第52話 涼州攻略 後編
私も様々な恋姫のSSを読んできましたが、馬騰が生存している作品って結構あるんですよね。まあ、原作には名前しか登場しないため性格にはバラつきがありますが。
因みに私は姉御肌をイメージしていますが皆さんはどうですか?
その日の朝方。涼州連合を率いる馬超は本陣内で考え事をしていた。
最近になって自軍の夜襲が成功した話をあまり聞かなくなっていたのでその事を疑問に思っていたのだ。
なので馬超はその事について馬岱に尋ねてみた。
「なあ、たんぽぽ。最近、曹操の所への奇襲が成功したって聞かないんだけど……何かあったのか?」
「え? あ、えっと……たんぽぽも何も知らないよぉ?」
馬超の指摘に馬岱は知らないと言ってはいるが、視線が泳ぎ、挙動もどことなく不審な点がある。
恐らく何か知っているのだろうが、馬超はその様子には気付かなかった。
「そっか……ならいいけど。まあ、あんまり姑息なのは良くないもんな、うん」
「だ、だよねー」
「……?」
以前同じ事を言った時には馬岱は声を張り上げて反論してきたというのに、なぜか今日は馬超の言葉に同意した。
流石にこれは馬超も変と思い首を傾げるが、馬岱はそれを誤魔化すように声を張り上げて訓練の話を持ち出してくる。
「そうだお姉様! もうちょっとで曹操達がこの辺りに来るって言うじゃない。訓練、頑張ろうよ!」
「おう! 今日は今までの訓練の総仕上げだ! あたしとたんぽぽの二組に分かれて模擬戦だぞ!」
「はーい!」
………
……
…
それから数日後の昼間。
零治は華琳の指示で、涼州のある街へ霞、稟、奈々瑠と臥々瑠、季衣と流琉を伴ってやって来ていた。
この街に潜入している工作員と接触し、物資と情報の交換が目的で来ているのだ。
「わぁ。馬が沢山いますねぇ、兄様」
「ついでに羊も沢山いますね」
「何か美味しい物、あるかなぁ……?」
「くんくん……。うぅ……いろんな匂いが混じってるから嗅ぎ分けにくい……」
「お前ら、あんまキョロキョロすんなって」
「彼女達を連れてきたのは失敗だったのでは?」
完全に観光気分になっている四人に稟が呆れたように言う。
ここに来た目的は遠征のための重要な情報を工作員から得るためであって、観光ではないのだ。
稟が言いたい事も理解しつつ、零治がフォローを入れた。
「そう言うなよ。いい息抜きのもなるだろってのが華琳の考えなんだからさ。……で、その補給物資を渡す相手はどこに居るんだ?」
「ああ、あそこに」
零治の疑問に答えるように稟はどこかへと続いている路地の前で佇んでいるメガネをかけた一人の少女を指さした。そして、零治はその人物に見覚えがあった。
「……来ましたか。どうぞこちらへ」
(ん? アイツは……)
少女の案内に従い、零治達は路地をしばらくの間進んでいくと、やがて何かの会場と思われる大きく開けた場所へとたどり着く。会場の一番奥にはライブステージらしき物が設置されていて、ステージ上では張三姉妹の天和と地和が歌を歌いながら踊りを披露していた
ステージ前には辺りを埋め尽くす程の若い男性で構成された客が大勢いて、その客の大半は涼州連合の兵士達だった。
「「「ほあああああああああああああああああああああああっ!」」」
会場に集まってる熱狂的な客達は街中に響くような声で歓声を上げ、その光景に零治は唖然としてしまった。
「……あー……どこからツッコむべきなのか」
「みんなーーーっ! げんきーーーっ!」
「「「げんきぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」」」
「ちーほー達の歌、聞きたいーーーーっ!?」
「「「聞きたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」」」
「でも、今れんほーが居ないのーーーーっ!」
「「「えええええええええええええええええっ!?」」」
「だから、みんなで呼んでくれるかなー? はい、れんほーーーっ!」
天和が人和の名を呼んで、手に持っているマイクを会場の客席に向けて、客達は大声で叫ぶ。
「「「れん! ほーーーっ! ちゃぁぁぁぁんっ!」」」
「声が小さいよ! もっと大きな声で! はい!」
続いて地和がマイクを客席に向けて、客達は更に声を張り上げる。
「「「れん! ほぉぉぉぉっ! ほわっ、ほわぁぁぁほわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」
「……なんや凄いな、これ」
「それでは私もこれで。補給の件はまた後程」
「はい。頑張ってください」
人和はぺこりとお辞儀をして、客達に見つからないように姿勢を低くして素早い足取りでステージの裏側へと足を運んで行った。
「まだまだいってみようかっ! そーーーれっ!」
天和、地和の二人がマイクを客席へと向け、客達はありったけの声を絞り出し、今まで以上に大声で叫び、人和と呼んだ。
「「「れん! ほぉぉぉぉっ! ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」」」
「はーーーーいっ! れんほーだよーーーーっ! みんな、元気にしてたかなーーーーーっ!」
ステージ裏で素早く着替え、タイミングを見計らってステージ上にようやく人和が姿を現した。
それにより客達のボルテージは一気に最高潮にまで高まり、辺りは歓声に包まれる。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
「それじゃ、いってみようかーーーーーっ!」
「おおおお~~~~~~っ!」
そして客の中にどういう訳か馬岱の姿も確認できた。
まあこの場に居る時点で何の目的で来ているのかは明らかだが。
「ほあー!」
「ほああー!」
「ほわーっ!」
「ほわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
会場の熱に当てられたせいなのか、季衣、流琉、奈々瑠、臥々瑠の四人までノリ出して他の客達同様に大声で叫び始めた。
「おいおい。お前らまで……」
「それだけ娯楽に飢えとったっちゅう事やろ」
「これも華琳の策か?」
「はい」
「……まさか、最近奇襲の回数が少なかったのは」
「伊達に黄巾の乱の原動力となった訳ではありませんね。彼女達の歌、あの年頃の男達には効果絶大なようですね」
(おいおい。それでいいのか? 涼州連合の兵達よ……)
零治は頭を押さえて俯きながら呆れ果てる。
その時、零治の頭の中に一つの考えが浮かんだので、冗談のつもりで稟にその事を言ってみる。
「なら、決戦前にウチの陣でもやってもらえよ。ひょっとしたら士気が上がるかもしれんぞ」
「なるほど。考えておきましょう」
(マジで返されたし。冗談のつもりだったのに……)
………
……
…
「……というわけで、敵の動きは明らかに鈍ると思われます」
「そう。なら、行軍速度を少し早めた方が……」
と、その時、陣内の外から歓声らしき声が轟き、華琳は何事かと声がした方向に視線を向ける。
「……さっきから外が騒がしいのは何なの?」
「はぁ。零治殿の案で、兵達の慰問として、張三姉妹を連れて来てはどうかと……」
「効果は?」
「絶大です」
「なら、あの騒ぎが終わったら、一気に攻め込んでしまいましょう。指揮は高い内の方が良いし、彼女達が我々の陣に入っていたのを見られていたら、この手はもう使えないわ」
「御意」
目的はもう目前。やるべき事は只一つ。
このまま一気に馬騰の城まで攻め込み、この戦に決着をつけるだけだ。
………
……
…
「ごめーん!」
張三姉妹のライブに釘付けになっていた馬岱が慌てた様子で涼州連合の本陣へと駆け込んでくる。
この辺りもまさに華琳の狙い通りと言えよう。
