第74話 再現、天界の料理 Part2
随分遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年も作者とこの作品を共々よろしくお願いします。
さて、今回の話に出てくる料理も作者がこれで良いだろうと勝手に解釈している部分がありますので、現実で真似をする場合は自己責任でお願いします。まあ、流石にこれを一から本気で作る人なんて滅多に居ないと思いますが念のため。
とある昼下がり。呉の初戦を制し、前線基地の城を確保してから二日が経過し、今日は昨日留守番組だった魏のメンツが休暇も兼ねて本国への帰還を果たす日である。
また、日々国の繁栄のために様々な尽力をしてくれているので、昨日休みだった零治、恭佳、樺憐は今日も休みを与えられている。
人々が行き交う街の繁華街で、買い物及びボランティアも兼ねた見回りを行っている零治は一人、誰に言うのでもなく呟いた。
「全く。なんだってこんな事に……」
本国に戻る前、亜弥達と共に朝食を食べている時にしていた他愛も無い日常会話で、それは起こったのだ。
零治は宙を見上げながら街中を練り歩き、その事をもう一度思い返した。
………
……
…
「おでんを作って」
「はっ?」
事の発端は臥々瑠のこの一言から始まったのだ。朝の食事中にいきなり何を言い出すのだと言いたげに、零治、亜弥、恭佳、奈々瑠、樺憐の五人は面食らい、眼をパチクリとさせて臥々瑠を見つめる。
その臥々瑠は周りの反応などお構いなしに、更に言葉を続けたのだ。
「だ~か~ら~。おでんを作って」
「臥々瑠、いきなり何を言ってんだ?」
「兄さん、昨日華琳達とコロッケを食べたんでしょ……?」
「そうだが……何で知ってるんだ?」
「お母さんに教えてもらった」
「ふ~ん。で? その話がおでんとどう結びつくんだ?」
「だってずるいじゃん……」
「ずるい? 何が?」
「兄さん達だけずるいじゃん! 元居た世界のご飯を食べるなんてぇ! アタシだって食べたいっ!」
食堂には他にも人が大勢居るというのに、臥々瑠は乱暴にテーブルを両手で叩いてその場から立ち上がり、大声を張り上げて零治の事をビッと指さした。その姿に周囲で食事をしている者達は何事かと言わんばかりの視線を零治達のテーブルに向ける。
これは要するにアレである。臥々瑠は零治達が自分の知らない所でコロッケ、というよりは元居た世界の料理を作り上げ、食べた事が気に入らないのだ。だから今度は自分におでんを作れと言いたいのだろう。
「あのなぁ。昨日確かにコロッケを作ったし、食った事も認める。だがアレは華琳がオレ達の世界の料理をこの世界の食材で再現してみたいと言い出したからだぞ? 別に初めから食うのが目的だったわけじゃ……」
「そんな事はどうでもいいのっ!」
「あぁ、はいはい。ならお前はオレにどうしてほしい訳?」
「だからおでんを作ってって言ってるの!」
「つまり食いたいのか?」
「そっ!」
「…………」
力強く頷く臥々瑠の姿に、零治は両手で頭を抱えて項垂れてしまう。
昨日のコロッケも作れたのは代用品があったからこそである。そこに来て今度はおでんを作るとなると、これはコロッケ以上の難問である。当然必要な食材もコロッケ以上に多くなるし、何よりおでんを作るとなればだし汁が必要不可欠となる。おでんの出汁で主流となるのは鰹節や昆布になる。だがこれらの食材はこの世界には無い。もしかしたら華琳が大量に用意したあの食材の山の中にある可能性も否定できないが、正直言って微妙な所である。
「お前なぁ……この世界でおでんを作るのがどれだけ難しいか分かって言ってるのか……?」
「そんなの分かる訳ないじゃん」
「だろうなぁ……。はぁ……しかしおでんかぁ……」
「いいねぇ、おでん。味の染みた具材をつまみながらビールを片手にとか最高じゃん」
「いやいや、恭佳。熱燗も捨てがたいですよ?」
「お前らまで何を言い出してんだ……」
「まあまあ。零治さん。幸いこの後本国に戻るのですし、昨日みたいにまたチャレンジしてみましょうじゃありませんかぁ」
「樺憐、本気で作るつもりか?」
「はい。わたくしも食べたいですしぃ」
「はぁ……分かったよ。ならまずは何の具材を入れるか決めとかないとな」
おでんの具材はある程度は共通しているが、地方によって様々な具材が投入されており、食べ方も微妙に違っていたりする。もともと使う具材の種類が多い料理なのだ。作る前に何を投入するのか予め決めておかないと何かと苦労する。ましてやこの世界でなら尚更である。
「まずは大根と卵だろ。ってか、ここって大根あるのか?」
「そういえばなぜかありましたね。まあ、あまり深く考える必要は無いのでは? 大根はおでんの具材の中では外せない存在ですし。餅巾着も欲しいですけど……油揚げは豆腐を薄切りにして揚げればできますが、餅が無いから無理ですかね」
「だな。後は厚揚げ……まあこれは豆腐を買って油で揚げれば問題ないか。こんにゃくと白滝はコンニャクイモが無いと話にならん。ってか、こんにゃくから作ってたらおでんなんか作る暇も無い」
「それは春雨でも代用すりゃいいだろ? 後はがんもとか……あぁ、ロールキャベツも外せないねぇ」
「ロールキャベツ? 恭佳さん。おでんにロールキャベツって変じゃないですか?」
「いやいや。奈々瑠、おでんにロールキャベツは外せない具材だよ? ロールキャベツの入ってないおでんなんてアタシはおでんと認めない」
「あらあら。恭佳さん。それを言ったら練り物類も外せませんわよぉ?」
「母さんの言う通りです。ちくわに野菜入りの天ぷら……あぁ、海老のしんじょとかもいいですねぇ」
「まあその辺は何とかなるだろう。……臥々瑠、お前は何が食いたいんだ?」
「えっとねぇ……牛すじとつくねと豚トロとソーセージとぉ」
「全部肉じゃねぇか。お前はおでんをただの肉鍋にするつもりか……」
「えー。だってどれも美味しいじゃんか~」
「いや、それはそうだが……」
「臥々瑠。貴方の肉に対する執着心は今に始まった事では無いのですがね、この世界ではソーセージなんか入手できませんよ?」
「それに牛すじも難しいぞ。元居た世界と違ってコッチには生のしか無いんだからな」
「うぅ。ソーセージは言ってみただけだよ。でも、牛すじは生でもあるんでしょ? それの何が問題なの?」
臥々瑠は零治の言葉の意味が理解できず、不思議そうに首を傾げた。まあこれは彼女が料理をしない食う專のせいもあるのだが。
そもそもバラ売りされている市販の肉は汚れや血合いが丁寧に取り除かれて市場に並んでいる物なのだが、牛すじの場合は少しずつ取られて集められている肉なので、これらが完全に取り除かれていないため美味しく食べるにはこれをまず除去する必要がある。
次に牛すじは牛肉の中でも味が濃い部類なので、脂や臭みも当然強い。なので調理をする前に一度煮込んで臭みと灰汁を取らねばならないし、肉その物が固いため柔らかくするためにもこの煮込み処理は必要不可欠なのだが、この処理が非常に時間のかかる作業なのである。圧力鍋があれば短時間で終わらせられるのだがこの世界にそんな便利な道具は無い。おまけにおでんの他の具材の調理もしなければならなにのに、牛すじの下処理までしていて本当におでんを作る事が出来るか零治は微妙に思っているのだ。
「まあまあ。零治さん、確かに牛すじは下処理が面倒ですが、どうせ他の具材の調理もしなければならないのですし、大した問題ではありませんわぁ。わたくしも手伝いますからぁ」
「ふむ。まあ確かに、樺憐が一緒なら何とかなるだろうな。亜弥、状況が状況だ。お前にも手伝ってもらうからな」
