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第67話 闇の力の片鱗

え~、この回の話も零治のセリフが読みづらくなっています。

ただ前と違い、この回では平仮名とカタカナがごちゃ混ぜになってるためあの時以上に読みにくいですが、異様さの表現のための処置なのでご理解をお願いします。

「久しぶり、と言うべきなのかしらね。まさかまた貴様と顔を合わせるとは思いもしませんでしたわよ……」


「…………」



樺憐は目の前に立つ零治に、ではなく、零治に取り憑いているBDの中に宿っている残留思念の塊が形成していると言われているもう一つの人格に忌々しげに声をかけるが、その者は何の反応も示さず、零治の身体を使って不思議そうに首を傾げながら樺憐の姿を観察していた。



「どうしましたの? 久しぶりに表に出てきたから、わたくしの事はおろか、喋り方まで忘れてしまったのかしら」


「……あア。誰カト思えば、あの時ノ犬っコロではナイカ。久しブリだな、ククク」


「…………」



零治の口からは零治の声ともう一つ、BDのもう一つの人格の声と思われる奇妙な声が重なって出てきて、樺憐はその声を耳にするなり忌まわしげに歯ぎしりをした。

その姿がよほど面白いのか、零治の身体を借りているその者は口の端を吊り上げて樺憐の今の姿を嘲笑うかのような笑みを浮かべた。



「貴様と最後ニ戦っタノは……イつ以来だったカ。アア、全く思い出センな……」


「思い出す必要などありませんわよ。どうせ貴様はすぐにこの世から消滅するのですからね……」


「ホお。ソレハつまり、この男を殺スとイウ事か?」


「何を寝言を言っていますの。わたくしがこの世から滅するのは貴様という存在。その方を殺すとは一言も言っていませんわよ」


「なるホド。では、コノ魔導書を消スつもリカ……」


「それも違いますわ。その魔導書もその方には必要な物。消えるのは貴様だけで充分でしてよ」


「我を消すトナ? コレは面白イ事を抜かしオルワ。残念だガそれハ貴様の頭ノ中の妄想で終ワルだろうナ……」


「…………」


「まあヨイ。久しキ外ノ世界だ。貴様には我のウォーミングアップに付き合ッテモラウとしようか」


「いいですとも。ウォーミングアップで終わりにしてさしあげますわ……」



樺憐は構えに入ったまま微動だにせず零治の挙動を観察し、いつでも瞬時に行動できるようにしているというのに、零治は棒立ちのまま樺憐の姿を見つめて首を傾げる。

しばらくして零治は何かを思い出したように手を打ち、口を開いた。



「ふむ、ソウカ。貴様は格闘戦タイプだったナ。では、我モ合わせてヤルトシヨウカ」



零治は異常に巨大化した異形の掌を元のサイズに戻し、次に両手を軽く宙に挙げて全神経を集中させる。

その集中力に呼応するように、零治の両腕、両足に赤黒い靄のような物が集まり、クルクルと回転を起こして渦を巻き始めたのだ。

しばらくしてその靄は弾け飛ぶように四方八方へと飛び散り、靄の中から深紅のカラーリングをした、樺憐が装備している神器、ワイルドファングと全く同じ形状をした手甲と具足が姿を見せた。



「あぁ、そういえば貴様は猿真似が十八番でしたわね。でも……そんな紛い物を装備してわたくしに勝てるとお思いで?」


「紛イ物かドウかは、戦ってミレバ分かる事ダ」


「あらそうですの。では……遠慮無くいかせていただきますわっ!」



樺憐は地面を蹴って中腰の姿勢で奈々瑠以上の速度のダッシュを披露し、零治との距離が目と鼻の先まで縮まった所で予め後ろに引いていた右腕の拳を放ち、零治の鳩尾みぞおちに向かって正拳突きを打ち込んだ。



「フッ」



しかし、零治は余裕の笑みを浮かべながら上半身を半回転左に捻りながら右腕を曲げて盾のようにかざし、その一撃をガードする。

樺憐の拳は零治が身に着けている手甲に直撃し、ガツンと鈍い音が鳴り響き、その衝撃が零治の全身を駆け巡り、一瞬だけ動きを鈍らせた。

その隙を突くかのように樺憐の猛攻は続き、今度は左脚を素早く後ろに引き、勢いをつけながら零治の側頭部に狙いを定めながら回し蹴りを放つが、零治は上体を後ろに逸らしてこれも難なく躱すが、樺憐の攻撃はまだ終了しておらず、この一撃が避けられるのを見越しており、地面に下した左脚を軸にしながら身体を回転させて正面に向き直り、右脚を大きく宙に挙げて脳天にめがけて踵落としを放ったのだ。



「まだまだ読みが甘いですわねっ!」


「っ! ぬゥ……っ!」



零治は咄嗟に両腕を交差させながら頭上まで持ち上げて何とか樺憐の踵落としを防いだが、その威力は凄まじく、地面に押さえつけられるような衝撃が襲い掛かり、その負荷によって零治の足の周りの石造りの闘技場の床には細かいヒビが入ったのだ。

零治の動きを封じ込めた事により、樺憐は更なる追い打ちを仕掛ける。

零治の両腕を支えとして利用しながら右脚に力を入れて自身の身体を宙に浮かせ、左脚を大きく後ろに引いて零治の胸部に狙いを定めた。



「なっ!? 貴様!」


「わたくしを甘く見るとどうなるか……身を以って思い知りなさいっ!」



怒声と共に樺憐は零治の胸を踏みつけるように蹴りを放ち、樺憐の左足は零治の胸部を見事に捉え、蹴りの直撃地点を中心に衝撃と痛みが駆け巡り、骨がミシミシと軋む嫌な音が鳴り響いた。



「グぅ……っ!」



流石に今度ばかりは無防備の状態から蹴りを叩き込まれたためそのダメージ量は凄まじく、零治は苦悶の表情になるが樺憐の攻撃はまだまだ続く。

樺憐は零治を踏みつけるような体勢を維持しながら左脚で自分の身体を支え、胸部に狙いを定めたまま右脚を大きく後ろに引いたのだ。



「まだまだぁ!」


「ぐっ! ガッ! グあっ!?」



零治には何一つ行動させまいと樺憐は右脚で踏みつけるタイミングに合わせて左脚を後ろに引き、続いて左脚で踏みつけ、そしてまた右脚で零治の胸部を踏みつける。

樺憐は右左右左と交互に一定の間隔で蹴りを叩き込み、次第にその速度は徐々に加速していき、二人の戦いはまさに樺憐の一方的な展開となってきたのだ。



「うらららららあぁぁぁぁっ!!」


「ぬぅゥゥ……っ!」


「これで……フィニッシュですわっ!」



ありったけの蹴りを零治に叩き込んだ後、樺憐は最後のダメ押しを喰らわせるために最後の一撃を放つために零治の胸部を踏み台にし、両足で軽く踏みつけて跳躍して両脚を一気に曲げて力を溜め、そして曲げていた両脚を一気に伸ばしてドロップキックを喰らわせると同時にその衝撃をバネとして利用し、後方へと跳躍してクルクルと身体を回転させながら華麗に地面に着地して見せたのだ。

それとは逆に、零治は樺憐のドロップキックをもろに喰らってしまい、まるでワイヤーで引っ張られているかのように吹っ飛んで行き、そのまま中庭内にある茂みの中へ飛ばされた次の瞬間、激しい轟音が鳴り響き、茂みの中から大量の砂煙が舞い上がったのだ。

恐らくだが、零治は茂みの奥に隠れている石造りの城壁に身体を叩き付けられたのだろう。



「フッ。この程度ですの? 失望しましたわ」



あれだけ激しい攻撃を繰り出した直後だというのに、樺憐は全く疲労感を感じておらず、右手でバサッと自分の髪の毛を横に掻き分け、優雅に佇んでいた。

樺憐が強いという事は亜弥から聞かされていたのである手度の実力を備えている事は華琳達も理解していたが、初めて目の当たりにした樺憐の驚異的な戦闘力を前にして、魏の首脳陣達はポカーンと口を開け、唖然とした表情で樺憐の後姿を見つめていた。

