第92話 互いの想い
真・恋姫†夢想 革命 孫呉の血脈、発売おめでとうございます!
これで残すは蜀ルートのみになりますが、先は長いですねぇ。発売予定来年だから。
「BD、教えろ。星の身体に何が起きているんだ……」
呉との戦いを終え、零治は後続部隊の春蘭達に合流するために悠然と果てしない荒野を歩いていた。その最中に彼がBDに投げかけた疑問。それは星の身体に起きている異変である。BDに自分の身体を貸している間、彼が喋った事の内容、眼で見た情報、その全ては共有されている。だからある程度は零治も理解している。だがそれでも不可解なのだ。どうしてそうなってしまったのかが分からないのである。
『ああ? おいおい。相棒、もう分かってるはずだろ? さっき俺様があの女に言った通りだ。アイツは“こっち側”の人間になりかけている。魔法使いとして覚醒する兆候が現れてるんだよ』
「やはりそうなのか。それにお前、星の槍にもその変化が現れてるとも言っていたな。という事は……」
『そうだ。アイツの槍も神器に変異する可能性が出ている。つまりあのまま完全に覚醒すれば、あの女は神器使いとして生まれ変わるのさ』
「…………」
『ククク。コイツは驚くべき事態だ。まさか全く別の世界の人間から新たな神器使いが誕生する可能性が出るとはなぁ。もし本当にそうなったら、これは歴史的大事件だぜ。それどころか、この世界の人間全てにその可能性がある事も考えられるな』
「なぜ……なぜそんな事が起こったんだっ!? アイツは普通の人間のはずだろっ!」
元いた世界でもこんな事例は無かった。元々普通だった人間がある日突然、自覚が無いとはいえ魔法使いとしての覚醒の兆候が現れる。それどころか所有している武器も神器に変異しようとしている。前者に関しては全く無いわけではない。しかしそれは、本人が魔法使いに必要な条件が揃って素質がある場合、それを目指して修行を積む事で覚醒する場合がほとんどだ。後は親からの遺伝による先天的なもの。だが、星の場合このどちらも当てはまらない。おまけに彼女が所有している槍、龍牙も神器に変異しようとしている兆候があるのだ。今回の事象はこの世界どころか零治の世界でも異常事態と言える現象なのだ。
『そう興奮するな。ちゃんと説明してやる。……いいか? 事の発端は赤壁での闘いだ』
「赤壁だと? ……まさか、あの時のオレと星達の闘いが原因だというのか」
『直接的な原因はそこじゃねぇが、間接的に関係してるのは事実だな』
「どういう事だ……」
『結論から言えば、直接的な原因はあの女がお前の左眼を潰した事だ』
「何……?」
零治はますます訳が解らなくなる。事の発端が星が自分の左眼を潰した事にあるなどと言われて理解できるはずがない。そんな事をしただけでなぜ彼女に魔法使いとして目覚める兆候が現れるのというのか。少なくともそんな事例は零治の世界にも無い。何より、彼の世界でも全ての人間に魔法使いとしての素質があるわけではない。そんな事で魔法使いとして覚醒できるのならば、零治の世界で生きる人間は全員確実に魔法使いとして、更には神器使いになり得る事になる。困惑する零治だが、BDの話にはまだ続きがある。零治の理解を得るため彼は話の先を進めた。
『相棒、結論を急ぐなよ。この話にはまだ続きがあるんだ。……いいか。さっき言った直接的な原因だが、もっと具体的に言えば左眼を潰した事自体じゃない。あの時、奴がお前の返り血を浴びたのが原因なのさ』
「オレの……返り血が原因だと?」
『そう。赤壁での闘いでお前は俺様の力を発動していた。つまりだ、あの時のお前の血には俺様の力も少なからず宿っていたのさ。そしてあの女はそれを身体のどこかに直接浴びてしまい、奴の槍にも付着していた』
「…………」
『あの時に浴びた血に宿っている力、それがいつの間にか双方の内部深くまで入り込み、奴の槍には神器に変異する可能性を与え、あの女には魔法使いとして必要な条件が揃う身体に変異し始めてる……ってのが俺様の推測だ。まあ、もしかしたら奴の変異自体はもう終わってる可能性もあるがな』
「星の身体が……変異?」
『そうだ。相棒、お前が魔法を、そして神器を使う上で欠かせない器官があるのは分かるよな?』
「……魔導管だろ」
そう。零治の世界の魔法使いは身体に魔導管と呼ばれている特別な器官が存在している。魔法を行使する上で必要な魔力、それを生成して体内に循環させる大事な器官だ。役割的には血管と殆ど同じ物である。これがあるから零治達は魔法を、そして神器を扱えるのだ。だが先程も言ったように、彼の世界でも全ての人間が該当するわけではない。なぜなら魔導管が初めから無い者、備えてはいるが機能せず眠った状態の者。この二者は魔法が使えない、つまり零治の世界での普通の人間になるのだ。逆に親からの遺伝による先天性から魔導管があり尚且活発に機能している者は当然ながら、魔導管自体はあるが機能が微弱な者も修行を積んで活発化させる事が出来る可能性がある。こういった者達が魔法を使える者、又は魔法使いに覚醒する可能性がある者に該当するのだ。
『その通りだ。俺様が言う変異ってのは、赤壁で血を浴びた事であの女の身体に無かった物が構築されたか、もしくは似たような器官が存在し、それが魔導管に変異し始めてる……俺様はそう考えている』
「何っ!? だがこの世界の人間に魔導官と似たような器官があるとはとても思えんぞ」
『そうとも言えんぞ。似たような力を使える奴がお前の部下に居るだろ?』
「似たような力が使える部下? 凪の事だな……。っ!? そうか! 氣かっ!」
『ああ。あの女が氣の扱いにある程度知識や技量があるなら、いま言った仮説もあり得なくはない。氣と魔力、呼称こそ違うがこの二つの根幹は同じだ。そして氣にも通り道があるからな。魔導管のように』
「なんて事だ。なぜ……なぜこんな事に……っ!」