「ええ。構いませんよ」
「あっ。なら私も手伝いますよ、兄さん」
「そうだな。人出は多いに越した事は無い」
「ならアタシらは出来上がるのを待ってりゃいいんだね?」
「姉さん、何を言ってんだ? 具材の調達ぐらいはしてもらうぞ。それすら手伝わないのならおでんは食わせないからな」
「うっ……分かったよ」
「臥々瑠、お前もだぞ」
「は、は~い……」
流石の零治も今回ばかりは食う專組に何もやらせないつもりなど毛頭無かった。料理の補助人員としては期待できないが、材料の買い出しぐらいはしてもらわなければ困る。
もしかしたら華琳が先日のために大量に用意した食材の中に必要な物は揃っているかもしれないが、揃っていないか、あるいは数が足りない可能性だって充分に考えられる。何より今回作る物は必要な食材の種類が多いのだ。一人で全部調達などしていたらそれだけで日が暮れてしまい、調理に取り掛かる時間など得られやしない。
「なら、向こうに戻ったらまずは華琳が用意した食材の中に必要な物があるかの確認だ。それで足りない物は手分けして街へ買いに行く、いいな?」
「ふむ。それは良いんですがね。零治、実は一つ気がかりな点があるんですが」
「何だよ?」
「出汁はどうするつもりなんですか? 確かに具材も大事ですけど、おでんの味の一番の決め手は出汁ですよ。鰹節も昆布も無いこの世界でどうやってだし汁を用意するつもりなんですか?」
そう。先程も述べたように、おでんの味の一番の決め手はだし汁にある。鰹節や昆布の出汁が一般的だが、この世界にそれはどちらも無い。使えそうな物があるとすれば海産物を乾燥させた保存食としても知られている乾物類、乾貨ぐらいである。これなら良い出汁も取れるのは期待できるし、魚介系の出汁を使ったおでんも実際にあるので使えなくはないだろうが、味付け次第では中華風になってしまい、それではおでんではなくおでん風の中華鍋になってしまう。いや、それはそれで旨いかもしれないのだろうが、舌が肥えている臥々瑠を満足させる事が出来るかは微妙だ。
別に臥々瑠は食通ではないし、高級食材の味の良し悪しも分かりはしないが、本人が食べたいと言い出した物はちゃんと食べさせないと何かとうるさいのでこのへんがそこいらの食通より扱いが難しいので厄介なのである。
「まあ心配するな。鰹だしや昆布だしは無理だが、代用品については考えがある。それじゃあ、向こうに着いたら誰が何を買いに行くかの割り振りをする。特に姉さんと臥々瑠は全く関係ない物は買ってくるなよ?」
「へぇ~。中々面白い話をしているじゃないの、零治」
「ん? って、華琳。今の話、聞いていたのか?」
「ええ。零治、そのおでんとやらの作成、私も参加させてもらうわよ」
「おい。お前は仕事があるはずだろうが……」
「生憎と今の所、私の判断が必要な案件は無いの。だから私が抜けても特に問題は無いわ」
「やれやれ。仕方ない。好きにしろよ」
………
……
…
で、現在に至っている訳なのだ。本国についてから荷物を解き、食材の確認をしてそのまま全員は街に移動し、各々が担当する食材の買い出しに向かったという訳なのだ。因みに零治と華琳は肉類を担当、亜弥と恭佳のペアは魚介類、樺憐、奈々瑠、臥々瑠の母娘三人は野菜類の担当である。
「うーす。親父ぃ」
「おぉ、音無様。らっしゃい。今日も買い物ですかい?」
「ああ」
「今日はこれなんかどうです? 良い牛肉が入荷したんですがねぇ。今なら特別に安く売りやすよ?」
「悪いな。今日は牛肉を買いに来たわけじゃないんだ。いや、正確には牛肉も買うんだが、必要なのはその部位じゃなくてな」
「そうですか。ならどこがご入用なんですかい?」
「牛すじはあるか?」
「牛すじ? そりゃありますけど、あんな物なんかで構わないんですかい?」
「構わん。それと鶏のひき肉と豚トロをあるだけ全部くれ」
「相変わらず豪快な買いっぷりですなぁ。物はいつも通り城へ配達でよろしいですか?」
「いや、それは今すぐ必要なんだ。悪いが全部包んでくれ」
「へい! 少々お待ちを」
必要な物は注文したが、今回はすぐに持ち帰らねばならないし量が量なのだ。肉屋の店主は店の奥に引っ込み、零治から頼まれた品物を全て包む作業に没頭する。この様子ではしばらくは戻ってこないだろう。
「零治。貴方まさか……いつもこんな風に食材を買ってるの?」
「そうだが。それがどうかしたか?」
「貴方ねぇ……少しは選別というものをしなさいよ。そんないい加減な買い物をして、良い料理が作れると思ってるの?」
「言いたい事は分かるが、この店の肉の品質は確かだ。オレは信用のおける店でしか基本的に食材は買わんし、馴染の店ならそんな事をする必要も無い」
「それは警備隊の仕事を通して得た信用なの?」
「まあ、確かにそれもあるな」
「ふむ」
その言葉を耳にした華琳は、右手を顎に添えながら地面と睨めっこをして何かを考える仕草をして見せた。
その姿は軍議の時などに玉座に腰かけて事を進める王としての華琳と瓜二つである。
「ん? 何を難しい顔をして考えてんだ?」
「前に貴方に教えてもらった天の国の言葉を思い出したのよ。何と言ったかしら。確か……こ、こ、こ……み……」
「コミュニケーションの事か?」
「そう。それよ。街の民達とのこみにけぇしょんのおかげで得た信用って事なんでしょう?」
「まあそうなるな。後な、コミじゃなくてコミュな。結構元居た世界でも居たんだよな。勘違いして言い間違いしてる奴がさ」
「うるさいわよ。そもそも、貴方の世界の言葉が発音しにくいのがいけないんじゃないの」
「いや、その言葉考えたのオレじゃねぇし。オレに文句を言うのは筋違いだぞ」
「音無様。お待たせしました。こちらご注文の品物になりやす」
「おう。ありがとな。金はこれで足りるか?」
「へい、確かに。毎度ありー!」
「さて、オレ達は先に城に戻って準備をするとしようか」
「ええ」
目的の物は手に入ったので、これ以上街に留まる意味は無い。何よりこれから作る物は仕込みだけでも時間が掛かるのだ。効率性も考えれば、一足先に戻るのが正しい判断と言える。
他のメンバーも間違いが起こらないようにバランスを考えて充てているのだ。後は亜弥達が必要な物を買い揃えて城に戻ってきたら全ての準備は整う。零治達は少しでも時間を有効活用するために一足先に城に戻るのであった。
………
……
…
場所は変わってこちらは海産物系の商品を取り扱っている市が多く建ち並ぶ通りだ。
魚介系の食材を担当している亜弥と恭佳は、多くの人で賑わう通りを練り歩きながら見回りもしつつ、目的の物を取り揃えている店を探していた。
「亜弥。アタシらは何を買うのさ?」
「とりあえず零治からは鯛を三匹ほど買って来いと言われてるんですよね。それもなるべく大きい奴をと。後は海老ですね。何の海老かまでは指示されてませんけど」
「海老は多分しんじょを作るのに使うんだろうけどさ、鯛なんか何に使う気なんだい? それも三匹も」
「私は零治じゃないんだから分かるはずないでしょうが」
「全く。当てにならない奴だねぇ。亜弥、アンタそれでも零治の友人のつもり?」
「だったら貴方はどうなんですか、恭佳。貴方こそ零治の実の姉でしょうが。弟の考えぐらい姉の貴方なら分かるのでは?」
「もちろん大抵の事は分かるよ。でもねぇ、料理の事となりゃ話は別さ」
「要するに分からないって事でしょう。貴方も人の事を言える立場じゃないじゃないですか」
「はいはい。そうでございますね。……所でさ、いつになったら目的の店に着くのさ? もうその辺の店で適当に買えばいいじゃんか」
