第79話 凶者、狂者、強者による狂演
今回の話のサブタイトルですが、凶者は樺憐。狂者は雪蓮。強者は恋の事を指しています。規格外で凶悪な戦闘力を有しているので樺憐は凶者。雪蓮は原作内で戦狂いと表現され、尚且つ恋にも並ぶ規格外人間なので狂者と、恋は原作、及び史実でも最強と謳われていたので強者と表現し、狂演には規格外の人同士が常人では付いていけないような狂った闘いを演じているという意味合いを込めてつけさせてもらいました。
それは華琳が率いる本隊がまだここに到着する前の事である。零治が星の挑発に敢えて乗り、樺憐にこの場を全て託した。彼女の挑発的な言動に反応して頭に血を昇らせた甘寧を撃破し、呉の援軍として到来してきた蜀の船団から呂布がこの船に乗り込んできたのだ。呉にとってはとても頼もしい援軍、魏から言わせれば厄介極まりない人物だが、樺憐はその事など気にもしないし、やる事も変わらない。眼前の敵を全て倒す。ただそれだけなのだ。
「貴方が三国最強とも謳われるあの呂布ですか。こう言ってはなんですが、とてもそうは見えませんわね」
「…………」
「おや。無反応ですか。これでは会話にも困ってしまいますわね」
樺憐がこれだけ話しかけても呂布は何の反応も示さず、ただ愛用している得物の方天画戟を肩に担ぎながら樺憐の様子を窺うのみ。まあ、これは呂布がもともと口数が極端に少ないせいでもあるのだが。
樺憐も別に意味も無くこのような事をしているのではない。挑発の意味も含んでいるが、相手の事を知るにはやはり言葉によるコミュニケーションは必要不可欠だ。彼女にとってこの行動は敵の事を知るという意味が込められているのだが、当の呂布が無反応なのであまり意味は成さなかった。
「まあ構いませんわ。相手が無口だろうがお喋りだろうが邪魔者は排除する。わたくしがやる事はそれだけですから……」
「へえ。言うじゃない。貴方一人でどこまでやれるか見物ね」
「そういう貴方こそ随分と余裕ですわね。何でしたら今すぐこの船を破壊して、河に沈めてあげても良いんですのよ……」
「…………」
「ですが、歴戦の猛者と闘える機会など普通は無い事。そんな勿体ない事はしませんわ。せいぜいわたくしを退屈させないでくださいな」
「良いわよ。一人で私達に挑む事を、後悔したくなるくらいに楽しませてあげるわ……」
「そのセリフ……そっくりそのまま返してあげますわっ!」
「っ!?」
口火を切った樺憐は孫策に狙いを定め、ステップによる移動で彼女の懐に滑るように詰め寄り、予め後ろに引いていた右腕で孫策の顎を打ち上げるようにアッパーを放ったが、彼女も戦で培った持ち前の反応速度を活かして咄嗟に後ろに下がって紙一重でその一撃を躱し、そこから反撃に持ち込もうとするが、樺憐がそれを許すはずも無く、続いて身体を捻りながら勢いを加えて左手でストレートを放つ。
対する孫策も、咄嗟に後ろに引いていた愛刀を樺憐の左手に目がけて振り下ろしたが、その程度では彼女の拳を止める事など出来るはずも無く、刃は跳ね返されてしまい、激しい火花を散らして大きく後ろへと身体ごと押し返されてしまい、その衝撃が全身を駆け巡った。
「くぅ……っ!」
「よく耐えましたわね。ならば……これでどうですっ!」
樺憐は身体を右に捻りながら両腕を引いて力を溜め、左脚を一歩前に踏み込みながら両手の拳を同時に放った。ただでさえ威力が桁違いで厄介だというのに、両方の拳を同時に放たれては流石の孫策も受け止めきれるか分からない。だがそれでもどうにかせねばならない。孫策は剣の刃を寝かせながら左手を腹に添え、正面にかざして防御の体勢を取る。
もちろん甘寧との攻防を見ていた彼女だ。この程度で防ぎきれる可能性など無いに等しい事ぐらい理解しているが、だからといって何もしないよりはマシだ。所が樺憐の拳が孫策の剣に直撃する直前、横から割り込むように呂布が戟を振り上げたのだ。
「…………させない」
「くっ!」
呂布が振り上げた戟は樺憐のファングに命中し、激しい火花を散らしながら軽快な金属音を鳴らして拳を跳ね上げられ、ほんの一瞬だが彼女に隙が生じた。そこへ更に追い打ちをかけるように呂布は一気に踏み込み、振り上げていた戟を一気に樺憐に目がけて振り下ろした。
「おっと!」
しかし、思わぬイレギュラーにも樺憐は一瞬だけ面食らったが慌てる事無く冷静に対処し、その場で大きく後方へ跳躍して空中でバック転を一回華麗に決め、呂布から大きく距離を取ってその一撃を難なく躱し、彼女の戟は甲板の板に打ちつけられて刃が食い込んだが、呂布は素早く引き抜き、肩に担いで樺憐を見据える。
対する樺憐も呂布の先程の一撃に感嘆の声を漏らしていた。攻撃は非常に荒々しく、まるで野獣のような一撃だった。現に先程の攻撃の衝撃が彼女の両腕にはまだ残っているのだから。樺憐はその衝撃を逃がすように軽く両手をプラプラとさせながら改めて構え直し、余裕の笑みを浮かべながら呂布を見据えた。
「凄まじい膂力の持ち主ですわね。まるで野獣を相手にしているみたいですわ」
「…………お前も強い」
「あら。あの呂布に褒めていただけるなんて、光栄ですわね」
「…………でも」
「はい?」
「…………お前、まだ本気じゃない」
「ほぉ~。よく分かりましたわね……」