まさかこんな事態になるなんて誰が予測できようか。出来るはずがない。零治は自分の過去の行いを悔いるように右手で顔を覆いながら俯いた。意図的ではないにせよ、結果的に零治は星のこの先の人生を歪めてしまう可能性を与えてしまったのだ。しかし、まだ確定したわけではない。少なくとも現時点では星は神器使いとして完全に覚醒はしていないのだ。時間を巻き戻して過去を改変する事は出来ない。ならば現状で持てる希望に賭けるしかないだろう。
「BD。今の状況で、星が魔法使いとして覚醒しない可能性はあるのか?」
『それはあの女次第だ。奴が自分の変化に自覚を持ち、探求をしだしたら可能性は低くなる。現状では五分五分だな』
「そうか。ならそうならないよう願うしか方法は無いんだな。くそ……っ!」
『相棒、何をそんなに悲観してんだよ? あの女が神器使いになるのがそんなに嫌なのか? 確かに現状奴は敵だからそうなったら邪魔にしかならねぇがよ』
「…………」
『だったら味方に引き入れちまえばいいんだよ。奴の兵士としての強さは申し分無い。神器使いになればその強さは更に跳ね上がるだろうな。何より……あの女は相棒にえらくご執心のようだしな。きっと喜んで話に乗ってくれると思うぜ?』
「オレはそういう事を気にしてるんじゃないっ! それに星が神器使いになる事も望まん!」
今の状況でもしも星が本当に神器使いとして覚醒すればそれは間違いなく零治達にとって脅威になるだろう。彼女は武人としての実力も確かだ。万が一そうなれば、時間的に厳しい部分はあるかもしれないが、星は独学で神器と魔法の扱い方を学び、今まで以上に大きく成長する可能性はある。そうなる事も問題だが、零治が一番危惧しているのはそこではなかった。もっと先の事を見据えているのだ。
『相棒、マジでどうしたんだよ? 何がそんなに気になるんだよ?』
「仮に星が神器使いに目覚めたとしよう。そしてこの大陸の戦争が終結し、アイツも当然生き残ってる。オレが一番気がかりなのは、その先の事だ……っ!」
『先の事?』
「この世界ではオレ達のような神器使いは余りにも異質な存在だ。見方を変えればそれは驚異とも取れる。大きすぎる力はこの世に災いしか呼ばん」
『……あぁ、そういう事な』
零治のこの言葉、流石のBDも理解できた。零治が言うように、神器使いの力はこの世界ではとても異質なものだ。この世界にも仙術や妖術の類があるので彼らの魔法も似たようなものなのだが、大陸の人々からは大抵は恐れられる存在だろう。もしも星が神器使いとして覚醒し、この外史の物語が終端を迎えたらどうなる。零治達は消え、彼女だけが残る。つまり、この大陸で唯一存在する神器使いとなるのだ。この大陸に渦巻く戦いが終結し、その後がどうなるのかは零治にも予測できない。だが一つだけ分かってる事がある。神器使いとして覚醒した星がこの大陸に残れば、彼女は間違いなく軍事的パワーバランスを崩す要因となってしまう。それは即ち、新たな争いの火種になる可能性がある事を指しているのだ。
「いくら力の保有者が優れた人格者でも、周りの人間がその力を危険視しない保証などどこにも無い。それが原因で新たな戦争が起これば、華琳の今までの苦労も全て水の泡だ……」
『なるほど。……だが相棒。その仮定している未来、防ぐ選択肢はかなり限定されるぜ。その時はどうするつもりだ?』
「…………」
BDの言う事は零治も理解している。この仮定の未来を回避する方法はいくつか思いついているが、そのどれにも星の未来に希望は一欠片も無い。まず一つは三国が平定したのち、星を絶対的なる監視下に置いておき、表舞台には決して出さない。つまりは飼い殺しにする事だ。だが、これまでさんざん忠告をしたのにそれを無視し続け、今まで執拗なまでに零治と関わりを持とうとした星の性格を考えれば、彼女がこれを素直に受け入れるかどうかは微妙である。次に二つ目の方法。それは三国平定後、星が大陸を去る。要するに大陸外で生きる道を選択肢として与える事だ。少なくともこの方法ならば彼女も人間らしいまともな生活が送れるはずだ。だが、新たな戦乱の火種となる事を避けるためにも武人としての自分を捨てて普通の人として生きねばならないが、星がこれを素直に受け入れるかどうかはその時になってみないと分からない。だから現状ではこの選択肢も確実性に欠ける。そして三つ目。その内容はとてもシンプル。星を殺す事だ。今の段階で、零治が描いている仮定の未来を確実に回避できる方法はこれしかない。
「……まあ、いくつか方法は思いついているが、それは星の今後の結果次第だ。今は置いておこう」
『分かった。なら俺様もこれ以上は訊かないでやるよ』
「そうしてくれ。……BD、話は変わるがこの外史の自我の件、あれはどうなったんだ?」
『おう。そっちもバッチシだ。ちゃんとブン殴って話はつけてやったぜ。これ以上余計な干渉をするなってな』
「ブン殴って?」
『おうよ。この世界の自我、何か別次元に電球みたいな光の球体で存在していてよ。そいつをひたすらブン殴って痛めつけてやったらこっちの世界がグラグラ揺れるしよぉ。いやぁ、楽しかったぜ』
「……つまり、アレはやっぱりお前の仕業だって事だな」
『まあ結果的にはそうなるな』
「ほぉ~。なら……黄蓋に矢をブチ込まれたのもお前のせいになるって事だよなぁ……?」
話を聞くなり、零治はスゥっと眼を細めて自分の左腕を睨みつけた。あの時起きた振動は並大抵のものではなかった。まともに立っている事さえ出来ないほどに。その時に生じた僅かな隙きを突かれ、彼は黄蓋に矢を撃ち込まれたのだ。BDのおかげで死ぬ事はなかったが、痛みの抑制はしていないため当然痛みは感じていたし、定軍山での嫌~な記憶も思い出してしまったのだ。後の闘いは全てBDに任せて自分はその間休んでいたし結果的に呉軍に大打撃を与える事は出来たが、零治から言わせればあの時に受けた痛みは肉体的にも精神的にも良い気分の出来事ではない。
『な、何だよ相棒。ひょっとして怒ってんのか……?』
「アレのおかげで定軍山での嫌な記憶が呼び起こされたんだ。少なくとも良い気分はしてないぞ……」
