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第86話 第三の敵

今回のサブタイですが、第一の敵は一刀と桃香率いる蜀。第二は零治達の個人的な敵、黒狼達の事。

そして今回の話に出てくるある人物で第三になるため、サブタイが第三の敵という事になっています。

華琳が橋玄の墓参りのために本国に戻り、一日目が経過した。都での滞在期間は三日。つまり向こうで何事も無ければあと二日間こちらで過ごす事が可能なのだ。なので零治も折角の休暇なので昼下がりの街に繰り出し、人々が行き交いながら賑わう繁華街の通りを一人で練り歩いていた。もちろんこれはボランティアの警邏も兼ねているのだ。



「フッ。ここの街並みを見るのも久しぶりだな。オレが留守の間は何事も無かったようだし、相変わらず平和そうで何よりだ」


「おや? 音無様。いつお戻りになられたんですか?」


「あぁ、昨日の昼間にな。ウチの主君が野暮用があったんで、そのお供としてな」


「そうなのですか。因みにいつまでいらっしゃるご予定なのですか?」


「二日後にはまた戻らなきゃならん。それまではこの細やかな休息を愉しませてもらう予定だ」


「そうですか。あっ、よろしければこの肉まんどうぞ。出来たてですよ。お代は結構ですので」


「おっ、わりぃな」


「いえいえ。いつも街の平和を守ってくださっている感謝の気持ちです」



零治は饅頭屋の店主から熱々の肉まんを受け取り、軽く左手を上げて店主に挨拶をしてその場を後にする。

無償で受け取った肉まんを片手に零治は再び人々で賑わっている街の通りを練り歩き、熱々の肉まんに噛り付いて舌鼓を打ちながら街の平和な光景を目にし、誇らしげな気分になった。

今の街の様子からは想像もつかないが、零治達がこの世界に来る前の魏の街の治安状況は酷いものだった。

まず一番の問題は圧倒的な人手不足である。おまけに街に点在している詰所の数も全然足りていなかったので、有事の際の対処にどうしても後手に回りがちだった。配属された当初はこの問題のせいで眼も回るような忙しさで、安心して休める時間帯なんて就寝の時ぐらいだった。今では優秀な小隊長である凪達が加わり、人手と詰所の数の問題も解決して現在に至っている。今の街のこの光景はまさに零治と亜弥の働きが実を結んだ結果なのだ。



「さて、他も見て回りますかね」



今は感慨に浸る時ではない。少なくとも、蜀との決戦、そして黒狼との決着を着けるまでは。今はこの細やかな休息を愉しめればいい。それだけで充分だと零治は自分に言い聞かせ、他の場所も見て回るために足を進め始めた。


………


……



「ん? そういや流琉から調味料を買い揃えといてくれと頼まれてたんだったな。リストは財布の中に入れてあるし、ついでだからいま済ませちまうか」



ちょうど街に来ているし、いま居る区画は食料品や調味料の類の物を取り扱う店が軒を連ねている通りだ。まだ滞在期間に余裕があるとはいえ蜀がどういう動きを見せるか分からない以上、いつ戻る事になるかも分からない。もしかしたら今日明日に戻る可能性も充分にあり得るのだ。ならばこういうお使いは今の内に済ませておくに越した事はないだろう。



「なら、手近な店から当たって行きますか」



幸いな事に行きつけの店はすぐ近くだった。調味料の類は、零治は一軒の店だけでなく複数軒の店で購入ている。その内の一つがこの近くに店を構えているのだ。流琉が用意してくれたリストを財布から取出し、それを片手に零治は店を目指して足を進め始める。だが……。



「っ!?」



数歩進んだ瞬間に零治は表情を強張らせてその場で足を止める。なぜ止まったかというと、前方に見覚えのあるいや~な人影を見てしまったのだ。幸いまだこちらには気付いていないようだが、このまま進めば間違い無くその人物と鉢合わせしてしまうだろう。



「や、やっぱ向こうの店から回るか……。うん。そうしよう。こっちは後回しだな」


「あらん。そのすらりとした後ろ姿は零治ちゃんじゃないの~ん。こんな所でどうしたの?」



零治がクルリと回れ右をして百八十度方向転換したが、会いたくなかった人物に気付かれて声をかけられ、全身に嫌な寒気が走り、身震いを起こして足を止めてしまった。彼がこんな反応をする相手など一人しか思い浮かばない。そう。零治に声をかけてきたのは貂蝉である。筋骨隆々の人影がこちらに進みより、クネクネとシナを作りながら話すさまは気持ち悪いの一言に尽きる光景である。



「お久しぶりじゃないのぉ。こんな所で奇遇ね。今日は一人でどうしたのよ~ん?」


「…………」



貂蝉が話しかけてきてるのに零治は背を向けたまま俯き、右手で顔を覆いながら何度も首を左右に振り、やれ最悪だのまたこのパターンかよだのとブツブツ独り言を漏らしていた。

そんな彼の様子を知ってか知らずでなのか、通りを行き交う人の眼など気にせずクネクネと身体をくねらせながら猫なで声で零治に話しかけているが、筋骨隆々の肉体の外観に地声が野太いのに猫なで声なんか出されても気持ち悪いだけである。



「ちょっと~、零治ちゃん。無視しないでよ~ん。それ以上無視されちゃうと、あたし泣いちゃうわよん?」


「はぁ~。こんな天下の往来でそんな真似するんじゃねぇ。周りに誤解されたらどうしてくれる……」



人々が行き交う街のど真ん中、しかも真っ昼間からそんな事をされたら住民達からどんな印象を持たれるか分かったものじゃないし、貂蝉が泣く姿など見たくはない。もちろん悪い意味でだ。

零治は諦めたように大きく溜息を一つ吐き、ゆっくりと後ろへ振り返った。



「で? 何の用だ。貂蝉……」


「あら。用が無かったら声をかけちゃいけないのん?」


「お前の場合はオレに用があろうが無かろうが声をかけてほしくないね……」


「もう。相変わらずつれないんだからん♪」



いちいちシナを作りながらリアクションするため、零治の中で怒りの炎が少しずつ燃え盛り始め、その右手は無意識の内にゆっくりと腰に下げている叢雲の柄に伸び始めていた。それどころか彼はこのまま抜刀して貂蝉を不審者として扱い、しょっ引いてやろうかとさえ考えていたのだ。



「ちょっと零治ちゃん? こんな街中でそんな危ない物抜こうとしちゃ駄目よ?」


「……貂蝉。オレは街の警備隊の隊長を務めているんだぞ。街の治安維持のために不審者に質問、場合によっては逮捕するのは当然の義務だろうが」


「あらやだ。あたしを逮捕するの? 一体なんの罪で逮捕されちゃうのかしらん?」


「決まってんだろ。お前は歩くわいせつ物だからわいせつ物陳列罪だ」


「まっ! こんな美人をわいせつ物扱いするだなんて! 零治ちゃんたら酷い! 酷すぎるわっ!」



零治のあまりにも酷い言い草に貂蝉はまるで女の子の様にプリプリと怒りを露わにした。だがそれは零治も同じである。彼の場合、怒りを表にこそ出していないが、貂蝉の真面目なのか冗談なのかいまいち判断に困る反応を前にし、燃え盛る怒りの炎に油が注がれて今にも爆発しそうだったのだ。



「おい。それ以上ふざけるとマジで逮捕するぞ……」


「零治ちゃん。世間一般ではそれを職権乱用って言うのよ?」


「職権乱用? オレの眼が正常ならお前はどこからどう見ても不審者にしか見えんがなぁ……?」



零治は無表情のまま皮肉めいた言葉を貂蝉に投げかけ、侮蔑の視線を向けていた。確かに世間一般の常識で考えると貂蝉は不審者と見られても仕方ない姿だろう。まず服装……というかそもそも服を着てすらいないのだ。だからといって全裸という訳ではないのだが、着用している衣服がピンクのビキニパンツ一丁なのだ。おまけに筋骨隆々の身体つきをしていて、頭はスキンヘッド。もみあげの部分におさげ髪がある異様な姿なのだ。少なくとも一般人から見れば貂蝉はどう見ても普通ではない。



