文芸部のうんちく男
図書室にうんちくを語りたがる輩がいることがある。つかまったら放してもらえない。
僕は図書室を訪れた。特に用はない。
昔、文芸部にいた頃身についた習慣がときどきこうして顔を出す。
身を持て余したときにはついつい足が向くのだ。
閲覧室は大きな机がいくつも並べられ、小声なら会話も許されている。
試験前には勉強会をするグループもたくさん集まって来る。
今はまだ四月だから空いていると思ったのだが――。
意外と大テーブルは埋まっていて空きがなさそうだった。
ただ一か所を除いて。
そこに黒縁眼鏡をかけたガタイの良い男がいた。その男のまわりだけ空席になっている。
そいつはひとりだった。たぶん――おそらく――きっとそいつはいつもひとりだ。
僕は引き返そうとしたのだが、そいつに見つかってしまった。
「芦屋じゃないか」離れていてもそいつの声は大きい。
「ヒマか?」
僕は目立ちたくないから、仕方なくそいつに近づいた。近くなら声も小さくなると思って。
「ひさしぶり――但馬」
そいつは但馬一輝といった。高等部一年の同級生。文芸部と物理部に所属している。
何というか――浮いているヤツで、まわりから変人扱いされていた。
「何をやっているの?」僕は声をかける。
スマホをいじっているのはわかっている。当たり前のことでもそうやって声をかけないと、但馬のペースで話が始められる。
「投稿サイトのホラー小説を読んでいるよ」
「へええ」僕はボウヨミだ。
閲覧室なら紙の本を読めよ――と言えるわけがない。僕は語らない男だった。
「今、斧を持った大男に追いかけられているんだ――」もちろん小説の話だろう。「俺は彼女を守りながら逃げ回っている――」
「いいところだな、邪魔しちゃ悪いから――」
立ち去ろうとした僕は腕をつかまれた。怖いよ。ホラーかよ。
「こうやってホラーでも何でも読んでいて、不思議に思うことがあるんだよな」
「ふうん」気になるが、こいつの話に付き合うと終わりが見えない。
「これ――一人称小説なんだ。語り手は『俺』。『俺』が巻き込まれた『事件』について語っている。ただ――書簡体小説のかたちをとっていないから、語っている相手は読者だ――」
「一人称小説ってのは、小説の中にいる人間が外にいる読者に向かって語っている。こいつは外の世界を認識しているのか?」始まったよ。
「――それとも単に記録を残しているつもりなのか?」
「――そしてここが問題。『俺』はいつ語っているんだ?」
「いつって?」しまった。はめられた。
「斧を持った大男に追い回されているんだぜ。ピンマイクでもつけていてレコーダーに語っているのか? 実況中継だな」
「家に帰ってから、思い出しながら書いているんだろ」
僕はそうしている。これもまた当時(木曜日昼休み 図書室内閲覧室)のことを思い出しながら書いている。
そして何種類かに書き換える。自分用の小説。ミステリ研の活動報告にもなるような形式――などなど。
だから細かいセリフは実際に聞いたものと寸分違わないというわけにはいかない。
でも「書いたことにウソはない」と自負している。
「そうか。やっぱり後で書くのか。だったらこのホラー、ちっとも怖くないな。後で書けるってことは結局なんとか危機一髪をしのいだってことだろ。命の危機に迫ったような書き方をしていても、最後は助かるんだ。安心したよ」
僕はため息をついた。
但馬は笑っている。
「すまん、すまん。野暮なことを言って。ホラー映画を観ていて、これは役者が演じているんだと思うことと変わらないよな。そんな姿勢じゃエンタメは楽しめない。理屈抜きにドラマにのめり込まないとな」
僕はホラーが苦手だから、舞子に無理やり見せられるときには――これは役者たちによる演技だと思うようにしている。
俳優が演じているんだ。だからちっとも怖くない。
って、情けないな。
「今、語りとか人称とか視点について研究しているんだよ」但馬がまた語り始めた。「実に奥が深いね。とうとう日本語と外国語の違いまで意識するようになったよ」
但馬は小説のキャラクターやストーリーよりも、その手法や技法に興味をもつタイプだった。文芸部にいるが理系だ。
「そしたら部室で相手にされなくなったよ」
いや、それは手法技法にこだわるからではなく、屁理屈が多すぎるからでは?
「顧問が御子神先生から野上先生に替わって、部長が幡野さん。純文学真面目路線になったから、一所懸命レトリックとか研究しているんだけどな」
それでさらにうんちくに磨きがかかるな。
「明石さんや舞子、芦屋がいたころは面白かったよな」
「僕たちはミステリーに偏っていたけれどね」
それで幡野さんとかと何度も衝突したっけ。明石さんが。
「幡野部長と明石さんの討論面白かったよな」
討論というほどのものではなかったと思うけれど。
「俺、今でも芦屋たちの味方だ。あの課題――カフカ『変身』のオマージュ。芦屋だけぶっとんでいたよな」
言わないで欲しい。黒歴史だ。
「『変身』を題材に短編を書く。みんないろんなものに変身する短編を書いたよな。ファンタジーだよ。そしたら芦屋だけミステリーを書いたんだ。カフカ『変身』という小説をつかって、人を死に追いやる物語」
あの頃の僕は今思うといかれていた。小説で人を殺せるか――というのを本気でテーマにしたのだ。
「みんなびっくりしたし、俺は手を叩いたよ」
ウケたのは一部だけだけど。
「でも野上先生と幡野部長はこき下ろしたよな。認めません――て」
あれは人間が描けていなかったからだ。僕に才能があったらもう少し良い評価ももらえただろう。ミステリーを書いたことを非難されたわけではない。
でも但馬はそういう風には理解していないみたいだ。
「そしたら明石さんと幡野さんが激論を交わしたんだよな。結局物別れに終わって、お前と舞子を連れて明石さんは文芸部を退部した」
そう――明石さんがやってられない!とか言って退部したのだけれど、もともとあの文芸部に明石さんは合っていなかったと思う。
僕は明石さんに同行するしかなかった。僕のせいで明石さんが退部したのだもの。
舞子が同行したのは不思議だった。舞子は幡野さんの後を継いで中等部生徒会長になっていたし、幡野さんとの関係も良かったから。
「俺もついていくかとも思ったんだけどな。でも俺、ミステリーだけってのは違うと思ったんだ」
まあ、確かに。但馬は明石さんに似たところもあるけれど、明石さんではない。ミステリーにこだわりがあるわけでもないからな。
その後但馬は昼休みいっぱい使って、僕に何やら語り続けたが、僕は覚えていない。
へたに「偽」を語ると偽証罪になる答弁と同じだ。
だから僕は言う。
記憶にございません。
時:米ばらまきがあった日の三日後――木曜日昼休み
場所:図書室
ここの登場人物
但馬一輝 高等部一年生 文芸部部員 うんちく男
芦屋憲勇 ミステリー研究会会員 僕 語り手




