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第95話 消えた三人の御遣い

今年も残す所あとわずか。相変わらず冬はクソ寒いです。まあそれでも夏の暑さに比べればこっちの方がマシですが、手が芯まで冷えると震えてキーボード打つのが結構辛いんですよね。でもやっぱり、暑さで汗だくになるよりは良い。

「死ねぇぇぇぇい!」


「舐めるなーーーっ!」



魏と蜀の決戦、開幕早々に蜀軍第一陣の筆頭の一人とも言える魏延が大物狙いで春蘭を仕留めるべく愛用している棍棒の鈍砕骨を脳天めがけて振り下ろすも、春蘭も負けじと愛刀の七星餓狼を両手で弧を描くように振り上げて魏延の一撃を押し返してみせた。この二者の得物では、どう見ても魏延の棍棒の方が使われている鉄の量は圧倒的に多い。普通なら春蘭の剣が押されて折れてしまう所である。いや、以前使用していた物ならば確実に折れていただろう。しかし蜀への進軍が始まる直前に本国へ帰還した真桜が寝る間も惜しんで強化してくれたおかげで折れずに済んだのだ。今の今まで前に使っていた物との違いに全く気付けなかった春蘭だが、今回ばかりは嫌でも気付かされて真桜の仕事ぶりにこんな状況でも感謝していた。



(くぅ……っ! 凄まじい一撃だな。今まで使っていた太刀なら折れていただろう。この決戦が終わったら、真桜にはよく礼を言っておかねばな)


「ち……っ! さすが魏武の大剣!」


「そんな一撃、来る事さえ分かっていれば怖くも何ともないわ!」


「くっそー……誰かあいつを倒せる奴は居ないのか……っ!」


「ここに居るぞー!」



魏延の誰に言った訳でもない独り言に対して、豪快な銅鑼の音と共に威勢よく名乗り出てきたのは蒲公英である。一騎打ちをしているわけではないので来てくれるのはありがたい事なのだが、言っては悪いが蒲公英が来た程度では状況は大して変わらないだろう。彼女も武人としてそれなりの実力があり、場数もある程度は踏んでいる。しかしそれでも魏武の大剣とまで称されている百戦錬磨の春蘭に敵うはずがないのだ。



「お前じゃ無理だ!」


「ふんっ! やってみないと分かんないよっ!」



勢い良く名乗り出た上にここまで来た手前、魏延に無理と言われようが蒲公英もスゴスゴと引き下がるつもりはない。この決戦に勝ち抜いて蜀を護ると同時に西涼での借りをキッチリ返してやりたいのだ。そして必ず生まれ故郷を取り戻す。そのためにここに居るのだ。普通なら敵の将兵が増えるのは歓迎できない状況だが、春蘭の心に動揺など無い。逆にまだ余裕ですらある。この程度の相手では物足りないからだ。それを示すように、春蘭は二人に挑発的な言葉を投げかけた。



「ふっ! 貴様ら如き小童ども、二人ががりでも相手にならんわ!」


「何をーっ!」


「言ったな!」


………


……



「思春殿! ご無事で!」



舌戦の合間に奇襲部隊として行動していた甘寧と厳顔の部隊に援軍として周泰が合流するも、状況はよろしくないだろう。敵の意表を突いて第一陣を切り崩す手はずだったというのに、力押しで跳ね返されてしまったのだ。まだ保ち堪えているだけマシだが、初手で流れをこちらへ持って行く事が出来なかったのは兵力に差がある劉備軍にとっては痛手と言えるだろう。



「……何とかな。しかし、さすが曹操。我らの奇襲をここまで力押しで弾くとは……!」


「なぁに、こうなる事など軍師達は初めから計算済みよ。我らは我らの仕事を果たせば良い!」


「はいっ!」



状況は決して優勢ではない。しかし厳顔が述べたように、軍師である諸葛亮達がこの事も計算済みで作戦を立てているのであればまだ希望はある。それに戦いはまだ始まったばかり。敗北が確定したわけでもない。望みがあるのであればそれを信じて与えられた役目を全うするのみ。周泰は己を鼓舞して奮い立たせ、甘寧達と共に一人でも魏軍の兵力を削ろうと剣を振るい、敵陣へと突撃した。


………


……



「うーん。そろそろ引き時ですかねぇ~」



城壁から戦場の様子を観察していた陸遜の言葉に、隣で同じように状況を観察している諸葛亮も同意するように静かに頷いた。現状はまだ相手の第一陣を切り崩せているほどの優勢ではないが、かと言って劣勢にもなっていない。最悪の状況になっていないのであれば逆転のチャンスはまだまだいくらでもある。いかにして短時間で戦況の流れをこちらに傾けるか。ここが軍師としての腕の見せ所だ。



「そうですね。第二陣の準備はどうですか?」


「もう待ちくたびれちゃったよ! 出ていいの?」


「そうだぜ! 早く出撃命令、出してくれよ!」


「なら交代の銅鑼を鳴らしましょう。呂蒙さん!」


「は、はいっ!」



鳳統の指示に従い、呂蒙は銅鑼係の兵士に向かって右手を上げて合図を送り、それを確認した兵士は手にしている撥を思いっきり振って外にまで音が届くように銅鑼を打ち鳴らし、ジャーン、ジャーンっと派手な音色が鳴り響いた。


………


……



「被害状況を報告しなさい!」


「第一陣被害甚大! しかし、まだ行けます!」


「駄目よ。崩れきってからでは遅すぎるわ。すぐに後退させなさい」


「……はい」



桂花はまだ行けると踏んでいたが、華琳の的確な指示の前に彼女の考えは即座に却下された。確かにこちらの第一陣は被害を受けつつも戦線は維持している。だがこちらがまだ全兵力を投入していないように、向こうも戦力を同じように温存しているのだ。今は互いの兵力の削り合い。以下に相手より戦力を温存しておくかが勝敗を分けるのだ。余裕がある内に無傷の部隊と入れ替えをして相手を潰しに掛からねばこちらが手痛いしっぺ返しを喰らうだけ。最終決戦である以上、今までと同じ感覚で戦を進めていてはいけないのだ。