「そういう訳にはいきませんよ。店は零治から指定されてますし、華琳も絡むとなればいい加減な事は出来ませんのでね」
「やれやれ。料理にこだわりを持つ奴は面倒極まりないねぇ」
「今のセリフ、零治が聞いたら間違いなく怒りますよ。『誰のおかげで旨い飯が食えてると思ってんだ』ってね」
「おっと。ならこれ以上言うのはやめとこうかね。一生飯抜きにされたら堪ったものじゃない」
「それが賢明です。……ほら、着きましたよ」
なんやかんやで移動しながら会話をしていたので、零治から指定されている鮮魚店にはあっという間に到着した。店頭の棚に並べられている魚介類は日の光を受け、まるで宝石のようにキラキラとした美しい輝きを放っていた。
「らっしゃい。おや、神威様。珍しいですね。今日は音無様は一緒じゃないんですか?」
「零治は別の店に買い物に行ってましてね。私が代わりに」
「そうでございましたか。それで今日は何をお求めで?」
「鯛を三匹ほど貰いたいんですが、良い物はありますか?」
「おお! 神威様、運がいいですよ。丁度今日良い物が入荷しましてね。いま持ってきますのでお待ちを」
幸いな事に目的の物は店にあるようで、店主はそれを亜弥に見せるために一度店の奥へと姿を消した。
後は買えば済む話なのだが、見極めもせずに買う訳にはいかない。そう。魚を買うとなれば鮮度が命なのだ。刺身にするわけではないとはいえ、魚を使った料理の味は鮮度で左右されると言っても過言ではないのだから。
「亜弥。丁度いい大きさだったらこの店で買うの?」
「確かに大きさも重要ですが、魚は鮮度が命ですからね。まずはそれを見極めなくては」
「……アンタの事を信用してない訳じゃないけどさ、実際分かるの? 魚の鮮度の良し悪しが」
「零治に見分け方は教えてもらってますから何とかなるはずです」
「ふ~ん。もしダメだったらどうするのさ?」
「零治の行きつけの店だからその心配は無いと思いますが……ダメなら他を当たるしかないですね」
「神威様。お待たせしました。こちらが今日入荷した鯛になります」
「ふむ。どれどれ」
店主が持って来た広く平らなカゴに収まっている三匹の鯛はどれも丸々と太っていて、サイズに関しては申し分は無さそうである。となれば、後は重要視される鮮度である。
普段ならこんな事はしないのだが、どんな些細な情報も見落とさないために亜弥はわざわざ眼鏡を外して顔を近づけ、店主が持って来た鯛を、特に眼の周辺を注視した。鮮度が良い魚は眼が透き通っていて、鯛の場合は眼の上が濃い青紫色に輝いているのだ。
店主が持って来た鯛はどれも眼は透き通って白濁に濁ってはおらず、眼の上も青紫色に輝いていて、体にある青い斑点も鮮やかな輝きを放っている。これらの情報から少なくともこの三匹の鯛の鮮度は問題は無さそうなので、亜弥は顔を離して眼鏡をかけ直した。
「確かに良い鯛のようですね。三匹とも貰います」
「へい! 毎度あり!」
「あぁ、それとですね、店主。実はまだ欲しい物があるんですよ」
「へい。何がご入り用で?」
「海老が欲しいのですが……何か良い物はありますか?」
「海老ですか。……でしたらこちらはどうでしょう? これも今日入荷した物なんですがね」
「どれどれ……って、これは……っ!」
「おいおい。マジかよ……」
店主が取り出した海老を眼にし、亜弥と恭佳の二人は眼を丸くして驚きを露わにする。
それもそのはず、店主が二人に見せたのはなんと伊勢海老である。日本では高級食材として扱われている非常に高価な海老だ。こんな物をおでんの具材にするなど、店で出したら一体幾らの金が取れるのか想像もつかない。
「どうですか? こちらの海老も今日入荷したものですから鮮度については保証しますよ」
「う~む。まさか伊勢海老が出てくるとは」
「亜弥! この海老、今すぐ買え!」
「恭佳。私達が作るのはおでんですよ? それに伊勢海老を使えと言うのですか?」
「ったり前だろ! コイツで作ったしんじょは絶対旨いに決まってる!」
「いや、そりゃ伊勢海老自体が美味しいんですから当たり前でしょう。しかし、少々もったいない気がしなくもないんですが……」
店主が抱えるカゴに収まってる三匹の伊勢海老はピチピチと尻尾を動かして暴れるほど生きが良く、この様子なら鮮度の方も申し分ないだろう。これだけ新鮮な伊勢海老を使ってしんじょを作ればそれは当然美味しいに決まっている。
しかし、高級食材な上、これだけ新鮮ならば寧ろ生のまま刺し身にするか、縦半分に割いて焼き海老にして食べたほうが美味しいのではないかと亜弥は内心思っているし、やはりおでんの具材にするのはもったいないと感じているのだ。だが、伊勢海老を使ったおでんがどんな物になるのか興味があるのもまた事実だし、こんな機会などそうそう訪れるものではない。ならばどうするべきかも決まっていた。
「まあ、こんな機会なんて滅多にありませんしね。良いでしょう。その海老も三匹とも頂きます」
「へい! 毎度あり~! すぐに包みますのでお待ちを!」
「おおっ! 亜弥、よく決断した! いやぁ、今日の昼がこりゃ楽しみだわ」
「……昼どころか夜になるかもしれませんよ? なにせ具材を全部一から仕込まないといけないんですから」
「うわ~、マジかよ。……亜弥、頑張れよ」
「他人事だと思って。食べる専門は気楽でいいですねぇ」
「そう言われてもさぁ、アタシが手伝いなんかしたら邪魔にしかならないじゃん」
「全く。そんなだから貴方はいつまで経っても料理の腕が上達しないんですよ」
「そのセリフ、零治にも昨日聞かされたんだけど……」
「そんな嫌そうな顔をするのなら、この機会に手伝いなさいよ。野菜を切るぐらいなら貴方にだって出来るでしょう?」
「う~ん……それもどうもや~な記憶しかなくってねぇ」
恭佳の言う嫌な記憶とは、かつて零治と一緒にグラタンとサラダを作った時の事だろう。
あの時に犯した恭佳の失態は決して昔話として見知った人間に語れるような事ではない。ただ野菜を切るだけの作業だったのに無駄に悪戦苦闘し、おまけにニンジンの千切りをする時には常識では考えられない方法を実行してしまい、そこから先の作業も散々な出来事だった。
今にして思えば、恭佳が料理に対して積極的になろうとしないのは性格だけでなく、この出来事が一種のトラウマとして脳裏に刻みこまれてるせいなのかもしれない。
「はぁ……まあ、気が向いたら手伝ってくださいよ。期待はしてませんが」
「そうかい。ならアタシは今後も食う專を貫き通させてもらうよ」
「神威様、お待たせしました。ご注文の品物です」
「どうも」
店主から鯛と海老を受け取り、必要な分の代金を支払い、亜弥は会釈をして恭佳と共にその場を後にした。
幸いな事に城にもある程度はおでんの具材として使える食材があったので、彼女達が買うべきものはこれで全て揃ったので、後は城に戻るだけだった。
………
……
…
続いてこちらは野菜類を取り扱う店が多く建ち並ぶ区画だ。野菜類の担当は樺憐、奈々瑠と臥々瑠の母娘組である。とはいっても、奈々瑠と臥々瑠には食材の良し悪しを選別できるほどの眼力は無いので、二人は樺憐について来てるだけである。
「何でアタシ達は野菜なのさ。どうせならお肉を買いに行きたかったのにぃ……」
「アンタが選ぶわけでもないのに、何を言ってるのよ。だいたいアンタに食材の良し悪しが分かる訳?」
「とりあえず美味しそうな物を選べばいいんじゃないの?」
「参考にもならない貴重な意見をどうもありがとう」
「……その眼はバカにしてる眼だよね」
