第63話 それぞれの帰還 蜀編
前回の話を書いていた時にある事故が起きてしまい、以来執筆作業が怖いです。
また同じ事が起こるのではないかと、内心びくつきながら書いてましたよ……。
華琳達が洛陽に帰還してから時を同じくして、こちらは蜀の首都である成都。
そして劉備軍が使用している城の玉座の間にて、定軍山から帰還した黄忠が劉備と諸葛亮にそこで起こった事の報告を行っていた。
「……以上になります。申し訳ありません。戦果を上げられなかったどころか、こちらが被害を受ける形になってしまいまして……」
「ううん。気にしないで。紫苑さん達が無事なだけでもよかったよ」
「はい。作戦が失敗してしまったのは残念ですが、皆さんが無事なのは不幸中の幸いでした」
「無事、ねぇ……」
「どうした、金狼。何か言いたい事でもあるのか」
劉備と諸葛亮に訝しげな視線を向けながら金狼が一人呟くので、その様子にいち早く気が付いた関羽は眉を吊り上げながら問いただしてきた。
「いや、別に何でもないよ。気にしないでくれよ」
「なんでもない訳がなかろう。今のお主、明らかに何かを言いたげな顔をしているぞ」
「そうかい? なら言わせてもらうけどさ……」
金狼はそこで言葉を区切ってワザとらしく咳払いをし、劉備と諸葛亮に視線を向けて口を開き、呆れたように言い放った。
「劉備、諸葛亮。君らの眼は節穴かい? これのどこが無事だって言うのさ……」
「えっ? だって、こうして紫苑さん達は無事に帰って来ている訳だし……」
「確かに僕らは無事だよ。でも忘れていないかい? 定軍山に向かったのは僕らだけじゃないんだ。あそこで九割の兵士が殺されたんだよ。それもたった五人の人間にね。総合的に見たらこれは無事とは言えないと思うんだけどねぇ……」
「そ、それは……」
「金狼。お主は何が言いたいのだ。場合によってはお主といえど……」
「おぉ~、怖い怖い。相変わらず関羽は劉備に対して過保護な事で。やれやれ。君がそんなんだから劉備も北郷も王として半人前のままなんだよ」
「何だとっ!?」
「やめろ愛紗っ! 落ち着かないか!」
金狼の挑発的な言葉に関羽は過剰なまでに反応し、今にも掴み掛りそうな勢いだったが、背後から翠蓮が羽交い絞めにして押さえつけた。
あれから翠蓮は体調が完全に回復し、今では劉備と一刀の厳しい教師であると同時に一廉の将として戦線に復帰している。
そこは流石と言うべきなのだろうか。軍神と謳われる関羽の抵抗をものともしておらず、耳元で落ち着くように言い聞かせたおかげで何とか関羽は静かになり、黄忠も金狼に口の利き方を窘めたおかげで喧嘩にはならずに済んだ。
が、まだ金狼には言いたい事があるらしく、更に言葉を続けた。
「劉備、諸葛亮。君らがいま言ったセリフ、僕から見るとまるで死んだ連中の事は見ていないように取れるんだけど……そこの所はどうなんだい、お二人さん?」
「……金狼さんの言いたい事は分かるよ。亡くなった人達には本当に申し訳ないと思っている」
「私もまさかここまで被害を受けるとは想定していませんでした。ですが次はこのような事は起こさせませんし、亡くなった方々の遺族への補償はちゃんと考えています」
「ふむ。まっ、合格とは言い難いけど、その辺が分かっているのなら僕は何も言わないよ。……でもホント頼むよ? 自国の人間にまで恨まれるような事になったら蜀は本当に終わりなんだからね……」
「金狼。もうその辺にしろ。話が先に進まんだろう……」
「はいはい、分かりました。僕は黙ってますよ」
金狼の向かいに立つ黒狼が睨みを利かせてきたので、金狼はヒョイッと肩を竦めながらやれやれと言わんばかりに首を横に振り、口を閉じた。
