第60話 狼と龍の再戦
この回の話も、ずっとこうすると決めていました。後悔はしていません。
誤解しないでくださいよ。この作品、ちゃんとまだ続きますからね?
星の無謀としか言えない考え。それは零治との一騎打ちだ。
零治は星の申し出を受けはしたが、やはり未だに星の考えが理解できなかった。
彼女とは初めて出会った時にちょっとしたきっかけで勝負をする事になり、その時は零治の圧勝だった。
当然星も、その時の出来事で零治の実力は嫌というほど思い知っている。勝てる可能性など無いと理解していると零治は思っていたのだが、あえてこの勝負を持ちかけたのには何か裏があるのではないかと疑惑を抱いてしまう。
そんな零治の心境を知ってか知らずでなのか、星は龍牙を構えたまま遠い眼で空を見上げ、昔を懐かしむかのように口を開いた。
「思い出しますな。貴方と初めて会ったあの日も、こんな空でしたな」
「…………」
「あの時と違う点があるとすれば、今が戦時下で私と貴方が敵同士だという事ですかな」
「星。お前は何が言いたいんだ。過去を振り返れば今の状況が改善するとでも思っているのか……」
「そこまで楽天家ではありませぬ。ただ……形が何であれ、私は貴方ともう一度勝負をする事が出来る。それが純粋に嬉しいのですよ」
「以前はオレとの再会を嘆いていたのに、今度は喜ぶとか……つくづく理解に苦しむ奴だな。武人ってのはみんなお前みたいな性格なのか?」
「さあ? ですが武人とは強者と闘う事を常に望み、己の力を確かめたくなるものなのですよ」
「……相手が超えられない壁でもか」
「だからこそです。だからこそ……己の力量を試したくなるのですよ。私にとって貴方は……」
「ん……?」
不意に星が言葉を区切ったので零治は首を傾げた。今なにを言おうとしたのだと眼で訴えかけてみたが、星は自虐的な笑みを浮かべ、首を横に振る。何かを頭から振り払うかのように。
「いえ、これはいま言うべき事ではない。今の貴方に言った所で伝わるわけではない。無意味な事だ。今の我らに、言葉など不要……」
「…………」
「零治殿……」
「……来いよ。星」
「いざ…………参りますっ!!」
星が口火を切り、姿勢を低くしながら地面を蹴って零治との間合いを一気に詰める。
あの時と同じように零治との距離が目前まで迫った所で、星は高速の突きを放った。
「ふんっ!」
あの時零治は星の龍牙の穂先を掴み取るだけで終わっていたが、前とは事情が違う。
零治は叢雲を素早く抜刀して振り抜き、星の持つ槍の穂先に刃を打ち込んで弾き上げる。
星は何とか槍を弾き飛ばされずにはすんだものの、両腕ごと上に大きく跳ね上げられてしまい、無防備な姿を晒してしまう。
零治はここぞとばかりに左腕を前に突き出しながら右腕を大きく後ろに引き、お返しと言わんばかりに突きの体勢に移行した。
「なるほど。確かにあの時よりは成長しているようだな。だが……詰めが甘いぞっ!!」
「っ!?」
零治から放たれる殺気に星は本能的な危機を察知したのか、普通ならば後方に跳躍して回避している所をなぜか右にサイドステップした。
それと同時に零治が放った星の速度を遥かに上回る突き。そしてその動きに呼応するように、叢雲の刃から弾丸状の真空波が放たれ、周囲の空間を歪めながら地面の砂を巻き上げ、大地を抉ったのだ。
飛ばされた真空波は後方に控える劉備軍の目前で消滅し、星は唖然とした表情で後方を見つめていた。
もしもあの時、右にではなく後方に跳躍していたら、零治の刃を避ける事は出来ても真空波が真正面から直撃してしまい、その一撃で勝負は終わっていただろう。
星は改めて零治の実力を目の当たりにし、呆然とした表情をしていたがそれはすぐに笑みへと変わった。
今の星は零治との闘いが楽しいのだ。これ程の強者と闘える機会など二度と巡っては来ないのだから。
「何とも恐ろしい一撃ですな。このような芸当は恋……呂布でも出来ないでしょうな」
「…………」
「やはり……貴方との闘いは楽しいっ! これほど胸が躍ったのはいつ以来だろうか!」
「命のやり取りを前にして笑うとは……気でも狂ったか、星」
「私は至って冷静ですとも。しかし……これ程の強者との闘いを前にして笑わずにはおれませぬっ!」
「そんなに強者と闘いたいのなら、オレじゃなく黒狼にしろよ。奴の方がオレよりも遥かに強いぞ……」
「確かに強さだけを考えればそうでしょうな。ですが……貴方でなければ私にとっては無意味なのだ!」
「なぜそうまでしてオレに固執する。オレとお前の間には大した接点など無いはずだぞ。最初の出会いもアレだったしな……」
「…………」
零治の指摘に星は口を噤む。確かに零治と星の最初の出会いは決して良い物とは言えない方だろう。
初めてこの世界に来た零治達が盗賊達に絡まれ、逆にそいつらを零治達が撃退した。
そこから盗賊の一人を無力化してこの世界の情報を訊き出して『真名』と言う風習についても知り、零治がその事を下らないと言い放ち、それを耳にした星が訂正を求めるも零治はこれを拒否した。
そしてそこから発展した零治の発言の訂正を求めての一騎打ち。前述でも述べた通り、この時は零治が圧勝している。
零治にとって接点があるとすればこれぐらいである。だが星は違ったのだ。
「確かに私達の最初の出会いは酷い物でしたな。今となってはあれも良い思い出ですが」
「まさかとは思うがお前……まだあの時の事の訂正に執着しているのか?」
「…………」
