第32話 麗しの狼夏
ついに明かされる零治の秘密。それは一体何なのか?
その答えは本編にて。ではどうぞ、お楽しみください。
とある昼下がりの洛陽の街の繁華街。
その一角に存在する貂蝉が経営する下着店。そしてその店内に居る、以前零治達が店に来た時は居なかったゴスロリドレスを身に纏った一人の長い赤毛と長身が特徴の女性店員が接客に勤しんでいる。
「はい。お会計確かに。ありがとうございまーす」
「ありがとう。……それにしても店主、珍しいわね。貴方が女性の店員を雇うなんて」
「うふふ♪ この娘は特別なのよん♪」
「ふ~ん……」
女性客は鼻を鳴らしながら、ジッと目の前に居る女性店員を見つめる。
「な、なんですか……?」
「いえ、変わった意匠を着ているなと思ってね」
「あぁ、その服は彼女の故郷の服だそうよん」
「へぇ、そうなの。中々素敵な服じゃない」
「あ、ありがとうございます……」
「それじゃあ、今日はどうもね。貴方の見立て、中々よかったわ。また来るわね」
「はい。本日はありがとうございましたー♪」
女性店員は丁寧にお辞儀をして、店を出る女性客を見送る。
女性が出て行ったのを確認した店員は手近にある椅子の上に、まるで男のようにドカッと座り込み大きく息を吐く。
「……ふぅ~。やっと帰ったか……」
「あらあら、そんな事を言っちゃダメじゃないのん」
「うるさい。この筋肉達磨が……」
「もう、女の子がそんな口汚い言葉を使っちゃダメよん」
「オレは男だ……」
「今は女の子でしょう。零治ちゃん」
「おい! 迂闊にオレの名を呼ぶな! 知り合いに聞かれたらどうしてくれるんだっ!!」
「今は誰も居ないから大丈夫でしょん?」
「それでもだ! もしこの事が知り合いに知られたら、オレは人生に最大の汚点を残す事になる……」
「はいはい。じゃあお客さんが居る時は何て呼べばいいのよ?」
「とりあえず、狼夏とでも呼んどけ……」
「分かったわ、狼夏ちゃん♪ ふふふ、即興の偽名にしては素敵な名前じゃないのん」
「お前に褒められても全っ然うれしくないな……」
「もう、相変わらずつれない人ねぇん」
「はぁ……なんでオレがこんな事をしなきゃならないんだ……」
零治は右手で顔を覆いながらガックリと俯いて大きな溜め息を吐く。
そう、ここに居るのは女性の店員ではなく、女装をした零治なのだ。
なぜ零治はこんな事をしているのか、それを知るためには少々時間を遡る必要がある。
………
……
…
時は遡る事、三時間前。
事の発端は今朝方、零治の部屋に尋ねてきた亜弥に有った。
「失礼しますよ、零治」
「ん? 何か用か? 仕事なら今日はオレは非番のはずだが」
「ご心配なく。仕事の話で来たのではありませんよ。……ってか貴方、相変わらず休日はそうやって寝て過ごしてるんですか……?」
「別にいいだろ。外に出たってする事なんか無いんだから」
「まったく。それじゃまるで引きこもりの学生みたいですよ」
「大きなお世話だ。で? 一体何の用で来たんだ?」
「零治、いつぞやの貸しの件は憶えていますよね?」
「ああ」
「それを今日返してもらおうと思いましてね」
「あぁ、そういう事か。……で、何をしてほしいんだ? 今日の仕事を代われば良いのか? それとも飯でも奢れば良いのか?」
「いえいえ、そんなんじゃありませんよ。……えーと、まずはこれを用意しまして……と」
一体どこに隠し持っていたのか、亜弥は後ろから一着のゴスロリドレスと赤色の付け毛を取り出す。
「おい、そりゃ一体なんだ……?」
「ん? ゴスロリドレスと付け毛ですが?」
「それは見れば分かる。何でそんな物を取り出したのかが気になるんだが……」
「まあ話は最後まで聞いてください。……零治、五色狼に居た頃に培った変装術は衰えていませんよね?」
「あ、あぁ……」
「貴方には今日一日これを着て女装をしてもらい、貂蝉の店で店員をやってもらいます」
「はあっ!? ふざけんな! そんなの絶対にお断りだっ!!」
「ふむ、貴方がそう言うのも予想済みです。ですので、一つ勝負をしませんか?」
「勝負だと?」
「ええ。私との勝負に貴方が勝ったら、貸しはチャラにしてあげます。ですが負けたら……分かっていますね?」
「……勝負の方法は?」
「タバコで決めましょう。タバコの灰を折らずにどこまで吸う事が出来るか、先に灰を折った方が負け。これでどうです?」
「それは構わんが、オレとお前のタバコじゃ長さが全然違うんだが……」
「分かっていますよ。だから公平を期すために、貴方のタバコで勝負しましょう。貴方の事ですから、どうせ私のだと何か細工をしているかもしれないと疑いそうですからね」
「もし同時に折れた場合は?」
「その場合は続行に決まってるじゃないですか」
「いいだろう……」
「決まりですね。では零治、貴方のタバコを私にも一本」
「ああ」
零治は懐からタバコの箱とライターを取り出し、一本を口にくわえ、もう一本を亜弥に手渡し、部屋に煙が充満しないように窓を開ける。
「スリーカウントで同時に火を点けます。いいですね?」
「ああ」
「三、二、一……」
カウントと同時に二人はタバコに火を点け煙を吹かし始める。
普段と違い、二人はタバコを手に持って煙を吹かさず、口にくわえたまま灰を折らないように加減しながら煙を吸っては吐いてを繰り返している。
(くぅぅっ! 冗談じゃない! 女装だけならまだしも、その上あの筋肉達磨の店で店員をやるだとぉ!? そんなの絶対に嫌だ!!)