『そ、それはだな……って! だいたい叢雲っ! テメェは何やってやがったんだ!? 死ぬ気で相棒を護れって言っただろうがっ!』
『我ハ最善ヲ尽クシタ。ダガ、コノ世界ノ干渉ヲ押シ返スノデ精一杯ダッタノダ。ソコニ来テ貴様ガアノヨウナ事ヲシテクレタノデナ。我ニ責任ハ無イト思ウガ?』
『おおーっ!? どいつもこいつも俺様ばかり悪者にしやがってっ! さっきまであれだけ頑張ってやったのに感謝の言葉も無ぇのかよ!?』
「頑張っただぁ? オレにはただ単に殺戮を愉しんでいたようにしか見えなかったがなぁ」
BDは先程の戦闘を頑張ったと言い張るが零治の表情は訝しげだ。結果的に呉軍に大打撃を与える事が出来たのは喜ばしいが、アレは純粋な力と力のぶつけ合いの戦いではなく一方的な虐殺劇だ。おまけにコウモリのような翼を生やして孫策達を追撃したり、無数の剣の雨を降らせて敵を皆殺しにしたりと常軌を逸したものだった。相手に恐怖心を植え付けて今後の戦闘意欲を削ぐという点では非常に効果的だろうが、零治もあれ程の闘いをBDが繰り広げるとは予想もしていなかった。勝つために手段を選ばないと決めたのは自分自身だが、彼は帰りの道中もこの選択をしたのは間違いではなかったのかと内心では後悔している。と、その時だった。前方で舞い上がってる砂塵と共に近づいてくる無数の人影が確認できた。それは孫策達の追撃をしている後続部隊、率いているのは春蘭と真桜だった。
「音無ーっ!」
「隊長ーっ!」
「春蘭と真桜が来たか」
星達を見逃してから幾ばくかの時間が経過している。流石の彼女達も未だにあの場に留まっている事はないだろうし、ましてやこの状況で自分を追いかけてくるようなバカな行動をするわけもない。時間稼ぎは充分だと思うが念には念を入れておくべきだろう。零治はその場で足を止めて春蘭達がこちらに来るのを待ち、彼女達に状況報告をして足止めをする事にした。
「音無……」
「隊長……」
「ん? 何だよその顔は?」
足を止めてしばらく待っていれば、すぐに春蘭と真桜の二人が部隊を率いて合流してきたのだが明らかに様子がおかしい。彼女達もそうだが、二人が率いている兵達も揃って表情を青ざめさせながらこちらを見ているのだ。戦闘中ならともかく、今は非戦闘時だ。少なくとも味方を怯えさせるような要素などどこにも無いはずである。
「お前、音無……だよな……?」
「当たり前だろ。それ以外の誰に見えるんだよ?」
「いやだって……隊長の……それ……」
「あ?」
真桜が恐る恐るの口調で零治に対して何かを指摘するが当の本人は何の事を言ってるのか検討もつかなかった。が、春蘭達の様子をよく観察してみるとおかしな点があったのだ。それは視線である。人とは誰かと会話をする場合、対人恐怖症でもない限り普通なら話してる相手の眼を見るはずだ。なのに彼女達の視線はこちらに向けてはいるものの零治の眼を見てはいない。どちらかというと彼の背後に視線が向いているのだ。
後ろに何か居るのかと零治は思い、チラリと視線を自分の背後に向けると嫌でも春蘭達の様子が変な理由が理解できた。そう。BDが先程の戦闘で拘束術式を開放して背中に生やした六枚のコウモリのような形状をした翼がそのままになっていたのだ。つまり眼の色もまだ元の状態に戻っていないという事になる。これでは確かに眼線を合わせて話すなど無理である。
「あぁ……コレの事か。気にするな。消すのを忘れていただけだ」
「そ、そうなのか。所で音無、孫策達はどうした? 仕留めたのか?」
「いや、逃げられた。それに蜀の軍勢との合流も許しちまった。これ以上の追撃は無意味だな」
「そうか。ならば我らも引き揚げて華琳様と合流するとしよう」
「ああ。先に行かせてもらうぜ。色々ありすぎて疲れてんだ……」
零治が足を進めると春蘭と真桜が率いている兵達はササッと素早く二手に分かれて道を譲り、彼はスタスタと華琳達が待機している本陣へと引き揚げていく。いつもの春蘭達ならすぐにその後に続くのだが、今の零治はとても近寄りがたい雰囲気が漂っているので少し距離を取って兵を率いて歩き出して本陣へと帰還し始める。その姿をチラ見した零治は内心で溜息を吐きながらコートの下からタバコを一本取り出して火を点け、口に咥えながら煙を吹かしだした。
「フーー……。BD、この翼はどうやりゃ消えるんだ」
『ああ? 定軍山で左腕を繋げたあの時と同じ要領でやりゃいい。力を抑えつけるように意識を集中しな』
「…………」
零治は定軍山でBDを手にし、あの異形と化した腕を元に戻した時の事を頭の中でイメージしながら両眼を閉じて発動している魔導書の力を抑えるように意識を集中した。そこは魔法使いとしての技量が高いから流石というべきなのだろうか。零治の背中に生えているコウモリを彷彿とさせる禍々しい六枚の翼は先端からサラサラとまるで砂のように細かな黒い粒子へと変化していき、瞬く間に風に流されて宙を舞い、彼の背中から完全に消え失せて右眼の色も元通りになっていた。が、その代りに今度はBDが翼を生やした事で布地が無理やり引き裂かれ、後ろに大穴が空いた見るも無残なコートとカッターシャツが露わとなったのだ。
「……スゲェ背中がスースーする」
『あぁ、翼を生やしたせいで服が破れちまったからな』
「コイツはお前が責任を持ってちゃんと元に戻せよ」
『へいへい。本陣に着く前にパパっと直してやるよ』
「当たり前だ。こんなだらしない姿、華琳達には見せられないからな」
タバコを口に咥えたまま悠然と歩いて煙を吹かして帰路に着く零治。本人にとっては不愉快な不測の事態もあったが、こちらの被害は最小限に抑え、尚且呉軍の残党に大打撃を与える事が出来たのは大きな収穫だ。
これならば蜀との決戦も勝率は間違いなく上がる。それだけではない。BDがこの外史の自我と話をつけたおかげでこの先は干渉してくる事も無い。零治達の結末は変わらないが、少なくともこの先はいつも通りに自分達が抱えていた爆弾の事を気にせず思いっ切り戦う事が出来るのだ。華琳達にとっても、そして零治達にとってもこの戦での勝利は大きな前進と言えるものだった。