「オレもこの世界に来て随分と時間が経つ。だからあの時よりも真名の重要性は理解しているつもりだ。だがそれでも分からんな。そうまでして……命を賭けてまであの時の事をオレに訂正させたいのか」
「…………」
「もしそうなら、それは戦争が終わった後にすればいいだろうが。まあ、その時まで互いに生き残っているかは分からんがな……」
「確かにその決着も未だについてはおりませんな。今の状況は、それをつけるのにおあつらえ向きと言える……」
「…………」
「ですが今は戦中だ。私個人の目的、私情で貴方との闘いを望んだ覚えはない」
「オレを討ちたくないと言っていたのは私情ではないと言うつもりか?」
「これは痛い所を突いてきますな。……そういう想いがあるのは否定しませぬ」
「ならば尚更考えを改めるべきだったな、星。戦場で私情を持ち込む奴は死ぬだけだ……」
「…………」
「だがもう遅い。これはお前が望んだ事だ。この闘いでお前が死んだとしても……それは自業自得の結果だと知れ……」
星に冷たい言葉を言い放ち、零治は叢雲を鞘に納め、居合の構えに移行した。
現時点では闘いの流れはあの時とほぼ同じ。前回はこの後に零治が放った居合に星が反応しきれずに負けてしまったのだ。
しかし今回は違う。星はあの日の悔しい思いを糧にして、今日この日まで己の武に磨きをかけ続けてきたのだ。今度は負けない。次こそは勝つ。ただその事だけを胸に秘めて。
星は自分の今までの努力を無駄にしたくないという想いを、共に戦い続けてきた槍、龍牙に重ねて零治を迎え撃つべく、両脚で大地をしっかりと踏みしめ、龍牙の穂先を自分の目線の高さまで持ち上げて構えを取り、零治にいつでもどうぞという意志を示した。
「…………」
「…………」
双方無言で睨み合い、辺りには緊迫した空気が張り詰め、荒野の乾いた風が砂を舞い上げながら二人に向かって吹き付ける。
黄忠達は星の後姿を固唾を飲んで見守り、零治の方も定軍山の森林内で待機している亜弥達がその後ろ姿を無言で見守っていた。
因みに恭佳達も最初は零治に同行すると言っていたのだが、零治が周りの反対を押し切って一人で黄忠達の前に姿を現しいたのだ。
この行動が吉と出るか凶と出るかは不明だが、このような状況になってはもはや後戻りは出来ない。
亜弥達はただ静かに、零治が死なないでほしいと祈りながらその姿を見つめていた。
「あの女、やるわね。零治と対等に渡り合うなんて」
「星さん。あそこまで強くなっていたんだ」
「ホントだね。初めて会った時は一瞬で終わっちゃったのに」
『亜弥。あの女とアンタ達って知り合いなの? 真名で呼んでるみたいだし』
『ええ。彼女の名は趙雲。私達がこの世界に来て最初に会った人物の一人ですよ』
『ふ~ん。あの趙雲って奴、随分と零治に固執しているようだけど、二人の間に何かあったの?』
『まあ……確かにありましたよ。ホント色々とね……』
亜弥は当時の事を思い出しながら恭佳の疑問に核心には触れない程度に答えた。
今にして思えば、あの出来事での相手が星でよかったとつくづく思えた。
もしもあの時の相手が星ではなく、例えば春蘭のような猪突猛進の性格をした直情型の人間が相手だったらどうなっていただろうか。
延々と勝負が終わらないか、あるいは流血沙汰にすら発展していた可能性もあったかもしれない。
『その疲れた声。大方ロクな事じゃなさそうね』
『ええ。当時の事を振り返ると、流血沙汰にならなくてホントに良かったと思ってますよ……』
『ああね。今のセリフでだいたい想像できたよ』
恭佳はだいたいの事情を理解したのか、苦笑しながら零治達に視線を戻す。
流石は実の姉。弟の事はよく分かっている様子だ。
だがそれでも恭佳には分からない事がある。なぜあそこまでして零治に固執するのかと疑問が浮かぶのだ。恭佳は誰に言う訳でもなく、思わず浮かんだ考えを口にしてみた。
「アイツ……もしかして零治にホの字なんじゃないの?」
「えっ? えぇっ!?」
恭佳の何気ない一言を横で聞いていた奈々瑠は過剰なまでに反応した。
零治に恋心を抱いている奈々瑠にしてみれば、恭佳の考えは決して気分の良いものではない。もしも仮にそれが本当だとすれば、それは即ちライバルが増えるという事になるのだから。
「ん~? 奈々瑠。どうかしたのぉ? 顔が赤いわよぉ」
「な、何でもないですっ!!」
「あぁ、そういや樺憐は知らないんだったね。実は奈々瑠、零治の事が」
「ややや、やめてください! お願いですから母さんにも言わないでくださいよっ!!」
奈々瑠は顔を真っ赤にして叫びながら恭佳に詰め寄り、口を塞ごうとするがこの身長差。
恭佳は右手を突き出して奈々瑠の額に当てながら押し返し、口を塞がせようとしない。
奈々瑠は懸命に手を伸ばすが、恭佳の妨害で届きそうで届かない。まるでコントのような光景である。
「奈々瑠。何をそんなに慌てているのぉ? お母さんに隠し事ぉ?」
「ななな、何でもないです! 母さんは気にしないでくださいっ! 恭佳さんも! 母さんにバラそうとしないでくださいよ!」
「そうは言っても、いつかは言わなきゃいけないじゃん? いま言おうが後で言おうが変わらないって」
「それは時期が来たら私の口からちゃんと言いますっ! だからやめてくださいよ!!」
「分かった分かったよ。だからそう叫びなさんな」
「恭佳さ~ん。何か知ってるんですかぁ? 教えてくださいよぉ。娘は何を隠しているのですかぁ?」
「まっ、それは本人の口から打ち明けるのを気長に待ちなよ。大丈夫さ。悪い話じゃないから」