「あら。その辺はちゃんと分かるのね」
「ムッカ~……っ!」
「二人ともケンカしないの。……ほら、着きましたわよ」
奈々瑠と臥々瑠の些細な言い争いを穏やかな口調で仲裁する樺憐。まあ、この二人も本気でケンカをしている訳ではないし、ケンカするほど仲が良いという言葉もあるのだ。樺憐にとってこの光景は見慣れたものである。現に樺憐の言葉に奈々瑠と臥々瑠は素直に従い、いつもとなんら変わらぬ姿に戻した。
さて、目的の八百屋にも着いたので、後は必要な物を買い揃えてさっさと城に戻るだけだ。幸いな事に野菜類は城にある程度取り揃えられていたので買う物も少なくて済みそうである。
「ごめんくださ~い」
「は~い。いらっしゃいませぇ」
「おばさん。こんにちは」
「おばちゃん。こんちは~」
店から出てきたのは年配の女性の店主である。この店も零治の行きつけの八百屋で、奈々瑠と臥々瑠も何度か一緒に買い物についていった事があるので彼女とは顔馴染である。
店主は奈々瑠と臥々瑠の姿を確認するなり、柔和な笑みを浮かべながら彼女らを出迎えた。
「あらぁ。奈々瑠ちゃん、臥々瑠ちゃん、いらっしゃ~い。今日は音無様のお使いかい?」
「まあ、お使いと言えばお使いでしょうか。物を選ぶのは私達じゃないんですけど」
「そうなのかい。……ん? おやぁ。初めて見る人だねぇ。しかもえらい美人さんだねぇ」
「まあ。おだてても何も出ませんわよぉ」
口元に手を当てて含み笑いを漏らす樺憐はまんざらでもない様子だ。もちろん店主も今の言葉はおだてなんかではなく、本当にそう思っているのだ。実年齢に関しては……誰も恐ろしくて触れる事が出来ないため不明だが、その点を除けば樺憐は絶世の美女と言っても過言ではない。
「いやいや。今のはおだてなんかじゃないよ。本当にそう思ってるんだから。……二人とも。この美人さんはどちらさんなんだい?」
「紹介するね。アタシ達のお母さんだよ」
「初めましてぇ。樺憐と申します。以後、お見知りおきを」
「あらまぁ。この娘達のお母さんかい。道理で綺麗な人な訳だ。こちらこそよろしくね。それで今日は何が入用なんだい?」
「大根とゴボウを頂きたいのですがぁ。あぁ、それと銀杏もありますかぁ?」
「大根とゴボウ、銀杏だね。なら良いのがあるよぉ。これなんだけどね、どうだい? 今なら安く提供するよ?」
店主が取り出した大根は太すぎず、かと言って細すぎもせず手頃な太さをしており、長さもおよそ六十センチから七十センチといった所だろうか。おでんの具材にするとなれば、大根は太すぎると鍋のスペースを圧迫してしまうし、細すぎると食べ応えが無い。そういう意味では店主が用意してくれた物はおでんにうってつけと言える。ゴボウの方もひげ根が少なく、太さも均一で泥付きが良くて表面に皺も寄ってないので新鮮さは折り紙つきだろう。
「ふむふむ。どちらも確かに良い物ですわねぇ。では両方とも三本ずついただきますわぁ」
「毎度! すぐに包むから待ってなさいな。銀杏は一袋分でいいかい?」
「はい。それで構いませんわぁ」
「あいよ!」
「母さん。大根とゴボウは分かりますけど、銀杏なんか何に使うんですか?」
「確かに。銀杏の入ったおでんなんか聞いた事ないよ。まさか……串に刺してそのまま煮るの?」
「ふふ。それは帰ってからのお楽しみよぉ」
「はいよ。お待たせ。大根とゴボウは一本ずつおまけしといてあげたよ」
「ありがとうございます。ではお代はこれでぇ」
「はい、確かに。毎度あり! またいつでもどうぞ」
店主から必要な野菜類を予め持ってきていた麻布の袋に入れ、目的の物も入手したので樺憐達はその場を後にしたが、実は彼女達にはもう一つ買う物があるのだ。と言っても、それほど大した物ではないが、やはり品質にはこだわる必要がある。何しろ今回の料理にも華琳が関わっているのだから。
「後は豆腐を買うだけですわね。奈々瑠、案内をお願いしますわよぉ?」
「分かってます。兄さんと何度も買い物に行ってますから、場所はしっかり把握してますよ」
そう。買う物は豆腐だ。しかも必要な数は一丁や二丁ではない。焼き豆腐にしておでんの具材にするのもありだが、それだけではなく、厚揚げにしたりがんもの材料として利用したりと用途は様々である。
言葉にすると簡単そうに聞こえるが、全ての食材を一から仕込む事を考えれば決して容易ではない。今回の再現料理は前回のコロッケ以上に悪戦苦闘しそうだが、樺憐はそれすらも楽しみに感じていた。この世界にある食材だけでどこまでおでんを再現する事が出来るのか非常に興味津々なのだから。
………
……
…
さて、いざ必要な食材を取り揃え、厨房に集まった零治達だが、またしても問題発生だ。まあ些細な事ではあるが、問題とは役割分担だ。使う材料が前回以上に多いため誰がどの材料の仕込を行うかで零治は頭を悩ませていた。臥々瑠と恭佳に至ってはそもそも調理を行う戦力にすらならない始末だ。
とはいえ時間にも限りがあるので、あまり考えている余裕は無い。誰がどの食材の仕込を受け持つか早々に決める必要がある。
「さて、調理を行うにしても、誰にどの食材の調理をやらせるか」
零治はおでんの食材と睨めっこしながら後ろに控えている華琳達にチラリと視線を向ける。
華琳は料理の腕は確かだし、一を聞いて十を知る人物だ。初めての調理をやらせても何の問題も無いだろう。樺憐も同じだ。昨日の彼女の機転のおかげでコロッケの再現は見事に成功しているので何を任せても安心できる。亜弥も人並みに料理は上手だし、奈々瑠も指示さえ与えればテキパキと動いてくれる。
しかし、おでんを作るとなれば出汁の仕込が不可欠となる。そしてその考えは零治の頭の中にしかないのだ。となると出汁に関連した材料の仕込は自分が担当せねばならない。後はサポートが一人居れば充分だろう。
「出汁と練り物の調理はオレが引き受ける。奈々瑠、お前も手伝え」
「はい!」
「樺憐は野菜類と厚揚げにがんも、後は肉類の仕込を頼む。亜弥、お前が手伝え」
「分かりました」
「は~い。お任せくださいなぁ」
「で、華琳はどっちをやりたいんだ?」
「そうねぇ。どちらも面白そうだけど……」
華琳はチラリと双方が担当する食材に眼を向けた。零治達は海産物類、つまり鯛と伊勢海老の調理を行う。
樺憐達は野菜類と肉類、後は豆腐だ。どちらも初めて耳にする言葉が出てきたので、華琳は双方が作る物に非常に興味があり、どちらも捨てがたいと思った。
だが身体は一つだ。手伝うとなるとどちらか一方だけになるが、余裕さえできればもう一方の手伝いも可能だろう。なので華琳は早々に結論を出す事にした。
「私は樺憐達の手伝いをさせてもらうわ。厚揚げやがんもとやらがどういう物か気になるし」
「まあどっちを手伝おうがそれはお前の勝手だが、その口ぶりはこっちの作業がつまらなそうだとでも言いたいのか?」
「そういう訳じゃないわ。ただ、ね……」
華琳はそこで言葉を区切り、零治の隣に控えている奈々瑠に意味深な視線を向けた。その視線を受け、奈々瑠はどうしたのだと言いたげに不思議そうに首を傾げた。
華琳も一人の女性だが、それと同時に彼女は一国の王でもあるのだ。ここで樺憐の手伝いを選んだのは王としての器量の深さを見せるためでもある。無論、余裕が出来たら零治の方の作業も手伝うつもりではいるのだが。
「折角の二人の共同作業を邪魔しては奈々瑠に悪いでしょう?」
「なっ!?」
「っ!?」
「零治、一人の女しか愛せない男はつまらないわ。どうせならウチの娘達全員を愛せるほどの器を持ちなさい。これはそのための一種の試験として受け止めとくのね。……さて、樺憐。無駄話はこのぐらいにして始めるわよ」