「もう。しばらく見ない間に随分と捻くれた性格になっちゃったわねぇ。お姉さん悲しいわ~」


「誰がお姉さんだ。それにオレは元からこういう性格だ。……で、いい加減に用件を言ってくれないか。オレは暇じゃないんでな」


「別に~。ただ、零治ちゃんの姿が見えたから声をかけただけで、特に用は無いわよん?」


「あぁ、そうかい。ならオレは行かせてもらうぞ。今から買い物しなきゃならんのでな」


「まあそう言わないで少しはお話ししましょうよ~ん。買い物は急ぎじゃないんでしょう?」



流琉から頼まれたお使いは確かに急ぎではないが、かといって悠長に時間をかけれるのかと言われると微妙な所だ。この買い物を急ぐべきかゆっくりとやるべきかは蜀の動き次第なのだ。場合によっては買い物を断念せざるを得ないかもしれないが、その時は事情を説明すれば流琉も分かってくれるだろう。



「はぁ……。少しだけだぞ」


「ありがとねん。じゃあ零治ちゃん、一つ質問なのだけれどぉ、その左眼と左腕、どうしたの?」


「コレか。この前の戦で負傷しただけだ」


「あらそうなの。……う~ん。これならまだ何とかなるかしらん?」



零治の左眼と左腕の事を尋ねるなり、貂蝉は渋面を作って考え込みながら一人でブツブツと何か独り言を漏らしていた。その姿を見るなり、零治は内心で貂蝉と話をしたのはやはり間違いだったのではないかと思い始める。とはいえ、まだ事の全貌を知った訳ではないから何とも言えない。

零治は貂蝉が次の言葉を発するのを無言で待ち続け、やがて考えが纏まったのか、貂蝉は零治に視線を戻す。



「ねえ、零治ちゃん――」


「断る」


「ちょっと。あたしまだ何も言ってないわよ」


「お前の言いたい事はだいたい予想がつくから先手を打たせてもらっただけだ」


「あらあら。ならあたしが何を言おうとしたのか当てれるの?」


「ああ。オレに女装してまた店員をやってくれと言いたいんだろ……」


「あらまあ。ホントに当てられちゃったわ」


「要件はそれだけか。なら話は終わりだ。オレはこれで失礼させてもらうぜ」



貂蝉の話の内容は零治が予想していた通りのものだった。もちろん彼は貂蝉のこんな頼みを受けるつもりなど毛頭無い。ならばこれ以上ここで立ち話をするのも無意味だし、暇じゃないのだ。

零治は早いとこ流琉の頼まれ事のお使いを済ませるために貂蝉の横を素通りして、行きつけの店へ調味料を買い揃えるためにその場を後にしようとする。だが、貂蝉もここで引き下がるわけにはいかない。店の経営は零治を頼りにしなければならない程切迫している訳ではないが、普段の営業と彼が女装をして店員をしてる時とでは売上額が倍以上も違うのだ。商いをする者として少しでも利益を多く出そうとする考えは当然の帰結。

貂蝉は零治の肩に両手を伸ばしてモミモミしながら何とか引き受けてもらおうと、もう一度懇願する。



「あんもう。零治ちゃん。そう言わないでよぉ。ちょっとの間でいいから引き受けてちょうだいよ~ん」


「おい。その手を離せ。ブッた斬られてぇのか……」


「いや~ん。怖いお顔」


「…………」



貂蝉のリアクションに零治の苛立ちは募る一方で、またしてもその右手は無意識の内に叢雲の柄に伸び始めていた。本人としては認めたくないだろうが、貂蝉を前にした時の彼の反応は春蘭の姿に近い。

このままでは零治の怒りが爆発して刃傷沙汰になりかねないだろう。街の治安維持が役目の警備隊の隊長がそんな事件を引き起こしては冗談やシャレでは済まされない。そんな零治の不穏な気配を感じ取ったのか、貂蝉は彼の右手にサッと左手を伸ばしてどうどうとなだめすかした。



「まあまあ。零治ちゃん、そんなに怒らないの。ちゃ~んとお給金は出すから引き受けてよ~ん」


「給金?」



零治は貂蝉の腕を振り払ってそのまま立ち去ろうとしていたが、彼の口から提示された給金という単語を耳にして足を止めた。貂蝉の店で店員をやる事は警備隊の仕事に比べれば肉体的にはかなり楽な部類に入る。

もっとも、二度目の仕事の時は客が大勢押しかけてきて眼も回るような忙しさだったので、あまり楽とは言えないかもしれないが、それでも警備隊の仕事よりは間違い無く楽だろう。それに給料も一日分にしては悪くない額だったのだ。零治は別に金には困っていないが、以前の張三姉妹の慰安コンサートの打ち合わせで痛い出費を喰らっていた。それに流琉から調味料を買い揃えるお使いも頼まれているのだ。まあ、こちらは物を渡す時にお金は返してもらえるだろうが、それでも話自体は悪くないのではないかと零治は思い、ゆっくりと後ろへ振り返り、貂蝉の顔を見上げた。



「おい。ホントに給金は出すんだろうな……?」


「もちろんよん♪ それに前に店員をしてもらった時も、ちゃんと二回ともお給金は出してあげたじゃないのん」


「……いいだろう。引き受けてやる」


「ホントに!? 零治ちゃん! あたし惚れ直しちゃったわん!」


「ええい! 抱きつこうとするな! この筋肉達磨がっ!」



貂蝉が感謝感激の意を露わにしながら抱きつこうとしてきたので、零治は怒鳴り散らしながらあらん限りの力を振り絞って彼を強引に押し退けた。こんな筋肉質な肉体の持ち主に力一杯抱きしめられたら全身の骨が粉々に粉砕してもおかしくない。おまけに場所が場所だ。真っ昼間から人々が行き交う街のど真ん中で筋骨隆々の大男に抱きつかれている姿を周りの人々に見られたらどんな印象を持たれるか分かったものじゃない。それに零治の話はまだ終わってはいない。彼が貂蝉の頼みをこんなすんなりと引き受けるはずが無いのだ。零治は崩れた衣服を整え、貂蝉に向き直って口を開いた。



「ただし、一つ条件がある」


「な~に?」


「今日一日分の給金だが、金額は前回の三倍にしろ」


「ちょっと零治ちゃん。それはいくらなんでも強欲すぎじゃない?」


「あっそ。ならこの話は無しだ。じゃあな」



零治はクルリと踵を返し、再びその場を立ち去ろうとする。彼が貂蝉の頼みを引き受けようと決めた理由がこれだ。素直に貂蝉がこちらの要求を受け入れるのならそれでよし。渋るなら交渉決裂。堂々と彼の頼みを断る事が出来るという訳だ。

せっかく話がいい方向に進みだしたのに、このまま零治に帰られては困る。貂蝉はバタバタと両手を振り回しながら彼をの肩を掴んで呼び止める。



「あぁもう。分かったわよん。三倍払うからそんなつれない事言わないでよん」


「分かりゃいいんだよ。ならお前は先に店に行ってろ。オレは着替えを取りにいったん戻る」


「ええ。分かったわん。それじゃあ今日はよろしくねん」


「それとさっき言った給金の件も忘れるんじゃねぇぞ。ちゃんと払わねぇと、お前の店を跡形も無くブッ壊してやるからな……」


「分かってるわよん。なら、後で店で会いましょうね」



少し予定は狂ってしまったが、零治が頼み事を引き受けてくれたので貂蝉はご機嫌の足取りでその場を後にし、自分の店へと帰って行った。対する零治は少し乗り気ではないが、楽して小遣いが稼げるのだから良しとする事にしたが、まだ問題がある。それは女装する際に左眼と左腕をどうやって隠すかだ。

今の零治はあの時と違い、左眼は負傷し、左腕もBDと融合して異質な物に変貌しているのだ。眼は最悪眼帯で誤魔化すとして、左腕の方が一番の問題だろう。もはや人前に晒す事が出来ないのだ。この問題をどう解決するか、今の彼にとってこれが最重要課題となっている。



「まあ、左眼と左腕の事は適当に考えるか」



とりあえず引き受けた手前、あまり貂蝉を待たせる訳にもいかない。まあ、やる事がやる事なのでそこまで急ぎたくないのが本音だが、給金を三倍額払うように要求しているのだ。金が絡んでいるため必要以上に待たせると後で貂蝉に何を言われるか分からない。場合によっては給金を三倍額払うのを拒否する事も考えられる。頼まれた仕事を終えた後にそんな事態になっては引き受けた意味が無くなる。それだけは避けたいので、零治は早々に女装セットを取りに城へ戻るのだった。