「遅いぞ、たんぽぽ! 曹操達が一気に攻めてきたって報告が来てる! すぐに出るぞ!」
「うん! おば様は?」
「城の守りを任せたから、あたし達が名代として出る事になる。西涼の馬家の名に恥じない戦いをしてみせっぞ!」
「了解ー!」
………
……
…
「前方に敵影! 旗印は……馬!」
「よし、敵の動きに応じて陣形を展開!」
「動きは間違いなく騎馬の戦い方で来るはずや。いつもの調子と思うとったら、痛い目に遭うで」
「ふふっ。忠告は聞いておきましょう」
「……華琳。連れてきましたよ」
そこへ、亜弥の案内に従った形でなぜかその場に張三姉妹が連れてこられた。
「え、ええっと、あのぉ~……」
「あら? 亜弥。どうして貴方が? 張三姉妹の案内は零治に頼んでいたはずなんだけど」
「彼は何かやる事があるそうなので、私が代わりに」
「そう。まあいいわ。亜弥、貴方は自分の部署に戻りなさい」
「はい」
「え、あ、ちょっとアンタ!」
地和が叫びながら手を伸ばして、置いてかないでと言わんばかりの様子で亜弥を引き止めようとするが、手が届かずにそのまま三姉妹はその場に取り残されてしまう。
「あのー。なんか私達、すっごい場違いみたいな気がするんですけどー」
「悪いけれど、あの連中を相手に安全な所はここしかないのよ。戦が終わったら、護衛を付けて城まで送ってあげるから……少しの間、我慢なさい」
「別に、街に戻してくれればいいんだけど……」
「それは危険よ。もし零治さん達と一緒にこの陣地に入るのを誰かに見られていたら、私達が魏の関係者だって事がバレてしまっているもの」
「その通り。安全になったら、またこちらに来る機会もあるでしょう」
「そっか……。ここの人達、ノリが良くて楽しかったんだけどなー」
「入場料を羊で払おうとするのは参ったけれどね」
そこへ、陣の展開が完了し、その事を稟が報告する。
「華琳様。陣の展開、終わりました。敵陣からも将が出てきていますが……」
「そう。なら、私も出るとしましょうか」
華琳は相手が馬騰である事を期待しつつ、舌戦をするべく足を進めていく。
………
……
…
「…………馬騰は?」
そこに辿り着けば馬騰の姿は確認できず、代わりに馬超が相手だったので華琳は失望の色を露わにした。
「あたしは馬超! 馬騰の名代として、この軍の指揮を取る者だ!」
「ああ、そう。馬超ね。そういえば連合の時にも見た顔ね……」
「な……何だその反応はっ! もっとこう、あるだろうが! この侵略者め!」
「名将と名高い馬騰と相見えるのを楽しみにしてきたのだもの。その代わりが貴方では……ねぇ」
華琳は顎に手を添えながら頭のてっぺんから足のつま先まで視線を移してじっくりと馬超の事を観察する。
そしてその表情は、貴方では相手にならないと語っていた。
「くっそぉぉぉ! その余裕面、後で泣きっ面に変えてやるからな! この野郎っ!」
「……私は野郎ではないわよ。失礼ね」
舌戦で完全に言い負かされてしまった馬超はプンスカと怒りながら踵を返し、ズンズンとした足取りで自分の陣へ帰り、華琳も陣へと引き返していった。
………
……
…
「おかえりなさーい。姉様、なんか早かったねぇ」
「たんぽぽぉ! あいつらに西涼の騎馬部隊の恐ろしさ、骨の髄まで叩き込んでやるぞ!」
「……また言い負かされたの?」
「……と、とにかく、連中を一気に叩き潰すぞ! 総員、突撃だぁーっ!」
舌戦で受けた、と言うか舌戦にすらなっていなかったのだが、とにかく舌戦で受けた屈辱を晴らすべく、馬超は後方に控えている兵達に向かって声高らかに叫び、自身も馬に跨り大量の砂塵を舞い上げながら一気に突撃を開始した。
………
……
…
場所は変わってこちらは華琳の軍勢の本陣内。
思っていた以上に早く華琳がその場に戻ってきたので、怪訝な表情で桂花が華琳を出迎えた。
「随分早かったですね」
「噂通り、馬騰は体調が悪いようね。相手は錦馬超だったわ。あまり舌戦は得意ではないようだけれど」
「舌戦はともかく、戦働きは五胡にも一目置かれる勇将です。お気をつけて」
「分かっているわ」
人和の言葉に華琳は頷く。
舌戦はあれだったが、相手が油断ならぬ人物なのは華琳も充分に承知している。
ここまで来て負けてしまっては今までの苦労が水の泡だ。
万全を期すために華琳は既に手を打ってある。その事について華琳は稟に尋ねた。
「……早速来たわね。真桜の仕込みはどうなっている?」
「真桜から連絡ありました。完了だそうです!」
「よし! ならば総員戦闘配置につきなさい! この苛立ちだらけの涼州の戦にさっさと終止符を打つわよ! 全軍!」
「とっつげきぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
最後の台詞を地和が横取り。
しかもその掛け声を聞いた兵士達の士気は一気に最高潮まで高まり、歓声にも似た雄叫びを上げる。
なんにせよ決戦の火蓋が切って落とされ、魏の兵士達も突撃を開始。辺りはたちまち激戦の地と化す。
「零治。始まったよ」
「ああ。見えている。ならこっちもすぐに動けるようにしとくぞ……」
「ここまで何とか華佗のローブも消えずに済んだね」
「そうだな。ここまで来たら、オレ達がする事は華琳よりも先に馬騰の城に辿り着く事だ」
「タイミングはどうする? 今すぐに出るの?」
「いや、まだだ。馬超達が動ける内に向かうのは危険すぎる。下手をしたら邪魔をされる可能性もある」
「確かにそうだけど、ならどうするんだい?」
「聞いた話じゃ、真桜が戦場に向こうの騎馬隊の機動力を奪う何かの仕込みをしているらしい。馬超がそれにかかるタイミングに合わせて一気に行くぞ」
「分かったわ」
「それともう一つ、真桜が張ってる罠にこっちが引っ掛かるようなドジは踏むなよ」
「それぐらい分かってるわよ……」
………
……
…
「な……何でこの辺りで地面がこんな……っ! 溝やぬかるみがあるなんて聞いてないぞっ!」
「分かんないよっ! 雨も降ってないのに……!」
馬超達が引き込まれた周囲の地面はぬかるんでいたり、所々に溝が作られたりしている。
おかげで騎馬隊の持ち味である機動力の高さが一気に奪われ、次第に涼州連合は劣勢に立たされ始めた。
「へっへー! これが、ウチら工兵部隊の恐ろしさやっ! ホントはこの螺旋、こう使うもんやないんやけどなぁ……」
「きゃ……っ!」
「くそっ! 一旦距離を取るぞ!」
「逃がすかいな! 先生がた、出番ですぞっ!」
真桜の一声に合わせるように、馬に跨った春蘭が剣を片手にその場にユラリと身体を揺するようにゆっくりと姿を現した。
「どぉれ。……って何を言わせる!」
「いやツッコミはええから、はよう追撃してや」
「おっとそうだった。私に任せておけいっ! 霞! 行くぞ!」
「おう! 連中を追い散らすでぇっ!」
「くっ! 不味い、このままじゃ……!」
………
……
…
「零治! 馬超達の動きが鈍ったよっ!」
「分かってる! 姉さん! 華佗! 行くぞっ!」
「あいよ! 華佗! 飛ばすからしっかり掴まってなよ!」
「ああっ!」
零治達は馬に鞭を打ち、華琳が率いる本隊よりも先に城に辿り着くために一気にその場を駆け抜けていく。
ここからは零治にとって時間との勝負だ。何としても誰よりも早く城に着くために更に馬を加速させた。
………
……
…
「相変わらずやる事がえげつないですねぇ……」
「そう? 騎馬を相手にする時、相手の機動力を削ぐのは基本中の基本でしょう。そのための工兵隊なんだから。それに、今までずっと相手の流儀に合わせてきてあげたのだもの。私にしては、よく我慢した方だと思わない?」
「まあ、確かに……」
「さて、馬超達は春蘭と霞に任せて、本隊は城の制圧に向かうわよ」
「了解です」
「……あら?」
いざ城に出発しようとしたその時だ。
