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第105話 命名と暴露

もう一人の星の名前が決まる回になります。しかし、それによりある人物に災難が降りかかる事に。

「うっ……うぅ~ん……」



三国の英傑達にとってとても長い波乱に満ちた一日が終わり、夜が明けた。上空に存在している叡智の城ヴァイスハイトのせいで辺りは相変わらず薄暗く、窓には陽の光も差し込まないので分かりにくいが、外から小鳥のさえずり声が聞こえてくるので朝の時刻なのだとすぐに分かる。小鳥の鳴き声が耳に入り、まだ名前が与えられていない零治と星の娘が気怠そうにムクリと上体を起こし、右手で両眼を擦った。



「ふわぁ~……よく眠りました」



これが平和な世の中ならばこの何気無い光景も微笑ましく思えるのだろうが、大陸全土に宣戦を布告した黒狼達の存在がまだ残っているのでそうも言っていられない。当然ながらもう一人の星はこの大陸が消滅の危機に瀕している事を知らないのでそういった危機的感情が全く無い。しかしこれは仕方ない事だ。だから誰も咎めはしない。もう一人の星は両腕を大きく上に伸ばして身体の凝りを解し、自分の隣で穏やかな寝息を立ててまだ寝ている、母と慕う星の姿が眼に入った。普通なら起こしては悪いと思い、ここは静かに自分だけが起きたりする場面なのだろうが、精神面がまだ子供であるもう一人の星にそんな考えなど一切無く、両手を伸ばして星の身体を揺すり始めた。



「母上。朝ですぞ。起きてください」


「むっ……むぅ~ん……」



どれだけ深い眠りについていても身体を揺さぶられては誰だって嫌でも眼が覚めてしまう。娘に無理やり起こされた星は気怠げな呻き声を漏らすと、両眼を薄っすらと開いて上体を起こし、右手で口元を覆いながらだらしなく大欠伸をした。



「ふわぁ~……うぅ~む。何だ。もう朝なのか……?」


「おはようございます、母上」


「あぁ、おはよう。お主は随分と早起きなのだな」


「当然です。武人は身体が資本ですぞ?」


「やれやれ。生真面目な事だな。私ならもう少し惰眠を貪りたい所なのだがな」


「母上。何を情けない事を言っているのですか。さあさあ。早く起きてください」



もう一人の星はベッドから降りると反対側に回り込んで星の右腕を両手で掴んで引っ張り、早く起きろと星にせっついてきた。流石の星もここまでされると起きざるを得ないし、二度寝しようにも眠気は完全に無くなってしまっている。何より今日は黒狼達への対処の話がされるはずだ。いつまでも寝ているわけにはいかないのは星も分かるが、もう一人の星がここまで急ぐ理由が分からなかった。少なくとも朝議にはまだ時間が充分にあるはずである。



「おいおい。そんなに引っ張るでない。何をそう急いでおるのだ? 朝議にはまだ時間の余裕があるではないか」


「父上を起こしに行くのですよ。さあさあ。早くしなくては父上を起こしそびれてしまいますぞ」


「全く。こんな朝早くに零治殿を叩き起こして、後で文句を言われても私は知らんぞ?」



零治にベッタリな様子の娘に星はやれやれと苦笑しながらベッドから降り、部屋に備え付けられている椅子の背もたれにかけていた普段着の白の着物を手に取りそれらを着用していく。最後にテーブルに置いてある帽子を手に取ってそれを被ると、姿見でどこにも乱れが無いかをしっかりと確認をして、身だしなみに問題ない事が確認できたのでもう一人の星に視線を移した。



「さて、では行くとしようか」


「はい。母上」


………


……



部屋を出て一刀の部屋を目指す星達だが、初めは母に倣ってゆっくりと歩いていたのに、一刀の部屋がある廊下に辿り着くと、もう一人の星は廊下を一直線に走り出して一刀の部屋の出入り口である扉を目指したのだ。その後姿に星はやれやれと言わんばかり苦笑するが止めようとしない。娘が零治に対してこんな調子なのは最早変えようがないと思っているからだ。その娘であるもう一人の星は一刀の扉が眼に入ると、直前で立ち止まるどころかそのままバンっと乱暴に扉を開けて部屋へ踏み込んで声を張り上げた。



「父上ーーっ! 朝ですぞーーっ!」


「何だぁ!?」



いきなり自室の扉が乱暴に開け放たれる大きな音が鳴り、おまけに扉を開けた張本人がそこまで広くもない室内で大声を張り上げたので、部屋の主である一刀がベッドから飛び起きて何事かと出入り口の方へ視線を向けた。



「星……? じゃなくてもう一人の方か」


「おぉ。北郷殿。おはようございます」


「あぁ……お、おはよう」



色違いではあるが、目の前に居る人物は星と瓜二つ。おまけに喋り方や声まで全く同じなのだ。一刀は北郷殿という呼称に妙な懐かしさと違和感を感じてしまう。それこそ一刀が星と顔を合わせたばかりの頃、彼女の一刀に対する呼称がそれだったのだ。そんな感慨に浸っていると、星も開け放たれている扉の向こう側から顔を出した。



「主、おはようございます」


「あぁ、星。おはよう。……で、こんな朝っぱらからこの騒ぎは何なの……?」


「いえ、娘が零治殿を起こすと言って聞かなかったもので」


「あぁ、それでね」


「……北郷殿。父上はどちらに? 部屋には居ないようですが」



部屋を見渡してみると零治の姿はどこにもなかった。彼が使用している敷布団は綺麗に畳まれて部屋の隅に置かれているので、もう起きているという事なのだろう。そして部屋にも姿が見当たらないので少なくともここには居ないという事だ。



「ん~? ……あぁ、布団も畳まれてるからもう起きてるみたいだね。ただどこに居るかまでは俺も知らないよ。いま起きた……っていうか叩き起こされた直後だから」


「むぅ~……北郷殿も知りませぬか。残念です」


「ってか君、何でそんなよそよそしいの?」


「そう言われましても、北郷殿の下の名前は真名ではありませぬか」


「あぁ、そこは分かってるんだ。別に一刀って呼んでくれて良いんだよ? その姿でよそよそしくされても違和感しか感じないから」


「ふむ。では以後は一刀殿と呼ばせてもらいます」


「ああ。これからよろしく。……あぁ~、星。彼女の名前は決まったの?」


「いえ、まだです。零治殿と一緒に考えるつもりなのですが、肝心の零治殿は不在ですから」


「ん? これは……?」



もう一人の星が、零治が使用している畳まれた布団の上に更に四角形に畳まれた黒色の布を見つけたので、何かと思って手に取って広げてみた。それは彼女が着用している着物と全く同じデザインをした新品である。昨夜星が部屋を去る前に頼んでいた物を既に用意していたらしい。しかも一晩の間に用意したとなると、やはり物質変換魔法やBDの力を借りるという荒業を使用したのだろう。



「おおっ! これは私の服だ。父上、もう替わりを用意しててくれたのですな」


「ふむ。昨夜もお主の扱いが少々邪険だったが、ちゃんと用意していてくれたようだな。……しかしこの短時間でどうやって用意したのだろうか?」


「父上に感謝しなくては。さっそく着るとしましょう」



そう言うや否や、もう一人の星は自分が纏っているボロボロにされた着物に手をかけて脱ごうとし始めたのだ。流石にこの行動には一刀と星も面食らう。いくら精神面がまだ子供とはいえこれはよろしくない。星だけならまだしもここには一刀も居るのだ。



「って、おい!? ここで脱ごうとしないでくれよ!」


「そうだぞ。いくらなんでも無防備すぎだ。ここには主も居るのだぞ?」


「ですが母上、私は早くこれを着たいのです」


「分かった分かった。ならば一度私の部屋に戻るぞ。着替えはそこでするんだ。いいな?」


「むぅ~……承知しました。母上」


「分かればよろしい。……所で主」


「ん?」


「いくら戦争が終わったとはいえ、部屋の窓を開けっ放しにして夜を明かすのはいささか不用心だと思うのですが」


「えっ? 窓?」



星に指摘されたので一刀は怪訝の表情で自室の窓に眼を向けた。視線の先には確かに彼女の言う通り、全開にされた窓が確認できて、そこから微風が吹き込んでいた。しかし一刀は訳が分からないと言いたげな顔でボリボリと頭を掻いている。それもそのはず、彼は昨夜寝る時に部屋の窓を開けた覚えがないのだ。