「では立て直しのために、第一陣を一度下げます。入れ替わりに第二陣を前へ! 張遼隊に連絡、隙を突いてくるだろう敵部隊を警戒させて――」


「敵が退いていきますねぇ……」



稟が交代の指示を出している最中に劉備軍の第一陣がこちらよりも早く後退していくのを風が指摘してきたので、華琳も相手の動向にいち早く気付いた。ここで後手に回っていては戦況が向こうに傾いてしまう。この戦では知略と武勇だけでなく、素早い行動も要求されるのだ。



「第二陣との入れ替えを急がせなさい! 劉備達は待ってはくれないわよ!」


「まずい……敵第二陣来ました! 速すぎる!」


「……ふむ。流石は蜀と呉の名軍師が揃っているだけの事はある。ならば、向こうがこちらの意表を突くような真似をしてきたように、私達もお返しをしてあげますかね」


「同感だね。ここいらで一発、劉備軍の奴らを痛めつけてやろうじゃんか」


「貴方達……まさか出るつもりなの? まだ貴方達が倒すべき本当の敵は出ていないのよ」


「分かっています。ですが向こうがいつ出るか分からないのならば、出ざるを得ない状況を作るまで」


「そういう事だ。それに出てこないのなら、その状況を利用して連中の兵力を削いでやるまでさ。さあ華琳。アタシらに出撃命令を出しな」


「いいでしょう。ならば二人とも出撃を。ただし、状況を見て必ず一度は戻ってきなさい。貴方達の闘いは、まだ始まってすらいないのだからね」


「ええ。では、私は秋蘭達の援護に向かいます」


「あいよ。ならアタシは霞と一緒に春蘭の援護に向かうよ」



本陣内で出撃を名乗り出た二人の人影。まだ本来の役目は来てないが、この二人を前線に出せば劉備軍にも痛手を負わせられる。向こうが勝つために手段を選ばないようにこちらも手段は選ばない。出し惜しみをしていては勝てる戦にも勝てなくなる。もちろん見所を誤れば状況は悪くなるだろうが、この二人に限ってそんなヘマはしない。これまでの戦いぶりを見てきている華琳には分かる事だ。彼女は二人を信じ、出撃命令を出して戦場へと送り出した。


………


……



「くぅ……っ! やっぱり強い……っ!」


「だから言っただろう! お前じゃ無理だ!」


「うー、姉様とおば様が居れば……!」



あれだけ威勢よく啖呵を切って登場したというのに、蒲公英と魏延の二人を同時に相手をしている春蘭は未だに余裕を保ち、疲労している様子も一切見られない。流石は魏武の大剣と謳われるだけの事はある。何よりこんな所で手間取っているようでは最終決戦に勝つ事など出来ないし、先陣を切るという重役を任せられるわけがないのだ。



「ふんっ。貴様らでは相手にならんな。……誰か私の相手になる奴はおらんのか!」


「ここに居るぜーっ!」



春蘭の呼びかけに応え、威勢よく名乗り出たその人物は不意を突くように走ってきた時の勢いを槍に乗せて高速の突きを放ってきた。春蘭は忌々しげに舌打ちをすると同時に七星餓狼を振り上げてその一撃を弾き返し、難を逃れる。



「ちぃっ! 誰だっ!」


「見忘れたなどと言わせるか!」


「翠!」


「姉様! それにおば様も!」



城内で待機していた第二陣である翠と翠蓮が到来してくれた。魏延と蒲公英にとって頼もしい援軍だろう。そして春蘭にとってもこれは喜ばしい状況。ようやく戦いがいのある強者が二人も現れてくれたのだ。状況を見ればどう考えてもこちらが不利だが、そんな事は関係ない。今の彼女にとって重要なのは、倒しがいのある大物が二人も目の前に来たという事だ。



「涼州の錦馬超に馬騰の二人か! 面白い、さっきの雑魚二人よりは楽しませてもらえそうだ……っ!」


「あたしら四人をたった一人で相手にする気か……? いくら何でも傲慢すぎるよ、夏侯惇!」


「せやなぁ……。なら、ウチらも混ぜてんか?」


「きゃあっ!」


「たんぽぽ!」


「よそ見をしている余裕があるのか? 馬超っ!」


「うおっ!?」



双方の兵がひしめいてる中、馬に跨がって一直線に駆け抜けてきたその影は右手に持つ槍を高速で振るい、その鋭い一閃で蒲公英を押し退けると同時に馬から飛び降りて春蘭の隣に降り立つ。そしてそこから少し遅れて同じように馬に跨がりながら駆け付けたもう一人の援軍も右手に持つ大鎌を片手で振るって翠を押し退けて馬から飛び降り、春蘭の隣に立った。駆け付けてきたのは霞と恭佳の二人である。



「なんだ、二人とも来ずとも良かったのに」


「ンないけず言わんといてぇな。こっちの雑魚二人は相手したろう言うとんのに」


「ったくさぁ。霞、少しはアタシに合わせなよ。アンタと違ってこっちは馬の扱いに慣れてないんだよ?」


「そんなん知らんがな。慣れとらん恭佳が悪いんやんけ」


「やれやれ。これがバイクならアタシも楽なんだけどねぇ」



霞一人なら厄介な存在ではあるがまだそこまで慌てるほどの要素ではない。しかし、魏に降り立った天の御遣いの一人として数えられている恭佳も来たとなれば話は別だ。しかもこんなにも早い段階で前線に現れる事さえも予想していなかったのだ。だがこんな状況でも不敵な笑みを絶やさない人物が一人居た。翠蓮である。



「へぇ~。恭佳、まさかこんなにも早くに出てくるとはねぇ。零治は一緒じゃないのかい?」


「生憎とアイツの出番はまだ無い。その代わりって訳じゃないが、アタシがお前らの相手をしてやるよ……」


「……翠。恭佳の相手はあたしがやる。お前は夏侯惇を頼むよ」


「分かった。母様、無茶はしないでくれよ」



零治がこの場に来ていないのは少々不満ではあるし、いつぞやの勝負も大して出来ないままお預けになっていた。だがその代わりとして充分すぎる人物の恭佳が現れたのだ。強者と闘えるこの状況に翠蓮の中に流れる武人としての血が滾り、彼女は双刃閃を肩に担ぎながら恭佳の前へと立ちはだかった。