「承知しましたわぁ」
一体なんのつもりがあって華琳はこんな事を口にしたのか。零治は散々頭を働かせたが分かる訳ないし、分かりたいとも思わない。分かっている事は、華琳の今の意味深な発言のおかげで零治は変なプレッシャーを感じてしまっているという事だけだ。が、頭をブンブンと左右に激しく振って気持ちを切り替えて何とか落ち着きは取り戻せた。
奈々瑠が自分に恋心を抱いているのは既に知っているが、その事については今すぐ結論を出す必要などないのだ。少なくとも今はこれまで通りに接すればいい。それだけの話なのである。樺憐達は既に作業を始めているためこちらも動かねばならない。
「さて、こっちも始めるか」
「は、はい……っ!」
「……奈々瑠。始める前にニ、三回深呼吸をして気持ちを落ち着けて来い」
案の定、自分だけではなく奈々瑠も華琳の意味深発言で変に緊張しており、返事の声も上ずってるし顔も妙に紅潮していた。こんな緊張した状態の奈々瑠に包丁を握らせるわけにはいかない。何しろ今から鯛や伊勢海老を捌くのだ。野菜を切るのとはわけが違う。些細なミス一つで大ケガに発展しかねないのでまずは奈々瑠を落ち着かせる所からスタートを切るのだった。
………
……
…
幸いな事に奈々瑠が落ち着きを取り戻すのにはさほど時間はかからなかったので、作業が滞る心配は無かった。何しろ作る物が作る物だ。現代みたくインスタントのおでんの素や出来合いの材料なども無いのだ。
今から全ての仕込みから本調理も行うと場合によっては昼どころか夜になる可能性もあるが、そんな事は気にしてはいられないが、一秒たりとも時間を無駄にも出来ない。零治達も樺憐達に遅れを取るまいと早速作業に取り掛かる事にする。
「さて、今度こそオレ達も始めるぞ」
「はい。それで私達はまず何をするんですか?」
「まずはこの三匹の鯛を全部三枚におろす。奈々瑠、お前にもやってもらうからな」
「えっ!? あ、あの……私、魚の三枚おろしなんてやった事ないんですけど」
「心配するな。二匹はオレがやるし、横で見ていてやるから。これも料理の練習だと思ってやってみろ」
「わ、分かりました。やってみます」
「いい返事だ。ならまずはオレが手本を見せる。よく見とけよ?」
「はい」
「まずは鱗を落とす。鱗取りがあれば楽なんだが、そんな物は無いから全部包丁で落とすしかない。よく見てろ。飛んだ鱗が眼に入るかもしれないからあまり顔は近づけるなよ」
まずは零治が手本を見せるべく、まな板の上に寝かされている一匹の鯛の胴体に出刃包丁の刃を立て、尾から頭に向かってスライドさせて全体にある鱗をガリガリと剥ぎ取っていく。細かい鱗も見落とさないよう、頭の周辺、ヒレの裏側などにも丁寧に包丁を入れて剥ぎ取り、全て取り終えたら鯛を裏返し、反対側も同様に鱗を綺麗に取り除いた。
「鱗取りが済んだら次はえらを取り除いて頭を落とすんだが、頭は単純に切り落とすんじゃなく、たすき落としって方法でやる」
「たすき落とし?」
「まあ言葉だけじゃ分からないか。見てな」
零治は左手で鯛のえらぶたを開き、そのまま右手にある包丁を内部にあるえらに突き立てて丁寧に繋ぎ目を切断していき、完全に切り取れたら右手でえらを引っ張りだし、反対側のえらも同様に取り除く。
「この時に間違って自分の手を切らないように注意な。これが済んだら頭のたすき落としだ」
続いて頭を落とすために零治は包丁を鯛の頭のてっぺんから腹びれに向かって斜めに包丁を通し、それが済んだら鯛の腹を上に向けて腹びれの裏側にも包丁を入れて切れ目を繋げ、次に頭の反対側にも同様に包丁を入れ、最後に切れ目に包丁を入れたまま刃を関節に当てながら左手で包丁の背を一度叩いて骨ごと一気に頭を切り落とした。
これが済んだら零治は鯛の腹を自分の方に向け直し、腹に浅く包丁を入れ、中の内臓を傷つけないようにゆっくりと刃を頭に向かってスライドさせて切れ目が繋がったら包丁を一度置き、鯛の身体を左手でしっかりとまな板に固定し、頭を右手で鷲掴んで下に引っ張った。
すると頭と一緒に繋がっている腹の内臓もスルスルと取れていき、見事に鯛の頭と一緒に腹の内臓も綺麗に取り除く事が出来た。
「これがたすき落としだ。……おっ、しかもコイツは子持ちだ。鯛の子と肝は甘辛く煮ると旨いんだよなぁ」
「凄いですね。頭と一緒に内臓が綺麗に取れましたね。でも内臓なんか取ってどうするんです? おでんへの使い道があるとは思えないんですけど」
「まあ、コイツは煮つけにでも……作れる余裕があればの話だがな」
「無かったらどうするんですか?」
「勿体ないが捨てるしかないな。冷蔵庫も無いこの世界じゃ生ものを長期間保存するのは無理だからな」
「なら最初から取らなければいい気がするんですけど……」
「それは言うな」
「所で今更ですけど、この鯛、何に使うんですか?」
「こいつで練り物類を作るんだよ」
「ええ!? あの……普通は鱈とかカマスを使うんじゃ」
「しょうがねぇだろ。どっちの魚もここには無いんだから」
「凄く贅沢なおでんになりそうですね。しんじょには伊勢海老を使うんでしょ?」
「まあな。とはいっても、伊勢海老は予想外だったが。そんな事より奈々瑠、お前も鯛を捌いてみろ」
「は、はい……っ!」
先程まで零治の一つ一つの丁寧な作業に感嘆の声を漏らしながら頷いていた奈々瑠だが、いざ自分の番が来てみればその余裕は一瞬にして消し飛び、緊張の面持ちになる。それが初めてする作業となれば尚更である。しかし、奈々瑠は数回深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着け、気丈に振る舞いながら自分にこう言い聞かせる。
これは料理の修業であると同時に花嫁修業なのだと。まあ、まだ決まった話ではないのだが、仮に零治と結婚する事になれば、やはり家事全般ぐらいは出来ねばと奈々瑠は考えている。おまけに周囲は美人揃い。ライバルとの差をつけるならこういったスキルには磨きをかけておくべきだと思ってるし、本当に結婚したら愛情を込めた手料理を振舞って零治を喜ばせたいという願望も抱いているのだ。奈々瑠は己を鼓舞し、包丁を手に取り鯛の三枚おろしを始める。
「まずは鱗を落としてっと……」
「そうそう。鯛を傷つけないようにゆっくりとな。ヒレは先端が鋭く尖ってるから手に刺さらないように注意しろよ?」
「はい」
初めての作業なため手付きはぎこちないが、それでも奈々瑠の包丁の扱いは丁寧だ。彼女も何度か料理の経験があるため、危なっかしい様子は見られない。なんやかんやで鱗取りにはさほどの時間が掛からなかったが、緊張からか額には汗が浮かび上がっていたので、奈々瑠は左手の甲でそれを拭い取り、大きく息を一つ吐いてえらの除去を始めた。
「で、次にこうしてえらを取るっと……」
「そうだ。上手いぞ。包丁は少しずつ動かす。一気にやろうとすると滑って手を切るかもしれないからな」
「はい。……よし。次に頭のたすき落とし」
未経験な上、手本を見せてくれたとはいえ一度しか見てないので完全な見よう見真似だが、奈々瑠は零治の一つ一つの動作を必死に思い出しながら鯛の頭に包丁を通し、腹びれの裏側にも切れ込みを入れて頭の反対側にも包丁を通し、最後に刃を骨の関節に当てながら包丁の背を左手でゴツンと叩き、頭を切り落とす。
そして腹にも浅く包丁を入れて頭に向かって少しずつスライドさせていき、切れ込みを繋ぎ合わせ、零治がやったように左手で鯛の胴体をしっかりとまな板の上に固定し、右手で頭を鷲掴み、下に引っ張って鯛の頭と一緒に腹の中にある内臓も取り除いた。