「はあ……」
『恭佳。奈々瑠をいじるのはその辺でやめてください。今はそれどころじゃないでしょう……』
『はいはい。悪かった……って、ん? 亜弥。アンタそこからアタシがなに言ってるか分かったの?』
『私は眼がいいですから。少しですが読唇術も使えますので』
『恐ろしい女だね……』
『全く。少しは臥々瑠を見習ったらどうなんですか? 彼女は一時たりとも零治から眼を離していなんですよ? 大した集中力ですね』
『嘘っ!?』
亜弥の言葉が信じられない恭佳は臥々瑠の方に視線を向けた。
見てみれば確かに臥々瑠は両眼を凝らして茂みの隙間から零治と星の動向を静かに監視していた。
普段の姿からは想像も出来ない様子だった。
「へぇ~。大した集中力だわ。普段の姿からは想像も出来ないね」
「あぁ、この子、戦いが大好きですから。多分そのせいだと思います」
「あらやだ。わたくしが居ない間にそんな不良に育っちゃったのぉ? お母さんは悲しいわ……」
「母さん。不良は言いすぎですよ」
「……しっ! みんな。そろそろ兄さん達が動くよ……」
臥々瑠のその一言でメンバーの顔に緊張が走り、全員両眼に全神経を集中し、茂みの隙間から零治達の様子を窺う。
零治と星の二人は未だに睨み合ったまま一歩も動こうとしていなかった。
しかしその刹那……ついに事態は動いた。先に動いたのは……零治だった。
「フッ!」
零治は低姿勢を維持しながら地面を蹴り、居合の体勢で星に向かって一直線に突撃を仕掛けた。
あの時は星が零治の速度に反応しきれず、咄嗟に防御の構えを取ったが、零治の放った居合の鋭い一撃の衝撃を受け止めきれず、槍を弾き飛ばされて敗北してしまった。
安全策を取るのならば、ここは下手に行動はせず、零治の一撃を受け止めてそこから反撃に転じるのが一番最善であるが、果たして今回の星はどう行動するのか……。
「はっ!」
意外や意外。星は防御の構えを取るどころか、槍を両手でしっかりと握りしめながらいつでも突きが放てるように後ろに引き、零治同様に低姿勢で突撃をしたのだ。
だが零治はその姿に全く動揺せず、突撃の速度を緩めない。対する星も速度は落とさず、一気に零治との距離を詰める。
そして、双方の距離が目前まで縮まった所で零治は居合を、星は高速の突きを同時に放った。
「フンっ!」
「せぇぇいっ!」
互いの持つ得物の刃が空を斬り、陽光を煌めかせながら迫り、そしてぶつかり、激しい金属音を辺りに鳴り響かせた。
零治と星は互いに攻撃の態勢を維持したまま一歩も動こうとしない。まるでこの瞬間、この場の時間が止まったのではないかと思ってしまうほどに。
だが実際にはそんな事など起こりはしない。今この時も状況は刻一刻と進んでいるのだ。
「……っ!?」
「ふふ」
零治は今の一撃で勝負をつけるつもりでいたのに、その思惑は星によって見事に打ち砕かれた。
そのためか、零治は驚きの表情で叢雲の刃を見つめ、星はその反応を楽しむかのように不敵な笑みを浮かべていた。
「あの時オレが披露した芸当を真似するとは……大した女だ……」
「お褒めに預かり光栄の極みですな」
星が真似した零治の芸当。それは以前の戦いで、零治がナイフを使って張飛の蛇矛の枝分かれした穂先に刃を引っかけて止めたアレの事である。
星は二又に分かれている矛先を利用し、零治の叢雲の刃を受け止めたのだ。
しかし危険な賭けでもあっただろう。一歩間違えれば自分の首が飛んでいたかもしれないし、仮にそうならなくても槍が衝撃に耐えきれず破壊されていたかもしれない。
だが星はそれに臆する事も無く、見事にやってのけた。星の覚悟が勝ったのだ。
「オレの一撃を止めた事は褒めてやる。だが、ここからどうするつもりだ……?」
「…………」
「ただ止めただけでは何の意味も無いぞ。オレを負かしたいのなら攻撃を止めるのではなく、その一撃をオレに喰らわせるべきだったんじゃないのか……?」
「…………」
星は何も言わない。その場には互いの刃がすれ合う金属音が響くのみ。
もちろん星自身もこの後どうするべきなのかは考えてはいる。だが彼女の中ではまだほんの僅かながら躊躇いが生じているのだ。その考えを読み取った零治は星に侮蔑の視線を向け、冷たく言い放った。
「星。これ以上オレを失望させるな……」
「零治殿……」
「お前が今なにを考えているのかは手に取るように分かるぞ。お前はどこまで劉備に感化されているんだ……」
「…………」
「別に優しさを捨てろとは言わん。だが……戦場ではその甘さは己の死に直結する。そうなりたくなければ、心を押し殺して鬼となり、闘い抜いてみせろ……」
「零治殿。……ふっ。その通りですな。やはり私はまだまだ甘いようだ」
星は自虐的な笑みを浮かべ、やれやれと言わんばかりに首を数回横に振って迷いを振り払い、表情を引き締めて零治に向き直る。
「貴方の仰る通りだ。私は今より心を鬼にして、貴方に挑みますっ!」
「フッ。そうでなくては面白くない……」
「しかし……貴方を討ちたくないのは紛れもなく私の本心。ですので、殺しはしませぬが……少し痛い目は見てもらいますっ!」
星は一気に勝負を決めるべく槍を持つ両腕を勢いをつけながら上に大きく振り上げ、零治の持つ叢雲を上空へと弾き飛ばした。
宙を舞う叢雲はクルクルと綺麗に回転しながら落下していき、零治の背後の地面へと深々と突き刺さった。
「なっ!?」
(ここで決めるっ! 零治殿の利き腕は右。ならばやるべき事は一つ!)