「ちょ、ちょっと。呂布。今のはどういう意味。まさかあの女……まだ全力を出してないって事なの!?」
呂布は孫策の問いに、無言のままこくんと一度頷いて疑問に答えた。無口なため普段から何を考えて行動しているのか分からない呂布だが、戦闘の事となれば話は別だ。あどけない面があるが、彼女も一人の武人。自身の強さは勿論の事、相手の実力を読み取る眼力もちゃんと兼ね備えている。何より最強と謳われ、強者に対しても人一倍敏感な呂布がこう言っているのだ。彼女の言葉に間違いは無いという事になる。
「舐められたものね。私達が相手じゃ本気になるまでも無いと言いたいの……」
「全力を出していないわたくしを前にしてそのざまなのに、よくそんなセリフが言えますわね。孫策……」
「…………」
「まあ、本気のわたくしを見たいのならばそうしてあげても構いませんが……それならば遺言を家臣達に遺しておく事をお奨めしますわよ?」
「それはどういう意味……」
「言わなければ分かりませんの? ……本気のわたくしを前にして、生きて帰れる『人間』などこの世に居ないからですわよ……」
「言ってくれるじゃない。でも……ますます貴方を倒したくなったわね」
「…………」
「それだけの大口を叩いた貴方を負かせば、さぞや悔しがる顔を拝めそうだからね」
「残念ですが、それは貴方の頭の中の妄想で終わると思いますわよ……」
(やれやれ。やっぱりこんな安っぽい挑発に乗るような相手じゃないか)
孫策の挑発を前にしても、樺憐は冷静さを崩す事無く冷ややかな視線を向けるのみだ。どんな強者でも、精神面が不安定になれば本来の実力を発揮できなくなる。言葉とはそれ程にまで人のメンタルに与える影響が大きいのだ。だが、彼女にはそれすらも通用しない。
こうなっては小細工抜きで状況を打開するしかないだろうが、それも難しい。まさに八方塞がりの状態だ。
孫策はどうやってこの場を切り抜けるかあれやこれやと思考を働かせる。その時だ。黄蓋が彼女に身を寄せ、ある提案を耳打ちした。話を聞き終え、軽く頷いた孫策は呂布にもその内容を耳打ちし、彼女も無言でこくんと頷いた。
「頼むわね、呂布」
「…………」
「じゃあ……行くわよっ!」
孫策、呂布の二人は姿勢を低くしながら樺憐に突撃を繰り出し、左右に展開して彼女の側面に回り込んだ。
どうやら樺憐を左右から挟撃して撃退しようという作戦なのだろうか。確かに二人で攻撃するのならこの方が勝率は少なくとも上がりはする。とは言っても、それも微々たるものだろうが。
まずは孫策が樺憐の右側から後ろに引いていた剣を下から斜め上へと弧を描くように振り上げ、その一太刀を浴びせにかかった。
「せぇぇいっ!」
「フッ!」
しかしその一撃も樺憐に届く事は無く、彼女は裏拳で孫策の刃を弾き返し、その反動で孫策自身も後ろに押し返されてしまう。だが彼女達の猛攻はこれだけでは終わらない。孫策に気を取られている隙を突くように、今度は左側から呂布が攻めてきたのだ。先程と同様に、彼女は樺憐との間合いを瞬時に詰めて斜めに戟を振り下ろしてきた。
「…………ふっ!」
「ちぃっ!」
呂布は人並み外れた膂力の持ち主なので、弾き返すのは樺憐でも少々厳しいだろう。彼女は忌々しげに舌打ちをし、左腕を折り曲げながら前方にかざしてファングを盾にし、呂布の一撃を何とか受け止めるが、その重い攻撃を前にして樺憐は僅かながら後ろに押されてしまったので、彼女は両脚に力を入れて地面をしっかりと踏み締めて踏み止まった。今度の隙はかなり大きい。この好機を孫策は決して見逃さなかった。
「良くやったわ、呂布! はあぁぁぁっ!」
「くっ!」
孫策の刃は確実に樺憐の首筋を捉えていた。今の状態では下手に動くのは危険すぎる。樺憐は今の状態を維持したまま右手だけを動かし、自分の首を刎ね飛ばすように水平に振られ、迫り来る孫策の剣を掌ではなく指だけで見事に掴み取り、辛うじて難を逃れた。
「なっ!? ……指だけで剣を掴むなんて……貴方本当に人間なの……?」
「失礼ですわね。これでも半分は人間ですわよ」
「半分? どういう意味? ……まあいいわ。貴方の動きは封じさせてもらったわよ」
「だからどうしたと言いますの……?」
「祭! 今よっ!」
「応!」
これこそが黄蓋が孫策に耳打ちした作戦だ。どれほど強大な実力者でも、動きが封じられてしまえばその実力は発揮できない。身動きも封じる事が出来れば飛び道具の恰好の的になる。
黄蓋は多幻双弓に矢を二本番え、瞬時にそれを放った。放たれた二本の矢は樺憐の身体を確実に捉え、一直線に飛来した。しかし……。
「フッ。まあ、頑張った方ですわね。ですが……ふんっ!」
「なっ!?」
「っ!?」
樺憐は孫策の剣と呂布の戟をガッシリと掴んで押し返し、ファングの具足の方の脹脛部分に内蔵されているブースターユニットを展開して魔力を瞬時に充填して一気に噴射し、孫策と呂布の得物を支えとして利用しながら勢い良くその場で宙返りをして黄蓋の矢を躱し、それと同時に二人の得物から手を離して空中に逃れながらクルンと一回転して体勢を立て直し、更に具足の裏に仕込まれているブースターも吹かして後方へ下がり、充分に距離を取った所でブースターをオフにして甲板に軽やかに着地をして右手の人差し指を立てて左右に軽く揺らした。
