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第59話 取引と選択

狙撃のシーンを書いてる時、ある先生の声が脳内で再生されました。

ステンバーイ、ステンバーイとw

「ねえ。やっぱり様子を見に行った方がいいんじゃない。いくらなんでも遅すぎるよ」



黄忠達が率いる劉備軍の本陣内で待機している蒲公英が不安げに呟いた。

星が銀狼達をこの場に連れてきて、それからすぐに銀狼は樺憐を連れて定軍山の森の中へと兵も連れずに足を踏み入れていったのだ。

そしてしばらくの時が過ぎ、いつまで経っても戻ってくる様子が無いので蒲公英が様子を見に行くべきだと提案したのだ。



「確かに。あれからもう随分と時間が経っているけれど……」


「だよなぁ。流石に心配だな……」



と、黄忠と翠も蒲公英の言葉に同意する。

彼女達は銀狼と顔を合わせてまだ日が浅いため、銀狼の実力を完全に把握していないからこのような事を言っているのだろう。



「星ちゃん。悪いのだけれど、貴方の兵達に様子見をお願いしても構わないかしら?」


「むっ。承知した」


「……やめときなよ。君達、銀狼に言われた事を忘れたのかい?」



黄忠の指示に従い、星が自分が連れている兵で様子見の部隊を編成しようとしたその時だった。

本陣内の壁に背を預けながら両腕を組んで佇んでいた金狼が口を挟み、やめるように言ってきたのだ。

星は金狼がなぜこのような事を言ってきたのかすぐに理解できたが、翠達は納得がいかない様子で今にも掴み掛りそうだったが年長者である黄忠が手で制止し、落ち着いた口調で金狼に理由を尋ねる。



「金狼。なぜそんな事を言うの? 貴方は彼が心配じゃないの?」


「別に心配なんかしちゃいないし、アイツがこの定軍山で死のうがどうなろうが僕の知った事じゃない。むしろ心配なのは君らの方さ」


「それはどういう意味?」


「黄忠。君さぁ、銀狼が定軍山に向かう前に言った事をよく思い出してみなよ。アイツ、あの時君らに何て言った?」



金狼に言われ、黄忠達は宙を見上げながら考える仕草をし、銀狼が出撃前に言った言葉を思い出してみる。

そしてそれには大して時間が掛からなかった。なぜなら、味方に対して言うとは思えないような内容だったためしっかりと脳裏に刻みこまれていたのだ。そのおかげで彼女らの頭の中にまたもやその言葉が、ご丁寧にエコーまで付いて再生された。



『お前らに一つ言っておく。オレと影狼の闘いの邪魔なんかしやがったら……テメェらも一緒に殺してやるからな……』



その印象的な言葉がまたもや頭の中で再生され、黄忠達はハッとした表情で顔を戻し金狼に視線を向けた。

その様子に金狼もニヤリと意味深な笑みを浮かべ、軽く頷く。



「あぁ、よかった。ちゃんと思い出したようだね。まあそういう事さ。僕が君らを止めた理由は……」


「金狼。確かにアイツは出撃前にそんな事を言ってたけど、いくらなんでもそこまではしないだろ? あたしらは味方なんだぜ?」


「馬超。君はアイツの事を知らないからそんな事が言えるのさ。銀狼はやると言ったらやる男だよ。僕はアイツの事をよく知っているからね……」


「えっ? ……っ!? まさかそれって……っ!」



金狼の言葉に蒲公英は何か考える仕草を一瞬だけした後、ハッと顔を上げて声を張り上げる。

その様子に金狼はいつもの作り笑いを浮かべながら首を横に振り、蒲公英が考えていた不吉な内容を否定する。



「違う違う。馬岱、アイツは劉備軍内でそんな事はしてないよ。僕がバカをやらかさなように見張りもしていたしね」


「な、な~んだ。……だったら、どうして金狼には銀狼の言葉が本気だって言い切れるのさ?」


「その答えは実に単純な事。元居た世界でアイツは軍に入る前から過去に何度もそれをやっていたからさ……」


「「「「っ!?」」」」



金狼の口から出てきた言葉に星達は顔を青ざめさせる。

銀狼が出撃間際に言った言葉と金狼がいま言った言葉の内容から推測すると、銀狼は元の世界で味方を意味も無く殺していたという事になるのだ。



「き、金狼。それはつまり……彼、銀狼は天界で仲間を殺していたという事なの……?」


「その通りさ、黄忠。おかげでアイツの隊は兵の入れ替わりが激しくてね。配属されたその日に殺された奴も何人か居たなぁ」



恐る恐るの口調で訪ねてくる黄忠とは対照的に、金狼は昔を懐かしむように遠い眼をしながら穏やかな笑みを浮かべて落ち着いた口調で答える。

その様子に黄忠達は背筋に悪寒を感じ、金狼に対し恐怖した。

なぜここまで平然と語れるのか、なぜ平気な顔をしていられるのか理解に苦しむ。

その事に対し直情的な翠は掴み掛りこそしなかったが、金狼に向かって怒鳴り散らす。



「お前……どうしてそんな風に笑えるんだよっ!? 仲間が殺されたんだぞ! どうして仲間同士で殺し合わなきゃならないんだよ!!」


「どうしてって言われても……それはそいつが銀狼を怒らせるような事をしたからいけないんだろ?」


「なっ!?」


「それに銀狼は気に入らない事があるとすぐに人や物に当たり散らす悪癖持ちでさ。特に機嫌が悪い時は物を壊す要領で人を平気で殺す奴だしね。アイツの隊の兵の入れ替わりが激しかった主な原因はそれなのさ……」


「おかしいだろそんなの! なんでそんなくだらない理由で仲間を殺す必要があるんだ! 天界の軍はそれが当たり前だったのかよっ!!」


「そういう訳じゃないさ。ただ、僕らの部隊が特殊だっただけ。元の世界じゃ、銀狼はそもそも正規の軍人じゃないしね。どちらかというと傭兵の扱いに近かったかな」


「傭兵の扱いに近かった? 金狼。という事は、銀狼は傭兵でもないという事なのか?」


「へぇ~。趙雲。君は中々に鋭いね。その通り。アイツは元々は一般人なのさ。いや……一般人でもないかな……」


「ふむ。それにお主は先程、銀狼はそれを『軍に入る前から』何度もやっていたとも言っていたな。あの男は天界で何をしていたのだ?」



星が新たな疑問を金狼に投げかける。この様子では彼女達には、というより、劉備軍の人間には銀狼が元の世界で何をしていたのかを知らされていないのだろう。

まあ、内容を考えれば教えても良い事などありはしないだろうが、星達が銀狼の様子見に行かないために、そして銀狼がバカをやらかし、余計な仕事を増やされないためにという考えから金狼は真顔で率直に答えた。



「何かって? それは人殺しさ……」



金狼から告げられた言葉に星達はまたもや顔を青ざめさせた。

銀狼が元の世界でしていた事が人殺し。ただこれだけでは判断が難しい。言葉通りの事をしていたのか、それとも人殺しを生業とする職業をこなしていたのかと二通りに分かれるからだ。

星は恐る恐るの口調でその事を尋ねる。



「金狼……それは銀狼が……殺し屋をしていた、という事なのか……?」


「それだったらまだマシなんだろうけど、残念ながら違う。アイツは文字通り人殺しを繰り返していた殺人鬼、つまりは犯罪者なんだよ。この世界で言うと、盗賊や野盗が当てはまるかな」


「つまり、あの男は金品を奪うために人を殺していたのか?」


「いいや。金目当てじゃない。むしろそれより質が悪い。アイツは人を殺す事に快楽を感じる奴でね。それだけのために殺人を繰り返していたのさ。アイツに比べれば、この世界にはびこってる盗賊や野盗が可愛く思えるだろ? ハハハ」