「ほぉ~。……春蘭、馬超は任せたよ。翠蓮はアタシをご指名のようなんでね」


「恭佳っ!? お前、なぜ馬騰の真名を……っ!」


「こっちにも色々事情があるんだよ。全部終わったらちゃんと説明してやるから、今は目の前の相手に集中しな」



涼州攻略時に翠蓮を助けた経緯について、今この場で説明する必要など無いし、そんな余裕もない。最も重要なのはこの状況を乗り切る事。自分が前線に現れた事で蜀がどう動くか。黒狼達を出撃させてくるのならば全力で倒しにかかる。来ないのならばその状況を利用して敵軍の戦力を少しでも多く削るだけだ。それにはやはり指揮官を潰すのが一番効果的である。恭佳も翠蓮との勝負を受けて立とうとソウルイーターを肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべた。



「さあ、恭佳……勝負と行こうじゃないかっ!」


「はっ! アンタこそ、せいぜいバテなように頑張ってみなぁ!」


………


……



「でえええいっ!」


「はあっ!」



鈴の甘寧と恐れられる程の猛将を相手に奮戦しているのは凪だった。双方共に身軽さが持ち前の強さを持っており、武人としての力量は互角かもしれない。だが凪の場合、強さはそれだけではない。素手の格闘術が彼女の戦闘スタイルなので手数の多さも当然ながら、彼女にはもう一つ、氣の扱いに長けているという強みがある。同じように扱える人間がこちらにも居るのならともかく、居ないのならば厄介な存在である。あの甘寧に肉薄している凪の戦い方を見るなり、厳顔は忌々しげに舌打ちをした。



「ちっ……。向こうは氣の使い手か……!」


「せいっ!」


「そんな物、一人なら私に効くわけが……!」


「そこに本命登場やっ!」


「くぅっ! またこのような……っ!」


「見たかー! これが必殺、噴射暴風攻撃や!」



凪のような身軽さを持ち合わせていない沙和と真桜の二人は巧みに連携しており、沙和が二天を振るって周泰の動きを牽制し、そこから生まれた僅かな隙きを突くように真桜が螺旋槍のドリルを高速回転させて暴風を巻き起こして素早さでは勝てない周泰を見事に押し返していた。



「や、やりますねっ!」


「ちっ、ここまでか……!」


「うむ。少し気張りすぎたかの……」


「その弓の腕、大したものだ。一対一なら、この私も危うい所だったろう」


「けど、ウチらが支援すりゃこのくらい……」



凪、真桜、沙和の三人もこれまでの経験を通して立派な将へと成長したのだ。今ではこの通り自分の持ち味を活かした戦い方が見事に出来ており、秋蘭の支援を完璧にこなして蜀の奇襲部隊を押し返している。ここで奇襲部隊を全滅させるまでには至らなくとも、指揮官を討ち取る事ができれば間違いなく相手の出鼻をくじく事が出来るし、魏軍の士気も大きく上昇するだろう。



「夏侯淵! 三人相手に四人ががりで……この卑怯者が!」


「ふっ……。その程度の罵倒でそちらの将を押さえ切れるなら安いものさ」


「あの、秋蘭様……?」


「何だか沙和達の方が悪役みたいなの……」


「さて、それはどうかな……」


「……何だと?」



不敵な笑みを浮かべながら意味深な言葉を口にする厳顔の姿に秋蘭は眉をひそめた。一見するとこちらが押されているかのような状況に見えるが実はそうではない。こうなる事も蜀軍にとっては計算の内なのだ。こちらが押されている状況、言い換えればそれは相手の将兵を引きつけて時間稼ぎが出来ているという事。形勢を逆転するための材料が到来するのを待っているのだ。



「みんなーーっ! 助けに来たよーーっ!」


「思春っ! 明命っ! 待たせたな!」


「小蓮様! それに祭様もっ!」



銅鑼の音と共にやって来たのは孫尚香と黄蓋の援軍部隊。厳顔達はこれを待っていたのだ。先程までは数の差でどうしても劣勢に追いやられていたが、無傷の部隊が援軍として合流してくれたおかげでその差はひっくり返った。完全に敵の策にハマってしまった秋蘭は己の失態を責めるように忌々しげに舌打ちをした。



「ち……ぬかった。この私ともあろう者が……!」


「夏侯淵といえども、武人の性には逆らえんかったようだの。曹魏屈指の驍将といえど、まだまだ尻の青いヒヨッコよの」


「ここでお前を討てば、曹操の覇業は大きく後退するはず! 夏侯淵! 今度こそその頸、貰い受けよう!」


「はっ。この頸、簡単に獲れると思うなっ!」


「ふむ……ではその勝負、私も参加させてもらいましょうか……」



突如として秋蘭達の後方から援護射撃の如く、青く光り輝く一筋の線が厳顔、甘寧、周泰の三人に向かってそれぞれ飛来してきたので、彼女達は得物を振り上げてそれを弾き飛ばすと光の正体である矢が空中でクルクルと回転しながら落下して地面に突き刺さった。



「くっ! 何者じゃっ!」



忌まわしげに秋蘭達の後方を睨みつけながら叫ぶ厳顔の姿をよそに、馬に跨がってこちらに駆けつける一つの影が出現し、その人物は秋蘭達の手間で馬から飛び降りて地面に着地すると何事も無かったかのような様子で走り抜ける馬を見送り、優雅な足取りで秋蘭の隣にまで足を進めた。



「やあ、秋蘭。お待たせしましたね」


「亜弥っ! なぜお主がここに!?」


「なぜも何も、見ての通りです。貴方達の援護に来たんですよ。それと、姑息な手を使う劉備軍共にお灸を据えてやろうと思いましてね……」



亜弥が援軍としてここに来る事は当初の予定では無かったが、良い意味で予定が狂ったと言える。敵軍に増援が来たようにこちらにも来てくたのは非常にありがたい。何と言っても魏の御遣いの一人が来たのだ。今の状況でこれほど頼もしい存在はないだろう。予定が狂ったという点では向こうも同じ。しかも悪い意味でだ。魏軍の第一陣にこれほど早くも援軍が到着したのもそうだが、よりにもよって魏の御遣いの一人が来てしまったのだ。歴戦の猛将といえど、苦戦を強いられるのは必至である。