それからは黄忠達が不在の間に起こった他国の動きなどの情報の共有などを行い会議は終了し解散となったのだが、金狼には個人的な疑問があるらしく、黒狼が玉座の間を立ち去る前に声をかけた。
「黒狼。実はアンタに訊きたい事があるんだけど、構わないかな?」
「それは今でなければいけないのか……」
「そうだねぇ。出来れば他人には聞かれたくないんだけど……他にも目撃者が居るし、隠しても意味がないから今すぐに答えてほしいね」
「……言ってみろ」
「どうも。なら訊くけどさぁ……黒狼。影狼に何をしたんだい……」
「話が見えんな。一体何の事を言っているんだ……」
「あぁ、そうだね。なら順を追って説明するよ。……黒狼。定軍山で僕が通信した時、銀狼が影狼の左腕を切断したって話は憶えているよね?」
「ああ……」
「で、その直後にだ、影狼が定軍山から姿を見せたんだよ。因みに奴の左腕はちゃんとあったよ」
「ふむ。なら銀狼の話は嘘だったという事になるな……」
「普通に考えるとね。だけどその時の影狼、妙だったんだよ」
「妙とはどういう意味だ……」
「…………」
金狼はごく自然を装いながら黒狼の眼の動きに注目していた。
眼は口ほどに物を言うといわれているように、心理的反応がよく表れる器官なのだ。
人間の眼の瞳孔は良い反応を示す時は大きくなり、逆に悪い反応を示す時は小さくなる性質がある。
これは人間の身体の本能的な反応なため自分で制御する事は出来ない。金狼は黒狼にそういう反応がないかを観察しているのだが、今の所その反応は見られないので仕方なく話を続けた。
「影狼が着ていたコートの左腕の袖、何の意味があるのか分からないが、ベルトが五重に巻き付けられていたんだよ。それに左手だけに手袋もしていた。それも装甲板でガチガチに固められた特殊な物をね」
「ふむ……」
「そしてだ……そこの趙雲が影狼に一騎打ちを申し込んで勝負する事になったんだけどさぁ……」
「何だ。もったいぶらずに先を言ったらどうなんだ……」
「まあそう急かすなよ。で、いざ勝負が始まってだ、趙雲が影狼をあと一歩という所まで追い詰めた時に奴に異変が起きたんだ。それも常識では考えられないようなね……」
「ほお? 何が起こったというのだ……」
「……影狼の右手から剣が生えてきたんだよ。それもアンタが持つ、魔王剣のような見た目をしていたよ」
「…………」
「そこから影狼が反撃に出て、趙雲をあと一息で殺そうとしたその時にだ、一人のバカな兵士が影狼に矢を放ってね。矢は奴の首に命中した。そして影狼は死んだ。この後に何が起こったかは言うまでもないね。こっちの兵士が九割も殺された原因はそれなんだからさ……」
「だろうな……」
「でだ、ここからが重要だよ。僕らは撤退を開始したが、白狼達の執拗な追撃のせいで追い詰められた。仕方ないから僕が何とか見逃してもらうように連中に取引を申し出た。その時だったよ……」
「…………」
「死んだはずの影狼が僕達の前に現れたんだ。それも首に矢が刺さったままの姿でね……」
「…………」
金狼の口から出た驚くべき内容の話に定軍山に居なかった蜀の首脳陣達は驚愕し、真偽の方を黄忠に尋ね、黄忠は無言で重々しく頷いて金狼の話を肯定した。
しかし金狼にとって首脳陣達の反応などどうでもよかった。彼にとって重要なのはここで黒狼がどう反応するかである。
「……フッ。ククク……」
「っ!?」
それまで何の反応も示さなかった黒狼がここに来て口の端を吊り上げて笑ったのだ。
その姿を見て、金狼はこの件に黒狼が深く関係していると思った。
だが、黒狼の口から出てきた言葉は金狼の考えとは全く異なるものだった。