しかし、零治を止めるためとはいえ、これはいくら何でもやりすぎな気がしなくもないが。



「ちょっと樺憐! アンタは零治を殺す気なのかい!? いくら何でもやりすぎだろっ!」


「恭佳さん。ご心配なく。ちゃんと手加減はしていますわ」


「あれで……手加減!?」



手加減とは一体なんだったのか。まさにそれ以外に言葉が出てこない。

樺憐はアレで手加減していると説明しているが、華琳達から見ればどこからどう見ても全力攻撃をしているようにしか見えなかった。

現に先程の零治の様子は、樺憐からの攻撃を受けるたびに表情を苦痛のものに歪め、最後の一撃では派手に吹っ飛ばされた上に石造りの城壁に身体を叩き付けられたので辺りに轟音を轟かせ、未だに茂みの中からはもうもうと砂煙が舞い上がっているのだ。

この時、この場に居る全員が同じ考えを頭の中に浮かべた。今のが手加減していたというのなら、もしも樺憐が本気を出したらどうなってしまうのかと。



「まあ……とりあえずその話は後にしましょうか。樺憐、今ので零治は止められたのでしょうか?」


「……いいえ。まだですわ、亜弥さん。流石にこの程度では終わらせてはくれないようです」



樺憐は構えを取ってこそいないが、零治を吹っ飛ばした先の茂みに油断ならぬ視線を向けて睨み付け、それからすぐに舞い上がる砂煙の中から一つの人影がぼんやりと浮かび上がり、その人影は徐々にこちらへと近づいてきて、やがて中から零治が何事も無かったかのような様子で姿を見せて闘技場まで戻ってきたのだ。

闘技場に足を踏み入れ、改めて樺憐と対峙した零治はパンパンと衣服に付いている砂埃や植木の葉っぱなどをはたき落とし、最後に頭髪に突き刺さっている庭木の小さな枝を右手で摘まんで引き抜き、ポイッと無造作にその辺に投げ捨てた。



「ククク。今ノデ終わりか? 犬ッコロヨ。少々腕が鈍ったノデハないか?」


「…………」


「今ノガ貴様の全力だとイウノデアレバ、貴様に勝チ目なド無いゾ?」


「相変わらず減らず口だけは一丁前ですわね」


「クックック。負け惜シミか? では……次はコチラがサッキのお返しをスルトしようか……」


「あら。その役立たずの模造品でわたくしに挑むと? 自分の手をよく見なさいな」


「何……?」



樺憐が見下すような視線を向けながらこちらを指さし、意味深な言葉を口にしたので、零治は両手を自分の目線の高さまで持ち上げ、身に着けている手甲を観察した。

一見すると何も無いように見えるが、次の瞬間、ピシッという音が立ち、両腕の手甲に大きなヒビが入ったのだ。



「何だトっ!?」



目の前の光景に零治は驚愕し、ヒビはピシピシと音を立てながらどんどん枝分かれを起こして手甲全体を覆いつくし、更には具足の方にも細かいヒビが全体に入り、零治が装備している手甲と具足は状態を維持できなくなり、粉々に砕け散って赤黒い光の粒子となって消滅してしまったのだ。



「言ったはずですわよ。そのような紛い物ではわたくしには勝てないと……」


「ナルほド。どうヤラ腕が鈍っている訳デハなさそうダナ。クックック……」


「理解できたのなら本気を出しなさい。それが出来ないのであれば、本当にウォーミングアップで終わりにしてあげましてよ……」


「フム。よかろう。我モ久しキ戦いを早々に終わらせるノハ本意ではナイノデナ」



まだまだ樺憐との戦いを楽しみたい、零治はようやくその気になり、右手を手刀の形にして左掌を斬りつけ、掌を下に向けて傷口から溢れ出る血で足元に血溜まりを作る始める。

足元に充分な量の血が溜まった所で零治は左手を強く握りしめて傷口を押さえながら出血を止め、魔導書の力で掌の傷口も瞬時にして塞がった。

次に零治は足元に出来た血溜まりに左手をかざし、全神経を研ぎ澄ませながら魔力を注ぎ込む。

それからすぐに血溜まりには反応が表れ、波紋が浮かび上がり、やがて血溜まりの中央から赤黒い色をした刀の柄らしき物が姿を見せたのだ。

血溜まりから姿を覗かせる刀の柄は引っ張り上げられるように宙へと浮かび上がり、そのまま深紅の刀身も禍々しい姿を見せ、やがて零治の身の丈ほどの長さがある一振りの刀が創り上げられたのだ。



「フム。マアこんな物か……」



自らの血で創り上げた刀の出来栄えに零治は満足げな笑みを浮かべながら柄に右手を伸ばし、軽く振りぬいて周りに付着している血を振り落した。

零治が披露した常識外れの魔法に亜弥達も驚いていたが、一番驚いているのは華琳達魏の首脳陣だ。

今の魔法もさる事ながら、零治の異変ぶりに頭がついていけてないのだ。

一体どうしてしまったのだ。あれは本当に零治なのか。その事しか頭には浮かばないのだ。



「亜弥。あれは何なの。零治は……一体どうしてしまったの……」


「…………」


「亜弥! 答えなさいっ!」


「分かっています。事が済んだちゃんと説明します。ですから今は辛抱してください、華琳……」


「いいでしょう。事が済んだら包み隠さず全て話してもらうわよ……」


「はい」



こうなってはもはや零治の腕の事は隠す事などできやしない。もう真実を話す以外に道は無いのだ。

だがそれはいま話すべき事ではない。今はただ、樺憐が零治を殺す事無く血の魔導書の呪縛から解放してくれる事を祈りながら二人の戦いを見守るしかできないのだから。



「やっとその気になりましたのね。ですが少々その刀は長すぎるのでは? 得物が長ければわたくしに勝てるとは思わない事ですわね」


「ククク。我はソコマデ愚かデハないぞ。それに……コノ刀を只の刀ダトハ思わぬ方が身ノタメダゾ?」


「フンっ! どうせまた他の神器の模造品なのでしょう。今度は一体なんの猿真似芸を披露してくれるのですか?」


「口の減らぬ犬っコロダナ。お望ミ通り見せてヤロウデハナイカ……」


「……来なさいな。ゴミ書物」


「犬っコロぉ! 焼キ殺シテヤル!!」



樺憐の言葉が癇に障ったのか、零治は凄まじい怒声を上げ、辺りの空気がビリビリと振動を起こした。

それと同時に零治は足元に深紅の長刀を深々と突き立て、己の魔力を極限まで高め始めた。

それに呼応するように長刀にも変化が起こり、刀身が熱を帯び、湯気が立ち上り始めたと思っていた次の瞬間、まるでバーナーのような勢いで炎が吹き上がり、零治が手にしている長刀は紅蓮の炎に包まれ、渦を巻き始めたのだ。



「あら。中々いい物をお持ちですこと。それがあれば火種には困らずに済みますわね。バーベキューをする時は重宝しそうですわ」



しかし、樺憐は目の前の光景にも全く動じす、軽口を言う余裕すら見せていた。

零治はその姿にますます腹を立て、怒りで身体をワナワナと震わせ、零治の怒りに反応するように紅蓮の炎も勢いが更に増して、まるで龍の姿を彷彿とさせるような荒れ狂った動きを見せたのだ。

