第68話 微妙な距離感
片腕に金属製のガントレット。こういうキャラはちょくちょく見ますね。
カッコいいと思うのは私だけではないはず。
魏の武人組同士による武道大会の最中に起きた騒ぎから一夜が明け、早朝に眼を覚ました零治はベッドからムクリと上体を起こし、左腕に視線を向けた。
「…………」
あれから零治はずっとベッドの横になって自室に閉じ籠っていたため、いつも着用しているカッターシャツとロングコートの左腕の袖は破れたままなので、BDと融合している黒色の腕が露わになっている。
そのため、今の零治は新たな拘束具の用意、シャツとコートの袖の修繕も必要だったのだ。
「おい、BD。聞こえるか?」
『ああ。どうかしたのか?』
「オレの腕の拘束具はやっぱり必要なんだよな?」
『当たり前だろ。あの残留思念は樺憐のおかげで完全に消滅したが、だからって暴走の危険性が無くなった訳じゃない。新たな拘束具の用意は必要だ。それも頑丈なやつをな』
「なら、オレの服の修復と一緒にやってくれ」
『ったく。俺様は服屋じゃねぇんだぞ。人使いの荒い主だぜ……』
「お前は人じゃないだろ」
『言葉のあやだ。いちいち細かい事にツッコむんじゃねぇよ。……なら、始めるとするか』
「ああ」
BDは己の魔力を使用してまずは零治の着ているシャツの袖の修繕から始めることにし、破れてノースリーブみたいになっている破損個所から赤く発行する奇妙な形状の文字を円形に連ねたリングが浮かび上がり、クルクルと高速回転を起こしてそこからみるみるとシャツの袖が生えてきたのだが、袖の再生はどういう訳か二の腕上部付近で止まり半袖の形に仕上がってしまったのだ。
「おい。なぜここで再生を止める。これじゃおかしいだろうが」
『心配すんな。ちゃんと元には戻す。だがその前に、拘束具の作成をさせてもらうぜ』
続いて零治の腕、BDとの融合で黒に変色している部位に先程と同じ赤いリングが三つ同時に浮かび上がり、零治の腕の周りをグルグルと回転し、零治の腕を囲うようにその場に幾重にも縫い合わされたベルトが出現して独りでに動き、腕に巻き付いてバックルに端の部分を通してしっかりと固定した。
それが終わると次にまたしても袖の再生が始まり、腕に巻きついたベルトを覆い隠してシャツの修復は終了したのだ。
『ほれ、出来たぞ』
「…………」
零治は無言で左腕を見つめながら曲げて伸ばしてを繰り返して感触を確かめてみるが、不思議な事にベルトが前回の物以上に何重にも巻き付いているにもかかわらず、ベルトその物には柔軟性があり違和感は全く感じず、動かしにくいといった障害は一切無かった。
とりあえず問題は無さそうなので、零治はベッドから足を下ろして靴を履き、部屋の角に置いてあるポールーハンガーに掛けてあるコートに手を伸ばしてそれを身に纏った。
「よし。なら次はコートの再生を頼むぜ」
『あいよ』
BDは再び内包する魔力を開放し、定軍山の時と同じように零治のコートの袖の修復も開始する。
赤く発行する奇妙な文字を円形に連ねたリングが浮かび上がり、クルクルと高速回転を起こしてまるでトカゲの尻尾のようにあっという間の袖の修復は完了し、コートも元の状態に戻った。
「ん? 拘束具はさっきのだけでいいのか?」
『いいや。今からもう一つ創るのさ。防具の役割も兼ねた頑丈な奴をな』
「……目立たない奴だろうな」
『残念ながらそれは無理だな』
「はぁ。まあいい。どうせ華琳達には知られてしまってるんだ。今更気にする必要もないか」
『そうともさ。なら始めるぜ』
零治の左腕、黒色に変化している部分全体を覆うように先程と同じ赤く光るリングが複数浮かび上がり、クルクルと回転を起こしてその場に深紅の装甲板がいくつも浮かび上がり、それぞれのパーツは零治の腕へと吸い寄せられるように密着していき、まるでガントレットのような形状へと成していく。
腕全体を装甲板で固め終えると次は掌の部分に魔法陣のリングが浮かび上がりクルクルと回転しながら手を覆うための装甲板が出現し、それらも全て零治の掌へと集まって覆いつくし、拘束具の役割も兼ねたガントレットが完成した。
『どうよ。我ながら中々の出来栄えだぜ』
「……これじゃ防具というより完全に凶器だな」
零治の言う通り、左腕を覆ったガントレットは装甲板のカラーリングのせいで悪目立ちするし非常に禍々しい雰囲気を放っている。
腕の部分には短めの鋭利な三日月状のブレードが取り付けられているし、指先の装甲も鉤爪のように鋭く尖っていてその気になれば引っ掻き傷をつけたり人を刺し殺す事も可能だろう。
BDが用意した新たな拘束具はどこからどう見ても防具ではなく立派な武器だ。
「ったく。お前のセンスは悪趣味だな」
『失礼な奴だな。それより具合はどうなんだ? ちゃんと動かせるか?』
「……大丈夫だ。特に違和感は感じない。ただ動かすたびにカチャカチャうるせぇけどな」
『そこは我慢しろ。金属で出来たガントレットなんだ。多少なりとも音は鳴るさ』
「はぁ。こんな格好で朝議に行かなきゃなんねぇのか。街の連中にも色々と指摘を受けそうだぜ……」
確かに今の零治は人目を引く姿である。
全身ならともかく、左腕だけに鎧を纏う者などこの世界には居ないだろう。
深紅の装甲板を使用している上にこの外観だ。悪目立ちする事この上ない。
零治のこれからの日常生活はまさに前途多難な日々となる事だろう。
………
……
…
玉座の間に到着し、いつも通り挨拶を交わして所定の位置についていざ朝議が始まってみれば案の定だった。周りからは特に何も言われずに普段通り朝議は進行しているのだが、その間もずっと零治は首脳陣達からの視線を感じていたのだ。
自分の身体の事もそうだが、こうなるのが嫌だったから零治はBDの事を隠していたのに、悪目立ちする新たな拘束具のおかげでこの有様であるが、BDの言い分も理解はできる。
昨日の出来事は拘束具が簡単に破損してしまうベルトなんかだったから起きたのだ。二度とあのような事を起こさないためにも、拘束具は頑丈にしておくに越した事はない以上は我慢するしかないだろう。
そんなこんなな内に朝議は終了し、各々は今日一日の割り当てられた仕事に取り掛かるべく玉座の間を後にしだし、零治も警備隊の仕事に励むべく亜弥、凪、真桜、沙和の四人を引き連れていつもの集合場所である中庭へと足を運び、そこへ辿り着くなり亜弥は予め決めていた今日の担当振り分けを告げるのだった。
「さて、今日の振り分けなのですが……零治」
「ん?」
「貴方は凪、真桜、沙和の三人を連れて東と南地区の巡回をお願いしますね」
「……はっ?」
零治は亜弥の言っている意味が理解できずに首を傾げた。
いや、割り当てられた担当区域には別に問題は無い。いつもの事である。
問題は人員構成にある。零治に充てられた人員は凪、真桜、沙和の三人。つまり普段から小隊長を務めている人間を全員回してきたのだ。この構成はいくらなんでも偏りすぎである。
「おい。何だその偏った編成は。一体なんの意図があって……ってか、これだとお前はどうするんだよ」
「ご心配なく。そろそろヘルパーが来ると思いますので」
「ヘルパー?」
「……ん? どうやら来たようですね」
「ごめ~ん。亜弥、待たせたね」
亜弥が横に視線を移すのでそちらに眼を向ければ、右手を軽く上げてヒラヒラと振りながらその場に恭佳がやってきたのである。
という事は、亜弥が言っていたヘルパーとは恭佳の事になるが、それでも分からない点があった。
偏った人員構成を補うために恭佳に代役を頼んだのは分かるが、零治にはこの人員構成をした亜弥の意図が分からないのである。
「おい。姉さんに代役を頼んで穴を埋めるのは分かるが、この人員構成には何の意味がある」
「別に深い意味はありません。ただ何となく、今日はこうした方がいいと私が思っただけです」
「…………」
「因みにこれは決定事項です。今さら変更などしませんよ」
「はぁ……了解だ」
「よろしい。では恭佳、私達も行きましょうか」
「あいよ~。それじゃあね、零治。仕事頑張んなよ」
恭佳、そして警備隊の隊員達を引き連れて亜弥は自分達が担当する区域の巡回を行うために一足先に城を出発し、零治達だけが中庭に取り残される。
いつまでもこの場に留まっている訳にはいかない。昨日あんな事があったとはいえ、今日は仕事がある身だ。とりあえず亜弥のこの人選の意図について考えるのは後回しにし、まずはやるべきことに取りかかろうと零治は自分に言い聞かせた。
「さて、オレ達も行くか」
「は、はい」
「へ、へ~い」
「り、了解なのー」
「…………」
零治の呼びかけに凪、真桜、沙和の三人は返事をするもののその姿はどこかぎこちない。
だがよくよく考えれば昨日の今日だ。それに悪目立ちするガントレットを今は左腕に身に着けているのだ。
その姿を見て零治は亜弥の意図が嫌でも理解できた。これは彼女達との関係に溝が出来ないように自分でフォローしておけという事のなのだろうが、今の零治にとってこれほど難しい課題は無い。
まさに今日の一日はある意味では前途多難の日となる事であろうと零治は思いながら街へと出発したのだった。
………
……
…
いざ街に着いていつもの巡回を始めてみれば、やはりこの悪趣味なガントレットは人目を引くらしく、街の住民達からの視線をいつも以上にヒシヒシと零治は感じ取った。
「音無様、いつもお勤めお疲れ様です」
「ああ」