「…………」
零治は血走った眼でタバコの灰を折らないように慎重に煙を吹かしている。
対する亜弥は普段と変わらない様子で涼しげに煙を吹かしている。
しばらくして、双方のタバコが半分ぐらいまで燃え尽きた時……。
「あ゛……」
「ん?」
煙を吸うときのわずかな口の動きが原因で、零治のタバコの灰がポキっと折れてしまった。
「お、折れ……ちまった……」
「フッ。勝負は私の勝ちですね」
「…………」
「では、これは貴方に渡しておきますよ」
亜弥は放心状態の零治の膝の上にドレスと付け毛、ご丁寧にメイクセットまでをそっと乗せる。
「あぁ、貂蝉には見回りの時に私が話をしておきますのでご心配なく。では失礼しますよ」
亜弥はそう言って零治の部屋を後にする。
残されたのは未だ放心状態でベッドに腰掛けてる零治と、彼女が用意した女装用の服と付け毛と化粧品のみ。
零治は無気力な表情で膝の上にある女装セットに視線を落とす。
「…………」
しばらく黙ってそれを見つめ、やがて零治は大きな溜め息を吐く。
「はぁ~~……行くしかないか。放り出したら放り出したで、後で何をされるか分からないしな……」
零治は諦めたようにその場からノロノロと立ち上がり、ドレスと付け毛とメイクセットを乱暴に布袋に詰め込んで自室から出ていく。
………
……
…
で、現在に至っている訳なのだ。
零治は相変わらずブスッとした表情で頬杖をつきながら椅子に腰掛けている。
「それにしても零治ちゃん、貴方のそれ、凄いわねぇ」
ほぅっと溜め息を吐き、貂蝉は女装姿の零治を見つめ、頬に手を当てながら感心したように言う。
「何が……?」
「貴方のその女装姿よん♪ その服装と付け毛と完璧なお化粧♪ どこからどう見ても完全に女の子じゃないのん♪」
零治の女装姿に対して貂蝉は最大限の賛辞を贈る。
零治は決して中性的な顔立ちではないし長身なため女装にはあまり向いていないように見えるが、長い間培ってきた変装技術のおかげで女性らしく見えるように完璧な化粧をしてる上、もともと着痩せするタイプなので体格の問題も見事に解決している。
身長に関しては、これはどうしようもないが、背の高い女性も稀に居たりはするので特に問題は無いだろう。
後は胸だが……長身に対してペタンコはあまりにも不自然だと零治は思っているで、亜弥ほどの巨乳とまではいかないが、中に詰め物をしてそこそこの大きさがあるように見せてある。
今この場に居る零治は、誰がどう見ても珍しい服装をした長身の女性にしか見えなかった。
「ちっとも嬉しくない褒め言葉だな……」
しかし褒められた当人は仏頂面をして足を組みながら頬杖をついてそっぽを向き、無愛想に答える。
しかも足を組んでいて、膝下までドレスの丈があるおかげでスカートの中は見えそうで見えない状態だが、決して女性として褒められたような姿ではない。
この場に、この女性の正体が女装をした零治だと知らない人物が居たら、誰もがこう思うだろう。
この人、女性なのになんてはしたない格好をしているんだ、と。
「もうそんな顔しないの。せっかくの美人が台無しよ」
「お前、ケンカ売ってんのか?」
「もう、すぐそうやって怒るんだから」
貂蝉は零治の態度にひょいっと肩をすくめる。
「……フンっ!」
零治は相変わらず不機嫌な表情のまま椅子に腰かけて、苛立ちを露わにしながら鼻を鳴らす。
「ねえ零治ちゃん、もう一つ訊いても良いかしらん?」
「何だ?」
「貴方のその女装姿は分かるんだけど、声はどうやって変えてるよ? 今の貴方の声、完全に女の子の声をしてるじゃないの」
「ん? あぁ……」
そう。貂蝉が指摘しているように今の零治は姿だけではなく、声も完全に女の声をしているのだ。
当然ながらこれは魔法でちょっと声を変えているだけの事。
しかし零治はそれを説明するのが面倒と判断し、右手をひらひらと振りながら適当に誤魔化す。
「秘密特訓のおかげだ……」
「へぇ~そうなの。ねえ、あたしもその特訓をやったら女の子の声に変えれるかしらん?」
(そんなナリで女の声なんかで喋ってもキモいだけだろうが……。……あっ、やべっ! 想像したら……吐き気が……っ!)