「変だなぁ。昨夜寝る時、俺部屋の窓なんか開けてないんだけど」


「ふむ。なら開けたのは零治殿でしょうか?」


「いや、俺が部屋に戻った時、零治はもう寝ていたから多分違うと思うんだけど」


「う~む。謎ですな。……ん? スンスン……」



何かの匂いを嗅ぎつけたのか、もう一人の星がいきなりその場で鼻をスンスンと鳴らし始めた。その様子を見ている星と一刀は、彼女は周りの事などお構いなしに突拍子も無い行動に出る癖があるのではないかと思い始めていた。今この場には他に人が居るわけではないが、意味も無く鼻を鳴らす行為はあまり褒められた姿とは言えないだろう。



「おい。いきなり何をしているのだ。主の前でみっともないぞ」


「いえ、何やら甘い匂いがするので気になりまして」


「甘い匂い? ……ふむ。確かにまるで菓子のような匂いがするな。どこからだ? しかし随分と甘ったるい匂いだな」


「スンスン……むっ!? あの開いた窓から匂ってきますな」



匂いの元を嗅ぎつけたもう一人の星は開け放たれている部屋の窓へと近寄り、枠に両手をかけてひょっこりと顔を出して周囲を確認してみた。するとだ、開いた窓の外側で零治が壁にもたれながらタバコを吸っている姿が確認できたのだ。甘い匂いの正体は彼が吸っているタバコだったのである。



「おお! 父上、そこに居たのですか。おはようございます」


「あん? ……あぁ、おはよう。……フーー……」


「って、父上っ! 朝からタバコを吸うなんて身体に毒ですぞ!」


「ったく。朝っぱらからうるせぇ奴だなぁ。タバコぐらい静かに吸わせろよ」


「うるさいとは何ですか!? 私は父上の身体を思って言っているのですぞっ! さあさあ! 今すぐ火を消すのですっ!」


「あぁ~。ホント面倒くせぇガキだぜ……」



零治は騒がしい中でタバコを吸うのは好みではない。気分転換がしたくて吸っているのに、外野からギャーギャー言われては気分転換など出来やしないし、逆にストレスが溜まるだけだ。零治は仕方なくもう一人の星の言葉に従い、タバコの火を城の壁にグリグリと押し付けて火を消し、吸い殻を携帯灰皿に捨てた。



「ほら。これで満足か?」


「うむ。分かれば良いのです」


「そりゃどうも。……おい。部屋に入れねぇだろ。さっさとそこをどけ」



未だに部屋の窓から身を乗り出しているもう一人の星に向かって、零治はシッシと野良猫を追い払うように右手でどくように促すので、彼女は数歩後ろに下がった。零治は窓枠に両手と足を乗せて、身を乗り出して部屋の中へと入室した。



「よっと」


「零治。どこから入ってるんだよ……」


「うるせぇな。いちいち外から廊下まで戻るのは面倒じゃねぇか」


「まあそうだけど。ってか、外で何してたの?」


「タバコを吸ってたんだが、クソうるさい娘に止められたんでな」


「うるさいとは心外ですぞ」


「実際うるさいだろ。朝っぱらから部屋の扉は乱暴に開けるは室内で大声は出すはで」


「むぅ~……」



確かに零治が指摘する通り、もう一人の星がこの部屋に来た直後からしてきた行為。部屋の扉を乱暴に開け放ち、室内で寝ていたと思っていた零治を起こすために大声を出す。二つともやかましい行為である。この時零治は既に起きていたが、まだ熟睡していた一刀はその騒ぎで叩き起こされてしまったのだ。緊急事態でもない限りこんな起こし方は迷惑行為でしかない。



「まあまあ。零治殿。それぐらいで許してあげてはどうです?」


「ん? 星、お前も居たのか」


「はい。おはようございます、零治殿」


「あぁ、おはよう。で、朝っぱらから二人して何の用だ?」


「いえ、娘が零治殿を起こすと言い出すものですので」


「それでこの騒ぎか。フッ。それより早く起きれてよかったぜ。あんなクソうるせぇ目覚ましなんざこっちから願い下げだ」


「……その娘には悪いけど、俺も同感だね。朝から大声で叩き起こされても気持ちよく起きれないよ」


「むぅ~……一刀殿までそのような事を言うのですか」


「ん? 何だ。一刀とはもうそこまで親しくなったのか?」


「ああ。その姿でよそよそしくされても違和感しか無いからね」



昨日の今日だが、もう一人の星は根は悪い人物ではないのだ。それに精神面がまだ幼いおかげもあって人には好かれる性格をしているだろう。人間関係の面ではそこまで心配の必要も無いかもしれない。その点を悟ってなのか、それとももう一人の星をからかうためなのか零治はニヒルな笑みを浮かべ、一刀にとんでもない事を言い放ったのだ。



「そんなに仲良くなったんなら、嫁としてコイツをさっさと引き取ってくれよ。こんなクソうるさい娘を傍に置いといてもオレの気が休まらねぇからな」


「なっ!? 零治っ! なんて事言うんだよ! それでも父親かよ!?」


「零治殿。さっきから『クソ』と何回言えば気が済むのですか。そういう口汚い言葉は娘の教育上よろしくありませぬぞ」


「父上っ! いい加減私をクソうるさい娘と言うのはやめてもらいたいですぞ!」


「ほら。さっそく娘が真似しているではありませぬか」


「あぁもう。揃いも揃ってうるせぇんだよ。……一刀。お前もいつまでベッドに籠もってるつもりだ。さっさと起きろよ」



三人の不平不満を零治は耳を両手で塞いで受け流し、一刀に起きるように促す。今日は朝から大事な話があるのだから彼にもいい加減起きてもらわなければ困る。一刀だってそれぐらいは分かっている。何よりここまで騒がしくては眠気なんてとっくに無くなっているし、今更二度寝をするつもりも無い。



「あぁ、分かってるよ。じゃあ着替えるから三人とも部屋から出てくれよ」


「はいはい。早くしろよ?」



一刀の方はこれで良さそうなので、零治が部屋を退出すると星も後に続き、娘であるもう一人の星も零治が用意してくれたであろう新しい替えの服を両手で抱きかかえながら一刀の部屋を後にした。自分一人になった一刀はベッドから降りてさっさと着替えを始めるのであった。


………


……



「零治殿、この後のご予定は?」


「ん? そうだなぁ……もう少し外で風にでも当たってから朝議に参加するつもりだが?」


「父上。つまりまだ時間はあるという事ですよね?」


「あぁ、そうだが……それがどうした?」


「でしたら父上が用意してくれたこの服を着たいので着替えを手伝ってください」


「……お前なに言ってんだ?」


「むっ? 何が問題なのですか? 親が子の着替えを手伝うのは自然な事でありましょう?」


「お前は手伝いが必要な歳じゃねぇだろ。どうしても手伝いが欲しいんなら星に頼め。オレはやらんぞ」


「あっ。父上」



もう一人の星のムチャクチャな頼みを零治が聞き入れるはずもなく、彼はスタスタと足早にその場を去って中庭に向かい、娘の扱いを星に押し付けたのだ。その後ろ姿に星は苦笑しながらやれやれと言わんばかりに首を左右に振っていた。しかし精神年齢がまだ幼い部分もあるもう一人の星は事情が理解できず、不思議そうに首を傾げていた。



「母上。父上はどうしたのですか?」


「気にするな。殿方には色々と事情があるのだ」


「はあ……」


「お主も時期が来れば分かるさ。さて、お主の着替えは私が手伝ってやろう。一度部屋に戻るぞ」


「はい」


………


……



「フーー……ったく。色違いこそあるが、見た目は星と同じなのに精神年齢がガキだとあんな事も平気で言うんだな。この先アイツの世話をしなきゃならないと思うと気が重いぜ……」


「朝っぱらから東屋で喫煙ですか。零治」


「ん? あぁ、亜弥か」



東屋でタバコを吸っている零治に声をかけてきたのは亜弥。そしてその後ろには恭佳、奈々瑠と臥々瑠、樺憐といつものメンバーが勢揃いである。彼女達『だけ』でここに来たという事は、今後の行動……つまり黒狼、金狼、銀狼が待ち構えている叡智の城に向かう段取りなどについてだろう。というか、現状でそれ以外に話す話題など無いのだ。だがいきなりそんな重い話を朝からしても気が滅入る。まずは何気無い雑談で気分転換が必要であると思い、零治はひとまず亜弥の問いに答える事にした。