………


……



「…………」



で、城から女装セットを取ってきて貂蝉の店まで来たはいいが、零治は両腕を組みながら裏の事務所の床の上に乱雑に広げてあるゴスロリドレスを前にして頭を悩ませていた。当然ながら貂蝉には店の前に立たせるためにこの場からは追い出している。一緒に居させては何をされるか分かったものじゃないからだ。



「さて、どうするか。流石にコイツを着て左腕にこんなガントレットは身に着けれんぞ」



零治が頭を悩ませている理由はこれだ。左腕のBDをどうやって誤魔化すか。女装した姿でこんなゴツゴツした物を身に付けて店に出る訳にはいかない。女装する以上は狼夏という一般女性を演じねばならないのだ。

一般女性がこんな鎧を身に付けるのは異常だし、店内の客を怯えさせてしまう。それだけじゃない。もしも華琳が話を聞きつけ店に来てガントレット見られたら、間違いなく正体が露見してしまう。それだけは何が何でも避けたいのだが、それなら外せば済む話なのではないかと言われるとそうでもないのだ。

このガントレットは左腕を護ると同時にBDの力を抑えつけるための拘束具の役割があるのだ。拘束具はもう一つあるが、それでは足りないから二重にしているのだ。またいつぞやの暴走を起こすか分からない以上、下手な事は出来ない。ましてやここは街のど真ん中だ。そんな事態になれば収拾がつかなくなる。この状態での女装は、零治にとって今までに無い無理難題である。



「はぁ~。マジでどうしよう。あんま考えてる時間もねぇぞ……」


『おい、相棒』


『あんだよ?』



例の如くBDが念話で通信を送ってきたので、零治も同じく念話で応答した。いつもなら普通に口を使って話すのだが、ここは魏の城内ではないのだ。おまけに店の表には貂蝉が居る。下手な真似をして話し声を聞かれたら後で何を訊かれるか分かったものじゃない。だから用心のためにわざわざ念話で直接会話をしているのだ。



『相棒。お前に女装の趣味があったなんて知らなかったぜ』


『やかましい。そもそもこれは趣味じゃねぇし、色々と事情があるんだ』


『あぁ、そうかい。……まあその話は置いといてだ。女装している間はそのガントレットは外したいんだよな?』


『そうだが……外しても大丈夫なのか? 確かに風呂に入る時はいつも外してるが』


『ずっとは流石に無理だが、短時間なら大丈夫だろ。女装中はその服の上に代わりの簡易的な拘束具を用意してやるよ。服にマッチした違和感の無い奴をな』


『そうか。なら頼むぜ』



解決策があるのならこれ以上悩んで時間を浪費する必要も無い。零治はコートをその辺に脱ぎ捨て、念のため貂蝉が居ないか、覗き見をしていないかも通路を確認するが姿は無い。今のところ身の安全は保障されているようなので、零治は素早く身に付けている衣服を脱いで女装用のコスチュームに着替えて胸に詰め物を入れ、化粧も済ませて最後に右手を喉にあてがい魔法をかけて女の声に変えて軽く発声をした。



「あー。あー。あいうえお。おし、声も完璧だ」



女装を済ませた零治はもう一度店の売り場へと続いている通路へチラリと視線を向ける。貂蝉の姿は無い。今からやる事は普通の現象ではない。決して見られるわけにはいかないのだ。どれだけの時間が掛かるか分からないから早々に済ませた方が良いだろう。



『BD。今の内だ。手早く済ませてくれ』


『おう。任せときな』



着替えは済ませた。後の仕上げはBDの仕事だ。最強にして最凶、不可能を可能にするのが仕事と自ら称するぐらいの魔導書。限定的な拘束具を短時間で創り上げるなどお茶の子さいさいである。

零治の纏っているゴスロリドレスの両袖に深紅に輝く奇妙な形状の文字が連なった光のリングが合計五つずつ浮かび上がり、リングが高速回転を起こすとその位置にバツの形にクロスしたベルトが現れ、独りでに動いて零治の腕に巻きついてきつく締め上げてきたのだ。事を終えたのか、光のリングは粒子となって消滅したので、零治はマジマジと自分の両腕に巻き付いているベルトを見つめた。



『……いつも思うが、お前が用意する拘束具って毎回ベルトだな』


『やかましい。ベルトが一番手早く創れるし、服と組み合わせても違和感が無いから丁度いいんだろうが』


『まあ確かに、ご丁寧に右腕にも用意してくれて左右対称だから違和感は無いな。ちょっとキツイから腕は動かしにくいがよ』


『やれやれ。相変わらず文句の多いご主人様だぜ。所で手はどうすんだよ? 手袋も用意してやろうか?』


『いい。自前のがある。流石に前回みたく、装甲板で固めた物は着けれないからな』



零治は予め用意していた黒い布地の手袋を両手に着用し、なぜか事務所内にある姿見で自分の女装姿におかしな所が無いか入念にチェックをする。化粧は問題無し。付け毛もバッチリ。服装も問題無い。声も女の声に魔法で既に変えてある。後は売り場に出るだけである。



「さ~て。それじゃあ始めますかね」



ここに、貂蝉が営む下着店で働く謎の女性店員。狼夏の勤務、第三幕が始まった。今回は前と違いやむを得ない事情というより、零治本人が小遣い稼ぎのために自分の意思でこの場に来たので、少なくともあの時よりは機嫌は良かった。零治は狼夏として店の売り場へと足を進めていった。


………


……



「待たせたな、貂蝉」


「いいえ。あたしは気にしてないわよん。……う~ん。相変わらず惚れ惚れするような女装姿ねぇん♪」


「お前に褒められてもちっとも嬉しくないな……」


「またそういう事言う。……ん~」



貂蝉は顎に手を添えながら女装姿の零治をマジマジと見つめる。見られてる本人は相手が相手なだけに正直いい気分はしない。というか、そもそもこの姿を知り合いに見せること自体に抵抗があるのだ。本来これは任務で敵地に潜入し、暗殺するべきターゲットに疑われる事なく接近するために培った変装術であり、下着店で店員をするためでは断じてない。いつまでもこの姿を人目に晒したくないし、さっさと用件を済ませたいのが零治の本音だ。彼はギロリと貂蝉を睨み付けて口を開いた。



「何だよ。言いたい事があるんならさっさと言え」


「いえねぇ。その眼帯はやっぱりよくないと思うのよん」


「そうは言うがな、この眼帯の下には刀傷があるんだぞ。この姿で一般の客に傷のある顔を見せる方が問題だろ」


「分かってるわよん。……あっ。そうだわ。狼夏ちゃん。ちょっと待っててねん」



何か思いついたのか、貂蝉は女の子のような歩き方をしながら店の奥へと引っ込んで行った。その後ろ姿を見ていた零治は思わず吐きそうになる。ただでさえ見る者に対して強烈なインパクトを与える姿をしているのに、その姿で女の子のような歩き方をしても気持ち悪いだけである。まだ始めて間もないのに、早くも零治は帰りたい気分になってきた。



「あぁ~。今マジで吐く所だった。やっぱやめとくべきだったかもしれん……」


「狼夏ちゃん。お待たせ。これを使いなさいな」



店の奥から売り場へと戻ってきた貂蝉の右手に黒い帯状の布が握られており、それを零治に差し出した。

零治はその布を手に取り、両手で留め具が付いてる布の両端を持って目の前で広げてみると、その布は一部が鈍角三角形の形状をしていた。これはどう見ても眼帯である。しかもいま使っている物と形状まで同じときている。ただ唯一違う点は、鈍角三角形の部分の布地の表面にどういう訳か白い糸で薔薇の刺繍が描かれているのだ。



「おい。貂蝉、一つ訊きたい事がある」


「な~に?」


「お前の店は女性の下着専門店のはずだよな……?」


「ええ。そうよ」


「ならなぜ眼帯があるんだ。しかも刺繍までされてるしよ……」


「細かい事は気にしないのん。それにほら。その眼帯ならちょっとしたオシャレにも見えるから、お客さんに変な印象を与える心配も無いでしょう?」


「……確かにな。なら使わせてもらうか」



あくまで今の零治は狼夏という名の一般女性を演じているのだ。一般の女性が眼帯をしている姿は異様だし、貂蝉の言う通り客に対して妙な印象を持たれる可能性は充分にあり得る。しかし花の刺繍が入った物なら確かにオシャレで誤魔化す事も出来るかもしれないだろう。ただでさえ目立つ姿なのだ。客に変な噂を立てられ、その話が華琳の耳に入ったら正体がバレる事だって考えられる。ならばその可能性を少しでも減らしておくに越した事はない。零治は身に付けている眼帯を取り外して纏っているドレスのポケットに仕舞い込み、貂蝉から受け取った薔薇の刺繍入りの眼帯を取り付けた。



