72話 向日葵
炎の飛竜との死闘があった翌日。
炎の飛竜が活動を始めるまで、洞窟内で朝食を食べたりして時間を潰してから、ボートに乗り込み、「風の飛竜の巣」へと戻る準備をした。
「忘れ物はないか?」
ミハルさんは、自分が「炎の飛竜の鱗」を取り忘れていないかを確認してきた。
「大丈夫です。ミハルさんも、大丈夫ですか?」
「ああ……。俺は、これがあれば大丈夫だ」
そう言って、ミハルさんは煤だらけの剣を見せた。
「『クリーナップ』と『ウォッシュアップ』を使って、綺麗にします?」
「そうだな……『クリーナップ』だけを頼む。『ウォッシュアップ』を使うと、錆びてしまうかもしれないからな」
それもそうか。
今まで特に何の手入れもされず、島の潮風に晒されてきた剣は、これから更に船旅で島のものよりも強い潮風に晒されるだろう。
しかも、船の上では充分には手入れをし続けることも難しいだろう。
ちゃんとした手入れは本土に戻ってからになるのだろうか、とにかく、剣の手入れなどについての判断は全て、ミハルさんに任せることにした。
「分かりました」
そうして、ボートを出し、島を出ることになった。
……。
小春日和か、暖かな日光を浴びながら、やや生臭さのある潮風を感じる。
生臭さや冷涼さを感じるその潮風が心地よいのは、炎の飛竜との戦いを終え、リラックスしているからなのか。
行きのときは緊張していたのか、それを深く実感することはなかった。
釣り竿が動く。
「お、今度は逃げないでくれよ~」
釣り竿を持っているのは自分だ。
ミハルさんはその様子を片手でオールを持ちながら、眺めていた。
ミハルさんの片腕は今、使えないため、両手を使う必要のある釣りは自分が行うことにした。
ボートには行きと同様、「ウォーターストリーム」を施してある。
施したのはボートの後部であり、舵代わりのオールをあてがうのも後部が良いと判断し、「ウォーターストリーム」を掛けた後、席を交代した。
交代するとき、ボートが思ったよりも揺れて、炎の飛竜との戦いとは別の類の多大な緊張をしてしまった。
あれはあれで、死ぬかと思った
風の飛竜も他の船も近くにいないし、風の飛竜やベルクさんの船に合図を出そうにも、その合図で炎の飛竜に気づかれるかもしれないため、碌に不用心な真似はできなかったためだ。
そんなゴタゴタもあったが、今はこうしてのんびりとした船旅が出来ている。
「ミハルさんは……、それで、よかったんですか……?」
「……どういうことだ?」
「何て言ったらいいか、よく分かりませんけど……。家族とか故郷とか……、あとは、炎の飛竜に対する……復讐心?といいますか……」
「そういうことか」
ミハルさんはそのあとに溜め息を一つ吐いてから言った。
「色々とまだ、思うところが無いと言えば、嘘になる」
ミハルさんの方を見てみると、ミハルさんは「風の飛竜の巣」の方を、海を見るついでのように望見していた。
「だが、持てる荷物や、来られる時間から考えると、十分、自分の思いに区切りをつけることができたとは、思う」
「そう……、ですか」
「今は、親父の剣を取り戻し、炎の飛竜を一頭、自分の手で討てたことで十分だ」
「……」
ミハルさんは、清々しい顔をしていた。
自分がこれ以上、何か首を突っ込むことは、無粋なことなのだろうなというくらいに。
……。
「風の飛竜の巣」に戻ってきたのは、空が赤くなる少し前くらいの時間帯だった。
行きよりも少しだけ短い時間で帰って来られたのは、ボートの扱い方に慣れたのと、それに加えて、「風の飛竜の巣」に向かう海流を多少は読むことが出来るようになったことが理由だろう。
ミハルさんと話し合い、向日葵の生えている場所は安全だということで、そこまで移動して、次の日の早朝に向日葵を採集し、夜が明けるころにベルクさんの船へ向けて合図を出す、ということで予定が決まった。
そして今は、その向日葵が生えているところまで来た。
「風の飛竜の巣」の内部は安全であるため、到着した後は「セルフヘイスト」で移動することにし、日が沈む前に到着することができた。
場所自体、窪地であるため、陽があまり入りにくい場所であるが、それでも向日葵は夕陽の方向に向かせるには十分なほどには陽が入ってきていた。
「綺麗だな……」
「そうですね……」
茜さす陽が向日葵を照らしている。
3日前、昼に見た向日葵は黄金かと見紛うほどの鮮やかな黄色を一帯に注いでいたが、今見えるその花々は、夕陽の光波と混ざり、琥珀の心象を抱かせる橙へと移ろいでいた。
「貴様らにも、この良さが分かるか?」
2人、向日葵に見蕩れていると、風の飛竜が舞い降り、訊いてきた。
「ええ。でも、この美しさを分かる人は、今までここに来た人の中にもいたと思いますが」
「まあ、な。だが、大抵の人間は、この花を採ることばかりに集中し、その美しさを言葉に出さない者が殆どだ」
そういうものか。
大抵は向日葵の希少性に目が行き、「向日葵」そのものよりも、「向日葵の付加価値」を見ている者なのだろう。
そして、この美しさに目が行ったとしても、大抵の人はそれを声には出さない。
「貴様らはこの美しさの一部を持ち去るのだ。そのことを、憶えておけよ」
「……はい」
今日この日は、この記憶をただ、心の奥深くに刻み付けたのだった。
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