それと同時に刀を刺している部分からは一番勢いよく炎が噴き出しており、周囲の渦を巻く炎もそこへと集まり、巨大な炎の塊を作り上げていった。



「覚悟はイイカ、犬っコロ。遺言がアルノなら今の内に言ってオクノダナ……」


「そのセリフ、そっくりそのまま返してあげましてよ……」


「殺ス! 地ヲ走れ……焔ぁ!!」



堪忍袋の緒が切れた零治は、両手で長刀の柄をガッシリと掴み、そして力任せに上空に打ち上げるように刃を思いっきり振り上げ、地面に集まっていた炎の塊が一直線に大地を走り、樺憐に向かって襲い掛かってきたのだ。

しかし、樺憐はゆっくりと構えを取り、余裕の笑みを浮かべていた。迫り来る巨大な紅蓮の炎との距離はもう目と鼻の先。そこまで距離が縮まった所で樺憐は行動に出たのだ。



「全く……子供騙しですわね!」



樺憐は自分の足元の地面を思いっきり殴りつけて石造りの床をぶち砕き、紅蓮の炎は砕かれた瓦礫と共に宙を舞いながら動きが止まり、そのまま瓦礫と共に地面へと落下していった。

地面に落ちた炎は上空から一緒に落下してきた大きな瓦礫によって潰されて一回り小さくなり、二つの炎に分裂して燃え上っていたが、更に瓦礫が落下してきて炎はまた潰されてまたもや一回り小さくなったと思いきや、そこから追い打ちをかけるように次から次へと落下してきた瓦礫に立て続けに潰されて辺りに飛び散り、最終的には松明の炎程度の大きさにまで縮み、辺りには小さな炎が無数に燃えがっていた。



「バカな……っ!」


「やれやれ。貴様こそ腕が鈍ったのではなくて? では……そろそろ終わりにしてさしあげますわ!」


「っ!?」



もうこれ以上無駄な時間は割きたくない、零治を早く助け出したいという思いから樺憐は一気に勝負をつけるべく、ワイルドファングのブースターを起動させたので手甲の上腕部のハッチが開き、中から三角形に連結した円形のノズルが、そして具足の脹脛部分は縦に二枚連結している長方形のハッチが開いて隠されていたブースターが姿を見せ、瞬時に魔力を充填し、充分に溜まった所で一気に噴射して、ノズルから白い光を放ちながら瞬く間に零治との間合いを詰めてきたのだ。



「くぅっ! 小癪な真似ヲ!」



零治は刀身に紅蓮の炎を纏っている長刀で咄嗟に柳の構えを取り、樺憐を迎え撃とうとしたが、刀の長さが仇となってしまい、攻撃に移行する前に樺憐に間合いに入られたため先手を打たれたのだ。



「甘いですわね! 長い得物を選んだ時点で貴様の負けは決まっていましたのよっ!」


「ヌゥっ! 貴様っ!」



樺憐は素早く零治の右手首に右手を伸ばしてしっかりと掴み、そしてそのまま捻り上げた。

零治も初めはなんとか耐えていたのだが、腕を不自然な方向に曲げられて骨が折れるか折れないかというギリギリの所までいっているせいで痛みが半端なく、ついには右手に握っていた長刀を落としてしまった。

樺憐はここぞとばかりに足元まで転がり落ちてきた長刀に眼をつけ、右脚をゆっくりと上げ、そしてその禍々しい深紅の刀身を思いっきり踏みつけたのだ。



「ナっ!?」



踏まれた刀は当然その負荷には耐えきれず、バキンと派手な音を立てて真っ二つに折れてしまい、赤黒い光の粒子となり、風に流されながら跡形も無く消滅をした。

まさに力の差は歴然。定軍山で樺憐が血の魔導書の力をも上回る戦闘力を有しているという話をしていたが、あながち嘘でもなさそうである。



「これがわたくしと貴様との力の差ですわ。理解できたのなら、我が主を開放しなさい」


「グぬぅ! よ、ヨウヤク表の世界に出られたノダっ! コノ世界……我が君臨スルニ相応しい!」


「……なるほど。ならばやはり、貴様という存在を消すしかなさそうですわね」


「犬っコロがぁ……っ! 引き裂いてクレルわぁ!!」


「っ!?」



零治は忌々しげに歯ぎしりをしながら左手に魔力を集中させ、赤黒い靄に包まれたと思った次の瞬間、風に吹かれたように掌を覆っていた靄が吹き飛び、中から最初に見せた異形の形状をした手が姿を現し、鋭く尖った指先で樺憐の身体を引き裂こうと大きく振り抜いてきたのだ。

しかし、何とか反応できた樺憐は捻り上げている零治の右腕から手を放し、咄嗟にバックステップをして大きく間合いを離して難を逃れたが、一瞬だけ反応が遅かったため指先は樺憐の右頬をかすり、頬に一筋の小さな斬り傷が走り、血が溢れて赤いラインを顔に描いていたので樺憐は右手で血を拭い取り、忌々しげに零治を睨み付けた。



「全く。乙女の顔に傷をつけて……ただでは済ませませんわよ……」


「ホザケぇ! 今から貴様ノ顔だけでナク、全身をバラバラに斬り刻んでクレルワァ!!」


「ようやく本性を現しましたわね。ゴミ書物……」



零治は遊び程度の感覚で樺憐との勝負を終わらせるつもりでいたというのに、その計算はことごとく狂わされコケにまでされてしまったのだ。

零治の我慢はもはや限界を迎え、樺憐を殺す事に手段は選ばず、右手から血ノ剣ブラッドソードを生やし、異形の形をした左手の甲の瞼を開け、中から覗く巨大な眼球をギョロギョロと動かしながら樺憐に視線を向けて睨み付けた。



「犬っコロ。楽に死ネルト思うナヨ……」


「全く。よく喋る口ですこと。貴様こそ覚悟するのですね。今度こそ終わりにさせてもらいますわよ」


「減ラズ口をぉ!!」



どこまでも見下した態度を崩さない樺憐の姿に零治は怒り心頭し、右手を大きく左に曲げて振りかぶりながら低姿勢で樺憐に向かって一直線にダッシュし、目前まで距離が縮まった所でその首を刎ね飛ばそうと一気に右手を振り抜いてきた。



「フッ。そんな単調な攻撃で」



だが樺憐はその攻撃をものともせず、上体を軽く後ろに逸らしてヒラリと躱し、零治の一撃は空を斬るだけに終わった。

ならばと思い、零治は右手を大きく後ろに引き、高速の突きを放った。

しかし、樺憐は身体を捻ってその一撃も躱し、零治の攻撃は何一つ樺憐には届かなかったのだ。

いい加減この戦いにも飽き飽きしてきた樺憐は零治の右手に生えている刃に狙いを定め、右手を手刀の形にして大きく振り上げる。



「やれやれ。いい加減……わたくしの主を辱めるのはおやめなさいっ!!」



眼にも止まらぬ速度で振り下ろした樺憐の手刀は見事に零治の血ノ剣の刀身を捉え、派手な金属音を立てて真っ二つに折れてしまった。



「っ!? ギャアアアアアっ!!」



刃を折られてしまったのが原因なのか、零治は刃の付け根から右腕全体に走る激痛に耐えられず、悲痛な叫び声をあげながら左手で右肩を押さえながら天を仰ぎ、地面に片膝をついて崩れ落ちたのだ。



「貴様ぁ……何とイウ事をシテクレルンダ! この男ガ死んでもイイとイウノカっ!?」


「言ったはずですわよ。その方を殺すつもりなどありませんわ。死ぬのは……貴様一人でしてよっ!」


「っ!? くぅ……っ!」



樺憐は零治の頭部に向かって右手で豪速の鉄拳を放ってきたので、零治は咄嗟に異形の形をした左手を正面にかざし、手の甲から覗かせている眼の瞼を閉じてその一撃を何とか防いだが、樺憐の拳の衝撃は凄まじく、左腕の骨がミシミシと軋みながら全身に衝撃が駆け巡った。



(ん? 手の甲の眼を閉じた? ……まさかっ!?)