華琳はその場に姿が見当たらない人物が居る事に気づき、その者を捜すように辺りをキョロキョロと見回した。
「どうしました?」
「亜弥。零治と恭佳の姿が見当たらないのだけれど……どこに居るか知らない?」
「いえ。私は知りませんよ。……もしかしたら春蘭達の手伝いに向かったのでは?」
「あの二人が独断でそんな事をするかしら?」
「まあ、確かにらしくないと言えばらしくありませんが……零治達にも何か思う所があるのでしょう」
「……まあいいわ。時間も惜しいし、予定通りに事は進める。行くわよ」
零治達の事は気になるが、今はそれよりも優先してやるべき事がある。
華琳はひとまずその疑問を胸の内に仕舞い込み、城の制圧に向かうべく本隊の移動を開始した。
………
……
…
「姉様っ! 曹操の本隊が!」
「くそっ……あたしらは無視かよ!」
「ウチらが相手してるんやから、無視やないやろ! てえええええいっ!」
「きゃああっ!」
霞が放った偃月刀の鋭い一撃が馬岱に襲い掛かり、馬岱はその一撃を防ぎはするが衝撃までは受け止めきれず、馬上から叩き落されてしまった。
「たんぽぽっ!」
「余所見をする余裕があるのか、錦馬超!」
馬超の相手をしている春蘭も愛刀を大きく振りおろして、馬超に向かって強烈な豪激を放つ。
「ぐうっ!」
馬超はその一撃を辛うじて受け止める事は出来たが、ぬかるんでいる地面のせいで馬を思うように動かす事ができず、反撃が出来ない防戦を強いられてしまう。
「真桜! 貴様も華琳様の後を追え! こちらは我ら二人で何とかする! 攻城戦にはお前達の力が必要なはずだ!」
「合点や!」
「くそ……くそ……くそ…くっそおおおおおっ!」
………
……
…
「意外とすんなり入れたな」
「だねぇ。まさかここまで城の守りが手薄だなんて。なんか拍子抜けしちゃうわ」
「恐らく、馬超の部隊が本隊なんだろうな。だが、こちらとしては邪魔者が居ないのは好都合だ」
「だね。早いとこ馬騰を捜し出すとしようじゃないの。ただ、華佗のローブが消滅しちゃったのが少し残念だがね」
「目的地には着いたんだ。もう必要ないだろう」
「でえええええいっ!」
零治達が馬騰の所在の捜索を開始しようと中庭から足を進めようとしたその時だった。
物陰に潜んでいた一人の涼州兵が雄叫びを上げながら零治に格闘戦を仕掛けてくる。
「まっ、そりゃそうか。……せぇいっ!」
「ぐあっ!」
しかし零治はそれに慌てる事も無く、叢雲を素早く鞘から抜き、神速の居合を放って敵を一撃で仕留めて冷静に対処してみせた。
「……零治。今の兵士、なんかおかしくなかった?」
「ああ。剣を装備していたのになぜわざわざ格闘戦を仕掛けてきたんだろうか……」
「零治。気を付けろ」
「ん? 華佗。何か知ってるのか?」
「ああ。今のは恐らく、五胡の格闘技の一つだ。組合に持ち込まれたら勝つのは難しいぞ……」
「……忠告ありがとよ」
「全く。早く馬騰を見つけて用件を済ませないとね。そろそろ華琳達も動き出すはずだよ」
「分かってる」
「でやあああああっ!」
その時、別の物陰に潜んでいたもう一人の兵士が先程の兵士と同様に零治に格闘戦を仕掛けようと突撃してくる。
だが対する零治は余裕の笑みを浮かべながら、向かってくる兵士に手招きをして来い来いと挑発をして見せる。
「零治っ!」
「大丈夫だよ、華佗。見てなさい」
零治との距離が目前まで迫り、兵士は組合に持ち込むべく両腕を伸ばした。だが……。
「なっ!?」
「悪いな……ふんっ!」
「がっ!?」
兵士は零治の身体をすり抜け、そのまま呆気にとられてしまい、零治は叢雲を素早く逆手に持ち替えて無防備になっているその背後に刃を深々と突き立てて胸を刺し貫き、兵士は血反吐を吐いて息絶えた。
「れ、零治。今のは……?」
「ん? あぁ、オレの切り札でもある反則技ってやつさ」
「凄いな……」
「まあな。……って、こんな事してる場合じゃない。急いで馬騰を見つけなければ」
「……ん~……おっ。零治。馬騰の居場所が分かったよ」
「何っ! どこだ!?」
「あそこ。あの三階の中央の窓の部屋さ」
「……確かなのか?」
「ああ。命の輝きが鈍ってる魂の気配を感じる。間違いないよ」
「ならここから一気に行くっ! 姉さん、跳ぶぞっ!」
「あいよ! 華佗、アタシにおぶさるんだ!」
「あ、ああ……」
華佗は恭佳に言われるがまま、その背中にしがみ付き、恭佳は華佗が落ちないようにしっかりと支える。
「行くよっ! 振り落とされるんじゃないよっ! たあっ!!」
「うおっとっ!?」
零治と恭佳はその場に軽くしゃがんで両脚に力を溜め、馬騰が居るであろう部屋の窓に向かって一気に跳躍した。
………
……
…
「……どうやらここまでのようだね」
「馬騰様……」
部屋の主である馬騰は誰に言うのでもなくポツリと呟く。
馬超のポニーテールを下した感じの茶髪に太くしっかりした眉毛、凛々しい眼つきをしており、親子ならではの共通点が複数見受けられるその姿はとても弱々しくて顔色も優れず、ベッドの上で上体を起こしているのがやっとの様子だ。
「…………」
馬騰は無言でベッドの横に設けられている水差しを置いている台の引き出しから小さな小瓶を取り出し、入り口の前で控えている一人の兵士に声をかけた。
「あんた」
「はっ」
「今から翠達の所に行ってこう伝えてくれるかい? あたしは曹操の手にかかるのを潔しとせず、自害したと……」
「馬騰様! し、しかし……っ!」
「あたしはこんな身だ。もう昔みたいに戦う事は出来ないし、逃げれるほどの体力も残っていない。仮に逃げても足手まといになるだけだしね。だから、頼む……」
「御意。……馬騰様、今まで我らを導いてくださってありがとうございました」
兵士は大きく頭を下げて馬騰に感謝の言葉を述べ、馬騰の遺志を馬超達に伝えるために部屋を後にした。
「……翠。蒲公英。先逝くあたしの事、許しておくれ。そして……強く生きるんだよ……っ!」
馬騰は瓶の蓋を開け、中に入っているであろう毒薬を煽ろうと、瓶を口に近づけようとしたその時。
「おっとぉ! それはもうしばらく先になると思うぜ、馬騰」
「なっ!?」
いきなり部屋の窓がガシャーンと派手な音を立ててブチ破られ、何事かと馬騰がそちらに視線をやれば、窓のふちに足を乗せてしゃがみながらこちらを見ている零治の姿が確認できた。
「貴様……曹操の手の者か……っ!」
「まあそうなるかな……」
「零治! 話は中に入ってからにしないか! いつまでアタシを壁にしがみ付かせるつもりなんだっ!? こちとら荷物を抱えてる身なんだよっ!!」
「そりゃ悪かったね」
後ろで恭佳がギャーギャー喚きながら早く中に入れろと催促してくるので、零治はヒョイッと肩をすくめながら部屋に踏み込み、それからすぐに背中に華佗を抱えた恭佳も続いて中に入ってきた。
「全く。零治、少しは状況をだね……」
「説教は後にしてくれ。今は用件を済ませるのが先だ」
横で文句を言おうとする恭佳を零治は手で制止して、馬騰に視線を向ける。
「……あたしを捕えに来たのかい」
「…………」
「悪いが、あたし曹操に降るつもりはない。あたしは最後まで……漢の臣なんでねっ!」
「させんっ!」
「なっ!?」
馬騰は毒を煽ろうとしたが、それよりも素早く零治が懐にしまっている投擲ナイフを投げつけて馬騰の手の中にある小瓶を弾き飛ばし、軽く宙を舞った小瓶は床に叩き付けられて砕け散り、中身の毒薬も床にまき散って広がっていった。
「馬騰。悪いがアンタに死なれるわけにはいかないんだ。もうしばらくは生きてもらうぞ」
「そうまでしてあたしを曹操の所に連れて行きたいのかい……。悪いがあの女に協力する気なんて無いよ」
「だから毒を煽って自害しようとしたのか……」
「あぁ、そうさ。あたしはこんな身だ。曹操の手にかかるくらいなら、自害した方がよっぽどマシな最期さ」