「チッチッチ。そんな玩具でこのわたくしは撃ち殺せませんわ。飛び道具でわたくしを倒したいのなら……バルカン砲ぐらいは用意しないといけませんわよ」
「ばる……かん……?」
「理解する必要などありませんわ。……それに、黄蓋」
「……何じゃ」
「アレでわたくしを巧く出し抜いたと思っているのでしょうが、お生憎様ですわね。貴方が孫策に耳打ちした事は全てわたくしに筒抜けでしたのよ」
「何?」
「確かこう言いましたわね。……『策殿。巧く呂布と連携して奴の動きを止めてくれ。その隙を突いて儂が弓で仕留めてやる』、と……」
「なっ! 貴様どうやって……っ!?」
「フフフ……」
樺憐は不敵な笑みを浮かべながら自分の頭の上を右手で指差した。その先にある物は戦闘獣人特有の犬耳。彼女の頭に付いている左右の犬耳はしきりにピョコピョコと動き、種明かしをする。
本来なら敵に情報を与えても良い事など何一つ無いが、樺憐から言わせれば些細な事だ。知られた所でどうこうなる訳ではないのだから。
「わたくしは普通の人間より耳が良いのですよ。どんな小さな音も聞き逃さないほどに……」
「…………」
「これで理解できましたかしら? わたくしの前では、どんな小細工も子供騙しでしかないという事が」
とても信じられるような内容ではなかった。だが信じざるを得なかった。なぜなら、先程樺憐が述べた黄蓋が孫策に耳打ちしたであろう言葉の内容が一字一句たりとも間違っていなかったからだ。
こうなってくると、耳打ちではなく読唇術ぐらいでしか何かしらの策を伝える手段は無い。だがそれをやれば今度は呂布にどうやって伝えるかという問題が出てしまう。となると、残された手段は一つだけである。
呂布に合わせて闘ってもらうのではなく、逆に孫策達が呂布に合わせるしかない。しかしこれは非常に難しい事だ。呂布は強者を前にすると独りで勝手気ままに闘う傾向が強いので、寧ろ彼女に合わせて闘うのは危険な事だ。だがそうも言っていられない。樺憐の実力、それに人間離れしている五感を備えているとなれば、先程のような小細工は通用しないのだ。ならば正面切って力押しで闘うしか選択肢は無いのだ。
その時である。華琳が率いている後方の船団から、まるで落雷のような轟音が二度辺りに鳴り響き、次に木の板が割れるような音が鳴り、蜀の船が二隻沈められたのだ。
「あらあら。そちらの船が二隻沈められたようですわね。まあ、今の状態ではただの的ですから仕方ありませんわね」
(まずいわね。このままじゃ私達だけじゃなく、劉備軍と共倒れの可能性すらあるわ。それだけは何が何でも避けないと)
状況の打開策を考えるために思考を巡らせている孫策だが、こんな常識外れの状況を打ち破れる名案など都合よく思いつく訳が無い。ましてやこの状況には零治の魔法が絡んでいるのだ。打開するには零治達と同じ世界の住人、つまりこの世界の言葉で言う所の天界の人間でなければどうしようもないのだ。
考えている間も事態は容赦なく進んでいき、恭佳が使用しているガレー船がこちらの陣のど真ん中に突っ込んできて大砲を乱発しながら次々とこちらの船を沈めていく。このままでは味方の船を全て沈められてしまうので、あの船を何としても止める必要がある。その考えは劉備軍も同じらしく、関羽が兵達に指示を出し、火矢による一斉射撃、及び脱出用の小舟で直接乗り込む手段を取り始めたので、周瑜もその動きに呼応するように兵に指示を飛ばした。
「こちらも劉備軍に続け! 奴らに江東の水軍の恐ろしさを教えてやるのだっ!」
「はっ!」
「この世界には不釣り合いなガレー船。なるほど。アレが恭佳さんが言っていた戦力増強という訳ですのね。しかし……貴方達に果たしてあの船を止める事が出来ますのかしら?」
「言ってくれるわね。私達が育て上げた精兵達が、水上戦で後れを取るとでも?」
「相手が『普通の人間』なら充分戦えるでしょうね。ですが、あの船の指揮者はある意味わたくしより質が悪い人ですわよ? 何しろ……本当に人間ではありませんから」
「…………」
「信じるも信じないもそちらの自由。まあ、すぐに思い知るでしょうね。わたくし達にケンカを売るのがどれ程まで危険な行為なのかを……」
「それについては貴方の相手をしていて充分すぎる程に痛感しているわよ……」
「ふむ。ならば続きを始める前に、一つだけ忠告をしてあげましょうか」
「忠告ですって?」
「ええ。……わたくしとのこの先の勝負、わたくしを倒すなどという欲は出さない事ですわね。生き残る事だけに専念しないと……本当に死にますわよ」
「これはまたありがたいお言葉を頂戴したわね」
「聞くだけでは無意味ですわよ。わたくしの言葉をちゃんと……肝に銘じなければっ!」
「っ!?」
低姿勢で突進を繰り出した樺憐は、後ろに引いていた左手の拳で孫策の顎を真下から打ち上げるようにアッパーを放つが、彼女はすぐさま上体を後ろに引いてその一撃を紙一重で躱し、素早くバックステップをして樺憐との間合いを開いた。樺憐の拳は確かに躱したのだが、顎に小さな痛みが走るので、孫策は不審に思って左手で軽く触れて指先を見てみると、薄っすらと血で紅く染めあがっていた。
恐らくだが、先程の樺憐の拳は周囲に真空刃を巻き起こし、それが孫策の顎を斬りつけたのだろう。
(ちょっとっ! 何なのよこの女! 拳一つでここまでやるなんて……本当に化物じゃないのっ!)