………
……
…
その日の夜。宿営内で零治達は華琳達と共に普通に夕食をとっていた。外史の自我の干渉の件が解決した事について亜弥達に伝えねばならないという込み入った話があるが、自分達だけでコソコソと会話をしている所を誰かに見られたら隠し事をしているという疑惑を首脳陣達に持たれかねない。大事な決戦を控えている中でそういったリスクは避けておくべきだろう。だからこそ零治達はいつも通りに振る舞い、この件も念話で伝える事にした。もちろんこの方法だと奈々瑠と臥々瑠が情報をその場で共有できなくなるが、この点は樺憐が後から伝えれば何の問題も無い。母親が娘達に何か大事な話をしている程度なら別に誰も不審には思わないだろう。
『零治。確認させてもらいますが、私達が抱えていた爆弾の件は解決したと判断して間違いないのですね?』
『BDの話が真実ならばな』
『ほっほぉ。ならば零治。アタシらがこの世界から消える結末も回避できるって事なんじゃないのか?』
『残念ながらそっちは変わらない。あくまでもこの外史の物語が終端を迎えるまでの間、この先の戦いで干渉してこないってだけだからな』
『なんだよ。アタシとしちゃ消滅を回避できれば一番嬉しいんだがねぇ』
なんだかんだで恭佳はこの世界での生活を気に入っていた。いや、彼女だけじゃない。零治も亜弥も、奈々瑠と臥々瑠、そして樺憐もこの世界での生活が好きだった。確かに自分達が生きていた元の世界に比べれば不便な点の方が圧倒的に多いし、この世界にも戦いはある。だがそれでも自分達の世界で経験している、あの殺伐とした終わりの見えない叡智の城を巡る戦いよりは遥かにマシに思えた。
特に零治は元いた世界で戦いに明け暮れていた。叢雲の影響もあって人間らしさを失いかけてさえいた。しかし、この世界に来た事で、そして華琳と出会い様々な出来事を通してその人間らしさを徐々に取り戻し、人として生きる上での充足感も得られた。だから彼女には感謝していた。その恩に報いたかった。その結果、消滅という結末を迎えてしまうのは零治も残念だと思っているが、それが最善だとも思っていた。
『姉さん。これでいいんだよ。オレ達のような大きすぎる力を持った存在は、この世界では新たな戦争の火種にしかならない。オレ達はこの世界に残っちゃいけないんだ。例え華琳達を泣かせる事になったとしてもな……』
『零治さん。それが貴方様の答えなのですね』
『ああ。華琳が一番に望んでいるのはこの大陸の平和だ。その平和がオレ達のせいで壊されるような事などあってはならない。オレは華琳の恩に報いるために、アイツが望む平和な世界の未来への礎となる』
『分かりましたわ。ならばわたくしもこの先の戦いで全力を尽くしましょう。零治さんの望みは、わたくしの望みでもあるのですから』
『樺憐、ありがとう』
『やれやれ。零治への信奉度がマックスの樺憐は従順だねぇ。色んな意味で最強の味方じゃないの』
『恭佳。零治も断腸の思いで決断しているんです。あまり茶化すのは――』
『分かってる分かってる。言ってみただけだよ。……はぁ~。だけどやっぱり心残りだね、アタシは』
『嘆いたってオレ達の結末は変わらない。だから姉さんも後悔の無いように戦い抜いて、この世界に確かに存在していたんだという“証”を遺してやれよ?』
『へいへい。分かったよ』
『やれやれ。樺憐、奈々瑠と臥々瑠への説明は任せるぞ』
『承知しましたわ』
これだけ言えば充分である。奈々瑠と臥々瑠への情報共有は樺憐に任せ、恭佳も渋々ながらも納得はしてくれた。結末は変わらないが、自分達が抱えていた爆弾の件が解決したのならやる事はそんなに難しくない。
蜀との決戦に勝ち、この大陸に渦巻く戦乱の世に終止符を打つ。そうする事で、零治達はこの外史に歴史を、確かにここに存在していたという証を遺せるのだ。そのためにも英気は養わねばならない。今回の夕食も前回の節約と気晴らしの名目で行った狩りでありつけた猪の丸焼きが好評だったので、手近の森で狩猟した猪が丸焼きとして振る舞われていたのだ。体調不良が無くなった事で零治達の食欲も以前の調子に戻り、彼はおかわりを獲得するために提供された最初の肉をがっついてあっという間に平らげ、皿代わりの笹の葉を流琉に突き付けた。
「るる。おふぁわりふふぇ」
「兄様。口に物を入れたまま喋るなんて行儀が悪いですよ?」
「……んっ。おかわりは早い者勝ちなんだろ? なら手段は選ばん。昼間の戦いで腹減ってんだ。早くくれ」
「もう。今の兄様、季衣みたいですよ」
「褒め言葉として受け取っておこう。……あぐあぐ」
おかわりを受け取った零治のがっつきようは凄まじいものである。大食らいの季衣、臥々瑠、恭佳の三人も唖然としてしまうほどだ。いま振る舞われている猪料理の肉はその日に仕留めた猪を調理した物である。つまり肉の熟成も進んでいない状態なので多少なりとも固く食べにくいはずなのだが、零治はそれを物ともせずに右手で鷲掴みにしている肉を噛み千切っては咀嚼して、また噛み千切っては咀嚼、それを繰り返して口の中がある程度一杯になったらそれを飲み下した。どう見ても味わって食べてるというより、おかわり欲しさに誰よりも多く肉にありつこうと口に詰め込んで食べているだけにしか思えない。零治は残りの肉を平らげると空になった皿を流琉に突き付けた。
「おかわりだ」
「あっ、はい」
「おい音無っ! 貴様どれだけ食うつもりだ!? 私だって沢山食いたいんだから少しは遠慮しろっ!」
「黙れ春蘭。おかわりは早い者勝ちだと流琉が事前に言ってただろ。責められる謂れはない。そんなにおかわりが欲しいのならオレみたいに早食いするんだな。……あぐあぐ」
「なぁ!? くっそぉ! 負けてられるかぁ! はぐはぐはぐはぐっ!」
「ちょっ!? このままじゃアタシらのおかわりも無くなっちまうじゃないか! そんな事は絶対にさせねぇぞ! あぐあぐあぐあぐっ!」
「あーっ!? アタシだっておかわり欲しいんだからねぇ! 独り占めはさせないっ!」
「だったらボクもっ!」