「貴様っ!」
「っ!?」
零治は凄まじい剣幕で詰め寄り、馬騰の胸ぐらを掴んで怒声を上げる。
「ふざけた事を抜かすなっ! 馬騰!」
「おい零治! やめないか! 相手は病人なんだぞっ!」
「そうだよ! 少し落ち着きなってっ!」
「二人は黙ってろっ!」
落ち着けと諭してくる恭佳と華佗を一喝して黙らせ、零治は馬騰に視線を戻して口を開いた。
「馬騰……」
「な、何だい……」
「自害がマシな最期だと? 貴様……それでも涼州の諸侯を束ねる王かっ! 貴様は今までこの涼州の諸侯達を率いてこの地を守ってきたはずだろっ! なのに戦に勝てないと見たら自分だけ自害し、他の諸侯達を戦に巻き込んだその責任から逃れるつもりなのかっ!」
「…………」
「アンタにまだ王としての誇りが残っているのならば……自害などせず、生きてその責任を果たせっ!」
「このあたしに生き恥を晒せと言うのかい……」
「そうだ。死ぬなんていつでも出来る。だが、生きて責任を果たすのは生きている内しか出来ない。馬騰……悪いがアンタには生きてもらうぞ」
「…………」
馬騰は正面から零治を見据え、思った。
まさか自分よりも若い男に説教などされてしまうとは、と。
だが、不思議と悪い気分はしなかった。王である自分を前にしても物怖じせず、それどころか掴み掛って怒鳴ってまで来たのだ。それにより馬騰の中に生きようとする意志が少しだけ芽生えた。
「ふふ。まさかあんたみたいな坊やに説教されるとはね」
「…………」
「物怖じしないその姿、大したものだ。気に入ったよ。坊や、名は何て言うんだい?」
「音無……姓は音無、名は零治だ。それから……坊やと呼ぶのはやめろ」
「おや、それは悪かったね」
「馬騰。考え直してくれたか?」
「ああ。……だけど、あたしは不治の病に侵されてる身だ。どの道、長くは生きられないよ……」
「それなら心配無用だ。医者を連れてきているのでな」
「医者を? だが街の医者に診てもらったが、治せないって……」
「大丈夫だ。オレが連れてきた奴はそこいらの医者とは格が違う。……華佗、頼む」
「任せておいてくれ!」
ようやく出番がきて華佗は力強く頷き、馬騰の前まで進み出てきた。
「その男が?」
「ああ」
「それじゃあ、まずは触診を始めよう。……あぁ~、零治。悪いんだが……」
「ん? あぁ、はいはい」
触診をするという事は衣服をはだけるという事だ。そして相手は女性。なので零治は後ろを向いて窓から外の様子を窺い、床に散らばっている窓ガラスの破片を中庭に放り出して証拠の隠滅を図る。
零治が後ろを向いた事を確認し、華佗は馬騰が纏っているバスローブにも似たデザインの寝巻の胸元をはだけ、それにより馬騰の大きな胸が露わになった。
「おおっ! 馬騰……アンタって結構胸がデカいんだねぇ。いや~、同じ女として羨ましいわ」
「姉さん。頼むから横でそういう事を言うのはやめてくれ……」
「あっ。零治、もしかして想像した?」
「なっ!? だ、誰がするかっ!」
「二人とも。診察に集中できないから静かにしてくれ」
「あ、あぁ、すまん」
「ふふ」
零治と恭佳のやり取りがよほど可笑しかったのか、馬騰は口元に手を当てながら含み笑いを漏らした。
(この二人……何だか翠と蒲公英に似てるねぇ)
「……よしっ!」
病巣が特定できたのか、華佗は声を出して大きく頷く。
「華佗。いけそうかい?」
「ああ。かなり病状が進行はしているが、馬騰の生きようとする意志のおかげで希望はある。今なら治せるはずだっ! ……はああああああああっ!」
華佗は懐から以前に零治の治療の時に使用した物と同様の鍼を一本取出し、裂帛の気合いを放った。
「な、何だっ!?」
「ああっと、零治。まだこっち見ちゃダメよ?」
いきなり華佗が気合を放ちながら鋭く叫びだすので、零治は何事かと後ろに振り返ろうとしたが、それよりも早くに恭佳が両腕を伸ばして強引に零治の視線を前に向け直した。
「あいでっ! 姉さん、何しやがるっ! 首を痛めたらどうしてくれんだ!」
「そんときゃ華佗に治してもらえばいいじゃん」
「我が身、我が鍼と一つなり! 一鍼同体! 全力全快! 必察必治癒……病魔覆滅! げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
華佗は右手に持っている一本の鍼を馬騰の胸部の中心点に打ち込み、辺りに突風にも似た風が巻き起こった。
しばらくして風は収まり、華佗は馬騰から鍼を引き抜いて懐にしまい、口を開いた。
「…………病魔、退散!」
「……お、終わったのかい?」
流石に馬騰も状況について行けず、怪訝な表情で華佗に尋ねる。
華佗は余裕の笑みを浮かべながら力強く頷く。
「ああ。もう大丈夫なはずだ。……馬騰。身体の調子はどうだ?」
「んん? ……言われてみれば、身体がなんとなく軽くなったような気が。それに、さっきまであった気怠さが今は全く感じないよ」
「ならもう大丈夫だろう」
「そのようだね。感謝するよ、華佗とやら」
「なーに。俺は医者として当然の事をしただけだ。気にしないでくれ」
「随分と謙虚な男なんだねぇ。……音無だったね」
「ん?」
「感謝するよ。これ程の腕の医者をわざわざこんな地まで連れて来てくれてね」
「礼はいい。オレはアンタに死なれたら困るから医者を連れてきただけにすぎない」
「……それも疑問だったんだが、なぜあんたが敵であるあたしに死なれたら困るんだい?」
「アンタに頼みがあるからだ」
「あたしに頼み? 何だい? 言ってごらんよ」
「それは……」
「非戦闘員には手を出すな! 一箇所に集めて、絶対にこちらからは危害を加えるんじゃないぞ!」
「っ!?」
「零治。今の声は……っ!」
「凪だな。チッ! 華琳の本隊が到着しちまったか……っ!」
「マズイね。中庭には本隊の兵達が雪崩れ込んでるよ。どうする。このままじゃいずれ華琳と鉢合わせしちゃうよ」
「中庭を通って脱出するのは無理だな。さて、どうするか……」
零治が顎に手を添えて思考を巡らせている中、馬騰はゆっくりとベッドから降りて部屋の扉の前まで足を進めて零治達に声をかけた。
「三人とも。ついてきなさい」
「なに?」
「城内から直接外に出られる隠し通路があるのさ。そこに案内してやるよ」
「本当かっ!? なら頼む!」
「ああ」
「……おっと。コイツを忘れる所だった」
零治は部屋の壁に突き刺さったままのナイフを引き抜いてコートの下に収め、証拠を隠滅。
三人は馬騰の案内の下、城内に存在する秘密の抜け道を利用し、何とか当初の目的を無事に果たす事に成功し、そのまま馬騰を引き連れて城から脱出した。
………
……
…
「どうやら馬超の隊が本隊だったようね。まさか、ここまで城の守りが手薄とは……。……あら?」
兵を率いて中庭で馬騰の捜索を指揮していた華琳の眼に、地面に横たわっている兵士の死体が止まる。
それは零治が倒した二人の兵士であった。
「この兵士の傷……まさか……」
「華琳様」
「秋蘭。馬騰は見つかった?」
「いえ。ただ、馬騰が使用していたと思われる部屋は発見できたとの報告が」
「そう。案内なさい」
「はっ」
華琳は秋蘭の案内に付いていき、城内を練り歩いてやがて馬騰の部屋に辿り着き、中へと足を踏み入れて周辺を見回す。
「…………」
「見ての通り、部屋はもぬけの殻です。ただ気になる事が……」
「何?」
「まずは部屋のあの窓です」
「……随分と派手に割れているわね」
「はい」
華琳は無言で窓辺まで足を進め、窓の周辺に視線を走らせ、更に窓から顔を出してそこから見える中庭を見下ろした。
「まさか……馬騰はここから飛び降りて……?」
「それは無いかと。噂では馬騰は身体を患っている身のようですし、それにこの高さです。飛び降りたら無事では済まないかと」
