18話 川の傍で
クマ。
魔物ではない。
だが、魔法を使える多くの魔物や人間よりも強い。
魔法が使えるようになった今でさえ、勝てる気はしない。
目の前にいるクマは2メートルほどの大きさで、ヒグマに似た種類に見える。
クマに合わないために、クマ除けの鈴も付けていた。
だが、合ってしまった。
そのクマがゆっくりと、近づいてくる。
走ってきていないのは、強者の余裕か。
クマに出会ったときの対処法といえば、目を合わせながらゆっくりと遠ざかるというもの。
しかしその対処法は、おそらく効果はないかもしれない。
先の「静谷が静かな理由の仮説」、狩りをするため。
最初からその理由でここに居たとすると、ゆっくり遠ざかったとしても、クマがその気なのだから、一気に逃げるか戦うかしかない。
逃げるのはどうか。
ただ逃げるのは得策ではないだろう。
クマの速さはだいたい時速50kmほどらしい。
世界陸上に出ている短距離のスポーツ選手でも時速30kmくらいであるから、彼らでも逃げ切ることはできない。
では、戦ってみるのはどうか。
こちらは、はっきり言って分からない。
魔法の使えなかった時よりはマシかもしれないが、この世界においても「クマは人間より格段に強い」という認識だ。
自分の攻撃魔法はある程度の強さで放てるが、クマに有効かどうかは分からない。
科若さんの攻撃魔法は対人においてはある程度有効かもしれないが、クマに対しては牽制程度にしかならないだろう。
だから科若さんはクマを認識したとき、即座に範囲強化魔法で筋力を強化して、弓矢の準備をしたのだろう。
そして、強化された弓矢程度の威力では、どうにかなるものとは思っていない。
元の世界の日本で、ヒグマに対して猟銃で胸を打ち抜いたがそのときから詳しい時間は覚えていないが30分だか1時間だか、はたまたもっとそれ以上か、暴れまわっていたという逸話もあったことを覚えている。
そんな相手に矢が2、3本刺さったところで行動が緩慢になるどころか、寧ろ狂暴になりそうだ。
「……」
そんな目の前のクマは唸ることもせず、ただこちらを真っ直ぐ見つめたまま、一歩、また一歩とゆっくり近づいてくる。
「……」
「……」
そして自分たちはそれに合わせるように、息を呑みながら一歩一歩ゆっくり遠ざかる。
静かさが緊張感を生むのか、緊張しているからこそ静かなのか。
とにかく、この緊張感も静けさも、おぞましいまでの嫌悪感を纏って握る棍棒の手に汗をジワジワと引き出させている。
そうやって数分か十数分か、川沿いを少しずつ下がっていった。
長い時間を掛けたというのに、この緊張感は保ったままだった。
それどころか、目の前のクマからだけではなく、周りからも緊張感を感じてくる。
幻覚か、それとも……。
情けないことかもしれないけど、兎に角この目の前のクマから目を離したかった。
「科若さん」
小声で、クマから目を離さないようにして尋ねた。
「何?」
「後ろ、何かいない?」
「今それどころじゃ……」
「科若さんはクマと目を合わせ続けてて。僕は後ろを確認する」
「……分かった」
科若さんも緊張して余裕が無いのか、彼女の顔を盗み見ると苦々しそうにしていたが、了承はしてくれた。
そしてクマを刺激しないようにゆっくりと後ろを見た。
すると、居た。
見つけてしまった。
動揺してその場に固まってしまいそうになったけど、後ろにクマがいることを思い出し、小さな声で報告した。
「オオカミ、数1」
その報告に科若さんは黙ったまま、更にその顔を苦々しいものに変化させていた。
「まだこっちに気づいてないけど、このまま下がったら気づかれると思う」
状況の更に詳しい報告もして、この森にいるオオカミについて少し思い出した。
オオカミ、大抵どこの森にでもいる上位捕食者だ。
「一匹狼」なんて言葉があるけど、基本的に群れで行動するらしい。
それはこの世界でも同じらしい。
そしてこのオオカミ、「魔物」である可能性もある。
「魔物」は身体的特徴が一般の動物と比べて異なるものが多いと聞いたけど、一部の「魔物」は普通の動物と同じような見た目であることもある。
オオカミもその中の一種だ。
だからこのオオカミ、魔法を使ってくるまで「普通の動物」なのか「魔物」なのか、分からないという。
●
「気づかれた」
川で水を飲んでいたオオカミはこちらに気が付き、こちらを見つめた。
するとすぐに、科若さんの足も止めた。
そして後ろのクマが歩く砂利の音もしなくなった。
いや、これはクマがオオカミがこちらに気づいたことを知って歩みを止め、その総合的な情報を判断して科若さんも足を止めた、といったところか。
自分に今必要な考えはこの状況を打開する策だというのに、こういう余計なことばかり考えてしまうな。
そんなささやかな現実逃避をしていると、牙を剥いて唸るオオカミが動きを見せた。
「ウワオオオオオオォォォォォォォ――――――――――ン!!!!!!」
目の前のオオカミは遠吠えをして、その後にこの場一帯に爆音が轟いた。
そのオオカミは上空へ向け、火の玉を生み出して飛ばしたのだった。
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