金狼は他愛もない世間話でもするかのようにごく平然と恐ろしい内容の話を語り、挙句の果てに笑い声まで出した。

この金狼の姿に星達はまたもや恐怖を感じた。今の銀狼の過去も充分に恐ろしいが、金狼も恐ろしいし、疑問しか浮かばないのだ。

理解できない。なぜそのような殺人鬼が軍に入る事が出来て、部隊内の兵士をこれといった理由も無しに殺しても軍に居座り続け、なんの咎めも受けずに済んだのか。

そしてその事に対して金狼は何とも思っていないのだ。なぜそのような顔が出来るのか、なぜ笑えるのだと人間性を疑うような金狼の姿に星達は訝しげな視線を向ける。

そして金狼も、彼女達が何を考えているのか即座に読み取り、その事を語り始めた。



「その顔……どうして銀狼が何の咎めも受けずに軍に残る事が出来たのかと言いたいようだね」


「…………」


「いいとも。教えてあげるよ。……理由は単純。部隊の全権を握る黒狼が何の処分も下さなかったからさ」


「なぜだ。普通なら処刑されてもおかしくないはずだぞ……」


「普通の軍ならね。だけど言ったろ? 僕達が所属していた部隊、五色狼は特殊なんだよ。黒狼が必要としている人材は強者だけであって弱者は不要な存在だ。銀狼に殺された奴は弱者って事になるだろう? 本当に強者なら銀狼を倒す事は出来なくても生き残る事は出来たはずだ……」


「…………」


「でもそいつらはそれすら出来ずに銀狼に殺された。つまり弱者って事だ。そして銀狼が処罰を受けなかった理由はね……黒狼がその事を褒めていたからさ」


「なっ!? なぜだ! なぜそのような事を褒めるのだっ!?」


「それは簡単。理由が何であれ、銀狼は五色狼にとって足手まといになりかねない不要な弱者を処分してくれたからさ。仮に銀狼が殺さなくても、黒狼に殺されてた可能性は充分にあった訳だしね……」


「なぜだ。なぜ……お主達が所属していた部隊はそうまでして弱者を排除しようとするのだ! 弱い事の何がいけないというのだ! 例え弱き者でも鍛錬を重ねればいつかは……っ!」



いつかは強くなれる、星はそう言おうとした。

だが金狼はというと、自分が話した内容に対して激昂する星の反応を面白がるようにニヤニヤと意味深な笑みを浮かべていた。まるで星が、そういう反応をして来ると分かっていたかのように。

そして金狼は今の星の様子を嘲笑うかのように冷笑しながら口を開いて彼女の言葉を遮った。



「いつかは強くなれるって? ハッ! おめでたい女だね。君は僕達の世界がどれだけ過酷なのか知らないからそんな事が言えるんだよ、趙雲……」


「なにっ!?」


「僕から見れば、この世界の戦争なんてままごとと同じ遊び程度の殺し合いだ。戦ってきた連中も、どいつもこいつも権力を欲し、この大陸を好き勝手にしたい野心家ばかり。実にくだらない連中だ。だが……僕達の世界の戦争はもっと酷いよ? まあ、戦争を起こした理由はこっちの世界のクズどもと大して変わらないけどさ……」


「…………」


「いいか? 時間は有限なんだ。こっちの新兵が熟練に成長するまで敵が待ってくれると思うの? そんな訳ないし、戦場では何が起こるか分からない。この世に絶対なんて言葉は存在しない。部隊内で足を引っ張る奴が一人でも居たら、それは部隊全体が危機に陥りかねないほどの危険分子。そんな奴を必要とする奴がどこに居るんだい? 君らだって部下にそんな奴が居たら迷惑だろ?」


「……お主の言いたい事は理解できる。だが……だからと言って殺す必要は……っ!」


「未熟な奴が戦場に立てばどうせ敵に殺されるだけだ。仮にそうならなくても、自分で何かヘマをして自滅するか、最悪の場合は部隊の全滅にも繋がるだけだね。ならば不要な存在は切り捨てる必要がある。僕、何か間違った事言ってるかい?」


「それは違う! この世に不要なものなどありはしない! どれだけ弱き者でも努力をすれば必ず強くなれるっ! 皆から必要とされる存在になれるのだっ!!」


「ハハハハハ!」



金狼の言葉を否定するように星は力強く答えたというのに、金狼は天を仰ぎながら声高らかにそれを笑い飛ばした。今の星の姿を嘲笑うかの如く。



「何が可笑しいのだっ!」


「可笑しいに決まってるじゃないか。……趙雲。言わせてもらうけど、君がいま言った言葉、君らが過去にしてきた事と照らし合わせると完全に矛盾してるよ。これが笑えないはずないだろ? ひょっとして劉備の悪影響なのかな?」


「矛盾だと?」


「君らさぁ、今日この日まで何をしてきたのさ? 自国の強化という名目で他国に進軍、つまり戦争をしてきたよね……」


「そうだが……それがどうしたのだ? 今までの戦は進軍先の国の統治者が無能で悪政を働いていたし、民も苦しみ、嘆いていた。だから我らがその国を救うために向かったのだ。無意味な戦でないはずだぞ」


「ああ。その点は僕も否定はしないよ。だけどさ……その国を自分達の領土として取り入れた後、その国を治めていた前任者はどうした? 従う者は受け入れたけど、従わない奴は確か処断したよね? それってつまり、不要な存在を文字通り切り捨てたって事になるだろ?」


「なっ!?」


「僕が指摘した矛盾はそこさ。国の統治者がバカならそこに住む領民だって当然そいつの事を見放す。つまり必要とされないわけだ。どうだい? これでもこの世に不要なものなど存在しないと断言できるのかい……」


「そ、それは……」



金狼の鋭い指摘に星は何も言えなくなってしまい、ただ俯く事しか出来なかった。

横で話を聞いていた黄忠達も、最初は反論するつもりでいたのだが、金狼にここまで言われてはそれも無意味だ。何を言った所で詭弁にしかならないのだから。



「全く。北郷と劉備は良い意味でも悪い意味でも立派な君主様だね。幻想を見つめるあまり、良い所には眼を向けるが悪い所は見ようともしない。おまけに部下にまで悪影響が出る始末と来た。まさに暗君の典型だね……」


「……金狼。貴方が言いたい事は充分に理解できたわ。でも……ご主人様と桃香様を悪く言うのは筋違いではないの?」


「おやおや。黄忠、今度は年長者の君が相手かい? 言っとくけど口で僕に勝てると思わない事だね。力で負ける気も無いけどさ……」


「…………」


「まあ、確かにあの二人を悪く言うのは筋違いかもしれない。でも……これはあの二人の今後のためでもあるんだ。無論、君らも例外じゃないよ」


「それはどういう意味なの?」


「黄忠。君は劉備の理想、『全ての人が笑える』国が作れると本気で考えてるの?」


「ええ。わたくしはそう信じているわ。現に桃香様が治めている地の領民達は笑って過ごしているもの」


「それは劉備が治める領地だけに限った話じゃないな。他の連中の所はどうだか知らないが、少なくとも曹操や孫策の領地でも当てはまる事だと思うけど?」


「……そうね。確かにあの二人は素晴らしい統治者と言えるわ」


「だろ? ……で、話を戻すけど、劉備の理想を単純に考えると、劉備が大陸を統一し、全てを領地として治める事だろうね?」


「ええ」


「という事はだ、曹操と孫策の領地、魏と呉にも戦争を仕掛ける事になるね? それで戦争に仮に勝ったとして、その後『全て』の領民達は本当に笑えると思うかい? 僕は思わないな」


「なぜそう思うの……」


「おいおい。年長者のくせにそんな事も理解できないの? これが歴戦の勇将とは聞いて呆れるよ。やれやれ。どいつもこいつも北郷と劉備にとことん影響されているようだね……」


「金狼。貴方はまたそうやって……」


「はぁ……もういいよ。これ以上話をしても時間を無駄にするだけだし、あまりベラベラ喋って答えばかり教えても君らのためにならない。少しは自分の頭で考える事も身に着けないとね」



金狼はそこで話すのをやめ、悔しげな表情の星と黄忠の姿をニヤニヤと笑みを浮かべながら観察する。

後ろで事の成り行きを見守っていた翠と蒲公英は唖然としてしまう。

金狼が星と黄忠をあっという間に論破してしまったのもそうだが、金狼が一刀と劉備の事を真っ向から否定しているからだ。おまけに本人はこの事が二人のためだとも言っている。勿論その事に関して二人は零治に助けてもらった時に聞かされた話である程度は理解している。