星は鋭い視線で零治の右腕上部に狙いを定め、再度槍を大きく後ろに引く。そして……。
「零治殿。我が一撃……受けてもらいますっ! はぁぁぁっ!!」
(っ!? まずいっ!)
星が放った突きには一点の曇りも無く、穂先が陽光を煌めかせながら腕まで迫りくる。
この間に零治は思考を巡らせ、どう行動するべきか頭をフル回転させる。
その時、BDが念話で零治に通信を行ってきたのだ。
『おい相棒、よく聞け。今こそ俺様の力を使う時だ』
『何?』
『いいか? 今から俺様の説明通りに行動しろよ』
BDは零治の頭の中に自身の考えを聞かせる。その内容は正直、常識では考えられないようなものだ。
零治は話しを聞き終えるなり、訝しげな表情でBDに問いかける。
『おい。そんな事が本当に可能なのか?』
『おいおい。俺様は最強にして最凶の魔導書様だぜ。不可能を可能にするのが俺様の仕事だからな』
『まあいい。状況が状況だ。今はお前の言葉を信じてやる……』
聞かされた内容は疑わしい事この上ないが、BDには左腕を治してくれた恩がある。
零治はBDの言葉を信じる事にし、言われた通りに行動を開始した。が、それは見る者すべてが眼を疑うような行動。
零治は右腕を叢雲の鞘の付近まで近づけ、掌を開き、まるで居合を放つかのような構えを取ったのだ。
だが叢雲は今、零治の背後の地面に突き刺さっているし、右手には武器らしき物も見当たらない。
だが零治は構えを解こうともしない。それどころか全神経を集中しながら両眼を閉じて、いつでも星の槍を迎え撃つ準備を整える。
星は零治の行動に面食らったが、それでも攻撃の動作は止めない。そして穂先が零治の目前まで迫り来た次の瞬間……。
「……フンっ!」
「なっ!?」
零治は両眼をカッと見開き、右腕を大きく振り上げたのだ。まるで鞘に納めていた刀を抜刀するかの如く。
しかもそれだけではない。驚くべき事にその場には軽快な金属音が鳴り響き、星の槍が弾かれ、彼女はそのまま衝撃と共に大きく後ろへと押し返されたのだ。
理解できない。何が起きたのだとしか考えられない。今の零治は丸腰だった。なのに槍は届かなかった。
考えられるとすれば零治が叢雲以外の武器を隠し持っていたとしか思えない。
だがその疑問の答えは星の考えとは全く異なる物。今の零治は眼を疑う姿をしていたのだ。
「……っ!? れ、零治殿。それは一体……」
「…………」
今の零治の姿に星は恐怖心を抱いており、恐る恐るの口調で尋ねた。
対する零治は星の疑問には答えず、無言で自分の右掌を見つめ、クルクルと角度を変えたりしながら右手の中にある物を観察していた。
零治が観察している物、それは先程まではどこにも無かった一振りの剣。その刀身は血のように真っ赤で、腹の部分には奇妙な形の文字が縦一列に刻みこまれており、まるで黒狼の魔王剣のようであった。
これだけなら別に怯える要素はないが、問題は零治が剣を持っている右手にある。
いや、正確に言うと持っているのではない。その剣は零治の右掌から……生えているのである。
「ほぉ~。こんな事が出来るとは。流石は最凶の魔導書、血の魔導書だな。クックック……」
零治は星の声が聞こえていないのか、自分の掌から生えている剣を見つめながら感心したように呟き、口角を吊り上げて楽しげに笑った。見れば今の零治の異変は右手だけではない。両眼にも変化があり、白眼の部分は墨でも流し込んだかのように真っ黒になっており、瞳の蒼色の部分はまるで血のように深紅へと変色していたのだ。
『おっ? 何だぁ? 怒るかと思ってたんだが……もしかして気に入ったのか?』
「ああ。悪くない。それに、オレはこういうのは嫌いじゃないんでな。……おい。他にはどんな事が出来るんだ?」
(ん? 何だ。零治殿、一体誰と話をしているんだ?)