「貴様……魏の御遣いの一人かっ!」


「ふむ。初めて見る顔ですね。まあ、今の私は貴方の名などに興味は無いし、どうでもいいと思ってる。……おやぁ? 黄蓋、貴方も居たんですか」


「…………」


「ちょうどいい。赤壁での借りを今度こそ返させてもらいましょうか。貴方の死を以ってね……」


「黄蓋殿。奴を知っておるのか?」


「うむ。奴は魏の御遣いの一人、神威じゃ。儂らと同じ弓使いで、射撃の腕前も夏侯淵の比ではない。油断するなよ……」


「祭。あいつ、祭の事を目の敵にしてるみたいだけど……大丈夫だよね」


「……フッ。私が怖いのなら、城に逃げ帰って黒狼達に助けを求めたらどうですか? まあ、そうなる前に私が後ろから一人残らず撃ち殺してあげますがね……」



亜弥から放たれる息も詰まりそうなほどの殺気。厳顔を始めとした歴戦の猛将達が気圧されるぐらい凄まじいものだが、その殺気は味方である秋蘭達も嫌でも感じてしまい、恐怖していたのだ。これは零治ならよくやっていた事なのだが、あの亜弥がここまでの殺気を戦場で放つのは今まで一度も無かった。おまけに普段の姿が温和な女性であって春蘭みたいな激情家ではない。何が彼女をここまで変貌させたのか、秋蘭達は疑問を感じざるを得なかった。



「ね、姉さん……? なんかいつもと雰囲気が違う気がするんやけど……」


「ん? あぁ、お気になさらず。ただこれが最終決戦ですから、私も少しばかりいつもと気持ちを切り替えて戦場に立っていますので」


「ん? それはどういう事だ?」


「ここに居る私は、『神威亜弥』という将兵ではなく……五色狼の一人、『白狼』として、元の世界に居た頃の私としてこの場に居るのです……」



そう。零治達にとってもこれが最後の戦いとなる。だからこそ亜弥も全力を尽くすために白狼としてこの場に立っている。故にいつもと雰囲気が違うのだ。本当に倒すべき敵と確実に闘う状況が出来上がる条件が整っているこの戦場では、そうあるべき。亜弥から言わせれば、これが本来の自分。戦場での普通の姿なのだ。初めて見せる戦場での亜弥の本当の姿。頼もしくはあるが恐ろしくもある。彼女が味方でよかったと秋蘭達は今更ながらにしてそれを痛感した。



「さて、お喋りはここまでです。……さあ、誰が私の相手をしてくれるんですか? なんでしたら全員まとめて掛かって来てもいいんですよ? 死ぬ覚悟があるのでしたらね……」


「……よかろう。神威、儂が相手をしてやる」


「ふっ。同じ弓使いというのであれば、勝負をしてみたいというもの。儂の相手もしてもらおうか」


「ふむ。悪いですね、秋蘭。黄蓋達は私をご指名のようだ。他の連中の相手は任せましたよ」


「心得た。亜弥、もう一人の将、厳顔が扱う武器は杭を撃ち出す強力な物だ。油断するなよ」


「彼女が厳顔ですか……ご親切にどうも」



相手が何者であろうとやる事は変わらないし負けるつもりもないが、敵が扱う武器についての情報が事前に得られたのは大きな収穫だ。しかも杭を撃ち出す武器、ネイルガンのような物がこの世界の存在しているのも驚くべき事実である。しかしこんなのは今に始まった事ではないのでもう慣れっこだし、そんな事にツッコミを入れるとなると真桜の螺旋槍もそうだ。槍と銘打ってはいるものの穂先は完全にドリルである。武器としてだけでなく削岩機として扱う事も可能なほどの性能だ。そういう意味では、対人戦の武器としてネイルガンを使われるのは厄介極まりないが、それの使い手を自分に引き付ける事が出来たのは良い状況だと亜弥はプラスに考えてながら右手に魔力を集中して矢を二本生成し、双龍の弦に番えていつでも射撃できるように態勢を整えて黄蓋、厳顔の二人に対峙した。



「ほぉ~。剣を弓としても扱える得物か。魏の御遣いは何とも不思議な武器を扱う奴じゃのう」


「……そんな物騒な武器を持っている貴方にだけは言われたくないですね」


「ふっ。口の減らぬ小娘じゃな。しかし、その余裕も儂ら二人を前にしていつまで保つかな……?」


「やれやれ。貴方も黄蓋と同じで、若者を見下す悪癖でも持ってるんですか? 人を見かけだけでしか判断できない器量の持ち主が歴戦の勇将とは聞いて呆れる……」


「……言うではないか、小娘が」


「厳顔! 挑発に乗るなっ! それに奴の言う通り見かけだけで判断するのは危険じゃぞっ!」



亜弥の挑発的な言動に厳顔はムッとした表情になるが、かつての戦いで亜弥の実力を思い知っている黄蓋が制止した。年長者なら戦にも熟練しているのは事実だろうが、相手の実力を見た目だけで判断するのは実際に危険だし、亜弥は普通の人間とはわけが違うのだ。窮鼠猫を噛むという諺があるように、舐めてかかっては自分が痛い目に遭うだけなのだ。相手が年下だろうが油断をしてはならない、それが戦場での鉄則である。



「ふぅ~。そうじゃったな。儂とした事が危うく怒りで我を忘れる所じゃったわ」


「フッ。黄蓋のおかげで命拾いしましたね、厳顔。彼女の学習能力に感謝する事です。まあそれでも……ほんの少し寿命が伸びた程度にしかなりませんがね……」



こちらの挑発に乗って考え無しに挑んできてくれた方が少しは楽にできたのだが、それは失敗に終わってしまった。しかし亜弥はそれほど気にしてはいない。どうせやる事は変わらないのだ。ただ少し手こずる可能性が高くなっただけ、それだけに過ぎないのだ。