零治は青ざめた顔で思わず口元を抑えそうになるが寸での所で踏み止まる。
そこへ三人の女性客が来店し、零治は素早くその場から立ち上がり、気持ちを切り替えて満面の営業スマイルを浮かべながら黄色い声で挨拶をする。
「いらっしゃいませー♪」
「ほら、二人ともー、ここが亜弥様が言っていたオススメのお店だってー。ちょっと見ていこうよー」
「おい沙和、今は仕事中だぞ。それに異常が無いか立ち寄るだけって言ったじゃないか」
「まあ堅い事言いなや凪。ちょっと見ていくだけやき」
「はぁ……ちょっとだけだぞ……」
「…………」
零治の眼が点になる。目の前に居る来店客は凪、真桜、沙和の三人。しかも彼女達は本来なら勤務中の時間であるが、今の三人はどう見ても仕事をしている様子は無い。つまりはサボりである。
普段の零治ならこの場で注意をしている所なのだが、そういう訳にもいかなかった。
(くっそー、この姿じゃなけりゃ注意をしているんだが……かと言って後で追及する訳にもいかないか。下手をしたら女装の事がばれる可能性もある。仕方ない、今回は特別に眼を瞑ってやるとしよう……)
「はーい♪ いらっしゃいませ~ん♪」
零治が一人考えてる中、貂蝉が営業スマイルを浮かべながら三人の所に歩み寄り、シナを作って挨拶をする。
「うわっ!? なんやこのごっついオッサンは! キモいにも程があるでっ!」
「誰がキモいですってぇ! カワイイが抜けてるんじゃないのさぁ!」
「どう考えてもその四文字はいらんやろ!」
(その意見にはオレも激しく同意だな……)
「お、落ち着け、真桜。店の人に向かってキモいは流石に失礼だろう……」
「何や? じゃあ凪はアレ、キモくないって言うんかいっ!?」
「い、いや……その……」
凪は何度も貂蝉の姿をチラ見しながらどう答えたものか悩んでしまい、言葉に詰まる。
(凪、悩む必要なんかないぞ。一般的な思考回路を持った人間なら、そいつの事をキモくないと思う方がおかしいんだからな)
「もう、揃って失礼なお客さんだこと。……狼夏ちゃん、彼女達の相手をお願いね」
「えっ? いや、ちょっ……!」
貂蝉はそう言って踵を返し、零治の言葉には耳を貸さずにさっさと店の奥に引っ込んでしまう。
残されたのは女装した零治と、音無警備隊の三羽鳥のみ。店内に奇妙な沈黙が広がる。
(はぁ……仕方ないな。まあ、声は魔法で女の声に変えてあるし、不用意な発言さえしなければ正体がばれる事はないだろう)
零治はその場で数回深呼吸をして気持ちを落ち着け、三人の所に歩み寄る。
そして、思わず周囲の人間が見とれてしまうような可愛らしい笑みを浮かべながら黄色い声で挨拶をして見せる。
「いらっしゃいませー♪ 本日は何をお探しでしょうか?」
「…………」
「うわー……このお姉さん、とっても美人さんなのー……」
「ほ、ホンマやで……。背も高くてスラーっとしてて……姉さんとええ勝負なんやないか?」
凪は言葉を完全に失い女装姿の零治に見とれ、真桜と沙和の二人はその姿を大絶賛する。
本人達は褒めているつもりなのだろうが、その言葉は零治の心をグサグサとえぐる。
(ははは。どうやらばれる心配は無さそうだが……全っ然嬉しくない褒め言葉だなっ! ……あれ? なんか視界が滲んできたぞ……)
「ん? あの、どうかしましたか?」
「お姉さん、泣いてるのー?」
「なんや? なんか辛い事でもあったんか?」
(あぁ、あったさ! たった今なっ!)
零治は眼をゴシゴシと擦り、作り笑いを浮かべながらその場を誤魔化す。
「い、いえ……何でもありません。ただちょっと、眼に……ゴミが……っ!」
「……そ、そうですか」
「……オホン、失礼致しました。それでお客様、今日は何をお探しでしょうか?」
「あ、いえ、私達は異常が無いか立ち寄っただけですので、これで失礼します」
「えー? 沙和はもう少し見ていきたいのー」
「せやせや。ウチももうちょっとここに居たいんやけどなぁ」
「二人とも。隊長に見つかったら何て言い訳をするつもりだ? あの時みたいに、また二百枚も始末書を書かされたいのか……?」
「うっ……それは嫌やな……」
「沙和も当分の間は始末書は見たくないのー……」
いつぞやの亜弥との酒盛りで引き起こした大事件を思い出したのか、始末書という単語を聞かされた真桜と沙和は嫌そうに表情を歪める。
「それが嫌なら行くぞ」
「しゃあない、行くか」
「はーいなのー。……あ、お姉さん、今度仕事がお休みの時にまたここに来るから、いろいろ見立ててほしいのー」
「はい、分かりました。お待ちしてますね。本日はありがとうございましたー♪」
零治はぺこりとお辞儀をし、退店していく三人を見送り、その場から居なくなった事を確認した零治は再び椅子に腰かけ、大きく息を吐く。
「はぁ~……無駄に疲れた。まさか凪達がここに来るとはな……。これ以上この場に知り合いが来ない事を願うぜ……」
だが無情にもその願いが聞き入れられる事はなく、零治の苦労は更に続く事となる。
………
……
…
「ほら稟ちゃん、着きましたよー」
「着きましたよって……風、なぜ下着店に来る必要があるの?」
「…………」
続いて風と稟が店に来店。またもや零治は眼が点になる。
「いやいやー、いずれは稟ちゃんも華琳様と閨を共にするかもしれないでしょう? その時のための勝負下着はやはり必要だと思いましてー」
「しょ、勝負下着ってっ!?」
「ほらほら稟ちゃん、これなんかどうですかー?」
慌てふためく稟をよそに、マイペースの風は売り場から一着の下着を手に取り、稟の前に広げて見せる。
「ちょ、ちょっと風! この下着……しょ、正面に穴が……っ!」
(穴?)
稟の反応が気になった零治は眼を凝らし、風が手にしている下着を凝視する。
一見何の変哲もない普通の形の下着に見えるが、よーく見てみると確かに、正面には小さめの穴らしきものが存在していた。
(おい……あれじゃ大事な所が丸見えじゃないか。貂蝉の奴、どういう趣味してんだ……。ってか、あんな下着買う奴が居るのか?)