傍から見れば今の零治は独り言をブツブツ言っているおかしな人物に見えるだろう。
普段ならこういう事は人前ではやらないか、あるいは念話を使って会話を行うが、今の零治はそれよりもBDの力に興味を引かれているせいでその事に対して全く気にしている様子が無かった。
『まあ、まずは出し入れか。その剣を収めたいように意識を集中してみろよ』
「…………」
零治は掌に生えている剣を凝視しながら意識を集中させる。するとそれに剣がすぐに反応し、ギミックが作動したかのように瞬時に掌の中へと引っ込み、剣は姿を消して掌の傷口も瞬時に塞がった。
零治は続いてもう一度掌を凝視し、今度は剣を先程のように再度掌から出すように意識を集中させる。
するとどうだろうか。剣は掌の肉を突き破って鮮血を飛び散らせながら瞬時に飛び出し、またしても手から生えてきたのだ。
「こりゃ凄い。持ち運びには困らんが……出すたびに痛みがあるのはちと辛いな」
『そりゃお前の掌を貫いてるんだからな。痛みがあるのは当然さ』
「…………」
『不満ならその痛み、俺様が抑制してやってもいいぞ?』
「いや……不要だ」
『そうか。まあ、気が変わったらいつでも言いな』
「ああ。……ってか、この剣なにで出来てるんだ?」
『ああ? そんなの決まってるだろ。お前の血さ』
「血だと?」
『ああ。お前の血に俺様の魔力を流し込み術式を施し、剣の形状に仕上げた。今のお前は、全身に流れる血その物が武器。いや、お前のだけじゃない。ちょっとした手順を踏めば、他者の血を武器に利用する事も可能だ』
「ほぉ~……」
『まあ、それに関しては追々説明してやるよ。まずは……その剣、“血ノ剣”の扱いに慣れておかないとなぁ……』
「この剣、形状を変えたりは出来ないのか?」
『それはお前次第だ。お前が望む形を意識すれば、剣はそれに応えてくれるはずだぜ? なにせお前の身体の一部なんだからな』
「…………」
零治はBDの言葉に従い、血の剣にもう一度意識を傾ける。
すると刀身に変化が起こり、刃が等間隔で分裂していき、間には一本の赤いワイヤーが通っており、蛇腹状の剣へと姿を変えたのだ。
思惑通りの形に変わったのか、零治はニヤリと不敵な笑みを浮かべて右腕を大きく後方へと振り、蛇腹剣を叢雲の柄へと伸ばしてグルグルと巻き付け、右手をしっかりと握りしめて自分の方へと引っ張り、叢雲を地面から引き抜いた。
地面から引き抜かれた叢雲はまたもや宙をクルクル舞いながら落下していき、零治は左手を上空に掲げ、落ちてきた叢雲をキャッチして鞘へと納めた。
『ほぉ~。初めてにしては上出来じゃないか、相棒』
「な~に。これはまだ序の口。もっと色々と試させてもらうさ。……なあ、星?」
「っ!?」
ひとしきり血の剣の試運転を行い、ある程度の感覚を掴んだ零治はゆっくりと星に向き直る。
零治と視線を合わせるなり、星はその姿から放たれる異様な雰囲気を前にして恐怖に慄いてしまい、大きく後方へと飛び退った。
今の零治の瞳は見る者の全てを恐怖のどん底へと叩き落す、そんな眼をしているのだ。星はその事を本能的に感じ取った上での行動なのだろうが、零治はその様子を見るなり不思議そうに首を傾げた。悪意ある笑みを浮かべながら……。
「どうした? 星、何をそんなに怯えているんだ? クックック。今のオレの姿がそんなに恐ろしいのか……?」
「零治殿。貴方は一体どうされてしまったのですか……」
「何だその眼は? まるでオレが異常者だと言いたげだな。オレは至って正常だぞ。ククク……」
(いいや。今の零治殿は明らかにおかしいっ! それに……右手から生えているあの剣。あの方が奇妙な術を使えるのは知っていたが……一体彼は何をしたというのだっ!?)
今の零治の異様な姿を前にして星は思考が上手く働いてくれず、どう行動するべきか決断できずにいた。
対する零治は血の剣を手にし、ゆっくりとした足取りで刀身を煌めかせながら星に近づいていき、零治が一歩前に足を踏み出すたびに、星は一歩ずつ足を後退させていく。
零治と星の攻防戦を前にして、黄忠達も零治の異変を眼にし、唖然としていた。
「なんなのあの男。手から……剣が生えて……っ!」
(音無……お前、一体どうしちまったんだよ……っ!?)
(音無さん……あの人、妖術使いだったのっ!?)