「音無様ー。肉まんが出来たてですが一ついかがですか?」
「はは。悪いな。仕事中だからまた今度な」
だが住民達はこのガントレットについての詳しい経緯までは知らないため、零治の姿に一瞬驚きはするが接し方はいつも通りであったし、零治本人も普段通りの受け答えをしつつ仕事に従事していた。
「おお。音無様ー。ちょいと見てってくださいよ」
「ん?」
生きの良い声をかけてきたのは零治がよく利用している八百屋の店主の親父さんである。
この店は零治の事を上客として抱え込んでいるので、何か良い物が入ると店主は必ず零治に声をかけるのだ。
「何だ? 仕事中だから長話は勘弁してくれよ」
「そんなんじゃありやせんよ。良い桃が入荷しましてね。甘くて旨いですよ。試にどうです?」
「なら四つくれ」
「まけれるのは一つまでですよ?」
「分かってる。三つ分はちゃんと払うさ」
「まいどあり~」
「ほら。お前らも食えよ」
「あ、ありがとうございます」
「お、おおきに」
「あ、ありがとうなのー」
「…………」
凪達は零治から桃を受け取り、礼を言いはするがやはりその姿はまだぎこちない。
その姿を前にして零治は内心溜息を吐きながら右手に持つ桃に噛り付き、口の中には上品な甘みと果汁が広がり、店主の言う通り確かに甘くて旨いのだが皮ごと食べているため、後から口の中には皮に含まれている渋みが残るがそこは我慢した。
「ふむ。確かに旨いな」
「でしょう?」
「気に入った。オレ宛で城に五十個届けてくれ。支払いは受け取り時にする」
「へい! まいど~! 明日届くように早速手配しておきやすね」
零治の豪快な買いっぷりに八百屋の店主は満足げな表情で生きの良い声を出すが、それとは逆に後ろでそのやり取りを見ていた凪達は眼を丸くしていた。
だがよくよく考えてみれば当然の事とも言える。なぜなら臥々瑠と恭佳の存在だ。
この二人は季衣に並ぶほど超が付くほどの大飯食らいなのだ。零治がこの桃を買った事を聞きつければ食わせろと迫り来る姿が眼に浮かぶし、一個や二個では満足も出来ないだろう。なれば十個単位で購入する零治の采配も頷けるというものだ。
「所で音無様」
「ん? 何だ。まだ何かあるのか?」
「ええ。その左腕、どうかしたんですか?」
「「「っ!?」」」
店主の指摘に凪達は表情を強張らせた。
知らぬ事とはいえ、店主は零治が一番触れられたくない事に触れてしまったのだ。これで零治が一体どんな反応をするのかが凪達は怖いのだ。
もしかしたら昨日みたいに弱々しい反応をしてしまうのか、あるいは怒るのではないか。だが零治が示した反応は凪達が凪達が考えているものとは全く違っていた。
「あぁ、これか。前に戦で左腕をやっちまってな。安全のために知り合いの鍛冶屋に頼んで作らせたのさ」
「なんと! それは大変でしたなぁ。……しかしまた随分と変わった意匠の鎧ですな。特注品ですか?」
「別に特注じゃないぞ。勝手にこんな形にされたんだ」
「音無様。こう言っちゃ悪いかもしれないんですが……少々悪趣味なのでは……?」
「少々は不要だぞ。オレも悪趣味だと思ってるさ。まあ、今さら新しく作り直させると余計に金がかかるから我慢するさ。……そろそろ仕事に戻らせてもらうぜ」
「へい。音無様、今後ともごひいきに」
まだ仕事がある身。あまりここで道草を食っている訳にもいかない。
零治は早々に話を切り上げ、右手を軽く上げて店主に挨拶を交わしてその場を離れて仕事に戻り、凪達も後に続いていく。
………
……
…
あれから特に異常も無く、本日も洛陽の街は平和そのもである。
黙々と仕事に従事していたおかげもあって時間はあっという間に過ぎていき、時刻は昼時。零治達がいま居る場所は丁度飲食店が軒並み連ねた繁華街のど真ん中であるし、仕事も一区切りついたので一度巡回の足を止め、辺りをグルリと見回した。
「そろそろ昼飯時だな。警邏も一区切りついたし、飯にするか。……お前ら。何か食いたい物はあるのか?」
「えっと……た、隊長にお任せします」
「ウ、ウチも……」
「沙和もー……」
「……お前らはいつから自分の意見が言えない人間に成り下がったんだ。いつもだったらあの店に行こうとか言い出すくせによ」
「い、いえ、そういう訳ではなく……」
「せ、せやねん。今日は何とな~く隊長に合わせた方がええ気がしとるんよ」
「そ、そうなの。沙和もそう思ってたのー」
「はぁ……もういい。時間も限られてるんだ。オレが勝手に選ぶ。幸い近くに行きつけのラーメン屋があるしな」
昨日の件が相当影響しているらしく、凪達の反応は朝からずっとこの調子である。
仕事自体はちゃんとしているのでそこは問題無いのだが、明らかに今の零治達の間には深い溝が出来ている。これは早急に解決せねばならない問題ではあるが現在は仕事中だし、昼食も食べねば午後の仕事に支障をきたす。
とりあえず零治はこの問題の事は置いておき、まずは昼食を食べる事を優先した。
「混んでないといいんだが。行くぞ」
さほど距離も離れて無かったので、人々が行き交う大通りを凪達を引き連れて零治は練り歩き、あっという間に目的地である行きつけのラーメン屋に辿り着いて、零治は引き戸の取っ手に手をかけて扉を一気に開いて店内に足を踏み入れると筋肉質でがたいの良い額に捻じり鉢巻を巻いた中年男性の店主が野太い声で挨拶をした。
「らっしゃい! って、おおっ! 音無様じゃないですかい」
「よお。席は空いてるか?」
「へい! どこでも好きな所へかけてくだせえ」
まだ昼時になって間もないためか、幸いな事に店内はまだ混雑しておらずに席は充分に空いていた。
零治は左腕の事も考慮し、出来るだけ人目に付かせないように目立たない奥の角のテーブルの席に着く事にした。
テーブルは正方形ではなく、長方形の形で椅子は四つ。この場合、誰かが零治と隣同士になってしまうので、これが良い事なのか悪い事なのかまでは分からないが、零治は凪達を気遣って椅子を一つ手に取ってガタガタと動かしてテーブルの横にずらし、さっさと席に着いてしまった。
「おい。立ってないでお前らも早く席に着けよ。仕事はまだ残ってるんだからな」
「そ、そうですね」
「隊長。昼休みん時ぐらい仕事の話はせんといてや」
「オレは事実を言っただけだ」
「ぶ~。隊長、空気を読んでほしいのー」
「日頃から空気を読んでないお前らにだけは言われたくないな」
今の会話でほんの少しだけぎこちない感じの空気が緩み、凪は零治が移動させた隣にあった椅子に、真桜と沙和は向かいの二つ並んだ椅子に隣同士に座って席に着き、店の店主が水の入った湯呑を四つと水差しを乗せたお盆を持って零治達が着いたテーブルの前までやってきて、湯呑と水差しをテーブルの上に置いて懐から小さめの竹簡と筆を取出し、零治達に注文を訪ねた。
「音無様。今日は何を頼みやすかい?」
「お前らは何を食いたいんだ?」
「隊長にお任せします」
「ウチも」
「沙和もー」
「何から何まで人任せにしやがって。……コイツらには醤油ラーメンを。オレはいつものアレでいい」
「へい。にんにくらーめんの大盛り、にんにくと叉焼多めの麺固めですね?」
「ああ」
「あーっ! 隊長! 自分だけ大盛りとかずるいでぇ!」
「はぁ……コイツらのラーメンも大盛りで頼む」
「へい! 少々お待ちを」
零治の注文を店主は手早く竹簡に書き記し、厨房へと引き返して行き調理を開始。
厨房内からはガチャガチャと音が鳴り響く中、零治達の少しだけ緩んだはずの空気はまたしても重くなり、奇妙な沈黙がその場を支配した。
凪、真桜、沙和の三人はチラチラと零治の姿を盗み見るが、その零治はというと椅子に思いっきり背もたれしながら足を組み、天井を見上げてボーっとしていて一言も言葉を発しようとしない。
そんな奇妙な沈黙が続く中、時間だけが過ぎていき、零治達の注文のラーメンが出来上がり、湯気が立ち上る丼を四つ乗せたお盆を手にした店主が再び零治達が使用しているテーブルの前までやってきた。
「へい! らーめんお待たせしやしたぁ!」
「おっ。来た来た」
運ばれてきた丼からは湯気、そして食欲をそそる旨そうな香りが漂い、凪達の醤油ラーメンの具材は叉焼にネギ、もやし、細切りにされた木耳とシンプルながらもとても旨そうなラーメンである。
零治のラーメンは先ほど述べた具材プラス、軽く焦がしたニンニクと叉焼が多めに入っておりこちらも食欲をそそる香りが漂い、皆が皆その香りを前にして空腹をいたく刺激された。
「さて、食いますかね」
零治達はテーブルの上に置かれたラーメンの丼を自分の手前まで引き寄せ、テーブルの脇に備えられている竹筒から箸を取出し、盛り付けられている具材を箸で押して沈めてスープに馴染ませ、取り出した麺にフーフーと息を吹きかけて熱を冷まし、ズルズルと音を立てて啜り、その味に表情を綻ばせた。
「あぁ~。うめぇ。親父、相変わらずいい仕事してるじゃねぇか」
「ありがとうございやす」
零治の褒め言葉に店主は満足げに頷いて新たに来店してきた客達の注文の料理を作るべく、厨房内でガチャガチャと音を立てながら作業の手を動かし続ける。
その間も零治達はラーメンを啜りながら食べ続けるが、全く会話が無いためテーブル内の空気は非常に重っ苦しい物である。
ズルズルとラーメンの啜る音が響く中、真桜はラーメンを啜りながら向かいに座る凪に目配せし、眼でこう語りかけた。
(凪! 空気が重いきなんか喋れやっ!)