零治の先程の何気ない動作を前にして、樺憐の頭の中に一つの考えが浮かんだが、まだそれは憶測の域を出ていない。

樺憐はその考えの確信を得るために拳を引いてい一瞬だけ間を置き、零治が体勢を立て直そうと立ち上がり、左手の甲の眼が開いたので、その瞬間を突くように左手の眼球に狙いを定めて瞬時に右脚を後ろに引き、中段回し蹴りを放ったのだ。



「グっ!」



零治は回避が不可能と判断し、忌々しげに歯ぎしりをしながら左腕を曲げて脇を締めて力を入れ、辛うじて樺憐の蹴りを受け止めた。

そしてこの時も、零治は左手の甲の眼の瞼を閉じていたのだ。まるでその巨大な眼球を守るかのように。



(やはり。間違いない。奴の本体は……左手の甲にある眼球! ならばあの眼を潰せば……)


「ハァ……ハァ……っ! 犬っこロガァ。調子に乗りオッテ……」


「フッ。安心なさい。もう終わりにしてさしあげますわ……」


「まだソノヨウナ減らず口を抜カスカぁ!」



零治は左手の指を弓なりに曲げて力を入れながら大きく振り上げ、樺憐を斬り裂いてやろうと思いっきり振り下ろしたが、樺憐は素早くバックステップをして距離を取り、零治の一撃は虚しく空振りするだけで終わってしまった。

零治に対峙する樺憐は大きく息を吐き、両眼を閉じて精神を落ち着けながら両腕を軽く曲げてながら力を籠め、己の魔力を限界まで高め始めた。

それに呼応するように樺憐の周囲にも異変が起こり、周りに転がり落ちている小さな瓦礫の破片が宙に浮き、樺憐の頭髪も全て逆立ちながらユラユラと揺らめいているのだ。

準備が整った事を感じ取った樺憐は眼をゆっくりと開き、鋭い眼光を零治へと向けた。



「貴様……今度は何ヲスルツモリだ!」


「あの時は披露しませんでしたが……わたくしの切り札を今からお見せしてさしあげますわ」


「何だトっ!?」


「はあああああ……」



樺憐は低い声を発しながら己の闘志を高め、そして大きく胸を張りながら上体を逸らし、両手の拳を頭上に掲げて互いの手甲をガツンと強く打ち付け、その両手には瞬時に魔力が集まって眩い白色の光を放ったのだ。

樺憐は両手を力強く振り下ろして両脇を締め、地面を両足でしっかりと踏みしめて我流格闘術の構えを改めて取った。



「ワイルドファング、オーバードライブ!!」


「何っ!?」


「たあっ! ……行きなさいっ!!」



樺憐はその場から大きく垂直に跳躍し、両手を広げながら頭上に掲げ、勢い良く振りおろして両手に集まっている膨大な魔力を一気に放出したのだ。

放たれた魔力は掌サイズの白い光の球体に変化し、無数の弾幕となって零治に雨あられの如く全てが降り注いできた。



「ぐあああああっ!?」



あまりにも弾幕が広範囲だっため、零治はその攻撃を回避できず、両腕を交差させて防御するがその程度では防ぐ事などできはせず、光の弾丸は容赦なく零治の全身に直撃し、その場にはモウモウと砂煙が舞い上がり、あっという間に零治は煙に覆い尽くされ姿が見えなくなり、そしてその煙の中に樺憐も突撃していった。



「はあ!」



樺憐が煙の中に突撃すると同時に中からは無数の打撃音が鳴り響き、その衝撃波は舞い上がっている煙にも伝わり、所々の煙は弾かれたように辺りに霧散し、最後の打撃音が鳴った瞬間、零治が煙の中からダミー人形のように吹っ飛ばされ、続いて樺憐も煙の中から飛び出して零治に更なる追い打ちを仕掛けてきた。



「はっ! せぇい! でぇい!」


「ぐっ! ぐあっ! がはぁ!?」



無防備の状態で吹っ飛んでいる零治の身体に樺憐は右、左、右と間髪容れずに打撃を打ち込み、更には両手を組んで身体を縦に一回転させて両腕をハンマーのように振り下ろして重い一撃も叩き込み、また右、左、右と打撃を打ち込んで零治の行動をすべて封じ込めにかかる。



「うおりゃああああっ!!」



樺憐の猛攻は留まる所を知らず、ここに来て両手を使った高速のラッシュを叩き込み、最後にサマーソルトキックを打ち込んで零治を上空へと吹っ飛ばして最後の仕上げに入り、地面に着地した樺憐は両腕を顔の前で交差させて右手にもう一度魔力を集中させ、更には手甲のブースターも起動した。



「コードN・T・A!」



樺憐の右手に集まった魔力光は先程とは比べ物にはならないほどの輝きを放ち、樺憐は上空で無防備な状態で宙を浮いている零治に鋭い視線を向けながら睨み付け、右手は腰の高さで後ろに引き、左手は軽く開きながら前方に突き出して禍々しい異形の左手に狙いを定めた。そして……。



「この一撃で決めますわよっ!」



樺憐は一度軽く屈んで両足に力を溜め、そして零治めがけて一気に跳躍し、目前まで距離が縮まった所で予め後ろに引いていた右腕でブースターも噴射して勢いをつけながらアッパーカットを零治の左手の甲に打ち込んだのだ。



「でぇやああぁぁぁぁっ!!」



樺憐が放ったアッパーは見事に零治の左手に直撃し、ブースターの勢いのおかげもあってその威力は凄まじく、更には右手にため込んでいた魔力も拳が直撃した瞬間に眩い光を放ちながら爆発を起こしたので樺憐の拳は零治の左手を貫通し、辺りには血と肉片が飛び散り、樺憐の右手には左手の甲に隠されていた巨大な眼球が握られており、樺憐は零治の左手から右手を引き抜き、周囲に手甲に付着した血を飛び散らしながら軽やかに地面に着地した。



「ふぅ~……これで恐らくは。……おっと!?」



後から意識を失っていた零治が落下してきたので樺憐は慌てて受け止めるべく、右手は塞がっているため腕全体を使って、そして左手で何とかキャッチし、そっと地面の上に横たえて右手に握られている眼球を睨み付けた。



「さて、ゴミ書物。この眼が貴様の本体なのでしょう……?」


「キ……貴様ァ! ナ、ナゼ我ノ本体ニ気付イタノダ……っ!?」


「わたくしの攻撃を左手でガードした時、手の甲の瞼も閉じていましたのでもしやと思ったのですよ」


「オ……オノレェ……っ!」


「さようなら、ゴミ書物……」



樺憐は表情に影を落としながら手に持っている眼球に無情の言葉を言い放ち、地面に落として右足で一気に踏み潰し、どす黒い色をした血が周りに飛び散って樺憐の足元の石造りの床を赤黒く染め上げた。

樺憐は忌々しげに右足で更にその場所をグリグリと踏みにじる。

そしてようやく気が済んだ樺憐は未だに地面に横たわっている零治に向き直ってしゃがみ込み、身体を揺すりながら懸命に声をかけた。



「零治さん! 零治さん! 眼を覚ましてくださいっ!」


「……うっ……うぅ~ん……」



樺憐に身体を揺さぶられ、耳元で大声をで呼びかけられたおかげで零治はすぐに意識を取り戻し、呻き声を出しながら薄っすらと両目を開けるが視界がぼやけているため目の前の人物が誰なのか理解できず、数回まばたきをし、ようやく視界のピントが合ってきたので目の前の人物が誰なのかを理解した。