「さて……ではそろそろ始めましょうか。今の私は時間と体力を無駄に浪費したくありませんのでね」


「よかろう。我が豪天砲の威力、その身でとくと味わうが良いっ!」


「神威っ! あの時の雪辱、この場で果たさせてもらうぞっ!」


………


……



「…………」


「…………」



後方から前線の戦いを静かに見守っているのは華琳の親衛隊として待機している季衣と流琉の二人だ。与えられた役目があるある以上、前線で何が起ころうと自分達に指示が来ない限り動く事は許されない。それは頭では分かっている。しかし、仲間が前線で命を懸けて戦っているのに、自分達はここで待機していなければならない。その状況を流琉は歯痒く思っていた。



「……ねえ、季衣」


「何?」


「秋蘭様の隊に敵が接触してる……」


「そうだね」


「春蘭様の隊にもさっき敵が……」


「分かってる」


「なら助けに……」


「要らないよ。春蘭様も秋蘭様も無敵だもん」


「…………季衣」



本音は助けに行きたい、季衣もそう考えているはずだ。だが彼女は将として己を律してその気持を抑えつけていた。何より季衣は春蘭と秋蘭の二人の強さを心の底から信じている。何が起ころうが負けるはずがないと。敬愛する主、華琳の道を二人が切り拓くべく最前線で戦っているように、自分達も華琳のために、彼女を護るためにここに居なければならないのだ。見た目が幼い季衣も、いつの間にか立派な将として成長していたからこそこうして助けに行きたい衝動を抑える事が出来ているのだろう。



「ボク達は、華琳様の親衛隊でしょ。敵陣から華琳様に続く道を護るのが、ボクらの役目だよ」


「……そうだね」


「桂花が、こっちの将を全部押さえたら、正面から敵が来るって。霞もどっか行っちゃったから、ボク達がそれを止めなくちゃいけないんだよ」


「うん」


「ボク達の後ろにはまだ兄ちゃん達が居るけど、兄ちゃん達にも、兄ちゃん達にしか出来ない役目があるんだ。それにさっき、姉ちゃんと恭佳ちゃんが春蘭様と秋蘭様の援護に向かってくれたから絶対に大丈夫だよ」


「季衣、強いね」


「当たり前だよ。ボクだもん」


「私も強くなれるかなぁ……」


「流琉も強いよ。ボクと戦えるくらいだし」


「そうだね」



ずっと子供っぽいと思っていたが、実際はそうではなかった。華琳に仕え、春蘭を始めとした先輩達の背中を追いかけ続けた結果、あの季衣がここまで成長できたのだ。当然流琉だって成長している。今はまだ、本人がそれに気付いていないだけ。幼馴染にこのような姿を見せられては、自分も季衣を見習わねばならないだろう。前線で戦っている春蘭達を信じて己の役目を全うするのだ。


………


……



「小蓮様と祭様の部隊、及び馬騰さんと馬超さんの部隊が敵陣と接触しました! どうやら敵の将と交戦中の由。……冥琳様の作戦通りですっ!」


「さすが西涼の馬騰殿と錦馬超。乱れた相手が体勢を整えきる前に、見事一撃叩き込んでくれたか……」


「それも凄いですけど、この機を突く指示を出せた冥琳様と孔明さんの指揮……見習わないと」


「そうだな……。ならば我々、第二陣本隊もこのまま一気に突っ込むぞ!」



ここまでは計画通り。こちらの第二陣で魏軍の第一陣を押さえ、第二陣本隊を率いる孫権の部隊が相手の本陣まで一気に攻め込む手筈になっている。だが、そう都合よく事が進まず、不測の事態が必ずと言っていいほど起こるのが戦場である。予定通り出撃しようと孫権が兵達に号令を出そうとしたその時だった。前線に出ている第二陣から送られた伝令が最悪の報せを持ってきたのである。



「そ、孫権様っ! 緊急事態です!」


「何事だ!」


「魏の御遣いが……魏の御遣いが二人前線に現れました!」


「何だとっ! もしや相手は音無なのか!?」


「いえ、音無ではありません! ですが危険な状況であるのは事実ですっ!」


「そんな……こんなにも早くに出撃してくるなんて……っ!」


「うろたえるなっ! 亞莎! とにかくお前はこの事を諸葛亮に報告するんだ! 私は予定通り出撃するっ!」


「わ、分かりました! 蓮華様、お気をつけて!」



もう戦いは始まっているのだ。誰が出てきたのかは不明だし、魏の御遣いがこんなにも早い段階で現れたのは想定外ではあるが、今更計画を変更する事など出来やしない。危険ではあるがここは臨機応変に対処するしか選択肢は無いのだ。孫権は一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着け、改めて後方に控えている兵達に視線を移した。今日この日まで、戦の経験を充分に積んできたとはまだ言えない。しかしこういう状況にもいつかは直面する。これは戦場に立つ者ならば誰もが通る道なのだ。姉である孫策がそうやって今まで戦い抜いてきたように、自分も必ずやり遂げてみせる。孫権は自分にそう言い聞かせ、声を張り上げた。



「聞け! 孫呉、蜀の勇者達よ! 我らは第二陣、戦の要! 先鋒の屍を踏み越え、戦い疲れた敵を蹂躙する事が務め! 命の力を刃に変えて粉砕せよ! 曹魏の兵を、曹操をっ!」



孫権の力強い号令は第二陣として控えている蜀と呉の兵達は戦意を大きく高め、剣を、槍を、弓を宙に掲げて雄叫びを上げた。まだ優勢とは言えないが劣勢でもない。勝てる可能性はゼロではないのだ。もちろん零治を始めとした魏の御遣いが戦場に現れれば、今の戦況だってあっという間に覆されてしまうだろう。しかし、対抗手段はこちらにもある。零治達が出撃してきた時は、黒狼達に出張ってもらって対処してもらう。そしてこの戦に必ず勝ち、祖国を取り戻すのだ。孫権はその決意を胸に秘め、腰に下げている剣を抜刀して振りかざし、出撃の指示を出した。