「ちょっと臥々瑠。そんなに急いで食べると喉に詰まらせるわよ。ねえ、聞いてるの?」
「んぐぅ!?」
「ああもう! ほら、言わんこっちゃない」
零治の食いっぷりにより、春蘭、恭佳、臥々瑠、季衣の四人が対抗心の炎を燃え上がらせておかわりの肉を獲得するために猛烈な勢いで手にしている最初の肉に齧り付くが、臥々瑠だけ肉を喉に詰まらせてしまって悶絶するのが、奈々瑠が背中をトントンと叩いてあげてくれたおかげですぐに回復。おかげで春蘭達に遅れを取ってしまったが、それでもあっという間に平らげて四人とも我先にと流琉に皿を突き出しておかわりを要求して受け取る。因みに零治はもう充分に食べたようでペースを落として普通に食べており、先程受け取ったおかわりの分の肉を完食すると腰掛けてる床几からゆっくりと立ち上がった。
「あぁ~、食った食った。ごちそうさん」
「あら、零治。もういいの? あれだけ食べていたからまだ食べると思っていたのに」
「華琳。オレをここに居る大食い組と一緒にするな。今夜は昼間の戦闘でいつも以上に腹が減ってたからあれだけ食っただけだ。もう充分だ」
「そうなの」
「さて、オレは野暮用があるから先に宿舎に戻らせてもらうぜ。じゃあな」
背を向けてヒラヒラと右手を振りながら零治はその場を後にして自分にあてがわれた宿舎へと足を運んでいった。因みに彼の言う野暮用とは、以前宿営でやっていた作業の続きである。普通に考えれば零治が今からやろうとしている作業は急いでやる程の事ではない。いつもの彼ならばこういう考えに至る。ならなぜこんな決戦の真っ只中でやろうとしているのか、その理由は単純明快だ。零治に残された時間が残り少ないからだ。刻一刻と減っていく時間の中で、この作業をなんとしても終わらせなければならないのだ。今の彼にとって、この作業を終わらせるのは蜀との決戦に勝つのと同じぐらい大切な事なのである。
………
……
…
自分用に用意された宿舎に辿り着いた零治は壁に設置されてある全て蝋燭にライターを使って火を灯し、以前と同じように奥の角に設置されている作業台の上にある蝋燭台にも火を点けて明かりを確保し、床几の上に腰掛けてコートの下に右手を突っ込んで小さな長方形の木箱を一つ取り出してそれを作業台の中央にそっと置いた。しかもよく見ると台の端には灰皿も置いてあり、彼はここを喫煙スペースとしても使用しているのが窺えた。
「さーて、今夜中に仕上げれれば良いんだが」
零治が右手を伸ばし、蝶番に繋がれた木箱の蓋がゆっくりと開けられると、中にはクッション代わりに敷き詰められた綺麗な絹の布が入っていて、その上には彼の掌に収まるサイズの丸く平らな深紅の金属板が二つ収められていた。まだ成形途中の段階なため金属板の表面はデコボコしていてとても不格好な造りをしていた。まだ途中段階とはいえあまりにも見るに耐えない形状の金属板を眼にした零治は苦笑しながらその一つを箱から取り出し、木箱は邪魔にならないように台の端に寄せて取り出した金属板を中央にそっと置いた。
「よし。始めるか」
こういった金属の加工となるとそれなりの道具を一通り揃える必要があるが、そんな暇など無い。何より道具を使ってチマチマ加工している時間も零治には残されていないのだ。だから魔法を使って時間の短縮も兼ねた彼だから出来る方法で加工していく。零治は台に置いた金属板の上空に両手をかざして意識を集中する。すると彼の両手がぼんやりと深紅の光を放ち、台に置かれた金属板がフワフワと宙に浮かび上がり、深紅に光り輝く奇妙な形をした文字の羅列が全部で四つ浮かび上がると同時に縦、横、斜めと円を描きながらクルクルと高速回転を始めた。
「…………」
宙に浮かぶ金属板に視線を向けながら両手をかざし、零治は全神経を集中すると金属板に早くも変化が現れた。金属板を囲い込んでその周りをクルクルと回転している文字の羅列との間にできている空間内で、魔力で形成された紅く光るとても小さな無数の刃が金属板を斬りつけてその表面を削り取り始めたのだ。簡単に言えば、零治は魔法を使って金属板の彫刻を行っているのだ。しかも余分な部分は削り落とすどころか一気に斬り落としてさえいる。傍から見ているとその光景はレーザー彫刻を魔法で更に強力にしたものと言えるだろう。
「ふむ。今の所いい感じに仕上がってきてるな」
『全く。魔法を使ってこんな無茶苦茶な彫刻をする奴なんてお前が初だぜ』
「BD、いま大事な所なんだ。少し黙ってろ」
『へいへい。そりゃ悪うございましたね』
今の零治にはBDとの会話を交わす程の余裕は無い。失敗しても造り直しは出来るが時間的余裕が無いのであれば失敗は絶対に避けたいと思っている。零治の集中力に呼応するように、宙を浮いてる金属板の周囲には数多くの小さな魔力の刃が縦横無尽に入り乱れて金属板の表面を削り取り、最初はデコボコしたただの金属の塊だったが次第に零治が望む形状へと変化していき、それは狼の横顔を彷彿とさせる形に形成された。
次に零治は毛並みを表現するために表面に細かな溝を魔力の刃で彫り込み、体毛を表現している部分は先端も尖らせて毛先もしっかりと再現し、遠吠えをしているように見せるために口も形造って内部には牙もちゃんと形成されている。そこから鼻先や耳などの部分を仕上げて最後に眼の部分には小さな窪みを造り、見事に狼の横顔をした金属板の造形が完成し、零治は彫刻の魔法を解除して宙から落ちてくる作品を右手でキャッチしてマジマジと見つめた。
「ふむ。我ながら見事な出来栄えだな。この調子でもう片方も一気に仕上げるぞ」
ここまで望んでいた物が完璧に出来上がったのであれば後は難しくはない。もう一つの金属板も先程と同じように集中して仕上げればいい。幸いな事にこれ一つを仕上げたおかげで充分なイメージは掴めた。これならばもう一つを完成させるのにも時間はかからないはず。零治はいい感じに気分がノッてきたので右手にある完成品を箱に戻し、もう一つの不格好な金属板を箱から取り出して台の中央に置き、先程と同じように意識を集中して魔法をかけて宙に浮かべて彫刻を開始し、掴んだイメージをその金属板に具現化するように加工していき、先程仕上げた物と向きを逆にした全く同じ狼の頭の造形を完成させてそれも箱に収めた。