「か……樺憐……?」


「あぁ、零治さん。無事でよかった」


「樺憐……随分と……面倒をかけたようだな。済まなかった」



零治は自分がどのような状況下に置かれていたのかある程度は分かっているようで、周りの惨状を見て樺憐に色々な意味で世話になったのだと理解した。

その時、事態が収束したのだと判断し、亜弥、恭佳、奈々瑠、臥々瑠の四人が駆け寄ってきた。



「零治。すみません、私のせいで……」


「亜弥、気にするな。お前は悪くない」


「零治っ! このバカ! 心配させやがって!」


「バカは言いすぎだろ……」


「あの……兄さん、本当に元に戻ったんですよね?」


「ああ。この通りな」


「兄さん。身体大丈夫? お母さんに凄く殴られてたんだけど……」


「……身体中が痛いのはそのせいか」



零治はどうやら元の状態に戻ったようなので亜弥達は安堵したが、まだ話は終わりではない。

何があったのかは零治もある程度は理解しているだろうしそこの説明は不要だろうが、一番に伝えなければならない事があるのだ。

亜弥は非常に言いにくそうな表情をし、重々しく口を開いた。



「そ、それでですね……零治、貴方に伝えなければならない事が……」


「何だ?」


「…………」



亜弥は口を閉じ、俯いたまま横に移動して零治に直接自分の眼で確認するように促す。

そして、零治は見たのだ。自分の姿を恐れながら見つめている華琳達の姿を。

華琳達のその姿を眼にし、零治は嫌な予感を覚えてしまい、恐る恐る首を左に動かして自分の左腕を見た。

零治の眼に飛び込んできたのは、コートと下に着ているカッターシャツの袖が完全に破れ、露わになっていたBDと融合している黒色の腕だった。



「っ!?」


「……れ、零治。その腕は……どうしたの」


「あ、あぁ……あぁ……っ! か、華琳……。っ!」



今の零治にとってこれほどショックな事は無い。左腕の事はこの先ずっと華琳達には隠すつもりでいたのに、最悪の形でばれてしまったのだ。

零治は頭の中が真っ白になり、どうしていいか分からず、ただ今は華琳達にこれ以上自分の姿を見てほしくない。それだけを思い、身を捩って左腕を隠すように引っ込め、右手を使って少しでも見えないようにしようと懸命に努力をした。



「た、頼む。見るな。見ないでくれ……っ!」


「……樺憐。ここは私と恭佳が引き受けます。すみませんが貴方は零治の手当てをお願いします」


「承知しましたわ。……零治さん、立てますか?」


「あ、あぁ……っ! オレは……オレは……っ!」


「この様子では無理のようですわね。……愛しき飼い主様、失礼いたします」



今の零治には樺憐の言葉は届いておらず、両手で顔を覆いながらショックで身体を震わせ、ただうわ言のように一人でブツブツと何かを呟いているだけだ。

仕方ないので樺憐は両腕を零治の背に滑り込ませ、ヒョイッと軽々と零治を持ち上げた。

この姿は俗に言うお姫様抱っこというやつだ。まあ、普通は立場が逆でなければいけないのだが。

樺憐は零治の重さを全く感じさせない軽快な足取りで歩き始め、奈々瑠と臥々瑠を伴いながら零治の自室へと足を運んで行った。



「奈々瑠、臥々瑠。零治さんはわたくしが部屋まで運ぶから、二人は医務室から救急箱を持ってきてちょうだい」


「分かりました。……臥々瑠、行くわよ」


「はいは~い」


「……さて、私達も行きましょうか。華琳、この件の説明は玉座の間で行わせてもらいますよ」


「分かったわ」


「それと……」


「分かっているわ。今回の件、他の者達への口止めをしておいてほしいのでしょう」


「お願いします……」



これでひとまず、零治の左腕の件が外部に漏れる心配は無いだろう。

華琳達だけでなく一般の兵達にまで見られてしまったのはかなりまずいが、一番最悪なのはこの話が街の住人達にまで伝わった場合だ。

亜弥もそうだが零治は街の警備隊隊長を務めているのだ。当然街の人とは面識がある。

もしもこの事が街の住民達に知られたらどんな眼で見られるか分かったものじゃないし、今まで築き上げた信頼関係も一気に崩れ去ってしまう恐れもある。それだけは何としても避けねばならない。

だからこそこの件の口止めを華琳に頼んだのだ。彼女が兵達にもしっかりと釘を刺せばこの話が外部に漏れる心配は無いだろう。彼らも華琳の命に背けばどんな処罰を受けるかをよく理解しているのだから。


………


……



予想外のイレギュラーが発生したため、大会は急きょ中止とし、首脳陣だけを玉座の間に集め緊急会議を行う事となった。

当然会議の話題は言うまでもない。零治の左腕の事についてだ。

玉座に腰掛ける華琳は亜弥と恭佳の二人を正面に立たせ、左右を挟むように他の首脳陣達は横一列に並び、会議が始まるのをじっと待っていた。

そして華琳はおもむろに口を開き、亜弥達にこの件の説明を求めた。



「では亜弥、恭佳。説明してもらいましょうか。零治の異変について」


「はい。……しかし、どこから説明したものか」


「もう定軍山のとこから話すしかないだろ? 事の発端はあそこからなんだし」


「ですね……」


「定軍山がどうかしたの?」


「ええ。実は私達が定軍山に向かった時、予想外の事が起きてしまったんですよ……」


「何があったの?」


「憶えていますよね、華琳。定軍山の件で零治が周辺の村で、黒狼達三人の誰かが出入りしているという話をしたのは」


「ええ」


「今さら言うまでもありませんが、あれは零治が言った嘘だった……そのはずでした」


「はずでした?」


「あの時、単独行動をしていた零治の前には本当に銀狼が現れたんですよ。嘘から出た誠ってやつですね」


「…………」


「そして零治はそこで銀狼と戦闘になり……左腕を切断されたんです」



亜弥から告げられた話で、首脳陣達のからはどよめきの声が聞こえる。

だがこのどよめきは零治の左腕が切断されたという衝撃の事実からのものではない。

左腕が関係しているのは間違いないが、彼女達が驚いているのはそこではないのだ。

何より今の話には矛盾がある。凪が遠慮がちに手を軽く上げながらその事を指摘してきた。



「あの、亜弥様。亜弥様の話を疑っている訳ではないのですが、それはおかしくないですか? 隊長の左腕はちゃんとあったじゃないですか」


「ええ。ですが零治の今の左腕は、彼の物であり彼の物ではないのです」



亜弥の言い回しのせいで首脳陣達はますます訳が分からなくなった。

今の零治の左腕は零治の物であり零治の物ではない。まるでとんちか何かのようである。

周りのどよめきのせいで話が先に進まないので、華琳が軽く両手を上げて静まるように促し、周りが静かになってくれたので華琳は亜弥に話の続きを求める。



「亜弥。今の言葉だけど……それが零治の左腕の異変と深く関係しているの?」


「はい。……零治は銀狼との戦闘の後、何とか逃げ出す事に成功し、切断された左腕を持って私達の前まで現れました。樺憐がこちらの味方になったのもこの時です」


「ふむ」


「この時でしたね。私達は樺憐からある物を見つけたのです……」


「ある物?」


「それは魔導書。この世界で言う所の妖術書のような物ですね」


「樺憐はなぜそんな物を持っていたのよ?」


「確証はありませんが、恐らく樺憐が所持していたのではなく、黒狼に持たされていたのではないかと私は考えています」


「なぜあの男はそんな事を?」


「そこまでは私にも分かりませんよ」


「そう」


「……おい亜弥。話が逸れてるよ。今は零治の腕の説明が先だろ」


「おっと。失礼。……話を戻しますが、その魔導書は神器に近い存在。私達は聞いた事が無いので分かりませんが、その魔導書にも意思が宿っているらしく、零治にはそいつの声が聞こえたそうです」


「…………」


「そしてその魔導書は零治にこう言ったそうです。……『手にすれば左腕を治せる』、と……」


「なんですって……?」



亜弥の言葉でまたもや首脳陣達の間ではどよめきが走った。

つまり零治は妖術書のような物を定軍山で手に入れ、切断された自分の左腕を治療したのだと考え、その結果、零治の左腕がちゃんと健在だったのだという事は納得できたが分からない点もあった。