「全軍、雄叫びと共に突撃せよっ!」


………


……



「蓮華様も出撃なさったか……」


「今の所はこちらの計画通りに進んでいます。後は孫権さんが曹操さんの居る本陣まで辿り着けるかどうかですね」


「冥琳様! 孔明さん! 大変ですっ!」


「ん? 亞莎、そんなに慌ててどうした。何があったのだ?」


「先程前線の部隊からの伝令で、魏の御遣いが二人現れたとの報せがっ!」


「何だとっ!?」


「はわわっ! まさかこんなに早い段階で出撃してくるなんて……っ! ど、どうしよう! どうすればっ!」



戦場で予想外の事態が起こるのはよくある事だが、今回ばかりは流石に予想外過ぎたのか諸葛亮が早くもテンパってはわはわと言いながらあっちへウロウロ、こっちへウロウロと意味も無く城壁の上を歩き回った。

内容が内容なだけに隣に立つ周瑜も諸葛亮の心境は理解できるが、後方で戦場を支える軍師としてこの様子に一抹の不安を感じてしまう。とにかく今は、彼女を落ち着かせてどう対処に当たるか素早い決断をさせねばならないだろう。



「落ち着け、諸葛亮。とにかく、そちらの御遣い達に対処してもらう他に手立てはあるまい」


「そ、そうですね。分かりましたっ!」


「だったら俺が黒狼達に報せるよ。これぐらい役に立たせてくれ」


「お願いしますね、ご主人様。それから、この件はなるべく下で待機している兵士さん達には伏せておいてください。余計な動揺を与えたくありませんので」


「ああ、分かったっ!」



直接戦う事が出来ない一刀は、この決戦で自分に出来る事の少なさに悔しさを感じてはいたが、嘆くよりも自分にも出来る事で少しでも皆をサポートしたいという想いから、黒狼達への報告役を自ら買って出て、急ぎ足で城内の中庭へと続く階段を駆け下りていった。


………


……



「……あれ? 居ないな。黒狼達、どこに居るんだ?」



後続部隊として待機している兵達が大勢居る中庭に一刀は着いて辺りを見回してみるが、黒狼達の姿は見当たらない。この世界の兵達と全く同じ格好をしていては見つけるのも一苦労だが、全身黒ずくめの服装をしているのだ。この人混みの中でも確実に目立つ姿なのでいつもならすぐに目につくのに、キョロキョロと中庭を見回してもやはり見当たらない。となると中庭には居ないという事になるのだろうが、念のためにと思い、一刀は中庭内を移動しながら周囲を見回してみた。その姿が気になったのか、蜀軍の一人の兵士が彼に声をかけてきた。



「おや、北郷様。どうかなさったのですか?」


「なあ。黒狼達を探してるんだけど、どこに居るか知らないか?」


「黒狼様でしたら、確か金狼様、銀狼様と一緒に城に入っていくのを見かけましたが」


「城に? こんな時に何の用だろ? 忘れ物でも取りに行ったのか?」


「北郷様、黒狼様をお探しでしたら我らも手伝いましょうか?」


「いや、構わないよ。みんなにはやるべき事があるだろ。こっちは俺一人で済む用事だから」


「分かりました」



探すだけなら人手は多少なりとも多い方が良いのだろうが、黒狼達に伝える話の内容が内容なのだ。どこから一般の兵達にまで伝わるか分かったものじゃない。なるべく急いだ方が良い状況なのだが、兵達に余計な動揺を与えないためにと思い、一刀は声をかけてきた兵士の申し出を断り、一人で探す事にする。どこに居るのかも分からないのならまだしも、城のどこかに居るのならば探し出すのにもそう苦労はしないだろう。とにかく今は一刻も早く黒狼達を見つけて出撃してもらい、前線の危機的状況に対処してもらう事。一刀はその場から走り出して吹き抜けの廊下から城内へと入っていた。


………


……



「……まずは三人の部屋から当たってみるか」



真っ先に調べるべきはやはり黒狼達が使用している自室が無難だろう。城の中に忘れ物を取りに戻ったと仮定するならば、自室に居る可能性が一番高い。今日はいつもと違って城内には人気が殆ど無いので、廊下を駆け抜ける時に鳴る足音がいやに反響しているような気が一刀はした。もう長い事この城で生活しているので、黒狼達が使用している部屋への最短ルートも把握している。何やかんやであっという間に黒狼が使用している部屋の扉が見えてきた。緊急事態なのでノックなどしている暇は無い。一刀は扉をバンっと勢いよく開けて黒狼の部屋へ足を踏み入れた。



「黒狼っ! ……って、あれ? 居ない」



黒狼が使用している部屋の中を見回しても使用者である本人はどこにも居ない。部屋自体もそこまで極端に広いわけでもないし、別室に繋がる出入り口も無い。つまり黒狼達がここに居ないのは確定であるので他を当たらねばならない。



「ここじゃないって事は金狼か銀狼の部屋かな? とにかく急がないとっ!」



探している人物達がここに居ないのならばいつまでもこの場に居ても時間の無駄である。今こうしている間も戦況は変わりつつあるのだ。一分一秒たりとも時間は無駄にできない。一刀は少しでも早く黒狼達を見つけようと思い、部屋を飛び出して彼らが居そうな思い当たる場所を片っ端から回るために城中を走り回り始めた。


………


……



「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ……っ!」



あれからどれだけ時間が経過しただろうか。まだそこまでは経っていない。何より今の一刀にとって重要なのは経過した時間よりも黒狼達の行方の方だ。彼はこれだけ肩で激しく息をするまで疲労するほどに城中を駆け回ったのだ。黒狼の部屋の次は金狼と銀狼の部屋を順に調べたがこの二つもハズレ。この時点で一刀は黒狼達が行きそうな場所は思い当たらなかったので、やむを得ず一人で調べられる範囲の場所は全て回り尽くしたのだ。書庫や武器庫、流石にこの状況ではあり得ないと思えるが決めつけは良くないと思って食堂まで調べた。しかし見つからない。そしてもうこれが最後の頼みの綱だと思って玉座の間にまで走って来たがやはり黒狼達は居なかった。もうこの時既に一刀の疲労はピークに達してしまい、少しだけ休もうと思って今は玉座の間の床にへたり込んで肩で激しく息を切らしているのだ。



「はぁ、はぁ……どうなってるんだ。これだけ探し回ってるのに何で見つからないんだよ……っ!?」



自分が行ける場所は全て調べ尽くした。もちろん城を隅から隅まで調べ尽くしたわけじゃないが、一軒家とは訳が違うのだ。時間が許してくれるのならばともかく、戦の真っ只中で一人で隅から隅まで探すなんて不可能である。