「金狼。貴様が冗談を言うとは、一体どういう心境の変化があったんだ……?」
「冗談?」
「ああ。死んだ人間が生き返るはずなど無いだろう。それこそ世の理に反するものだ。いくら影狼が人間離れをしていようと、この世の理たる事象を歪める芸当など出来る訳がないだろう……」
「生憎と冗談を言ったつもりはないよ。アレは間違いなく影狼だった。しかも僕らが見ている前で、自分に矢を放った兵士を殺したんだよ……」
「ほお。どんな風にだ……?」
「どうやったのかは不明だけど、自分の手に生やした物と全く同じ形状の剣が兵士の胸を内側から刺し貫いたのさ。もちろんそいつは即死したよ」
「…………」
「これでも本当の事を話す気は無いのかい……」
「何と言われようが私は知らん。まあ、貴様の話の真偽はこの先の戦いでいずれ分かる事だろうな……」
(やはりそう簡単には真実は訊き出せないか……)
「金狼。今度はこちらが質問する番だ。頼んでいた例の件はちゃんと済ませているのだろうな……」
「あぁ、それならここに。……ほら」
金狼はコートの下に手を入れ、掌に収まる大きさをした氷の張り付いた小箱を取出し、無造作に黒狼の方へと放り投げた。
箱をキャッチした黒狼の右手には氷のひんやりとした冷感が伝わり、やがてそれは冷たいから痛いへと変化をしてきたので、黒狼は早々に小箱をコートの下へと忍べた。
「ご苦労だったな。では銀狼の治療に行くとするか。金狼、貴様も来い……」
「はいはい……」
定軍山で騒いでいた銀狼を背後から殴りつけて気絶させた件があるため、金狼は内心では行きたくはないと思っているが、黒狼に来いと言われた以上は従うしかないし、どうやって銀狼の眼を治すのか興味はあったのでついて行く事にした。
黒狼と金狼が玉座の間を立ち去り、会議も既に終了しているため他の首脳陣達も退出していく中、翠蓮が翠と蒲公英に声をかける。
「翠、蒲公英」
「母様……」
「おば様……」
「定軍山で何があったのか話してもらおうか。あたしの部屋まで来な」
「はい……」
「分かりました……」
………
……
…
玉座の間を後にし、銀狼の自室へと向かうために城内の廊下を練り歩く黒狼と金狼。
金狼が内に抱える疑問に対して黒狼は当たり障りのない受け答えをするだけだったが、金狼にはもう一つ疑問があったのだ。
なので金狼は黒狼の背に向かってその事を投げかけてみた。
「ねえ、黒狼」
「何だ。影狼の件は知らんと言ったはずだぞ……」
「いや、そっちじゃないよ。銀狼の事さ。どうやってアイツの右眼を治すつもりなんだよ?」
「フッ。すぐに分かるさ……」
「まさかとは思うけど……その眼を移植するつもりなのかい」
「まあ、似たような感じだ……」
そうこうしている間に銀狼が使用している部屋の前まで到着し、黒狼は扉を二回叩いて自分達が来た事を部屋の主である銀狼に知らせた。
「銀狼、私だ。入るぞ……」
「ああ? 勝手にしろよ……」
部屋の中からは銀狼の気怠そうな返事が返ってきたので、黒狼は扉をあけ放ち中へと足を踏み入れ、金狼も後に続く。
銀狼はというと、自室に設けられているベッドの上に寝転がっており、首だけを動かして扉の方へと視線を向け、金狼の姿を確認するなり素早く飛び起きて凄まじい剣幕で怒声を上げながら詰め寄って来た。
「金狼っ! テメェ、あの時はよくも!!」
「おい。落ち着けよ、銀狼。あまり騒ぐと眼の傷に障るよ?」
「これが騒がずにいられるかってんだ! テメェ……定軍山ではよくもやってくれたじゃねぇか!」
「アレはギャーギャー騒いでた君が悪いんじゃないか。ああでもしないと君はあのバカな兵士を殺していただろうからね」
「っ!? そうだよ! あのクソ野郎はどうした!? どこに居やがる! 今度こそオレがブッ殺してやるよ!」