「う~ん。そっちの方が似合ってるわよん。ねえ。いっその事普段もその眼帯にしたら?」


「冗談じゃない。こういう特殊な眼帯をしている奴なら一人いる。これ以上増やす必要は無い」



零治が言っている人物は春蘭だ。彼女が身に付けてる眼帯は蝶の形をしたかなり特殊な物だ。アレも眼帯としてだけでなく、ちょっとしたオシャレも兼ねて秋蘭チョイスしたのだと思われる。

別に零治は眼帯にそこまで求めてないし、男で花柄の眼帯など着けられない。服ぐらいなら派手でなければ着ていても変じゃないだろうが、花の刺繍が入った眼帯なんかつける男はナルシストぐらいだと彼は思っている。それに普段からこの眼帯を着けていたらそれこそ狼夏の正体が自分だと公言するようなものだ。

それでは何のためにこの場を誤魔化すのか分からなくなる。というか意味が無くなる。貂蝉のこの何気ない発言に、零治は自分の正体をバラすのが目的なのではないかと不信感を抱き始める。

と、その時、店の出入り口の戸が開け放たれ、一人の女性客が来店してきた。



「ほら。早速お客さんよん」


「はいはい。……いらっしゃいませー♪」



貂蝉とのお喋りはここまで。今からは零治ではなく、狼夏という一人の女性を演じねばならないのだ。零治は気持ちを狼夏へと切り替え、来店してきた女性客に視線を向けて営業スマイルを浮かべながら黄色い声で挨拶をし、来店客を出迎えた。



「こんにちは。……あら。久しぶりね」



来店してきたのは零治が店員を一回目に勤めた時に接客をした若い女性客である。零治もこの女性の事は街の警邏をしている時に何度か顔を合わせている。と言っても、挨拶を交わす程度でそこまで親しい訳ではない。だが顔を知られている事に変わりは無い。まあ、一般人が相手なら正体がバレる可能性は低いだろうが、ゼロとは言い切れない。ちょっとした事がきっかけでボロは出てしまうものなのだ。今の零治は、相手が誰であろうとも演技に手を抜くわけにはいかないのだ。もちろん初めから手を抜くつもりも無い。この秘密は、誰にも知られたくないのだから。彼は内なる考えを悟られないように狼夏という一人の女性を徹底して演じる。



「こんにちは。ご無沙汰しております」


「ええ。本当にご無沙汰ね。ねえ、貴方たまにしか見ないけど、もしかして身体が弱いの?」


(いけね。そっちの言い訳は考えて無かったな。さーて。どう誤魔化すか……)



眼帯の事を指摘された時の言い訳は考えているのだが、そっちにばかり気が行ってしまっていたため働いている回数が極端に少ない理由までは考えていなかった。普段の零治ならこの程度のミスなど犯さないのだが、正体を隠し通す事ばかり気にしていた結果がこれだ。黙っていては間が保たないし早い所なにか言い訳をせなばならない。と、その時に後ろから貂蝉が助け船を出してくれたのだ。



「あぁ、実は彼女ね、しばらくの間故郷に戻らなきゃいけない用事があって休んでいたのよ。で、つい先日戻って来たって訳」


「あら。そうだったの」


(ナイスなフォローだ。貂蝉)



貂蝉が出してくれた助け船は言い訳としては無難な内容だし、別に不自然でもなかった。まあ、故郷はどこなのだと訊かれると返答に困ってしまうが、その辺りはまだ簡単に誤魔化せるから問題ないだろう。

ただ、言い訳に使う場所はこの大陸内でなければならないだろう。今の零治はどこからどう見てもこの大陸に住む人間の姿ではないが、かと言ってこの時代の人間にアメリカだのイギリスだのと大陸の外の国名を出しても通じる訳が無い。そういう意味ではやはり訊かれてほしくないのが今の零治の本音である。



「珍しい服装もしているし、やっぱり故郷は遠くにあるの?」


「そうですね。確かの遠いです。辺鄙な田舎ですので」


「あらまあ。それは大変ねぇ」


(ふぅ。よかったぜ。故郷の場所を訊かれなくて)



幸いな事に他愛も無い世間話で済み、零治が懸念していた故郷の場所については特に言及される事は無かった。もしも場所まで訊かれたら、零治はどう答えようかと本気で悩んでいたのだ。だがここまでくれば後な何の問題も無い。ただ狼夏という一人の女性を演じ続け、正体を隠し通せば良いだけの事なのだ。



「ねえ。実はもう一つ気になる事があるんだけど、訊いてもいいかしら?」


「どうぞ」


「その眼帯なんだけれど……もしかして眼を怪我したの?」


「あぁ、コレの事ですか。いいえ。ケガはしていませんよ。これはオシャレで着けているんです」


「おしゃれで……?」


「はい」



貂蝉の言葉のヒントから零治が考えていた眼帯の言い訳がこれだ。オシャレ、つまりこの眼帯はファッションの一部だと言い張るだけ。当然ながらこの世界ではオシャレで眼帯を着用するような事は無い。

現代世界でならコスプレがあるから別に不自然ではないが、この世界ではどう考えても変である。だがそれを言えば零治の今の服装、つまりは狼夏を演じるために着用しているゴスロリドレスも変わった衣服なのだ。この言い訳も案外通用するかもしれないだろう。



「……おしゃれで眼帯を着けるなんて変わってるわね」


「確かにこの国では変かもしれませんね。ですが私の故郷では普通なんですよ?」



零治の故郷、彼が生まれ育った現代世界。確かに現代にはコスプレがあるからコスプレイヤーがコスプレのために眼帯を着用しても別に不自然な点は無いし、コスプレ自体も一種のファッションとしても解釈できる。

だがこの世界の人間を相手にそこまで説明する訳にもいかないし、説明した所で通じるはずが無い。だからこのざっくりした説明で強引に押し通すしかないのである。



「確かに言われてみると、その服装とよく合っているわね。私も真似してみたくなったわ」


「あまりお勧めはしませんよ? 片眼を塞ぐ事になるから遠近感が無くなりますし、慣れてないと道を歩くのも難しいですから」



零治がいま言った事も事実だが、彼にはこの服装を流行らせたくない理由がもう一つあった。それはこの目立つ服装が流行れば華琳にも知られて自分に、つまりは狼夏に結び付けられてしまう可能性である。

というか、この世界にゴスロリドレスを纏った人物など現時点では狼夏に扮した零治以外に存在していない。正体をバラさないために、彼はあらゆる情報源をこの場でシャットアウトする必要があったのだ。



「そうなの? ……う~ん。そう言われてみれば、片眼で道を歩くのは大変かもしれないわね。それにその服も持ってないし。残念だけど真似するのは諦めるわ」


「それがよろしいかと。それで、本日はどういったご用件で?