鯛の頭の切り口は零治のと違って少々不恰好ではあるが、初めてにしては上出来である。
「おぉ~。初めてにしては良く出来たな。……おっ。こっちの鯛は雄か。白子も旨いんだよなぁ。軽く茹でてポン酢和えとか。あぁ、塩辛にするのも良いかもしれんなぁ」
「魚の内臓ってそんなに美味しんですか? 私は正直苦手なんですけど……」
「やれやれ。コイツの旨さが理解できんとは、お前の舌もまだまだお子様だな」
「むぅ……悪かったですね。どうせ兄さんから見れば私は見た目も舌もお子様ですよ……」
「おいおい。この程度の事でいちいち目くじら立てるなよ。機嫌直して続きを始めるぞ」
「分かってますよ。私だっておでんは食べたいですから」
「全く。零治は少々無神経な所はあるけど、妬けるほど仲が良いわね。あの二人は」
横で樺憐達の作業を手伝っている華琳はチラリと零治と奈々瑠のやり取りを盗み見て、どこか羨ましげに呟いた。零治の少々無神経な発言に奈々瑠は頬を膨らませてそっぽを向くが、本気で怒ってはいないし、何より彼女は零治との共同作業がとても楽しいのだ。傍から見れば仲の良い兄妹のようである。まあ、実際にそんな関係に近いのだが。
しかし奈々瑠はそれ以上の関係を望んでいるし、華琳も王である前に一人の女性。それに奈々瑠は零治の事となるとすぐに感情が表に出てしまうほど分かりやすい性格をしている。自分の意志で共同作業の権利を譲ったとはいえ、やはり羨ましいのである。
「まあ、初めて会った時は心を開いてくれなかったので色々と苦労はしましたが、今ではあの通り仲睦まじい兄妹のようになりましたからね」
「そのようね。……樺憐、貴方のその野菜の切り方は何なの? 大根の切り口の角を切り取ってるようだけれど」
「これは面取りと言いまして、こうする事で野菜の煮崩れを防ぐ事が出来ますのよぉ」
「へぇ~。なら十文字に入れてるこの切れ込みは何?」
「それは隠し包丁と言いまして、こうすれば野菜に味が染みやすくなるんですの」
「なるほど」
「さて、野菜の仕込はこれで終了ですわねぇ」
零治達が魚を仕込んでいる間に樺憐達も野菜の仕込はあらかた終了した。まあ、基本的に大根や人参、ゴボウを切っていた程度なのでさほど時間のかかる作業でもない。
だが、ここからは違う。厚揚げとがんもの作成に肉類の仕込み、しかも牛すじは手間のかかる食材だ。時間を無駄にしないためにもここから先の作業の人選は決して間違ってはいけないだろう。
「さて、ここから先の作業ですが……肉類の仕込はわたくしがやりましょう。亜弥さんは華琳さんと一緒に厚揚げとがんもの作成をお願いしますわぁ」
「いいですよ。幸いな事に私も厚揚げとがんもの作り方は知ってますので」
「それは頼もしい限りですわぁ。では、ここはお願いしますわねぇ」
「ええ。……さて。ではここからは僭越ながら、私が華琳の教え役を務めさせてもらいます」
「よろしく頼むわね、亜弥。それで、その厚揚げとがんもとやらはどうやって作る物なの?」
「まあそう焦らずに。厚揚げは大して難しくありません。ただ豆腐を油で揚げればいいだけです。がんもも似たような感じですね」
「豆腐を油で揚げる? そんな物が美味しいの?」
「これが美味しいんですよ。厚揚げは普通の豆腐と違って表面が油で揚がってるおかげで味が染みやすいから、煮込み料理の食材として最適なんです。あぁ、揚げ浸し豆腐とかも酒の肴にはもってこいで……」
「亜弥さん。わたくし達は今、おでんを作っているんですのよ?」
「おっと、失礼。話が逸れましたね。で、この厚揚げですが、この一丁の豆腐を半丁ぐらいの大きさに切り、中まで揚げるのではなく、表面だけを揚げて内部は豆腐のままの状態を保つ必要があります。これを生揚げと言うのです」
「なるほど。ではがんもと言う物は何なの?」
「これも豆腐を使って作る物で、すり潰した豆腐にニンジンやゴボウなどの野菜類を混ぜ、丸く成形して油で揚げたものです。これも煮物の食材としてよく使われてますが、もともとは肉の代用品として考案された精進料理なんですよ」
「へぇ~。どちらもとても興味深い物ね。なら早速作るとしましょう」
がんもについての余談になるが、世間一般ではがんもと呼ばれる事が多いが、正式名称はがんもどきである。肉の代用品の精進料理だから名前にもどきがついており、名前の由来については諸説あるが、その中でも一番有力なのが雁、もしくはかりとも読むが、この鳥の味に似ているというかららしい。
ちなみに雁は急速な数の減少から保護鳥となっており、現在は禁猟とされている。
「ではまずは厚揚げから作りますが、まずは樺憐が用意してくれた絹ごし豆腐を全て半丁の大きさに切ります。後は高温の油で揚げるだけです。絹ごしは崩れやすいので気を付けてくださいね」
「分かってるわ。それにしても……この豆腐だけで十丁は買いすぎじゃないの?」
「大丈夫でしょう。幸いこの場には大食らいが二人も居ますし。華琳、私は油の準備をしておきますので、豆腐は任せても構いませんか?」
「ええ」
「あーっ!」
いきなり調理場内に恭佳の叫び声が響いたので、全員の視線が何事かと椅子に座りながらおでんの完成を心待ちにしている恭佳と臥々瑠の卓に集中した。その恭佳はというと、テーブルを両手でバンッと乱暴に叩いて椅子から立ち上がり、ワナワナと身体を震わせながら零治を睨み付けていたのだ。
「れ、零治。アンタ何して……っ!」
「むぐむぐ。あんだ? べふにあにもひへないろ」
「嘘つくんじゃないよ! いま何を食ってんだ!」
「んっ。……何って鯛の身の切れ端だが?」
「アンタ……アタシがつまみ食いしようものなら文句を言って追い出すくせに、自分はしてもいいわけ!?」
「姉さん、知ってるか? つまみ食いは調理者だけに与えられる特権なんだよ。……ほら奈々瑠、お前も食えよ」
「あっ、ありがとうございます」
「あーっ! 奈々瑠までずる~い! アタシも食べたいーっ!」
「悪いわね臥々瑠。私も兄さんの手伝いをしてるから、つまみ食いが許される立場なのよ」
三枚おろしが完了して柵切りにした鯛の身の切れ端を零治から受けとり、奈々瑠はこれ見よがしに口に頬張り、鯛の身の味を噛みしめた。
新鮮だけあって鯛の切り身はコリコリとした歯応えのある弾力があり、程よく脂も乗っていて鯛ならではのほのかな甘みが口の中一杯に広がり、奈々瑠は表情を綻ばせた。
「う~ん。久しぶりに食べましたけど、やっぱり鯛のお刺身は美味しいですね」
「クッソォ! 零治! 一切れでいいからアタシらにも食わせろぉ!」
「そうだよ! 兄さん達だけ美味しい所を持ってくなんてズルいよ!」
「それは構わんが、その場合はおでんを作るのを手伝ってもらうぜ? 当然最後までな」
「うっ……」
「そ、それはそのぉ……」
零治が提示した交換条件を前に、恭佳と臥々瑠は揃って苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
恭佳は料理の経験が全く無い訳ではないのだが、お世辞にも人並みに料理が出来るとは言えない。臥々瑠も料理の経験があると言っても一度きりだし、ただ肉の塊を焼いただけの野性味が溢れる料理だった。包丁を扱ったまともな料理が出来るのかと言われればまず無理だろう。