「よし。後はコイツの裏側にクリップを取り付けるだけだな」
零治は左手をコートの下に入れると自作のバタフライナイフを取り出し、手の中でクルッと回転させてグリップの中に折り畳んで収納してある刃を出して留め金でグリップを固定してナイフの形態にした。
零治はそれを左手で逆手に持つと右掌に刃先を突き立て、そのまま肉を斬り裂いて一筋の斬り傷をつけたのだ。彼はナイフを台の端に置き、右手を下に向けて傷口から滴り落ちる血で台の上に池を作り、充分な量の血溜まりが出来たら右手をギュッと力強く握りしめてBDの恩恵の一つである治癒能力で傷口を塞いで止血した。次に零治は血溜まりの上に左手をかざして魔力を注ぎ込むと血溜まりがボコボコと沸騰しているかのように音を立て、中央に波紋が浮かび上がると中からこれまた髪留めとしてよく見かける形状の小さな深紅のクリップが二つ姿を表して宙に停滞し、彼が右手を箱に向かって突き付けると中に収まっている狼の頭の造形が二つともゆっくりと浮かび上がって今しがた造り上げたクリップに接近していき、造形の裏面にまるで溶接しているかのように融合していって完全に固着した。二つの狼の頭の造形の完成品を零治は手に取り、まるで鑑定するようにクルクルと回転させて作品を確認し、どこにも問題がない事が分かると満足げに頷いて両方とも箱の中に戻した。
「よーし。これで完成だ」
『何だこりゃ? 裏側にクリップが付いてるが……ひょっとして髪留めか?』
「まあな」
『しかも二つあって造りは左右対称。もしかして曹操に渡すつもりか?』
「ああ。オレから華琳に贈れる、最初で最後のプレゼントだ」
『なるほど。狼の頭とは実に相棒らしい発想だが、自分の血で造るのはちと悪趣味じゃねぇのか?』
「お前にだけは悪趣味とは言われたくないな。……ふ~む」
『どうしたんだよ? まだ何か気になるのか?』
「いや……この髪留め、出来は良い。だがこのまま渡しても華琳がいま使ってる物と比較すると今一つインパクトに欠ける。もう一工夫欲しいな」
『インパクトに欠けるだぁ? 自分の血で造ってるだけで充分インパクトはあるだろうが。世界中どこ探したって同じような作品は無いだろうよ』
「うるさい。とにかくこのままではダメだ。華琳がいま使っている髪留めには無いような工夫を加えないと渡す事は出来ない」
華琳が普段から、特に戦場で好んで使用している髪留めはどこと無く可愛らしさがある反面力強さも持っているドクロのデザインをした髪留めを使用している。零治が造り上げた髪留めには可愛らしさは無いが、力強さに関しては華琳がいつも使用している物より上と思ってもいいだろう。しかし零治はもう一工夫加えたいと思い、腕を組んでしきりに首を捻りながら唸り声を出していた。華琳が使用している髪留めには無い工夫、尚且それで自分の事を忘れずにいてくれたらそれで良い。そんな工夫を零治は望んでいて、暇だからという理由でBDも一緒に考えてアイデアを提供してあげた。
『おい、相棒。ありきたりだがその髪留めの眼の部分に宝石でも埋め込んだらどうだ? 少なくともあのお嬢ちゃんがいま使ってる髪留めにはそんな装飾は無いだろ?』
「宝石か。無難だが悪くない……が、オレはこの髪留めに派手さは求めてない。ただ華琳が、コイツを見てオレの事を忘れずにいてくれればそれで良いんだ……」
『分かった分かった。ならダイヤみたいな豪華な石は使わないとして、そうだなぁ……相棒の瞳の色と似たような石とかどうよ?』
「つまり蒼色の石、サファイアとかを使うのか? だがこの世界にそんな物が都合良くあるとも思えんぞ。だいたいどうやって調達しろってんだよ?」
『そこはホレ、その辺に転がってる石ころを物質変換魔法で創り変えるのさ。時間も無いんじゃ、手段は選んでられねぇだろ?』
「……確かにな。ならその案で行くとして、その辺から石を一つ拾ってくるかね。どんな石がいいだろうか?」
『アパタイトなんかどうだ? 色はいくつかあるが蒼色もあるから丁度いいと思うが』
「アパタイト? 何だそりゃ?」
『あんだっけ? 確か燐灰石だったか? パワーストーンにも使われてる石の一つで、絆を強める、繋げるエネルギーがあるって言われてた気がするが』
「魔導書のお前が何でそんなどうでもいいような雑学に詳しいんだよ」
『な~に。色んな主様に出会っていると、どうでもいいような情報も憶えちまうんだよ』
アパタイトという語源についての余談になるが、ギリシャ語で騙す、誤魔化すの意味があるApateに由来している。その理由についてだが、アクアマリンやクリソタイル、フローライトやアメジスト、トルマリンなどといった他の鉱物と見間違えやすかったためと言われている。自分がこの世界に存在していたという証を遺すために、そして華琳に自分の事を憶えていてほしい、そのために造ったプレゼントに真逆の意味を持つ言葉から名前の由来が来ている石を装飾として使うとは何とも皮肉な話である。まあ、本人は知らないようなので良しとするべきなのだろう。
『石ころの変換は俺様がやってやるよ。アパタイトの情報も持っているしな』
「ああ。そうしてくれ」
『あの石は硬度が低いから宝飾には適してないが、その点は俺様が創り変える時に硬度を弄って解決してやる。ほら。さっさと石を拾いに行くぞ』
「はいはい」
方針が決まったのなら行動あるのみだ。BDに促され、零治はゆっくりと床几から立ち上がって腰に手を当てながら軽く後ろに反り、腰回りの筋肉のこりをほぐして宿舎から出ようと出入り口の扉に向かおうとしたその時だった。外から誰かが扉をコンコンとノックしてきたのだ。
「誰だ?」
「零治、私よ。起きてる?」
(華琳っ!? 何でこんなタイミングで来るんだよ!? って、今はそれどころじゃねぇ! とにかくやり過ごさないとっ!)