「……奴なら定軍山で死んだよ」
「何ぃ!? ……まさかテメェが殺したんじゃねぇだろうな」
「いいや。違うよ。銀狼、聞いて驚くなよ? あのバカを殺したのはね……何と影狼さ」
「……なに?」
金狼から聞かされた話に、流石の銀狼も首を傾げざるを得なかった。
それもそのはず、銀狼もあの出来事の目撃者の一人なのだ。その直後に金狼に気絶させられたため事の顛末までは知らないが、人間が首に矢を受けたらどうなるかなど考えれば分かる事だ。
そう。普通に考えれば死ぬ以外にありえないのだ。
「金狼。お前なに言ってんだ? 影狼は死んだんだろ……」
「ああ。そうだね。そのはずだった」
「はずだった?」
「銀狼。奴は……影狼は生きているんだよ。どうやって生き延びたのかは不明だがね……」
「……マジで言ってんのか?」
「マジだよ。よかったね。君の獲物がまだ生きていてさ」
「……ヒヒヒ。そうか。奴は生きているのか……」
金狼から聞かされた話を前にして、銀狼は心底嬉しそうに口の端を吊り上げ、下卑た笑い声を漏らしながら邪な笑みを浮かべ、無事な左眼に狂気の光を宿らせた。
零治が生きている、銀狼にとってこれ程嬉しい報せは他にないだろう。その姿はまるで長い間顔を合わせていなかった恋人に再会したような喜びようだった。
「おい。話が済んだのならこちらの要件を済ませたいのだがな……」
「ん? あぁ、悪ぃ悪ぃ。で? どうやってオレの眼を治すんだよ?」
「まずはその包帯を取れ……」
「ああ」
黒狼に言われるがまま、銀狼は自身の顔に巻き付けられている包帯の結び目を解き、グルグルと包帯を取り外し、無造作に床の上に放り投げた。
「で、次はどうすんだ?」
「右眼を開けろ……」
「マジかよ。結構いてぇんだぜ……」
「黙って言われた通りにしろ。でないと貴様の右眼を治せんのだぞ……」
「分かったよ……」
黒狼の言葉に銀狼は素直に従い、右眼に走る鋭い痛みに耐えながら瞼をゆっくりと開いた。
それにより斬り裂かれた右眼が露わになり、傷口からは収まっていた出血が再び始まり、まるで血涙のように血が流れ落ちる。
「ぐぅ……っ! おい。言われた通りにしてやったぞ……っ!」
「そのままジッとしていろ。いいな。治療が終わるまで眼を閉じるんじゃないぞ……」
黒狼はコートの下に右手を突っ込み、中から金狼が持ち帰った眼球の入った小箱を取出し、周りに付着している氷をはたき落してゆっくりと蓋を開く。
箱の中には抉り取られた兵士の一人の眼球が一つ収まっており、下に敷いてある綺麗な布には凍りついた血液が付着しており、ご丁寧に視神経の一部も残っていた。
中に目的の物がきちんとした状態で収まってる事を確認できた黒狼はフッと小さな笑みを浮かべ、箱の上に空いている左手をかざし、全神経を研ぎ澄まして集中力を高める。
「…………」
黒狼の集中力に呼応するように魔力が集まり、左手が禍々しい深紅の光を放ち、手首には模様のような形状をした奇妙な文字が列なった円が三重に浮かび上がりクルクルと回転を起こし、箱の中に納まっていた眼球が宙に浮かび上がりながら銀狼の目線の高さの所で止まり、瞳を銀狼の右眼の方に向けてフワフワとその場に浮かんだまま静止した。
「お、おい。まさかオレの眼とコイツを入れ替えるつもりじゃねぇだろうな……?」
「少し違うな。貴様は黙って見ていろ……」
黒狼は左手を正面にかざして更に集中力を高め、そこから新たな変化が起きた。
宙に浮いている眼球と銀狼の右眼の間に赤く光る奇妙な形の文字が列なったリングが浮かび上がり、クルクルと高速回転を起こし始めたのだ。