この時になってようやく、翠と蒲公英は零治が言っていた事が理解できた。



「お姉様。たんぽぽ、音無さんがあの時に言ってた事、分かった気がするよ……」


「ああ。あたしもだ。確かにコイツは危険な奴だ。何かこう……底知れない何かを感じるぜ」


「お話し中失礼いたします。今、よろしいでしょうか?」


「どうしたの?」


「はっ。銀狼様が帰還されたとの報告が入っているのですが」


「ようやくお帰りか。アイツはいつも仕事が遅すぎなんだよ」


「通してあげて。早速報告を聞かせてもらわないといけないから」


「はっ」



銀狼の帰還を報告してきた兵は一礼してその場を足早に立ち去って行く。

それからすぐに銀狼を連れてきたのだろうか、彼の怒鳴り声が聞こえ始め、それはどんどんこちら側へと近づいてくる。



「なんだぁ? なんか騒がしくないか?」


「うん。そうだね」


「銀狼が騒がしいのはいつもの事さ。また何かしらの事が原因で機嫌が悪くなってるんだろうさ……」


「銀狼様、落ち着いてください! まずは傷の手当てをしないとまずいでしょう!」


「うるせぇ! こんなもん傷の内に入らねぇ! オレに触るな! ブッ殺すぞ!!」


「傷? アイツ、どこか怪我でもしたのか? まあ相手が影狼じゃ仕方ないか」



今の会話の内容だけでは銀狼がどの程度の傷を負ったのかは把握できないが、あれだけ騒ぐ元気があるのなら、少なくともそれほど重症ではない。黄忠達はそう考えていた。

だがその考えは見事に覆され、その場に右眼を抑えながら、眼と左肩から血をダラダラと流す銀狼がフラフラとした足取りで姿を見せたのだ。



「なっ!?」


「銀狼! お前どうしたんだよその右眼はっ!?」


「あ~あ。よりによって右眼をやられるとは。影狼の奴……やってくれるじゃないか」


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ!」



肩で激しく息をしながら銀狼はフラフラと身体を揺するように歩き、黄忠達の前まで足を進め、そこで地面の上に疲労困憊の様子で座り込んであぐらをかく。

その姿に黄忠達はすぐさま駆け寄り、しゃがみ込んで心配そうに顔を覗き込みながら何があったのかを尋ね始めた。



「銀狼! 一体なにがあったの! その眼はどうしたの!」


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ!」


「おい! 黙ってちゃ分からないだろ! 何があったのか説明しろよっ!」


「そうだよ! それにその眼の手当てもしなきゃ!」


「うるせぇぞ! 耳元でギャーギャー喚くんじゃねぇ! こんなの大した事じゃねぇから騒ぐな!!」


「眼を潰された状態が大した事が無い訳なかろう。銀狼、少しは落ち着かぬか。皆お主の事を気遣って言っているのだぞ」


「いちいちこまけぇ事で騒ぎやがって。こんなもん傷の内に入らねぇっつってんだろうが……」


「はいはい。君達はどいてなよ。話は僕が訊くからさ」



後ろで事の成り行きを見ていた金狼がパンパンと手を叩いて黄忠達を落ち着かせて間に割って入り、銀狼の正面にしゃがみ込んで顔を覗き込みながら黄忠達に代わって話を訊き出し始める。



「銀狼。眼を見せるんだ」


「……必要無ぇ」


「いいから見せるんだ……」


「触るな。殺すぞ……」


「…………」



金狼は銀狼の傷の状態を確認しようと顔に手を伸ばすが、銀狼は触るなと言わんばかりに左手で金狼の右手を払いのける。

しばらくその応酬が続いたが、金狼は我慢に限界を感じたのか、無言で無表情のまま右手を素早く銀狼の頭に伸ばして髪の毛を鷲掴み、無理やり顔を持ちあげた。



「ぐあっ!? テメェっ! 何しやが……っ!」


「黙るんだ、銀狼……」


「金狼! 何をしているのっ! いくら何でもやりすぎよ! 銀狼は怪我をしているのよ!」


「黄忠、君も黙るんだ。いいかい。こういう場合は、少しくらい荒っぽい事をしないとコイツの頭じゃ理解できないんだ。このままじゃいつまで経っても話が先に進まないだろ……」


「っ!?」



金狼の行動を黄忠は声を張り上げて咎めたが、金狼はゆっくりと後ろに振り返り、刺すような鋭い視線を向け冷たく言い放った。

その姿に黄忠は、いや、黄忠だけではない。星も翠も蒲公英も言葉を詰まらせて何も言えなくなってしまったのだ。

今の金狼の眼には明らかに殺気が宿っているのだ。そしてその眼は、邪魔をするなら殺すぞ、と語っていたのだ。



「分かったなら話の邪魔をしないでくれよ。……さて、銀狼」


「な、何だよ……」


「一度しか言わないからよーく聞くんだよ。僕はね……黒狼から指示を受けていてね。君の身に……いや、君だけじゃない。僕やあの戦闘獣人バイオロイドの女の身に何かあった場合はすぐに報告しろと言われているんだよ……」


「…………」


「そして君はこの通り負傷した身で帰還してきた。これは報告しない訳にはいかないし、黙っていても城に戻ればどの道黒狼には知られてしまうだろ。それどころか、報告を怠ったという理由で僕まで何かしらの処分を受けるかもしれない。君のために僕までとばっちりを喰らうのはご免なんだよ……」


「…………」


「理解できたのなら右眼を見せるんだ。それが出来ないのなら……この場で僕が君を殺しても良いんだよ? その場合、黒狼にはこう報告しておくから。『銀狼は定軍山で影狼に殺され、戦死した』、とね……」


「テメェ……オレに脅しをかけるとはいい度胸してるじゃねぇか」


「言っとくけど、今の君は全然怖くないよ。右眼が使い物にならない以上は村正のスキルは使用できないんだからね。さあどうする? 大人しく僕の言われた通りにするか、この場で死ぬか……好きな方を選ばせてあげるよ……」


「チッ! 分かったよ……」



今の金狼の姿から、彼がどこまで本気なのかを理解したらしく、銀狼はゆっくりと右手を右眼から離す。

ようやく銀狼が言う事に従ってくれたので、金狼は銀狼の髪から手を離し、右手で銀狼の顎を軽く持ち上げながらマジマジと彼の右眼を見つめる。



「瞼に傷口は無いな。なのに出血しているって事は、中をやられたのか。銀狼、眼を開ける事は出来るかい?」


「……っ! ぐっ! づぅぅぅ……っ!」



銀狼は金狼の指示に素直に従い、眼の奥に走る激痛に耐えながらゆっくりと右眼の瞼を上げようとするが、痛みを堪えるあまり銀狼の口からは唸り声にも似た呻き声か出てきて、右眼の瞼は小刻みにピクピクと痙攣を起こす。

少し時間はかかりはしたが、何とか眼を開く事が出来て瞼の下に隠れていた右眼が露わになり、どういう状態なのか後ろで見ていた黄忠達も理解でき、その凄まじい傷に思わず口元を手で押さえてしまう。



「……これは酷いわね。眼が綺麗に斬り裂かれているわ」


「こりゃどうしようもない。完全に失明だな……」


「うわ~……いったそ~。って、あっ、ごめん。痛そうじゃなくて痛いんだよね」


(凄まじい傷だな。零治殿が相手では銀狼でも分が悪かったのか……。それにしても、眼だけをこうも見事に斬り裂くとは。やはりあの方は敵に回すと恐ろしいな……)


「……妙だな」



ひとしきり銀狼の右眼の傷口を観察していた金狼は右手を自分の顎に当てながら首を傾げて呟く。

金狼は零治の事をよく知っている。どういう戦い方をするのかも当然理解している。

だからこそ違和感を感じたのだ。銀狼の右眼の傷に。



「どうかしたの、金狼。何か気になる事でもあるのかしら?」


「まあね。……銀狼。一つ訊きたい事があるんだけど」


「今度は何だよ……」


「この眼の傷だけど……誰にやられたんだい。これ、影狼にやられたモノじゃないだろ」


「……なあ、金狼。その影狼って呼び名……もしかして音無の事なのか?」


「そうだよ。他に誰がいる?」


「そうか。ならいいんだ。……で、どうして金狼はその傷が音無にやられたものじゃないって言えるんだよ?」


「そんなの決まってるだろ。この傷、どう見ても変じゃないか」


「……どこが変なのだ。私には見事に剣で斬られた傷口にしか見えぬが」



と、星は至極当たり前のように言う。そしてその言葉に黄忠達も相槌の言葉を言いながら軽く頷いた。

確かに彼女達から見れば銀狼の傷は剣で斬り付けられたものに見えるのだろうが、金狼は違う。

いくら零治の剣術でも、出来る事と出来ない事があるのを知っているのだから。



「あのさぁ、君らは観察眼も少しは養う必要があるんじゃないの? これのどこが剣で斬られた傷に見えるんだい……」


「何だよ。金狼は違うって言うのか?」


「ああ。全然違うね。確かに影狼の剣術は見事な腕前だよ。だけどいくら奴の腕でも、こんな風に眼球だけを綺麗に斬り裂くなんて不可能だ」


「なぜだ。私は彼ならそれぐらい出来ると思っているが」


「無理だね。眼ってのは頭蓋骨のくぼみの中にある物だ。こんな風に縦に斬ろうとしたら、必ず刃先が眼の周りの皮膚に触れる。つまり眼の周りの皮膚、当然瞼だって斬り裂いてしまう。でも……コイツの右眼の周りにはそれらしき傷が一切無いだろ?」