「フーー……初めは部屋の外で吸ってたんだが、うるさい娘に止められたんでな」


「ん? あぁ、もう一人の星ですか」


「ああ」


「いいじゃないですか。これを機会に禁煙でもしたらどうです? 我が子の前でタバコを吸うのは親として褒められた姿じゃありませんよ?」


「お前までそんな事を言うのか……」


「兄さん、姉さんの言う通りです。思い切って禁煙しましょうっ! これも兄さんの健康のため! ひいては私達の将来のためにもですっ!」



気分転換の雑談のはずが奈々瑠に余計なスイッチが入ってしまって熱弁を振るい、零治はやぶ蛇だったと内心思いながら左手で顔を覆って俯いていた。こんな形で喫煙者として肩身の狭い思いをするとは予想もしていなかったし、出来るわけがない。特殊な事情が絡んでるとはいえ今や零治は一人娘を持つ親になってしまったのだ。これから先もこんな思いをするのかと考えただけで憂鬱である。



「そういや零治、アイツの事で気になる事があるんだけど」


「姉さんまで何だよ?」


「いや、アイツの名前だけどどうするつもりなの? 流石にいつまでも名無しってわけにはいかないじゃん」


「あぁ~……もう面倒くせぇから趙雲二世にしちまおうかなぁって考えてんだが」


「零治、それはいくらなんでも……」


「零治さん。まさかとは思いますが、奈々瑠や臥々瑠との間に子供が生まれた場合もそんな名前をつけたりしませんわよねぇ……?」


「兄さん。私やですよ。自分の子供に奈々瑠二世なんてつけられるのは……」


「う~ん……アタシもやだなぁ。子供を持つかは分からないけど自分の子がそんな名前なのは」


「おいおい。冗談だって。みんなしてそんな眼で見るな。……フーー……」



零治は冗談だと言ってタバコの煙を吹かし、吸い殻を所持している携帯灰皿に捨ててその場を収めたが、果たして本当に冗談だったのだろうか。亜弥達は彼の日頃の言動やめんどくさがりな一面がある事も知っているのでやはり全面的には信じられなかった。しかし、奈々瑠と臥々瑠、樺憐の言葉が釘になってくれているはずなのでもう一人の星の名前に関してはこれで大丈夫なはずだ。



「ふむ。まあ、その件はひとまず置いておくとして本題に入りましょうか。零治、私達がこうしてここへ来た理由はもう分かっていますよね」


「ああ。黒狼達の事だろう」


「ええ。それでいつ出発するのです。今日ですか?」



黒狼が用意した猶予は明日までがタイムリミットだ。遅くても明日には必ず出撃して決着を着けねば全てが無に還ってしまう。それは零治も分かっているし、華琳達もこちらが用意した無茶な試験を見事に突破したのだ。全てはこの大陸の未来を護るために。だから一日でも早く出撃してケリを着けたい。それが総意だろう。だが、零治が出した答えは意外な内容だった。



「いや、出撃は明日の朝だ」


「えっ? 明日なんですか?」


「ああ」


「……まあ、黒狼が告げたタイムリミットは明日まで猶予はありますけど。ならば今日はどうするんです? また特訓でもするんですか?」


「それはやりたい奴だけにやらせりゃいい。今日はアイツらに、試験を突破したご褒美をあげて英気を養ってもらおうと考えている」


「ご褒美? 一体何をあげるつもりなんですか?」


「まあ、旨い料理と旨い酒だな。当然オレ達は用意する側になるがな」



零治の口から告げられた思いも寄らない内容。確かに魏、蜀、呉と三国の英傑達はあの無茶な内容の試験を突破しのだから褒美を受け取る資格はあるだろう。しかし状況が状況だ。零治が華琳達を想う気持ちは亜弥達にも理解できるが、彼女達がそれをこの状況で素直に受けてくれるかどうかは別である。そのため亜弥達の顔は渋かった。



「う~む。零治の言いたい事は分かるんですけど……華琳達がそれを素直に受け入れてくれますかね?」


「だよねぇ。この状況じゃ不謹慎だって、逆に非難の的にされるのがオチなんじゃないの?」


「そうですわねぇ。零治さんの考えは良いと思いますが、肝心の華琳さん達がそれを受け入れてくれなくては意味がありませんわよ」



亜弥、恭佳、樺憐の三人は零治の考えに反対はしないが、やはり乗り気ではない。この状況では無理もないだろう。奈々瑠と臥々瑠も無言でウンウンと頷いている。零治もそこは分かっている。しかし彼も考え無しでこんな提案をしているのではない。それにダメならダメで仕方ないと諦めると考えていて強行するつもりはない。



「そこはオレも分かってる。だが、こっちには秘策がある」


「秘策? 何です?」


「それは後のお楽しみだ。全員じゃないにしても、アイツらが食いつく餌は用意してある。それにダメならダメで諦めるさ。ただし、出撃の予定に変更は無い」


「分かりました。ならそっちの件は貴方に任せますよ」


「ああ。なら、オレ達も朝議に向かうぞ」



あまり華琳達を待たせるわけにもいかないので、ここでの話を早々に切り上げて今日の朝議に参加するために零治達は玉座の間に移動を始めた。後は華琳達に自分の案を聞かせるだけだが、ただ話すだけでは決め手に欠ける。状況が状況なので全員じゃないにしても味方をつけるための餌が必要なのだ。そしてそれを用意できる存在は零治の中では決まっていた。



『BD』


『何だよ?』


『今の話を聞いていたんならオレが言いたい事は分かるよな?』


『ったく。パーティーに必要な食材に道具、その他諸々を全員分用意しろってか? 相棒は俺様を何でも用意できる便利屋だと勘違いしてねぇか?』


『出来ないのか? 最強にして最凶ってのは嘘か?』


『……言うじゃねぇか。良いだろう。用意してやろうじゃねぇか。酒だろうが食いもんだろうが何でも用意してやらぁ』


『フッ。ありがとよ。……あぁ、それとな』


『何だよ? まだ何かあるのか?』


『娘についてだ』


『アイツがどうかしたか?』


『ああ。後でこの世界の自我に話をつけとけ。アイツも一緒に連れて行くとな』


『あぁ……了解だ』



昨日星の申し出を零治は渋々ながらも受け入れたが、やはりこの世界に遺す事には賛成できないのだろう。だが生かすと決めた以上は殺すわけにはいかないし、この世界に留まる事も許されない身なので教育もできない。三国の英傑達という優秀な教師が大勢居るから大丈夫だとは思うが、この世に絶対という言葉は無い。だから自分の眼の届く範囲に置いておく。これが零治の出した結論なのだろう。



「ふぅ……この先の事を考えると、アイツを連れてっちまったら星がどんな顔をするか考えたくもないぜ」


『何か親権を巡って争う離婚前の夫婦みてぇだな』


「そりゃ一体どこの昼ドラだ。ってか、何でそんなくだらねぇ事とか知ってんだよ。お前は」


『細かい事は気にすんなよ。ほれ。それよりさっさと朝議に向かおうぜ』


「はいはい」


………


……



成都城の玉座の間に魏、蜀、呉と三国の首脳陣全員が集まり、この城の主である桃香が玉座に腰掛けていざ朝議を始める事になったのだが、ちょっと困った事がこの場で起きていた。いや、この出来事は朝議の進行を妨げるような事では無いのだがどうしても桃香は気になってしまい、朝議を進める事が出来ず零治に困った顔を向けていた。



「えぇっと、零治さん。それ……どうしたんですか……?」


「どうもこうもあるか。見ての通りだ……」


「~♪ ~~♪」



朝議を行う玉座の間に魏、蜀、呉と三国の首脳陣全員が揃い、零治の右隣はもう一人の星が陣取って彼の右腕に絡みついて上機嫌なのだ。しかし今は場所が場所だし人目も多い。何より零治が鬱陶しいと感じている。だから零治はさっきから何度も右腕を振って腕に絡みついてくる娘を振り払っているのだが。



「離せ」


「離しません♪」


「やめろ」


「やめません♪」



零治がいくら振り払ってももう一人の星は腕に絡みつき、零治がもう一度振り払うが絡みつく。何度やっても絡みつき、やめろと言っても拒否して全く聞こうとしない。さっきからこれの繰り返しである。当然玉座の間には三国の首脳陣全員も揃っているので、この光景は嫌でも眼に入ってしまい、この奇妙な光景を前にして全員反応に困っている。珍獣でも見ているかのような視線を向けられるのは零治も気分が悪いし、娘の行動は何が何でもやめさせたいようで問答を繰り返しっぱなしでいつまで経っても話が先に進まないのだ。仕方なく見かねた星が仲裁に入った。