「そうね。仮に万全の状態だとしても、下手をすれば脚の骨を折ってしまって逃げるどころではないわ」
「はい。それとその窓なんですが……華琳様、よくご覧になってみてください」
「…………」
華琳は秋蘭に促され、割られた窓の残っている枠などに注意深く視線を走らせる。
そしてしばらくして、ある違和感に気づいた。
「この窓……外側から割られているわね」
「その通りです」
「つまり……誰かがこの窓を外から割って部屋の中に侵入したと」
「恐らくそうではないかと。……それと、部屋にこんな物が落ちてまして」
秋蘭は懐から白い布地の小さな包みを取出し、華琳の前に差し出して包みを広げ、それを手渡した。
包みにくるまれていた物は細かく割れたガラスの破片のような物だ。
「これは?」
「割れた小瓶の破片です。兵が調べた結果、その瓶の中に入っていたのは毒薬だったそうです」
「っ!?」
「…………」
「まさか……馬騰はこれで自害を……っ!」
「確かにその可能性は高いですが、それなら遺体が必ずどこかにあるはずです。しかし今の所その報告は上がっていませんし、瓶が割れていた説明もつきません。そこでもう一つの可能性があります。あくまで私の仮説なのですが」
「聞かせなさい」
「はっ。……もしかしたらなのですが、馬騰は毒を煽って自害しようとした所を、その窓を破って侵入した何者かに止められ、外に連れ出されたのではないかと私は考えています」
「なるほど。部屋の状況から見て、確かにその可能性は考えられるわね……」
「…………」
「秋蘭」
「はっ」
「城内は引き続き捜索を。それから、城の外にも捜索部隊を派遣しなさい」
「御意」
秋蘭は姿勢を正して一礼し、華琳から受けた指示を兵達に伝えるために部屋を後にする。
そこに取り残された華琳は部屋の中央に立ち尽くし、割れた窓から夜空を眺めながら呟いた。
「零治。まさか……貴方の仕業なの?」
………
……
…
「……そうか。自害したのか」
あれから馬超達の部隊は完全に敗北してしまい、馬岱と生き残った数名の兵士と共に何とか逃げ延びて冷たい風が吹き付ける荒野の下で途方に暮れていた所を、馬騰からの伝言を預かった兵士が合流してきて、その内容を伝えられた馬超は悲しそうに呟いた。
「姉様……これからどうするの?」
「たんぽぽ。お前はみんなを連れて、南へ行け」
「南へ……?」
「益州には劉備が居る。悪い奴じゃないから、理由を話せばお前くらいなら面倒を見てくれるはずだ。あたしの名を出せば、多分大丈夫だと思う」
「たんぽぽはって……姉様は?」
「あたしは城に戻る」
「そんな! だって、城には曹操が……!」
「ここまでされて黙っていられるか! あたしは馬超だ! 馬騰の子、馬孟起だ! 親を殺され、城を奪われて……黙っているような女じゃないって事、あいつらに教えてやる!」
「やれやれ。あたしはあんたをそんな無茶するような女に育てた覚えはないんだけどね……」
「えっ……?」
聞き覚えのある声がしたので、馬超達はそちらに視線を向ける。
その先に居たのは零治に肩を貸されながら佇んでいる馬騰の姿。そしてその後方には恭佳と華佗の姿があった。
「か、母様っ!?」
「おば様! ど、どうして? 自害したって聞いたのに……」
「そのはずだったんだが、この男に止められてね」
「…………」
「っ!? お前は……っ!」
「姉様。知ってるの?」
「こいつ! 母様から離れろっ!」
反董卓連合以来の顔合わせなのだが、馬超は零治の事をしっかりと憶えていたらしく、その素性も知っているので、刃が十字の形をした槍、銀閃を突き付けながら怒声を上げた。
「翠! やめろ! 槍を下げるんだ!」
「母様! この男は曹操の所に居る天の御遣いの一人の音無……あたし達の敵なんだ!」
「曹操の所のっ!? ……っ!」
馬超から聞かされた事実に馬岱、生き残った兵士達も反応し、各々の武器を全員が零治に向かって突き付けてきた。
「お前達! この男に手を出す事はあたしが許さない! 武器を収めるんだ!」
「でも母様! こいつは敵なんだぞ!」
「確かにそうだが……あたしが今こうして生きているのはこの男のおかげなんだ。いわばこいつはあたしの命の恩人ってわけだ。分かったら全員、武器を収めるんだ」
「そんなの嘘に決まってる! 仮にそうだとしても、このままあたし達全員を曹操の所に連れて行くに決まってるんだっ!」
馬騰の話を全く信じようとしない馬超達は一歩も退かない姿勢で武器を下げようとしない。
ついに我慢に限界を感じた馬騰は大きく息を吸い、声を張り上げて馬超達を一喝した。
「貴様らぁ! あたしの言う事が聞けないのかっ! 武器を収めろと言ってるんだよ!!」
「っ!?」
その凄まじい怒声に馬超達はビクリと肩を震わせ、ようやく馬騰の言う通りにして武器を下げて落ち着きを取り戻した。
「分かればいいんだよ。……音無、すまないね。ウチの者達が無礼を働いて」
「いや、それはいいんだが……馬騰、怒鳴るんなら事前に言ってくれよ。鼓膜が破れるかと思ったぞ……」
「ははは。すまんすまん。音無、ここまでの道中助かったよ。もう大丈夫だよ」
「そ、そうか。……あぁ。耳鳴りが収まらんぞ……」
零治は馬騰から肩を離し、左耳を押さえながら未だに収まらない耳鳴りを苦悶の表情で訴えかけていた。
そんも姿に馬騰は含み笑いを漏らしながらゆっくりと馬超達の方に歩み寄っていく。
「翠、蒲公英……」
「母様……母様ぁ!」
「おば様ぁ!」
馬超と馬岱は涙を流しながら馬騰に抱き付き、そのまま大声で泣きじゃくる。
馬騰は二人を抱きしめながら優しくその背中を撫でまわす。
「おーおー。そんなに泣くんじゃないよ、翠。それでもあたしの娘かい?」
「ひっく……だって、だってぇ……っ! 母様、自害したって聞かされたから……っ!」
「うわああああん! おば様ぁぁぁぁぁぁっ!」
「あぁ、よしよし。二人ともそんなに泣くんじゃないよ」
「…………」
感動の再会に水を差しては悪いと思い、零治達はしばらくの間その姿を見守っていたのだが、いつまでたっても馬超と馬岱が泣き止んでくれないので、おもむろに口を開いた。
「あー……感動の再会に水を差して悪いんだが、そろそろ本題に移らせてもらえないか? 馬騰」
「あぁ、そうだね。翠、蒲公英。そういう訳だから、そろそろ離れてくれるかい?」
「ひっく……は、はい……」
「うん……」
ようやく泣き止んでくれた馬超と馬岱は涙でグチャグチャになった顔を服の袖で思いっきりぬぐって涙を拭き取り、馬騰から身を離し、馬騰は零治に向き直った。
「それで? あんたの言う用件ってのは何なんだい?」
「…………」
「……言っとくが、あたし達は曹操には降らないからな」
「翠。安心しな。この男はあたし達を曹操の所に連れて行く気は無い。あたしをこうして助けたのも曹操の指示ではなく、この男の独断だそうだ」
「えっ!? ……そうなのか?」
馬超の疑問に零治は無言で頷いた。
続いて別の疑問が馬岱の頭に浮かんだので、その疑問を零治に投げかける。
「お兄さん、何でそんな事をしたの? おば様を助けてくれたのは嬉しいんだけど……」
「馬騰に頼みがあるからだ」
「そういえば、城でもそんな事を言ってたね。何だい? 遠慮せず言ってごらん」
「馬騰。アンタはこのまま、馬超達と共に劉備の所に行け……」
「劉備? 劉備って益州に居るあの劉備の事かい?」
「そうだ」
「どういうつもりだい。劉備はあんたにとっても敵のはずだ。なぜ敵を助けるような真似をするんだ……」
「アンタに頼みたい事とは、その劉備の事なんだ」
「どういう事だい?」
「馬騰。アンタ……いや、貴方に劉備に王としての教育をしてやってほしいんだ」
「ますます話が分からないねぇ。なぜあたしにそんな事を頼むんだい?」