「考え事をしている余裕があるのですか!」
「くっ!」
「策殿! 伏せろっ!」
ちょうど孫策の真後ろに居たので陰になって見えていなかった事を利用し、黄蓋は彼女に突撃をしていた樺憐にもう一度二本の矢を同時に放った。孫策が素早く伏せた事でその後ろから黄蓋が放った矢が樺憐の視線上に飛び込み一直線に飛来してきたが、彼女は素早く両脚でブレーキをかけて踏み止まり、何食わぬ顔で右手を振り上げ、いとも簡単に掴み取って見せたのだ。
「なっ!?」
「学習能力の無い方ですわね。言ったはずですわよ。こんな物でわたくしは倒せないと……」
「くぅ……っ!」
「目障りですのでそろそろ貴方には退場してもらいましょうか。……ほら。これは貴方にお返ししますわ」
樺憐は掴み取った二本の矢を指の間に挟み、黄蓋に狙いを定めてそれをまるで手裏剣を投げるかのような要領で右手首のスナップを効かせて投げ返した。投げ返された矢はぶれる事無く、黄蓋に向かって一直線に飛来してきたが、あと少しで命中という所で呂布が間に割って入り、戟を振り下ろしてその矢を二本とも叩き落としたのだ。
「呂布。すまんな。おかげで助かった」
「…………気にしなくていい」
首を軽く横に振り、最低限の言葉しか発しないためその様子はどこか素っ気無く、相変わらず胸の内がいま一つ理解できないが、呂布の実力は本物だ。反董卓連合時はその驚異的な実力に手を焼かされた武人達は大勢居る。だがその人物が今は味方としてここに居るのだ。彼女の存在はまさに、この赤壁の戦いを制する唯一の希望と言える。
「…………あいつは恋が倒す。二人は後ろに下がってて」
「呂布っ!? しかし……っ!」
「祭。ここは彼女の言う通りにしましょう。悔しいけど、あの女とまともに闘えるのは呂布しか居ないわ」
「……承知した」
現状では樺憐に対して手も足も出ない状況だ。だがそれでも、彼女を相手に呂布だけがその実力に肉薄している。ただ、まだ樺憐が本気を出していないという気がかりな点があるが、それでも今の所、彼女とまともに闘えているのは間違い無い。ならばここは呂布の言う通りにし、自分達は己と孫権や孫尚香の身の安全を護るように専念するのが最善だろう。
孫策と黄蓋はこの場を呂布に託し、二人は後方へ下がって孫権達の前に立って安全を確保し、樺憐と呂布の闘いを見守った。
「それが賢明な判断ですわ。では呂布さん。わたくしも貴方の強さに応えるよう、少しだけですが本気を出させていただきますわ……」
「…………来い」
「では……行きますわよっ!」
樺憐は右腕を後ろに引いて大きく振りかぶりながら身を低くして地面を蹴り、呂布に突撃した。その踏込の速度は今までと変化はないが、次の瞬間、その場に居る全員が樺憐の言葉の意味を理解する事となった。
呂布との間合いが目と鼻の先まで縮まり、後ろに引いていた腕をグンッと伸ばし、拳を一気に振り下ろした。その勢いはまるで工事などで使用する大型のハンマーのようにさえ思えた。呂布はすぐさま反応して後ろに跳躍して樺憐との間合いを開き、その鉄拳を躱してみせる。
空を斬った樺憐の拳はそのまま甲板の床板に命中し、バキッと派手な破壊音を立てながら穴を開けたのだ。樺憐は床板にめり込んでいる拳を引き抜いて何食わぬ顔で立ち上がり、呂布に視線を向けた。
「ふむ。まさか躱されるとは思いませんでしたわ。もしかしたら……貴方なら本気のわたくしを前にしても生き残れるかもしれませんわね」
「…………」
「呂布さん。わたくしばかり攻めても面白くありませんわ。貴方の強さ、見せてくださいな」
「…………」
樺憐は右手でクイクイッと手招きをして、ワザとらしくかかって来いと言わんばかりに呂布の事を挑発した。呂布は戦場で生きてきた筋金入りの武人だ。彼女もこれが挑発行為だという事ぐらい分かるし、樺憐を相手にして下手に攻め込めば自分が危険になるだけという事も理解している。
だが、このまま何もしないという訳にもいかない。例え相手がどれ程の強者であろうとも、後手に回ってばかりでは勝てる闘いにも勝てなくなる。呂布が戟を肩に担ぎ、樺憐に向かって攻め込もうとしたその時である。恭佳が指揮しているガレー船から大砲が轟音を轟かせて砲撃され、その弾がこちらの船に向かって飛来してきたのだ。樺憐は思わず身構えてしまうが幸い着弾はしなかったものの、弾は船の目前で落下して派手な水柱を立てて辺りに水を撒き散らし、その水を頭から被ってしまったのだ。
「何をしますの恭佳さん! こんな事をされては温厚なわたくしでも流石に本気で怒りますわよ!」
非戦闘時は温厚な樺憐がここまで怒鳴る姿も実に珍しい。まあ、今回ばかりはどんな温厚な性格の人間でも怒るだろう。悪意があってやった訳ではないとはいえ、下手をすれば弾が自分に直撃していた可能性すらあるのだ。例えそうならなくても、船体に大砲の弾が直撃すれば、木造の船などあっという間に破壊されるし、破壊時に木の破片が飛んでくる可能性もあり得るのだから。