「零治殿。娘は父親に甘えたい年頃なのですよ。ここは一つ娘のしたいようにさせてあげてくれませぬか?」


「……仕方ねぇなぁ」


「母上の言う事は素直に聞くのですな、父上。……もしや尻に敷かれているのですか?」



もう一人の星の何気ない言葉に零治はジト目を向けると、右腕に纏わり付く彼女を振り払ってそのまま顔に右手を伸ばし、親指と人差し指で頬をキュッと摘んで思いっ切り引っ張り上げた。これは零治ならではのいわゆるお仕置きのようなものである。



「あぁ~ん? この口かぁ? そういう要らん事を喋るのはこの口か? ああん?」


「いっ、いらいれふよひひふふぇ! ほっふぇをひっふぁららいれふらはい!」


「おほん! 零治、親子喧嘩ならよそでやりなさい。このままではいつまで経っても朝議が出来ないのだけれど?」


「これは親子喧嘩じゃねぇ。躾だ。口の利き方がなってねぇバカ娘への躾なんだよ」


「どっちでも良いから後になさい。これ以上朝議の時間を無駄に浪費して皆を困らせないでよね」


「はいはい」



華琳から注意もされたのだ。それにこの行為は本当に朝議の時間の無駄な浪費でしかない。零治はもう一人の星の頬から右手を離してくれたので、彼女は右手で引っ張られていた右頬をさすりながら零治に恨めしげな視線を向けていたが、彼はそれをどこ吹く風と受け流していた。とりあえず零治ともう一人の星のやり取りはこれが平常運転なのだと桃香は自分に言い聞かせ、咳払いを一つして気を取り直し、改めて朝議を始めるために口を開いた。



「それでは朝議を始めたいと思います。と言っても、議題は一つだけですけど。……零治さん」


「ん?」


「黒狼さん達の所へ向かうのはいつなんですか? やっぱり今日でしょうか?」


「あぁ、それなんだが……」



零治はそこでワザとらしく言葉を区切り、何の意図があってなのかやたらと溜め始めた。こんな事をしても何の意味もない。逆に皆の不安を煽るだけだ。流石に零治もそこまでしては周りから顰蹙を買うと分かっているし、今から言う提案も顰蹙を買う可能性大なのだ。無意味な行為はここまでとして彼は視線を桃香に向けて口を開いた。



「黒狼達の所へ向かうのは明日の朝だ」


「えっ? 明日なんですか?」


「ああ」


「それじゃあ今日はどうするんです? また昨日みたいに特訓でもするんですか?」


「それはやりたい奴だけやればいい。今日は一つ、オレから提案があるんだ」


「提案? 何ですか?」


「お前らはオレが用意したあの無理難題とも言える試験を見事合格した。そのご褒美として、ちょっとした食事会を今夜開いて英気を養ってもらいたいと思っていてな」


「食事会……ですか」


「そうだ。悪くない話だと思うがどうだろうか?」



零治の口から告げられた思いもよらぬ内容の話。しかもこの大陸どころか地球の存亡がかかっている中で英気を養うという名目があるとはいえど食事会を開くとは非常識としか思えない。桃香は困惑の表情を浮かべているが、案の定華琳や春蘭、桂花などからは非難するような視線が向けられていたし、関羽も険しい表情を浮かべていた。



「音無! 貴様という奴は何を考えているんだ! 今がどういう状況か分からんわけではなかろう!」


「全く。春蘭に同意だわ。音無、この状況で食事会を開きたいだなんて、あんたの能天気さには心底呆れたわよ」


(あぁ~。予想通り春蘭や桂花は食って掛かってきたか)


「えぇ~? そうかしら? 私はいい考えだと思うけどなぁ。大事な決戦前だからこそ、お酒でも呑み交わして親睦を深めるとかぁ」


「んっ! んんっ!」


「ってのは冗談で、この一大事だもの。やっぱり緊張感は持っておかないといけないわよねっ! うんうん!」



零治の提案に孫策は賛成の意を表すも、横に居る周瑜がワザとらしい咳払いをしながら睨みつけてきたので、孫策はすぐに自分が言った言葉を撤回して真逆の意見を述べて何度も頷いてみせた。どうも孫策はこういう場面での周瑜の強気な姿勢には頭が上がらないのかもしれない。零治は一瞬心強い味方がついてくれたかと期待したのだが、その期待も瞬く間に打ち砕かれてしまった。



(やれやれ。心強い味方がついてくれたかと思ったのだが、孫策って周瑜には弱いのか?)


「う~ん……零治さんの話はいい考えだとは思うんだけど」


「桃香様……」


「あ、あはは……。ごめんなさい、零治さん。私も賛成は出来ないかも……」


(桃香は桃香で、堅物の関羽に睨まれて賛成できずか)



桃香も心の中では零治の提案に賛成したい気持ちなのだろう。しかし関羽に睨まれては彼女も全面的に賛成できない。この状況で華琳だけが賛成しても食事会を開くのは無理だろうが、まだ彼女の意見は聞いていないのだ。とりあえずダメ元で零治は華琳に視線を向けて意見は聞かせろと促した。



「はぁ……零治。今回ばかりは私も貴方の味方はできないわよ。そもそもこんな状況で食事会なんて開いても落ち着いて料理の味が楽しめないでしょう?」


「なら華琳も反対なのか?」


「残念だけれど、現状では賛成できる材料が一つも無いものね」


(ふむ。まあ、予想通りの展開だな。なら撒き餌を始めようか)



華琳からも反対され、現状では零治の提案を三国全員が受け入れていない状態。しかし零治もこうなる事は予測済みだ。だからこそ、ここから味方を増やしていく。上手く行けば良し。奥の手を使っても誰も賛成しないのであれば零治も諦めるつもりだ。強引に食事会を開く気など無い。あくまでも三国の首脳陣達の同意を得た上で行いたいのである。零治はその状況を作るために内なる作戦を実行に移した。



「そうかぁ。反対なのかぁ。折角みんなに英気を養ってもらうために、『オレの世界』の料理や酒を振る舞おうと思っていたんだがなぁ。ダメなのかぁ」


「何ですって……?」


(おっ? 食いついてきたな)



ついさっきまで難色を示していたのに、零治の口から出てきた『オレの世界』という単語に誰もが反応をした。零治が自分の世界の料理や酒を振る舞ってくれる。この世界の人間にとって零治の世界の料理や酒はとても興味深い物である。華琳も金に糸目をつけずにありとあらゆる食材を取り寄せて再現料理を作ってみたりもした。あれも充分に美味しかったと彼女は思っていたが、今回は紛うことなき本物を食する事が出来るかもしれないのだ。これには流石の華琳も興味が湧くし、料理好きの流琉もとても気になる。そして食べる事が大好きな季衣も零治の世界の料理がどんな物なのか、そしてどのような味がするのか気になり始め、酒好きの武人組は零治の世界の酒に興味心を惹かれ始めた状況をチャンスと見た零治は更に言葉を続けた。



「大事な決戦前だってのはオレも分かるさ。だからバカ騒ぎして羽目を外せとまでは言わない。オレはただ、こうして三国の首脳陣が一同に揃っているからこそ親睦を深めてほしい。その橋渡しをしたいだけなのさ。そのためにも旨い料理と酒は必要不可欠だろ? それを適度に愉しんでくれればそれで良いんだよ」


「……零治。一つ確認したいのだけれど」


「何だ?」


「貴方は自分の世界の料理や酒を振る舞うと言ったけれど、食材などはどうするつもりなの? この世界の食材だけで完全な物を作るのは無理なのでしょう?」


「あぁ、まあそこはお得意の魔法で用意するさ。調理器具なども全てな。だから味については保証してやるぞ」


「場所はどうするつもりなの?」


「そうだなぁ……桃香さえ良ければ玉座の間を使わせてほしいな。中庭でも良いんだが、空にはあまりにも目障りな建造物が浮かんでいるから外は避けたい所ではあるな」


「ふむ」



華琳はどうしたものかと顎に右手を添えて考える仕草をした。華琳という一人の女性としては零治の世界の料理や酒にはとても興味津々であるが、それと同時に曹孟徳という王としての考え、それと板挟みになっていた。こういう時、華琳はどうしても自分の事よりも王としての考えを優先してしまいがちで、彼女の悪い癖の一つとも言える。どうしたものかと思い、華琳は孫策と桃香に視線を向けた。