(無茶言うな! 昨日の今日だぞ! そんな事を言うんならお前達こそ何か話さないかっ!)
反対に座る凪も真桜の目配せの内容を感じ取り、ラーメンを啜りながら小さく首を横に振り、真桜と沙和に目配せして語りかけるが、真桜と沙和の二人も揃ってラーメンを啜りながら凪同様に首を小さく左右に振った。
(無理なのー! 沙和、隊長となに話せばいいか全然思いつかないのー!)
(頼むっ! 凪だけが頼りやねん! 今度凪の行きつけの店で唐辛子びたびた奢っちゃるき!)
(全く……。仕方ない、引き受けてやる)
付き合いが長いとはいえ、目配せだけでここまで明確な意思疎通が出来るとは。零治が使用している念話以上に凄いのは間違いない。
これ以上ないくらいの難しい役目だが、引き受けてしまったからにはやるしかない。
凪はラーメンをズルズルと啜って口に含んだ麺を咀嚼して飲み込み、水を飲んで口の中を洗い流してもう一度ラーメンを食べる動作をしながらどこかぎこちない口調ではあるが、精一杯ごく自然体を振舞いながら何気なく零治に声をかけた。
「あ、あの……た、隊長」
「ん? ろうひらぁ?」
ラーメンを啜ってる最中に声をかけられたため、麺を丼に戻すのもアレと思い、行儀はよろしくないが麺を啜るのを止め、箸で摘まんでる麺を口から垂らしながらモゴモゴと口を動かして凪にどうしたのかと尋ねた。
普段なら凪もツッコミを入れてた所だろうが、いや、むしろここはツッコんだ方が良かったのかもしれない。だが今の凪は零治との会話の事を考えるあまりそこまで頭が働かず、テンパってトンチンカンな事を口にしてしまったのだ。
「き、き、き……」
「ん?」
「き……今日は……いい天気ですね……っ!」
「はっ? ……ああ、そうだな」
凪の間抜けな発言に真桜と沙和はガックリと頭を落とし、おまけに会話はそこで途切れてしまった。
凪本人も自分の間抜けっぷりに顔を赤くしながら俯き、ラーメンを啜りながら自分は何を言ってるんだと頭の中で言い聞かせながら己の失態をひたすらに責め立てていた。
(何を言っとるんや!? 凪! 天気の話とかどうでもええやん! ご近所さんの世間話か!?)
(す、すまん。正直なにを言っていいのか頭が働いてくれなくて……)
(……あぁ~。隊長、らーめんを食べ終わっちゃったのー……)
(あぁもう。しゃあない。ウチらもさっさと食うで。こうなったら隊長との会話は午後の仕事中にでもするしかないわ)
(わ、分かった……)
まだ仕事が終わった訳ではなく、今は単なる昼休みなのだ。
確かに零治との間に出来ている溝を放置するわけにはいかないが、まだ仕事のが残っている以上は無駄な時間を過ごして零治を待たせるわけにもいかない。
こうなったら零治との間の溝を埋めるのは午後の仕事時にするしかないだろう。凪、真桜、沙和の三人は自分にそう言い聞かせてズルズルと麺を啜り、具材も口の中に詰め込んでそれらをスープで一気に流し込み、あっという間に大盛りのラーメンを完食してみせた。
「おい。何もそこまで急いで食う必要は……」
「いえ! 午後からの仕事の事を考えれば、隊長をお待たせするわけにはいきませんので!」
「せやでぇ! まだ仕事があるんや! 道草食っとる暇なんかあらへん!」
「そうなのー! 沙和達に休んでいる暇なんか無いのー!」
「……凪はともかく、なんで今日に限って真桜と沙和も仕事熱心なんだ? 普段からそうしてくれりゃオレや亜弥がどんだけ楽できる事か」
真桜と沙和の珍しい姿を前にして、零治は二人の日頃の行いについて苦笑いを浮かべながら愚痴をこぼしながら席を立ち、厨房の向かいにあるカウンター席の前まで足を進め、ズボンのポッケから財布を取り出してカウンターの前に必要分の金を置いていく。
「親父。金はここに置いとくぜ」
「へい! 毎度ありがとうございやしたー!」
引き戸をガラッと開け、店主の野太い威勢の良い声を背に受けながら零治達は店を後にし、午後の街の巡回を始めるのだった。
………
……
…
で、いざ仕事に取り掛かってみれば、別に目立った騒ぎも起こらず、人々の活気にあふれた街は平和そのものである。
もちろんこれは喜ばしい事だし、凪達もこれは良い事だと思ってはいる。
しかしだ、今はこれが別の意味で弊害になってしまっているのである。普段の凪達なら零治との会話にも別に困る事は無いだろうが、今日は少々特殊な事情を抱えている上に昨日の今日なため、凪達は零治との会話の話題に非常に困っていた。かと言って零治が気にしている左腕について触れる事などできやしない。なので凪達は零治と確実に会話が出来るきっかけ、つまり何か事件が起きる事を期待していたのだが、今日に限って街は平和で何一つ騒ぎが起きる気配も感じない。
そのせいで凪達は零治との会話について困り果てていたのである。
「どうなっとるんや。なんで今日に限ってなんも事件が起きひんのや……」
「ほんとなのー。いつもなら喧嘩とかぐらいの騒ぎが多少は起きるのにー……」
「真桜、沙和。いくらなんでも不謹慎だぞ」
「よう言うわ。凪、あんたも少しは期待しとるんやろ? なんか事件が起こるのを」
「……まあ、多少はな。その方が確実に隊長とも話せるだろうしな」
「まあこの様子じゃそれには期待できんな。こうなったらウチらが自力でどうにかするしかないわ」
「それは分かるけど……でもどうするのー?」
「それは今から考えるんやないか」
「……ん?」
凪達の前を歩く零治は不意に足を止め、少し距離を取って歩いていた凪達は顔を見合わせながらヒソヒソと声を潜めながら話をしていたため、気付いた時にはもう遅く、零治の背に軽くぶつかってしまった。
「うわっとっ!? ……隊長、どうかしたんですか?」
「いや……なんか向こうで人ごみが出来てるし、妙に騒がしい気がしてな」
零治が顎をしゃくって前を見るように促すので、凪達はそれに従い零治の視線の先を追った。
確かに零治の言う通り、自分達が居る通りの位置から五十メートルほど進んだ先に人ごみが出来ており、見た感じ店に並んでいる列というより騒ぎにたかっている野次馬のように見えた。
更に耳を澄ましてみれば通りの喧騒に交じって男の怒声のような喚き声が野次馬の中から聞こえてきたのだ。
「どうもただのケンカって訳じゃなさそうだな。行くぞお前ら。仕事の時間だ」
「はっ!」
「あいよ!」
「分かったのー!」
どうも凪達が望んでいた状況に流れたのか、実にいいタイミングで事件が起きてくれた。
無論、事件が起きたこと自体は決して喜ばしい状況ではないし、凪達もそれは分かっているが不謹慎と思いながらもこの事態に素直に喜べた。
何にせよこれで、零治と話すきっかけ作りには困らずに済みそうなのだから。
凪達はこの状況に内心ほくそ笑みながら先を進む零治の後に続き、行く手を遮っている野次馬の壁を押し退けながら先を進んでいき騒ぎの中心点に辿り着いたのだが、どういう訳かそこには霞の姿も確認できた。
「ほれ。遠慮せんとかかってきいや」
その場に辿り着いてみれば、大通りのど真ん中で霞が年配の女性を背に庇いながらガラの悪い強面の中肉中背の中年の男と鼻が尖った小男、やたら太ってはいるが筋肉質な大柄の男を前にして何やら言い争いをしている様子だった。
(ん? あの三人組……なんか前にどっかで見た気がするんだが……気のせいか?)