「……確かに。言われてみればそうね」


「影狼は投擲用の短剣も所持しているけど、それなら眼はこんな風に残ってはいないし、傷口だってもっと大きいはずだ。だけどこの傷は眼球、しかも瞳の部分だけを綺麗に縦に斬り裂いている。だからこれは影狼の手による物じゃないんだよ」


「…………」


「銀狼。もう一度訊くよ。この眼の傷は誰にやられたものなんだ?」


「…………」



銀狼は右手で右眼を抑えながらチラリと、忌々しげに腰に下げている村正に視線をやる。

金狼も銀狼の視線の先を追い、村正を見て、そして理解した。何が原因でこうなってしまったのかを。



「銀狼。君、朱の眼ロート・アウゲンを使いすぎたんだな……」


「……ああ。その通りだ」


「全く。だから出撃前にあれほど冷静に行動しろと忠告したのに。ホント君はバカな奴だね」


「ケッ! 何とでも言えよ。確かに痛手は負ったが、こっちも影狼に一撃くれてやったからな……」


「へぇ~。何をしたんだよ?」


「クックック。あの野郎の左腕をブッた斬ってやったのさ。あの時の奴の苦痛に歪んだ顔、お前らにも見せてやりたかったぜ……」



その言葉を聞き、黄忠は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに不敵な笑みへと変わる。

今の話が本当ならば、今後の戦いが有利に進められるかもしれないからだ。

だがそれとは対照的に、星、翠、蒲公英の三人は戦慄した。

戦争とは言え、このような事になろうとは。自分達が直接手を下した訳ではないが、零治がそれほどの重傷を負う事など彼女達は望んでいなかったのだから。



「銀狼。今の話しだけど……本当なのかい?」


「ああ。嘘じゃねぇよ。今頃奴もオレと同じように、傷の痛みで苦しんでいるだろうよ。ククク……」


「とにかくこの事は黒狼に報告させてもらうよ。せいぜい殺されないように祈っておくんだね……」



金狼は銀狼に冷たい言葉を言い放ち、その場から立ち上がって銀狼から離れていき、右手を右耳付近に当てながら意識を集中して黒狼に念話による通信を行い、連絡を開始する。



『あ、あー。黒狼。僕だけど聞こえるかい?』


『……聞こえている。どうした。何か問題でも発生したのか』


『おお~。ここまで距離が離れていても通じるとは……黒狼の魔力のカバーのおかげかな?』


『まさかとは思うが貴様……わざわざそんな事を言うために通信をしてきたのではないだろうな』


『そんな訳ないだろ。ちゃんと報告する事はあるよ。それも……かなり不味い内容のね』


『何だ……』


『銀狼の奴がヘマをやらかしてね。朱の眼の使い過ぎで右眼を失っちゃったんだよ』


『何? それは確かなのか』


『ああ。間違いないよ』


『眼はどんな状態なのだ?』


『瞳の部分に縦に小さな斬り傷があるよ。傷口もかなり深いから、どうしようもないね』


『他には何かあるか……』


『あぁ、あるよ。本当かどうかは定かじゃないけど、銀狼の奴が影狼の左腕を斬り落としたって言ってるんだよね。正直僕は信じてないけど。あの影狼が銀狼相手にそんなドジを踏むなんて思えないから』


『…………』


『まあ影狼の事はとりあえず置いといてだ、銀狼だけど……どうする。今のままじゃアイツは只の足手まといでしかないと僕は思うよ』



金狼が何を言いたいのかは黒狼もすぐに理解できた。

銀狼の持つ村正は朱の眼が発動して初めてその真価を発揮するのだ。本来なら両眼に発動する術だが、銀狼はこれが右眼にしか発動しない。そして今の彼はその要である右眼を失ってしまっている。

今の銀狼に戦力的価値はあまり無い。だから金狼はこの場で『処分』するかどうかを判断したいのだろう。



『どうする? この場で処分しちゃうかい?』


『いや、待て。金狼、一つ確認したい事がある』


『何?』


『貴様は今どこに居るのだ?』


『本陣だけど?』


『そうか。では次の質問だ。そこに……兵の死体は無いか』


『兵の死体? ……あぁ、そういえば、影狼の仕掛けた罠に引っかかって、瀕死の重傷を負いながらも帰還した奴が何人か居てさ。その傷が原因でポックリ逝った奴の死体なら複数あるけど。それがどうかしたのかい?』


『金狼。その兵の死体、誰からでも構わん。眼を一つ抉り取って持ち帰って来い』


『はっ? 眼を抉れだって? ……黒狼。まさかとは思うけど』


『まあ、貴様がだいたい考えている通りだ……』


『医者でもないのにそんな事できるの? それも眼球その物だよ? 角膜移植でさえ危険な上、拒絶反応の可能性もあるのに……』


『そこは私に任せておけ。それとだ、確か貴様は凍結系の魔法が使えたな?』


『一応使えるけど、水がある事が条件なのと、広範囲系などの高度で大規模なのは無理だよ。せいぜい氷を作るのが限度だね』


『それで問題ない。回収した眼球を小箱か何かに入れて、その箱を凍結させておけ。これで鮮度は保てるはずだ……』


『やれやれ。分かった。やるよ……』



金狼は内心で黒狼に現状の報告をした事を後悔し始めた。

まさか死体とは言え、兵の眼を抉って回収して来いと命じられるとは。

これなら報告せずに独断で銀狼を殺していた方がまだマシだったと思えるくらいである。

だがこうなっては従わない訳にはいかないのだ。金狼は話を切り上げて、通信を終えようとしたが、黒狼はまだ確認したい事があるらしく、金狼にある事を尋ねた。



『まて金狼。まだ確認していない事がある……』


『何だい? まだ何かあるの』


『樺憐はどうした。奴は戻っていないのか……』


『あぁ、そういえば忘れていたよ。あの戦闘獣人はまだ戻ってないね。どこで何をしているのかは僕も知らないよ。銀狼と一緒に出撃したのは確かだけど』


『そうか。分かった。また何かあったら連絡しろ……』


『ああ』


『さっき言った眼の事も忘れるなよ』


『分かってるよ……』


『ならいい。切るぞ』


『ああ。それじゃあね』



黒狼との通信を終え、金狼はクルリと銀狼に向き直りそのまま歩み寄る。

未だに銀狼は右眼を右手で押さえつけながら俯き、眼の奥に走る鋭い痛みに耐えながら唸り声を漏らし、歯ぎしりをしていた。



「喜びなよ銀狼。黒狼に報告したら特に何の処分も下さなかった。それどころか、君の右眼の解決策まであるってさ」


「あぁ……? マジで言ってんのか?」


「マジだよ」


「どういう風の吹き回しだ。あの野郎……」


「さあね。僕にもあの男の考えてる事は分からないさ」


「…………」


「まっ、とりあえずは死なずに済んだって事だ。ほら、立ちなよ銀狼。とりあえずその右眼、手当ぐらいはしとかないとね。放っておいたら化膿するかもしれないよ?」


「分かったよ……」



銀狼は右眼を押さえつけたままフラフラと立ち上がり、金狼に顎でしゃくられて歩くように促され、おぼつかない足取りで衛生兵が居る所まで足を進め始める。



「銀狼は僕が衛生兵の所まで連れて行くよ。ここからどう動くのかは君らに任せるからね」



と、金狼は黄忠達に言って背を向けてヒラヒラと右手を振りながら歩きだし、銀狼の後へと続いた。

残った黄忠は銀狼から聞かされた話からどう動くべきか右手を顎に背ながら思考を巡らせて、兵達と話し合いをするためにその場を後にしたが、星、翠、蒲公英の三人はそれどころではなかった。