「あぁ、忘れる所だったわ。新しい下着を買いたいの。何着か見繕ってもらえる?」


「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」



何とか眼帯の事も誤魔化すことに成功した。ここさえ凌いでしまえば後は楽勝だ。狼夏という女性を演じ続けながら接客し、ボロを出さないようにすればいいだけの事。一番の問題点は解決できたのだから零治も一安心し、目の前の女性客の相手に専念するのだった。


………


……



「ありがとうございましたー♪ またのお越しをお待ちしておりまーす♪」



やはり最初の女性客から話が漏れたのだろうか。二回目ほどではないにしても普段以上の客が押し寄せてきたが、それでも前回ほどの忙しさは無かった。更に男の客も何人か来ていたのだが、彼らも店の中には入らず外からこちらの姿を見ているだけに留め、しばらくすると飽きたのか立ち去ってくれた。確かに狼夏の姿はこの世界の住人達からすれば物珍しい存在だが、流石に三回目にもなると飽きられたのかもしれない。

だが零治からすれば楽して小遣いが稼げるのだからこの状況は喜ばしい事。おまけに華琳が来る事も無かったので万々歳である。零治は店内に居た最後の客を黄色い声で挨拶しながら丁寧にお辞儀をし、送り出すと会計台の前の椅子に腰かけ肩に手をかけながら首を回して疲れを露わにした。



「あぁ~。前ほど忙しくは無かったが、流石にちと疲れたな」


「う~ん。おかしいわねぇ。あたしの計算ではもっとお客さんが来ていたはずなのにぃ」


「客も飽きてきたんだろ? 確かにこの姿の店員は珍しいだろうがそれだけだ。店の品揃えまで変わった訳じゃあるまい」


「あっ……」


「考えて無かったのかよ。それでよく店の経営者が務まるな……」



零治は貂蝉の致命的なミスに内心呆れながら溜息を吐き、チラリと外に視線を向けた。まだ日は沈んでいないが傾き始めている。時刻は昼から夕方に変わろうとしているのだ。表通りの客の姿もまばらになりだしている。そろそろ引き揚げ時かもしれないだろう。



「貂蝉。オレはそろそろ帰らせてもらうぞ」


「あ~ん。そんな事言わないでもう少しだけお願いよ~ん」


「おい。時間はもう夕方になり始めてるんだぞ。流石に客ももう来ないだろ。食料品を取り扱う店でもない限りな」



零治の指摘に貂蝉はぐうの音も出ない。生活をする上で下着は必需品だろうが、日用雑貨や食料品とは違いすぐに消耗する物ではない。ましてや庶民達は下着をそんなに何着も買える程に裕福な生活をしている訳でもない。せいぜい数着あれば充分である。そう頻繁に下着を何着も買いに来る客など、華琳などの特殊な部類に入る人間でなければまずあり得ない。貂蝉としてはもう少し売り上げを上げたいのだろうが、今回は充分な成果を得ているのだ。となると零治をこれ以上引き止める理由が無かった。



「はぁ~。仕方ないわねぇ。なら今日はもう店じまいね」


「それが賢明だ。オレは裏で着替える。その間に約束の金を用意しとけよ」


「分かってるわよん」



貂蝉が望むような結果にはならなかったが、これは彼の計算ミスであり零治に責任は無い。あくまで貂蝉がした頼みごとの内容は狼夏に扮して店員をする事であり約束はちゃんと果たしている。売上額まで面倒など見れるはずがない。これ以上零治にこの場に留まる理由など無い。給金を受け取ってさっさと引き揚げるだけだ。時間帯も時間帯だから流琉から頼まれたお使いは明日に回すしかないだろう。

零治は店の裏の事務所に足を運び、身に纏っている女装用の衣服を全て乱雑に脱ぎ捨てて付け毛を外し、予め持ってきていた手拭いの布で顔の化粧も綺麗に落としていつもの黒ずくめの服装に戻し、ガントレットを身に付けて眼帯も華琳から受け取った黒色の無地の物を着用し、女の声に変えてある魔法も解除した。



「はぁ~。やっと落ち着いたぜ」


「零治ちゃん。お疲れ様。はいこれ。約束の給金よ」


「ありがとよ」



貂蝉から受け取った布袋の口を縛ってる紐を解き、零治は中身を改めた。中に入ってる金の数を数えればちゃんと金額は前回の三倍額である。彼は満足げな表情でうんうんと頷き、袋をコートの下に収めた。

仕事量も警備隊の仕事よりはるかに少なく、それでいて一日分でこの稼ぎは充分な成果である。もちろん、三倍の金額など普通はあり得ないが。



「感謝するぜ、貂蝉。おかげで楽して丁度いい小遣い稼ぎが出来たからな」


「それはよかったわねん。こっちは痛い出費よん」


「人にモノを頼む時は誠意を見せるのが常識だろ? これはその授業料として受け止めろ。じゃあな。オレは帰るぜ」


「はいはい。今日ありがとねん」



零治は乱雑に脱ぎ捨てていた女装セットの衣服を乱暴に専用の布袋に詰め込み、袋をしっかりと縛って肩に担ぎ、裏口の扉を少しだけ開けて周囲に人、特に知り合いが居ないかを注意深く確認する。顔を少しだけ覗かせてキョロキョロと辺りを見回すが周辺には誰も居ない。出るんなら今の内だろう。零治は素早く裏口から躍り出て扉をそっと閉めて貂蝉の店を後にした。


………


……



「ふふん。貂蝉の店で店員をやるのは癪だったが、楽して金が稼げたから良しとするか」



人の数がまばらな表通りを歩いている零治は珍しく笑みを浮かべていた。貂蝉と顔を合わせた後はたいてい零治は不機嫌だったが、今日はご機嫌である。楽して予定外の収入が得られたのだから当然だろう。まあ、一日の労働に対して三倍の給金はぼったくりすぎな気がするが、これでも零治は充分に妥協した方なのだ。本音を言えばそれ以上の額を要求していた所だろう。何しろやる事がやる事なのだから。



「さ~て。時間も時間だし、流琉から頼まれたお使いは明日にして城に帰るか」


「あらぁ? 零治さんじゃないですかぁ」


「ん? ……あぁ、樺憐か」



後ろから声をかけてきたのは樺憐である。街に居るという事は彼女は今日も買い物目的で来たのかもしれない。昨日は奈々瑠と臥々瑠のために二人に似合いそうな服を探しに街まで出かけたのだが、結局良い物が見つからず手ぶらで戻ってきてしまった。だが街の中全ての衣服店を回った訳ではないので、今日もそのために来たのかもしれない。



「こんな所でどうした? 今日も服を見に来たのか?」


「はい。ですが娘達に似合いそうなものをありませんでしたわぁ。零治さんはなぜこちらにぃ?」


「……ちょっとした野暮用があってな」


「野暮用、ですかぁ。……零治さん、ちょっと失礼しますわよ?」



樺憐はいきなり顔を近づけて鼻をスンスンと鳴らし、零治の身体の匂いを嗅ぎ取り始めたのだ。樺憐は少しずつ顔をスライドさせながら執拗なまでに匂いを嗅ぎ続ける。その様は人の姿をした警察犬のようである。

樺憐の奇行を前にして、零治は彼女にジト眼を向けていた。それはそうだ。別に汗をかいた訳じゃないから汗臭くはないだろうが、いきなり匂いを嗅がれて良い気分などしやしない。



「樺憐。これは何の真似だ……?」


「クンクン。クンクン。……んん~? これはぁ……」



樺憐は零治の首周りの匂いを執拗に嗅ぎ、そして先程から気になっていた匂いの正体が彼女の中で判明した。樺憐は零治から身を離し、今度は彼女が零治にジト眼を向けてきたのだ。樺憐がこういう表情をするのは非常に珍しい光景だが、零治は不思議そうに首を傾げながら思った。なぜそんな眼で見られねばならないのかと。



「おい。何だよその眼は?」


「零治さん。身体から女物の化粧品の匂いがしますわよ。もしや野暮用とやらで付いたモノですか……?」


「っ!?」



樺憐が零治の身体の匂いを嗅いでいた理由はこれだ。彼は先程まで貂蝉の店で狼夏に扮して店員をやっていた。その時に使用した化粧は全て手拭いで拭き取ったが、それだけでは樺憐の鼻は誤魔化せない。

彼女は普通の人間ではなく、狼の血と五感を身体に宿す戦闘獣人バイオロイドなのだ。大半の化粧品には少なからず何かしらの匂いがある。香水は当然の事ながら、ファンデーションにも匂いはある。そして男から女物の化粧品の匂いがするという事は、女性と接触していたこと以外に考えられない。だから樺憐は零治にジト眼を向けているのだ。



「零治さん。まさかわたくし達の知らない所で見知らぬ女性と逢引を……」


「ちっ、違うっ! そんなんじゃねぇ!」


「ならなぜ女物の化粧品の匂いが身体からするのです。まさか自分で付けたと仰るつもりですか……?」


「はぁ……ちょっと来い」



この大事な時期に樺憐の機嫌を損ねるのは決して良くない。普段から怒る姿を眼にする事が無いので、いつまでも根に持つタイプなのか、それとも数時間、或いは翌日には綺麗サッパリ水に流して忘れるタイプなのか。それすらも分からないのだ。零治はあまり気は進まないが誤解を解くため、樺憐を近くにある人気が無く薄暗い裏路地へと来るように顎をしゃくって促して歩き始め、樺憐も不機嫌そうな表情をしながらも彼の後に続いた。