「あの女……劉備は王としての自覚が無さすぎる。幻想とも言える理想を掲げているくせに、王として時には非情な選択を下さねばならない場面でもその責務を投げ出すような奴だ。その上、基本やってる事はオレ達と同じだと言うのに、自分は違うみたいな事を抜かしやがる……」
「なるほどね。だけど、それなら周りの家臣がどうにかしてくれるはずなんじゃないかい?」
「周りの連中も似たような奴ばかりだ。劉備の理想に同調はするが、厳しく諌めようとしない。主を悲しませたくないという思いから、甘い考えばかりしやがる。主を想う気持ちは理解できるが、それでは劉備は一人前の王としては育たない。あのままでは、劉備はいつか自分が掲げる理想と現実の狭間に押し潰され自滅するか、恨まれて誰かに殺されるのがオチだろうな……」
「…………」
「何より……そんな甘ちゃんな王の理想を信じ、ついて来ている民達が不憫すぎる。だから……」
「このあたしに劉備の教育を頼みたいと、そういう訳だね?」
「ああ。馬騰。王だった貴方にこんな役目を頼むのが失礼なのは重々承知している! だが……どうかオレのこの頼みを引き受けてほしいっ!」
「…………」
零治は大きく頭を下げて馬騰に懇願する。
馬騰はそんな零治の姿をしばらくの間見つめ、その場を沈黙が支配するが、やがて馬騰が口を開いた。
「いいだろう。その頼み、引き受けようじゃないか」
「本当かっ!?」
「ああ。わざわざ自分の主に背いてまであたしを助けたんだ。その行動力に度胸、驚嘆に値する。音無、ますますあんたの事が気に入ったよ」
「ありがとう。感謝する、馬騰……」
「で、でも……母様は病に侵されてるじゃないか。とても益州まで身体が保つとは……」
「翠、その心配はないよ。この男がわざわざ凄腕の医者まで連れて来てくれてね。おかげですっかり治っちまったよ」
「えっ!?」
「お、おば様! それ本当なのっ!?」
「ああ」
「……よ、よかった。母様の……病が治って……っ! うっ、うぅ……」
「うん。おば様……元気になって本当に良かったよ……っ!」
不治の病に侵され、街の医者からは死の宣告まで受けていた馬騰の病が完治したという事実に、馬超と馬岱はまたもやポロポロと涙を流し、シクシクと泣き始めた。
「またあんた達はぁ。気持ちは分からんでもないが、もう少し気丈に振る舞わないか」
「……馬騰。オレ達はそろそろ行かせてもらう。劉備の件、頼んだぞ」
伝えるべき事を馬騰に全て伝え、馬騰もそれを承諾してくれた。
ならばこれ以上ここに留まる理由は無い。零治は踵を返し、恭佳達を引き連れて引き上げようとしたが、背後から馬騰が思いもよらぬ事を言ってきた。
「……翠蓮だ」
「えっ?」
「あたしの真名だ。音無。これからあたしの事は翠蓮と呼びな」
「か、母様っ!? いくらなんでもそれは……っ!」
「翠。あんたは黙ってな」
「……は、はい」
「一体どういうつもりだ? 敵であるオレに真名を預けるなどとは……」
「どうもこうもないさ。言っただろ? あたしはあんたの事が気に入った。だから真名を預けた。それだけだよ」
「……アンタって変わってるな」
「そうかい? あんたほどじゃないと思うよ?」
「まあいい。王だったアンタの申し出を無下にするのは失礼でしかない。馬騰、いや……翠蓮。アンタの真名、確かに預かった」
「ああ。その代わりと言っちゃなんだが、音無。あんたの真名を教えてくれないかい?」
「生憎とオレに真名は無い。強いて言うなら下の名前である零治が真名に該当する。呼びたきゃ呼んでいいぞ」
「ほお、そうなのかい。なら、遠慮なく呼ばせてもらうよ、零治。……そっちのあんた。零治の姉だったね」
「ん? アタシかい?」
「ああ。あんたもあたしの事は翠蓮と呼びなよ」
「おや。アタシは大して何もしてないんだけど。まあ、それならそっちもアタシの事は恭佳と呼んでいいよ」
「ふふ。ありがとね」
「さて、今度こそオレ達は行かせてもらうぜ。姉さん、華佗。行こうぜ」
「あぁ、零治。俺はもうしばらく馬騰達について行こうと思う。大丈夫だとは思うが、念のためしばらく様子を見ておきたいんだ」
「そうか。なら頼む。……それじゃあな、翠蓮。身体を大事にしろよ」
零治はクルリと背を向け、ヒラヒラと手を軽く振りながら恭佳と共に足を進めていく。
しかしその時、馬岱が声を上げて零治を呼び止めた。
「あっ。待って! お兄さん!」
「ん? ……何だ。オレに何か用か? おチビちゃん」
「チビじゃないよ! ぶぅ……」
「フッ。冗談さ。で、何だ?」
「えっと、音無さん……でいいんだよね?」
「ああ」
「音無さん。たんぽぽは馬岱。真名は蒲公英。たんぽぽって呼んでいいよ」
「たんぽぽ! お前まで……っ!」
(なんかこの光景、星達と初めて会った時を思い出すな……)
翠蓮に続いて馬岱までもが零治に真名を預け、馬超が驚きの声を出す。
その光景に零治はこの世界に来たばかりの頃に、星達と初めて会った時の光景がその脳裏に蘇った。
「どういうつもりだ、馬岱。オレはお前達の居場所を奪った敵なんだぞ」
「確かにそうだけど……おば様がこうして生きているし、何よりおば様の事を助けてくれたもん」
「直接助けたのはオレじゃない。華佗だ。礼なら華佗に言え」
「それは分かってるよ。でも、そのお医者さんを連れて来てくれたのは音無さんなんでしょ?」
「それはそうだが……」
「だったらいいじゃん」
(何がいいのかオレにはさっぱり理解できんのだが……)
馬岱の行動が今一つ理解できないが、この様子では本人は一歩も譲る気配が無さそうである。
なので零治は半ば諦めたように嘆息し、馬岱の申し出を受け入れた。
「はぁ。分かったよ。なら、お前の真名も預かろう、蒲公英。これでいいか?」
「うん!」
「なら今度こそ行かせてもらうぞ。あまりこの場に留まってると、ウチの捜索部隊が来るかもしれんしな。お前らも早々にここから立ち去れよ?」
今度こそ自分の陣営に帰ろうと零治は踵を返し、懐からタバコを取り出して火を点け、煙を吹かしながら帰路につこうとしたのだが、次は馬超が声を張り上げて零治を呼び止める。
「待ってくれ! 音無!」
「……今度は何だ。まさかここで果し合いでもしたいのか。馬超……」
「違う。……音無。あたしの真名も預かってほしい」
「親が親なら子も変わり者ってか? なぜ敵のオレに真名を預けるんだ。母親を助けてくれた礼のつもりか?」
「ああ。……母様は街の医者に死の宣告をされていた。それを聞かされた時、あたしは絶望したよ。そして、母様がいつ死ぬかも分からない恐怖にずっと囚われていた……」
それは当然の心境だ。
不治の病に侵されれば死を待つ以外にない。そして、いつ実の母が死ぬかも分からない中、戦乱が渦巻くこの世界で戦うのは決して容易な事ではない。
下手をすればそれが原因で足元をすくわれ、自分が命を落とす可能性だってあっただろう。
仮に自分が死ななかったとしても、戦ってる最中に親が亡くなり、その死を看取る事ができなかった可能性もある。そうなれば心の弱い人間はその事を一生引きずりながら生きていく事にもなりかねないのだ。
「だけど……こうして母様は生きているし、治せないと言われていた病を治せる程の医者まで連れて来てくれた。城は奪われてしまったけど、母様が無事なだけでも嬉しい。何より、これからも母様と一緒にやっていく事ができる……」
「…………」
「あんたが敵なのは分かってる。でも……母様を助けてくれたのは事実だ。だから頼む、音無! あたしの真名も預かってくれっ!」
馬超は頭を下げて懇願してくる。
流石にここまでされるとは零治も思ってなかったらしく、馬超の行動に面食らってしまう。
おまけに余計に断り辛くもなってしまったので、馬超の申し出も受け入れた。
「分かった。分かったから頭を上げてくれ、馬超……じゃなくて、翠。これで文句は無いだろ?」
「……ああ!」