「来いゆうてんのに、ボケッと突っ立って何しとん? ホンマに口だけやなぁ、自分ら」
「うぐぐぐぐぐ……」
凛々しい袴姿で仁王立ちしている霞はリーダー格の中年男に挑発的な言葉を言い放ち、それを耳にした男は忌々しげに歯ぎしりをしながら霞を睨み付けるが、魏の騎馬隊の中核を担う霞が素人のそんな視線に怯むはずもなく、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべながらその視線をどこ吹く風と受け流していた。
「俺たちゃそっちのババァに用があるんだよっ! 関係無い奴は引っ込んでろ!」
「ひいぃっ!」
「ばあちゃん、ええからウチの後ろに隠れとき。……せやから、用事やったらウチを通せってゆうてるねん! あんたら人間の言葉、理解してるか?」
「うぐぐっ……あ、あにきぃ~……」
霞の更なる挑発的な言葉で、背の低い小男が忌々しげな声を発しながら腰に下げている曲刀の柄に手をかけて今にも刃傷沙汰を起こしかねない勢いだが、リーダー格の男が手で制止して小男を抑えつける。
この三人組は確かに素人ではあるが、それでも相手の力量ぐらいはそれなりに測れるし、場所が場所だ。
真っ昼間から街の大通りで騒ぎを起こせば目立つし、追われる身にはなりたくない。
なのでリーダー格の男は内なる怒りを抑えつけながら一歩前に進み出て、出来るだけ穏やかな口調で霞との交渉を試みた。
「あのな、お嬢ちゃん……別に取って食おうって訳じゃないんだ。ちょーっとお願いしたい事があるだけで……」
「う、嘘を言うんじゃないよ! あんたらあたしに金をたかってきたじゃないかっ!」
「てめぇは黙ってろ!」
「ひぃっ!」
(はぁ……見るに堪えんが、霞に任せっきりって訳にはいかんな)
傍から見ていても、どちらが悪いかなど明白だ。このまま放置していても霞が一人で勝手に解決するだろうが、そういう訳には行かない。
街の治安維持こそが零治達の仕事であり役目なのだ。零治は周りの野次馬を押し退けながら霞の隣まで足を進めた。
「霞」
「ん? おっ、零治やん。こんな所でどうしたんや? ウチ取り込み中なんやけど」
「仕事に決まってんだろ。……霞、事情は理解している。ここからはオレ達の仕事だ。お前はその婆さんを護ってやってろ」
「ええ~。せっかくええ所やのにぃ。零治~、頼むきウチにやらしてや」
「ダメだ。……凪、真桜、沙和。大丈夫だとは思うが、お前らも婆さんと野次馬連中に被害が及ばないように注意してろ」
「はっ!」
「了解や!」
「任せてなのー!」
零治の指示に従い、凪、真桜、沙和の三人は三方に展開してゴロツキへの警戒を行いつつ、声を張り上げて野次馬達へ下がるように指示を出した。
年配の女性は霞がしっかりと護ってくれてるし、野次馬達も凪達の働きのおかげでゴロツキ達とも距離があるため、余計な被害が飛ぶ心配もないだろう。
全ての準備が整ったので零治は数歩前へ進み出てリーダー格の男に声をかける。
「おい。話ならオレが代わりに聞いてやる」
「あぁ? 何だてめぇは! 部外者は引っ込んでろ!」
「フッ。オレの事を知らないとは……貴様らよそ者だな」
「だったら何だってんだよ」
「悪い事は言わん。オレが優しい内に回れ右をして街から出ていけ……」
「おいおい、兄ちゃん。何か誤解してるようだな。俺達は別に悪さをしようってんじゃない。ただそこの婆さんに話があってだなぁ……」
「金をたかるのが話だと? 呆れて物も言えん。そんなに金が欲しいんなら働け、ボケが……」
「なっ!? この野郎! 黙って聞いてりゃ言いたい放題抜かしやがって! あにき!」
「まあ落ち着け。……兄ちゃん、あんたの言いたい事は俺も分かるよ。でもこのご時世だ。仕事なんてそう都合良くは見つからねぇだろ? それに先立つ物が無きゃ仕事も探せねぇ。だからその婆さんに宿代とかを貸してもらおうと思ってだなぁ……」
「で、金は仕事が見つかったら働いて返すという訳か?」
「そうそう。兄ちゃん、分かってくれたか?」
「…………」
零治は無言でリーダー格の中年男の表情を観察する。
その表情から、この男の言葉が嘘だという事は零治じゃなくても分かった。普段の零治なら殴り倒して追い払ったりしていたのだろうが、その程度ではこの輩は考えを改めようとはせず、他の場所で同じ事を繰り返すのは明らかだ。
なので零治はもっと別の方法でこの男に制裁を与えてやる事にした。
「……仕方ない奴だ。ならオレが金を貸してやるよ」
「おっ、ホントか! 兄ちゃん話せる奴じゃねぇか」
「ちょっ、零治! アンタ何を言い出しとるんやっ!?」
「霞、黙って見ていろ。……おい。手を出せよ」
「へへ。悪いねぇ」
男はニヤニヤと満足げな笑みを浮かべながら霞を嘲笑い、何の疑いも持たずに零治に向かって右手を開いて突出し、早く金をくれと促した。
だが、零治が与えた物は金ではなく、もっと恐ろしい物だった。零治は口の端を吊り上げ、男に向かって呪いの言葉を贈ったのだ。
「刺し貫け……血ノ剣……」
「へっ?」
零治の言葉の意味が理解できないリーダー格の男は間抜けな声をだし、首を傾げた。
だが次の瞬間、男の右掌と手の甲から短い血ノ剣が激しい血しぶきと共に肉を突き破って飛び出したのだ。右手を突き破った剣は血しぶきに紛れて一瞬にして液状化して消滅し、周りの第三者からは突然男の右手から血が噴き出したようにしか見えなかった。
男は右手に走る激痛に耐えきれず、左手で右手を押さえながら地面に両膝を突いて悲痛な叫び声をあげた。
「ぎゃああああ! いてぇぇぇぇぇっ!」
「おいおい。どうしたんだ? いきなり手から血が噴き出したが……ひょっとして嘘をついていたから天罰が下ったんじゃないのか……?」
「て、てめぇ……俺に何をしやがったぁ……っ!」
「別に何もしてないぞ。ただ見ていただけだ。……おい、早く街を出ていかないと、お前らもコイツみたいになるかもしれんぞ……」
「ひっ!? ……あ、あにきぃ! 大丈夫ですか!」
「い……医者……医者へ連れてってくれ……っ!」
「へいっ!」
リーダー格の男は取り巻きの二人の男に肩を貸してもらいながら何とか立ち上がり、右手からダラダラと血を流しながらフラフラとした足取りでその場から逃げだしていった。
周りに人が居るのにここまでやるとは。少々やりすぎな気がしなくもないが、何にせよ事件は誰にも被害が出る事も無く無事に解決し、野次馬達からは歓声の声が上がった。
零治はゴロツキが向かった先に侮蔑の視線を向けて忌々しげに鼻を鳴らすがすぐに表情を元に戻し、何事も無かったかのように被害に遭った年配の女性に声をかけた。
「婆さん、大丈夫だったか?」
「はい。この方のおかげもあって何も盗られずに済みました。音無様、助けてくださってありがとうございます」
「気にするな。これがオレ達の仕事だからな。……おい、誰か連中の逮捕に向かえ」
「はっ! よし! 二、三人私に続け!」
零治は手近に居た兵士に声をかけ、指示を受けた兵士は数名の隊員を引き連れて通りに残された血の跡を追いながら先程のゴロツキの逮捕に向かった。
野次馬達は事の成り行きを見ていて突然の出来事に眼を丸くしたが、平和を乱す輩が痛い目を見たのがよほど嬉しかったのか、あんな出来事があったにもかかわらず周りの者達も零治に感謝の言葉を述べてきたのだ。
「さっすがは音無様だ! 見ていて気分がスカッとしましたよ!」
「全くだ。あいつら本当に偉そうで見ていて腹が立ってた所だったんですよ!」
「分かった。分かったからお前らも散れ。見世物は終わりだぞ」
零治がシッシッと言わんばかりに右手をヒラヒラと振って野次馬達に散るように促したので、周りの住民達はその姿に苦笑しながら従い、皆辺りへと散らばり大通りは元の平穏さを取り戻した。
「で、婆さんはこれから何しに行く所だったんだ?」
「はい。実は家で使ってる包丁の切れ味が悪くなりましてねぇ。それで鍛冶屋で研いでもらおうと思いまして」
「それって三つ隣の区の鍛冶屋の事か?」
「はい」
「なら、ウチの者を一人警護につけてやろう」