裏路地に入ると零治は周囲をくまなく確認し、辺りに誰も居ない事が確認できた所で樺憐に向き直り、事情の説明を始めた。



「いいか、樺憐。結論から言うとだ、この化粧は自分で付けた物だ]


「自分でって……零治さん。なぜ女物の化粧品を男性である貴方様が自分で付けるのですか」


「今から説明してやる。……ったく。これを見ろ」



亜弥達はこの事を既に知っているが、樺憐には話していなかった。それが仇となりこんな形で説明する事になってしまうとは。零治の中に先程まであった気分の良さなど完全に消え失せている。あるのは鬱屈とした嫌な気分だ。誤解を解くためとはいえ、自分の口からこんな事など話したくはない。聞かれようによっては女装癖持ちなのではないかと思われてしまうかもしれないからだ。だが誤解を解くためには言うしかない。零治は肩に担いでいた布袋を地面に降ろし、紐を解いて縛っていた袋の口を開いて中身を樺憐に見せる。



「これは……女物の衣服ですわね。零治さん、なぜこんな物をお持ちで? 誰かへのプレゼントですか?」


「ちげぇよ。それに服だけじゃない。他にも入ってる物があるだろ」


「他にも? ……ん~? あらぁ? これ付け毛ですわねぇ。それに女物の化粧品も一式揃っていますわねぇ」


「……化粧品の匂いを嗅いでみろ」


「匂いを? ……クンクン。クンクン。おやぁ? 同じ匂いがしますわねぇ」


「これで理解できたか……」


「零治さん。もしかして……女装をなさっていたのですか?」


「ああ。知り合いに女物の下着店を営んでる奴が居てな。そいつに女装して店員をやってくれと頼まれたんだよ」


「なぜそのような事を?」


「細かい説明は面倒だから割愛させてもらうが、お前がまだウチの陣営に来る前に色々とあってな。今回で三回目なんだが、どうもオレの女装姿がこの街の住人達からウケが良かったらしい」


「まあ」


「二回目の時は店の売上額が普段の額を余裕で超えてたらしい。だから今回も、って事になってな……」


「そうでしたのぉ。零治さん、疑ってしまって申し訳ございませんでした。どうかお許しを」



ようやく誤解が解けたようで、樺憐はその場で跪き、深々と頭を下げて零治に詫びの言葉を述べた。彼女にとって零治は娘である奈々瑠と臥々瑠の面倒をこれまで見てきてくれた恩人であり、今では絶対的な忠誠を誓っている自分の主なのだ。樺憐にとって主である零治を疑うのは背信行為になる。だからここまでしているのだ。

しかしそれを見ている零治の気分は良いものではない。彼は誤解さえ解ければそれでよかったのだ。別に樺憐にここまで謝罪を求めてなどいない。幸い場所は人通りの無い裏路地だ。誰かに見られる心配は無いが、これでは自分が樺憐を虐めているようにしか思えないのである。



「あぁもう。誤解が解けたんならもういいから。頼むから頭を上げて普通にしてくれよ」


「愛しき飼い主様の寛大なお言葉。お許しいただき感謝いたします」



ようやく樺憐はその場から立ち上がり、普通に接してくれるようになった。先程の姿を見て零治は思った。説明するために選んだ場所が人通りの無い裏路地で本当に良かったと。内容が内容だから初めから表通りで話す気など無かったが、今の光景を誰かに見られたら堪ったものじゃない。街の住民達からどんな噂を流されるか想像しただけで寒気がする。



「ほら。遊んでないでさっさと城に帰るぞ。昼飯食ってねぇから腹減っちまったよ」


「でしたら、お詫びも兼ねてわたくしが腕によりをかけて夕食をご用意いたしましょう」



零治は樺憐を伴って表通りに戻り、そのまま城への帰路についた。ここから先は一本道。帰り道は連れが出来たから他愛も無い世間話でも交わしながら進めば城まではあっという間。ここは本国の中心地なのだ。何の障害も無く城まで辿り着ける。そのはずだった。



「……樺憐」


「分かっています。わたくし達の後を尾けている者が居ますわね……」


「ああ。数は……どうやら一人のようだな……」


「やはり蜀が放った刺客でしょうか……」


「その可能性は高いが、尾行者の殺気は明らかにオレ一人に向けられている。本当に蜀の刺客ならお前の事も狙うはずだ……」


「確かに。どうします? このまま城に戻るのは危険すぎますわよ」


「分かってる。樺憐、オレが敵をそこの路地裏の奥まで誘い込む。お前はそのまま城に帰るフリをして奴の背後に回り込め。挟み撃ちにするぞ」


「承知しました。零治さん、何があるか分かりません。くれぐれもお気をつけて」


「心配するな。今はこの場には居ないが、姉さんも憑いて来てる。相手が何者だろうと対処できるさ」



今は実体化していないためこの場に居ないが恭佳も一緒に来ているのだ。いざとなれば彼女の力も頼るし、敵に恭佳の事を知られていないのはこちらにとって大きな強み。巧く行けば不意を突く事も出来るかもしれないだろう。だが過信は禁物だ。相手の正体について、分かっている事は敵であるという事だけなのだ。

零治はその事を頭に入れつつ裏路地に入る道の前で止まり、樺憐に用事があるからお前は先に戻ってろと言って彼女と別れ、樺憐も敵に悟られないように相槌を打ってそのまま零治と別れて表通りの道から城へ帰るフリをした。



「…………」



それ相応の実力者ならば、零治のこの行動が誘いである事はすぐに分かるだろう。ここで相手がどう出るか。誘いに乗るのか乗らないのかで今後の対処の仕方が大きく変わるだろう。

零治は路地裏に入ってすぐに立ち止まり、コートの下からタバコを一本取り出して火を点け、それを口に咥えて煙を吹かしながら再び歩き始めた。そして正体不明の尾行者も彼から距離を取りつつ、零治の目論見通り路地裏へとついてきたのだ。



(フッ。予想通り来たか。何が何でもオレの事を排除したいと見える。ならばもっと奥まで誘い込んでやるか……)



このまま行けば間違い無く尾行者とは戦闘になるだろう。街の警邏などで警備隊の仕事としてやっていた犯罪者の鎮圧などなら表通りでやってもあまり問題は無いが、今回は相手が違う。時刻は夕方になりだしているから表通りを行き交う人の数もまばらだが、表で騒ぎを起こすと街の住人達に飛び火する可能性も捨てきれない。だからこそ、こういう人が来ない裏路地の方が闘うのに最適なのだ。

いま零治が歩いている裏路地はとても暗かった。もともとこの場所は日の光があまり届かないため昼間でも薄暗く、夕方になれば更に視認性は悪くなる。おまけに路地その物も迷路のように入り組んでいるため、地理に詳しい者でないと道に迷う事すらある。零治はこの路地を何度か利用しているし、暗がりでの戦闘にも慣れている。だから敵を誘い込むのにはうってつけの場所なのだ。



(……頃合いだな)



曲がりくねった裏路地、しかも充分すぎる程の奥まで相手を誘い込めた。周囲には邪魔になるような障害物も無いし、裏道にしてはそこそこの広さもあるため、一対一の戦闘を行うには充分なスペースが確保されている。これだけの条件が整っているのだ。これ以上無駄に歩く必要も無いだろう。

零治は足を止めて口に咥えているタバコを携帯灰皿の中に捨て、煙を口から大きく吐き、ゆっくりと後ろに振り返って正体不明の尾行者を見据えながら声をかけた。



「おい。貴様、いつまで人の事を尾け回すつもりだ……?」


「…………」



零治の後を付けてきた人物は意外にも若く、外見だけで判断すると零治、一刀と同年代の青年である。

整った顔立ち、何となくだが一刀によく似た髪型。唯一違う点はこの人物の頭髪の色が白みがかった薄茶色な所くらいだろうか。ここまでは別におかしい所は無いのだが、零治は目の前に居るこの青年の服装に疑問を抱いていた。仮にこの青年が本当に蜀が放った刺客だとするならばもっと目立たない格好をするはずである。

だがこの男の服装は白と黒が基調となっているまるで着物の様に袖が広い緩やかな服装、道師のような格好をしているのだ。胸元の白の布地には金色の何かの紋章のような刺繍があしらわれ、本人の顔の額の中央に赤色の紋章のような、両眼の眼尻の下にも赤色で逆三角形の形をした奇妙なフェイスペイントをしている。