零治が断るのではないかと翠は内心不安にでも思っていたのかもしれない。
零治がすんなり申し出を受け入れてくれたので、翠は心底嬉しそうに頷いた。
「はぁ。今度こそ帰らせてもらうぞ。いいか、もう絶対に引き止めるなよ?」
「分かってるよ。それじゃあな、零治。縁があればまた会おうじゃないか」
「このご時世だ。出来ればオレは会いたくないね」
「はは。そう言うなよ」
「あぁ、それとだ。翠蓮。劉備の所に着いても、オレの名は出すなよ」
「分かってるさ」
「それともう一つ。向こうにもオレと同じ天の御遣いが四人いるが……その内三人の御遣いにはあまり関わらない事だ。連中とオレ達は敵対関係だし、そいつらはオレ以上に危険な奴らだからな……」
「その忠告、肝に銘じておこう」
「ああ。……最後に、翠、蒲公英……」
「ん?」
「な~に?」
「お前らの真名を預かったとはいえ、オレ達は敵同士だという事を忘れるな。次に会う時は……恐らく戦場になるだろう……」
翠と蒲公英は無言で零治を正面から見据える。
その様子から零治は自分が何を言わんとしているのか理解はしていると思うが、念のために言葉を続けた。
「次に戦場で会った時、オレは容赦はしない。お前らも死にたくなかったら、戦場に私情は持ち込まない事だ。いいな?」
「分かってる。出来れば……あんたとは戦いたくはないがな」
「たんぽぽも……」
「フッ。その気持ちは分からなくはないが、現実はそこまで優しくはないぞ。……じゃあな。オレがいま言った事、ちゃんと胸の内に留めておけよ……」
零治は翠と蒲公英に忠告を残し、タバコを吹かしながら恭佳と共にその場を後にする。
翠蓮達はその後ろ姿を見えなくなるまでずっと見送り続けた。
「行っちゃったね……」
「ああ。そうだな」
「残念だねぇ。零治が曹操に仕えている身じゃなかったら、一緒に来るように誘ってた所なんだが」
「……て言うか」
「おば様の場合、無理やりにでも連れて行ってた気がするよ……」
「あっ。しまった。最初からそうしてりゃよかった。いやぁ、このあたしとした事がとんだ失敗だったねぇ。はっはっは!」
翠蓮は胸を張りながら豪快に笑い飛ばし、冗談とは思えない言葉を口にした。
その姿に翠と蒲公英の二人は呆れた視線を向けていたが、自然とその表情は笑みへと変わった。
零治のおかげで、もう一度この眼で翠蓮の元気な姿を見る事が出来たのだから。
「さて、あたしらも行くとしようかね。益州にさ」
「はい!」
「うん!」
「華佗。しばらくの道中よろしく頼むよ」
「ああ。それから馬騰。あんたの病は治ったとはいえ、まだ病み上がりなんだ。あまり無茶はしないでくれよ?」
「分かってるさ。さあ、行くとしようか」
翠蓮は翠と蒲公英、華佗に生き残った数名の兵士を伴い、零治との約束を果たすために、そして華琳の追跡から逃れるために益州へと足を進め、涼州を去っていった。
………
……
…
あの戦いから翌日。
涼州連合との戦いに見事勝利し、華琳は涼州の併合を早々と済ませ、一同は城への帰路に着く。
「はぁ~。やっと城に帰れるぜ。今回の戦いはかなり疲れたなぁ」
「音無。その事で疑問があるのだが……貴様、昨日の戦いで一体どこをほっつき歩いていたのだ。聞けば本隊には居なかったそうではないか」
「……姉さんと一緒に馬超達を捕えようと、連中が逃げそうな場所で待ち伏せをしていたんだが」
「まっ。結局見つかんなかったけどね」
「勘が外れちまったんでな」
と、零治と恭佳は二人揃って春蘭の疑問に対し、即興のアドリブで適当な言い訳を並べ立ててその場を誤魔化す。
「全く。そういう事は事前にちゃんと言っておかんか。今後は独断行動はするなよ?」
「悪かったよ。……ってか、お前にだけはそのセリフは言われたくないな、春蘭」
「なんだとぉ!?」
「どうどう。落ち着きなよ、春蘭。……所で、あれから馬超達はどうなったんだい?」
「うむ。張三姉妹が戻った後、情報収集が難航してしまってな。我らの包囲網から逃げた後、劉備の所に身を寄せたとの噂はあるが」
「そうか……」
零治は無事に翠蓮達が逃げ延びた事に内心ホッとする。
と、その時、秋蘭がその場に来て、華琳から用件があるとの旨を伝えてきた。
「音無。恭佳。華琳様がお呼びだ」
「あん? 一体何の用だ?」
「……昨日の戦の事で、お前達に話があるそうだ」
「今すぐじゃなきゃダメなの?」
「うむ。すぐに来いとの事だ」
「しゃあない。行くぜ、姉さん」
「あいよ」
零治と恭佳は馬の速度を速め、華琳が居る前方へと向かう。
その際、恭佳が周りに聞かれないように念話を使って華琳は何の用で自分達を呼びつけたのかについて話をする。
『なあ、零治。もしかして昨日の事、バレたんじゃないの?』
『一応、証拠の隠滅はしたが……正直、充分とは言い難いからな……』
『おいおい、どうするんだいっ!? もしバレてたらアタシらかなり不味い立場になっちゃうじゃないかっ!』
『心配するな。主犯はオレなんだ。その時はオレが全ての責任を負う覚悟だ』
『零治……』
と、そんな会話をしている内に華琳が居る位置に到着。
見れば周囲に兵士達は居るものの、距離が離れている。少なくとも周りに会話が聞き取られる事はないだろう。
話の内容が内容なだけに、華琳もその辺りに気を遣ったという事なのだろう。
「……来たわね」
「で、何の用だ? 華琳」
「貴方達を呼んだのは他でもないわ。昨日の戦での二人の独断行動についてよ……」
「…………」
(あっちゃ~。バレてるかは分からないけど、こりゃ間違いなくアタシらの事を疑ってるわね……)
「零治。答えなさい。なぜ昨日の戦で独断行動を取ったの」
「……オレは影の狼だ。今回の戦、人手は充分に足りていたようだから、オレと姉さんは裏方に回るのがいいだろうと思って行動したまでだ」
「なるほど。では昨日はどこで何をしていたの?」
「馬超達の逃走経路を予測し、そこで待ち伏せをしていたんだよ。いつでも捕えられるようにな」
「そんな適当な言い訳をこの私が信じると思ってるの……」
「…………」
流石に華琳が相手では春蘭に通用した言い訳は無駄のようだ。
華琳の視線には疑惑が籠められており、翠蓮達の行方についても零治が関係していると華琳は睨んでいるのだろう。
「質問を変えましょう。零治、馬騰について訊きたい事があるわ」
「馬騰がどうかしたのか?」
「城が陥落した後、私達は馬騰の城をくまなく捜索した。でも……馬騰は居なかったのよ」
「ふむ。それは逃げたからじゃないのか?」
「確かにその可能性はあるわ。だけど噂によれば馬騰は病に侵されていた身なのよ。それも不治のね……。そんな状態で逃げたとは思えないわ」
「だが現に居なかったんだろ? やはり逃げたんじゃないのか?」
「ええ。私もそう思ってる。ただし、馬騰本人が一人で逃げたとは思っていないのよ……」
「と言うと?」
「私は誰かが馬騰の逃亡の手助けをしたと考えている」
「それは城の者がやったんだろ」
「普通に考えればそうね。でも、私は別の可能性を考えているわ……」
「何だよ?」
華琳は話の核心を突いてはきているが、零治はあくまでシラを切り続ける。
だがそれでも華琳は自分が考えるもう一つの可能性を述べた。
「私は城の人間ではない第三者が馬騰の逃亡の手助けをしたと見ている……」
「根拠は?」
「まずは、馬騰が使用していた部屋の状況。彼女の部屋を見た時、窓が破られていたのよ。最初は馬騰自身が窓を破って逃走したと思っていたのだけれど……その窓はよく見ると、外側から破られていたのよ」
「なぜ分かるんだ?」
「窓の残骸は部屋の外に散らばっていたけど、残っていた窓枠が部屋の中に向かって曲がっていたわ。もしも中から破ったのなら、枠は普通、外に向かって曲がっているはず……」
(チッ! 窓枠の処理が甘かったか……っ!)