「劉備、孫策。零治はこう言っているけれど、二人の考えとしてはどう思うの?」


「はいは~い。私は御遣い君の意見に賛成~♪」


「姉様っ! 今がどういう状況か分かっているんですかっ!?」


「まあまあ。蓮華の言いたい事は分かるわよ。けれど焦ってもしょうがないじゃない。ここは一つ、御遣い君のご厚意を受け入れてもいいと思うわよ? 彼らの事を知る良い機会でもあるしね」


「ですが!」


「……蓮華様。こうなっては雪蓮に何を言っても無駄ですよ。今までもそうだったでしょう?」


「はぁ……確かに冥琳の言う通りね」


「ふむ。では呉は賛成という事なのね?」


「ええ」


「劉備の考えは?」


「そうですね。私も賛成です」


「桃香様っ!」



孫策だけでなく桃香も賛成の意を表したので関羽が一喝したが、どうも桃香の決意も固そうだ。それは彼女の眼が物語っている。桃香はのほほんとした性格ではあるが、今がどういう状況なのか分からない程バカでもない。彼女は素直に零治の厚意を受け入れたいからこそ賛同しているのだ。



「愛紗ちゃん。私だって今がどういう状況なのかは分かっているし、不謹慎だって思われるのもね」


「でしたらっ!」


「うん。でもね、雪蓮さんの言う通り焦っても仕方ないよ。それに私は零治さんを信じているから。彼なら絶対に黒狼さんを止めてくれるって」


「桃香、オレを少し買いかぶりすぎじゃないのか?」


「そんな事ないです。私は零治さんを信じていますよ。だからこそ零治さんのご厚意も受け入れたいんです」


「フッ。そこまで言われちゃ、オレも期待には応えてやらないとな」


「はぁ……もう私が何を言っても無駄なのですね、桃香様……」


「愛紗よ。そのような顔をするな。零治殿の言う通り、節度を持って彼らが振る舞ってくれる料理と酒を愉しめば良いではないか。明日の決戦前の景気づけとしてな」


「全く。星、お前まで調子のいい事を」


「さて、華琳。桃香と孫策は賛成のようだが……お前はどうなんだ?」



と、零治は意地の悪い笑みを浮かべながら華琳に意味深な問いかけをした。零治のその様子に華琳は内心イラッとするが、この程度の事で怒るほど器は小さくない。それに桃香と孫策が賛成した以上、自分が反対する理由など無かったし、やはり零治の世界の料理と酒がどのような物なのか気になって仕方がないのだ。



「零治、そんな顔をしなくても私の答えは決まっているわ。劉備と孫策が賛成したのなら、私も反対する理由が無いもの」


「華琳様っ!?」


「春蘭、焦る気持ちは分かるけれど、それでは勝てる勝負にも勝てなくなるわ。ならば一度気持ちを落ち着けて心にもゆとりを持つ必要があるわ。そのためには、良い料理と良い酒はうってつけと言える」


「……承知しました」


「さて、なら全員賛成って事で構わないんだな?」


「ええ」


「もちろん♪」


「はい。場所はここを使ってくれて構いませんから」


「よし。なら満場一致という事で早速準備に取り掛からせてもらう。……あぁ、それから準備中の間、玉座の間に入るのは禁止な」


「えっ? どうしてですか?」


「今回、お前らはもてなされる側の人間だ。だからこそ、どんな料理や酒が出てくるのか、食事会が始まる直前まで楽しみにしててもらいたいんでな」


「なるほど。でも、零治さん達だけでこれだけの人数分の料理を用意できるんですか? やっぱり私達もお手伝いした方がいいと思うんですけど」



桃香が言うように、これだけの人数分の料理や酒、それ以外にも食器類などその他諸々を用意するとなるとどう考えても無理があるだろう。数人分の食事を用意するのとはわけが違う。何しろ魏、蜀、呉と三国の首脳陣全員分だ。おまけに超がつく大食らいだって何人か居るのだ。それを考えると用意するべき料理の量はそれを超えてなければならない。それら全てを零治達だけで用意するのはやはり無理があるとしか思えないだろうし、本人もキツイ事は重々承知しているが零治もここは譲れなかった。



「本当に手伝いが必要と感じたら声をかける。だから大人しく待ってな」


「分かりました。お手伝いが必要になったら遠慮せずに声をかけてください」


「ああ」


「あっ、そうだ。零治さん。実はもう一つお話があるんですけど」


「話ってなんだよ? 他に何か議題にするような話題なんかあったか?」


「そこまで大袈裟な内容じゃないんですが。……えっと、その娘の事です」



と、桃香が視線を向けたのは朝議が始まってからずっと上機嫌な表情で零治の右腕にまとわりついているもう一人の星である。彼女についての話という事は今後の扱いについてなのだろうかと零治は考えるが、少なくとも昨日娘として扱うという事は決めている。それ以上なにか重要な話題があるのかと零治は不思議そうに首を傾げた。



「コイツがどうかしたのか?」


「その娘、名前はもう決めてるんですか?」


「いや、まだだが」


「なら今この場で決めてあげませんか? いつまでも名前が無いと周りも不便ですし」


「別に今すぐじゃなくてもいいだろ?」


「駄目ですよぉ。こういう事はすぐに決めないと。折角零治さんと星ちゃんの間に生まれた子供なんですから」


「ん~、それは分かったが、一つ気になる事がある」


「何ですか?」


「コイツの名は、こっちの世界みたいに性と名、字と真名をつけるのか? それともオレみたいに性と名だけにするのか?」


「う~ん……とりあえずそれは後で考えるとして、まずはその娘の呼び名を決めてあげましょうよ」


「…………」



横で話を聞かされている華琳は平静を装っているが、米神がピクピクと痙攣しているので間違いなく不機嫌である。彼女もそういった事は自国の、ひいては大陸の繁栄のためにという思いと同時に個人的にも計画はしていた。過程が何であれ、同盟を結んだとはいえど他国に先を越された点は気に入らないのである。零治はそんな様子の華琳は見ないようにしてる。眼を合わせたら後が怖いからだ。そんな自分の心境などつゆ知らず、右腕に絡みついているもう一人の星は顔を期待いに輝かせながらこちらを見ている。零治は溜め息を一つ吐いて面倒くさそうに口を開いた。



「じゃあもう趙雲二世で」



零治の口から飛び出したあまりにも安直な名前にその場の空気が凍りついた。寒いギャグをかました時以上にこの場の空気は間違いなく冷え込んでいるし、一部の人間からは冷ややかな視線も向けられている。もう一人の星も例外ではなく、零治にジト目を向けていた。



「父上。その名前は嫌だと昨夜も申したはずですが……」


「冗談だよ。だからみんなしてそんな眼でオレを見るな」


「冗談……なんだ。あ~、よかった」


「桃香、まさかホントにこの名前にすると思ってたのか?」


「……少しだけ」


「いくらオレでもそこまで安直な名前はつけないさ。……ん~。しかし急に言われても思いつかんぞ」


「じゃあ私も一緒に考えますよ。そうだなぁ……う~ん」



まるで自分の事のように桃香も親身になってもう一人の星の名前を唸りながら必死に考えている。その姿はまるで世話焼き好きなご近所のお姉さんのようである。本来は自分で考えるべきなのだろうが、やはり急に言われても思いつかない。参考として聞く分には問題ないだろう。ひとしきり考えた桃香はいい名前が浮かんだのか、右手の人差し指をピッと立てて口を開いた。



「あっ、じゃあ零治さんと星ちゃんの名前を組み合わせて、零ちゃんってのはどうです?」


「……悪くはないが。桃香、それだとオレの名前を一文字取ってつけたようにしか聞こえないぞ」


「あぁ、そうですね。……じゃあ星治ちゃんはどうですか?」


「それじゃ男の名前になるだろ……」


「あうっ、確かに。ごめんなさい。……う~ん。ご主人様。何かいい名前思いつかない?」


「えっ? 俺も考えるの……?」


「主。主も遅かれ早かれこういう事を経験する身ですぞ。これも予行演習と思って考えてみてはどうです?」


「う~ん……じゃあ、そうだなぁ……。零星ってのはどう?」


「れいせい……女につける名前にしちゃあ微妙だな」


「だよね。ごめん。こんなのしか思いつかなくて」


「いいさ。急に言われたって思いつくわけないもんな。……星、お前は何か候補はないのか?」



桃香も一刀も自分なりに考え、もう一人の星のための名前を候補に上げるがどれも女性につける名前としては微妙である。現時点でまともな候補は『零』という名前ぐらいだろう。しかしこの名前だと父親の零治の要素はあっても母親である星の要素が見当たらない。とりあえず候補を今は少しでも増やさねばならない。昨夜一緒に考えると言っていた星にも何か候補をは無いのか零治は訪ねた。