「入っても良いかしら?」
「ちょ、ちょっと待ってくれっ!」
来てしまった以上追い返すわけにもいかない。が、華琳にプレゼントの事を悟られるわけにもいかない。ここでバレてしまっては内緒で造っていた意味も無くなる。まだ未完成だし、渡すタイミングも零治は既に決めているのだ。零治は数回深呼吸をして気持ちを落ち着け、もう一度作業台の方に戻って床几に腰掛け、台に予め置いていた布巾で中央に作った血溜まりをゴシゴシと拭き上げるがどうしても跡が残ってしまうがそこは仕方ない。綺麗に拭き上げてる暇など無いのだ。髪留めは木箱に収納してコートの下に隠してある。見つかるはずがない。零治はいつも通りを装うためにタバコを取り出して火を点け、台の端に置いていた灰皿を手前に引き寄せて煙を吹かし、口を開いた。
「入っていいぞ」
「失礼するわよ」
宿舎の戸が静かに開けられ、中に華琳が入ると彼女は静かに扉を閉める。零治はこの場でタバコを吸っているが、室内に空気を循環させるために竹を格子状にした窓が壁の左右に一つずつ設けられているので煙が充満する心配はない。彼は華琳を招き入れたというのに未だに床几に腰掛けて壁と睨めっこをしたままタバコを吹かしていた。
「フー―……。悪いな。床几はこれ一つしか無いんだ。その辺に適当に座っててくれ」
「ええ」
こんな時間に何の用があってここへ訪ねてきたのか零治はタバコの煙を吹かしながら考えてみた。以前は夕食を届けに来てくれたからだ。だが今夜はちゃんと全員が揃っている場で食べていたのでその線は無いだろう。となれば考えられるとすれば様子見だろうか。しかし例の体調不良の件はちゃんと隠し通していたし、BDのおかげで解決もしているのだ。これもちょっと考えにくいだろう。あと考えられる可能性とすれば秘密裏に行っていた工作の件だ。これについても前に華琳がここを訪ねてきた時に重要な点は隠して説明はしている。あれやこれやと考えてみるが肝心の華琳と話をしない事には何も始まらない。零治は吸い終えたタバコの吸殻をグリグリと灰皿に押し付けて火を消し、作業台に肘を付き、正座をしながらこちら見ている華琳の方へと視線を向けて口を開いた。
「オレしか居ない上にこんな場所でも律儀に正座か。で? こんな時間に何の用だ?」
「別に。ただ何をしているのか気になって見に来ただけよ」
「何をしているかって……見ての通り何もしてないが?」
「あら。なら野暮用とやらはもう済んだの?」
「それが目的かよ。ったく。お前は噂好きのご近所さんか。……とりあえず野暮用は済んださ」
正確にはまだ完全には終わっていないし、このままでは終わらせる事も出来ない。華琳に渡すためのプレゼントを作成していて最後の仕上げのための材料を調達をしに外に出ようとした矢先に渡す相手が来てしまったのだ。ここはなんとしてもプレゼントの事も、そして渡す相手が華琳である事も知られる訳にはいかない。だからここは是が非でも誤魔化し通すという難問が零治に降り掛かった
「ふむ。その野暮用とやらは、もしかして前にやってた工作の続きかしら?」
「まあな。言っとくが内容については前にも言ったとおり、物が出来上がるまで教えるつもりはないぞ」
「安心なさい。私はそこまで野暮じゃないわよ」
「そいつはどうも」
「…………」
「…………」
そこで会話は途切れてしまい、お互いに黙り込んで奇妙な沈黙が広がっていく。その間も華琳は零治の事はただジーッと見つめている。少しの間ぐらいならともかく、見知った相手とはいえ長時間無言の視線を向けられたら流石の零治も落ち着かない。彼は気を紛らわすようにコートからタバコをまた一本取り出し、火を点けて煙を吹かし始めた。
(何でそんなにガン見してんだよっ!? 用が済んだんなら早く帰ってくれよ! 落ち着かねぞっ!)
顔には出していないが零治の今の内心はこんな状況である。別に華琳の事を嫌っているのではない。が、今は一緒に居たいとも思ってない。むしろ逆に居てほしくない。零治としては一刻も早く秘密裏に進めている要件を済ませておきたいのだ。それさえ片付けば当日まではいつも通りに振る舞える。だがそのためには華琳がこの場を去ってくれないとどうしようもない。しかしこちらから追い返すような真似をすれば、敏い彼女ならば零治が野暮用と称している件に自分が関係していると気付くだろう。そうなっても困る。ここは根気よく、華琳が自分からここを去るのを待つしかない。そう思いながら零治は二本目のタバコを吸い終え、吸い殻を灰皿にグリグリと押し付けて火を消していた時だ。華琳が静かにその場から立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
「零治……」
「っ!? おい、何して……っ!」
こちらへ歩み寄ってきた華琳は大胆にも両腕を零治の背中にそっと回して彼の事を抱き締めたのだ。こういう状況に全く慣れていない零治はどうしていいか分からず、床几に腰掛けた体勢のままカチンコチンに固まり、ただ時間だけが過ぎていく。すぐ横に華琳の顔があり、耳元からは彼女の静かな吐息が聞こえてきて自分でも動悸が激しくなっているのが分かる。この状況を誰かに、主に春蘭や桂花に見られでもしたら確実に修羅場になってしまうだろう。昼間の戦闘、それに先程の工作でいつも以上に神経を擦り減らして疲れているのでそれは避けたい所だ。どうしたものかと頭を悩ませている時、華琳は静かに口を開いた。
「零治……」
「な、何だよ……?」
「……良かった。こうして無事に還ってきてくれて」
「はあ? いきなり何言ってんだよ?」
「昼間の戦で、春蘭の部隊から貴方の事についての伝令が来た時、私は気が気じゃなかったわ……」
(あぁ、BDが勝手に翼を生やしたアレの事か……)
これについては華琳の当時の心境を零治は嫌でも理解できた。通信機も無いようなこの世界では戦場での情報伝達は伝令だけが頼りなのだ。それに帰還した伝令も持ち帰った情報をいきなりありのまま伝えたりするわけじゃない。この場合、零治の身に異変が起きたとか何かあったとか大まかな情報が伝えられ、その後に細かい情報が伝えられるとかそんな所だろう。実際に華琳がこの情報を耳にしたのも伝令から直接聞いたのではなく、稟を通して聞いた情報だ。訓練が行き届いた魏軍に限ってあり得ないとは思うが、人を通して聞かされる情報は必ずしも当てになるとは限らない。伝えるべき人間の間に第三者が介入すれば介入するほどその情報は劣化する事がある。つまり間違った情報が伝わる可能性もあるのだ。華琳も最初この話を聞いた時、事の全容全てをいっぺんに聞いたわけではなく、『零治の事』についてだけ。この情報だけでは具体的な話など伝わらない。彼女の中であらゆる可能性が浮上するだろう。ましてや、今回の戦では零治は孫策の相手をするという危険な役を買って出たほどだ。だからこそ華琳の中で不吉な未来像があの時よぎったのだ。
「私は貴方に……死んでほしくないの」
「オレは死なねぇよ。この魔導書がある限り絶対にな」
「それは分かっているわ。でも、怖いのよ。貴方を失うのが……」
「…………」
「零治、お願い。約束して。ずっと傍に居るって。私の元から離れないって」
華琳の懇願に零治の胸はチクリと痛む。それは決して約束する事が出来ない願いだ。零治達の結末はもう既に決まっている。全てが終わればこの世界から去らねばならないのだ。だが真実を伝える事は出来ない。伝えた所でどうにもならないし、そんな事をすれば魏軍全体に余計な動揺を与えてしまうだけだ。かといってこのまま黙ったままというわけにもいかない。無言を貫き通しては、今の華琳は約束できないと解釈する可能性が非常に高い。だからこそ零治は、華琳の背中にそっと両手腕を回し、その小さな身体を優しく抱きしめて彼女を安心させたいと思った。例えそれが出来ない約束だとしても。
「華琳、そんな事を言う必要は無い。オレ達の居場所はここなんだからよ」
「…………」
「だから安心してくれ。オレはいつだって……お前の傍に居るよ」
「……絶対よ」
「ああ」
「……んっ」
(ちょっ!? おま……っ!)
