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第90話 未来のために戦え

当初の予定では戦闘パートもこの話で書く予定でしたが、時間がかかりそうなので急遽分ける事にいたしました。戦闘の話は申し訳ないのですが、もうしばらくの間気長に待ってください。

魏軍が蜀の成都を目指して出撃し、翠蓮達の先鋒部隊を退けた翌日。宿営地を片付けて再度進行を開始。その間も細い山道内での小競り合いが何度もあり、それは数日に渡って続いていた。初戦を迎えた夜、軍議で稟が述べていた、綿竹の南方にある平原までの距離も少しずつ縮まって来ているので、蜀と呉の連合軍の抵抗も激しさを増していくばかりだ。現に今も、草木が生い茂っている山道内で、春蘭と季衣が率いている部隊が魏延の部隊と凄まじい攻防戦を繰り広げていたが、これ以上の戦闘継続は困難と判断し、魏延は撤退の指示を飛ばした。



「ちっ、これまでか。……撤退するぞ!」


「待てぇっ!」


「待ってくださいよ春蘭様ぁ! それ以上の深追いは禁止ですってば!」


「お、おう……そうだったな。危ない所だった」


「春蘭。ついでに言うと、もう交代の時間ですよ」


「そうか……皆の者! まことに遺憾だが、我が隊は後方に戻り、以降は秋蘭隊が先頭を担当する!」


「ふふっ。悪いな、姉者」



先程まで先頭を担当していた春蘭と季衣が率いる部隊と入れ替わり、秋蘭と亜弥の部隊が前に出てきた。その際、どこか悔しげな表情で後退していく春蘭と季衣の部隊の兵士達の姿を見るなり、秋蘭と亜弥は意味深な含み笑いを漏らしながらその後姿を見送る。全ての兵の入れ替わりが完了したのを確認し、秋蘭と亜弥は部隊を率いて進軍を再開した。


………


……



「桔梗様。一体どうなっているのです?」


「……それが分かれば苦労せんわ」



場所は変わってこちらは蜀と呉の連合軍の先遣部隊が待機しているポイントであり、万が一魏延が撤退してきた時の合流地点でもある。先程の春蘭と季衣の部隊の戦闘から引き揚げ、追撃部隊が来る事もなく難を逃れたが当人の魏延は困惑の表情を浮かべながら厳顔に疑問を投げかけていた。地形の利を活かした作戦を展開しているから状況はこちらが有利のはずだ。対する魏は不利な立場にあるから、進軍にも慎重に慎重を重ねて攻め方も消極的になると考えていたのに、その思惑はことごとく裏切られ、押され続けている。この状況に困惑せざるを得なかった。現状に頭を悩ませている厳顔と魏延の様子が気になり、呉の軍師の一人である陸遜が二人の所へ歩み寄ってきた。



「調子はどうですかぁ?」


「思わしくないのぉ。……連中、儂が先刻攻めた時も疲労どころか、積極的に攻めてくる程だったからな……」


「あの後、隊を交代させていたようだが……それで士気が回復したとでもいうのか」


「それは分かりませんけどぉ……。後方でも普通に行軍しているようですし。とりあえず、今は誰が?」


「甘寧が向かっているはずだ」


「そうですかぁ……。なら、思春ちゃんの次は私が攻めてみますね」


「うむ。頼むぞ、陸遜」


「ふふっ。穏でいいですよぉ~」


「そうか。なら儂も、桔梗で構わん」


「…………」



その場で厳顔と陸遜の二人はあっさりと互いの真名を預ける。こうもあっさりと真名で呼ぶ事を許すのは性格のせいもあるのかもしれない。厳顔は生粋の武人だがあまり細かい事を考えない大らかな性格だし、陸遜も公私共に風みたく妙に間延びした口調とのほほんとした性格が特徴的だ。加えて言えば、今の蜀と呉には魏という共通の敵国が存在しており、その魏を撃退するために肩を並べてこうして戦場に立っているのだ。その結果、いつしか友情が芽生えて互いの真名を預けたのかもしれない。何より、共に協力して戦う中。いつまでも他人行儀ではこの危機的状況を乗り切るのは難しいとも思える。なのだが、二人のやり取りを横で見ている魏延は未だに沈黙を保ったままだ。



「焔耶、お主も真名で構わんよな?」


「相変わらず桔梗様は強引ですね。ワタシの真名を呼んでいいのは桃香様だけで……」


「ありがと♪ 桔梗さん、焔耶ちゃん♪ じゃあまた後でぇ~♪」


「ちゃ、ちゃん~っ!?」


………


……



「……何だ。連中のあの士気の高さは……」



場所は変わってこちらは秋蘭と亜弥の部隊が先行し、進軍をしている山道内。今現在その場では魏延の言葉通り、呉の甘寧が部隊を率いて魏軍の兵を少しでも削ろうと奇襲を仕掛け、激しい攻防戦を繰り広げているのだが、相手の兵の士気の高さに眼を疑っていた。先程の春蘭と季衣、魏延の部隊での攻防戦でもそうだったが、魏延が撤退を余儀なくされたのは魏軍の兵のこの士気の高さにあったのだ。地の利はこちらにあり、それを活かした作戦を展開している。いかに百戦錬磨の兵士達といえど不利な立ち位置に置かれれば多少なりとも士気は低下するはず。それが蜀と呉軍の狙いだったのにその読みは見事なまでに裏切られ、こちらが劣勢に立たされる始末だ。これ以上戦闘を続ければどうなるかは考えるまでもない。甘寧の出した結論は一つだけだ。



「部隊を退くぞ! 総員撤退せよ!」


「皆の者! 追い払うだけで良い! 深追いはするなよ! 隊規を乱せば、泣くのは己と知れっ!」


「秋蘭。これで今夜は私達の隊が一番になれそうですね」


「うむ。昨日は凪達の隊にしてやられたからな。亜弥も後方からの支援、ご苦労だった。皆、今夜は不寝番ねずのばんも無くゆっくり眠れそうだぞ」


「秋蘭様! 先行していた斥候から、前方の峠に別の部隊を発見したとの報告が入りました!」


「よし。ならばそやつらを蹴散らし、不寝番免除の駄目押しにしようではないか!」



流琉の報告を受け、秋蘭の号令を聞いた兵達の士気は極限まで高まり、各々が持つ武器を掲げながら雄叫びを上げ、狭い山道を更に駆け抜けて斥候が発見した別働隊が待機している峠を目指した。先程秋蘭が口にした不寝番免除という言葉。これも華琳が三軍師と相談して出した作戦の一つだ。どうすれば部隊の士気を高く維持したまま進軍できるか。一番単純な方法が今の状況で兵達が最も欲しがるモノ、褒美をちらつかせる事だ。そしてその褒美というのが、不寝番の免除というわけだ。