「そうですなぁ。私としても自分と零治殿を思わせる名前にしたい所ですが、少々難しそうですしそれらを抜きにして考えた方が良さそうですな」


「ああ。正直そこは変にこだわらない方が楽だ。で、お前が考える名前の候補は?」


「う~む。いざ考えるとなるとなかなか思いつきませぬな。さて……」



星は右手を顎の下に添えて考える仕草をするが、やはり人につける名前は急には思いつかない。それにつける相手はこの先我が子として育てると決めた娘だ。となると人に聞かせても恥ずかしくない立派な名前にしたいという願望が出てきてしまい、結果的に深く考えてしまう。おかげでいい名前がなかなか浮かんでこない。そんな中、意外な人物が手を上げて口を開いた。



「あの、父上、母上。もう自分で考えてもよろしいですか?」


「あん? お前が自分で考えるのか?」



名前を考えると名乗り出たのはなんともう一人の星本人である。こういう事は本来両親が考えるべきなのだろうが、彼女は生まれた経緯が特殊だし、自分で自分の名前を考えるのは別におかしな事ではないと思う。それで本人が納得するなら問題ないし、妙ちくりんな名前をつけるようなら止めれば済む話だ。



「はい。私は父上と母上の記憶も全てではないにしてもある程度は継承しているのです」


「タバコの事を知っていたのもそれが理由か」


「そうです。それで父上の記憶の中に丁度いい名前がありましたので、それを私の名前にしようかと」


「はっ? オレの記憶にだと?」


「はい。父上、何か書く物はありませんか?」


「ん? あぁ、ならこれを使えよ」



書く物を要求されたので、零治はコートの下から一刀に書いた手紙用に用意していたボールペンと余りの紙切れをもう一人の星に手渡したので、彼女は紙を突き破らないように慣れた手付きでボールペンを走らせている。もう一人の星の口から出た意味深なセリフ。零治の記憶の中に丁度いい名前がある。確かに彼の周りは女性だらけだし、こちらの世界での女性の知り合いも居るが、全員の名前を知ってるわけではない。となるとこの中の誰かの名前なのかと思えるが、そうなれば同じ名前の人物が二人になるという事になる。だが同姓同名というのも実際にあるので、まずは彼女が誰の名前を名乗るのかを聞いてから考えるべきだろう。だが、もう一人の星の口から告げられた名前は、零治の予想の斜め上を行く内容だったのだ。自分の名を書き終えた彼女は全員に見えるように紙を広げた。そこに書き記されていた名は。



「今日から私の名前は、『狼夏』です」


「っ!? 狼夏……だと……っ!?」


「狼夏ですって?」


(まずいっ! 華琳が反応しやがったっ!)



もう一人の星が考えた名前の候補、それは零治の知り合いの女性の名前でもこの場に居る誰かの物でもなく、零治が使っていた偽名だった。亜弥達はこの名前の事情を知ってるので誰にも話していない。だからこっちは問題無いだろうが、名前に反応した華琳はそうは行かない。彼女は狼夏という名前を名乗っていた女性は知っているが、正体までは知らない。それは当然だ。零治が今まで隠し通してきたからである。だが、それが今この場で最悪な形で明るみに出されようとしている。おまけに桃香を始めとした周りはこの名前を気に入っているような空気になっている。何が何でもこの名前を使わせるのを阻止せねばならないだろう。



「狼夏……わぁ。いい名前。星ちゃんもそう思うよね?」


「ふむ。確かに悪くない響きですし、女性につけても違和感の無い名前ですな。それに字面も良い」


「だよねだよね!? 零治さん、この名前で決定にしませんか?」


「……いやぁ、他の名前にした方が良くないかぁ?」


「ええ? どうしてですか? 素敵な名前じゃないですか」


「いいや! この名前はコイツには相応しくないっ! お前もそう思うだろっ!? そうだって言え!」


「いえ、父上。私はこの名を気に入っていますぞ?」


「気に入るんじゃないっ!」


「零治、何をそんなに慌てているの?」


「っ!? か、華琳……」



零治はもう一人の星が狼夏と名乗るのをやめさせるのに躍起になってしまい、平静を装うのを完全に失念していた。こんな慌てた姿を見せていたら不審に思う人物も少なからず出てくる。そして零治にとって一番この件に関わってほしくない人物が華琳なのだが、その華琳も零治の様子に疑問を抱き声をかけてきたのだ。



「……貴方、私に何か隠しているわね」


「な、何を言ってるんだ。隠してる事なんか何も無いぞ……」


「そう? なら彼女に訊いてみましょうか」


「なっ!?」



華琳が次に眼を付けたのはもう一人の星である。彼女は自分の口で零治と星の記憶をある程度継承していると述べていた。ならば零治が隠している事の内容も知っているはず。そう判断したのだろう。このままではまずい。もう一人の星は内面が子供なため、確実に零治の秘密をポロッと喋ってしまう。何が何でも止めねばならないが、強引に間に割って入るような真似をすれば、それは隠し事があると自白しているようなものだ。だからこそ周りに悟られないように止めねばならない。



「貴方」


「何ですか? 曹操殿」


「確かさっき、貴方は零治と趙雲の記憶をある程度継承していると言ったわね」


「はい」


「なら、零治と狼夏の関係も知っているわね?」


「ええ。知ってますよ」


(まずい! まずい! このままじゃ正体がバレちまうっ! どうやって止めればいい!? どうやって止めれば……っ!)



零治にとって状況は最悪の方向へ進んでいく。是が非でも止めねばならないと彼は必死に頭をフル回転させていた。どうすればもう一人の星を止められる。どうやって二人の間に割って入らず、自分への不信を払拭できるのか。その時、零治に一つの考えが浮かんだ。もう一人の星は人間ではないが、どちらかと言えば零治達に近い存在。つまり魔法が使える点に着目した。



(そうだ! コイツ確か魔法が使えるんだったな! ならば念話で口止めしてやればいいんだっ!)



もう一人の星は魔法が使える。ならば念話で口止めをすればなんの問題もない。念話は魔法使い同士だからこそ使える、そして周囲の人間にも会話の内容が聞かれない最強の連絡手段だ。手段が決まったならば後は行動あるのみ。零治はもう一人の星に念話で呼びかけた。



『おい! オレの秘密をバラすんじゃねぇぞ! 華琳の質問は適当に受け流せっ! バラしたらお仕置きしてやるからな! 分かったならオレの眼を一瞬だけでもいいから見ろっ!』



零治は念話を使ってもう一人の星に警告を送った。しかし肝心の彼女は全くの無反応である。華琳に不審に思われないための演技の可能性も捨てきれないが、もう一人の星はまだ内面が子供なのだ。彼女にそこまでの演技が出来るとは思えない。そしてこちらの眼を一瞬だけでも見ろと注文もつけているのにそれもしようとしない。となると考えられる理由は一つしか無かった。



(ダメだぁ! 反応が無いって事はコイツ念話が使えねぇのかよっ!)