治療したのなら元に戻っているはずなのに、あの時見た零治の左腕はどう見ても人間の腕ではない。

炭化したように真っ黒だったし、掌は異常なほど巨大化していたし、何より手の甲から巨大な眼球が姿を見せたのだ。あれでは元に戻したとは言えないだろう。その辺がまだ納得できないので華琳はその点の疑問を亜弥に投げかけた。



「亜弥。今の話が本当だとして、まだ納得のいかない点があるわ」


「何ですか?」


「貴方がさっき言った、今の零治の腕は『零治の物であり零治の物ではない』と説明した点よ。あれはどういう意味なの……」


「それはですね……零治の腕の見た目が変化した事も関係しているのですが……」


「…………」


「あの時、零治は魔導書を使用して自分の左腕を治しました。その方法が……斬り落とされた零治の腕と魔導書が融合し、零治の身体に定着するというものだったのです」


「零治の腕と……融合!? ならあの腕は……っ!」


「ええ。華琳が考えている通りです。アレは零治の腕であると同時に魔導書その物でもあるのです」


「なら……さっきの零治の異変は……」


「ええ。彼が手に入れた魔導書の力、つまり魔法です。そしてそれが暴走を起こしてあのような騒ぎに発展してしまったのですよ。私もまさかあそこまで強大だとは思ってもいませんでしたがね……」



今の説明で合点がいった。この世界にも妖術書という物は確かに存在している。

一番いい例が華琳が所有していた太平要術である。あの書も張三姉妹の手に渡り、本人達にはそのつもりは無かったが、売れるために太平要術に書き記されている事を実行した結果、黄巾の乱という騒ぎが発生したのだ。

大陸の平穏を脅かす存在という点では、零治が所有している血の魔導書も危険な存在である事に変わりは無い。その点は不安要素ではあるが、零治がそんな気を起こすはずなどないと華琳達は信じているし、あの騒ぎは暴走して起きてしまった事故だ。零治本人が変わってしまった訳ではない

ならば今まで通りに接してあげればいいだけの話なのだと、華琳は自分に言い聞かせ、他の首脳陣達も華琳と同じ考えだった。



「亜弥、今ので事情は理解したわ。でもなぜそんな重要な話を黙っていたの」


「隠していた事は謝ります。ですが分かってください。零治に口止めされていたんで仕方なかったんです」


「まあ、確かにあんな見た目になっては、とても話す事は出来ないでしょうね」


「…………」


「でも安心なさい。貴方達が私達の仲間である事に変わりは無いし、何があろうとも私は貴方達に対する見る眼を変えたりはしないわ。もちろん、他の者達もね。……そうでしょう?」



華琳がグルリと首脳陣達を見回すと、みんな揃ってその言葉に頷いた。

約一名、名前は伏せておくがその人物も不満げな表情でしぶしぶと頷いていたが、少なくともここに居る全員が零治の事を仲間として認識しているし、今も、そしてこれからもそれが変わる事は無いようだ。

おかげで亜弥が胸中に抱いていた不安も晴れ、安堵の笑みを浮かべていた。



「……なあ、亜弥」


「ん? 恭佳、どうかしたのですか?」


「ここまで来たらさ……あの事も話した方が良くないか?」


「……言うんですか? 流石にこればかりは零治抜きで説明するのはまずい気が」


「二人ともどうしたの? まだ何かあるの?」


「ああ。……華琳、説明する前に一つだけ約束をしてほしい」


「何?」


「今からアタシの話を聞いても、絶対に零治に対する態度を変えないでほしいんだ。もしも約束できないのなら、アタシ達は魏を出ていく……」


「恭佳!? そんな勝手に……っ!」


「亜弥。今から話す内容を考えれば、これぐらいは言っておかなきゃダメだ。でなきゃアタシらはここには居られない」


「……確かに……そうですね」



恭佳の口から告げられた言葉に玉座の間に集まっている首脳陣達は騒然となる。

約束が守れないのなら魏を出ていくとまで言い切るとは、よほどの内容の話なのだという事は容易に想像ができた。

そしてその言葉を口にした恭佳の眼は真剣そのもの。つまり彼女は本気なのだ。

もしも華琳達が態度を変えるような事をすれば、恭佳は零治を、弟を姉として守るために本気で魏を去るつもりでいるのだ。

今このタイミングで零治達が魏を抜ければ戦力的にも大きな痛手となるし、華琳もそんな事は望まない。

何より、たった今、何があろうとも見る眼を変えるつもりはないと亜弥達に言ったばかりなのだし、この魏にはそんな軟弱な精神を持った者は居ないし、居させたつもりもない。

ならば華琳の答えも既に決まっているのだ。



「恭佳。安心なさい。さっきも言ったように、私達は何があろうとも貴方達に対する態度を変えるつもりはないわ。だから約束しましょう。零治に対する態度を変えないと」


「ありがとう。……なら話すよ。零治に隠されたもう一つの秘密を。それは定軍山で起きた事なんだ」


「…………」


「劉備軍を追い返すために、なんか趙雲って奴と一騎打ちをする事になってね」


「ええ」


「あの時の零治はつくづく不幸に見舞われていたんだろうね。……零治が趙雲をあと一歩って所まで追い詰めた時に……それは起きたんだ」


「…………」


「劉備軍兵の一人が……零治の不意を突くように矢を放って……アイツは…………定軍山で一度死んでるんだよ……」


「何ですってっ!?」



零治が一度死んでいる。恭佳の口から告げれたあまりにも衝撃的な内容の話に、魏の首脳陣達はますます話についていけなくなってしまう。

零治の腕の話に関しては何とか理解できたが、この話はそう簡単には理解できないだろう。

当事者でない華琳達からすれば、定軍山で零治が死んだのなら、あそこに居た人物は誰なのだとしか疑問が浮かばないのだ。

流石にこの話ばかりは信じられないらしく、静まり返っていた玉座の間はまたしても騒然となり、恭佳に疑惑の視線を向ける者さえ居た。

確かに恭佳の普段の姿はアレだが、今の彼女と亜弥の表情は真剣そのもの。嘘や冗談を言っている様子は一切感じられない。

華琳は軽く両手を上げて首脳陣達に静かにするように促し、首脳陣達のざわめきも収まったので華琳は改めて恭佳と亜弥の二人に視線を移し、更なる説明を求める。



「恭佳。今の話だけど……どういう意味なの?」


「どうもこうもない。言葉通りの意味さ……」


「…………」


「華琳。今の話は本当です。彼は……零治は定軍山で……私達の目の前で一度死んだのです」


「……流石にこの話は信じられないわね。仮に今の話が本当だとして、ならばあの場に居た零治の正体は誰なのよ」


「正体も何も、あれは零治本人だよ」


「あれが零治本人? なのに定軍山で死んだと言うの? ……まさかとは思うけど、その魔導書とやらの力で蘇ったとでも言うつもりなの」


「その通りさ。アイツは魔導書の力のおかげで今も生きているのさ。そして、それには制限が無いとも言っていた……」


「っ!? ……つまりそれは……零治は不死身の身体になったとでもいうの」


「ああ。あの魔導書がある限り、零治が死ぬ事は……無い」


「……それは証明できるの?」


「本人に訊いて確かめるしかないね。それ以外となると……零治を殺す以外に方法は無いよ」


「…………」


「華琳。言っておくけどアタシ達は頼まれたってそんな事はしないよ。もしもやれと言ったり、他の誰かにやらせるつもりなら……」


「安心なさい。私はそこまで落ちぶれた人間ではないわ。貴方達の話も信じるし、零治に対する態度も変えたりしないわ」


「それならいいさ。……華琳、話す事は全て話した。アタシらは零治の様子を見に行かせてもらうよ」


「構わないわ。皆も戻って構わないわよ。ただし、くれぐれもここで聞いた話は他言しない事。いいわね?」



華琳の言葉に首脳陣達は重々しく頷き、皆次々と玉座の間を退出していく。

華琳達にとって話の真偽は定かではないが、零治に異変があったのは間違いなく事実なのだ。そして恭佳が先程した話も事実なのだろうと華琳は判断し、首脳陣達に他言せぬように釘を刺したのだ。