不寝番。それは文字通りの意味。夜通し寝ないで見張りの仕事をする事だ。しかも今回の戦は魏軍にとって最後の戦い。おまけに場所は敵地のど真ん中に居るのだ。そんな場所で夜通し見張りをするとなれば緊張感だって今までの比じゃないし、戦闘だってまだまだ続く事は末端の兵士にだって分かる。こんな極限の環境で不寝番なんか誰もしたくない。それが免除されるとなれば兵達のやる気も常に最高の状態を維持できるというもの。今の彼らにとって、誰にも邪魔されず安眠できる時間は金品にも勝る最高の報酬なのだ。もちろんそれは魏の首脳陣達、零治達も例外ではない。そして今回は亜弥がその権利を勝ち取ったのである。



『ふふ。零治。悪いですね。今回の不寝番免除の権利、私が頂いていきますよ』


『……そりゃ良かったな。なら今夜は思う存分安らぎのひと時を楽しめよ』



念話でこの事をひとまず報告すれば、返ってきたのは相も変わらずぶっきらぼうでどことなく投げやりな零治の返事だ。だがその声は普段と比べるとどこか弱々しい。やはり外史の自我の拒絶による影響が出ている証拠なのだろう。もちろん亜弥も少しずつだが自分の身体の調子が狂いだしているのを感じていた。

今はまだそこまで大きな影響は出ていないので隠し通せるだろうが、それもいつまで続くか分からない。今の零治達は爆弾を抱えながら戦っているようなものなのだから。



『零治。身体の調子は?』


『声で察してくれよ。良いわけ無いだろうが。今のオレはBDの力を借りて無理やり身体を動かしているようなもんなんだからな……』


『……私達、成都に着くまで保つんでしょうか』


『保たせるしかない。何が何でもな……』



もうここまで来たら後戻りはできない。賽は投げられたのだ。貂蝉はこの外史が終端を迎えるまでは自分達は消えないと言っていた。だから決戦の最中に消滅する心配は無いが、身体に起きている体調不良はより酷くなるとも言っていた。つまり零治達はこの先、万全ではない状態で歴戦の猛者達との戦闘を強いられてしまうのだ。零治はBDの力のおかげで余程の事じゃない限り死ぬ心配は無いし、恭佳も今や魂だけの存在。本体も神器その物だから大丈夫かもしれない。だが亜弥、樺憐、奈々瑠と臥々瑠は話が別だ。この四人は異常な強さを持っているという点を除けば普通の人間と変わらないのだ。彼女達は今までの戦で死とは縁遠かったが、今回ばかりはそうもいかない。最後の最後で危険な綱渡りをしつつ、蜀との決戦を乗り切る。零治達に課せられた試練は果てしなく厳しいものとなる事だろう。


………


……



「…………不寝番の免除!?」


「どうも、そういう事らしいですー」



その日の晩、甘寧と交代する形で魏軍との戦闘で得た情報を陸遜が皆に伝え、甘寧は唖然とした。

それはそうだろう。敵部隊の士気が異常なまでに高い理由、それがよりにもよって不寝番の免除なのだから。免除という言葉こそ付いているが、甘寧から言わせればそれは単にやりたくない仕事をサボりたいだけ。そういう風にしか思えないのだ。



「まあ、確かに儂らを一番追い払った隊が不寝番が免除されるというなら、隊の士気も上がろうというものだが……」


「不寝番、どこも人気無いんですねぇ~……」



一緒に話を聞いていた厳顔は微妙な面持ちで納得し、陸遜も苦笑しながら頷いた。そもそも不寝番が人気のある仕事になるわけがないのだ。昼夜が逆転した生活は慣れないと人間の身体にはとても堪える。どこかの拠点に詰めているのならまだしも、行軍の中でとなると睡眠も基本的に移動中の馬上か、もしくは合間に取る休憩中などだ。少なくともこれではまともな睡眠など出来るはずがないし、まさか不寝番をした者のために馬車などを用意するわけにもいかない。そんな物を部隊に組み込んで移動中に接敵をしたら邪魔にしかならないし、敵にとってはいい的になるからだ。



「しかし、私達が命を懸けて兵を削ろうとしている相手の士気の原因が、不寝番の免除のためだったなどと……我々を馬鹿にするにも程がある!」



相手の士気の高さの原因を知り、一番に憤慨しているのは甘寧だった。こっちは奪われた祖国を取り戻すために死に物狂いで戦いを挑んでいるというのに、魏軍の戦う動機はあまりにも不順すぎた。少なくとも今の魏軍の兵達のやる気は単に自分達がやりたくない仕事を免除してもらう。理由はそれだけなのだ。普通に考えればそれは誉められた事ではない。こちらは祖国を取り戻すため命を懸けて、対する魏軍は単に仕事をサボりたいがため。戦う動機だけで比較するならまだこちらの方が立派と言える。



「それも相手の狙いなのだろう」


「蓮華様!」



そこへ姿を見せたのは部隊を率いて合流してきた孫権だった。彼女の姿を見るなり甘寧は眼を丸くして驚きを露わにした。孫権が魏軍の牽制の任務に出向くという話は聞いていない。何よりこの作戦には地の利があるとはいえ危険も大きいし、華琳が実行に移している作戦のおかげで牽制も上手く行っていないのだ。

だが、彼女も増援としてここへ出向いたのではない。それに綿竹の南方にある平原までの距離ももうそこまで無い。ここまで追い詰められたとなると作戦も変更せざるを得ない。孫権はそれを伝えるためにここまで来たのだ。



「姉様の使いでやって来た。皆、曹操への牽制任務、ご苦労だったな」


「では主力部隊が遂に?」


「ああ。指揮は姉様と冥琳が執る事になった」


「え? ここで雪蓮様と冥琳様ですかぁ?」


「ほお。呉の大将がお出ましとは……本気だな、孫策殿も」


「その通りよ。……穏。お前は本隊に合流し、冥琳の補佐をしろ」


「は~い。けど、ここはどうなるんです?」


「牽制は、穏の隊を私が引き継いで継続する事になる。思春、蜀のお二方、弱輩者ゆえ至らぬ処もあるかと思うが、よろしく頼む」


「蓮華様が!?」


「そんな、危のうございます!」



甘寧の言う事は尤もだろう。地の利はこちらにあるが、相手の士気が高い理由を考えると安心はできない。それどころか孫権が牽制に出ていると知られれば、向こうの攻撃は更に激しさを増す可能性すら考えられる。彼女も孫家の血を受け継ぐ者。呉軍にとってその存在は大きい。故に孫権を討てば呉軍に心理的に大ダメージを確実に与えられるだろう。つまり、呉軍の勢いを失わせる事が出来る。その点を考えればやはり危険でしかないが、孫権の決意は揺るがなかった。



「それは皆も同じ事だろう。ともかく、次の一戦は呉の再起を賭けた戦と言っても過言ではない。私も出来る事に全力を尽くしたいんだ」


「……分かりました。それじゃ、よろしくお願いします」


「穏!」


「引き受けた。穏も、姉様と冥琳を頼むわよ」


「はーい」



孫権と陸遜の間で話が進められ、孫権が魏軍の牽制任務を引き継ぐ事は決定事項となり、甘寧は頭を抱えたい気分だった。呉の再起を賭けた戦のために出来る事をしたいという彼女の気持ちは甘寧も理解できるが、だからといってわざわざこんな危険な役目を自分から買って出る必要など無いと言いたかった。