だが、これは呂布にとっては好都合の出来事だった。いま樺憐の注意はこちらにではなく、恭佳が指揮しているガレー船の方に向いているのだ。この僅かに生じた隙を彼女は見逃さず、身を低くしながら樺憐に突撃したのだ。
「…………ふっ!」
「おっと!?」
袈裟斬りするかのように斜めに振り下ろされ、迫り来る戟の刃を樺憐は素早くバックステップをして後方へ下がり難なく躱したが、反応が一瞬だけ遅かったため風になびいている長い髪にかすってしまい、彼女の自慢の髪の毛が数本空中に舞い散った。
だが呂布の猛攻はこれだけでは終わらなかった。彼女は振り抜いた戟を持っている右手をクルンと反転させて刃の向きを変えて今の体勢を維持したまま更に突撃し、樺憐との間合いをもう一度詰め、弧を描くように振り上げた。
「ふむふむ。お上手です事」
しかし、樺憐は軽く上体を後ろに逸らしてその一撃も紙一重で躱し、呂布の動きを冷静に分析しながら軽口を叩く余裕さえ持っていた。決して手を抜いている訳ではないのに渾身の一撃がことごとく躱されてしまう。ならばと思い、呂布は上空に振り上げた戟をそのまま後ろに向かって片手で振りかぶり、樺憐の脳天をかち割るかのように一気に振り下ろした。
だが、樺憐もこれ以上呂布に付き合うつもりも無かった。彼女は単に呂布の実力の片鱗を垣間見たかっただけに過ぎない。樺憐は呂布の戟の穂先に狙いを定め、素早く上半身を右に捻りながら右腕を後ろに引いて握り拳を作り、更に手甲に隠されているブースターも起動したのだ。
「攻撃とはこうするのですわよ。……ジェットスマッシュ!」
「っ!?」
身体の捻りに加え、右手のファングのブースターも瞬時にして吹かして更に勢いを付けた樺憐の鉄拳は今まで以上の速度で放たれ、その拳は呂布の戟の穂先に命中した。
呂布は戟の穂先に左手を添え、全身を使ってその一撃を受け止めてみせた。奇跡的にも彼女の戟は破壊されなかったが、耐えれたのは一瞬だけだ。樺憐はブーストを更に吹かして容赦無く拳を振り抜き、呂布は戟もろとも勢いよく吹っ飛ばされ、船の縁に身体を激しく叩き付けられ、そのまま崩れ落ちて動かなくなってしまった。
「呂布っ!?」
「ふふ」
樺憐は優雅に佇みながら右手を軽く振ってファングのブースターを収納させると、手甲からはガシャンと重っ苦しい音が鳴り響く。二人の攻防を見ていた呉の首脳陣達は言葉を失っていた。
この場に居る全員が呂布がどれ程の実力者なのかを理解している。現に先程まで、樺憐とは良い勝負をしていた。だが実際はどうだ。確かに呂布は樺憐に肉薄していたかに見えたが、彼女の隠し玉のおかげで状況は一瞬にして引っくり返ってしまったのだ。この光景を見て誰もが思っているだろう。樺憐を止める事が本当にできるのかと。
「……貴方のその武器、普通の手甲と具足って訳ではなさそうね」
「ええ。この世界の言葉を借りるなら、一種の絡繰りが仕込んである物ですのよ」
「…………」
「言っておきますがこの世界の武器でコレは破壊できませんわよ。それともう一つ。破壊が無理なら奪うという考えもやめておくのですね。仮にわたくしからコレを奪えたとしても、この世界の人間では触れる事も出来ない。例え出来たとしても、真の力を引き出せる人物など居ないでしょうがね……」
そう。樺憐だけに限らず、零治達が扱う武器は普通の物とは違う。神器と呼ばれる異質な物だ。それぞれ意思のような物を宿し、神器に認められなければ使う事はおろか触る事すらできないのだ。
仮に神器に認められ触る事が出来たとしても、真の力を引き出すには魔法を行使する能力、つまり魔法使いとしての資質が必要とされる。妖術使いや凪みたいに氣の扱いを得意とする人間なら居るが、その力が神器に対応できるかは不明だし、この世界の人間全てがその力に精通している訳でもないのだ。となれば、触る事も出来ないのが殆どだろうし、仮に触れても真の力を引き出せず、普通の武器としてしか扱えない程度で終わるのがオチだろう。
「さて、次は誰ですか? そちらの頼みの綱はあの有様ですし……って、あら」
「…………」
樺憐は何気なく、呂布が崩れ落ちている船の縁の方に視線を向ければ、驚いた事にその呂布が立ち上がっているのだ。だが、やはり樺憐の先程の攻撃で受けたダメージは大きく、足元が少しふらついているし左手で脇腹を押えながら立っているのがやっとの状態だ。とてもこれ以上樺憐と闘う余力があるとは思えない姿である。
「驚きましたわね。全力ではないとはいえ、わたくしのジェットスマッシュを受けてなお立ち上がるとは」
「…………まだ、闘える」
「ほぉ~。まだ闘う意志が折れないとは。ある意味、貴方はわたくし以上に化物かもしれませんわね」