「…………ぶはっ!」
自分がその下着を着けている姿でも想像したのか、稟は盛大に鼻血を吹き出して仰向けに床の上にぶっ倒れてしまう。
(あぁもう、店の床を鼻血で汚すなよなぁ。商品にはかかってないだろうなぁ……? はぁ……後で掃除しないと)
「稟ちゃん、大丈夫ですかー?」
風はその場にしゃがみ込み、稟の頬をツンツンと突っついて状態を確認する。
しかし、稟の口からは呻き声が漏れるだけであった。
「…………うぅぅ」
(はぁ、無視する訳にもいかないし、行くか……)
零治は諦めたように内心溜め息を吐き、二人に歩み寄り声をかける。
「あの、お客様。大丈夫ですか?」
「おおっ。ここの店員さんですかー? いやー、連れの者がご迷惑をおかけして申し訳ありませんねー」
(いや、これは半ばお前のせいだと思うのだが……)
「ほら稟ちゃん、こんな所で寝ていてはお店の人に迷惑ですよー。起きてくださーい」
「う……ん。……あれ? 私は一体……?」
「あの……よろしければ、コレどうぞ……」
零治は風に鼻紙を手渡す。彼なりのせめてもの気遣いだろう。
「これはご丁寧にありがとうございますー。……はい、稟ちゃん、お鼻かみますよー。はい、ちーん」
「……ちーん」
「大丈夫ですか?」
「は、はい。あの……すみません。お店の床を汚してしまって……」
「あぁ、いえ、お気になさらずに。こちらで掃除はしておきますので」
「本当にすみません」
「なになに? 随分と騒がしいようだけれどん?」
貂蝉がぬうっと奥から姿を現し、零治達の所まで歩み寄ってくる。
「ひゃあああああっ! お化けーっ!!」
稟にはあまりにも衝撃が強すぎたのか、貂蝉の姿を見た途端、普段の落ち着いた様子からは想像も出来ないような黄色い声で悲鳴を上げる。
「だぁぁれが背後霊にしては随分と肉感的で存在感ありすぎて困っちゃうわ、ですってぇ!」
(そこまで言ってねぇ言ってねぇ。つーか、お前みたいな背後霊が居てたまるか)
「…………はうっ!」
「あー、また鼻血出してー。ほら稟ちゃん、とんとんしますよー。とんとーん」
「……もがふが」
「人って驚いた時にも鼻血を出すのねぇ。知らなかったわ」
(いや、こいつの場合は例外だっつーの……)
「むむむ。どうも稟ちゃんには刺激が強すぎたようですねぇ。今日はこの辺にしておきましょうかー」
(どう考えてもそれ以前の問題だと思うのだが……)
「では風達はこの辺で失礼しますねー。どうもお騒がせしましたー」
風はぺこりとお辞儀をし、稟の服の襟元を掴み、そのままズルズルと稟を引きずってその場を後にした。
「…………」
「なかなか個性的な子達だったわねぇ」
「ツッコムとこそこかよ……。……おい貂蝉、掃除用具はあるか?」
「あるけど、急にどうしたの?」
「どうもこうも、これを放っておくわけにはいかないだろうが」
零治はそう言いながら稟が床に残していった鼻血の血だまりを指差す。
道端に出来た水たまりのように残された血だまりをこのまま放置するわけにもいかない。
お客さんの視覚的にも問題ではあるし、何より血は乾いて固まってしまうとなかなか落とせなくなり掃除が困難になってしまうのだ。
「あぁ、確かにそうね。ちょっと待っててね。今取ってくるから」
貂蝉はスタスタと店の奥に引っ込み、それからすぐに掃除用具を持ってその場に戻ってくる。
「はい、お待たせ」
「おう、悪いな。……って」
「何? どうしたの? そんなに道具を凝視して。それがそんなに珍しいのかしらん?」
「いや、何でもない……」
「そう。じゃあ、あたしは奥に行ってるからここはよろしくね?」
「あ、ああ……」
貂蝉は再び店の奥に引っ込み、その場を零治に託す。
零治は再び貂蝉に手渡された掃除用具を凝視する。
「これ……柄の部分が木製だが、どう見てもモップだよなぁ……? 本当にここは中国なのか? 考えても仕方ない。とりあえずここの掃除を済ませるか」
零治は頭を軽く左右に振って疑問を振り払い、モップの先を木製のバケツの中の水に浸け、先を手でぎゅうっと絞って水気を落とし、血だまりの掃除を開始する。
「あぁ……ったく。こんなに汚していきやがって。鼻血を出すんなら時と場所を選んでもらいたいぜ……」
零治は一人ブツブツと文句をブーたれながらモップで血だまりをゴシゴシと擦る。
するとたちまち、モップの毛先が血で真っ赤に染め上がる。
「うおっ……もう毛先が真っ赤になっちまった。あぁ、これを手で絞るのは気持ち悪いが仕方ないか……」
零治はモップの先を再びバケツの水にジャブジャブと浸し、引き上げた毛先を恐る恐るの手つきで絞り上げる。
「あぁ、気分がわりぃや。早いとこ済ませるか」
零治が再度掃除を始めようとした時、またもや新たな客が来店してくる。
零治は視線を入り口に移し、モップで床を擦りながら黄色い声で挨拶をする。
「いらっしゃいませー♪」
「おーい、季衣、流琉。この店みたいやで」
「霞ちゃん、ボク達をこんな所に連れてきてどうしたの?」
「……見た所、女物の下着専門店のようですけど」
「いやー、さっき凪達に会った時に聞いたんやけど、この店に変わった意匠を着た美人がおるみたいやき、一目見てこうと思ってなぁ」
今度は霞、季衣、流琉の三人が店にやってくる。
流石の零治も我慢の限界なのか、今すぐに大声を張り上げたい気分になる。
(何なんだよ今日はっ!? どうして今日に限って知り合いがこうも頻繁に店に来るんだっ! 厄日か! 厄日なのか!?)