それに呼応するように兵士の眼球と銀狼の右眼にも変化が起こり、互いの眼の瞳の部分がまるで手から零れ落ちる砂のように崩れながら赤い光を放つ粒子と化し、リングの中へと引き寄せられていく。
リングの中で渦を巻く粒子はしばらくして全て銀狼の眼の瞳があった空洞の部分へと集まっていき、端からその空洞を埋めて次第に中心点へと粒子は集中していき、瞳が再生していく。
やがて空洞は完全に塞がり、銀狼の眼の修復は完了したので黒狼はブンッと左手を振り下ろして術を解除し、それによりリングは消滅。宙に浮いていた眼球も空洞を残したまま収まっていた小箱の中に無造作に転がり落ちた。
「終わったぞ。どうだ。ちゃんと眼は見えるか……」
「…………」
銀狼は眼をパチクリと開いたままゆっくりと首を動かし、周りに視線を走らせた。
その表情は信じられないと言いたげなものだった。
「おい。黙っていては分からんだろ。どうなんだ。見えているのか……」
「……あ、あぁ。み、見えるぜ。信じられねぇ」
「銀狼。それマジなのかい……?」
「ああ。ちゃんと右眼が見える。痛みも無ぇ。ハハ、マジで治っていやがるぜ」
「どうやら問題は無さそうだな……」
「黒狼。今の魔法は何だい。一体何をしたのさ?」
「物質変換魔法を応用した術だ……」
「はっ? あの魔法で銀狼の右眼を治したの?」
「ああ。コイツの右眼と貴様が持ち帰った眼球の瞳の部分の細胞を粒子化して組み合わせ、創り直したのさ。後は銀狼の右眼に全て結合させた。それだけだ……」
「難しい話はどうでもいいんだよ。とにかくオレの眼は治ったって事でいいんだろ?」
「ああ。銀狼、次からこんなヘマはするんじゃないぞ……」
「分かってるさ」
「金狼。貴様もご苦労だったな。コイツの処分は任せたぞ……」
「あ、ああ……」
黒狼は持っていた小箱を金狼の方に無造作に放り投げてきたので、金狼は落とさないように慌てて両手でそれをキャッチする。
用が済んだ黒狼はそのままさっさと銀狼の部屋を後にし、金狼は手に持っている小箱を覗き込み、中に入っている空洞の出来た眼球を凝視した。
(応用とは言っていたけど……普通そこまで出来るものなのか? それにさっきの黒狼、何か違和感があった気がするんだが……)
………
……
…
月明かりによって照らし出される石造りの城壁。冷たい夜風が吹き付ける中、城壁の上に佇む一つの人影。
纏っている純白の着物の袖は風によってなびき、頭に被っている帽子を飛ばされないように右手で押さえながらその人物、星は憂いを帯びた表情で遥か地平線を眺めていた。
「零治殿……」
誰に言うのでもなく星は零治の名を呟いた。
あの戦いから命辛々帰還したが、帰っている最中も、帰ってからの軍議の時も星はずっと上の空だった。
それもそのはず、定軍山での戦いの後からずっと星は零治に言われたある言葉が頭の奥で引っかかっていたのだ。そしてその言葉がまたしても頭の中で再生された。
『長生きしたければ、これ以上オレに関わろうとするのはよせ……』
「…………」
『もうオレは……お前達とは違う存在なのだからな』
「……『違う存在』。まるで自分が『人』ではないと言うような口ぶりですな。零治殿、定軍山で貴方の身に一体何があったというのですか……」
その疑問に答えてくれる者は居ない。
星が抱いている疑問はこれだけではなかった。定軍山での零治との一騎打ち、そこで零治が見せたあの異様な姿だ。
掌から深紅の刃の剣を生やしたあの姿は誰もが眼を疑う姿。何より首に矢を受け、死んだにもかかわらず生きて再び自分達の前に姿を見せたのだ。そういう意味では確かに零治は自分達とは違う存在。
そして定軍山から去る直前に言った言葉はその事に対する警告なのかもしれない。