「……あっ。もしかして入れ違いになったのかも」



休みながら一刀はどうしようかと頭を悩ませていた時、浮上した答えがこれである。城内から外へ繋がる出入り口は複数あるのだ。しかも大きな城となればそうなる可能性は充分にある。その上一刀が城内に入ったタイミングと黒狼達が城に入ったタイミングも全く違う。やはり入れ違いになったのだろうと一刀は結論づけた。



「うわ~。俺ってば間抜けすぎだろ。こんな事にも気付かないなんて」



苦笑交じりにやれやれと溜め息を吐きながら一刀はその場から立ち上がる。まだ少し疲労感はあるが、呼吸もある程度落ち着いたし、上がっていた体温も少しは下がってくれた。一刀は額に浮かんでいる汗を手で拭い、本当は急ぐべきなのだろうがまだ充分に休めていないので、流石に走ろうとはせず早歩きで中庭へと戻って行った。


………


……



「あっ、北郷様。黒狼様達は見つかったのですか?」


「えっ……?」



中庭に戻り、声をかけたのは城に入る前に協力を申し出てきた兵士である。そして彼の言葉を耳にした一刀は一瞬思考が停止してしまった。兵士が黒狼達は見つかったのかと訊いてきたのだ。つまり、それは黒狼達が城からこの場に姿を見せていないという可能性が出てくる。となれば入れ違いになったという線が否定されるのだ。だがまだ情報が足りない。何にせよまずは確認する事が大事なのだ。



「ちょ、ちょっと待ってくれっ! もしかして、黒狼達は城から出てきてないのか!?」


「どうでしょう。少なくとも私は姿を見ていませんが」


「……黒狼達が出撃したという話は」


「いえ、そのような話も聞いていませんね」


(どういう事だよ……。城の中は一通り探したのに……入れ違いにもなっていなかったのかっ!?)


「北郷様?」


「あっ! す、すまない。……入れ違いになったと思って戻ってきたんだけど、違ったみたいだ。もう一度城内を探さないとだな」


「あの、北郷様。やはり我らもお手伝いした方が」


「ああ、悪いけど頼むよ。三、四人も居れば充分だと思う。黒狼達に会ったら、中庭に戻るように伝えてくれればいいから」


「分かりました」



面倒だがこうなってはもう一度城内を探す以外に手立ては無い。それに一人で探すのにもやはり限界がある。次は同じ轍を踏まないように一刀は数名の兵を引き連れて再び城内の捜索に戻った。さっきまで散々城内を走り回って黒狼達を探していた時の疲労がまだ残っているが、今度は人手を増やしているし、兵達には黒狼達を見つけたら中庭に戻るように伝えるだけと指示も与えている。少なくともこれで諸葛亮が危惧しているような事態は避けられるはずである。後は一刻も早く黒狼達を見つける事、一刀は自分にそう言い聞かせて疲れている身体に鞭を打ち、兵達と共に城内の捜索を行うのだった。


………


……



しかし、一刀達の努力も徒労に終わってしまった。人手を増やし、今度は城内を隅から隅まで探し回ったというのに結局黒狼達は見つからなかったのだ。もちろん入れ違いの可能性も視野に入れて中庭内も調べ尽くしたし、敷地内にある蔵なども片っ端からだ。だがやはり居なかった。外で出撃の待機をしている兵達に聞き込みもしてみたが誰一人黒狼達を見た者は居ない。兵士達には言えないが、これはもう黒狼達は城内には居ないと考えるべきなのかもしれない。流石の一刀もこの状況を前にしては焦りが表情に出てしまう。



(どうなってるんだよ!? どうしてどこにも居ないんだっ! ……まさかアイツら、俺達の事を見捨てたのかっ!?)



ある意味一刀の考えは正解だ。黒狼は金狼と銀狼を引き連れ、己の目的のために行動を起こし、成都城から姿を消したのだ。黒狼にとってこの世界での戦いなど最初からどうでもいいのである。彼にとっての本当の闘い、それは零治との血戦だ。この大陸の覇権をどの国が掴んで三国志の歴史がどのような結末を迎えるかも始めから興味が無いし、蜀が滅ぼうが知った事ではない。これまでの関係も、せいぜい互いの利害が一致した上での協力関係、その程度にしか認識していなかったのだから。



「……北郷様、大丈夫ですか? お顔の色が良くありませんが、黒狼様にそれほど重要な要件が?」


「えっ!? あぁ、いや。何でも無い。大丈夫だ。みんなは持ち場に戻ってくれ。こっちの件は自分で何とかするさ」


「そうですか。分かりました」



今の心境を見透かされないように一刀は気持ちを落ち着けて協力してくれた兵達を持ち場に戻るように指示し、これからどうするべきか考える。真意の程はさて置き、黒狼達が成都城から姿を消しているのはほぼ確定と言ってもいいだろうと一刀は考えている。当然ながらこんな事を一般の兵には教えられないが、この戦いを勝ち抜くための作戦を立てている諸葛亮達には報告せねばならない。一刀は中庭から城壁へ続いている階段まで一気に走り出し、階段も段飛ばしで一気に駆け上って諸葛亮達が居る場所まで戻って行った。



「朱里っ!」


「あっ、ご主人様。そんなに慌ててどうしたんですか? それに随分遅かったですけど、黒狼さん達への報告は済んだんですよね?」


「大変だ。黒狼が……黒狼達がどこにも居ないんだ……」


「えっ? ご主人様、何を言って……?」


「黒狼達が居ないんだっ! 城中を探し回ったけど、アイツらの姿がどこにも無いんだよっ!」


「はわわっ! ご主人様、落ち着いてくださいっ! それにそんな大声を出したら兵士さん達に聞かれちゃいますよ!」


「あっ!? わ、悪いっ!」



一刀はともかく、いま話を聞かされたばかりの諸葛亮や周瑜は本当なのかどうか判断材料が少なすぎるので憶測の域を越えていない。しかし、味方の兵達にまでこの話が現時点で聞かれるのは非常にまずいだろう。黒狼、金狼、銀狼の三人はこの決戦に勝つための切り札であると同時に、零治達と互角に闘える唯一の存在。頼みの綱なのだ。そんな人物達が城内から姿を消したなどと兵達に知られれば、与える影響は計り知れない。瞬く間に動揺が広がり、士気も一気ガタ落ちだろう。とにかくまずは、一刀を落ち着かせて事情を訊き、そこから今後の方針を固めねばなるまい。