零治の負傷に直接関係している訳ではないが、この作戦に参加している以上は無関係とは言えない。

その事から彼女達はこの先零治にどう顔を合わせればいいのか、その事で頭が一杯だったのだ。



「零治殿。まさか……あの方がそのような事に……」


「お姉様。たんぽぽ……あの人に何て言えば……っ!」


「そんな訳ない。あいつは強い。銀狼の話はでたらめに決まってるさ……」


「ん? 翠、蒲公英。もしや彼と知り合いなのか?」


「あっ! いや、えぇっと……」


「な、何でもないよっ! 全然なんでもないからっ!」



話の内容が内容なだけに、翠と蒲公英は近くに星が居る事も忘れて零治の身を案じるような事を言ってしまったので、星にその事を指摘されて二人はうろたえてしまう。

助けられたあの日、名前は出すなと言われていたのでどう誤魔化したものかと考えるが、それよりも態度が不振になってしまい誤魔化しなど出来るはずがない。



「訳ありか?」


「……まあな」


「お姉様っ!? 音無さんに黙ってろって言われ……あっ!」



翠は零治との関わりを認め、蒲公英もつい口を滑らせてしまった。

もう誤魔化す事は出来ないが、不幸中の幸いは相手が星だったという事だ。彼女は劉備に仕える前から零治と知り合いなので、翠と蒲公英に安心させるように穏やかな笑みを浮かべながらその事を伝える。



「心配するな。私もあの方とは知り合いだ。お主達との関係も誰にも告げ口をする気は無いぞ」


「そ、そうだったのか。なら、話しても大丈夫だな」


「お姉様。本当に言っちゃうの……」


「ここまで喋ったら誤魔化しなんか出来ないだろ。幸い、紫苑はこの場には居ないしな」


「……お姉様がそう言うのなら」


「話す前にもう一度確認するが、星……誰にも言わないと約束できるな?」


「うむ。誰にも言わぬと誓おう」


「なら話すけど……あいつ、音無はあたしらにとって恩人なんだよ。正確に言うと、母様にとっての恩人になるんだが」


「翠蓮殿の?」


「ああ。母様は益州に来る前、不治の病に侵されていたんだ。そんな時に曹操に攻め込まれたんだが……その時に音無が凄腕の医者をわざわざ連れて来てくれて、母様の病を治してくれたんだ。それに、あたしらが曹操の追撃の手から逃れるための手引きまでしてくれた」


「あの方がそんな事を……」


「ああ。今でも音無には感謝している。あいつのおかげで母様の元気な姿をもう一度見る事が出来たからな」


「うん。たんぽぽも感謝しているよ。なのに……銀狼のせいであの人は……っ!」



蒲公英はそこで俯いて両手をギュッと握りしめて身体を震わせた。

直接関わった訳ではないが、蒲公英は哀しいのだ。真実かどうかは定かではないが、零治は片腕を失う重傷を負ってしまった。

その事で蒲公英は翠蓮を助けてくれた恩を仇で返してしまったような気がしてならないのだ。

その気持ちをくみ取るように、翠は蒲公英の肩にポンと優しく手を乗せた。



「お姉様?」


「たんぽぽ、お前の気持ちはあたしも分かる。でも大丈夫さ。あいつは強い。それに……仮に今の話が本当だとしたら、音無は定軍山から逃げ出している可能性もある。この意味、分かるな?」


「……あっ!」


「そういう事だ」


「翠、蒲公英。お主らは……」


「ああ。あたしらは音無とは戦いたくはないんだ。敵同士だからとか戦争だから仕方ないとかは関係ない。あたしらにとってあいつは恩人以外の何者でもないんだ。恩を仇で返すような真似はしたくない……」


「たんぽぽもお姉様と同じ気持ちだよ。出来れば……今度はたんぽぽ達が音無さんが逃げれる手助けをしてあげたいんだけど」


「無茶言うなよ、たんぽぽ。この状況でどうやってそんな事をするんだよ? それにさっきも言ったように、逃げてる可能性が高い。今はあいつの事を信じようぜ」


「うん……」


「……翠。一つ疑問があるのだが、訊いても構わぬか?」


「何だよ?」


「零治殿が翠蓮殿を助けた事だが……それは曹操の指示ではないな。私なりに考えてみたが、攻め込んでおいてわざわざ助ける理由など無いからな」


「ああ。その事は全て音無の独断さ」


「やはりな。しかしなぜ彼はそのような事をしたのだ? 当時のお主らと零治殿は何の繋がりも無かったのだろう? 助ける理由など無いと思うのだが」


「それは……強いて言うなら、桃香様のためって所かな」


「桃香様のため?」


「ああ」



星はそこで右手を顎に添えて地面と睨めっこをしながら思考を巡らせた。

翠蓮達が劉備の下に流れ着いてから、彼女達に協力をするべく仲間に加わりはしたが、劉備と一刀に対する翠蓮の接し方はとても厳しい物だった。

劉備の理想を決して否定はしないがその反面、掲げる理想の実現に伴う現実にも眼を向けるように厳しい口調で言い聞かせるなど、まるで教師のような振る舞いだった。そのため、よく関羽ともたびたび衝突を繰り返したりしていた。

星もその光景を何度か見た事があり、そのたびに翠蓮の後ろに零治の姿がちらついていたのだ。

この時になって星は零治が翠蓮を助けた理由が理解できた。



「なるほど。そういう事か。ふふっ。あの方も粋な計らいをなさるな」


「星姉様。ひょっとして分かったの?」


「ああ。道理で翠蓮殿と愛紗が衝突している時に零治殿の姿がちらついていた訳だ」



星は含み笑いを漏らしながら天を仰ぎ、反董卓連合時に零治と劉備が初めて顔を合わせた時の事を思い出した。

あの出来事から随分な時間が経過したが、星にはつい昨日の事のように思えた。

星は零治と別れてから公孫賛の下で客将となり、そこで劉備と出会って彼女の掲げる理想にも共感して力を貸すべく仕える事にした。

星は劉備の理想に共感こそするが、その一方で掲げる理想の実現への道がいかに険しいかも重々承知している。そして、その理想に潜む矛盾という影にも気付いていた。

家臣であるのなら、本来ならばその事について劉備にしっかりと伝えるべきなのだろう。

だが星にはそれが出来なかった。理想を目指そうとする劉備の真っ直ぐな眼、そして実現しようとするひた向きな姿勢に心を打たれ、言う事が出来なかったのだ。だから自分でいつか気付いてくれるはず、そういう希望的観測を星は胸に抱いていたが、その結果がこれである。



(あぁ……全く。金狼の言う通りだ。私は良い意味でも悪い意味でも主と桃香様に影響されてしまっているな。いや、それは私だけに限った話ではないか……)



星だけに限った話ではない。劉備の下に集った者達全員が彼女の人柄に惹かれ、掲げる理想に共感し、付いて来ているのだ。だが、唯一の例外が翠蓮だ。

彼女も劉備の理想を否定はしないし共感もしてはいる。だが、星達と違う所は理想に潜む影をしっかりと見つめ、その事を劉備と一刀に厳しく伝えている事だ。もちろん零治の差し金のおかげもあるが。

そして星は零治が取った行動についてこう考えた。口では否定こそするが、零治も劉備に期待しているのではないかと。何より、こちらには一刀という存在が居る。

一刀も零治達と同じく別の時代からこの世界に転移してきた来訪者、天の御遣いの一人に数えられている。

違う所があるとすれば、それは零治達とは違い戦う力が無い事。だが力とは何も腕力だけに限った話ではない。知恵も立派な力の一つだ。一刀にこの世界で生き残るための知識を養うために、そして劉備に掲げる理想の影に気づき、現実を見つめながら理想を目指してほしい。そういう想いから翠蓮という教師を差し向けて来たのではないかと。



(零治殿。口の悪さは相変わらずでしたが、お優しいのですな。そういう所は、主と桃香様によく似ていらっしゃる。あぁ……もしもあの時、貴方が私達と一緒に旅をしていたらどうなっていたのでしょうな)



