きみの物語
きみはおとなしい女の子だった。
それは人とお喋りできないという意味ではない。きみにも身近にお喋りする友人はいる。
ただ――きみは聞き役だ。意見を求められてもうんと微笑み同調する。
相手を否定することはきみの本意ではない。自分を否定される苦しみをきみはよく知っている。だからすべてにおいてきみは同調する。それがきみの生き方だ。
だからきみは嫌だと言えなかった。
お赤飯炊こうよ。今度の土曜日。先輩に提案しておくね。
保健室に同行してくれた二人の友人が楽しそうに笑った。
きみは学校で初経を迎えた。保健室の女神は涙ぐむきみを慈愛をもって励まそうとする。誰も彼もそこに悪意はない。ほんとうにきみとともに喜びたかっただけなのだ。
ただ――きみはひとまえで大げさに祝われることを苦手にしていた。誕生日だって家族以外に祝われたくない。そんな恥ずかしいこと。
それに――押しつけられたバースデープレゼントは互いの誕生日会を繰り返すごとに華美で豪華になっていき次のプレゼントを探すのも苦痛になっていった。
この中学で新しい友人をつくった時、きみはもうこの連鎖を断ち切りたいと思っていた。
しかしきみは嫌とは言えない。申し出を否定された相手の落胆の顔が目に浮かぶ。
どうして?――と訊かれたりしたら、きみは答えられない。
そんな気まずい思いをきみはしたくない。だからきみは受け入れる。
家庭科部で赤飯を作る話は現実のものとなった。ただその理由がきみにあることは他の家庭科部部員は知らない。さすがにきみの友人たちも何でもかんでも喋る者ではなかった。
その土曜日、家庭科部の活動は午後からだった。先輩たちは午前に選択授業があったり、他の部活動のため家庭科部に集まれない。
食材は下級生たちが用意する。食材を目利きするのも勉強だ。きみは米を用意することになった。奇しくもきみのための食材だ。
赤飯はもち米とうるち米を合わせて炊く。たいていもち米の比率が多いが今回は半々にしようということになった。
きみは自宅近くのスーパーでもち米を買い、家にあるうるち米とを別々の袋に入れて学校に持ってきた。量は家庭科部で食べ切れる程度。もち米六合、うるち米六合。
午前の授業がまだ終わらない頃にきみは学校についた。
きみたち中等部一年生はその日の授業がなかった。他の子たちは時間通りギリギリに来るだろう。
きみは時間つぶしのため中庭を歩いた。
人がいない静かな中庭。園芸部が管理する花壇に春の花々が四月の日を浴びて輝き、その芳香までが目に見えるような気がした。
その鮮やかな彩りに反し、きみの心は灰色に濁り、きみはその澱みに沈み、暗い水底に落ちていく気がした。
きみの意識に温かく湯気立つ赤飯が見える。
いただきます!の後に、おめでとう!の声が聞こえる。
その悪気のない笑顔と嬌声にきみは押しつぶされる。
渡り廊下までたどり着いたきみはめまいを感じ、腰を落とし膝をつく。
その時きみのサイドバッグから米袋が落ちた。
運悪く紙製の袋に裂け目ができ、そこからサーッという音とともにキラキラした粒が流れ落ちていく。
きみはそれをじっと見つめる。
ああなんて綺麗なのだろう。
きみは日を浴びて輝く流砂に心をとらわれた。
やがてその流れは唐突に止まった。流砂の正体が米粒であったことを認識しきみは現に戻る。
米は半分ほど袋から漏れ落ちてしまった。
冷たいコンクリート面には砂も混じっていた。
落ちた米を食べる訳にはいかない。米がなければ今日の赤飯は炊けない。
きみはふたたび澱んだ水底に落ちる。
きみは残っていた米をそこに落とす。
またキラキラと流砂のように米が落ちていく。
きれいだ。
きみはもう一つの袋に詰められた米もばら撒いた。
どれほど時はたっただろう。実はわずか三分にも満たない時間だったかもしれない。
きみは我に返る。
何ということをしているのだ。
きみの目にお祝いをする友人たちの無邪気な笑顔が浮かぶ。
その笑顔が失望のそれに変わるのをきみは見た。
きみは声も出さず泣き続けた。
誰も通らないと思っていた渡り廊下に人影が差した。ひとりの高等部男子がいた。
はじめは目が霞んで見えなかったが、男子はきみに声をかける。
お米を落としたの?
きみは頷く。
今から買いに行こう。まだ間に合うんじゃない?
ほんとうに?
米を用意すれば赤飯を炊くことになる。しかしそれは避けることのできない未来なのだときみはようやく認めた。
きみは立ち上がる。
高等部男子に連れられ、きみは近くの店でもち米とうるち米を買った。
必要な分だけ袋に詰めてもらい、残りは高等部男子にあずかってもらった。
きみたちは渡り廊下に戻った。落とした米は誰かがきれいに片付けていたらしくそこに米は落ちていなかった。
家庭科部で赤飯を炊いた。それを食する時、友人たちはこっそりとおめでとうと言いきみを祝福した。赤飯を炊いた意味を他の部員が知ることはなかった。
夕方、きみはもう一度西の渡り廊下に足を向けた。
なぜそういうつもりになったのかきみはわからない。
きみはそこで思いもしなかった景色を見た。
薄暗くなりつつあった渡り廊下に米がばら撒かれていた。明らかに自分が落とした量より多い。
きみは混乱した。どうして?
そこにまた高等部男子が現れた。彼には連れがいた。男子がもう一人。
なんだかチャラそうなひとだときみは思う。
片付けようと優しい男子は言った。どこかで箒とちりとりを。
しかしもう一人のチャラそうな男子は言う。
ああこれは裏の仕業だな。
裏?
もしそうなら何度でも撒かれるぞ。
きみは意味がわからない。
しかし事態は変わらない。定められた宿命に向かってどんな道を通ってもそこにたどり着くのだ。そうきみは思った。
どうせなら派手に撒こうぜ。チャラそうな男子がニカッと笑った。
その爽やかな笑顔にはまるで悪意がなかった。
米まだ持っているだろう?
そう言ってチャラそうな男子は親切な高等部男子から米袋を受け取り、そこに米を撒き始めた。
とても楽しく、優雅に。
掛け声をきみは耳にする。
鬼は外。福は内。
季節外れの豆まきだった。
きみは黙ってそれを見ていた。