零治の異変の原因は零治が手にしたと言われる魔導書のせい。そして零治が無事なのもその魔導書のおかげである。

魏の首脳陣達は零治に起こった出来事に対して複雑な心境を抱きながら恭佳達と共に玉座の間を後にし、残ったのは華琳、春蘭、秋蘭の三人のみだった。



「ふぅ……」


「華琳様。どうするおつもりなのですか……」


「ん? 春蘭。どうするとは?」


「音無の事です」


「それはさっき決めた通りよ。今まで通りに扱う、それだけよ」


「…………」


「何? 貴方は私の決定に不服があるのかしら、春蘭」


「いえ、そういう訳ではありません。ただ……」


「ただ、何……」


「それはそのぉ……秋蘭、頼む」


「やれやれ」



頭に浮かべている考えを上手く説明できそうにないと感じたのか、春蘭は秋蘭に助けを求める。

しかしながらこれはいつもの事だ。秋蘭も春蘭が何を考え、何を華琳に伝えたいのかは理解しているらしく、ヒョイッと肩を竦めながら説明役を買って出た。



「華琳様の決定に不満はありません。しかし、我々はこの話が外部に漏れた時の危険性を気にしているのです」


「でしょうね。恭佳の今の話が本当かどうかはさておき、零治が手にしたという魔導書とやらの力と零治が不死身になったという話。この大陸の権力を欲する麗羽のような性格をした野心家達なら喉から手が出るほど欲しい力でしょうね」


「そうです。こちらから話が漏れる可能性は無いでしょうが、今の話が事実ならば……恐らく劉備の側、つまり蜀にもこの話は伝わっているはず。向こうからこの情報が漏れないとは言い切れません」


「そうなれば零治の事を狙う輩が後を絶たず、今後の行動に支障をきたす恐れがある。貴方達はその事を危惧しているのでしょう?」


「はい」


「そうそう、それだ。私もそれを言いたかったのです、華琳様!」


「はいはい。分かってるわよ……」


「あぅ……華琳様。そう言ってる割には随分と冷たい気が……」


「気のせいでしょう?」


「うぅ……」



華琳のつれない反応に、春蘭は酷くいじけてしまい、部屋の隅まで移動してしゃがみ込み、床にのの字を書き始めた。

その哀愁漂う後姿が面白いのか、華琳はフォローを入れずに放置し、話を進めるべく秋蘭に自分の考えを言い聞かせ始めた。



「まあそれはひとまず置いておくとして。……春蘭と秋蘭の言いたい事は私も分かるわ。だけどそうなる可能性は低いでしょうね」


「なぜそう思うのです?」


「まず一つ目の理由は、この大陸が私達の魏、劉備の蜀、孫策の呉とほぼ三分化されているわ。麗羽みたいな輩は殆ど残っていないでしょうし、仮に居たとしてもそこまで出来る力も残されていないはず」


「ふむ。それは確かですな」


「次に二つ目の理由。確かにこの話、定軍山の話が本当ならその場に居合わせた劉備軍の人間を通じて蜀にも伝わっているのは間違いないでしょうね。でも、劉備がわざわざこんな危険な話を広めたりするかしら?」


「危険とはどういう意味ですか?」


「定軍山で居合わせた劉備軍の人間、誰かまでは分からないけど当事者を通して首脳陣達には伝わっているでしょうし、恐らく信用もしているはず。だけど……一般の人間まで信じたりすると思う?」


「……実際に見たのならまだしも、言葉だけでは与太話と思われる可能性が高いでしょうな」


「ええ。魏に悪評を立てる意味合いでこの話を他国へ流すにしても、信用する人間が居なければ意味が無いし、信じられる可能性も皆無。それに下手をすれば逆に自国内に話が広まり、民が動揺して国が不安定になる恐れもあるわ」


「なるほど。だから華琳様は蜀からこの話が漏れる事は無いと」


「私はそう考えているわ」


「分かりました。ならば我らはこれ以上は何も言いませぬ。我らは華琳様の描く天下への道を切り拓くのみです」


「ええ。頼むわよ」



相変わらず春蘭は隅っこでいじけたままだが、秋蘭の力強い姿に華琳は満足げに頷き、ゆっくりと席を立って優雅な足取りで玉座の間を去って行った。


………


……



場所は変わってこちらは零治が使用している自室。

外はすでに日が傾き始め、時刻は夕方。あれから零治は樺憐の手によって自室まで運ばれ、丁寧な手当てを受けたおかげで身体の方はもう心配は無いだろう。

因みに樺憐の拳を受けたせいで左手には風穴が空き、傷口が大きいためBDの治癒能力でもすぐに傷は塞がらないので、左手も包帯でグルグル巻きの状態である。

今現在、零治はベッドの上に横たわり、様子見に来た亜弥と恭佳から華琳達に全てを話した事を告げられて自虐的な笑みを浮かべながら天井をボーっと眺めていた。



「そうか。全部話したのか……」


「すみません。ああなってしまっては隠す事もできませんので……」


「だろうな……」


「……零治、そんな顔すんなって。大丈夫さ。周りの連中には華琳が口止めしてくれてるし、アタシも華琳達には釘を刺しといたから、掌を返されるような事も起こらないよ」


「オレにとって重要なのはそこじゃない。重要なのはオレが……オレが化物になっちまったって事を華琳達に知られてしまった事だ……っ!」



両手で顔を覆いながら嘆く姿の零治を前にして、亜弥も恭佳も樺憐も奈々瑠も臥々瑠も何も言えなかったし、言えるはずもない。

零治がBDの事を隠していた一番の理由は力の危険性からではなく、BDを手にした事で自分が人ならざる者の存在となった事を華琳達に知られたくなかったからだ。だが今となっては後の祭りだ。亜弥達が既に真実を話してしまったし、何よりBDの力を発動した時の禍々しい姿を見られているのだ。今更どうする事もできやしない。



「頼む。一人にしてくれ。今は誰とも話したくない……」


「分かりました。……みんな、行きますよ」



今の零治に必要なのは心の休息だ。ならばこれ以上変に干渉するよりは零治の言う通りにした方がいいだろう。

亜弥に促され、恭佳達は部屋を退出していき、最後に亜弥が扉に手をかけ、閉める直前に隙間から様子を窺うが零治はベッドに横になったままこちらを見ようともしないので、亜弥はそっと扉を閉じて零治の部屋を後にした。


………


……



あれから零治はずっと塞ぎ込んだまま何もしようとせず、右腕を使って視界を遮りながらベッドの上に横になり眠りに付こうとしていたのだが色々ありすぎて全く眠れずに時間だけが過ぎていき、気付けば表は真っ暗。夜になっても未だに眠れずにいた。

普段の零治なら気を紛らすためにタバコを吸いに外に出ていたりするのだろうが、今はそんな気分にすらなれない。今の零治はそこまで重症なのだ。

その時だった。部屋の戸が少しだけ開き、扉を開けた人物は音も無く静かに開けるつもりでいたのだろうが、蝶番がギィィっと軋む大きな音を立ててしまったので、その者は慌てて部屋に足を踏み入れて素早く扉を閉め、零治の方へと視線を向けた。

その零治はというと、部屋を訪れた人物には無関心で見向きもしておらず、相変わらずベッドの上に横になったまま。何より、気配のせいで訪ねてきた人物の正体には既に気付いているのだ。そして、その者は今の零治にとって一番顔を合わせたくない人物でもある。