だが孫権本人も譲る様子がない。こうなっては孫策率いる本隊と合流するまでの間、何が何でも孫権を護り抜く。今の甘寧に出来る事はそれだけなのだ。


………


……



その翌日。蜀と呉の牽制部隊はいつも通りの行動方針には違いないが、主力部隊との合流、つまり撤退しながら牽制という方針に変更されたので攻撃の手はいつものと比較すると激しさがあまり無かった。そのおかげで魏軍の進撃はいつもより容易に進み、狭い山道をようやく抜け出し、稟が述べていた綿竹の南方にある平原まで辿り着いた。華琳はすぐさま各部隊に指示を飛ばして全軍を展開して斥候を放って情報収集にあたり、斥候が持ち帰った情報の整理に桂花、稟、風の三軍師が本陣内で行っていた。



「風。斥候の報告は?」


「敵の本隊はこちらの想定した位置に部隊を展開していますね―。孫家の牙門旗がある事から、大将は孫策さんでしょう。紅蓮の周旗や孫の旗も見受けられますから、周公謹と孫権さんも戦場に出ているかと」


「その他には、甘や周旗があり、呉の主要な将が脇を固めている事が見て取れます」



桂花の問いに風が答え、不足分の情報を稟が補足。相手部隊の大将が孫策であるのはもちろんの事、それに加えて呉を支えてきた天才軍師である周瑜。呉軍の主力の将兵が勢揃いである。向こうは生き残りの兵達を全てかき集めて総動員した大部隊。まさに総力戦を挑むつもりで居るのだ。

だがこれはあくまで呉軍内での事情でしかない。華琳から言わせれば相手は全戦力を集結していると考えていないのだ。なぜなら、この場に姿が見当たらない将兵達が居るからだ。その疑問を華琳は稟に投げかけた。



「ふむ……孫呉の雪辱戦というわけね。敵陣の更に後方はどう? 劉備が控えていない?」


「後方に斥候を数人放ってみましたが、残念ながら居ないようです。先刻までの牽制にも五虎将の姿は見ませんでしたし……やはり、成都での最終決戦に力を温存しているのでしょう」


「さて、華琳。相手はこっちの想定通りの位置に居る。やるべき事は……?」


「無論、正面から力で叩き潰すのみよ」


「……それが覇者たるものとしての振る舞いだからか?」


「そう。零治、戦には二通りの戦があるのよ。策を弄して良い戦と、弄してはならない戦がね」


「ふ~ん……」



華琳の言葉に零治は感心したように鼻を鳴らすが、彼の心にそんな感情は微塵も無い。それについては零治の表情が物語っている。彼は無関心な表情で前方に展開している孫策率いる呉軍に眼を向けているだけで、何を考えているのか読み取る事もできない。その姿が癪に障ったのか、春蘭や桂花は無言で険しい表情を向けているし、稟と風も空気を読めていないのかと視線で訴えかけていた。今は大事な戦の直前。こんな時に余計な諍いを起こすのはよろしくないと思い、華琳が春蘭達の心境を代弁する事にした。



「どうしたの。何か言いたい事でもあるの? 零治」


「いや、別に。これは価値観の違いから来ている感情だ。お前のやり方を否定しているわけではない。が、理解もできない。それだけだ」


「理解できないとはどういう意味なの?」


「……言えばケンカになると思うぞ。特に春蘭と桂花は今にも食って掛かりそうだしな」


「私は気にしないわ。それに貴方の価値観の違いから来ている意見には興味があるから聞かせて。……春蘭、桂花。今から零治が何を言おうと決して怒ってはダメよ。もしも怒ったら……この一戦の後に厳しいお仕置きをしてあげるからね」


「……御意」


「……承知しました」


「さっ、これで問題無いわよ」


「やれやれ……」



零治は呆れたように溜め息を一つ吐いた。正直こんな話は今じゃなくても出来る程度の内容なのだ。だが華琳は一度気になりだした事はすぐに知りたがる傾向にある。それは平時だろうが戦だろうが変わらない。特に今回は零治の意見。しかも内容はこの世界に合わせたものではなく、彼個人のモノだ。未来で生きていた零治にとってこの戦は、そして今の自分の戦う姿はどのように見えているのか気になるのである。

それについては零治も理解しているし、この様子では何を言っても無駄だ。解決策は自分が今抱いている感情をありのまま言葉にして伝える以外にない。零治は前方の呉軍に視線を向けたまま、抑揚の無い声で淡々と語り始めた。



「華琳。お前はさっき、戦には二つの戦があり、策を弄して良い戦と弄してはならない戦があると言ったな。そして今回の戦は後者の戦になる」


「ええ」


「それは覇者として振る舞い、この大陸の歴史にお前の名を轟かせ、歴史に名を残すため。要するに完璧なる勝利を目指す……と、解釈して良いのか?」


「そうね」


「そこがオレには理解できない」


「何ですって?」


「オレから言わせれば戦いなど形式が何であれ、ただの殺し合いって程度にしか認識できない。つまり泥試合なのさ。『オレにとって』はな……」


「ふむ」


「戦いに勝とうが敗けようが眼前に広がるは血生臭い戦争の爪痕だけだ。そんなものしか残らない戦いに完璧など求めて、何の意味があるってんだ?」


「音無っ! 貴様ぁ!」



零治の言葉に遂に我慢の限界を感じたのだろう。春蘭は声を荒げて彼に詰め寄り、右手を伸ばして胸ぐらを思い切り掴んだのだ。今の春蘭にとって、零治の言葉の一つ一つが敬愛する華琳を侮辱しているようにしか聞こえない。だからこそ、彼女は華琳が釘を刺していた事も忘れてしまい、怒りを露わにしたのだ。



「春蘭! やめなさいっ! 私がさっき言った事を忘れたの!」


「しかし華琳様っ! 今回ばかりは華琳様のお言葉でも我慢なりません!」


「私も春蘭に同意見ですっ! 音無! あんたは華琳様に、この大陸の歴史に汚点を残せとでも言うつもりなの!?」


「零治殿。貴方もこの世界に来て随分時間が経っています。今更こちらの世界の流儀が解らない訳ではないでしょう?」


「お兄さんの言いたい事、風は何となく分かりますがー、皆さんが仰る通り風達の世界ではこれが普通なのですよ。何より、風達が仕えている華琳様が歴史に汚点を残すなどあってはならないのですよー」



春蘭に続いて桂花も声を荒げ、稟と風は怒りを露わにこそしてはいないが零治の言動を非難する言葉を投げかけた。零治はこうなる事が予測できていたから言えばケンカになると華琳に言い聞かせたのに、本人は気にしないから聞かせてほしいと言い、自分の考えを述べた結果がこの有様である。