「あっ、ねえ二人とも。もしかしてあの人じゃないのかなぁ? 変わった服を着てるし」
「えっ? ……あ、ホントだ。うわぁ、本当に凄く綺麗な人」
「どれどれ? ……うおっ! ホンマごっつう美人やなぁ。思わず見とれてまうわぁ」
三人は目の前に居る人物が零治とは知らずにその姿を大絶賛。
再び零治の心はグサグサとえぐられる。
(ははは……そうか。今のオレは美人か……。神よっ! アンタはオレに何か恨みでもあるのか!? オレを虐めてそんなに楽しいのかっ!? ……あれ? なんか眼から水が……)
「ね、ねえ二人とも……あのお姉さん、なんだか泣いてない……?」
「そ、そう言われれば……そんな気が……」
「な、なあ姉ちゃん、ウチらひょっとしてアンタを傷つけるような事を言ってもうたか? もしそうやったら謝るき、泣かんとってや。なっ?」
「い、いえ……眼にゴミが入っただけですから、お気遣いなく……っ!」
零治は眼をゴシゴシと擦り、半ばやけくそ気味の作り笑いを浮かべながらその場を誤魔化す。
もう見ていて痛々しい光景だ。
「そ、そうなん……?」
「はい。私は大丈夫ですから。……それで、今日は何かお探しですか?」
「あ、いやちゃうねん。ウチらアンタの姿が見たくて来ただけなんよ。ごめんなぁ、仕事の邪魔してもうて」
「い、いえ、お気になさらず。そんなに忙しくもありませんので」
「ねえ、お姉さんどこの国の人なの? そんな服見た事ないし、よその国の人だよねぇ?」
「えっ、えーと……その……」
零治が季衣の質問にどう返答したものか困り果ててる時、幸か不幸か、貂蝉という名の助け舟が現れる。
「なになに。また騒がしいようだけれど。何かあったの?」
「ひゃあっ!?」
「きゃああああっ!」
「うおわっ!? な、なんやコイツ!? ば、化けもんかっ!?」
「だぁぁれが怪しいと書いて怪物、妖しいと書いて妖物、化けると書いて化物の三つまとめて愉快なバケモノ三昧ですってぇぇぇえっ!!」
「ちょっ、そこまで言っとらんやろ!」
(そこまで誇張すると意味が分からんな……)
「おい姉ちゃん、アンタこんな奴の所で働いとるんかっ!?」
「私にも色々と事情があるんです。どうか察してください……」
「そ、そうか……。まあ、事情があるんなら仕方ないけど、もし仕事を変える気があるんやったらウチに声をかけや。アンタの事雇ってもらうよう掛けあっちゃるき。ウチらんとこの主は綺麗な女の子が大好きやから、アンタみたいな美人やったら、きっと侍女としてすぐに雇って良くしてくれるはずやで」
きっと霞は無理矢理ここで働かされてるとかそんな風に思っているのかもしれない。だからここまで親身になって話してくれるのだろう。零治もそれは理解している。
しかし、今の彼にその言葉は逆効果。零治の心が更に深々とえぐられる。
(あははははは……霞さん、その優しさがオレの心を深々とえぐってくれるんですが! それに、オレは既に雇われてる身なんだよね……男として! 客将として!)
「は、はい。考えておきます……」
「ああ。ホンマ真剣に考えときや。その方がアンタのためやき。……季衣、流琉。行くで」
「は、はーい……」
「あ、あの……お仕事頑張ってくださいね……」
「はい。本日はありがとうございましたー♪」
半ばやけくそ気味の作り笑いを浮かべながら零治はぺこりとお辞儀をし、三人を見送る。
しかし、流石の零治も限界なのかその姿にはどことなくだが、哀愁が漂っていた。
「オレ……心が折れそう……」
「零治ちゃん、大丈夫?」
「うるさーーい! オレに話しかけるなーーっ!!」
「ちょっと零治ちゃん、気持ちは分かるけど、お店の中でそんな大声を出しちゃダメじゃないのん」
「ぜぇ、ぜぇ……ぜぇ……っ! もう……二度とこんな事はやらないからな……」
しかし、心身ともに疲労困憊の状態の零治に追い討ちを掛けるかのように、とんでもない人物達が店に来店する。
「いらっしゃい……ま……せ……っ!?」
「失礼するわよ」
零治の表情が強張る。目の前に居る人物は、春蘭と秋蘭を連れ立った華琳。それに今回の出来事の発端の亜弥に奈々瑠と臥々瑠であった。
(これは死刑宣告と受け取っていいのか……?)
「亜弥、ここが貴方のお勧めの店なの?」
「ええ」
「あのー、華琳様。この店はやめた方がよろしいかと……」
「どうして? 何か知っているの? 春蘭」
「はぁ。私は以前この店に来た事がありまして……その、店主に少々問題が……」
「問題のある店主? どんな人物なの?」
「えーっと……あぁ、彼がそうですよ」
「いらっしゃいませ~ん♪」
貂蝉はくるんとセクシーポーズを取って華琳達に挨拶をする。
亜弥、奈々瑠と臥々瑠の三人は以前に来た事があるので慣れてはいるが、華琳と秋蘭はどう反応していいか分からず硬直してしまう。
「……亜弥、アレ以外に店員は居ないのかしら……」
「華琳、彼にも貂蝉という名前があるのですから、アレ呼ばわりするのはどうかと」
「私がどう呼ぼうと私の勝手でしょう……。それよりも、この店にアレ以外に店員は居るの? 居ないの?」
「やれやれ……。でしたら、彼女はどうですか?」
「彼女?」
亜弥に促され、華琳は女装姿の零治に視線をやり、眼を合わせる。
(あっ……眼が……合っちまったっ!)
