88話 転送準備
「ま、あの世界に来た経緯はこれくらいでよかろう。次に、元の世界に戻ったときに何が必要かの確認をしようかの」
高年の男は溜め息を吐いて続けた。
「まず初めに、体の状態についての話じゃな。これは必要なことというのは無いが、話しておいて損はないじゃろう」
「体の……、状態?」
「まず、時間としては、あの世界に戻るのは、桜木尚人君がトラックに轢かれるあの瞬間に戻る。その際に、成長した姿でいたら変じゃからの。元に戻しておくことにする。勿論、科若胡桃やあの旅での記憶は同期しておくようにしておこう。じゃが、元の世界での記憶も鮮明でなければ大変じゃろうから、多少、旅の記憶を削って元の世界のことについて鮮明に思い出せるように調整しておくがな」
「あ、ありがとうございます」
「私の方は、どうしますか?」
「科若胡桃君は体については1年前と同じくらいにしておくが、記憶を弄るのは必要ないじゃろう?桜木尚人のいた世界には君はおらんかったし、いい感じに記憶喪失とかの設定で行けばいいじゃろうし」
「そうですね。ありがとうございます」
設定て。
いや、それでいいとは思うけど、言い方。
「記憶喪失で思い出したんじゃが、儂はよく分からんが、戸籍がどうとか言う問題もあるはずじゃから、忘れんようにな」
「それは……そうですね」
結構知ってるのね、その手の話とか。
「最後に、あの世界で復帰する際の立ち位置についての話じゃが」
「立ち位置?」
「そうじゃ。先も言ったように、君たちが復帰するのは桜木尚人君がトラックに轢かれるあの瞬間じゃ。あのままの立ち位置で復帰したら、トラックに轢かれてしまう。じゃから、別の位置で復帰するようにするのじゃ。儂の力を以ってしても、その距離に限界はあるがの」
「そうですか……」
「じゃ、『向こう』へ行こうかの」
「「え」」
フッ……。
位置間隔、空間把握能力が変になりそうなこの白い空間からここにいる3人が消えた。
●
「……ここは」
「そう。桜木尚人君が轢かれそうになった、あの時の交差点。あの瞬間と全く同じところ……を、再現した場所じゃ」
確かに自分がトラックに轢かれそうになった場所と構造は同じだけど、色はモノクロで、全く同じということではなかった。
「再現した……場所?」
「本来の場所ではないのは、そこに行けば移動が出来なくなるからな。動こうとすれば、時間が動き始め、桜木尚人君がトラックに轢かれてしまうからな。この場所は自由に復帰位置を決めるための場所じゃ」
「そうなんですか……。で、僕と胡桃はどこまで自由に位置を決められるんですか?」
「2人はそれぞれ、位置取り出来る範囲が異なる。他の世界からの『異物』である科若胡桃君は、ある程度自由な場所に位置取りできる。対して元からこの世界の人間である桜木尚人君はかなり自由度の低い位置取りしかできない。ある種、情緒的な言い方をすれば、『奇跡』に頼っただけの範囲だ。だからこそ、その位置取りに制限が課せられるのじゃ。まずは桜木尚人君から位置を決めた方が良さそうじゃな」
「はぁ……。僕はどのあたりまで位置取り出来るんですか?」
「そうじゃな……トラックに轢かれそうになった位置に一度行ってもらえるか?」
「ここ……ですか?」
「そう……。そこから、交差点側の方に、大体……10mくらいじゃな」
「結構短くないですか?」
「その10mの位置なら、前後に1歩ずつの範囲、調整できるが……」
「気休め程度ですね……大丈夫なんでしょうか?」
「トラックは既にブレーキが制動し始めているし、止まるのには丁度そこから10mくらいじゃから、一応大丈夫かと、思う……」
嗚呼、その言い方、不安になるなぁ……。
「じゃあ、その10m先のところにします」
「私は、その近くの駐車場のところで」
「まあ、そこが一番無難かつ柔軟に対応できるじゃろうな。それじゃ、もういいか?」
「あ、胡桃」
「何?」
「スマホ、渡しておくよ。そっちの世界のことは詳しく知らないけど、こっちの世界だと110番で警察、119番で救急と消防を呼べるから」
「私の世界と同じだね。……私のスマホじゃダメなの?」
「……繋がる?」
「それも……そうだね」
「これって大丈夫ですか?」
「個人の荷物を渡してから転送することかの?それなら大丈夫じゃ、問題ない」
「なら、これで大丈夫かな」
「私も、大丈夫だと思う」
「そうか。なら、そろそろ行くぞ。もうこれ以上、変なコトに巻き込まれて、こんなところに来るんじゃないぞ」
「そうですね……。異世界に転移は、もうコリゴリです……ハハハ」
「私も……」
3人して、苦笑いした。
「比較的安全なあの世界に転移するように変えてくれて、ありがとうございました」
「いやいや、儂は力不足じゃった。出来るヤツはこういうことでも動じずに対応できるらしいからな」
……神なのか上位存在なのか、それらの中にも出来るのとそうでないのがいるのか。
「改めて、お願いします」
「分かった。それじゃ、あっちでも頑張るんじゃぞ」
そう言って男は上に掌を上げ、このモノクロの世界に光を降り注がせた。
そして、意識はそこで途絶えた。
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