稟と風は怒りを見せていないから口論にはならないだろうが、春蘭と桂花はそうもいかなそうだ。春蘭に至っては掴みかかってきてるのだ。おまけに桂花と揃って制止の言葉にも耳を貸そうとしない。となると自分で止める以外に方法は無い。それもできるだけ穏便にだ。ただでさえ今の零治には問題が山積みなのに、そこへ新たな問題が舞い込んでくる。自分にも責任があるとはいえ、面倒事とは常に起きてほしくない時に起きるのだと零治は痛感しつつ、春蘭の顔を正面から無表情で見据えて、彼女の右手首にそっと自分の右手を伸ばして口を開いた。



「おい、春蘭。この手を離せよ。服が伸びちまうだろ」


「貴様がさっき言った言葉を取り消したら離してやるさ」


「オレは華琳の問いかけに対して自分の考えを述べただけだ。少なくともお前に取り消せと言われる筋合いは無い」


「貴様ぁ……」


「おい。マジで離せよ……」


「…………」


「……春蘭。今は大事な戦の最中だ。それはお前も分かるよな?」


「ああ……」


「あぁ、良かった。そこまで分からなくなるほど頭に血が昇ってるわけでもなさそうだな。ならオレが何を言わんとしてるかも当然分かるよなぁ……?」



零治が何を言いたいのか、それについては流石の春蘭も理解している。この大事な戦の最中に魏の首脳陣同士が言い争っている姿を見て、事情を知らなければ同じ首脳陣の人間も何事かと思うだろうし、それ以上に一般の兵士達が見れば間違いなく余計な不安を与えてしまうだろう。ここに到着するまで、兵士達の士気は最高潮を保ちながらほぼ無傷の状態で快進撃だったのだ。この状態を維持しながら目の前の呉軍を討ち倒すのが、華琳がいま最も理想としている戦。このままではそれをブチ壊しにしてしまうと零治は言いたいのである。



「こんな所を兵に見られて話が伝わったら各部隊に余計な動揺を与えかねん。そうなれば当然士気もガタ落ちだ。……それによぉ、お前が手を離さないっていうんなら……オレはお前をぶん殴るって強硬手段を取るかもしれん。出来ればオレもそれだけはしたくないんでな」


「…………」



零治はやると言ったら本当にやる人物だ。それに彼の言い分も春蘭は理解できた。相手の軍勢に対していくら数で圧倒しているといっても、兵達の士気が高いのと余計な不安を与えて低下しているとでは結果に大きな違いが出てくる。何よりここはまだ終着点ではない。蜀の首都である成都まではまだまだ遠い。そこに辿り着く前にここで大きな損害を受けては勝てる決戦も勝てなくなってしまう。そんな事は春蘭も望んではいないのだ。ここは兵達に余計な動揺を与えまいと、彼女は無言で自制心を働かせてようやく零治の胸ぐらから手を離したので、彼は乱れた衣服をただし、コートの下からタバコを一本取り出して火を点け、呉軍が控えている前線に眼を向けながら煙を浮かした。



「音無。お前はなぜこのような時にそんな事を言った。ここまで来て……お前は華琳様の生き様を否定するというのか」


「フー―……。勘違いするな。オレは華琳のやり方を否定はしていない。ただ価値観の違いから理解できない事がある、それだけだ」


「何が理解できないと言うのだ! 貴様は……この大陸の歴史に華琳様の名を残す事の重要性が分からないというのか!」


「確かに『この世界の』人間にとって、主が歴史に名を残すのは誇らしい事だろうよ。だがオレの感覚だとそこに拘る理由が分からん。言うなればお前らはこの大陸に華琳の、いや……『曹孟徳の歴史』を残したいわけだろ?」


「そうよ。蜀との決戦は、ただ勝てば良いのではない。完璧なる勝利を収め、華琳様の勇猛さをこの大陸中に轟かせ、そして歴史として残す。それこそが我が国である魏の、そして華琳様の強さへと繋がり、ひいてはこの大陸を護る事にもなるのよ。まあ、こんな時に空気を読まない発言をするあんたのオツムじゃ理解できないのでしょうけれどね」



と、零治の見解に桂花が頷きつつも最後の最後でいつもの毒づきを付け加えた。蜀との最終決戦にはこういう思惑も確かにある。ただ勝ってそれで全てが終わるわけではない。戦後は戦争の爪痕が残ってる各地の復興などとやる事は山積み状態。そしてこの大陸に本当の平穏が訪れたとしても、その平穏もいつまでも続くとは限らない。大陸内でまた争いが起きる可能性はいくらでもあるし、大陸外からの外敵が現れる事もあり得るのだ。それを少しでも避けるために、この三国志の時代に終止符を打ち、華琳の名を轟かせて大陸中に知らしめる。だからこそ完璧なる勝利を収めた戦いが重要視されているのだ。

もちろん零治もそれは理解できる。国を護る手段とは国力や武力だけに限らず、過去の偉業もその国の、その国を治める統治者の力として認識されるだろう。しかしそれがいつまでも続くわけがない。彼はその点を知っているからこそ、桂花の毒づきも無視し、侮蔑の視線を向けているのだろう。



「フッ。桂花。お前の言い分はオレも分かるが……お前はちと視野が狭いようだな」


「なんですってぇっ!」


「確かにお前の言う華琳の強さを示した歴史はこの大陸を、内部の敵だけでなく外敵からも護る力になってくれるだろうよ。だがまさかとは思うが……それがいつまでも続くなんて考えちゃいないだろうな?」


「……何が言いたいのよ」


「蜀との決戦に勝ってこの大陸を統一して、『お前らの世代』が平和を維持し、『曹孟徳の歴史』と共にこの大陸を護り続けたとしてもだ……『その後の世代』は、果たして同じように維持できるのか?」


「出来るわよ。そのために私達が後進を育成する。当然でしょう」


「あぁ、確かにそうかもな。だが更にその後の世代はどうだ? お前らだっていつまでも生きていられるわけじゃない。お前らが育てた後進が先達から教わった事をのちの世代に正しく伝えられる保証も無いし、優秀な人材から同じ能力を持った人間が生まれるはずもない。そんな事は稀にしか起こらん」



零治の的を射た言葉を前に、桂花、稟、風の三軍師は何一つ言い返せないし、華琳でさえも何も言えなかった。何より彼女は、零治が言った最後の言葉には思い当たる節があった。それは呉との最初の戦いで孫尚香と交わした舌戦での事だった。なぜか内容はいつしか胸の大きさを競うような言い合いになっていたが、まあそれは置いておくとしてだ、華琳が思い当たる節のある言葉。それは孫尚香に向かって、足の速い馬から、常に足の速い馬が生まれるわけではない。こう言ったのだ。零治の今の姿は価値観の違いから来ているものと聞かされたが、華琳は本当は自分と価値観が同じ、あるいは近いのかもしれないと思いつつ彼の言葉に耳を傾け続けた。