「とんでもございません! これ以上音無様にご迷惑をおかけするわけには」
「いいって。鍛冶屋までは遠いし、またさっきみたいに絡まれたら困るだろ? 迷惑なんて思ってないからさ」
「そうですかぁ? でしたお言葉に甘えさせてもらいましょうか」
「ああ。……そこのお前、彼女を鍛冶屋まで送ってやってくれ」
「はっ。お任せください。……どうぞ。ついて来てください」
「はい。道中よろしくお願いします。では音無様、私はこれで。お仕事頑張ってくださいね」
「ああ。婆さんも気をつけろよ」
その場を後にする前に年配の女性は最後に零治達に向かって深々と一度お辞儀をして感謝の意を表し、警備隊員の後に続きながら鍛冶屋を目指してその場を去って行った。
「霞、お前にも悪かったな。成り行きとはいえこっちの仕事を手伝ってくれてよ」
「ええって。ああいう輩は好かんから放っておけんかったき。……最後にええ所を零治に全部かっさらわれたのは気に入らんけどな」
「それは言うな。さっきも言ったように、本来はオレ達がやるべき事だったんだからな。……じゃ、オレ達は仕事に戻らせてもらうよ」
「あっ、零治。ちょっとええか?」
「何だよ?」
「あんな、警邏にウチもついてって構わんやろうか?」
「そりゃ別に構わんが……急にどうしたんだ?」
「いやな、なんとな~くやけど、今日は零治と一緒に仕事した方がええ気がしただけよ」
「……言っとくがさっき昼飯は食ってきたから、そっち方面の期待には応えれんぞ」
「そんなんやないって。ってか零治、けち臭いにも程があるで」
「冗談だよ。まっ、どっかその辺の店で肉まんぐらいなら奢ってやってもいいぜ?」
「しけた礼やなぁ。男なら華琳の手料理を食わせてやるってぐらい豪語してみんかい」
「無茶言うな。……なら行くとしようか。ついて来いよ」
「あいよ!」
霞は元気よく声を張り上げて右手を挙げ、零治達の見回りの仕事に加わった。
いつものように街の通りを練り歩く零治の後に続きながら、霞は少し離れて後ろを歩いている凪達に歩調を合わせ、零治に聞こえないように声を小さくして凪達にある事を訪ねた。
「凪、真桜、沙和。お前らにちょっと訊きたい事があるんやけど」
「何ですか?」
「三人とも……今日、零治となんか話をしたんか?」
「うっ! それはそのぉ……」
「いやぁ、えっとぉ……」
「あ、あはははは……」
霞の鋭い指摘に凪達はウッと呻いて表情を歪め、歯切れの悪い様子を見せる事しかできなかった。
その姿に霞は呆れたように大きく溜息を吐き、やれやれと言わんばかりに首を左右に振った。
「その様子やとなんちゃあ話をしとらんのやな」
「いやいや、姐さん。なんちゃあなんて事はあらへんよ。少しくらいは話をしたで」
「ほお~。なら何を話したんか、お姉さんに聞かせてみぃや」
「そ、それはそのぉ……あ、あれですわ……」
「あれってなんやねん」
「えっと……昼飯食う店は隊長に任せるとか……後は、隊長がらーめん自分だけ大盛り頼んどったから、自分だけずるいとか……」
「それ会話ってゆうんか?」
「すんません。言いまへんわ……」
「はぁ。全く。三人の気持ちは分からんでもないけど、そんなんじゃあかんで。このままやと零治との間に溝が出来てまうで?」
「あのー、お姉様ー。もう軽く出来てると沙和は思ってるのー……」
「やったらなおの事あかんやんか。やれやれ。ついて来て正解やったな」
「霞様。もしや私達が隊長と話をするための手助けをしてくれるんですか?」
「せや。ただし、ウチはあくまできっかけを作っちゃるだけや。そこからどうやって零治と会話に持ち込むかは三人次第やで?」
霞の言葉に凪達三人は無言で力強く頷いた。
今の凪達にとってこれほど頼もしい助っ人は存在しないだろう。霞は武人としての実力はもちろんの事、場を和ますボキャブラリーにも富んだ人物だ。まあ、たまに空気を読まずにやらかしたりする面もあるが。現に以前、それが原因で零治を怒らせた事だってある。
だが互いに心にゆとりが無い今の状況を考えれば、むしろやりすぎぐらいが丁度いいのかもしれない。
凪達は霞の手腕を頼りに、零治との会話の糸口を掴むべく決意を新たにした。
………
……
…
霞も加えての街の巡回。まだ飲食店が建ち並ぶ区画を抜けてはいないが、今の所は特に問題も無し。
先程のような騒ぎも無く、街は至って平和だ。今は霞も加わっているので凪達も事件が起きてほしいなどと不謹慎な考えを浮かべる必要もないので、三人は霞のきっかけ作りに期待しつつ、街の巡回に専念した。
その時だった。零治が不意に巡回の足を止め、饅頭屋の前で立ち止まったのだ。
「ん? 丁度いい。霞」
「なんや?」
「さっきの礼だ。あの店で肉まんを奢ってやるよ」
「おっ、悪いなぁ」
「親父。肉まんを――」
「おっちゃん。肉まん五個ちょうだい。あっ、支払いはこの兄ちゃんがしてくれるき」
「へい。まいど~」
「おい。霞、なに勝手に注文してんだ。しかもお前、五個も食うつもりかよ」
「何ゆうとんねん。零治らの分に決まっとるやん」
「はっ? おいおい。オレ達はさっき昼飯食ってきたんだぞ」
「そう言いなや。肉まん一個ぐらいなら食えるやろ?」
「まあ、一個ぐらいなら……」
「そりゃよかったわ。凪達も当然食うよな?」
「い、いえ、霞様。私はちょっときついかと……」
「そうなんよ。昼に食ったらーめんの大盛りが予想以上に多かったき……」
「沙和も、もうお腹一杯だし、これ以上食べたら太っちゃうのー……」
「あっ?」
霞は先程までいつもの穏やかな表情だったのに、凪、真桜、沙和の三人が肉まんを食べるのを渋る様子を見せた途端、その表情に影を落として険しい眼つきでこちらを睨み付けてきたのだ。
そしてその眼はこう語っていた。ウチが折角きっかけを作ってやったのに無駄にする気か、腹が一杯だからどうした。我慢して食えと。
その凄まじい表情に気圧されて凪達はビクリと肩を震わせ、それと同時に霞の考えを即座に読み取り、満腹にもかかわらず我慢して肉まんを食べる覚悟を決めた。
「い、いえ! やっぱりいただきますっ!」
「せ、せやな! 正直まだ腹が減っとったき丁度ええわっ!」
「さ、沙和も食べるのー! まだまだ余裕なのーっ!」
「そうかそうかぁ。若いもんはやっぱそうじゃなくっちゃなぁ。ほな零治、会計よろしゅうにな」
「あ、ああ……」
霞と凪達とのやり取りを横で見ていた零治は何か釈然としない所はあったが、ただでさえ今日は凪達との間には壁が出来ていて気まずい雰囲気なのだ。
変に追及して場の空気を悪くするのはよろしくないだろうと思い、零治は霞達の事はひとまず置いておき、会計を済ませて饅頭屋の店主から肉まんを五個詰めてもらった紙袋を受け取り、中から一つずつ取り出して凪達に手渡していった。
「ほれ。熱いから気をつけろよ」
「零治。おおきにな」
「あ、ありがとうございます……」
「ど、どうもな。隊長……」
「あ、ありがとうなのー……」
零治から受け取った肉まんに霞は豪快にかぶりつき、中に詰められた肉の餡から溢れ出る肉汁に舌鼓を打ちながら表情を綻ばせ、零治も同じく肉まんの味に満足げに頷きながら黙々と食べていた。
だが、その零治と霞の様子とは対照的に、凪、真桜、沙和の三人は手に持っている肉まんをげんなりとした表情で見つめ、手を付けようとしない。
それもそのはず、三人の胃の中には昼に食べた大盛りラーメンがまだ残っている。おまけにいま零治が買った店の肉まんは普通のと違ってソフトボールぐらいの大きさをしているので、この状態で食べるのはかなりきついのだ。
しかしそうも言ってられる状況ではない。これは霞がセッティングしてくれた零治との会話へ繋げるための糸口なのだ。今の凪達に出来る事は、目の前の肉まんに噛り付きながら零治との会話の糸口を掴み、尚且つ胃の中の物をリバースしないように祈る事である。
三人は覚悟を決め、膨満感を抑えながら零治に奢ってもらった肉まんに軽く噛り付いた。
「あむっ!」
「はぐっ!」
「はむっ!」
「どうや。旨いやろ?」
「そ、そう……ですね……っ!」