こんな格好では刺客かどうか正体が露見するかはともかくとして、確実に人目を引いて目立つ。刺客とは本来、任務を遂行するために人目を忍び、周囲の環境に同化するものである。この格好では逆に浮いてしまう。占い師とでも言えば何とか誤魔化せるかもしれないだろうが、目立つのは間違いない。だから零治は疑問を抱いているのだ。目の前の人物が他国の放った刺客なのかどうかを。



「貴様、何者だ。蜀の刺客か? にしては妙な服装だな。そういう趣味なのか?」


「…………」


「黙ってないで何とか言えよ。それともお前、コミュ障なのか?」


「……よく喋る男だな」


「何だよ。ちゃんと喋れるんじゃねぇか。その口は飾りなのかと思ったぜ」


「音無零治。この『外史』の存在を潰すため、貴様にはここで死んでもらう」


「外史? どっかで聞いた覚えがある単語だな」


「これから死ぬ奴が知る必要は無いっ!」



青年は口火を切り、地面を蹴って低姿勢でダッシュして眼にも止まらぬ速さで零治との間合いを瞬時に詰め、彼の懐まで潜り込んできた。その速度はこの世界の歴戦の猛者達と同等。あるいはそれ以上の身のこなしである。



(っ!? コイツ! 思っていた以上に速いっ!)


「もらったっ!」



青年は体術の心得があるらしく、零治の懐に潜り込んだ次の瞬間、右脚を瞬時に振り上げて高速の蹴りを放って来た。しかも狙いは零治の米神。的確に人間の急所を突いた攻撃である。いくら百戦錬磨の零治と言えど、無防備の状態で米神に高速の蹴りを受けたらただでは済まないし、受けてやるつもりも無い。



「っと! この野郎っ!」



零治は肩に担いでいた布袋を投げ捨て、咄嗟に上体を逸らしながらバック転をして青年の一撃を躱すと同時に、間合いを開きながら右と左の両脚を続けざまに振り上げて同じように蹴りを放った。狙うは顎の下。ここも人間に急所の一つだ。並みの相手ならこの一撃で顎の骨を砕くぐらい造作も無いだろうが、青年もなかなかの手練れのようで巧い具合に零治と同じように上体を逸らして彼の蹴りを躱して見せた。

バック転して青年との間合いを開き、コートを翻しながら地面に着地した零治は彼を睨み付けながら忌々しげに舌打ちをした。



「チッ! あの蹴りを躱すとはな。やるじゃねぇか……」


「そういう貴様もな。……なるほど。北郷一刀とは違うという訳か」


「あぁん? おい。なぜそこで一刀の名前が出てくるんだ。つーか貴様……オレを一刀と同列視しない方が身のためだぞ……」


「フッ。確かに腕は立つようだが、俺から見れば貴様も北郷も同じようなものだ」


「……貴様は半殺しにして何者なのか吐かせるつもりでいたが、気が変わった。この場で八つ裂きにしてやる……」



青年が冷笑を浮かべながらこちらに向ける眼差しは、どこか見下した感じがあった。しかもあの一刀と同列視までされているのだ。これには流石の零治も黙ってはいられない。当初の予定では無力化して正体を暴くつもりでいたが、今の彼は完全に青年を殺すつもりでいる。冷静に考えれば、この男の正体などどうでも良いと思えたのだ。なぜなら、この青年が他国の放った刺客だとして何になる。どこの国なのかは気になる所ではあるが、今の情勢で自分の命を狙う国などたかが知れている。調べる必要性は無い。ならば難しい事は考えずシンプルに行動すればいい。目の前の敵を排除する。つまり殺してしまえばいい。零治はそう考えて行動に移る事にした。



「ほぉ。ただの人間如きが、この俺を殺せると思ってるのか?」


「ただの人間ならな。……BD。血ノ鎧ブラッド・アーマーを出せ。このクソガキを爆殺してやるぞ……」


『あいよ。……拘束術式、一から一〇〇までを開放。血ノ鎧、創造クリエイト



BDの力を拘束している術式を一部開放し、零治の周囲に赤色の光の粒子が出現してクルクルと回転しながらそれは鎧の装甲板へと変化を起こし、身体へと密着していき零治の全身は深紅の鎧でガッチリと固められ、最後に二本の角が生えたまるで鬼を連想させる兜を頭部に纏い、覗き穴から深紅に光り輝く瞳で青年に射るような視線を向けて睨み付けた。



「何も無い空間からいきなり鎧が出現しただと? 貴様……一体何をした……」


「これから死ぬ奴が知った所で何の意味も無いな……」


「減らず口をっ! 今度こそその息の根を止めてやる!」



青年は感情的になりやすい短気な性格をしているのか、零治の挑発的な言葉を耳にするなり地面を蹴って再度突撃を繰り出し、彼の懐まで間合いを詰めて迫り来た。しかし、今度は零治は逃げようとしない。いや、逃げる必要が無いのだ、なぜなら、今身に纏っている血ノ鎧は普通の人間には想像もつかない恐るべき秘密が仕込まれているのだから。



「ふんっ! 鎧を纏ったからっていい気になるな! 死ねっ!」


「バカが。死ぬのは貴様だ……」



零治との間合いを詰め、青年は今度は蹴りではなく右手で零治の鳩尾に掌底を放った。ここも人間の急所の一つ。鎧越しとはいえ、達人の域に達していれば鎧の上からでもその衝撃を狙った部位に伝えるなど造作も無い事。鳩尾に一撃をくれてやれば、相手を殺せなくとも無力化は確実にできる。青年の攻撃は理に適ったものだ。だが彼は一つ致命的なミスを犯していた。それは零治が身に纏っている鎧、血ノ鎧がただの防具ではないという事を考えていなかった点だ。



「なっ!? がはぁ!」



青年の掌底が命中した瞬間、その衝撃を血ノ鎧の装甲板が感知して鳩尾の部位の装甲が爆発を起こし、青年はその爆風を真正面から受けて吹っ飛ばされてしまい、地面の上に横たえた。裏路地の奥とはいえ、街中で爆発を起こすのは少々やりすぎな気がしなくもない。街の人間たちの耳にも当然入るため、零治はその辺も考慮し、威力を抑えて爆発の規模も小さいので音の方も誤魔化しがきく……はずだ。

爆発反応装甲は本来ならば一回使えばそれまでなのだが、零治が使用している物はBDの魔法で創り上げた物。爆破した部位の装甲はすぐに修復されて元の状態に戻り、零治は地面に横たえている青年に侮蔑の視線を向けた。



「フンっ。他愛無い。所詮はこの程度だったか……」



零治の手にかかればこの程度の襲来者を撃退するなど造作も無い事。恭佳や樺憐の手を借りるまでも無かったようだ。余計な時間を取らされたが、事は済んだので零治はその場を立ち去るために血ノ鎧を解除しようとした。だが……。



「何……?」


「…………」



驚くべき事に青年は何事も無かったかのようにその場から立ち上がり、再び零治の前に立ちはだかったのだ。威力を抑えていたとはいえ、あの爆発を真正面から受ければ普通の人間は死ぬ。死ななくても間違いなく致命傷になるはずだ。なのに青年の右手は目立った大きな外傷は無く、纏ってる衣服が焼け焦げた程度である。普通なら右腕が吹っ飛んでもおかしくないのに、それすら起きていない。流石の零治もこれには驚きを隠せなかった。



「威力を抑えていたとはいえ、あの爆発をもろに受けて生きているどころか立ち上がるとはな。貴様……ただの人間ではないな……」


「そのセリフ、そっくりそのまま貴様に返してやるぞ。何も無い所からいきなり鎧を出した上に、まさか装甲が爆発反応装甲だったとはな」


「何っ!? 貴様、どこでその言葉を知った……」


「言ったはずだ。これから死ぬ奴が知る必要性は無いとな……」


(コイツ。見た目はこの世界の人間と同じだがどうやら違うようだな。正体を知りたい所だが、オレ一人で殺さずに無力化するのも難しそうだ……)


「あらあら。零治さん、珍しく手こずっていますわね」



ここに来て別行動をしていた樺憐がようやく合流。零治との共闘で青年を挟み撃ちにするように、彼の背後に立ちはだかった。彼女が合流してくれたこの状況、零治は喜ぶべきなのか複雑な心境である。