「……どうなってんだ。影狼の右手から剣が生えてやがるぞ。あの野郎……あんな魔法が使えたのか?」
「いや。恐らくあれは影狼自身の魔法じゃないな。君には分からないだろうけど、今の影狼……内包している魔力が二種類ある」
「あぁ? つまりどういう事だよ?」
「一つは影狼本人の魔力。だけど今の奴にはもう一つ別の強力な魔力を内包する何かがあるんだよ。多分だけど……あの左腕には何か秘密が隠されているみたいだね」
「……マジックアイテムか何かか?」
「確かに強力な魔力を持つマジックアイテムを影狼が所持している可能性はあるけど、それでもアレは異常だ。あんな魔法が使えるマジックアイテムが存在しているのなら叡智の城のデータベースに残っているはずだし、今このタイミングで使う理由も分からない」
「どういう事だ?」
「銀狼。逆に訊くけどさ、もしも影狼がああいう魔法が使える手段を持っていたのなら、なぜ君との戦闘で使わなかったんだい? それどころか、元の世界でのあの時の戦いで使っていたはず。影狼はここぞって時に出し惜しみをする奴じゃないだろ?」
「……ああ。言われてみりゃ確かにそうだな」
「これはあくまで僕の推理だけど……影狼はあの定軍山で、強力な魔法が使える手段を手に入れたのかもしれないな」
「なんでそう思うんだ?」
「それしか考えられないだろ? あの戦闘獣人の例もあるしさ」
「…………」
「まっ、何にせよだ。もう趙雲に勝ち目は無い。あのままじゃあの女は殺されるだけだ……」
そう言うなり、金狼はゲイボルクを肩に担いで数歩前へと進み出た。いつでも動けるように。
その姿を見た銀狼は金狼に訝しげな視線を向ける。
「おい、金狼。まさかテメェ……影狼と闘うつもりか?」
「最悪の場合はそうなるかもね」
「テメェ……オレの獲物を横取りする気か……」
「そういう訳じゃないさ。ただ、僕も白狼を殺せないままこんな所で死にたくはないだけさ」
「…………」
「銀狼。間違っても君が今の影狼に挑もうなんてバカな考えは起こさないでよ? そんな状態の君が今の奴に敵う訳が無いからね。もしもやろうとしたら……どうなるかは分かっているね……?」
と、金狼はゲイボルクで肩をトントンと叩きながら銀狼に釘を刺した。
その眼は明らかに危険な内容を物語っており、何をされるかは銀狼でも容易に想像が出来た。
流石に殺しはしないだろうが、下手をしたら脚に一撃を喰らわせ動けなくされる可能性もあるだろう。
ただでさえ負傷している身なのに、これ以上余計な怪我を負うのは銀狼も嫌らしく、渋々その言葉に従った。
「チッ! 分かってるさ……」
「ならいいさ……」
珍しく理解の速い銀狼に金狼はお得意の愛想笑いを浮かべた。ただし、眼は笑っていないが。
その間も状況は進んでおり、零治は星との距離をじりじりと詰めて右手に生えている凶刃を煌めかせていた。
星はこれまで旅先などで様々な経験をしてきたが、これはその経験を生かせるような出来事ではない。
星はどう行動していいか決められず、ただ迫りくる零治を前にして後ろに下がっていく事しか出来なかった。
「どうした、星。さっきまでの勢いはどこへ行ったんだ? 逃げてばかりいてはオレを倒す事は出来んぞ……」
「くっ……!」
「……来ないのか? 来ないのならば…………こちらから行かせてもらうぞっ!!」
「っ!?」
零治は口火を切って地面を蹴り、星に向かって突撃しながら右腕を大きく後ろに引いていき、距離が目と鼻先まで縮まった所で零治は星に向かって高速の突きを放った。
「っ! くぅ……っ!」
星は咄嗟に身体を左に捻ってその一撃を躱すが零治の猛攻は止まらない。零治は口の端を吊り上げながら右腕を左側に曲げて振りかぶり、星の首筋に向かって大きく振り抜いてきた。
「くっ!」
星は身体を捻った姿勢のまま更に上体を後ろに反らしてその攻撃も辛うじて躱しはしたが、反応が一瞬遅かったためか、零治の剣の先端が前髪をかすめて数本の髪の毛を空中へと舞散らせた。
今の零治もさることながら、驚くべき星の身体能力。並の人間ならバランスを崩してそのまま転倒してもおかしくない無茶な姿勢だというのに、星は鍛え上げた全身の筋肉とバランス感覚を駆使してその体勢を維持していた。
(くぅっ! このままでは私は間違いなく殺されるだけだ。今の零治殿と闘うのは危険だが……やるしかないっ!!)
星は危険を承知の上で反撃に転じ、上体を反らしたまま両腕を大きく後ろに引いて龍牙をしっかりと握りしめ、そこから背筋をバネして勢いをつけ、今まで以上の高速の突きを零治に向かって放った。
「せえぇぇぇいっ!!」
「……フッ」
だがその攻撃も虚しく失敗に終わり、零治は余裕の笑みを浮かべながら開いている左手を使って向かってきた龍牙の穂先をガッシリと掴み取って見せた。
「なにっ!?」
「それがお前の限界か? ……ならばお前に勝機など無い。星、もう貴様との遊びにも飽きた」
零治は表情に影を落とし、まるで黒狼を彷彿とさせるような無情なセリフを言い放ち、左手に力を入れ始め、龍牙の穂先を力強く握りしめる。
握られた穂先はギリギリと負荷をかけられて金属が軋む音を立てながら悲鳴を上げ始め、次第に穂先にはヒビが入り始めた。そして……。
「フンっ!」
「なっ!?」
零治の左手の握力に耐えきれず、穂先は粉々に砕け散ったのだ。
星は目の前の光景を呆然と見ている事しか出来ず、思考も停止してしまった。
その時に零治は星に止めを刺すべく、胸部に狙いを定めながら大きく右手を後ろに引いていく。