戦時下でなかったら、零治とはより良い関係を築く事が出来たかもしれない。あるいは、初めて会ったあの日に零治が一緒に来ていたら別の未来の可能性があったかもしれないと、星は複雑な思いを胸の内に抱いた。

だがそれも束の間、兵達との話を終えた黄忠が戻ってきて声をかけてきたので現実へと引き戻される。

話の内容はもちろん今後の行動方針についてだった。



「みんな、待たせたわね。今後の作戦について説明をするから聞いてちょうだい」



黄忠の表情はとても厳しい物だ。この様子では撤退の可能性はまず無いだろう。

星、翠、蒲公英の三人は正面から黄忠を見据え、固唾を飲んで彼女が口を開くのを待つ。

そして黄忠の口から告げられた内容は、やはり撤退ではなく攻勢に出る構えの内容だった。



「銀狼の言っていた事だけれど……真偽の方は定かではないわ。でもこの機会を逃す手はないわ。本当に音無が負傷しているのならば、こちらが有利に動けるはず」


「紫苑。ではやはり……」


「ええ。この話を聞いて、兵達も奮起しているわ。今まで以上の規模の捜索部隊を編成して、一気に音無達を森の中からいぶり出すわ。そこからは翠ちゃん達の騎馬隊の出番よ」


「あ、ああ。分かった……」



翠は何とか気持ちを表に出さぬように表情を引き締めて軽く頷いた。もうやるしかないのだ。

今の翠と蒲公英にできる事は、零治が定軍山から逃げ出している事、それを信じる以外に無いのだ。

そしてついに作戦が決行されようとしたその時だった。一人の兵士が慌てた様子で本陣内に駆け込んできたのだ。



「こ、黄忠様っ! 黄忠様はいらっしゃいますかっ!」


「ここよ。どうかしたの?」


「黄忠様! 緊急事態です! お、音無が……音無が定軍山から現れましたっ!!」


「なんですってっ!?」



兵の報告を耳にして一同には緊張が走る。そしてその報告を聞いた翠と蒲公英の心境は最悪である。

二人は零治が定軍山か逃げ出しているという希望を抱いていたのに、その希望が打ち砕かれただけではなく、定軍山から姿を現したのだ。投降のために姿を見せた可能性も否定できないが、零治の性格上その可能性はまず無い。こうなってしまっては戦いを避ける事は不可能だろう。



「念のため確認させてもらうけど……確かに音無なの?」


「はい! 間違いありません!」


「そう。向こうの数は?」


「音無一人です」


「一人……どういうつもりかしら? この数を相手に戦うのは無謀すぎるし、ならば降伏をするつもりなのかしら?」


「紫苑。彼を侮らぬ方がいいぞ。あの方は反董卓連合時にシ水関をたった五人で攻め落とした御遣いの一人なのだ。もしかしたら本気で戦う気なのかもしれんぞ……」


「ええ。分かっているわ。……貴方は動ける兵を全て纏め、音無の前で待機させておきなさい。わたくし達も準備ができ次第そちらに向かうわ」


「はっ!」


「くれぐれも……手は出さないようにね。相手の意図が何なのか分からない以上は、迂闊には動けないから……」


「心得ております」


「よろしい。ならばすぐに準備に取り掛かってちょうだい」


「はっ!」



黄忠の指示に従い、兵は一礼してその場を走り去り、動ける兵を総動員して零治の前に待機させるために行動を開始した。

もはや戦いを避ける事は出来ない。こうなってしまった以上はやるしかない。今の星達にできる事は、最悪の結末にならぬ事を神に祈るぐらいしかないだろう。



「わたくしは先に行ってるわ。星ちゃん達も準備ができ次第、すぐに来てね」


「う、うむ。分かっている……」



星は胸の内を見透かされぬように気丈に振る舞い、黄忠の言葉に対して何とか返事をする事は出来た。

黄忠は早々に準備を整え、一足先に零治が居る場所へと向かい、星、翠、蒲公英の三人だけがその場に取り残されるが、どうするべきか。自分達はここからどう行動するべきなのか決断を下せずにいた。

すぐに決断など下せるはずがない。この三人にとって零治はそれだけ特別な存在なのだ。



「お姉様。たんぽぽ……どうすれば……っ!」


「言うな。あたしだって同じ気持ちだ。だけど……こうなったらやるしかないだろ……っ!」


「翠、蒲公英。結論を出すのはまだ早いぞ。まだ零治殿が何の目的で姿を見せたのか分かっていないのだからな」


「目的って……そんなの一つしかないだろ! 星はあいつが降伏するために姿を見せたとでも思ってるのかよ!?」


「翠。落ち着け。可能性が無いとは言い切れぬが、あの方が降伏する事はまず無いだろうな。何しろ……シ水関であれだけの事をやってのけた人物の一人なのだからな」


「ああ。あたしも連合には参加していたからその事は知っているさ。なら考えられる理由は一つしかないだろ」


「だから結論を急ぐなと言っている。本当に零治殿が戦うつもりなら、既に戦闘になっているはずだ。だが先程の兵は『零治殿が姿を見せた』としか言っていない。という事は、零治殿はまだ動いていないという事だ」


「あっ……言われてみれば、確かにそうだな」


「星姉様。もしかして音無さんの考えが分かるの?」


「あくまで私の推測だが……もしかしたらあの方はこちらと話し合いがしたいのかもしれん。流石に話の内容までは分からぬがな」


「話し合い……か。でも一体なんのためにだ?」


「それは行って確かめるしかない。それに……上手く行けばあの方との戦いを回避できるかもしれん。ただし、ある意味で最悪の結末になる可能性もあるがな……」


「星。何か良い考えでもあるのか?」


「良い考えかは分からぬが、これが一番最善の方法だと私は考えている。心配するな。私に任せておけ」


「うん。星姉様。期待してるよ」



星には何か良い考えでもあるようで、その表情にはどことなくいつもの余裕があった。

その姿に翠と蒲公英の二人も期待に胸を膨らませ、身支度を整えて零治が待っているであろうその場所へと足を運んで行った。


………


……



あれから零治は一人で森の中から姿を現し、悠然とした足取りで劉備軍の本陣前まで足を運び、その姿見張りの兵にしっかりと確認された。

そしてその報告を受け、黄忠の指示の下、陣に詰めていた兵士達が総動員され、本陣を護るように展開し、果てしない荒野は劉備軍の兵で埋め尽くされる。

正確な数字は分からないが、パッと見ても万を超えるのは間違いないだろう。

零治は目の前に展開する劉備軍の兵士達をただ無言で見つめていたが、しばらくして人垣の中から指揮官と思われる人物が姿を現した。黄忠だ。そこから遅れるように星、翠、蒲公英の三人も姿を見せた。



「……見慣れない奴が一人いるな。という事は、奴が黄忠か」


「…………」



黄忠は無言で零治の姿を観察する。姿を直接見るのはこれが初めてだが、過去に聞いた話と特徴が一致するので、同一人物で間違いないだろうと彼女は結論づけた。

が、一つ疑問があった。もちろんそれは零治の左腕である。銀狼は零治の左腕を斬り落としてやったと言っていたのに、左腕は健在なのだ。単純に考えると、この場合は銀狼が嘘を言っていたという事になるが、黄忠は銀狼の様子を見た限りでは嘘を言っているようには見えなかったと考えている。

だからこそ今の黄忠の頭の中はその事に対する疑問で一杯なのだ。



(どういう事なの? 銀狼は左腕を斬り落としたと言っていたのに……彼の左腕はちゃんとあるわ。でも嘘を言ってるようには見えなかったし、どうなっているの……)



零治の姿は星、翠、蒲公英の三人も確認できた。そして左腕がちゃんとある事も。

複雑な心境ではあるが、零治の無事な姿が確認できて三人は嬉しかった。状況が状況なため、声には出せなかったが、三人はその様子に安堵した。



(零治殿。無事だったのですね)


(ほら見ろ。音無の腕、ちゃんとあるじゃないか。やっぱり銀狼の話はでたらめだったって事だな)


(音無さん。無事で本当に良かったぁ)