「へぇ~……」
(正体がばれませんように! ばれませんように! ばれませんようにっ!!)
零治は必死に心の中で正体がばれないように祈り続ける。
ここまで完璧な変装なら華琳を欺く事も可能だろうが、人間とはどこでボロを出すか分からない。
だからこそ、華琳の接客をするとなると細心の注意を払う必要があるのだ。
「春蘭、あの娘もこの店の店員なのかしら?」
「さあ? 私が一人で来た時には、あのような娘は居ませんでしたので」
「貂蝉、彼女もこの店の店員ですよね?」
「ええ。今日から入った新人さんよ」
「ふむ」
華琳は女装姿の零治の前までツカツカと歩み寄り、顎に手を添えながら、頭のてっぺんからつま先まで値踏みでもするかのようにジックリと観察する。
「あ、あの……何か?」
「貴方、名前は?」
「へっ?」
「貴方の名前よ。なんという名なの? よかったら教えてくれないかしら?」
「ろ、狼夏……です」
「狼夏……そう。貴方に相応しい素敵な名前ね」
「あ、ありがとう……ございます……」
「まだ名乗っていなかったわね。私は曹操よ。よろしくね、狼夏」
「は、はい……こちらこそ」
「狼夏ちゃん、あたしの出番は無さそうだから、ここは貴方に任せるわね」
「えっ!? いや、おま……っ!」
貂蝉は零治の抗議には耳を貸さずに、そのまま店の奥に引っ込み、すべてを零治に任せてしまう。
「へぇ……貴方、新人なのにもう店内を任されるほどなの? 大したものね」
「は、はぁ……どうも」
「では狼夏、下着を幾つか拝見させてもらうわね。もしかしたら貴方の意見も訊くかもしれないから、その時はお願いね?」
「は、はい。どうぞごゆっくり……」
「春蘭、秋蘭、付いてきなさい」
「はっ」
「御意」
華琳は春蘭、秋蘭と共に店内を見回り、売り場に並んでいる様々な下着を物色し始める。
「春蘭、貴方もついでにここで新しい下着を買ったら?」
「はっ? しかし、華琳様。私は以前新しい下着を既に……」
「それは秋蘭に選んでもらって買った物でしょう? 今日は自分でちゃんと選んで買ってみなさい」
「うむ。私も華琳様に同意見だぞ、姉者」
「うぅ……」
零治は華琳達が店内の商品に気を取られるのを確認し、ギロリと殺気の籠った視線を向けながら亜弥を睨み付けて、スカートの裾を両手でつまんで持ち上げ、ズンズンと歩み寄る。
「テメェ……一体何しに来やがった……っ!」
女の姿をし、女の声のまま零治は普段の口調で亜弥に話しかける。
実にシュールな光景である。
「そんな眼で睨まないでくださいよ。怖いですねぇ。ちょっと様子を見に立ち寄ったんですよ」
「ならなぜ華琳達を一緒に連れて来やがるんだ。オレに対する嫌がらせか……」
「彼女達とはたまたま街で会ったんですよ。で、華琳が新しい下着を買うから、お勧めの店を教えてくれと頼まれまして」
「それでここへ来たと、そういう事か?」
「ええ。……零治、私も訊きたい事があるんですが」
「何だよ?」
「何でそんなに不機嫌なんですか? 別に女装するのは初めてではないでしょう?」
「今日はいろんな意味で疲れたんだよ。主に心が……」
「どういう事です?」
「凪、真桜、沙和の三人から始まり、稟に風、それに霞、季衣と流琉と知ってる奴らが次から次へと店に来たんでな……極めつけは華琳達三人だ……」
「あぁ、それでですか」
「おまけに揃いも揃ってオレの事を美人だの綺麗だのとべた褒めしやがる始末だ。おかげでオレの心はズタボロだ……」
「いいじゃないですか。現に今の貴方は本当に美人ですよ」
「良くないっ!!」
「に、兄さん、落ち着いてくださいっ! あまり大きな声を出すと華琳さんに聞こえちゃいますよ!」
「はっ!?」
零治は慌てて華琳達の方に視線を移すが、三人は黙々と下着選びに没頭している。
「き、聞かれてないよな……?」
「大丈夫だと思うよ。こっちを見てなかったし」
「ふぅ~……」
「それにしても……兄さん」
「何だ……?」
「話には聞いてましたけど、凄いですね、その変装。どう見ても同一人物には見えませんよ」
「うんうん。どっからどう見ても女の子だねぇ」
「二人とも……頼むからこれ以上オレのボロボロの心に追い討ちを掛けないでくれ。……あ、また眼から水が……」
「ちょっ!? に、兄さん!?」
「うわっ!? 兄さんが泣いてる姿なんか始めて見たよ……」
「これは……なかなか珍しい光景ですね」
「テメェ……後で憶えてろよ」
「失礼。今よろしいか? 狼夏よ」
「あっ、はい。なんでしょう?」
後ろから秋蘭に声をかけられ、零治は先ほどまでの不機嫌な表情を素早くキラキラと輝く営業スマイルに切り替える。見事な気持ちの切り替えようである。
「ん? どうかしたのか? 眼が赤くなっているが」
「いえ、ちょっと眼にゴミが入っただけですので、お気になさらず。それで何か御用でしょうか?」
「うむ。我が主がお主をお呼びだ。すまぬがこちらに来てもらえるだろうか?」
「はい、かしこまりました」
奈々瑠と臥々瑠は目の前に居る人物が未だに零治とは思えず、接客に勤しむその姿を見て唖然とする。
「凄いですね、姉さん。さっきと態度が全然違いますよ……」
「そりゃ接客業をする以上は当然ですよ」
「それでもホント凄いよ。アレが兄さんだなんて未だに信じられないや」
「まあ、二人は女装姿の零治を見るのは初めてですから、その気持ちは分からなくもありませんが。……あぁ、秋蘭。私達は用がありますのでこれで失礼しますね」
「そうか。今日はわざわざ店に案内させてしまって悪かったな」
「いえ、気にしないでください。……二人とも行きますよ」
「あ、はい。……あの、仕事、頑張ってくださいね」
「ばいば~い。応援してるからね~、お姉さん」
奈々瑠と臥々瑠は店を立ち去る間際に、零治にささやかなエールを送る。
(一体何をどう頑張れというのだ……?)