「それでは、ご主人様。落ち着いた所で順に訳を聞かせてもらえますか?」


「ああ。……ふぅ。まず中庭に黒狼達が居ないか探していたんだが、兵士の一人が金狼、銀狼と一緒に城に入っていくのを見たって言ってたから、城の中を探し回ったんだ」


「なるほど。その時には見つからなかったのですか?」


「ああ。それで入れ違いになったんじゃないかと思って、中庭に戻ったんだけど……黒狼達が城から出てきたのを見た奴は居なかった。それで今度は兵達にも何人かに手伝ってもらって城内を隅から隅まで探し回ったんだ。だけど……っ!」



一刀の言葉はそこで途切れ、彼は俯きながら両手を力強くギュッと握り締めて震わせていた。それはこの大事な決戦の最中に姿を消した黒狼達に対する憤りからなのか。直接捜索に加わった訳ではないが、兵も使って城内を隅から隅まで探しても見つからないのはやはり不自然だと、話を聞いていた諸葛亮と周瑜は思った。となると、一刀が言うように黒狼達は居ないと判断するべきなのかもしれない。それはつまり、彼ら抜きでこの決戦を乗り切らねばならないのだ。無論、零治達への対処も含めてだ。流石の諸葛亮もこんな事態になるなどとは想定もしておらず、その表情に焦りの色が浮かんだ。



「は、はわわ……。どうしてこんな事に。黒狼さん達が理由も無く姿を消すなんて。どうしよう。どうすれば……っ!」


「落ち着くんだ、諸葛亮。とにかくこの件だが、兵達には伏せておく必要があるな」


「そ、そうですね。それは私も同感です」


「朱里、それはそうだけど……なら前線はどうするんだよ。相手が誰かは分からないにせよ、魏の御遣いが二人も居るんだぞ」


「……厳しいでしょうが、今は第一陣、第二陣の皆さんに頑張ってもらう以外に方法はありません」


「諸葛亮の言う通りだな。その間に、私が信用の置ける兵達を選別してもう一度城内を捜索させよう。もしかしたら見落としの可能性もあるからな」


「すみません、周瑜さん。本来ならこちらがやる事なのに」


「こんな状況だ。お互い様さ。だから気にするな。……しかし、まだ問題があるな」


「はい。この話を出来るだけ長く、兵士さん達に伏せておく事です。その間に黒狼さん達が見つかれば良いのですが……」



これはかなりの難問だろう。頼みの綱である蜀の御遣いが三人とも同時に姿をくらましたなんて話をいつまでも隠し通すのは不可能だ。初めは良くても、時間が経てば経つほど兵達も不審に思い始めるはずだ。そして黒狼達が居ないという話が事実として確定し、兵達に知られれば士気は一気に低下する。それどころか逃げ出す者だって続出する可能性すらある。それこそ最悪の事態だ。そうなってしまえば、少ない勝率も間違いなくゼロになってしまう。それだけは絶対に避けなければならないだろう。



「ともかく、今は曹魏の第一陣を凌ぐ事に集中せねばな。その間にそちらの御遣い三人が見つかる事を祈るしかない」


「はい。私も万が一のために、黒狼さん達無しでこの戦いを乗り切る作戦を何とか考えてみせます」



現状で蜀呉同盟軍に出来るのはこれくらいだ。黒狼達が不在の話を味方の兵達に隠しつつ、華琳率いる魏軍の第一陣の攻撃を乗り切る。そしてその間に黒狼達を秘密裏に探し出して見つける事。可能ならば、こちらの第二陣本隊である孫権の部隊が向こうの本陣に無事辿り着いて大将首の華琳を討ち取ってくれる事だ。だが、現実とはどこまでも非情なもの。軍師とは常に最悪の事態を想定しつつ作戦を立てねばならないのだ。しかし今回ばかりは智謀の諸葛亮や周瑜もこれほどの難問に直面した経験は無い。三国志の歴史、その最後の一ページを飾る最終決戦、蜀の御遣い三人が欠けた事でどのような結末を迎えるのか。それはまだ誰にも分からない。

作者「ふぅ……。今年ももうすぐ終わりか」


零治「なに黄昏れてんだ。らしくないぞ」


亜弥「そうやって物思いに耽るって事は、貴方にとって今年は何か特別な事でもあったんですか?」


作者「いいや。相変わらずいつも通りの日常を送るだけだったな」


恭佳「なんだいそりゃ。つまらないねぇ。だったら来年に向けての抱負とかはあんの?」


作者「まあ、出来ればこの作品を完結させれたらいいなとは思ってるよ」


奈々瑠「へぇ~。良い心がけですね。ならそのためにもモチベーションは維持しないとですね」


作者「それは大丈夫だ。何しろ来月はバイオRE2が発売するからなっ! 楽しみがあればモチベーションはいくらでも維持できるぞっ!」


臥々瑠「あっ、これダメなパターン確定だね」


作者「何で!?」


樺憐「何でって、貴方去年の元旦にPS4を買って半年も更新が止まった前科があるではありませんかぁ」


零治「しかもお前、筋金入りのバイオシリーズのファンだしな」


作者「むぅ……。これ以上話が脱線する前にそろそろ幕を下ろすか」


零治「脱線の原因であるお前が言うな。……おほん。では、読者の皆様」


亜弥「今年も『真・恋姫†無双 ~戦乱を駆ける狼達~』を読んでいただいてありがとうございます」


恭佳「来年もこの作者共々頑張っていくから、見放さないでくれよな」


奈々瑠「皆さんの応援があれば、この人も少しはやる気を出してくれると思いますので」


作者「少しは余計だ……」


臥々瑠「そんな訳で、来年もこの作品をよろしくね~」


樺憐「では少々早いですが、皆さん良いお年を」

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