別に樺憐の実力が頼りにならない訳ではない。寧ろ頼もしいくらいだ。問題はこの青年にある。彼は間違いなくこの世界の人間ではない。それと同時に普通でもない異質な存在。そんな危険人物の相手を樺憐と共闘して凌げるのかという若干の不安要素があるのだ。



「そうか。貴様には連れが居たんだったな」


「樺憐。気を付けろ。この男……明らかに普通の人間じゃない。油断するなよ」


「心得ております。零治さんが手間取っている時点で、この男がただ者でないという事は理解できていますわ」


「ふんっ。一人増えた所でこの俺を倒せるなどとは思わない事だな」


「そうかい。なら三人なら問題ねぇんだなぁ!」


「なっ!? くっ……!」



青年が樺憐に気を取られ後ろを向いていた隙を突き、恭佳が姿を現してソウルイーターを振り下ろして斬りかかるが、青年は素早くバックステップをしてその一撃を躱して難を逃れ体勢を立て直した。

樺憐に続いて恭佳まで現れるという不測の事態が起きたというのに、青年は全く動揺していない。あくまでも氷のように冷たい視線で零治達を見据えるという姿勢を崩さなかった。



「このクソガキがぁ。アタシの弟に何してくれてんだ……」


「チッ! まだ居たとはな。これは少々厄介だな。こんな事なら于吉に傀儡を用意させておくべきだったな」


「あらあらん。久しぶりに聞いたわね。その名前♪」


「ん? なっ!? おい貂蝉! なんでお前がここに居るんだっ!?」


「うふふ♪ 零治ちゃんの事が心配になって追いかけてきたのよん♪」


「……やはり貴様も居たか。貂蝉」


「ええ。お久しぶりね、左慈ちゃん」


「何っ!?」



貂蝉が零治を襲ってきた謎の襲来者の名前を口にし、零治、恭佳、樺憐の三人は驚きの表情で貂蝉と左慈を交互に見つめた。貂蝉がなぜこの場に現れたのかも疑問だが、零治達にとっていま一番重要なのは貂蝉がこの男、左慈の事を知っていて彼も貂蝉の事を知っている。つまり二人は知り合いの間柄と考えられるからだ。



「貴様がここに居るという事は、また邪魔をしようというのか。あの時の様に」


「前にも言ったはずよ。例え張りぼてでも、この世界も前の外史と同じように一つの物語を持ってしまったわ。それを潰す事なんて誰にもできやしないの。あの外史だって、貴方達が望む終焉を迎えてしまったけれど、そこから新たな外史として生まれ変わり今もどこかで存在しているはずなのだから」


「仮にそうだとしても、俺のやる事は変わらない。あの時と同じようにこの世界をぶっ潰すっ!」


「残念だけどそれは無理よ。この外史はあの時以上に確固たる物語を築き上げ、深く根を張っている。そして終端の先には無限の可能性を秘めた未来が無数に存在しているわ。いくら左慈ちゃんでもこの世界を壊すのは不可能よん♪」


「……ならばもう一つのファクターを始末するだけだ。支えを失えば、どれほど強固な外史も必ず崩壊するからな」


「ご主人様の事? 生憎と今回ばかりは左慈ちゃんでも手が出せないわよん? 向こうにも怖~い人が居るんだからん」


「ふん! この世界の傀儡どもなど俺の相手にならん。……音無零治。勝負はお預けだ。その命、今しばらくは預けておくが……次に会ったら必ず殺すっ!」



先程まで零治の事を執拗に狙い続けていたのに、貂蝉が現れた事で左慈はあっさりと引き揚げ、その場から音も無く姿を消した。その光景はまるで瞬間移動をしたかのようである。いや、間違いなく今のは普通の移動ではない。何かしらの力を働かせ、その場から転移して姿を消したのだ。これで確定だ。先程の男、左慈は間違いなく普通の人間ではない存在だ。そして貂蝉はあの男の事を知っている。零治達の視線が貂蝉に集中した。



「貂蝉。どういう事か説明してもらおうか……」


「あらやだ。零治ちゃん。そんな悪趣味な鎧なんか身に着けちゃってぇ。今の貴方、物凄く怖いわよん」


「茶化すな」



昼間は実体化せずに零治の後ろに憑いていたし死神の記憶も共有しているので、恭佳も貂蝉の事は一応知ってはいた。だが、こうして実際にその姿を目の当たりにすると言葉も出てこない。悪い奴ではないと恭佳も分かってはいるのだが、それでもこの姿と喋り方では進んで関わり合いたいと思わないのが本音だ。

そして初めて貂蝉を眼にした樺憐も衝撃を受けていた。貂蝉という存在もさることながら、零治が知り合いという点にも驚いているのだ。彼女も世界は広いから多種多様な人種が居る事は理解しているが、貂蝉は完全にその範疇を超えた存在と言えるかもしれない。おまけに樺憐が貂蝉に向けている視線、それは華琳が汚い物を見るかのような視線を向けていたのだ。



「零治さん。何ですかこの気持ち悪い物体Xは……」


「だぁぁれが宇宙の果てから飛来した隕石から生まれた、人を襲う化物ですってぇぇぇぇっ!」


「何だそのB級ホラー映画にありがちな内容の言い回しは。それに樺憐。せめてそこは人と言ってやれよ……」


「まっ! 零治ちゃんったら酷いっ! 気持ち悪いって所は否定してくれないのんっ!?」


「悪いがオレは自分に嘘はつけない性分なのでな。……そんな事より貂蝉、説明しろ。あの男、左慈だったか? 奴の事、それにお前との関係、この世界の事。そして『外史』とやらについてもな」


「そうね。この外史の物語もそろそろ終盤。零治ちゃん達にもちゃんと説明した方がよさそうね。なら悪いんだけど、あたしのお店までもう一度来てもらえるかしらん?」


「ああ。姉さん、樺憐。二人も一緒に来てくれ」


「えぇ~。アタシも行くのぉ……?」


「……わたくしも気が乗らないのですが」


「文句を言うな。この世界の事や左慈の事を知るには貂蝉から話を聞くしかないんだ。うだうだ言ってないでさっさと歩け」


「へ~い……」


「承知しましたわ……」



零治が顎をシャクって恭佳と樺憐に歩くように促し、二人は重い足取りで貂蝉の後に続き、零治も血ノ鎧を解除して投げ捨てた布袋を拾い上げて歩きだし、裏路地から表通りに出て彼が営む店を目指した。上を見上げれば空は茜色に染まっており、日も沈み始めていた。もうじき辺りも暗くなって夜になるだろう。あまり帰りが遅くなるのはよろしくない気がするが、帰った後に華琳に何か訊かれたら街で呑んできたとでも言い訳すれば良いだろう。だがいま考えるべき事はそこではなかった。零治にとっていま重要なのは先程の襲来者、左慈について。そして貂蝉が口にしていた『外史』という単語。彼がこの世界について何を知っているかなのだから。

作者「原作ファンなら知る人ぞ知る懐かしい人物の登場」


零治「ってか、左慈って確か無印版にしか出番なかったよな?」


作者「だね。以降の作品には名前すら出てないぜ」


亜弥「真の漢ルートには存在をほのめかすセリフがありましたが、それでも名前は出ませんでしたね」


恭佳「そういう意味では、コイツって華雄より不遇かもね」


作者「まっ、しょうがないじゃん。無印は外史の存在云々がストーリーに絡んでるけど、真の方はその辺の話が無かったからな」


奈々瑠「所であの男の相方は出るんですか? 名前しか出してませんでしたけど」


作者「于吉の事か?」


臥々瑠「そうそう。左慈を差し置いて何気にアニメ版にも登場していた奴」


作者「あぁ、そういや居たな。初めて見た時は、『あれ? 左慈は?』って首を傾げたのをよく憶えてるぜ」


樺憐「そう考えると、やはり左慈は華雄以上に不遇な方ですわねぇ」


作者「于吉は策を張り巡らせるタイプだからああいう黒幕タイプに向いてるから出れたのかもな。左慈は感情的で直接行動するタイプだからアニメ版では扱いが難しかったんじゃね?」


零治「言われてみりゃそうだな。アイツ、原作でも一刀に敵意剥き出しだったもんな」


亜弥「で、その于吉に出番は?」


作者「もちろんあるよ。楽しみにしてな」

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