「…………」
「いいでしょう。そちらがその気ならわたくしも容赦はしませんわよ。今度こそ終わらせて……。っ!?」
「…………?」
いざ呂布との闘いを再開しようとしたその時、樺憐は何か異質な存在の気配を感じ取り、後方へ振り返りながら鋭い視線を向けたのだ。その方角は星達が乗船している船の付近。つまり零治が居る場所なのだ。
その姿を眼にした呂布は不思議そうに首を傾げるが、樺憐は相変わらず後方に視線を向けたままだ。何かを警戒するようにしきりに犬耳をピョコピョコと動かしながらどうするべきか思考を巡らせている時、恭佳が指揮しているガレー船が眼に留まったのだ。
「やはりまずは本隊に報せるべきですわね。……呂布さん。残念ですが勝負はお預けのようですわ。わたくしは他にやる事が出来ましたので」
「…………」
「ふふ。縁があればまたお会いいたしましょう。では、失礼」
樺憐は軽く跳躍して船の舳先に着地し、更に両脚を曲げて力を溜め、今度は大きく跳躍して空中に躍り出て、ファングの具足の方のブーストを吹かして飛距離を伸ばし、恭佳の船まで一気に跳んで行った。
いま一つ状況が理解できない呉の首脳陣達は呆気に取られていたが、一つだけハッキリと分かった事がある。それは樺憐が引き揚げてくれたおかげで、目の前の脅威は去った事である。
「逃げた……訳ではなさそうですな」
「ええ。さっきの様子、まるで何かを警戒しているようだったわ。一体どうしたのかしら?」
「儂に訊かれても分かりませんよ。しかし……流石に今回は肝を冷やしましたわい」
「全くね。あの女、下手をしたら母様とも互角に闘えてたんじゃないかしら?」
「かもしれませんな」
「っと。今はそんな事を言ってる場合じゃないわ。……呂布、大丈夫?」
「…………平気」
あれ程の激闘の直後だというのに、呂布は抑揚の無い声で平気と言い張るが、どう見ても平気には見えない。木造の船体に背中を激しく打ち付けられ、その衝撃は内臓を駆け巡って今も身体の内側に鈍痛が走っているのだ。それだけでなく、樺憐に喰らわされた強力な一撃。アレも辛うじて受け止める事が出来た程度なのだ。衝撃を全て受け流す事が出来た訳ではない。本人は平気と言っても、これを放っておく訳にもいかなかった。
「そんなふらふらの状態で平気な訳ないじゃない。冥琳、すぐに衛生兵を呼んできて」
「分かった」
「呂布、冥琳がすぐに衛生兵を連れてくるからね。貴方は座って休んでいて」
「…………」
船が動かせないという状況はまだ解決していないが、樺憐という驚異は去ってくれた。だが黄蓋はまだ何か気がかりな事があるのか、船の舳先に立ちながら眼前に展開している魏の軍勢。そしてその船団内で一際目立っている恭佳が創り上げた五隻のガレー船を見つめながら考え事をしていた。
「祭、どうしたの? 何か気になる事でもあるの?」
「……まあ、気になると言えば気になるのじゃが」
「もしかして金狼の事?」
「うむ……」
「…………」
「策殿……」
「分かってるわ。彼を連れ戻したいんでしょう?」
「ああ。どうにも放っておけんのじゃ。それに……あやつの闘う理由を考えれば、やはり危ういと思えてな」
「いいわ。行ってきなさい。何人か兵も連れて行くと良いわ」
「感謝する」
王である孫策が了承したのなら誰も文句は言うまい。まあ、後で周りから揃って顰蹙を買うのは間違いないだろうが。だがそれでも彼女は行くつもりなのだ。確かに目の前には魏の船団が展開している。金狼の元に行くという事は敵陣の中を突っ切る事になる。となれば危険は避けられない。
しかし船の扱いに関してはこちらが上だ。それが大型であろうが小型であろうがだ。零治の妨害さえ無ければ水の上での利はこちらにある。黄蓋は矢筒に矢を補充して準備を整えたが、孫策とのやり取りを見ていて反対する者も居た。孫権と孫尚香の二人だ。
「待って、祭! こちらに無事に戻って来れたのに、どうしてまた危険を冒すような事をするの!」
「そうだよ! あんな奴のために祭が危険な目に遭う必要なんか無いじゃない!」
「蓮華様、小蓮様。儂を想うそのお気持ちはとても嬉しく思います。ですが、儂はどうしてもあの男を放ってはおけないのですよ」
「祭……」
「蓮華様。そのような顔をしないでください。心配は無用。儂は必ず戻ってきます」
周瑜との連携による策は失敗に終わり、死を目前にしていた中を命辛々帰還できたのだ。孫権や孫尚香が自分の身を案じてくれる気持ちは分かる。これからやろうとする事はそれだけの危険が伴うのだから。もしかしたら今度こそ命を落とす可能性もある。だがそれでも黄蓋の気持ちは変わらない。彼女は周囲の兵達に声をかけ、志願を募った。
「これから儂は個人的な目的で曹操軍の陣内へ向かう。何人か儂と共に来てほしい」
「はっ! この命、黄蓋様に預けますっ!」