「次に、兵が調べた時、馬騰の部屋に割れた瓶の破片が落ちていたそうなのよ。中身は毒だったそうよ」
「自害用のか」
「恐らくね。だけど馬騰の遺体は見つかってないし、仮にその毒薬で自害したのなら瓶が割れるはずがない。本人が割った可能性も否定できないけど、そんな事をしても何の意味も無いわ。……となると、部屋に侵入したその第三者が割ったと考えるのが自然でしょう?」
「なるほどな。で? その第三者ってのは何者なんだ?」
「……あくまでとぼけるつもりなの。零治」
「何の事だ?」
もはや華琳がこの一件に零治が関わっていると見ているのは火を見るよりも明らかである。
だがそれでも、零治は知らないフリを決め込む。可能ならばこの件に関しては誰にも知られたくないのが本音なのだろうが、現実はそこまで甘くはないし、相手が相手だ。
華琳は今まで遠回しに話を進めていたが、埒が明かないと判断し、率直に切り出した。
「いいでしょう。単刀直入に言うわ。零治……私は貴方が馬騰の逃亡を手助けしたと見ているのよ」
「……証拠はあるのか?」
「物的証拠はないわ。でも、貴方が侵入したと思われる痕跡はあったわよ」
「何だよ……」
「馬騰の城の中庭に、二人の兵士の死体があったわ。私達が城に来た時には既に死んでいた」
「…………」
「そして、その兵の死体には綺麗な刀傷があったのよ。それこそ……貴方の剣で斬られたような、ね……」
「…………」
「どう? これでも本当の事を話す気は無いのかしら」
「…………」
「あくまでも喋らないつもりなら、私にも考えがあるわ」
「拷問でもしようってのか?」
「そうねぇ。ある意味ではそうかもしれないわね。……城に着いたら、恭佳も交えて閨の上であの手この手を使って二人を責め立てるのも悪くないわね……」
「っ!?」
零治は普通の拷問を想像していたのだろうが、華琳が言ってきた内容はそれよりも別の意味で危ない物だった。
そして、華琳がいま浮かべているこの妖艶な笑み。恐らく本気でやるつもりだ。
自分だけならまだしも、恭佳も巻き込む形で付き合わせてしまったとはいえ、そんな事にまで実の姉を巻き込みたくはないという思いから、零治は観念したように両手を軽く上げる。
「わ、分かった。白状するからそれだけは勘弁してくれ……」
「あら。私が相手じゃ不服なの?」
「違う。オレだけならまだしも、姉さんまでそんな事に巻き込みたくないだけだ」
「おや。アタシは別に気にしないわよ」
「……姉さん。いきなり何を言ってんだよ」
「だってねぇ。アタシは死んでる身だろ? だからそういう事をする機会にも相手にも、もう恵まれないじゃん。だからアタシは平気。むしろやりたいぐらいよ。相手が同性だろうがね」
「頭痛がしてきた……」
からからと笑いながら胸を張ってとんでもない事を言う恭佳の姿に零治は頭を抱える。
姉の事は自分が一番よく知っているはずだと思っていたのに、今の恭佳の姿を見て零治はその自信を喪失しかけてしまいそうになった。
「冗談だよ」
「冗談には全く聞こえなかったぞ……」
「おほん! 二人とも話を戻してもいいかしら?」
「あ、あぁ。すまない」
「零治。ならば認めるのね。貴方が馬騰の逃亡の手助けをした事を」
「……ああ。馬騰の部屋に侵入したのは確かにオレだ。逃げる手助けをしたのも事実だ」
「そう。恭佳、貴方も共犯者ね?」
「あ~あ。零治が白状しちゃったんじゃ仕方ないね。ええ。そうさ。アタシもその場には確かに居たし、協力もした。共犯者で間違いないわよ」
「そう。……零治。なぜそんな真似をしたの」
「悪いがそれは言えない。お前がさっき言った事を実行しても絶対に喋らんぞ……」
「…………」
「…………」
華琳は無言で零治を見つめ、零治も無言の視線を華琳に向けて互いに視線を交わす。
この様子では零治は何をやっても口を割る事はないだろう。華琳は一瞬、零治にかけた脅しを本気で実行しようかとも考えたが、やるだけ無駄だと分かっていては実行する意味が無いし、何より華琳自身がそれでは面白くないと考えている。
なので、華琳は諦めたように嘆息し、翠蓮を助けた理由の追及はやめる事にした。
「はぁ。もういいわ。なら、馬騰をなぜ助けたのかはこれ以上は訊かないでおきましょう。では次の質問よ」
「何だ?」
「馬騰はどこに向かったの? これぐらいは答えれるわよね?」
「……益州だ」
「そう。なら、馬超達も恐らく一緒なのね」
「…………」
「でも馬超達はともかく、馬騰は病に侵されてる身よ。とても益州まで辿り着けるとは思えないわ。なのに貴方は彼女達を行かせたの?」
「その事なら心配はない。馬騰の病は華佗に治療させたからな」
「えっ!? 華佗がっ!?」
「ああ」
「どういう事なの? まさか……あの男も涼州に来ていたの?」
「オレが連れてきたんだよ」
「貴方が連れてきたって……どうやって華佗は身を隠していたのよ?」
「そこはほら……」
「また貴方の魔法の力ってわけね……」
「正確に言えばアタシなんだけどね」
「全く。揃って恐ろしい姉弟だわね……。なら、馬騰は生きているのね」
「ああ。あと少し遅かったら、彼女は間違いなく自害していただろうな」
「そう……」
華琳は零治の言葉に静かに頷き、視線を前に戻して、フッと笑みを零した。
華琳は嬉しかったのだ。翠蓮が生きている事に。何より彼女は翠蓮と剣を交えるのをとても楽しみにしていた。
今回はそれは叶わなかったが、少なくとも翠蓮が生きているのであればその機会はまた必ず来る。
そういう意味では零治に感謝をしなければならないので、華琳は零治に視線を戻し、礼の言葉を述べた。
「零治。ありがとう。馬騰を助けてくれて……」
「ん? 何でお前が礼を言うんだよ?」
「馬騰が自害するのを止めてくれたからよ。おかげで彼女と剣を交える楽しみが出来たのだからね」
「そういう意味かい……」
「ま、いいんじゃないの? 礼を言われるのは悪い気分じゃないじゃん」
「姉さんは気楽でいいねぇ。……で、華琳。オレ達の事を罰するのか?」
「…………」
「それならオレだけにしろ。姉さんはオレが半ば無理やり巻き込んだようなものだ。罰するのは主犯のオレだけで充分なはずだ」
「零治。そうはいかないよ。確かにアタシは半ば巻き込まれた身だけど、最終的には自分で決断して行動したんだ。だからアタシも付き合うよ。何より、それじゃ他の連中に示しがつかない」
「姉さん。せっかくオレが逃げ口を用意してやったのに、何で台無しにしやがるんだ……」
「なに言ってんの。アタシらは姉弟じゃないか。一蓮托生、アンタだけに痛い思いはさせないって」
「はぁ。もう好きにしてくれ……」
「…………」
華琳は零治達の会話に耳を傾けつつ、前方の地平線を見つめながら思考を巡らせる。
やがて結論が出たようで、口を開いたが、出てきた内容は思いもよらぬ言葉だった。
「……今回の件は不問にしてあげるわ」
「は? 華琳。今なんて?」
「聞こえなかったの? 貴方達を罰しないと言ったのよ」
「どういう風の吹き回しだ」
「今の話だけど……我が軍で知っているのは今の所、私一人だけ。他の者は誰一人として知らないでしょうね」
「だろうな」
「全員がこの事実を知っているのならば、恭佳の言う通り、貴方達を罰しなければ他の者達に示しがつかないわ。でも私一人なら別にそこまでする必要も無いでしょう?」
「それでいいのかよ。結果はどうあれ、オレはお前に背いた行動をしたんだぞ」
「いいのよ。お預けにはなってしまったけど、貴方のおかげで馬騰と再び戦える機会に巡り合う事が出来るのだから……」
「…………」
「ただし、次は無いわよ? 今回は特別に眼を瞑ってあげるだけなんだから、勘違いしないでよね」
「ああ。肝に銘じておくよ」
「よろしい。なら、早いとこ帰るわよ」
涼州の地を手に入れた事で、劉備、孫策との戦いは遅かれ早かれ本格化するだろう。
特に劉備との戦いが本格化する事は、零治にとって黒狼達との戦いが再び始まる事を意味する。
だが零治としてはそれは望む所である。今の彼が戦う一番の理由は、この世界に来てからも一切変わっていないのだから……。
作者「翠の母君、生存」
零治「真名は翠蓮か」
作者「ああ。馬岱の真名が蒲公英だったから、花の睡蓮から付けてみた。睡の字は変えてるけど」
亜弥「ある種、彼女もオリキャラに分類されますね」
恭佳「そうだね。原作には名前しか出てこないからね」
奈々瑠「しかし……確かに長いですね。この話」
作者「言うな。オレもまさかここまで長くなるとは思って無かったんだよ……」
臥々瑠「まあ、こんなの今に始まった事じゃないけどさ。で、次はどうするの?」
作者「ん~? 拠点パートを一話投稿してストーリーを進める予定だ」
零治「なるほど。で? 次はどんな拠点パートにするんだ?」
作者「…………」
零治「おい。なぜオレを見るんだよ……」
作者「いや、別に。……フフフ」
零治「……嫌な予感がする」
亜弥「ですね。あの顔、間違いなくとんでもない話を書くつもりですね」
恭佳「ほっほぉ。そいつは楽しみだね」
奈々瑠「いいんですか? 恭佳さん、もしかしたら貴方の話かもしれないんですよ」
恭佳「大丈夫じゃない? 零治の方見てたし」
臥々瑠「確かに……」