今日の華琳の行動を前に、零治の理解力のキャパシティはとっくにオーバーしている。いきなり抱きついてきたかと思えば今度はそのままの体勢で彼にそっと口づけをしてきたのだ。一体なんの理由があってこんな事をしてきたのかなんて分かるわけがない。しかも一瞬で終わらせるかと思ったら結構長い。まだ口づけしたままなので、華琳の甘い吐息が流れ込んできて零治の頭はパンク寸前である。そのままひとしきり零治への口づけを堪能した華琳は彼からゆっくりと離れ、頬をほんのりと紅潮させたまま立ち上がって無言でスタスタと宿舎の扉を開き、立ち去る間際にもう一度こちらを振り向いた。
「零治、たばこはもうやめなさい。さっきの口づけ、煙みたいな味がしたわよ」
「……いや、お前」
「それと、この続きは蜀との決戦に勝って本国に戻ったらしてあげる」
「…………」
「だから……私との約束、ちゃんと守りなさいよ」
そう言い残し、華琳は宿舎から出ていき、扉を閉めてその場を去っていた。呆気にとられたままの零治は黙って閉められた扉を見つめ、右手で唇に触れてみると先程まであった華琳との口づけの感触が脳裏に蘇る。零治は大きな溜息をつくと同時にコートの下から三本目のタバコを取り出し、火を点けて煙を吹かし始めた。
「フー―……。オレって最低だな。出来もしない約束をしちまって……」
だがあの場ではああする他なかっただろう。この大陸に渦巻く争いの時代に終止符を打つ戦の真っ最中なのだ。そんな大事な時に、全てが終わったら自分達はこの世界から消えるなんて口が裂けたって言えるわけがない。それどころか、今みたいにあそこまで慕ってほしくなかった。もう少し距離を置いていてくれたら後腐れ無くこの世界を去れただろうにと自虐的な考えさえ浮かんでいた。
「華琳、お前も酷い奴だよ。オレにあんな事しやがって。今のオレにとって、お前のオレに対する想いは呪いでしかないのによ……」
戦う事ぐらいしか取り柄がない自分をここまで慕ってくれているのは零治も嬉しく思うが、自分に下されている結末の事を考えれば純粋に喜ぶ事も出来ない。だが、よくよく考えれば自分も人の事を言える立場ではないと零治は悟った。先程華琳と交わした約束もそうだが、彼女に渡すために用意した最初で最後のプレゼント。これを遺して消えれば、きっと華琳も同じように考えるかもしれないと。しかしやめるつもりはない。何も遺せないまま消えるつもりなど零治は毛頭無いのだ。それに華琳はそこまで弱い人間ではない事もよく知っている。彼女ならばこの大陸の未来のために前向きに生きてくれる。そう信じ、三本目のタバコを吸い終えた零治は吸い殻を灰皿に押し付けて火を消し、華琳へ贈る髪留めの最後の仕上げのために床几から立ち上がり、宿舎を後にした。
作者「孫呉の血脈、発売おめでとうーっ!」
零治「おい。この作品は魏ルートなんだから普通は前作の蒼天の覇王の発売を祝うべきだろうが」
作者「アレは発売日付近のタイミングに合わせて話を投稿できなかったからスルーした」
亜弥「やれやれ。所で貴方は蒼天の覇王のプレイは?」
作者「してない。やりたいんだけどまた積みゲーがたまりだしてるから買うタイミングが見つからなくて……」
恭佳「あん? って事は今作の孫呉の血脈も?」
作者「ああ。同じ理由でまだ買ってすらいない。前作もそうだったけど、なんか今作にも貂蝉達に出番があるから気にはなるんだが」
奈々瑠「えっ? あの人……呉ルートに出番ありましたっけ?」
作者「いいや。ラストに卑弥呼がチラッと姿は見せたが、貂蝉は居なかったな。この調子だと蜀ルートでもどのように絡んでくるのか気になるぜ」
臥々瑠「そんな事気にしてる余裕があるんなら、早くこの作品を完結させて全話修正しちゃいなよ」
作者「ふぐぅっ!? まさかお前にそんな事言われるとは思ってもいなかったぜ……」
樺憐「まあ、今回は半年も掛からなかったし、そこは評価できますわね」
作者「そりゃどうも。……所で零治さん。ラストの華琳さんとのキスは如何でしたかな?」
零治「なっ!? お前ぇ……まさかこのためにあんな内容にしたのかぁ!?」
作者「お、落ち着けよっ! 魏ルートのヒロインは彼女なんだから! それにメインストーリーも終盤だしそろそろこういう事もさせとかないと不自然だろっ!?」
恭佳「おっ? 作者が珍しくまともな事言ってやがる」
作者「微妙なフォローをどうもありがとう……」
亜弥「ふむ。では奈々瑠との関係はどうするつもりで?」
作者「それはそのぉ……聞かないで」
臥々瑠「考えてないんだって」
奈々瑠「ズーン……」
樺憐「奈々瑠。そう落ち込まないの。わたくしがちゃんと考えさせるから」
作者「笑顔で指の骨鳴らすのはやめてください……」
零治「アホらしい。タバコ吸ってくる」
作者「あっ、ブラックデビルの販売終了したよ?」
恭佳「そりゃリアルでの話だろ? それに同社で代わりのタバコは発売されてるそうじゃないの」
作者「ああ。三種類な」
亜弥「因みに銘柄名と味は?」
作者「ブラックスパイダーって名前で、味はチェリーコーラ、ジンジャーエール、アマゾンガラナ。さあ、零治さん。どれにする?」
零治「どれも遠慮させてもらう」