「ほんまっすねっ! それにこの肉まん、普通のよりデカいから……食い応えが……ありますわ……っ!」
「全く……なの……っ! これ一個で……お腹一杯に……なりそう……なの……っ!」
凪達は必死に作り笑いを浮かべながら答えはするが、顔色は正直よろしくない。
チビチビ齧りながら食べてはいるものの、既に満腹の状態にもかかわらず無理をして食べているのだ。
そのせいか三人の額には脂汗が浮かび上がり、顔色もどんどん青ざめて今にも吐きそうな様子を醸し出していた。
「おい。三人とも顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……っ!」
「へ、平気やき……っ! た、隊長は気にせんとって……っ!」
「そ。そうなの。これは……日が陰ってるから……そう見えるだけ……なの……っ!」
「いや、どう見てもお前ら無理して食ってるだろ。きついんならやめとけって。腹壊すぞ」
「そんな事あらへんよなぁ? 三人とも無理なんかしてへんよなぁ?」
「霞は黙ってろ……」
「うっ……はい……」
会話を途切れさせまいと霞が口を挟んできたが、零治が横からギロッと鋭い睨みを利かせてきたため、霞はシュンと肩を落として縮こまり押し黙ってしまう。
凪達は平気だと言い張ってはいるが、誰がどう見ても無理をして気分が悪くなっているのは明らかだ。
この状態の凪達を引き連れて警邏をするのは無理があるし、何か起こった時の咄嗟の対応も出来るかどうか怪しい。仕方ないので零治は凪達を休ませる事を優先した。
「……仕方ない。そこの茶店でこいつらを休ませるか。お前らはそこで待ってろ」
丁度いい事に通りの反対側に茶店があったので零治はそこへ向かい、のれんを掻き分けて店内に足を踏み入れ、店主の老婆に声をかけた。
「うーす。婆さん、居るかー?」
「は~い。……おやぁ、音無様。いらっしゃ~い。休憩ですか?」
「いや、オレは違うんだが……婆さん、悪いがあいつらを店内で休ませてくれないか? ちょっと体調を崩しちまったらしくてよ」
と、零治は言いながら右手の親指を使って後ろ手で、店の前で肉まんを片手に青ざめた表情で小刻みに身体を震わしながら棒立ちしている凪達を指さし、ヒョイッと顔を覗かせてその姿を見た店主の老婆は口元に手を当てが居ながらあらあらと言い、事情を理解した。
「ええ。構いませんよ。店の奥に胃薬もありますし、後でお出ししておいてあげましょう」
「助かるよ」
店主の了承も得る事が出来たので、零治は一度店から出ていき、無理をして体調を崩してしまった凪達を前にして内心溜息を一つ吐き、三人には茶店で休んでいるように言い聞かせる。
「おい。店の了承は得たから、お前らはあそこで休んでろ。店の婆さんが後で胃薬も出してくれるそうだ。ちゃんと礼を言っとけよ」
「い、いえ、隊長。ですがまだ警邏が終わって……」
「そんな青ざめた表情で警邏もへったくれもあるか。街の警邏の続きはオレがやる。終わったら迎えに来てやるから、それまでお前らはあの店で大人しく休んでろ。いいな。これは命令だ」
零治の鋭い指摘に凪達は何も言えない。おまけに命令と言われては従わざるを得ない。
それに気分が悪いのは事実だし、こんな状態で街の警邏をしても零治に迷惑をかけるだけだ。
零治との関係の修繕しようと無理をして迷惑をかけてしまっては本末転倒だ。それに休みたいというのも事実。なので凪達は零治の言葉に素直に従う事にする。
「わ、分かりました……」
「うぅ……隊長。ホンマにすまん。この埋め合わせは必ずするき……」
「隊長。本当にごめんなのー……」
「本当に悪いと思ってるんならさっさと店に行って休め。……さてお前ら、仕事の続きだ」
「了解であります! 隊長っ!」
「……あれ? 零治、ウチは?」
自分の事を完全に放置して警備隊員を引き連れて警邏を再開してしまうので、霞はキョトンとした表情で自分を指さしながらどうすればいいのかと零治に尋ねた。
零治は足を止めてゆっくりと振り返り、あたかも忘れていたかのようなワザとらしい振る舞いをし、霞にも一つ指示を出してあげた。
「あぁ、忘れてたわ。……霞、お前も凪達と一緒に待機だ。こいつらの面倒を見てろ」
「えっ? なんでウチが?」
「元はと言えば凪達が体調を崩した原因はお前だろうが。ちゃんと責任は取れよな……」
「は、はい……」
「オレが戻って来るまでちゃんと居ろよ。もしも途中で投げ出したりしたら……どうなるか分かってんだろうなぁ……」
「わ、分かっとるき……」
「ならいい……」
霞の行動は完全に裏目に出てしまい、零治と凪達との会話の糸口を掴ませるどころか逆に迷惑をかけてしまった上に零治の事も怒らせてしまった。
零治の脅しとしか思えない言葉に霞は頷く事しか出来ず、隊員達を引き連れてその場を立ち去って行く後姿を凪達は黙って見送る事しか出来なかった。
「はぁ~。まさかこんな事になるとは。完全に失敗したなぁ……」
「失敗どころか完全に隊長を怒らせてしまってますやん。姐さん、これ最悪の展開ですよ……」
「いや、ホンマに悪かった。反省しとるき……」
「ねえ。沙和達はどうすればいいのー?」
「とりあえず言われた通り茶店で休んでいよう。これ以上隊長に迷惑をかけるわけにはいかないからな」
今の凪達に出来る事は身体を休めて体調を回復させる事だ。何よりこれは零治の命令でもある。
凪達はこれに素直に従い、茶店へと足を踏み入れて店内の奥の隅っこのテーブルの席に着き、凪、真桜、沙和の三人は少しでも楽な体勢を取ろうと、前のめりになってテーブルに突っ伏し、大きく息を吐いた。
「ふぅ~。……あぁ。こうしていると少しは楽になる」
「あぁ、ホンマやな。正直やばかったで。もう少しで吐く所やったわ……」
「うぅ……沙和は当分の間、肉まんは見たくないの」
「三人とも。ホンマにすまん。もうちょっと別の方法を考えるべきやったな」
「はぁ……私は今日ほど霞様に全てをお任せした事を後悔した日は無いですね……」
「ホンマですよ。姐さん、恨みますで。腹が破裂するかと思いましたわ……」
「全くなのー。沙和達のこの苦しみ、お姉様にも分けてあげたいくらいなのー……」
「だからこうして謝っとるやん。お前らもええ加減しつこいでぇ」
「あれだけの無理強いをさせられたらしつこくもなりますよ……」
「むぅ……」
凪の指摘に霞は口をへの字にして不満を露わにするが、無理強いをしたのは事実だし、それが原因で零治に迷惑をかけるどころか怒らせるにまで至ってしまい、霞の作戦は完全に失敗し、状況は振出しに戻ってしまった。
おかげで凪達は零治との関係の修復にどうしたものかと頭を悩ませ途方に暮れてしまう。
と、その時だ。温かいお茶が入った湯呑を四つと胃薬と思われる粉薬が入った包みを三つ、それに大きな空の皿を一枚木製の丸いお盆に乗せ、それを手にした店主が凪達のテーブルまで運んできてくれた。
「はい。これでも飲んで一息つきなさいな。後、あんた達三人はこの胃薬も飲んどきなさいね」
「あっ、ありがとうございます、お婆さん。で、お代は」
「いいよ。これは店の奢りだよ。いつも街の平和を守ってくれている感謝の気持ちだから。それとその食べかけの肉まん、この皿にでも置いときなさい」
「感謝します、お婆さん」
「婆ちゃん、おおきに」
「ありがとうなのー」
「すまんなぁ、婆ちゃん」
「気にしなさんな。ゆっくりしていきなさいね」
店主の老婆は柔和な笑みを浮かべながら会釈をし、ゆっくりとした足取りで会計台の前に設けている椅子に腰かけ、新たな来店客がいつ来てもいいように定位置で待機する。
凪、真桜、沙和の三人は早いとこ腹の苦しみを解消しようと思い、各々は湯呑に手を伸ばし、胃薬の包み紙を摘まんで持ち上げてザーッと口の中に入れて含み、それをお茶で流し込んだ。
流石に胃薬に即効性はありはしないが、これで体調が良くなる事を考えたおかげか、凪達は気持ち少しだけ楽になったような気がした。
「はぁ……私達は何をしているんだろうな……」
「凪ちゃん。急にどうしたのー?」