その者は今の零治の姿を見て寝ているのだと考え、抜き足差し足忍び足と足音を立てないように慎重な足取りで零治が使用しているベッドの横まで近づき、そのまま零治の姿を見下ろしていた。

もちろん零治は起きているためその視線にも気づいている。



「…………」



零治はどうせすぐに部屋を立ち去るだろうと思い、タヌキ寝入りを決め込んでいたのにその者はいつまで経っても部屋を立ち去ろうとせず零治の事をジーっと見つめていた。

もしや気付かれているのではないかと内心零治は思ったが、確証があるわけではない。

もうしばらく様子を見ようと思い、零治はタヌキ寝入りを続行し、夜中の来客が立ち去るのを待つ事にした。



「…………」



だがやはり、その者は部屋を去ろうとせず、いつまで経っても零治の姿に無言の視線を向けていたのだ。

このまま根競べをしてもいいと思ってはいたが、流石に居心地が悪いと感じるし、何よりこのままでは落ち着いて休む事もできやしない。

零治は右腕で視界を塞いだまま寝転がった姿勢で観念したように来客の名を口にした。



「……何の用だ、華琳……」


「あら、起きてたの」


「どうせ気付いていたんだろ。オレが寝たふりをしていた事を……」


「ええ」


「……悪いが今のオレは誰とも話したくないんだ」


「そう。なら黙っているわ」


「言葉が足りなかったな。オレは一人になりたいんだ。分かったなら出て行ってくれ……」


「嫌よ」


「……今日ほどお前の我儘に頭を悩まされた日は無いな」


「あら。私は貴方に我儘を言った事など一度たりとも無いわよ?」


「…………」


「何よ。その沈黙は……」


「はぁ。もういい。話すだけ時間の無駄だ……」



零治は諦めたように溜息を吐く。華琳がこういう態度を取るのは今に始まった事ではないし、何より過去の経験から何を言っても彼女が考えを変えたりするはずもない。その辺の事を零治はよ~く分かっているのだ。

華琳は納得がいくまで部屋を立ち去る事はしないだろうが、顔を合わせたくない事に変わりは無い。

零治はゴロンと寝返りを打って華琳に背を向けて寝る体勢を取った。



「そうやって私を避けるつもりなの」


「話したくない、一人になりたいと言ったはずだ……」


「そうまでして避ける理由は何なの?」


「…………」


「その左腕の事?」


「亜弥達から事情を聴いているのなら分かるはずだ。オレはもう……人間じゃなく、化物なんだよ……」


「…………」


「頼むから一人にしてくれ。話があるのなら明日聞く……」


「……私は貴方を化物とは思っていないわ」


「気休めはやめろ。余計に惨めになる……」


「いいえ。気休めなんかじゃない。これは私の本心よ」


「…………」


「零治。そのままでもいいから聞いて」



零治は背を向けたままで華琳の顔を見ようともしない。だがそれでも華琳は優しい口調で零治の背に語りかけた。

これは華琳にとって今すぐに伝えねばならない事なのだ。いま伝える事が出来なければ、零治はこの先、心を閉ざして誰とも顔を合わせようとしなくなるだろうから。



「零治。定軍山での話は聞かせてもらったわ。だから貴方の身に起こった事を考えれば、自分の事を化物と思うのも理解できる」


「…………」


「でも、貴方はまだ人としての感情を……心を持っているわ。つまり貴方が人間だという証拠なのよ」


「……どっかで聞いたセリフだな」


「随分前に奈々瑠から昔話を聞いたのよ。貴方が奈々瑠と臥々瑠に言った台詞でしょ?」


「あぁ、そういえば昔そんな事を言った気がする……」


「ならば分かるはずでしょう? 私が貴方に何を言いたいのかを」


「…………」


「零治。お願い。こっちを見て」


「…………」



零治もまさか自分がかつて奈々瑠と臥々瑠に伝えた言葉で説得されるなどとは思ってもいなかっただろう。だがそのおかげで華琳が何を言いたいのかは理解できる。

零治は華琳の言葉に従い、ゆっくりと身体を仰向けにして視界を塞いでいる右腕を退け、視線を華琳の方へと向けた。



「…………」


「零治。もう一度言うわ。貴方は決して化物なんかじゃない。この腕も……貴方が秋蘭を助けるために負った名誉の負傷のような物よ。少なくとも私はそう思っているわ」



華琳は零治の変異している左腕に慈愛の視線を向けながら優しく声をかけ、そっと零治の左手に自分の右手を伸ばして包帯でグルグル巻きにされている手の甲に指先を乗せた。

華琳の指先が触れた瞬間、零治は反射的に左手をビクッと震わせて華琳の指先から距離を取るように腕を曲げて奥へと引っ込めた。



「あっ、ごめんなさい。痛かった?」


「いや、平気だ。ただ……こんな手には触れない方がいいと思って……」


「何度も同じ事を言わせないで。貴方は化物なんかじゃない。今でも貴方は立派な人間よ」



言葉だけでは伝わらない。今の零治に自分がこれまでと変わらない態度で接していると伝えるためには行動でそれを示さねばならない。

華琳はその想いを伝えるために再度零治の左手に右手を伸ばし、優しくその手を握り締めた。



「あっ……」


「どう? その手は今、何を感じているの?」


「……温かい。華琳の手の温もりを感じる」


「これで分かったでしょう? それが感じられるのなら、貴方はまだ人としての心も残っているわ。そして私は……いいえ、私だけじゃない。魏のみんな全員が貴方の事を化物なんかとは思っていないわ。それだけは忘れないで」


「ああ」



零治の心の華琳の伝えたい想いもようやく通じ、零治は天井を見上げながら右腕で視界を塞いだ。

その時、零治の眼頭が熱くなり、左頬から一筋の涙が流れ落ちて月光の光を反射させた。



「零治……貴方、泣いてるの?」


「……頼む。この事は黙っといてくれ」


「ええ。誰にも言わないわ。好きなだけ泣きなさい。貴方の気が済むまで傍に居てあげるから」



零治の涙は留まる所を知らず、どれだけ堪えようとも収まる事無く、零治は静かに身体を震わせながら泣き続ける。

華琳はただ何も言わず、零治の左手を優しく握りしめたままいつまでもその姿を無言で見つめるのだった。

作者「いや~、今回の話はまさに樺憐さんの独壇場だね」


零治「おかげでオレは身体中が痛いんだがな……」


亜弥「おまけに序盤にはどっかで聞いたセリフがありましたしね」


恭佳「あぁ、ウォーミングアップ云々のとこか」


作者「ありゃただの偶然だ。狙ってやったわけじゃないぞ」


奈々瑠「それにしても……母さん強すぎませんか?」


臥々瑠「アタシは正直やりすぎな気がするんだけど……」


作者「そうかぁ? これぐらいした方がオレは面白いと思うんだけどなぁ。まあ、個人的に不満な所もあるがね、この回」


樺憐「あら。わたくしの活躍ぶりにケチをつける気ですの?」


作者「いやそうじゃないよ。この回、いつもの事ながら字数があまりにも多くなったから没にしたシーンがあるんだ」


零治「没シーン? なんだよ?」


作者「お前さんが元に戻った後、樺憐さんがお前さんをボコボコにした事を土下座して詫びながら殴ってくださいと請うシーン」


亜弥「はっ? なんですかそのシーンは……」


恭佳「むしろ没にして正解なんじゃ……」


作者「いやねぇ、零治さんと樺憐さんの主従関係が、華琳と春蘭、桂花みたいだって魏の皆様方に言わせたかったんだよ」


奈々瑠「……今回はドン引きです」


臥々瑠「うん。一度頭の病院に行った方がいいんじゃない……?」


作者「お前らってホント失礼だよな……」


樺憐「……今のは面白そうですわねぇ。なんでしたらここでやりましょうかぁ?」


零治「おいやめろ! オレに華琳みたいな趣味は無いからな!」

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