「終わりだ、星。己の非力さを呪いながら死ね……」
「零治……殿……」
「お別れだ、星。いや……趙子龍っ!」
「星ちゃん! 逃げてっ!」
「星! 避けろぉっ!!」
「星姉様っ!」
黄忠、翠、蒲公英の悲痛な叫びが辺りに木霊し、零治は無情の言葉と共に突きの動作に入った。
その時、星は自分が体感している時間を非常にゆっくりに感じ取り、辺りの光景も、零治の動きもスローモーションで見えた。
(あぁ……これまでか。主、桃香様。申し訳ありません。どうやら私はそちらに帰れそうにないようです。最後までお力になれない私をどうかお許しください……)
星はゆっくりと眼を閉じ、己の死を覚悟した。
その時、星の耳に空を斬る音が聞こえた。星は思った。零治が高速の突きを放ったのだと。
だがいつまで経っても剣を突き立てられる感触が来ないのだ。星は不審に思い、両眼をゆっくりと開けた。その視線の先にあった光景は……。
「……っ!? れ、零治……殿……?」
「ぐっ! が……っ! かはぁっ……!」
星は驚愕した。今まさに、自分の胸に右手の中で禍々しく光り輝いている深紅の剣を突き立てようとしていたはずの零治が左手で喉を抑えながら呻き声をだし、血反吐を吐いていたのだ。
見れば零治の喉には何者かが放った一本の矢が深々と突き刺さっており、そこからも血がダラダラと流れ出ていた。
零治は喉から手を離し、震える左手を覆っているグローブを見つめると、その手は自分の血でベッタリと真っ赤に染めあがっており、血を吐き続けながら視線を上げ、星の後方に控える劉備軍の兵士達の中の一人を見ながら呻き声を漏らした。
「はっ……はぁ! ぐっ……がぁっ!」
「ん? ……っ!? 貴様っ!」
「ひっ!」
零治の視線の先が気になった星は後方に振り返り、その視線の先を追う。そして彼女は見たのだ。
後方で自分達の闘いを見ていた兵士達の中に一人、弓を持っている者が居る。そう。この男こそが零治に矢を放った人物なのだ。
「貴様が……貴様が彼に矢を……っ!」
「わ、私は……趙雲様を助けようと思って……っ!」
「黙れっ! 私は……私はこんなつもりで彼と一騎打ちをしていたのではない! それなのに……貴様という奴はぁ!!」
「ひぃっ!?」
「星ちゃん落ち着いて! 貴方の言いたい事は分かるわっ! でも……この者が居なかったら貴方は殺されていたのよっ!」
「紫苑! お主まで何を言い出すんだっ!? 言ったはずだぞ! 私は彼に討たれる事は本望だとなっ! このような結末も望んでなどいなかったんだ! こんな……こんな不意を突いた卑劣な勝利など、武人としての恥でしかないではないか!!」
「星ちゃん……」
黄忠は星の言いたい事は理解できる。彼女もまた、一人の武人なのだ。
星は零治との闘いを武人として純粋に楽しみ、そして自らの実力での勝利を望んでいたのだ。
だが見ての通り一人の兵士の無粋な行動により、結果的に星は不意を突いた卑劣な形での勝利を収めてしまった。これは武人にとってはただの恥でしかない。
この結末を前にして、翠と蒲公英も絶望に打ちひしがれてしまい、地面に両膝を突いて愕然としていた。
「お、音無……そんな……っ!」
「こんなの……こんなの酷すぎるよ……っ!」
零治との接点を持つ者達は絶望に打ちひしがれている中、矢を放った兵士は結果的に自分が零治を倒したのだという偉業の達成感からか、緊張感から解放されたように息を吐き、笑みを浮かべていた。
「は、ははは。私、こんな形とはいえ……あの音無を倒したのか……?」
「おい! お前凄いじゃないか! 趙雲様を助けただけじゃない! あの音無も倒したんだぜ!」
「ああっ! これで魏はおしまいだ! 俺達はこの戦に勝ったんだっ! この戦だけじゃない! この先の戦いも勝てるぞ!!」
周りの兵士達も歓声を上げながら矢を放った兵士を取り囲み、その事を褒め称えていた。
だがその喜びも束の間。この中に、星以外にもう一人、零治に矢を放った事に対して怒っている人物が居たのだ。
その者はズンズンと兵士の所まで歩み寄り、周りを取り囲んでいる兵士達を乱暴に押し退け、そしてその兵士に向かって怒声を上げながら顔面に鉄拳を叩き込んだのだ。
「テメェ! この野郎っ!!」
「ぐあっ!?」
殴られた兵士は勢いよく地面を滑り、止まった所で頬を抑えながら上体を起こし、自分を殴った人物に眼を向けた。殴りかかってきたのは銀狼だった。
「ぎ、銀狼様! 何をなさるのですかっ!?」
「黙れやコラァ! テメェ……自分が何をしたか分かってんだろうなぁ!!」
「はぁ!? 私が何をしたというのですかっ!?」
「何をだと……? だったら思い出させてやるよ!!」
兵士の様子にますます腹が立った銀狼は兵士の胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせ、そのまま宙に持ち上げて首を締め上げる。
「ぐぅっ! ぎ、銀狼様……っ! やめてください……っ!」
「テメェ……あの男、影狼はオレが殺すはずだったんだぞ! なのにテメェがオレの獲物を横取りしやがったんだ! おい! どう責任取るつもりだ! オラァ!!」
「ひっ! ひぃぃっ!」
凄まじい剣幕で詰め寄る銀狼を前にして、兵士は弁明するどころか悲鳴を上げる事しか出来なかった。
ここまで来たら銀狼が次にどう行動するかなど考えるまでも無い。銀狼は表情に影を落としながら村正を抜刀し、切っ先を兵士の喉元に突きつける。
「テメェ、死んで詫びろや……」
「ひぃぃ! お、お許しください銀狼様!!」