「いや、今日の事を改めて考えてたんだが……冷静に考えてみたら、私達が勝手に隊長との間に壁を作っていた気がするんだ」
「まあ、確かにそうかもしれんけど。でも凪、それはしゃあないやん。隊長のあんな話を聞かされた後じゃ、どう接していいかも分からんなるって」
「それは私も分かる。なら逆に訊くが、隊長の身に起きた出来事を通して、あの人は何か変わったか?」
凪の質問に真桜、沙和、霞の三人は互いに顔を見合わせた後、両腕を組んで宙を睨み付けて考える仕草をした。
凪の質問の意図を理解したのかしてないのか、やがて結論が出たようで最初に真桜が思った事を凪に言い聞かせてみせる。
「まあ……少なくとも見た目は変わったわな。めっちゃ物騒な鎧を左腕に着けてたし」
「うん。沙和も同感なのー」
「私が訊いたのは見た目の話ではなく、もっと精神的な面の事を言ってるんだ」
「ん~……ウチは少なくともいつも通りやったと思うで。まあ、昼間のチンピラの件はやりすぎやなとは思うたけど」
「はい。霞様のおっしゃる通りです」
「ん? 何がや? チンピラどもの話か?」
「違います。隊長が『いつも通り』だったという点です」
「……凪。いつも通りやったかぁ? ウチはめっちゃ話しかけづらい雰囲気を放ってるようにしか見えんかったで」
「確かに街の警邏に出てからの隊長は話しかけにくい様子だったが、少なくとも出発前はいつも通りだった。私はそう思っている」
「言われてみればそうだね。お城から出る前までは、隊長はいつも通りに沙和達に話しかけてきてくれたのー」
「ああ。なのに私達は昨日の出来事を気にするあまり、いつの間にか隊長との間に壁を作っていた。その結果、隊長も私達に変な気を遣って自然と遠ざけていたんだろう。今日の一件は元はと言えば私達が悪かったんだ」
凪の言葉は真桜と沙和の胸に深々と突き刺さった。
二人とも凪の言っていた事に思い当たる節は確かにある。昨日の武道大会で零治が見せた異変と禍々しい雰囲気を放っていたあの姿。その姿は二人の眼には焼き付き、今でも忘れられないし、忘れる事も出来ない。
そしてその事を今日も気にするあまり、零治に対してもぎこちない受け答えしか出来ず、いつの間にか零治の事を避けていた。
改めて考えてみると、今日の件は自分達が悪いのだと真桜と沙和も凪同様に痛感した。
「あぁ……ウチら最低やな。隊長に悪い事してもうたわ……」
「沙和も。これじゃ隊長の部下失格なのー……」
「なあ。三人ともそこまで分かっちゅうんなら、零治が戻ってきたらどうすればええかも分かるやろ?」
「はい。……真桜、沙和」
「ん?」
「なーに?」
「隊長が戻ってきたら……今日の事を謝ろう。それが一番だ」
「おう。当たり前やん」
「当然なのー」
(零治。よかったな。あんた、ええ部下達に恵まれとるやんか)
霞の行動が裏目に出て零治を怒らせる結果になってしまったが、それにより凪達には考える時間ときっかけが与えられ、そのおかげで自分達が犯していた間違いに気付く事が出来た。そしてこれからどうするべきなのかも。
霞が考えていた展開とは違うが、結果的に零治と凪達との関係の修復には一役買う事が出来たようで霞はこの結果に満足げに頷いていた。
………
……
…
あれから時刻は夕方頃になり、日はすっかり傾いて空も茜色に染まっている。
今日の巡回区域をすべて回り終えた零治は部下達を一足先に帰還させ、自分は帰り道の通りで開いている団子屋に立ち寄り、凪達にお土産を買ってあげてようやく彼女達を待たせている茶店へと足を運んでいるのだ。
「やれやれ。ごま団子如きでまさか一時間も待たされるとはな。あの店ってそんなに人気なのかね?」
零治は溜息を一つ吐いて右手に持っている二つの紙袋を軽く振ると、中からガサッと何かが揺さぶられる音が鳴り響く。
零治が手に持っている袋の中身は途中で立ち寄った団子屋で買ったごま団子である。一つは凪達へのお土産であり、もう一つは自分の分を含めた亜弥達へのお土産である。
「食い物で釣るような真似はしたくないが、こうでもしないとアイツらとの会話のきっかけなんか作れねぇよなぁ」
どうも零治も霞と同じ考えをしていたらしく、食べ物を使って会話のきっかけ作りをしようと思い団子をお土産に買ってやったのだ。
ただ霞の場合はタイミングが非常に悪かった上に無理強いをしたため見事なまでに失敗しているが、あれからもう随分と時間が経ってるし、茶店の店主が胃薬も出してあげると言っていたので少なくとも凪達の体調は回復しているはずである。
仮に回復してなかったら他の方法を考えれば良いだけだし、ごま団子は他の誰かにあげれば済む話である。そんなこんなと考えている内に凪達を待たせてある茶店の前まで辿り着き、零治はのれんを掻き分けて中へと足を踏み入れた。
「おーい。迎えに来てやったぞ。あっ、そうそう。帰りに……」
「隊長! おかえりなさいませ!」
「おかえり! 隊長っ!」
「隊長! おかえりなのー!」
「…………はっ?」
店内に入ってごま団子の入った紙袋をヒョイッと持ち上げながら土産を買ってきてやったぞと零治は言おうとしたのに、凪達は零治の姿を確認するや否や、素早く席から立ち上がって零治の前まで移動して横一列に整列し、ビシッと敬礼をして声を張り上げて自分の事を迎えてきたので、零治は一体どうしたのだと言わんばかりに首を傾げた。
「えぇっと……三人とも体調は問題なさそうだな。うん、ホント元気だな。元気すぎる気がするが……」
「気にしなや。こいつらなりに答えが出せただけの事やき。所で零治。その紙袋は何や?」
「ん? ああ。お前らへの土産のごま団子だ。食うか?」
「いえ! 今は結構です! それより隊長! 実はお話ししたい事があるんですっ!」
「分かった。分かったから店内で大声を出すな。帰りながら聞いてやるから」
「はっ!」
「婆さん。今日は助かったよ。コイツらを休ませてくれてありがとな」
「いえいえ。お気になさらずに。音無様、また寄ってくださいな。美味しいお茶とお菓子を用意して待ってますからね」
「ああ。機会があったら必ず顔を出すよ。……さて、帰るぞ」
「はいっ!」
「おう!」
「分かったのー!」
(ホントどうしたんだコイツら? 昼間と完全に別人じゃねぇか)
凪、真桜、沙和の三人の変わりぶりが零治には理解できず、ただただほんの数時間の間に何があったのだと疑問しか浮かばないし、霞に訊いても答えをはぐらかされるだけである。
恐らく凪達の話したい事が関係してるのだろうと零治は思い、とりあえず城までの帰り道で話を聞けば分かる事だろうと自分に言い聞かせて帰路へと着くのだった。
………
……
…
街を出て、後は城までは一本道。零治達は夕日を背に受けながらただひたすらに足を進めていく。
しかし、凪達は話があると言っていたのにいつまで経ってもその話を切り出してこようとしない。
何か深い事情があるのだろうと思い、先頭を歩く零治は三人が話を切り出してくるのを気長に待っていた。やがて気持ちの整理がついたのか、代表として凪が口を開き、背後から声をかけてきたので零治は足を止めて凪達の方へと振り返った。
「隊長」
「ん? ようやく話す気になったか?」
「はい。……隊長……今日は本当に申し訳ありませんでしたっ!」
「隊長! 今日の事はウチらが悪かった! 本当に申し訳ない!」
「隊長! ごめんなさいなのー!」
「はっ?」
凪、真桜、沙和の三人は表情を引き締めながら零治の事を正面から見据え、いきなり頭を大きく下げて力強い声を発しながら謝ってきたので当の本人は面食らい間抜けな声を出してしまう。
零治は確かに三人に謝られる事には思い当たる節があるが、昼間体調を崩して迷惑をかけた事に関しては既に謝罪の言葉を聞いているため零治は訳が分からず首を傾げる事しか出来なかった。
「おい。いきなりどうしたんだ? 昼間体調を崩した事ならもう気にしてないぞ」
「いえ、その事ではありません。今日一日、私達は隊長の事を避けていました。その事を謝りたいのです」
「あぁ、そっちの事か……」