「何より、お前らが築き上げた『曹孟徳の歴史』を、お前達と同じ価値観で見る人間は主に自国の人間に限定される。他国の人間が同じように見るかと言われると、十人中十人全員がそうする可能性は低い。それに……時代が進めば人間ってのは考え方や価値観が変わるものだ。オレみたいにな……」


「ならばその価値観を共有すれば済む話じゃない。この大陸を統一した後、蜀と呉にも広めれば良いのよ。私達の価値観をね」


「価値観とは個人個人が自分の手で作り上げるものだ。誰かに与えられたり、強制されるべきものじゃない。そんな事をすれば反発を生むだけだぞ……」


「ぐっ……!」



桂花は零治の鋭い指摘の前に忌々しげに歯ぎしりをし、何も言えなくなってしまった。口で負けるつもりなど毛頭無かったのに、結果は見ての通り惨敗だ。桂花自身はこの場で零治を口で負かし、敬愛する華琳の前で恥をかかせてやろうと目論んでいたのだが、逆に自分が恥をかく羽目になってしまい、その表情はますます険しくなった。少なくとも今の零治に正攻法の討論をしても勝ち目はない。それを知ってか知らずでなのか、今度は風が口を開いた。



「ではー、お兄さんはどうしたいのですかー? まさか華琳様にこの大陸の歴史に汚点を残すような戦いでもしろとでも言うのでしょうかー」


「そうは言わん。言っただろ。華琳のやり方を否定はしないと。ただ理解できない事があるだけだ」


「何が理解できないのでしょうかー。確かにお兄さんが先程桂花ちゃんに言ったように、華琳様の歴史の守護は万能ではないので永遠に続かない事は風も分かりますよー。ですが戦後の平和が少しでも維持できるように、華琳様の名を大陸中に知らしめるのはとても大事な事なのですよー? お兄さんはそれが分からないのですかー?」


「それは分かるさ。だが……この先の未来で人々が何をするかをオレはある程度は知っている。だからそうまでして完璧な勝利を求め、歴史に名を残そうとする感覚がオレには理解できない。いや、無意味にすら感じている……」


「お兄さんの価値観の違いからですかー?」


「そういう事だ」


「ふむ。では零治殿。貴方に質問があります」


「何だよ? 稟」



風に続いて今度は稟が零治に質問を投げかける。彼女も横で話を聞いていて思考を巡らせていた。真っ向から討論を繰り返してもそれでは桂花の二の舞いにしかならない。ならば正面から零治に自分達がしようとしている事の重要性を説くのではなく、逆にこちらが彼の言う価値観の違いを理解する努力をしてみようではないかという結論に達したのだ。現に今の会話では零治の中にある価値観の違いについてそこまで詳しく聞かされてはいない。この点を彼から聞き出し、そこからこの険悪な空気を改善する糸口を掴む。それが稟の考えなのである。



「先程から言っている、貴方と私達の価値観の違い。その違いをもう少し詳しく聞かせてもらいたいのです」


「……そう言われてもな。オレもこの世界の人間の価値観については何となくって程度にしか認識できていない。具体的な説明は難しいのだが」


「では質問を変えましょう。貴方は先程、私達が華琳様の歴史をこの大陸に残そうとしている事を無意味にすら感じると言いました。なぜそう思うのです」


「それはこの世に存在する生き物の中で、『人間』ってのが最も異常な生き物だと思ってるからだろうな……」


「……異常とはどういう意味なのですか?」



零治の意味深な言葉に、稟を始めに華琳達は困惑の表情を浮かべざるを得なかった。人間が異常に思える。彼女達も異常の言葉の意味は当然分かる。兵士が何かしらの理由で錯乱し、精神に異常をきたす。そんな光景は戦場ではままある事なので、華琳達も何度かそういう人間を見てきた経験がある。だが零治はそういう意味で言っているわけでないのだ。



「そうだなぁ……ならば稟。お前に一つ質問だ」


「何ですか?」


「お前はこの大陸に生きる全ての人間は正常だと思うか?」


「全て、ですか。……それは善悪を問わずにという事でしょうか」


「そこは好きに解釈してくれて構わん」


「ふむ……」



零治が提示した線引は少し曖昧だが、答えを出す事はさほど難しくはないと稟は考えている。彼女は右手を顎の下に添えて地面と睨めっこしながら考える仕草をし、思考を巡らせるが彼女の中では既に答えは出ている。稟は華琳に仕える前は風と共にこの大陸を旅しながら渡り歩き、見聞を広めている。だから彼女にはどういう人間げ正常でどういう人間が異常なのか、自分なりの考えがあるのだ。稟はその考えを聞かせるべく零治に視線を戻し、口を開いた。



「少なくとも私は、この大陸の人間全てが異常とは思えませんね。まあ、野盗や盗賊などといった賊の輩は正常とも思いませんが」


「なるほど。なぜそう思う?」


「連中の中には生活苦からそういった行為に走った者も少なからず居るかもしれません。ですがそれでも彼らの行為は許される事ではない。いわば人の道を踏み外した外道。盗みだけならまだしも、そのために人を殺めるなど言語道断です。外道に堕ちた連中に関しては、私は人として正常ではないと考えていますが」


「ふむ。確かにオレもそれについては同意見だ。だが……」


「零治殿は考え方が違うと?」


「ああ。言ったろ? オレは『全て』の人間が異常だと思ってると。そこには善も悪も関係ない」


「それはどういう意味です」


「例に上げるなら、今のこの大陸の現状が一番説明しやすいな。……稟。お前達が戦う理由、それは主君である華琳に天下を掴ませる。それと同時にこの大陸に平和をもたらすため。この大陸に生きる全ての人々がそれを望んでいるからだろ?」


「ええ。その通りです」



零治の問に稟は彼を正面から見据えながら力強く頷いた。三国志の時代に突入する前から存在していた他国は分からないが、少なくとも魏、蜀、呉の三国は零治が稟に投げかけた問の内容が該当する理由で戦っている。各々細かい野心などはあるだろうが、その点を省いてざっくばらんに纏めるとこの内容で間違いはないだろうし、零治もその理由については否定する気は無い。だが彼が全ての人間が異常と思っている理由はその先にあるのだ。



「だが、平和を勝ち取ってもそれは永遠には続かない。なぜなら……その平和をブチ壊すのも、また『人』だからな……」


「えっ?」


「おかしいと思わないか? 世の中が戦火に包まれたらその事を嘆き、平和を渇望するのは『人』だ。だがいざ平和になれば、その事にあぐらをかいてあれだけ渇望していた平和を自分達の手でブチ壊してまた同じ事を繰り返すのも『人』だ。野生動物は決してそんな事はしない。これを異常と言わずして何と言うんだ……?」