別に零治は意地悪でこんな事を言っているのではない。つまみ食いは調理者の特権という言葉も耳にしなくはないから間違いではないと思う。恭佳と臥々瑠が料理に対して積極的でないのは今に始まった事ではないし、この二人は外食もしはするがどちらかと言うと零治の手料理の方が好みなのだ。それは料理を趣味としている零治としても嬉しい事だが、言い換えるとこの二人は零治が居ないと食事もままならないという事になる。ましてやこのご時世だ。いつ自分の身に何が起こるか分からない。そうなれば料理が一生できない身体にならないとも言い切れない。そういう点も踏まえ、零治は恭佳と臥々瑠にも最低限の料理の技術を身に付けてほしい想いからこの条件を提示したのだ。
「どうする? 最後まで手伝うと言うんなら食わせてやるぞ?」
「あ……味見で一つ手を打ってくれないか……?」
「あっ! そうそう。アタシらは味見要員って事で手伝うよ~。やっぱり味見は重要だもんねぇ」
「オレの中でそれは手伝いの内には入らん。最低でも材料を切るぐらいはしてもらわないとなぁ。残念だが交渉は決裂だな」
「そんな殺生なぁ……」
「うぅ……兄さんの意地悪~!」
「何をしているの、零治達は……」
「まあ、いつもの事です。お気になさらず。華琳、そんな事より豆腐の方はどうですか?」
「丁度終わった所よ」
樺憐が用意してくれた十丁の絹ごし豆腐は全て半丁サイズにカットされ、その数は倍の数に膨れ上がった。
これを全て厚揚げにし、おでんの具材として使用すれば鍋のスペースをかなり圧迫する事になるが、大きめの鍋を使用すればその点は問題ないし、この場には超が付くほどの大食らいが二人も居るのだ。この程度の事は些細な事である。
「はい。それでいいでしょう。次にこの豆腐なんですが、水切りをしないといけませんので重しをしてしばらくの間置いておきます」
「そんな事をしたら豆腐が潰れるんじゃないの?」
「重しと言っても石を乗せる訳じゃありませんよ。まな板に挟めば充分ですので」
「分かったわ」
華琳は切った豆腐をまな板の上に均等に並べていくが、流石に量が量なので一枚では収まり切らないのでもう一枚まな板を取出し、それぞれの板に半分ずつ豆腐を並べていき、その上に薄い布巾を被せて重しであるまな板を更に取出し、豆腐を崩さないようにそっと上に乗せた。
「では次は、この豆腐の水切りを待っている間にがんもの調理を行います。こちらは絹ごしではなく木綿豆腐で作りますよ。こちらもまずは水切りをする必要があります」
「ん? 亜弥、それだと私達、手持無沙汰になるんじゃない?」
「分かってます。だから水切りが終わるまでの間はがんもに使う野菜の下ごしらえ、後は樺憐の作業の手伝いをしましょう」
がんも用の豆腐は潰して崩すので切る必要が無いため、そのままの状態でまな板の上に置き、布巾を被せて重しのまな板を重ねる。次にがんもに混ぜる野菜のニンジン、ゴボウを細かく刻み、銀杏の殻を砕いて表面の薄皮を剥き取り野菜の下ごしらえは終わった。
こちらは後は豆腐の水切りが終わるのを待たねばならないので、亜弥と華琳はその間に樺憐の作業の手伝いをする事にした。樺憐の作業は実に丁寧で、牛すじを下茹でしている鍋をチェックしながら均等に切った豚トロを竹串に刺していき、それが終わったら次は鶏つくねの作成と見事な手際である。時折作業の手を止めては鍋に視線を移し、灰汁を取り除いて再び作業を再開する。正直手伝いなど要らないのではないかと思うほどの手際の良さだが、流石にそういう訳にもいかなかった。
「樺憐、私達も手伝いますよ」
「そうですかぁ。でしたらこの豚の挽き肉を使って焼売を適当に作っておいてくれますかぁ?」
「えっ? 焼売? ロールキャベツじゃなくてですか?」
「はい。ロールキャベツはわたくしが作りますので大丈夫ですわぁ」
「ろぉるきゃべつ? そちらも気になるけど、この際それは置いておきましょう。亜弥、始めるわよ」
「え、ええ」
おでんを作ってるのになぜ焼売を作る必要があるのかいまいち理解できない亜弥だったが、とりあえず言われた通りに華琳と共に焼売の作成を始めた。
樺憐が予め材料の用意をしておいてくれたおかげで後は形にするだけだったので時間を取られる心配は無さそうである。華琳と亜弥は手際よく焼売を次々と形作っていくが、やはり亜弥は気になった。この焼売の用途について。
「樺憐、この焼売は誰の指示で?」
「零治さんですわぁ」
「零治が? ……あの、零治」
「何だ? 鯛の切り身ならもう無いぞ。全部すり身にしちまったからな」
「いや、そっちじゃありませんよ。この焼売、何に使うんですか?」
「おでんの具材に決まってんだろ。ひょっとして餃子の方が良かったのか?」
「おでんに焼売? そんなの聞いた事ありませんよ」
「焼売巻きって具材があるんだよ。魚のすり身で焼売を包んで油で揚げた物だ。餃子巻きって奴もあるんだぜ」
「それ美味しいんですか? ってか、それ以前におでんに合うんですか?」
「オレもコンビニで売ってるのを見て初めて知ってな。試に食ってみたんだが結構旨かったぞ。期待してくれて構わないぜ」
「なら良いんですが。それよりも鍋に入り切るんですか? ただでさえ入れる具材の種類が多いのに」
「そこは何とかしてみせるさ」
零治はこう言って余裕を見せてはいるが、内心では不安も感じていた。何しろ人数が人数だし、大食らいが二人も居るため、必然的に一種類一種類の具材の数は多めになってしまう。
まあ、一番大きい鍋を用意すればいいだけの話だし、それでダメなら面倒ではあるが鍋を二つに分けて作ればいい話である。零治は自分にそう言い聞かせながら要である出汁作りに専念しつつ、奈々瑠と共に鯛のすり身を天ぷら用に成形したりと、黙々と作業を進めるのだった。
………
……
…
なんやかんやで昼ちょっと前ぐらいから作業を始めたのだが、流石に作る物が物だけに時間は予想以上にかかってしまい、時折休憩も挟んでいたため日はすっかり沈んで辺りは茜色に染まっていたので時刻はもう直夜になる。作り上げたおでんは昼どころか完全に夕飯扱いである。
出汁だけでなく、具材も一から作り上げてる上にこの世界ならではの事情も絡んでいるし、試行錯誤も加えているのでどんな味がするのかは想像もつかないが、何とか完成までこぎつける事が出来た。
「はぁ。やっと完成か」
「ええ。やはり予想通り時間が掛かりましたねぇ」
「でも楽しかったですね。おかげで私は色々と勉強にもなりましたし、後は煮上がるのを待つだけですね」
「うふふ。楽しみですわぁ。わたくしもこんなに長時間料理に没頭したのは久しぶりですわぁ」
「まさかここまで時間が掛かる料理だなんて想像もしてなかったわ。零治、貴方の世界ではこれが当たり前なの?」
「いや、おでんを具材まで一から作る奴なんて居ないし、普通はやらないぞ。まあ、よっぽどこだわる奴はやるかもしれんが、それでも稀な話だ」
「れ、零治~。まだできないの~……? アタシ……腹減って死にそうなんだけど……」
「ア、アタシも。このままじゃお腹と背中がくっついちゃいそう……」
「ったく。こっちの苦労も知らないで。……おっ。頃合いかな」
土鍋の蓋から湯気が吹き上がっているので、零治は右手を伸ばして蓋を持ち上げて鍋の中を覗き込んだ。
そこから姿を見せたのはギッシリと詰め込まれ、グツグツと煮込まれているおでんの具材の数々だ。大根に卵、厚揚げにがんも、白滝の代用品である春雨、竹串に刺さった牛すじ、鶏つくね、豚トロ。鯛のすり身で作った野菜入りの天ぷらにちくわ、ゴボウ巻き、伊勢海老で作ったしんじょに焼売巻きにロールキャベツとより取り見取りだ。
鍋から立ち上る湯気と共に魚介系がベースになってる出汁の良い香りがその場に広がり、全員の食欲をいたく刺激した。