「例えあの言葉が私に対する警告だったとしても……零治殿、私はそれに従う事は出来ませんな。遅かれ早かれ、またいずれ戦場で相まみえる事となるでしょうからな。互いに仕える主君の抱く理想を実現するために。そして、願わくば私は……」
例え敵わぬ相手でも戦わねばならない。それが己の、武人としての役目なのだと星は認識している。
何より定軍山での決着がまだついていないのだ。一人の兵士の横槍によって結局うやむやのまま。
己が仕えている主君、劉備の理想の実現と個人的な理由から星は零治との闘いを避ける気など毛頭無いのだ。その決意を新たにしていた時、背後から声をかける者が現れる。
「星」
「ん? おや。主ではありませんか。こんな時間にどうしたのです?」
「それはこっちのセリフだよ。お前こそどうしたんだよ。夜中にこんな場所で」
「何。大した事ではありませぬよ」
「……もしかしてまた呑んでるのか?」
「主。私は四六時中酒を呑んでいる訳ではないのですよ」
「冗談だよ。隣いいか?」
「ええ。どうぞ」
一刀は星の左側まで足を進め、城壁に両腕を組む形で肘をつき、星に習って遥か彼方先の地平線を見つめる。
突如吹き付ける突風を前にして一刀は思わず両眼を細め、冷え切った風は全身の体温を奪っていき身震いを起こしてしまうほど冷たかった。
チラリと星に視線を向ければ、風に飛ばされないように帽子を右手で押さえながら、まだどこか思い詰めたような表情をしながら地平線を見つめていたので、気になった一刀はその事を尋ねてみる。
「なあ、星。もしかして悩みでもあるのか?」
「なぜそう思うのです?」
「いや、何となくそう見えたからさ」
「…………」
「俺でよければ相談に乗るぜ」
「主……」
「まあ、戦いでは俺、あんまり役には立てないけど……みんなの相談役ぐらいなら出来るからさ。悩みがあるんなら言ってみろって」
「ふふ。心配には及びませぬ。これは私個人で解決できる問題ですので」
「そうか? まあ星がそう言うんなら俺は何も言わないけど、あまり一人で抱え込もうとするなよ?」
「分かっておりますよ。……さて、そろそろ戻りましょうか。あまり夜風に当たっていては風邪を引いてしまいます」
「ああ」
星と一刀は足並みを揃え、城に戻ろうと城壁の階段へ足を進めた時だった。
不意に星の眼に、自分達と同じように城壁に佇みながら地平線を眺めている人物が止まったのだ。
「ん?」
「星。どうした?」
「いえ、あそこに」
「ん? ……あれは……黒狼だな」
「主。すみませんが先に戻っていてください」
何を思ったのか、星は城に戻ろうとはせず、黒狼が居る方へと足を進めていってしまう。
普通この状況で黒狼に近づこうとする者など居やしないだろう。
だがそれでも星は足を止めようとしない。自分がいま抱いている疑問の答えを黒狼は間違いなく知っていると彼女は確信しているのだ。
「あっ! おい、星っ!? なに考えてるんだよアイツは……っ!」
一刀の制止に星は耳を貸そうとしない。
先に城に戻れと言われたが、相手が相手だ。放っておけないと思った一刀は内なる恐怖心を抑えつけて星の後に続いた。
近づいてみれば黒狼は珍しく笑みを浮かべながら地平線を見つめ、一人で何かをブツブツと呟いており、近づくにつれてその内容が徐々に聞き取れてきた。
「クックック。金狼の話が確かならば……『アレ』は影狼の手に渡ったという事だな」
(ん? あれとは何の事だ?)
「樺憐が魏に渡ったのは誤算だったが、まあ大した問題ではない。当初の目的は達成できたのだからな。後は時期が来るのを待つだけだな……」
(っ!? この男……やはり零治殿の異変について何か知っているのだな!)