「そ、それは……」



流石の稟もこれには反論の余地も無い。零治がいま言った事は紛れもない事実だからだ。大きな戦が起こる前は野盗や盗賊の集団が周辺の村々などを襲い、金品や食料などを奪い盗られて荒れ果てた場所を彼女は旅をしていた時にいくつも見ていた。これはまさしく人の業だ。次に起きたのが黄巾の乱である。これにはその気が無かったにしても張三姉妹にも責任はあったが、一番問題を起こしていたのは彼女達の熱に当てられていた熱狂的なファンである。張三姉妹のトークをそのままの意味で解釈して彼らは騒ぎを起こし、しかもその騒ぎに乗じて周辺の盗賊などがドサクサに紛れて火事場泥棒をする事態にまで発展して朝廷に眼を付けられ、討伐の任が華琳達に下されるに至った。これは国同士の争いではないのでそこまで大規模ではないにしても、火事場泥棒を行っていた野盗や盗賊のおかげで平和が脅かされたのは事実だ。これも人の業と言えよう。そこから更に起きたのが一部の諸侯達の権力争いによって起きた反董卓連合。これを皮切りに朝廷は力を失い、大陸は群雄割拠の時代へと突入し、力の無い諸侯達は次々と脱落し今やこの大陸は三国志の時代にまで来ている。今まで大陸で起きたこれらの出来事は全て人の手によって引き起こされている。まさしく零治の言う通り、大陸の平和は善悪を問わず人の手によって破壊されているのだ。



「ふんっ。音無、確かにあんたの今の話を聞いた限りじゃ、人は異常な存在かもしれないわね。だけど言わせてもらうけど、あんたがさっきこの私に言った視野が狭いという台詞、そっくりそのままお返ししてやるわ」


「ほお……?」


「あんたの言う通り、大陸の平和は確かに人の手によって破壊されてるわ。だけどそれは袁紹や袁術などといった己の力量も弁えない愚かな俗物の諸侯が存在していたからよ。なのにあんたは私や華琳様も含めた全ての人を異常視している」


「…………」


「馬鹿にしないでもらいたいわね。この私や、ましてや華琳様があんな俗物達と同じ過ちを犯すはずがないじゃない。音無、あんたは人を見る眼が無さすぎよ。節穴と言ってもいいくらいだわ」


「……ククク」



横から桂花が口を挟んできて、今度こそ零治を論破して恥をかかせてやろうと思いながら全ての人が異常と思っているという持論の弱点を突いてきた。この大陸の平和が人の手によって破壊されている点は桂花も認めざるをえないだろう。だが彼女から言わせれば、それは袁紹や袁術、その他諸々の己の力量も弁えずに分不相応な野心を抱いた野心家達が存在していたからというのが桂花の言い分だ。確かにこれはそう言えるだろう。反董卓連合はまさにその典型である。しかし、零治の理屈では自分達や華琳さえもその異常者の中に含まれている。が、どう考えてもあの華琳が袁紹や袁術などのような輩と同じ愚行をするわけがない。それどころかあの二人と同列視されている事に、桂花は強い不快感を露わにしながら零治を睨みつけて自らの考えを言い聞かせた。なのに当の本人は桂花に余裕の笑みを浮かべながら冷笑しているだけに留めていた。



「音無、何がおかしいのよ」


「桂花。やはりお前は視野が狭いな。オレが言ってる人間の異常性は、何も平和を破壊する行為だけに限った話じゃないんだぜ?」


「……言ってみなさいよ。どうせ大した内容じゃないのでしょうけれどね」


「そうかぁ? では言わせてもらおう。……桂花、お前は軍師だ。平時は華琳の政務を補佐し、戦場では魏を勝利に導くために戦局を自軍へ有利にするために策を張り巡らせ、戦場を操る者の一人」


「あら。あんたにしては珍しくまともな意見が出てきたわね」


「お前は軍師として己の知勇に誇りを抱いている。だから自分の考えた策が成功し、戦局が有利に傾く事は即ち、敬愛する主君である華琳に勝利を捧げる事に繋がる。お前にとってこれは最上の喜びだろう?」


「ええ。その通りよ。それこそが軍師である私の役目なんだから。ちゃんと分かってるじゃない。特別にさっき言った節穴は取り消してあげるわ」



桂花にしては珍しく、零治に吐いた悪態を取り消すなどと言い出した。大の男嫌いである彼女だが、桂花も自分なりに零治の事を認めてはいる。彼の力があったからこそ乗り切れた難局がいくつもあり現在に至っているのだ。だからなのだろうか。相手が零治でも、誉められても悪い気分はあまりしない様子だ。当の本人はもう充分だと思っているのだろうが、まだ零治の話は終わってなどいない。彼は表情に影を落としながら言葉を続けた。



「だが戦局が有利に傾き、自分が何重にも張り巡らせている策が全て巧く行っていた時……お前、たまにこういう感覚を感じた事がないか? ……『まるで象棋しょうぎを指しているみたいに面白いほど戦況が有利になっていく』。それに快感を覚えた事があるんじゃないか……?」


「なっ!?」


「稟、風。お前らはどうだ? そういう感覚に憶えは無いのか……?」


「そ、それはその……」


「むむむー」



零治の問に、稟も風も困惑の表情を浮かべながら言い淀んで言葉に詰まってしまった。それもそのはず、桂花も稟も、そして風も零治の今の問いかけに対して思い当たる節があったからだ。軍師とは知略を駆使し、戦場に策を張り巡らせて敵を罠に陥れ、戦局を影から支える縁の下の力持ち的な存在だ。武人がその武勇で周囲に自らの力を誇示するように、軍師は知略でその力を誇示する。戦場に何重にも張り巡らせた策の全てに敵がかかり、戦局が面白いほど自軍に有利に傾けばそれは気分がいい事だろう。己が仕える主君、そして迫り来る敵達にその知勇を印象づける事ができれば嬉しいに決まっている。そして先程、零治が言ったようにこの三軍師は、まるで象棋を指しているみたいな感覚を感じた経験が毎回ではないにしても少なからずあるのだ。その感覚を、零治は戦いに喜びを覚えていると言いたいのだろう。



「フッ。そんな顔をするなよ。別にオレはお前達を責めている訳じゃない。軍師ならばそういう感覚を感じるのはごく普通の事だ。だが軍師とか武人とかそんなのは関係無しに、一人の『人間』として見たらどうだ? それは正常な人間の反応とは言い難くないか……」


「ぐっ! そ、それは……」


「…………」


「むぅ。悔しいですが反論の余地がありませんね―」



図星を突かれてしまっては何を言った所で無意味でしか無い。魏の頭脳とも言える三軍師はものの見事に零治に完全に言い負かされてしまった。桂花、稟、風の三人が揃って口で負ける光景など滅多に見れるものではない。そういう意味でも、横でその光景を見ていた華琳は零治に話をさせて良かったと思えている。それと同時に考えさせられもした。この大陸に渦巻く戦乱に終止符を打った後、その平和を維持していく困難さを。それ自体は彼女も容易ではない事ぐらい最初から分かっている。だが零治の話を耳にし、改めて思い知らされた。人は同じ過ちを繰り返している。過去の歴史がそれを証明している。ただ平和を維持するのではなく、同じ過ちを繰り返させない。これこそが、人という種族の一番の課題なのだと。