零治の無事な姿を確認できて安心は出来たものの、まだ全てが終わった訳ではない。

一体なんの目的で定軍山から姿を見せたのか、それを確認する必要があるのだ。

だがどうやって確認するべきなのか。相手が相手なだけに迂闊には動けない。黄忠がその事で決めあぐねいている最中に零治が一歩前へと進み出て声をかけてきたのだ。



「お前、この隊の指揮官の……黄忠だな?」


「あら。わたくしを知っているの?」


「ああ。この定軍山の件が罠だって事もな。オレのもてなしは気に入ってくれたか?」


「……そういう事だったのね。道理でこちらの動きが見透かされていたように攻撃されていた訳ね……」


「…………」


「それで? 一体なんの目的があってわざわざここに現れたのかしら?」


「な~に。お前らと取引がしたくてな」


「取引? それは降伏するという事なのかしら?」


「そう思っているのならお前は随分とおめでたい女だな。残念ながら違うぞ……」


「…………」



零治の挑発的な言葉に黄忠は動じず、無言で見つめながら零治が先の言葉を話すのを待つ。

星、翠、蒲公英の三人もその姿を固唾を飲んで見守る中、おもむろに零治は口を開いた。



「お前らにしたい取引の内容だがな……ここから大人しく立ち去るように言いに来たのさ。これ以上無駄な死者は出したくはないだろ?」


「それはわたくし達に定軍山から引き揚げろと言うつもりなの? 貴方を前にして?」


「そうだが。他にどう聞こえると言うのだ?」


「……もしも、拒否したら?」


「その場合……貴様ら全員ここで死んでもらう事になるな」


「あら。随分と強気ね。この数を前にしても貴方は勝てる自信があるのかしら」


「ああ。勝てるさ。これが只の脅しではないという事を、今から教えてやる……」



零治は不敵な笑みを浮かべながら右手を上空に掲げ、パチンと指を弾きならした。

何も起こらなかったが、その時不意に、零治の背後にある定軍山の森の中にそびえ立つ一際背の高い樹木のてっぺんで一瞬なにかが陽光を反射させて煌めいたのだ。そして次の瞬間……。



「ぐあっ!?」


「なっ!?」



劉備軍の一人の兵士が突然倒れた。その兵士の胸には青白く光り輝く一本の矢が深々と突き刺さっていた。亜弥が放った双龍の矢である。

黄忠は理解できなかった。一体どこから矢が飛来してきたというのか。向こうには零治以外に誰も居ないし、周辺に姿を隠せるような物も存在しない。零治が背にしている森とは距離が離れすぎている。

こちら側が狙撃されるような要素などどこにも見当たらなかった。突然の出来事に劉備軍の兵士達の間には動揺が走るが、星達が何とか落ち着かせたので騒ぎにはならずに済んだ。



「驚いたか? 驚いたよなぁ? いきなりの狙撃だもんなぁ……」


「…………」


「黄忠。貴様が今なにを考えているのかは手に取るように分かるぞ。どこから狙撃してきたのか、その事で頭が一杯なんだろ……?」


「…………」


「いいとも。教えてやるよ。どうせ貴様らは手出しできやしないしな」


「あらあら。敵に味方の居場所を教えるなんて……噂の御遣いは随分と愚かなのね」


「……気が変わった。教える前にもう一人殺してやる」



黄忠の挑発的な言葉が癪に触ったのか、零治は表情に影を落とし、冷たい眼で劉備軍の兵を睨み付けながら一人を指さし、それから先程と同様に右手を上空に掲げて指を弾きならした。

すると次の瞬間、またもや背の高い樹木のてっぺんが一瞬光り輝き、そこから一本の矢が飛来してきて零治が指差した兵士の胸を射抜いたのだ。



「ぎゃっ!」


「っ!?」


「黄忠。口の利き方には気をつけろ。自分達が有利などとは思わない事だ。貴様の言葉一つで、兵士達の命が左右されるという事を憶えておくんだな……」


「…………」


「もう一度舐めた事抜かしやがったら……次は貴様を殺るように指示するからな」


「なるほど。その自信、只の見せ掛けではなさそうね……」


「理解できたようで何よりだ。……では、こちらの凄腕の狙撃手の居場所だが……ほれ、あの森の中にある一際背の高い大木。アレが見えるだろ?」



零治は右手を使って後ろ手で定軍山の森の中にある背の高い大木を指さすので、黄忠達もその樹木の存在を確認し、零治の言葉に無言で頷いた。

そして零治は話を続けた。もっとも、この世界の人間から聞けばとても信じられるような内容ではないが。



「そいつらを射殺したウチの弓使いはな……あの大木のてっぺんに居るんだよ。そしてそこから狙撃してきたって訳さ」


「なっ!? ……そんなのありえないわ。どう考えても矢が届くような距離じゃない。仮に届いたとしても、ここまで正確に狙撃できるなんて……」


「出来るんだよ、そいつには。そいつは生まれながらにして視力が異常発達していてな。あそこからでもオレ達の姿が正確に見えるんだよ。それこそ鷹や鷲みたいにな……」


「…………」


「黄忠。貴様も弓の名手のようだが、腕に関してはオレの相方の方が上だ。貴様が名人なら……オレの相方は神だな」


「…………」


「どうだ? 姿の見えない狙撃手に怯えながらこのオレと戦い、勝てる自信が貴様らにはあるのか……?」


「確かに見えない狙撃手は厄介な存在ね。でも……たった二人でこの数を相手に出来るつもりなのかしら。援護してくれる人間が一人では、流石の貴方もひとたまりもないはずよ」


「勝手にこっちの人数を決めるんじゃねぇぞ。黄忠、言っておくが、オレとそいつ以外にも味方があと四人こちらには居る。当然オレと同じぐらい強いぜ。そうなれば……シ水関の再現も可能だぞ」


「っ!?」



零治の口から告げられたシ水関の単語に黄忠は過敏に反応し、顔を青ざめさせる。

黄忠は当時、連合には参加はしていなかったがあそこで何があったのかは当然知っているし、この大陸でその事を知らない人間など居やしない。そして零治が浮かべている不敵な笑み。これは間違いなく本気でやる事を示している。

そうなればこちらに勝ち目など無いし、仮に戦うにしても銀狼は負傷している身、金狼は戦闘に参加するかも疑問、樺憐は行方不明。この状況下で零治と戦えば最悪の場合は部隊の全滅にもなりかねないだろう。

黄忠はどうするべきか思考を巡らせている時、後方から銀狼の怒鳴り声が響き、金狼と兵士達の制止も振り切って、右眼にと左肩に包帯を巻いた姿を晒して前までやって来たのだ。



「どけぇ! 邪魔だ! 影狼が来てるんだろっ! 今度こそ奴の息の根を止めてやる!」


「やめとけよ銀狼。今の状態でアイツに挑んでも逆に君の息の根が止められるよ?」


「フッ。やはり来たか」


「影狼! テメェ今度こそ……って! なぁっ!?」



零治の姿を見て銀狼は唖然としてしまう。それもそのはず、自身が斬り落としたはずの左腕が健在なのだ。驚かない訳が無い。

零治の姿を見て金狼も驚きはしないが、横で唖然としている銀狼に侮蔑の視線を向けていた。

というのも、この光景を見て金狼は銀狼の話がでたらめだと結論づけたからだ。

だがその時、金狼は零治の今の姿にある違和感を感じ取った。



(やれやれ。やっぱりあの話はでたらめ……って、ん? 影狼のコート、左腕の袖のベルトは何だ? それに左手だけ手袋もしているし……新しいファッションか何かか?)



新手のファッションと言うには少々無理があるかもしれない。

百歩譲って袖のベルトは良しとしよう。しかし片手だけに手袋をするのはどう考えてもおかしいとしか言えない。金狼は今の零治の服装にも違和感を感じていたが、それよりももっと別の違和感を感じていた。



(服装も変だが……影狼の今の魔力、なんか変だな。微量だけど影狼とは別の魔力を左腕から感じるぞ。アイツ、マジックアイテムなんか持ってたっけ……?)


「銀狼。何をそんなに驚いているんだ。今のオレの姿がそんなにおかしいか?」


「おかしいに決まってんだろうが! テメェ何だその腕は!? 何で左腕があるんだ! テメェの腕はオレが斬り落としてやったはずだろうがっ! 一体どうやって元に戻しやがったんだっ!!」


「あぁ、これか。……生えてきたのさ。トカゲの尻尾みたいにな」


「ふざけんじゃねぇ! 人間の腕がトカゲの尻尾みてぇに生える訳ねぇだろうが! んな事オレにだって分かるんだよ!」


(ん? という事は、影狼の腕が銀狼に切断されたのは間違いないのか。でもアイツの腕はちゃんとあるしな。一体どうなっているんだ?)