零治は内心溜め息を吐きながら秋蘭の後に続き、華琳の下まで足を運ぶ。
「華琳様、お連れいたしました」
「ありがとう。ごめんなさいね、急に呼びつけたりして」
「いえ、これが仕事ですので。それでどういった御用でしょうか?」
「この中の下着から必要な物に絞り込みたいの。良かったら貴方の意見を聞かせてほしいのよ」
華琳の目の前の台の上には、以前の時と同じように大量の下着がズラリと並べられている。
(またかよ……。てか、コイツ毎回こうやって下着を選んでいるのか? 豪快というかなんというか……)
「ん? どうかしたの?」
「あ、いえ、何でもありません。では、僭越ながら……」
「ええ。よろしく頼むわね。……春蘭、ここは構わないから、貴方も自分の下着を選んできなさい」
「は、はぁ……分かりました」
春蘭は華琳に言われるがままにその場を離れ、一人店内の売り場の下着を物色し始める。
「秋蘭」
「はい」
「念のため、春蘭の監視をお願いね」
「はっ。承知いたしました」
華琳に言われ、秋蘭も春蘭の後に続き、売り場で悪戦苦闘している春蘭の動向を後ろから見守る。
(春蘭に一人で自分の下着を選ぶのはかなりの難題だよなぁ。なんせ以前選んだ下着がアレだったし……)
「さて、こちらも始めましょうか」
「かしこまりました」
「まずは……これなんだけれど、どうかしら?」
華琳は姿見を前にし、手に取ったブラジャーを胸に当てて意見を訊く。
その姿に零治は表情を引きつらせる。なぜかと言うと……。
「そ、曹操様。その下着は少々布の面積が小さい気がするのですが……随分と大胆な下着をお選びになるのですね……」
「これぐらいの物を選ばないといけないような気がするのよ……」
「もしや……意中の殿方でもいらっしゃるのですか?」
「そういう訳ではないのだけれど……そうね、貴方になら話してもいいかもね」
「と、申しますと?」
「以前下着を買いに行った時の事なんだけれど……その時もこうやって下着を選んでいたのよ」
「はい」
「その時は当時一緒に居た連れの男に選ばせてたのよ。で、そいつの事を少しからかってあげようとしたのだけど……どの下着を選んでもそいつは顔色一つ変えなかったわ」
(華琳の奴、あの時の事まだ根に持ってんのか? やれやれ、ウチの君主様は案外子供っぽいのな……)
「その後も何件か店を梯子したのだけれど、結局その男を動揺させる事はできなかったわ」
「なるほど。それで意趣返しをしようと?」
「ええ。今度は直接この下着を着けた姿を見せて、次こそはそいつを動揺させてやるつもりよ」
(フッ。悪いな華琳。生憎とオレは亜弥の下着姿を散々見せられてきたからな。耐性は充分についているぞ)
「まあそういう事なのよ。それでこの下着はどうかしら?」
「とてもお似合いですよ」
「そう。これならどんな男も動揺させれそうかしら?」
「さあ? そこまでは私にも分かりませんね。そういった事を私はした事がありませんので」
「あら? 貴方、恋人とかは居ないの?」
「はい」
(嘘は言ってないぞ)
心の中でそう付け加える零治。
「貴方ほどの美人なら、周りが放っとかないと私は思うのだけれど?」
「多分……無愛想だからじゃないでしょうか? よく周りから言われてますし」
(これも嘘じゃないな。実際昔はよく言われてたし)
「無愛想? 貴方が? それだけ愛嬌があるのに?」
「仕事時は気持ちを切り替えてますからそう見えるだけです。素の私は結構無愛想ですよ。……と言っても、気に入らない相手限定で、ですが……」
「あら、そうなの? ちょっと見せてくれないかしら?」
「今は仕事中ですので丁重にお断りさせていただきます」
「あらあら、つれないのね」
「そ、そういう訳では……」
「ふふ。冗談よ。……さて、話はこれぐらいにして、続けましょうか。狼夏、もう少しだけ付き合ってちょうだいね」
「はい。かしこまりました」
零治は恭しくお辞儀をし、華琳の下着選びに付き合い続ける。
そして、あっという間に時間は過ぎていった。
………
……
…
「はい、お会計確かに。ありがとうございまーす♪ こちらお買い上げの商品でございます」
零治は愛嬌たっぷりの笑みを浮かべながら華琳が購入した下着を紙袋に詰め、丁寧にそれを手渡す。
「狼夏、今日はありがとう。おかげで良い買い物ができたわ」
「恐れ入ります」
「さて、それはさて置き……春蘭」
「は、はい……」
「貴方、これだけ良い品が揃っているにもかかわらず、どうして自分で選ぶ事が出来ないの」
「で、ですが華琳様、私が選んだ物はどれも秋蘭にダメだしされてしまったので……」