「私もお供いたします!」
「自分もです!」
「俺も連れて行ってください!」
「私も行きます!」
声高らかに志願する五人の屈強な呉の兵士達。移動には脱出用の小型船を使用するので、あまり大人数になっても意味は無い。それに目的はあくまでも金狼を連れ戻すのが目的であって戦闘ではない。まあ、敵陣に突っ込む以上は敵との戦闘も避けられないかもしれないが、小舟なら小回りが利くし、地元なのだから敵の眼を掻い潜るための最善の進路も把握してあるから隠密行動もお手の物だ。黄蓋はこれで充分だろうと判断し、大きく頷いた。
「済まんな。お主らの命、儂が預かる!」
「祭!」
「何じゃ!」
「必ず生きて戻るのよ!」
「おう! 行ってくる!」
力強い返事と共に黄蓋は志願した兵達と脱出用の小舟に乗船して乗組員に舟を水面まで降ろさせ、降下用のロープを取り外し、兵に指示を出して舟を進めさせた。
進みゆく舟を兵達と共に孫策、孫権、孫尚香の三人も見送るが、孫権と孫尚香の表情はとても不安げだ。たった五人の兵を引き連れ、脱出用の小舟で敵陣の中を突っ切るのだ。敵と接敵すれば危険は避けられない。いくら小回りが利くとはいえ、敵に見つからないという保証はどこにも無いのだから。
やがて舟が見えなくなり、黄蓋を行かせる決断を下した孫策に、孫権と孫尚香の二人は怒りの矛先を向けたのだ。
「姉様! どうして祭を止めてくれなかったのですか!」
「そうだよお姉ちゃんっ! 折角無事に戻って来れたのに、どうしてまた行かせちゃったのよ!」
「あぁもう! 二人して耳元で叫ばないでよ!」
「お二人の気持ちを考えれば、叫びたくもなるだろうさ」
「あっ、冥琳。呂布の方は済んだの?」
「ああ。いま衛生兵に手当てをさせてある。それから隣の船から連絡があったぞ。思春を救助したとな。命に別状は無いそうだ」
「そう。良かったわ。……所でさぁ、冥琳。もしかしてぇ……」
「ああ。一部始終見させてもらったぞ。全く、お前という奴は私に一言も相談もせず勝手な事を……」
「私は祭の意思を尊重してあげただけよ? あの金狼って子に何か思う所があるから行かせてあげただけ」
「本音は?」
「何となく面白そうだったから♪」
「はぁ~。やっぱりそれか……」
孫策の本音を耳にし、周瑜は頭を抱えながら天を仰ぎつつ大きな溜め息を吐いた。孫策は昔から何をするにしても考えて計画を立てるというより、どちらかというと思いつきによる直感的な行動を取る事が多い。
幼馴染みの周瑜も彼女のそういう面で今まで、それこそ子供の頃から振り回されて散々な目に遭ってきているのだ。周瑜にとって孫策のこういう所は今でも頭痛のタネである。
「ほらほら。そんな顔しないで。大丈夫。祭は必ず戻って来るわ」
「まあ、雪蓮がそう言うのなら私も信じるさ。だが、なぜ祭殿を行かせた? あの金狼という男、場合によっては我ら孫呉の脅威にもなりかねんのだぞ……」
「そうねぇ。彼のあの眼……あれは自分の目的のためなら手段を選ばない種類の人間の眼をしていたしね」
「ああ。そして、あの祭殿がその事に気付かないはずがない。あの方の性格を考えれば、本来なら放っておくはずだ」
「ええ。なのに放っておけなかったそうよ。何か思う所があったのよ、きっと。今の私達に出来る事は祭が無事に戻って来るのを信じて、この戦いを乗り切る事よ」
「それは分かってる。だがこちらの船はこの水の鎖のせいで動かす事が出来ない。まずはこれを何とかせねばならんのだが、そのためには……」
「ええ。この鎖を生み出した張本人である黒き閃光を倒さなきゃいけないんだけど、あの男は劉備軍の船に乗り込んでるしね。さて、どうしたものかしら」
この赤壁の戦いを乗り切るにしても、こちらの船は自軍、劉備軍共に零治の魔法のせいで河の上に縛り付けられ身動きが取れないのだ。今の状況を打破するには、まずこの水の鎖をどうにかする必要がある。そしてそのためにはこの状況の原因である零治を倒さねばならないのだが、その零治本人は星の挑発に乗り、彼女が乗船している船まで移動してしまってるためこの場には居ない。かといって恭佳が指揮している船を放置する訳にもいかないので、孫策と周瑜は頭を悩ませてしまう。
その時だった。星達が乗船している船の付近から、突然恭佳が指揮している五隻のガレー船に向かって深紅に発光する魔力で形成された大きな三日月状の斬撃の刃が飛来し、うち四隻の船を真っ二つに斬り裂いてあっという間に沈めてしまったのだ。
「ちょっと! 今度は何っ!?」
「分からん。常識外れの現象、それに敵の船が沈められた点から考えると……蜀の御遣いの一人の仕業ではないかと思うが……」
「なら味方って事で良いの? それにしても無茶苦茶やるわねぇ。一体どんな奴なのかしら?」
