うんちく男 三度目
ふと足が向いた先に、いつものうんちく男はいた。
よく考えずに歩いたのがまずかった。
僕はまた図書閲覧室に来てしまった。
そこにまた大きなテーブルにひとり腰かけるガタイの良い眼鏡男がいた。但馬一輝だ。
「芦屋じゃないか」
この声かけはもはや定番になっている。そういえば明石さんも似た声かけだな。
二人に共通点は多い。とかく何かを語りたがる。僕はそれを黙って聞くしかない。
但馬は一冊の文庫本を手にしていた。何だか年季が入っているな。図書室の本なのか?
「これか?」まだ訊きもしないのに但馬は語りだした。「絶版もので本屋では手に入らない。電子書籍もない。たまたま蔵書庫で見つけたものだからここで読んでいる。入手困難本だから貸出禁止だ。だからここで読む。図書委員が二人がかりで俺を監視しているよ。持って出て行ってしまわないかどうか」
なるほどね。
「竹本健治『カケスはカケスの森』だ」
「聞いたことはあるな」
「ミステリー好きのお前でも読んでいなかったか。二人称小説ミステリー」
「二人称の記述があるミステリーは法月綸太郎のを読んだ記憶があるな」
「『二の悲劇』、あれも一部そういう書き方をしているな。だがこの『カケスはカケスの森』は凄いぞ。プロローグとエピローグのみ『あたし』、それ以外の本文はほぼすべて『あなた』だ。ときどき『あたし』が出てくることはあるが原則『あなた』だ」
但馬の語りはいつも気合が入っている。但馬は裏表紙のあらすじを声に出して読み始めた。
「あることで気落ちしていたあなたは、自らを励まそうと、幼馴染みの真澄に誘われるまま、怪奇幻想文学作家・故鳥飼征流の住んでいたベルギーの古城で、夏休みを過ごすことにした。しかし、楽しいはずの旅行も、いつしか異様な連続殺人という惨劇に摺り替わっていく。それは、あなたが謎の少女を目にした瞬間から始まったのだった……。」
「確かに面白そうだな」
「プロローグの段階で『あたし』は『カケス』と名乗る。『あたし』が誰なのか、『あたし』はどこにいるのか、そういったことがわからぬまま話は進んでいく」
「いつか読ませてもらうからそれ以上スポイルしないでくれ」
「ああ、悪かった悪かった」
それで話が終わるはずもない。
「ここからは二人称小説の話だ。これまで一人称小説と三人称小説の話をしたよな」
続いていたのか。
「今回は二人称小説。語り、人称、視点を考える上で二人称小説は避けては通れない重要な道だ」
僕は別にそこまで真剣に考えたいわけではない。
「二人称小説は『あなた』もしくは『きみ』が動作・思考の主体となって語られる小説だ。語り手を視点とするなら『あなた』は焦点となる。語り手が誰で、『あなた』が誰なのかによっていくつかに分類される。この『カケスはカケスの森』では語り手が『あたし』で『あなた』は物語の主人公だ。そういう意味では一人称小説の亜型とも言える。しかし中には面白いことに語り手と『あなた』が同一人物のパターンもある。語り手が過去を振り返り、過去の自分に向かって『あなた』と呼ぶ場合だ。記憶の彼方にある昔の自分――それはもう今の自分とはほど遠い存在かもしれない。人間は時を経て経験を積めば変わっていくからな。それを成長と捉えるか劣化と見るかは別にして、過去の自分はもはや別人だ。過去を語るときに自分のことを『あなた』と呼んでも良かろう」
なるほどな。この図書室に来る前の僕と今の僕は確かに別人かもしれない。
「また別のタイプもある。語り手が作家、『あなた』が読者の場合だ。何だか自己啓発本みたいだとかRPG の世界だとか思うなよ。ゲームの世界の語り手は『あなた』と呼びかけたりするからな。あなたはこの剣と魔法の世界に降り立った。この世界には未知なる………………中略だ。さあ行こう! 冒険の世界へ――なんてな。そういうのではなくて、あなたは書店で見慣れぬタイトルの本を手にとる。あなたはそのあらすじを読みその本に惹かれる。あなたは本を書い、読み始めるのだった――で始まり、次の章はその本の内容――物語だ。ただ物語は中途半端に途切れていた。本を伏せ現実に戻った『あなた』はそのおかしな本を手に再び書店を訪れる。そしてまた別の本との出会い。次の章はまた本の世界だ。こうして『現実』の『あなた』が主人公の章、そしてその小説の世界が交互に並べられるタイプの小説もあった。このタイプの二人称小説は語り手が作者、『あなた』は読者という体裁をとっている。まあ実際の作者と読者というよりは虚構の中の作者と読者なのだろうが」
興味深い反面、話を聞くのも辛くなってきたな。
「とにかくいくつかのタイプに分けられるな。ただ――やっぱり多いのは語り手が『あなた』のすぐそばにいるタイプの二人称小説だな。これを俺はストーカー型と呼んでいる」
「ストーカー型?」
「だって語り手はずっと『あなた』のそばにいて『あなた』のことを語っているんだぜ。監視しながら逐一報告する。不気味だな。ホラーに使えそうだ」
なるほどね。
でも必ずしもストーカーとは限らないのではないか。
物言わぬ者の代弁者。語らない人の代わりに語っている。そばにいなくてもその人のことをよく知っていれば語れるだろう。
そういう二人称小説もあるのではないか。
時:月曜日昼休み
場所:図書室内閲覧室
ここの登場人物
芦屋憲勇 ミステリー研究会会員 僕 語り手
但馬一輝 文芸部のうんちく男