金狼は横でギャーギャー喚き散らしている銀狼を放置し、影狼の姿を観察しながら思考を巡らせる。

今の零治と銀狼の会話の内容から推測すると、零治はトカゲの尻尾の例えを使ってきた点から腕を切断された事を認めているとも取れる。そして銀狼のこの驚きよう。恐らく演技ではなく素だろう。

だが零治の腕はちゃんとある。頭の切れる金狼でもこの状況証拠だけでは何が本当で何が嘘なのか全く見当がつかなかった。

そんな中、今まで事の成り行きを見守っていた星がおもむろに口を開いたのだ。



「金狼。すまぬが銀狼を黙らせてくれるか。私は彼と話がしたいのでな」


「彼? それって影狼とかい?」


「ああ」


「ふ~ん。まあいいさ。好きにしなよ。……という訳だ、銀狼。少し静かにしようか」


「ああっ!? ふざけんな! オレの話はまだ終わって……」


「いいから黙るんだ……」



金狼は銀狼に射るような視線を向け、抑揚の無い声で黙るように告げる。

少なくとも今の銀狼では金狼との戦いに勝ち目は無い。流石の銀狼もその辺の事を考慮し、忌々しげに金狼を睨み付けながら口を閉じた。



「紫苑。ここは私に任せてほしい。考えがあるのでな」


「……分かったわ。星ちゃん、くれぐれも油断しないようにね」


「分かっている」



黄忠の承諾も得て、星は数歩前と進み出て零治の前に対峙する。

辺りには緊迫に満ちた空気が張り詰める中、星は槍を持ってはいるものの、今は戦う意志が無いと零治に伝えるために構えは取らずにいる。

お互い黙ったまま視線を交わしていたが、おもむろに星は穏やかな口調で零治に声をかけた。



「零治殿。お久しゅうございますな。その後、御変わりはありませぬか?」


「いいや。色々とあったぜ。本当に色々とな……」


「左様ですか」


「……星。まさかとは思うが、オレと世間話がしたかったんじゃないだろうなぁ?」


「戦時下でなければそうしていた所ですが……残念ながら違います」


「だろうな。で、用件は何だ……」



零治から向けられる刺すような視線。今の零治がいかに星に対して敵対心を抱いてるのかが理解できる。

今は戦争中、そして二人は敵同士なのだ。ならば話す事など無い、零治の視線はそう語っていた。

だが星は違う。頭では分かっていても心が否定し、出来る限り穏やかな解決法を模索してしまう。

しかし零治がそんな事に耳を貸す訳が無い。だからこそ星は考えたのだ。どうすれば零治に話を聞いてもらえるか、そしてどうすれば零治を殺さずに済むか。考え抜いた結果、星が出した答えは……。



「零治殿。どうか剣を収め、投降してください。この状況下では貴方に勝ち目は無いはず」


「何を言い出すかと思えば……お前も黄忠と同じか。分からないのか? オレ達に数の暴力など無意味だと……」


「零治殿。私は……私は貴方を討ちたくはないのです。どうか投降なさってください。桃香様なら、貴方達を悪いようには扱わないはずです。ですから……っ!」


「……星。オレはお前に失望したぞ」


「なっ!?」


「そんな理由で話をしに来たのか? お前は劉備に影響されすぎて冷静な判断が出来なくなっているようだな。そもそもそれは無理な相談だ。オレは劉備を王として認めていないし、あの女が掲げる幻想に共感もしていない……」


「…………」


「それ以前に向こうには黒狼が居るじゃないか。奴とオレは完全なる敵同士だ。協力する理由など無いし、ウチの主君には拾ってくれた恩がある。恩を仇で返す真似は出来ないな……」


「そうですか……。では、どうしても退かぬと?」


「当然だ」


「分かりました。……ならば零治殿。一つ提案があります」


「何?」



話に食いついてきた零治の姿を見て、星は不敵な笑みを浮かべた。

これこそが星の狙い。危険な賭けにはなるが、彼女が考えた最善の方法、それを切り出した。



「零治殿。ここで私と勝負をしましょう。あの時のように、一対一で……」


「…………」


「もしも私が勝った場合はこちらに投降してもらいます。貴方が勝った場合は、貴方の望み通り我らは定軍山から引き揚げましょう。いかがですかな? 悪い話ではないかと思いますが」


「星ちゃん! いきなり何を言い出しているのっ!?」


「おい星! お前なに勝手にそんな事決めてんだよ!」


「そうだよ! それに相手は音無さんなんだよっ!? 星姉様でも勝てる訳ないよっ!!」


「三人とも。すまぬが静かにしてくれ。まだ話は終わっていない。それに……全ての責任は私が取る」


「…………」


「零治殿。返答や如何に?」



星は表情を引き締め、正面から零治を見据え、零治も無言で星の表情から彼女の考えを読み取る。

星の様子に嘘などは一切無い。つまり、彼女は本気なのだ。この戦の勝敗を一騎打ちでつけようと本気で考えているのだ。



「星。今の言葉……冗談なら聞かなかった事にしてやるぞ」


「生憎と冗談ではありませんよ」


「お前、気は確かか? お前の実力でオレに勝てると本気で思っているのか……」


「まさか。そのような事など考えてはおりませぬ。ですが、勝負は時の運とも言います。戦場では何が起こるか分からないのが常。違いますかな?」


「それは間違っていない。しかしだな、星。考え直すのなら今の内だぞ。オレが相手では時の運など無意味なものだ。それにあの時とは事情が全く違う。オレはお前を殺す事になるかもしれないんだぞ……」


「……そうなったのなら、それが私に下された天命なのでしょう。それに……貴方になら討たれるのも悪くはない」


「……お前は自殺願望でもあるのか?」


「そういう訳では。ですが武人とはそういう者なのです。私は貴方に討たれる事を本望に思えど、恨みはしませぬ」



星の表情はあくまでも真剣そのもの。そしてその顔にはどこか吹っ切れた様子もあり、穏やかな笑みすら浮かべていた。

零治は星の行動が全く理解できないが、これ以上は何も言っても無駄だし、星が考えを改める様子もなさそうである。ならば、零治が取るべき行動は……。



「星。もう一度訊く。考え直す気は無いんだな……」


「ありませぬ。私はあくまでも貴方と闘う事を望む……」


「死ぬ覚悟は?」


「フッ。とうに出来ておりますとも」


「……いいだろう。その話、乗ってやろう」


「感謝いたします。零治殿」



星は一礼して礼の言葉を述べ、零治に向き直ってそのまま数歩前へと進み出て、龍牙を構えて零治に対峙する。

対する零治も左手を叢雲の鞘に乗せ、柄との境目に親指を押し当ててパチリと弾いて中から叢雲本体を軽く外へと出す。

まさかこのような事になろうと誰が予測できたであろうか。出来る訳が無い。

辺りの緊張は極限まで高まり、黄忠達は星の後姿を固唾を飲んで見守る。

再び闘う事となった狼と龍。この二人の勝負の行方……それは神のみぞ知る。

零治「まさかこんな流れになるとはな」


作者「まあね。星は恋姫シリーズでも一番好きなキャラだから、見せ場を与えたいという思いもあってこういう流れにしたのさ」


亜弥「さて、勝負の行方はどうなるのやら」


恭佳「単純に考えると星に勝ち目は無いわね」


奈々瑠「ですね。負ける要素などどこにもありませんし」


臥々瑠「強いて言うと左腕の事があるけど、アレは前回の話で解決してるしね」


零治「だよなぁ。……で、その辺はどうするつもりなんだ?」


作者「…………」


恭佳「ちょっと。何だんまり決め込んでんのさ」


作者「いや、何でもないから……」


亜弥「何だか嫌な予感がしますよ……」


奈々瑠「まさか……星さんを殺すつもりなんでしょうか?」


臥々瑠「い、いや、流石にそれは無いんじゃない?」


零治「分からねぇぞ。恋姫のSSって、探してみると原作キャラが死ぬ作品もたまにあるからな」


恭佳「まっ、その辺は次回で分かるでしょうよ」

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