零治にとって最後の希望も完全に打ち砕かれた。彼の世界でも魔法使いイコール念話が使えるというわけではない。念話も立派な魔法の一つなので、会得するためにはちゃんと訓練を積まねまばならない。最初から使える人間は零治の世界でも稀な存在である。もう止める手段は無いので、無情に華琳ともう一人の星の会話は進行していく。



「ならば教えてちょうだい。零治と狼夏はどういった関係なのかしら?」


「関係も何も、狼夏は父上ですよ?」


「えっ?」


「ああああああああっ! よくも喋りやがったなこのクソガキがーーーーーっ!!」



とうとうもう一人の星は零治の秘密を暴露してしまい、零治は両手で頭を抱えながら天を仰ぎ、大声を張り上げたので全員がギョッとしてどうしたのかと言わんばかりに視線を向けた。だが零治はその視線など気にもせず、そのまま床に両膝を突いてガックシと項垂れている。なぜ零治がこんな反応をしているのか華琳も気になるが、それよりも気になるのはもう一人の星が口にした質問の答えだった。彼女は咳払いをして気を取り直し、改めてもう一人の星に訪ねた。



「おほん。……話を戻しましょう。今のはどういう意味なの?」


「言葉通りの意味ですよ?」


「狼夏が零治って……訳が分からないわ。もう少し分かりやすく教えてくれないかしら」


「ですから、曹操殿が仰っている狼夏という女性は、女装した父上なんですよ」


「なっ! 零治が……女装……っ!?」



あまりにも衝撃的な内容に華琳は驚きを隠せない。彼女は零治と狼夏が秘密裏に逢引きをしていかがわしい関係になっていたのではないか、そういう線を疑っていたのだ。だが真実はその予想の斜め上を行く答え。何よりにわかには信じられない。華琳の眼に映ってた狼夏はどこからどう見ても一人の女性にしか思えなかったのだ。男性である零治があそこまで女らしく女に扮するなどそう簡単に信じられる話ではない。これはやはり本人に確認せざるを得ない内容である。



「れ、零治……今の話、本当なの……?」


「あ、あは……あはははは……」



華琳の問いかけに零治は答えようとはせず、未だに項垂れたまま床を見つめて抑揚のない乾いた笑い声を漏らすだけ。これではまともに話も出来ない状態である。見かねた亜弥が進み出て零治の肩にそっと自分の右手を乗せた。



「零治。もう……話しても良いですよね? こうなっては誤魔化しようもないですし」


「もう好きにしてくれ……」


「亜弥。その様子だと、やはり今の話は……」


「ええ。そうです。随分前に私が紹介した下着店の女性店員、あれは狼夏という女性ではなく零治だったんですよ」


「で、でも声はどう説明するのよ? 姿はともかく、あの時彼女はちゃんと女性の声で喋っていたわよ」


「声も魔法で女性のものに変えていたんですよ。おまけに零治の女装姿は見ただけでは分からない程完璧に仕上がっていますので、正体を見破るのはほぼ不可能でしょうね。私も初めて見た時はとても同一人物とは思えませんでしたから」


「…………」



まだ半信半疑な部分はあるが、零治との付き合いが長い亜弥がここまで言っているのだ。恐らく本当なのだろうと華琳は自分に言い聞かせた。今の今まで女性だと信じて疑わなかった狼夏が実は男性。しかも正体は自分の身近に居た零治である。狼夏の正体が零治だという話が本当だとして、華琳の中に別の疑問が浮上してきた。それはなぜ女性の下着専門店でわざわざ女装までして店員をしていたのかだ。



「亜弥。今の話が本当だとして、当時の零治があの店で店員をしていた理由はなんなの? 別にお金に困っていた訳じゃないのでしょう?」


「ええ。当時の零治は私に借りがありまして。それをチャラにするか否かの勝負をして、私が勝ったのでやらせただけですよ」


「趣味、じゃないのよね……?」


「断じて違うっ!」



それまで憔悴しきっていた零治が顔を上げてこちらを睨みつけて怒声を上げたので、またもや全員がギョッとして彼の方に視線を向けた。零治は周りの様子など気にもとめずその場からようやく立ち上がり、精神的にかなり疲れているのか、肩で激しく息をしながら華琳の方へと歩み寄り、彼女の両肩をガッシリと掴んで顔を近づけた。



「いいか、華琳。あれは断じてオレの趣味ではない……」


「じゃ、じゃあなんなの……?」


「オレは元居た世界じゃ、敵地に単独で潜入して特定の標的の暗殺任務をよくやらされていた。そういう時、相手に堂々と接近するには男よりも女の姿の方が色々と都合が良かったんだよ。つまりあれは、オレが培ってきた変装技術だ」


「…………」


「その顔、信じてないな」


「し、信じてるわよ」


「いいや。信じていない。……もうこうなりゃヤケだ。今日それを証明してやる」


「証明? どういう事?」


「それは後になってからのお楽しみだ」



言い逃れのしようがない状況が出来てしまっている上に、自分から白状までしたのだ。今更言葉を取り繕っても何の意味も無い。そのせいなのか、零治には吹っ切れた様に見えるが自虐的な感じがしなくもない。遠巻きに話を聞いていた桃香達は、狼夏の正体だとか零治が女装だとか当事者じゃないため訳が分からないようだが、この場でいちいち一から十まで説明するのも面倒である。だから今は置いておくとして、零治は眼だけが笑ってない冷たい笑みを浮かべてもう一人の星の頭に右手を伸ばし、彼女の頭を鷲掴みした。



「ち、父上。どうしたのですか。顔が……怖いですよ……?」


「お前……後で覚えてろよ……」



零治は周りには聞こえないような小声でもう一人の星に脅しの言葉を囁き、右手を頭から離すと彼女が手にしている紙切れをピッと引ったくり、書き記されている名前に目を通した。零治ももう諦めてもう一人の星の名前はこれで行くとして、問題は文字である。何か思いついたのか、零治は右手にある紙切れを星に突きつけた。



「星」


「は、はい。何でしょう……?」


「何をそんなに怯えている」


「いえ、別に……」


「ふんっ。まあいい。コイツの名前だが、狼夏の『夏』の字を別のにする。お前が考えろ」


「『夏』の字だけで良いのですか?」


「ああ。この『狼』の字はある意味オレの名前の文字でもある。だから『夏』の字をお前らしさを感じる文字に変えてやれ」


「ふむ。なぜ狼が零治殿の名前と関係しているのです?」


「オレのもう一つの呼び名は影の狼と書いて『影狼』だ。だからさ」


「あぁ、なるほど。承知しました。なら、私も私らしい文字を娘に与えてやりましょう」


「そうしてくれ。……そういう訳だ。星が新しい文字を考えるまでオレはお前の名前は呼ばん。決まったら東屋まで紙を持ってこい。後、星にボールペンの使い方を教えとけ」



そういう意図があったわけではないとはいえ、自分の名前のために零治が今まで隠し通してきた秘密を最悪な形でバラされたのだ。彼はその怒りを少しでも紛らわせるためなのか、右手の人差し指でもう一人の星の額を数回ツンツンと突っつき、東屋に向かうと告げて踵を返した。



「あっ、父上。どこへ行かれるのですか?」


「タバコを吸うんだよっ! じゃなきゃやってらんねぇわ!」



とにかく今は気を紛らわしたい。そしてイライラの最大の原因であるもう一人の星と今は関わりたくない。その感情が限界に達してか、彼女に呼び止められると零治は背を向けたまま怒鳴り散らし、そのままズンズンとした足取りで玉座の間を後にした。その様子を眼にしたもう一人の星は先日のようにまたもやしょぼくれてしまう。



「あうっ……また父上を怒らせてしまいました」


「そう気を落とすな。お主の名前を決める事を投げ出してない様子から昨日ほど怒ってはいないと思うぞ。すぐに零治殿の機嫌も良くなるさ」


「そうだといいのですが」


「さて、ではお主の名前に使う私らしい文字を考えなくてはな」


「お願いします。母上。ではこれをお使いください」


「……紙は分かるが、この細長い棒みたいな物は何なのだ?」


「それはボールペンと言いまして、父上の世界では一般的な筆記用具ですよ」


「こんな小さな物が筆記用具なのか。しかしどうやって使うのだ? 筆のように墨をつけて使うのか?」


「いえ、墨は不要です。そのまま筆を走らせるようになぞれば文字が書けますよ」


「ふむ」



墨も無しで紙に文字を書くなどこの世界ではあり得ない話。それこそオーパーツである。半信半疑の星は筆を持つように右手に親指と人差し指、中指を添えて紙を突き破らないようにボールペンの先端を軽く紙に当て、何も書かれてない無地の場所に試しに線を引くようにペンを走らせた。



「おおっ。これは凄い。本当に墨も無しで線が引けたぞ。しかし、どうやったらこのような物が造れるのだ?」


「母上。そんな事よりも早く私の名前を決めてくださいよ」


「あぁ、すまんすまん」



もう一人の星から手渡されたボールペンの構造は非常に興味深いが、今はそれよりも娘の名前を決めてやるのが先である。紙に書き記された狼夏の夏の字を別の文字へと変える。それも自分らしさがある文字でなければならない。ペンを片手に紙とにらめっこしながら星は唸りながら考えに考え抜いた。それからしばらくして、ある文字が頭の中に浮かんだのだ。



(むっ。そうだ。あの文字が良いかもしれんな)



自分らしさもある良い文字が浮かんだ星は、手に持っている紙に書き記されている『夏』の文字に横線を二本引いて潰し、その横にある空きスペースにペンを走らせて新しい文字を書き込んでいく。書き終えた星は紙をまじまじと見つめ、満足気に頷く。どうやら娘に与える新たな名前が正式に決まったようである。