「それは当然だろ。姉者が選んだ物はどれも女らしさに欠ける物ばかりだったのだからな」
どうやら春蘭は今回も自分で選ばせてもらえず、結局何も買わずじまいで終わってしまったようだ。
「やれやれ。なら、今度は彼女にでも選んでもらうべきかしら?」
「はっ? 私がですか?」
「ええ。貴方のその眼力は確かなものよ。今日の見立ても、とても素晴らしかったわ」
「はぁ……ありがとうございます」
(嬉しくない褒め言葉だな……)
「それじゃあ私達は失礼するわね。また来るわ、狼夏」
「はい。またのお越しをお待ちしておりまーす♪ 本日はありがとうございましたー♪」
零治はぺこりと恭しくお辞儀をし、退店していく華琳達を見送る。
三人が出て行った事を確認した零治は、大きな溜め息を吐きながら安堵の表情を浮かべる。
「はぁ~~……危機は去った……つ、疲れた……」
「零治ちゃん、お疲れ様」
いつの間にか店の奥から姿を現した貂蝉が零治に労いの言葉を掛けるが、零治は恨めし気な視線で貂蝉を睨み付ける。
「貂蝉、テメェ……オレ一人に全部押しつけやがって……っ!」
「それは悪かったと思ってるわよん。でもしょうがないじゃないの。あたしあの子に嫌われてるみたいだったから」
(まあ、相手があの華琳だしな)
「それより零治ちゃん、はいこれ」
貂蝉は手に持っている茶色い封筒を零治に手渡す。
「なんだこりゃ?」
「今日の分のお給金よ。今日は零治ちゃんに殆ど仕事を任せっきりだったし、流石にタダ働きはあまりにも酷いでしょう?」
「……とりあえず礼は言っておいてやる」
「あら、珍しく素直じゃないの」
「お前オレを何だと思ってるんだ?」
「ふふ。冗談よ。だからそんな顔をしないの。……あぁ、後の事はあたしがやっておくから、零治ちゃんは帰ってもいいわよん」
「そうか? しかし床の掃除がまだ……」
「それもあたしがやっておくわ」
「そうか。ではそうさせてもらおう」
「ええ。今日はありがとねん。もし気が向いたらまた仕事をしに来てもいいわよん」
「それはお断りだ。……っと、なあ貂蝉。この店、裏口は有るか?」
「一応あるわよ」
「ならそっちから帰らせてもらう。表口から出る所を知り合いに見られたらマズイからな」
「ええ、どうぞ。今日はお疲れ様」
「あぁ、ホントに疲れたわ……じゃあな……」
零治はくるりと背を向け、後ろ手で貂蝉にひらひらと手を振りながら店の奥に引っ込み、着替えを済ませ、裏口へ向かう。
「誰も……居ないよな?」
零治は裏口の戸をそっと開き、付近に知り合いが居ない事を確認し、ささっと外へ出て、裏口の戸をそっと閉め、店の壁に背を預けて懐からタバコを取り出し、火を点けて煙を吹かし始める。
「フーー……やっと解放されたぜ。ったく、今日ほど最悪な休日はなかったな。もう帰って寝よ……」
零治はタバコを一気に吸い、大きく煙を吐き出し、吸殻を携帯灰皿へ捨てる。
そして、フラフラした足取りで一人城に帰って行った。
零治の災難に満ちた休日はこうして終わりを迎えたのだった。
零治「…………」
亜弥「ん? 零治、どうしました?」
零治「…………」
作者「返事が無い。ただの屍のようだ」
零治「…………」
臥々瑠「反応が無いね」
奈々瑠「あれ? なんかデジャヴ……」
作者「気のせいだろ? ……お~い、大丈夫か~? 我らが主人公殿~」
零治「大丈夫じゃ……ねえぇぇぇぇっ!!」
作者「ぐえっ!!??」
亜弥「ちょっ!? 零治、何をしてるんですか!?」
零治「見りゃ分かんだろ! コイツの息の根を止めてるんだよ!」
作者「やめ……首は……やめ……で……っ!」
奈々瑠「兄さん、落ち着いてください! それ以上首を絞めたらホントに死んじゃいますよっ!」
零治「やかましい! こんな奴死んでも誰も困らねぇだろうが!」
臥々瑠「ダメダメダメダメーっ!! 作者が死んじゃったらこの作品そのものが終わっちゃうんだよ! だから手を放してー!」
作者「あっ……綺麗な……お花畑が……」
亜弥「あっ」
零治「ぜぇ、ぜぇ……。フンっ! もうオレは寝るっ!」
奈々瑠「あっ! ちょっと、兄さん!?」
作者「…………」
臥々瑠「ねえ、カニみたいに泡吹いてるけど……生きてるの?」
亜弥「……大丈夫です。とりあえず息はしてるみたいですね」
奈々瑠「で、コレはどうするんですか? 兄さんはどこかに行っちゃうし……」
亜弥「ん? もう終わりでいいんじゃないですか?」
臥々瑠「い、いいのかなぁ……? こんな終わり方で」
亜弥「いいんですよ。いつもの事なんですから。……では読者の皆さん、また次回でお会い致しましょう」