「銀狼! 何をしているのっ!? 今すぐに彼を離してあげなさい!」
「うるせぇぞ黄忠! オレに命令すんじゃねぇ! この野郎……オレの手でブッ殺さなきゃ気が収まんねぇんだよ!! ……おい、テメェ。覚悟はいいか、あぁ……?」
「ひぃっ!? お、お助けください!!」
「聞こえねぇな。死……がっ!?」
今まさに、兵の喉に村正の刃を突き立てようとした瞬間に、銀狼は後頭部に殴られたような衝撃を受けて地面に崩れ落ちた。
銀狼の背後には金狼が立っており、その手にはゲイボルクが握られていた。
そう。金狼は銀狼が兵に気を取られてる隙に音も無く背後に忍び寄り、後頭部をゲイボルクの石突で殴りつけて銀狼を気絶させたのだ。
「全く。銀狼、余計な騒ぎを起こさないでくれよ……」
「き、金狼様。た、助かりました」
「勘違いするな。僕は君を助けた訳じゃない。これ以上余計な仕事を増やされたくないから銀狼を止めただけだからね……」
「零治殿っ!!」
星に悲痛な叫びが聞こえ、全員の視線がそちらに集中した。
限界を迎えた零治は地面に仰向けに倒れ込み、星は龍牙を投げ出し、彼の下まで駆け寄って上体を抱き起こし、懸命に声をかけていた。
「零治殿! しっかりしてくださいっ!!」
「がっ……はぁ……っ! せ……い。これが……貴様らの……劉……備の……やり方……かっ!」
「違います! 私は……私はこんなつもりでは……っ! 私はただ純粋に貴方と闘い、実力で貴方に勝つつもりでいたんです……っ!」
星は涙を流しながら零治の言葉を否定した。その眼に嘘は無い。
星にそのつもりが無かったとしても、結果的に零治の不意を突いて闘いに勝利してしまったという事実は変わらない。
それを物語るように零治の首からは血が溢れ出て、口からは血反吐を吐き、自らの血で赤く染めがった左手で星の肩を零治は掴み、残された力を振り絞って語りかける。
「星。よく……聞け。この光景……当然亜弥の眼には……ちゃんと……見えている。そして……この事は……奈々瑠……達にも……すぐに……伝わる……だろうな……」
「…………」
「オレは……この場に……居る……連中……を……がはぁ! はぁ……例外無く……皆殺し……に……してやる……からな。覚悟……しとけよ……っ!」
「零治殿……」
「まさか影狼の最期がこんな結末とはね。何とも奴らしくない、呆気無いものだな……」
金狼は誰に言うのでもなく一人呟き、チラリと黄忠に視線を向ける。
いつの間にか彼女の表情は余裕の笑みへと変わっていた。もちろん理由は考えるまでも無い。
どんな結果にせよ、零治を倒せたのは事実だ。この笑みは、この戦の勝利への確信の笑みなのだろう。
その心中を見透かしたように金狼は黄忠の隣に足を進め、零治と星に視線を向けながら声をかけた。
「黄忠。そうやって笑っていられるのも今の内だからね……」
「金狼? それはどういう意味なの?」
「もうじきここにいる連中全員を含め、君は僕が本陣で指摘した劉備が目指す理想の矛盾という影に襲われる事になる……」
「なんですって? それはつまり、まだ戦いが続くというの?」
「ああ。そしてこの戦い、君らの敗北が確定した。じきにそれを身を以って思い知る事になるだろうね……」
「…………」
「だがそれは自業自得の結果だ。そしてそうなった時、僕は君らを助けない……」
「なっ!?」
「一番の原因は……影狼に矢を放ったアイツ一人の責任になるんだろうけれど、部下の責任は上官の責任でもある。でもアイツは僕の部下じゃないし、君らだって僕の上官って訳じゃない。ここで影狼を殺せば後で何が起こるか僕は分かっていた。だから手を出さずにいたんだよ……」
「…………」
「でも、結果的に君らは影狼に手を出し、致命傷を負わせた。奴が死ぬのも時間の問題だ。影狼が死んだその瞬間……シ水関以上の虐殺劇が始まるだろうね。せいぜい覚悟しておくがいいさ……」
金狼は黄忠に意味深な言葉を残してその場を離れ、近くに居る数人の兵士に声をかけ、銀狼を一足先に城まで運ぶように指示を出した。
黄忠はその姿を横眼で見送り、すぐに星達に視線を戻す。未だに星は零治を抱きかかえ、涙を流しながら声をかけていた。
その際に、先程金狼が言い残した意味深な言葉、『理想の矛盾という影』が脳裏をよぎった。
黄忠はそれが何なのか考えるが答えは見つからない。だがそれもすぐに分かる事である。この後に起こる戦いで。
のちにこれが後世に語り継がれる、『定軍山の大虐殺』が始まるきっかけになろうとは、黄忠達はまだ知る由も無かった。
恭佳「アンタ……自分が何をしたか分かってるのかい……?」
作者「またこれですか? 頼むよホント。話の演出に目くじら立てないでよ。ストレスでどうにかなりそうだよ……」
奈々瑠「貴方。これどう責任取るつもりですか。兄さんに致命傷を負わせたんですよ……」
臥々瑠「しかも首に矢だよ。この回では死んだ描写が無いけど……間違いなく死ぬよね、コレ……」
作者「…………」
亜弥「前回の意味深な沈黙の答えはこれだったんですね。で? どうするんですか? まさかここまで来て主人公交代とか?」
作者「それは無い。この作品の主人公は零治さんただ一人だよ」
樺憐「ではどうするおつもりで? 次の話の内容、オチの事も考えればある程度は予想できますが……そこで答えが?」
作者「ああ。ちゃんと用意してある」
恭佳「そうかい。もしも納得のいく答えじゃなかったら、覚悟してもらうからね……」
作者「フッ。ドンと来いっ!」
零治「……あれ? オレの出番は?」