「待たせたな。お主の名前が決まったぞ」


「おおっ! 母上! 早く見せてくださいっ!」


「ほれほれ。そう慌てずとも紙は逃げはせん。……おほん。今日からこれがお主の名前だ」



もう一人の星が両手を伸ばして手にしている紙を引ったくろうとしてくるので、星はまずは娘を落ち着かせると彼女は素直に言う事を聞いて落ち着きを取り戻す。そして星は一度咳払いをすると、クルッと名前を書き記した紙を反転させて娘に見せた。紙に書き記されているその名は。



「……狼華」


「うむ。読み方は同じだし、字面もこちらの方が美しかろう?」


「……母上。この『華』の字ですが……もしや華ちょ――んむっ」


「おっと。それ以上口外してはならぬぞ?」



もう一人の星、もとい狼華は自分の名前につけられた華について何かを喋ろうとしたので、星が右手の人差し指を口に押し当てて塞いできたのでその先を喋る事は出来なかった。星もこの文字を使うと決めた時、娘が零治と自分の記憶をある程度継承している口にしていたのを思い出したので、もしや知っているのではないのかと予測していたが案の定だった。零治が女装の事を秘密にしていたように、実は星にもとある秘密があるのだ。そして狼華に与えた華の字はその秘密に大きく絡んでいるのである。



(ふぅ……危ない危ない。やはり華蝶仮面の事も知っていたか)


「むぅ……ぷはぁ! 母上、なぜ口を塞いだのです。人に聞かれてはまずいのですか?」


「うむ。良いか娘よ。女というものは、秘密を纏ってこそ美しく輝けるのだ。必ずしも全てをさらけ出せば良いというわけではない」


「ふむふむ」


「お主も私の娘なのだから、私のように美しく輝けるように日々精進するのだぞ?」


「……よく分かりませんが、分かりました。とりあえず黙っていればいいのですな?」


「うむ。今はそれで構わぬ。ほら。それよりも早く零治殿に知らせてやらないか。名前が決まったとな」


「おおっ! そうでした! 父上ーーっ! 私の名前が決まりましたぞーーっ!」



星から名前を書き記した紙を受け取り、狼華は顔を輝かせてドタバタと騒がしい足音を玉座の間に響き渡らせながら走り去っていく後ろ姿に母である星は苦笑しながら見送った。ひとまずもう一人の星の名前も無事に決まった事だし、後は食事会の準備に取り掛かるだけなのだが、そのためには言い出しっぺの零治が戻ってくるのを待つか呼び戻さねばならないが、それも狼華がやってくれるだろう。



「はぁ……しかし零治も悲惨ですねぇ。まさかこんな形で彼の秘密が暴露されてしまうとは」


「子供が親の秘密を悪気も無く口にするってのは、ゲームや漫画ではよく見た事あるけど、まさか現実で拝む事になるなんてな。無邪気ってのは恐ろしい凶器だねぇ」


「大丈夫なんでしょうか。この件が原因で、兄さんまたあの娘に強く当たったりするんじゃ」


「だよね。小声だったから周りには聞こえてなかったと思うけど、『後で覚えてろよ』って脅しの言葉も言ってたしね」


「臥々瑠。大丈夫よぉ。零治さんも心の狭い方ではないのだから、そこまで強くは当たらないはずよぉ」



昨日は狼華の存在を巡って一騒動あったが、零治も彼女を娘として扱うと決め、その存在も認めたのだ。ただ自分の秘密を最終的には自白したとはいえ、一番最悪な形でバラされてしまったのだ。しばらくの間その事について零治が荒れるのは間違いないだろう。現にそれを理由にして彼は東屋までタバコを吸いに行ってるのだ。今の亜弥達に出来る事は少しでも早く零治の機嫌が良くなるよう願いつつ、食事会の準備を進める事だけだ。



「さて、私達は零治が戻って来るのをここで待ってますかね」


「だね。言い出しっぺの零治が居ない事には準備なんか出来やしないからね」


「ウフフ。これだけの大人数分の料理を作るのは大変ですが、腕がなりますわねぇ。零治さんに様々な食材を用意していただかなくては」


「……あの、亜弥さん。零治さんと曹操さん、さっき何の話をしていたんですか? 女装がどうとかって聞こえてきたんですけど」



零治と華琳の会話について気になって話しかけてきたのは桃香だった。あの内容は当事者でなければ完全な理解は不可能なのだから気になるのは仕方ないのだろう。とはいえ、この件は零治のプライベートな部分が大きく絡んでいるので、やはり本人の口から語らせないと余計なトラブルの元にしかならない。故に亜弥はこの質問に対して適当にお茶を濁すだけで済ませた。



「まあ、それについては本人から明かされるのを待つ事ですね。今日の食事会で何かするようですし」


「はあ……」


「桃香。それよりも今日の朝議で黒狼との決戦の日取り、この後の食事会の開催、零治と星の娘の名前も決まりましたが、他に何か重要な話題はありますか?」


「いえ。もう特に何も無いですね」


「それは結構。なら、私達は零治が戻るまでここで待機していますので、皆さんは自分の部屋に戻るなり鍛錬して自己研鑽に励むなり、適当に時間を潰していてください。準備ができたら声をかけますので」


「それはいいんですが、一人ひとりに声をかけて回ってたら効率が悪くないですか?」


「あぁ、確かにそうですね。なら、準備が終わる目処が立ったら、全員に時間を指定して一箇所に集合してもらうようにしましょう。その後に私達が皆さんを会場まで案内する。これでどうですか?」


「そうですね。それでいいと思います」


「ふむ。では、食事会の話も纏まった事ですし、解散としましょう。皆さんの期待を裏切らないよう最大限の努力をしますので楽しみにしていてください」



亜弥がパンっと手を叩いて打ち鳴らしたので、それを合図にして三国の首脳陣は玉座の間を退出していく。この非常時に食事会を開くのはどうなのかと、モヤモヤとした感情を抱いている者も一部居るが、各国のトップが焦っても仕方がなく心にもゆとりを持つのも必要と言っていた。これについては反論のしようがなく、戦にも通づる部分があるので納得をせざるを得ないだろう。とりあえず今は景気づけのための食事会の料理の味に期待しつつ適当に時間を潰す。そう言い聞かせていた。中でも華琳は二重の意味で期待していた。一つは零治の世界の料理と酒の味。もう一つは彼の秘密、零治はそれを今日証明してやるとヤケクソ気味に口にしていた。一体どういう形で明かされるのか彼女はそれが楽しみなのだ。大陸の危機を前にして不謹慎と思われるかもしれないが、こういう楽しみがあるのも悪くない。華琳はそう考えながら割り当てられた部屋へと足を運んでいくのだった。

零治「よし。死ぬ覚悟は良いな、ダメ作者……」


作者「何だよっ!? 娘の名前を決めただけでなんで殺されなきゃなんねぇんだよ!?」


零治「そのせいでオレの秘密が暴露されてるからじゃあぁぁぁぁぁっ!」


亜弥「まあまあ。零治、もういいじゃないですか。物語も終盤なんですし」


零治「あぁ~……本当に今回は最悪の回だぜ……」


恭佳「これも予定通りなの?」


作者「いやぁ、最初は普通に名前を考えてみたんだが、どうにも思いつかなくてよ。ならいっその事狼夏の名前を使うかって結論になってこういう話にした」


奈々瑠「だったら兄さんが一人で考えて名付ける内容でも出来たのでは?」


作者「それじゃ面白みに欠けるだろ。それに狼夏の名前を使うと決めてから、名前に星らしさを加えるために『夏』の字は変更するつもりだったからな」


臥々瑠「それで狼華にしたの?」


作者「そういう事。星のもう一つの姿にはこの字が使われるからな」


樺憐「なるほど。……狼華ちゃん。これからよろしくね」


狼華「はい。皆さん、これからよろしくお願いします」


零治「……まさかお前、あの蝶々仮面になったりしねぇだろうな」


狼華「な、何の話ですか? 父上……」


作者「ヘイヘイ。零治さんよ。アイツは本編に出てないんだから奴の話はご法度だぜ?」


零治「ケッ! いいだろう。今回はこの辺で勘弁してやる」


狼華「ふぅ……助かりましたぞ。作者殿」


作者「いいって事よ。では今回はこの辺で。読者の皆様、ごきげんよー」

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