「私は……私は自分の事が情けなく思います。亜弥様から隊長の身に起こった話を聞かされ、私は隊長の事を支えると自分に言い聞かせたはずなのに……なのにあろう事か、隊長の事を避けてしまうなんて。私は隊長の部下として失格ですっ!」
「ウチもや。ホンマは隊長が一番辛いのに、こんな時にこそウチらが隊長の事を元気づけてやらないかんのにそれすら出来ひんなんて……ウチはなんてバカなんや!」
「沙和も最低なのー。ちょっと厳しい所はあったけど、隊長は何も知らない沙和達に警備隊の事について嫌な顔もしないで色々と教えてくれたし、今では隊員さんの指揮も任せてくれてるのー。それなのに隊長が一番大変な時に何もしようとしないなんて……沙和は恩知らずの最低な奴なの! 隊長! 本当に今日の事はごめんなさいなのーっ!」
「…………」
「零治。あんたホンマに幸せもんやで。ここまで部下に慕われる奴はそう滅多におらんで?」
「……そうだな」
凪、真桜、沙和の今の姿を見て、零治は自分が三人にいかに慕われているのかという事を改めて痛感した。
昨日の出来事の事を考えれば、三人が零治の事を避けてしまったのはごく自然な反応。
華琳に今まで通りに接するように命じられてはいたが、事情が事情だ。そう簡単にできはしない。その結果がアレだ。おまけに零治も変な気を遣ってしまったせいでお互いにすれ違い、今日のような出来事が起きてしまったのだ。
おかげで零治も今日の事は自分にも非があったのだと痛感し、穏やかな笑みを浮かべながら凪達にその事を聞かせた。
「三人とも。頭を上げてくれ。お前らの気持ちは充分に伝わったからよ」
「隊長。怒って……ないのですか?」
「なぜ怒る必要がある? それに今日の事はオレも悪かったんだ。お互い様さ」
「隊長……」
「さ、早いとこ城に戻ろうぜ」
「はいっ!」
「おう!」
「おーっ!」
(ふふっ。すっかり元の警備隊に戻ったな。やっぱ零治達はこうやないとな)
今の零治達のやり取りはまさに普段の警備隊の姿、昼間の気まずい空気が嘘のような光景であった。
一時はどうなるかと思ったが、霞も予定とは違ったが零治達の関係修復には役立つ事も出来たし本人としては実に嬉しい光景である。
お互いの間に出来ていた溝は完全に消え去った事だし、零治達は再び城へ帰るべく足を進め始めた。
「なあ。お前らに一つ訊きたいんだが」
「何ですか?」
「オレの事を避けてた理由は……やっぱりオレが恐ろしいからか?」
「隊長。せっかく溝が埋まったのに何でそんな事訊くんよ……」
「本当なのー。隊長、空気を読んでほしいのー……」
「そう言うなよ。一応訊いておきたいんだ。怒らないから正直に答えてくれ。オレが……恐ろしいのか?」
「……確かに昨日の隊長のお姿は恐ろしいと私は感じました」
「…………」
「ですが……どんな危険な力でも、それを扱う隊長の心が変わっていないのであれば、私は恐ろしいとは思いません。ですから、隊長は今でも私達の隊長のままです。恐れる必要性などありません」
「そういうこっちゃ。それにウチは零治の事、恐ろしいなんてこれっぽっちも思っとらんき安心せぇや」
「本当か? 自分で言うのもなんだが……今のオレは本当に怖いぜ?」
「へへっ。隊長、ウチらがどんだけ隊長の部下やっとると思ってるん? 今更なにが起きても驚かへんで」
「そうなのー。沙和達はこれでもへなちょこ新兵どもの教育もやってるから多少の事は平気なのー」
「その言葉、忘れるなよ? ……なら、オレの右手をよく見てろよ」
凪達は零治の言葉に無言で頷き、その右手に注目した。
零治は右手を軽く開いて掌を上に向け、両眼をゆっくりと閉じてほんの数秒の間を置いた。
それから待つ事およそ五、六秒。ゆっくりと開いた零治の両眼は血の魔導書の力を発動した時の禍々しい黒と深紅に染め上がり、そして右掌からは血を飛び散らして肉を突き破り、一振りの血ノ剣が血液を刀身から滴らせながら姿を現したのだ。
目の前で起こったあまりにも非現実的な光景に凪達は言葉を失い、あんぐりと口を開けてポカンとした表情で零治の右手から生えている禍々しい深紅の剣を見つめていた。
「……いつまで間抜けな表情をしているつもりだ?」
「れ、零治……それは一体なんや……?」
「ん? 見ての通りただの剣だが?」
「いやいや! バカな事ゆうなや! 剣が人間の手から生えるわけないやろっ!」
「オレはもう普通の人間じゃないんだぜ。それに魔導書の事は亜弥達から聞いてるはずだろ? これはそれによって得た力の一つだ。他にも色々できるらしいが、試した事が無いから分からんがな」
「……隊長。それ……痛くないん……?」
「ちと痛いぞ。何しろ自分の掌を突き破ってるんだからな」
「隊長ー。沙和、疲れてるのかなー。なんか隊長の眼の色がおかしく見えるのー……」
「いいや。疲れてなんかいないぞ。この眼の色の変化も魔導書の力のせいだ」
「隊長。その剣……一体何で出来てるんですか……」
「オレの血だ。ってかお前ら、質問が多すぎやしないか?」
「いや、こんなん見せられたら質問攻めするに決まっとるやん。零治、それちゃんと仕舞えるんか?」
「ああ」
零治は霞の疑問に答えるように意識を集中し、右手から生えている血ノ剣はギミックが作動したように瞬時にして引っ込み、掌の傷口も瞬く間に塞がった。
これ以上無駄に魔導書に力を使う必要も無いので、力を抑えた事により零治の眼の色も元通りになっていた。
「どうだ? これを見てもオレが恐ろしくないと言い切れる自信はあるか?」
この光景を前にして凪、真桜、沙和、霞の四人は表情を引きつらせていた。
だが四人は頭をぶんぶんと左右に振って一瞬浮かんだ単語をすぐに振り払った。
自分達は今しがた零治の事を恐ろしくないと言ったばかりだ。確かに先程の姿は誰が見ても恐ろしいのは事実だが、零治本人の心まで変わった訳ではないのだ。ならば出すべき答えは一つしかない。
「隊長。私達の答えは変わりません。恐ろしいとは思いません。隊長は今でも、そしてこれからも……私達の隊長です」
「フッ。そうか。ありがとな……」
「隊長。その代わり一つだけお願いがあるんやけど……」
「何だ?」
「頼むからそれ……ウチらの前では二度とやらんといて。正直心臓に悪すぎやわ……」
「ウチも真桜の意見に賛成やな。見ていて気分のええ光景やないで、今の……」
「沙和も同感なのー」
「いや、これには慣れてくれよ。どうせこの先、コイツを多用する場面は間違いなくあると思うからな。……さ~て、早いとこ帰って残りの仕事を終わらせるぞ。そしたらみんなでこのごま団子を食おうぜ」
ごま団子の入った紙袋を片手に、零治は凪達の前をスタスタと歩きながら左腕に身に着けている深紅のガントレットに夕暮れの日の光を煌めかせる。
最初はどうなる事かと思っていたが、何にせよ零治達の間に出来ていた溝は完全に埋まったし、これまで築き上げてきた信頼関係が崩れる事も無かった。
そして零治は嬉しくも思った。こんな変わり果てた自分に対してここまで言ってくれるとは。その信頼に応えるべく、この先なにがあろうとも、この力を使ってでも魏の仲間達を守るために戦おうと心に誓ったのだった。
零治「で、オレの拘束具はガントレットに変更かい」
作者「こっちの方が拘束具っぽい雰囲気があるだろ?」
亜弥「しかし、ブレードとかが付いてるのはやりすぎなのでは?」
作者「こういう装備品はトゲトゲした感じが良いんじゃないか」
恭佳「実際に居たの? そういうの装備したキャラ」
作者「居るよ。○○○セントとか○○ドウとか」
奈々瑠「F○○と○ッ○○○ターのお二人ですか」
作者「そうそう」
臥々瑠「あれ? でも前者のはそこまでトゲトゲしてなったよね?」
作者「いやいや。指先が鋭く尖がってたぞ。ありゃ間違いなく人を刺せるね」
樺憐「指先が鋭利に尖ったガントレット……まるで夢の中で子供を殺す殺人鬼のようですわね」
零治「いや、アイツのは皮手袋に細いナイフを取り付けた物だからな。それ以前にオレをあんな奴と一緒にしないでくれよ」
作者「おいおい。失礼だぞ。あの人は何気にユーモアセンスもあるんだからな」