「今の攻撃、音無が向かった船の付近の方角から飛んできたな。という事はその近くに居るのかもしれん……」
孫策と周瑜の二人は船の縁から身を乗り出し、主に零治が向かった星達が乗船している船が浮いている付近を注視した。辺りは薄暗く、頼りになる灯りは夜空から照らし出されている月光、それと赤壁内を埋め尽くしている船に点されている篝火の光ぐらいである。
流石にこんな環境ではそう簡単に先程の攻撃を仕掛けてきた人物など見つかるはずはないと思っていたが、零治が乗り込んだ船の付近で一つの人影を見つけたのだ。
「ん? ……冥琳」
「どうした。何か見つかったのか?」
「ええ。あそこを見て。水面に誰かが立っているわ……」
「何……?」
普通なら信じられない話だが、孫策がこういう状況で冗談など言うなど考えにくいし、零治が水の上を歩いていたという前例があるのだ。周瑜はまさかと思いつつも、孫策が指差している方角に眼を向け、その先を注視した。すると確かに、星達が乗船している船の右側面から十数メートル離れた位置に一つの人影が水面の上に立っているのだ。
「確かに誰か立っているな。まさか音無か……?」
「その可能性は否定できないけど、さっきの攻撃の正体があの人影ならそれは無いわね」
「ああ。いま沈められたのは魏の船だ。あれが本当に音無なら味方を攻撃したという事になるからな。ならばやはり、あの人影は蜀の御遣いの一人という事になるのか」
状況から判断して、水面の上に立ってる人影の正体は蜀の御遣いの誰かと見て間違い無いはずだった。だがその人影は星達が乗船している船に向かって右腕を大きく振りかぶり、一気に振り抜いて先程四隻のガレー船を沈めた物と同じ形状の斬撃を放ち、味方であるはずの船の一部を斬り裂いたのだ。
斬り裂かれた船体の一部は宙を舞いながら河に向かって落下し、大きな水柱を立てて水中へと沈んでいく。目の前で起きた出来事を目の当たりにした孫策と周瑜は訳が分からなくなってしまった。
「えっ!? ……どういう事? あの人影……蜀の御遣いの一人じゃないの?」
「そのはずだと思ったのだが……魏だけではなく蜀の船にまで攻撃だと? もしや、魏と蜀以外のどこかの勢力に新たな御遣いが……?」
「冥琳、その可能性は低くない? 今やこの大陸は私達の呉、曹操の魏、劉備の蜀とほぼ完全に三分化されてるのよ。私達以外で残っている連中なんて規模の小さな弱小勢力じゃない。仮にその話が本当だとして、今まで行動していなかった説明がつかないわよ」
「確かにその通りだ。ならばやはり蜀の……。しかしそれならなぜ味方に攻撃なんかしたんだ」
「流石の私もそれは分からないわよ。……ん? ちょっと冥琳、あれ。人影が増えてない……?」
「何だと?」
周瑜は怪訝な表情でもう一度人影が立っている場所を注視すると、確かにそこには星達が乗船している船のすぐ隣の水面に人影が一つ立っており、その者の視線の先にもう一つの人影。つまり先程星達が使用している船に向かって斬撃を浴びせた人物と向かい合っているのだ。
「あの人影……もしや音無か?」
「恐らくね。あの船は彼が向かった船だもの。という事は……相手は蜀の御遣いでしょうね」
「まさか……あの御遣いは音無を挑発するだけのために味方の船を攻撃したのか……?」
「かもしれないわね。でも、だとしたらあの御遣いは黒き閃光さんより危険な奴かもしれないわね……」
孫策の言葉は紛れも無い事実である。今しがた四隻のガレー船を沈め、星達が乗船している味方の船にまで攻撃を仕掛けたのは、この大陸に降り立った天の御遣いの中でも最も危険な人物である黒狼なのだ。
だが、それでもまだこの世界の英傑達は本当の意味で彼の危険性を理解はしていない。華琳達も零治達から口頭で説明を受けているだけであり、黒狼の真の実力を見たという訳ではなかった。
しかし魏、蜀、呉と三国の英雄達はすぐに知る事になる。この後に起こり、歴史の一ページに残る零治と黒狼による災厄とも呼べる激闘を目の当たりにして……。
零治「今回の話は樺憐視点か」
作者「ああ」
亜弥「しかし何なんですか、今回のサブタイトルは……?」
恭佳「人目は引くかもしれないけど、分かりづらいねぇ」
作者「いやぁ、色々と考えたんだがこんなのしか思いつかなくて」
樺憐「わたくしを凶者と表現するとは……随分と酷い事をしてくれますわねぇ」
作者「い、いや、褒めてんだよコレは!」
奈々瑠「まあ、確かに母さんの強さは凶悪ですからね」
臥々瑠「うん。間違いなく凶者だね」
樺憐「二人までそんな事を言うなんてぇ……。あぁ、わたくしもう立ち直れませんわぁ。シクシク……」
恭佳「あ~あ。泣かせた」
亜弥「女性を泣かすなんて……貴方最低ですね」
作者「えっ!? オレのせいなの!?」
零治「まあ、原因作ったのはお前だし。やっぱお前のせいだろ」
作者「理不尽だーーーっ!!」