「過去も未来の歴史も、ある意味人間の異常性から生み出されていると言っても過言ではない。戦争の歴史はその典型。多くの人の屍の山を築き上げ、そこから創られる。お前らが創ろうとしている華琳の歴史もその一つだ……」


「ふふっ。それもまた、乱世の奸雄として相応しい歴史なのかもしれないわね」


「華琳様っ! 華琳様は音無の言う事を認めるというのですかっ!」


「あら桂花。ついさっきその零治に貴方は稟、風と共に見事に言い負かされたじゃないの。なのに貴方にはまだ反論の余地があるのかしら?」


「それは……」


「ならば黙って彼の言葉に耳を傾けなさい。今から零治が言おうとしている事は、この大陸の今後のための教訓となるはずよ」



華琳も始めは零治の中にある価値観の違い、それが知れる程度だと思って話をさせたのだが、話は予想以上に大きく発展し、しかも魏の頭脳である三軍師が零治に言い負かされるという珍しい光景を見る事もできた。これは彼女にとって大きな収穫だ。しかも零治が言おうとしている事は聞き手によっては不愉快に感じる内容だろうが、それでも今後の大陸の未来を築く上で良い教訓となる。華琳はそう思いながら零治の言葉に耳を傾けた。



「別に殺した相手の顔までいちいち憶えろとは言わん。だが忘れるな。お前達が創ろうとしている歴史には、敵味方を問わず多くの戦死者達が存在している。そして彼らは、彼らの遺族達は忘れないだろう。オレやお前達がしてきた事を……」


「…………」


「そしてその遺された者達の中に、必ず平和をブチ壊す輩は現れる。あるいは、遠い未来でお前達が創ろうとしている歴史を間違って解釈し、お前らの生きた証に泥を塗る奴とかな……」


「遠い未来で? ……零治。もしかしてそれは歴史家だったりする?」


「まあな。人間ってのは人によって物事の捉え方は様々だ。必ずしもその歴史に対して良い印象を抱くとは限らん。ひでぇ奴は曲解したり、歴史を捏造したりするクズも居る。これも人間ならではの異常性が成す業だろうな」


「なるほど。貴方が言っていた、歴史を残すのが無意味と感じる理由はそういう事だったのね」


「ああ。未来で得たこの時代の歴史の情報を利用しておいて言えた義理じゃないが、オレは歴史家という人種の言葉を基本的に信用していない。どれだけそいつが優れた知識を駆使して過去の資料を元にその時代の歴史を紐解こうが、その時代の歴史の真実は当事者にしか分からん。当事者でもない歴史家が何を言った所で、オレには薄っぺらな嘘にしか聞こえないのさ……」


「…………」


「まあ今のは極論だが、曲解や捏造があるのは事実だ。それは憶えておけ。……長話しすぎたな。そろそろ配置につかせてもらう」



これだけ聞かせれば充分だろう。自分が抱いている価値観の違い、華琳達もよく理解できたはず。何より敵部隊を目の前にしていつまでもダラダラと長話をしていても良い事など何一つ無い。いい加減戦闘配置につくべきだろう。眼前に立ち塞がる呉軍を叩き潰し、後は蜀の成都を目指すのみなのだ。



「零治」


「ん?」



コートをなびかせ、どこか悔しげな表情をしている桂花達には眼もくれずに自分の持ち場に移動しようと歩き始めた零治の背に向かって華琳は静かに声をかけてきた。彼はその場で足を止め、何事かと彼女の方へと振り返り視線を交わす。おおかた、桂花や春蘭同様に自分が言った価値観の違いについてから広がった話の内容に文句でもあるのだろうと零治は思い、内心ウンザリしながら華琳が発する言葉を待っていたが、彼女の口から出てきた言葉は思いもよらぬものだった。



「零治。今の話を聞いて、貴方が抱いている価値観の違い、それがよく理解できたわ。人が持っている異常性とやらもね」


「…………」


「でも、私達が創ろうとしている歴史は決して無意味なものにはさせない。蜀との決戦に勝ち、その先の未来で証明してみせる。そしてその輝かしい未来を見せて、この私が貴方に新しい価値観を持たせてあげるわ」


「フフフ。大きく出たな。なら華琳。その代わりと言っては何だが、お前が描く未来の為に一つ我儘を聞いてもらおうか」


「いいでしょう。言ってみなさい」


「この一戦、孫策の相手はオレがする。それと、亜弥達は本陣で待機させろ」


「なっ!? 音無っ! 貴様、いくらなんでも自分勝手すぎるぞ!」


「黙れよ春蘭。奴はオレとの闘いを望んでいるんだ。赤壁では結局お預けになってしまったからな。ここいらで孫策の望みを叶えてやりたいのさ」


「いいわ。許可しましょう。ただ、貴方は前に出て亜弥達を本陣で待機させるのは腑に落ちないわね。何か理由があるの?」



亜弥達を後方で待機させる理由は言うまでもなく、自分達の身体を蝕んでいる体調不良だ。しかもこれは医者にどうこうできるような事でもない。この変調の原因はこの外史の自我が自分達の存在を拒絶し、排除しようとしているから起きている事象なのだ。しかも少しずつ酷くなり始めている。こんな爆弾を抱えた状態で御遣い組全員が前に出るのは危険と零治は考えているのだ。危険という点では彼も同じだが、BDという頼もしいパートナーがあるのだ。これさえあれば、大抵の危険は切り抜けられる。だから零治はこんな状態でも自分から進んで前線に出て、その間に亜弥達を少しでも休ませてあげたいのである。



「オレ達が本当に倒すべき敵は蜀に居るんだ。オレはこの魔導書があるから大抵の危険は余裕で切り抜けられるが、アイツらはそうはいかない。戦場では何が起こるか分からない。こんな所でアイツらに余計な傷を負わせたくないのさ。この左眼みたいにな……」



と、零治は自虐的な笑みを浮かべながら右手で眼帯をしている自分の左眼を指差した。これもまさに様々な不確定要素が絡み合って起きた事。あの時、星、翠、蒲公英の三人を同時に相手し、彼女達の巧みな連携、そして星が予想以上の実力を発揮して負わされた傷だ。こういったケガも零治はBDのおかげで気にする必要も無くなってるが、亜弥達はそうはいかないだろう。もしも彼女達の誰かが零治みたいに眼などを潰されたらこの先で待ち受ける黒狼達と互角に闘うなどほぼ不可能になる。これは零治が考えた言い訳であると同時に本心でもある。ここまで来た以上、華琳達に敗けられない相手が居るように、零治達にも敗ける事の許されない敵が居るのだ。



「分かったわ。だけど零治。貴方も無茶だけはしないように。貴方には、私が創り上げる未来を見てもらうんだからね」


「……ああ。分かってるさ」



零治はクルリと踵を返して華琳に背を向け、いつも通りの素っ気無い返事をしてゆっくりと歩きだし、配置につくためにその場を去っていく。その際、彼は誰にも聞こえないようにポツリとどこか寂しげに呟いた。



