の恐怖】でガタガタと激しく震え始めた。
それを隠すように、彼は自分の胸を強く、むしり取るように掴む。
「アルノルト……さん……?」
隣にいたリーザが、その異変に気づき、声を震わせた。
いつも傲慢なほどに冷徹で、完璧な数式で悪党をハメ殺してきた男が、今、見たこともないほどに顔を青ざめさせ、本気で怯えている。
「……リーザさん、ガザル氏」
アルノルトの声は、かすれて、裏返っていた。
「……逃げるべき、だったのかもしれません。私たちは、触れてはいけない怪物の尾を……数字の理屈など一切通じない、本物の暴力を、辺境に呼び寄せてしまった……」
完璧超人の仮面が完全に剥がれ落ち、ただの「一歩間違えれば処刑台に送られる人間」として、アルノルトは手紙を見つめたまま、凍りついていた。
(つづく)
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