「星! もうやめろって! 気付かれたらどうするんだよっ!?」
「主。奴はとっくにこちらの存在に気付いておりますよ。そうだろ? 黒狼よ……」
「…………」
星は黒狼の実力を充分に理解している。彼ほどの実力者が自分達の存在に気付かないはずがない。
そう確信している星はワザとらしく黒狼に声をかけ、黒狼は両腕を組みながらゆっくりと首だけを動かし、こちらに射るような鋭い視線を向けた。
その視線を受けた一刀は思わず腰を抜かしそうになってしまったが、腹に力を入れて何とか踏み止まり、星の後ろから負けじと黒狼を睨み付けた。
「貴様らは盗み聞きが趣味なのか? 北郷、趙雲……」
「…………」
「どうした? 私に何か訊きたい事があるのではないか? 趙雲……」
「そうだな。もっとも、お主が私の疑問に答えてくれるとは思っていないがな……」
「フッ。貴様の疑問に答えれるかは内容次第だな。訊くだけ訊いてみるがいい……」
「そうか。では訊かせてもらうがな……黒狼。あの方に……零治殿に何をした」
「何かと思えば貴様も金狼と同じ事を訊くのか。それについては知らんと言ったはずだぞ……」
「そうか? では先程、零治殿の手に『あれ』が渡ったと独り言を言っていたが、これについてはどう説明するつもりだ?」
「…………」
「星! ホントもうやめとけって!」
後ろから星の肩を掴み、一刀はやめるように説得を試みる。
かつて一刀も黒狼の正体について言及したが、疑問に答えてくれるどころか、逆に恐ろしい殺気を放たれて釘を刺された経験がある。
あの時に黒狼の怖さを嫌というほど思い知っているからこそ一刀はやめるように言っているが、星はそれを聞き入れようとはしない。
星は一歩も退かない姿勢で黒狼を正面から無言で見据え、黒狼も何一つ語らずに双方無言の睨み合いが続いたが、しばらくして黒狼は口の端を吊り上げ、乾いた笑い声を漏らした。
「フッ。ククク……」
「っ!?」
「趙雲。貴様は随分と耳聡い女だな……」
「…………」
「クックック。貴様の疑問に答えてやるつもりはないが……ヒントぐらいは与えてやろうか」
「……ひんと?」
「星。ヒントってのは俺の世界の言葉で手掛かりって意味なんだ」
聞き慣れな言葉を耳にして首を傾げる星に、一刀が後ろからその意味を伝える。
星はなるほどと納得して頷き、内心少し期待を抱きながら改めて黒狼に視線を向ける。
対する黒狼は両眼をゆっくりと閉じ、しばらくの間を置いて、再度ゆっくりと瞼を開いた。
そして、そこから姿を見せた黒狼の両眼は普段とは全く異なる物。白めの部分は何の変化もないが、瞳の色が漆黒から深紅へと変色していたのだ。
(っ!? この眼は、あの時の零治殿と同じっ!?)
「ほぉ~。流石は歴戦の猛将だな。逃げなかった事は褒めてやる……」
「……それが手掛かりだというのか、黒狼」
「そうだ。だがこれはあくまでもヒントにすぎん。真実が知りたくば……この先の戦いを通し、自分自身の手で答えを掴み取るんだな……」
禍々しく発光する深紅の瞳で星と一刀を睨み付け、冷たい笑みを浮かべていた黒狼は意味深な言葉だけを残し、二人の前を何事も無かったかのように素通りして、城壁の階段をゆっくりと下りていき城内へと戻って行った。
その場に取り残された星と一刀は黒狼に向けられた禍々しい視線のせいで、恐怖心から完全に硬直してしまい未だに一歩も動けずにいたが、ようやくその恐怖から解放され、星は冷や汗を流しながら大きく息を吐き、一刀はヘナヘナと腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。
「ふぅ~……この恐怖心、あの時に感じた物とよく似ている……」
「はぁ~……マジで怖かった。今度こそ本当に殺されるかと思った……」
「全く。だから先に戻ってくださいと申したのに。ほら主、掴まってください」
「ああ。ありがと」
一刀は差し出された星の右手に掴まり、フラフラとその場から立ち上がって服に付いた埃をはたき落して後方を振り返るが、黒狼の姿は既に無かった。
黒狼がこの場を立ち去った事を確認できた一刀は星に恨めしげな視線を向ける。
「ったくさぁ。星、もうこんな事は二度としないでくれよな。心臓に悪すぎるよ……」
「やれやれ。私はその事を案じて戻るように言ったのですよ?」
「そうだけど……相手が相手だし、放っておけないじゃないか」