「まあ、オレがお前の創る未来を見る事は無理だけどな……」


「…………」


「華琳様。私は納得できません……」


「あら春蘭。何が納得出来ないというの?」


「音無の先程の言動……私には華琳様の、そして我々の生き様を否定された気がしてならないのです……っ!」



悔しげにワナワナと身体を震わせながら春蘭はいま内に抱えている気持ちを吐露した。本当は彼女も零治に対して反論したい気持ちがあった。しかし桂花、稟、風と魏の頭脳である三軍師がものの見事に論破されてしまったのだ。ならば自分が反論した所で同じ結果にしかならない。だから黙って聞いている事しかできなかった。敬愛する主君である華琳の、自分達の生き様を否定されてる気がしてならず、それを堪えながら零治に言いたい放題言われた自分が情けなく思えたのだ。そんな春蘭の心境を理解しつつも、華琳は呆れたように溜め息を一つ吐いた。



「はぁ~。春蘭。貴方は零治の話をちゃんと聞いていなかったの? 彼は私達のやってる事を別に否定はしてなかったでしょう」


「しかし! 奴のあの言い草は!」


「貴方の気持ちは私も分かるわ。だけどあれは彼の価値観から出された考え。何より零治が全ての物事に対して私達と同じ目線で見ているとは限らない。これは彼だけでなく、全ての人々に対して言える事なのよ」


「…………」


「それに、零治は私達に良い教訓を残してくれたわ。そういう意味でも、私は彼の話を聞いてよかったと思っている」


「奴の先程の言動の中に、教訓となる言葉があったとは私には思えないのですが」



零治の先程の言葉全てに対し、春蘭は良い印象など抱いてはいなかった。だから彼女がこんな反応をするのは分かるし、何より春蘭は口よりも先に身体が動いてしまう質なのだ。だから彼女は零治の言葉に含まれてる意味を理解しようと、視点を変えて考えるまでには至らない。そんな姿の春蘭に内心苦笑しつつ、華琳は零治の言葉の中から見つけ出した教訓を言い聞かせた。



「彼はこう言っていたわね。『時代が進めば人間は考え方や価値観が変わる』、と」


「それが教訓だというのですか?」


「ええ。言い換えればそれは人々の進歩を意味している。時代が進んでもいつまでも同じ考え方に捉われていては、人は停滞しかしないわ」


「進歩と停滞、ですか」


「そう。春蘭、武人である貴方は常に強くありたいと思うわよね?」


「無論です」


「そのためには鍛錬し、己を磨き上げて更なる高みを目指す。それと同じ事よ」


「あっ……」



春蘭にとってこれほど分かりやすい説明は無かった。彼女は通り名である魏武の大剣の名に恥じぬよう強くありたいと願い、日々の自己鍛錬を欠かしていなかった。それは己のため。そして敬愛する華琳の描く理想を実現するために他ならない。この大陸に生きる武人は大勢居る。その強者達全てに打ち勝つためには己を常に高める必要がある。これは即ち進歩と言える。逆に今の自分に満足し、その強さにあぐらをかいて何もしない者に勝利など永遠に訪れはしない。これはまさしく停滞を意味している。それは軍師にも同じ事が言える。時代が進めば様々な変化がある。それは戦いにおいても例外ではない。その変化に常に対処するためには時代に合わせた知識と技術を学ぶ必要がある。零治が残していった言葉は、春蘭達に良い刺激を与えてくれるだろうと華琳は考え、更に言葉を続けた。



「もちろん今の時代の考え方全てが悪いとは言えない。良い所は残し、変えるべき点は変える。それを踏まえた上で時代の流れと共に人々も進歩しなければならないわ。今の現状に満足して停滞していては、その先により良い未来などありはしないのよ」


「それが音無の言っていた言葉の意味、という事なのですか」


「あくまでも私なりに解釈した答えだけれどね。桂花、稟、風。貴方達はどう思っているの?」


「……あの男の言う事を認めるのは癪ですが、華琳様の仰る通りです。時代は常に移り変わり進んでいくもの」


「ですね。四季が訪れて自然の景色が変わるように、時の流れと共に時代が進めばこの大陸の街並みも大きく変わるでしょうね」


「そしてその街に住む人々も変わっていく。風達も例外ではないのですー」


「その結果、その先の未来がどうなるのか。全ては私達次第という事よ。皆も零治の言葉を胸に刻み、見事勝利を収めてみせなさい。この大陸の未来の為に」



華琳の号令のもと、春蘭達も力強く頷いて各持ち場へと移動を始め、華琳は乾いた風が吹き付ける荒野に立ち尽くし、眼前に立ちはだかる呉軍を見つめる。戦いはまだ始まったばかりなのだ。こんな所でつまづく訳にはいかない。ここで今度こそ呉を完全に打ち破り、成都を目指して蜀を討つ。その先にある未来を掴み取るために。そして、その未来を零治と共に歩んでいく。普段は表にこそ出してはいないが、その想いこそが今の華琳が戦う一番の理由なのかもしれない。

作者「うーむ」


零治「何を唸ってんだよ? 考え事か?」


作者「ああ。原作だと思春の奴、魏軍が不寝番免除を理由にやる気を出していたと知り憤慨するシーンで『サボる』を普通に使ってたからさ。どうやって知ったのかと思ってな。一刀は呉に居ないのに」


恭佳「まっ、ぶっちゃけシナリオライターのミスだろ?」


亜弥「でしょうね。『サボる』は現代日本語として定着していますが、元々は『サボタージュ』というフランス語を略した造語ですからね」


奈々瑠「まさに言葉の乱れというやつですね。日本語って本当に難しい言語ですよね」


臥々瑠「確か華琳と風も使ってたよね。『サボる』って単語」


樺憐「まあ、こっちは一刀さんが魏に居るから使っていてもあまり違和感は感じませんわねぇ」


作者「そのせいで担当のシナリオライターも気づかなかったのかもな。それにこれはまだ可愛い方。家庭用ハードの移植版にはもっと致命的なミスがあったからな」


零治「何だよ?」


作者「魏ルートの移植版の追加シナリオに、春蘭と秋蘭が季衣と流琉に入れ替わって季衣と流琉が春蘭と秋蘭になるハチャメチャな話があってよ」


恭佳「あぁ、アレか。中の人の凄さがよく分かる話で面白かったね」


作者「いや、そこは良いんだ。問題はこの話で魏の一般兵が爆弾発言をしていた点だ」


亜弥「爆弾発言? 何を言ってたんです?」


作者「春蘭と秋蘭の中身が季衣と流琉になった後の事なんだが……書類仕事の件で一人の兵士が春蘭と秋蘭の真名を普通に呼んでたんだよ」


奈々瑠「……マジですか?」


作者「マジ」


臥々瑠「うわ~。それは致命的だ」


樺憐「ですわねぇ。その兵士、間違いなく死にますわね。やはり最終チェックは大切という事ですのね」


零治「だってよ。お前も気をつけろよ? 誤字脱字に」


作者「言われなくても分かってますよ……」

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