「おぉ~。良い感じに仕上がってるし、旨そうな匂いをしてるじゃないか。樺憐、卓の方の用意を頼む」
「は~い。承知しましたわぁ」
「母さん。私も手伝います」
まるで死体のようにテーブルの上に突っ伏している恭佳と臥々瑠を奈々瑠は無理やり押し退け、人数分の箸、取り皿用の小皿を並べ、樺憐は人数分の湯呑をその脇に並べていき、中に熱いお茶を注ぎ込んだ。
夜に食べるおでんならお酒の方が合うのだろうが、明日には呉への進軍の準備などと仕事が山積みなのだ。
なのでここは我慢し、お茶で済ませる事にしようというのが零治が華琳と相談して出した結論である。
テーブルの方は準備が出来たし、おでんの煮込みも充分に仕上がってる様子なので、零治は右手に布巾を鍋掴み代わりに使用しながら両手で土鍋をしっかりと持ち、テーブルまで運んで行く。
因みに左手はガントレットの装甲のおかげで全く熱くないためそのままの状態である。
「ほら、二人とも待たせたな。出来上がったぞ」
「や、やっと飯にありつけるのかぁ!」
「や、やったぁ! やっとおでんが食べられる~!」
先程までの様子が嘘のように、恭佳と臥々瑠は鍋から放たれるおでんのだし汁の香りを嗅ぎつけるとその場から飛び起き、素早く箸と小皿を手に取って、口からは涎を滝のように溢れさせながら今か今かと言わんばかりに具材が詰め込まれているおでんの鍋を凝視していた。もう今にも飛びつきそうな様子である。
「そんな顔しなくたっておでんは逃げやしねぇよ。……全員、卓にはついてるな?」
テーブルには全員揃って椅子に座っているし、箸や取り皿、お茶もちゃんと用意されている。準備は完了した。ならば後はやるべき事は一つ。目の前にあるおでんを食べる、それだけである。
「じゃ、すっかり遅くなっちまったが、食うとしますか」
「待ってましたぁ! いただきまーすっ!」
「いただきま~す!」
やっとお許しが出たので、恭佳と臥々瑠は我先にと鍋に箸を素早く伸ばし、恭佳は大根と厚揚げ、臥々瑠は牛すじ、鶏つくね、豚トロを取り出して小皿に取り、待ちかねたおでんの具材を前にキラキラと眼を輝かせていた。恭佳の箸に掴まれている厚揚げは良く煮えており、芳醇な香りと共に熱々の湯気を立ち上らせており、恭佳は熱々に煮えているにもかかわらず、思いっ切り噛り付いたのだ。
しかし冷ましていないから厚揚げは当然熱いが、今の恭佳はそんな事など全く気にせず、厚揚げから染み出てくる魚介系の出汁のスッキリとした旨味と食感が彼女にとって何よりの喜びであった。
「はぐっ! ……あっつぅ! でもうめぇ!」
「がつがつ! 牛すじ、つくね、豚トロ……どれも美味しい!」
「おい。少しは味わえよな。それ作るのにどれだけの労力がかかってるか分かってんのか?」
いつもの事とはいえ、何とかおでんの再現に成功したのだから味わって食べてほしいし、味の感想についても聞かせてもらいたいのが零治の本音だが、恭佳と臥々瑠は零治の言葉には耳を貸さず、次から次へとおでんの具材を片っ端から取っていき、がっつくだけだ。
まあ二人のこの様子から不味くはないと判断できるし、旨そうに食べてるから作り手としては嬉しい事だが、何の感想も無いのは零治としては少々不愉快ではあった。
「ったく。毎度の事とはいえ、これじゃ作ったかいがありゃしねぇ」
「まあいいじゃないですか。あの様子なら少なくとも不味くはないって事でしょうし」
「だといいがね。まあいいさ。味については自分で確かめるだけだ」
このままではおでんを全て恭佳と臥々瑠の二人に食べ尽くされてしまうので、零治達も早々に自分の分の具材を確保するために鍋に箸を伸ばした。
零治はがんもと卵と春雨、亜弥は大根と焼売巻きとゴボウ巻き、奈々瑠は大根と厚揚げと野菜天、樺憐は卵とちくわと鶏つくね、華琳は厚揚げとロールキャベツと海老しんじょを確保し、各々はそれぞれの具材を口にして表情を綻ばせた。
「あぐ。……おぉ、手作りのがんもはうめぇなぁ」
「それは良かった。こっちの焼売巻きも悪くないですよ。確かに合いますね」
「だろ? この春雨も白滝の代わりにはなってるから悪くないが、やはり細いから今一つ食い応えに欠けるな」
「う~ん。おでんはもとから美味しいですけど、自分で作った物は格別ですね。この野菜天、今まで食べた物とは比べ物にならない美味しさです」
「そうねぇ。このちくわもいい塩梅ですわぁ。流石に鯛を使用しているだけの事はありますわねぇ。……華琳さん、初めて食べるおでんの味はいかがですかぁ?」
「そうね。悪くないわ。こんなに沢山の具材を詰め込んだ鍋料理は初めて見たけど、不思議と味はしっかりと整ってるし、この厚揚げやろぉるきゃべつとやらも美味しいわね。零治、出汁には何を使ったの?」
「ん~? 鯛のアラと干し貝柱だな。それに醤油を加えたんだが……薄かったか?」
「ええ。少し薄い気がするわ」
「おでんってのは投入してる具材からも出汁が出るから濃いめにするとマズイ気がしたんだが。それに一日置くと具材に出汁が更に染みて味に深みが増すしな」
「なるほど。味が整ってるのはそのおかげなのね。でもこの様子じゃ残る事は無さそうよ?」
「そうだな」
鍋を見ればあれだけ大量にあった具材はもう半分になっていた。当然これだけの量を平らげたのは恭佳と臥々瑠の二人だ。常人ならもう満腹になっているはずなのに、まだ食べたりない二人は更に箸を伸ばし、ペースダウンする気配も全く感じない。この様子では鍋が空になるのも時間の問題だろう。
「全く。これでも多く作ったつもりだったのだが、全然足りなかったか」
「このおでんにはまだまだ改善の余地があるわ。零治、今度は流琉も交えて作るわよ。食材の方も昨日みたいにまた私が手配してあげるわ」
「それは構わんが、その時はちゃんと時間に余裕を持てる日を選んでくれよ?」
合格点とまではいかなかったが、少なくとも華琳もこのおでんには満足している様子だ。
鍋に収まっている具材を一つ一つ選びながら食べるのが一番理想的なのだが、恭佳と臥々瑠がそれを許してはくれなさそうなので、零治達は自分が食べたい具材を予め確保し、少しずつつまみながら来たるべき呉への戦に備えて英気を養うのであった。
零治「今度はおでんかよ」
作者「ああ。この季節にピッタリだろ?」
亜弥「確かにこの時期は寒いですから、熱々のおでんは最高でしょうねぇ」
恭佳「ああ。ビールのお共には最高だねぇ。あっ、熱燗も悪くないかも」
奈々瑠「しかし疑問に思うんですが、おでんを一から作るとか普通は無いでしょう?」
臥々瑠「だよねぇ。普通は多少なりともインスタントで済ませるよね?」
作者「まあ、恋姫の世界ならではの事情のせいでこんな内容になったが、現実にも居たりするんだよねぇ。本気で作る人が」
樺憐「あらぁ。やはりこだわる人はこだわるのですねぇ」
作者「みたいだな。オレもこの話を書いてる最中に無性におでんが食いたくなって、ついついコンビニに行っちまったよ」
零治「その割にはこの話、所々はボカシて端折ってるみたいだが?」
作者「そこは仕方ないだろ。全部の作業工程を文章にしたら字数がとんでもない事になるし、いつ完成するか分かったものじゃない」
亜弥「確かに」
恭佳「さて、では次回はメインストーリーになる訳だ」
作者「おうよ。フフフ……見てろよ。次の話で祭の鼻っ柱を思いっきりへし折ってやるぜ!」
樺憐「あらあら。珍しく気合たっぷりですわねぇ」
作者「何を言ってるんですか樺憐さん。これには貴方も関係してるんですよ?」
奈々瑠「えっ? 母さんが?」
臥々瑠「一体何をさせる気なのさ?」
作者「それは次回のお楽しみだ。フフフ……」