「ふふ。そのお気持ちは嬉しく思いますが、そのためにはまず強くなってもらわなくてはなりませんな」
「うっ……努力はするよ」
「さて、主もちゃんと立った事ですし、いい加減我らも戻るとしましょうか」
「あっ、星。ちょっと待ってくれ」
「ん? 何ですか?」
城に戻ろうとする星の背に一刀は声をかけ、星はゆっくりと振り返る。
その表情に先程までの憂いは無くなってた。その姿に一刀は胸の奥がざわつくが、内の想いを抑えつけて表に出さないように平静を装いながら静かに口を開いた。
「星。もしかしてお前……零治の事で悩んでいるのか?」
「…………」
「答えてくれ、星」
「……否定はしませぬ」
「…………」
「それがどうかしたのですか?」
「星がアイツと知り合いだって事は分かっている。でもどうしてそこまで気にかける必要があるんだ。アイツは敵なんだぞ……」
「確かに主にとっては……いえ、我が国、蜀にとっては敵以外の何者でもありませんな。ですが、私にとってあの方はそれ以上の存在なのですよ」
「…………」
「ご心配なく。だからといって私はこの国を、主達を裏切るような真似はいたしませぬ。私は最後まで蜀に、主と桃香様に忠を尽くし、この槍を振るい続ける所存です」
「それならいいけど……でも分からない。アイツは桃香の目指す理想を幻想と言い、バカにまでした奴だぞ。俺は正直、アイツには好感を持てない……」
「確かに零治殿は口の悪い方ですが、彼には彼なりの考えがあってああ言ったのだと思いますよ」
「……星は零治の考えが分かるって言うのかよ?」
「初めは私も分かりませんでしたが……今は分かります。あの方の言っていた事の意味が……」
「…………」
「主も一度、桃香様と一緒に零治殿が言った言葉を思い返して考えてみる事です。それが貴方達にとってためとなりますし、翠蓮殿に叱られる事も無くなりますぞ」
「ん? どうしてそこで翠蓮が出てくるんだよ?」
「ふふ。それはご自分で考えられよ。では、私はこれで失礼しますよ。主も早々に戻られよ。あまり長居していては本当に風邪を引いてしまいますぞ?」
「あ、ああ……」
いつもの調子に戻った星は意味深な言葉だけを残し、一足先に城へと戻っていき、引き止める理由も無くなってしまったので、一刀は黙ってその背を見送る事しか出来なかった。
「零治が言っていた言葉の意味……分かんねぇよ、俺には……」
冷たい夜風が吹き付ける中、一刀は天を仰ぎ、星々が燦然と輝く夜空を見つめながら誰に言うのでもなく呟くが、答えは見つからない。
ただあるのは、どこか胸が締め付けられるような想いに駆られる、それだけだった。
零治「よう。で? なんでわざわざこの話は二つに分けたんだ?」
作者「実は前の話を書いている時に、ある事件が起きてしまってな」
亜弥「事件?」
作者「ああ。ちょうどこの話の頭の部分を書いていて、一区切りついたから保存したんだが……」
恭佳「ふんふん」
作者「その時は妙に読み込み時間が長くてよ。しばらくしたらエラーが表示されてな」
奈々瑠「……つまり保存に失敗したって事ですか?」
作者「そういう事。まあ、これは前にも経験した事があるから、仕方なく書き直そうと思い、編集の項目をクリックしたんだ。そしたらさぁ……」
臥々瑠「何? 何があったの?」
作者「書いていたはずの蜀の側の話の部分がごっそりと消えてたんだよ。前回の話の終わりの部分まで一気に……」
樺憐「まあ」
作者「おまけに一部は文字化けまで起こしてやがったし……」
零治「あぁ~……それで纏めて書く気が失せたから二つに分ける事にしたのか」
作者「そういう事。ちなみのこの事故、そこから更に三回も起きてな。前回の話を書いてた時に……」
亜弥「えっ? って事はつまり……」
作者「そうだよ。オレは前の話を四回も書き直す羽目になってようやく完成させたんだよ。回を重ねるごとに文章はどんどん消えて最悪だったわ……」
恭佳「……何でそんな事が起きたのさ?」
作者「知らねぇよ。あれ以来執筆が怖くてたまらないね。当時はキーボードに八つ当たりしかけたし」
奈々瑠「まあ……怒りたい気持ちは分かりますが、物に八つ当たりしちゃダメですよ」
作者「分かってら」
臥々瑠「で、次はお母さんの設定だっけ?」
樺憐「うふふ。期待していますわよ」
作者「過剰な期待はしないでくれよ?」




