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第104話 狼に挑む幼き龍

毎度の事とはいえ、大変長らくお待たせいたしました。なんだかんだでもう年末ですね。今年は例のアレが流行ったりと大変な一年になってしまいましが、皆さんにとってはどうでしたでしょうか?

次の投稿もいつになるか分かりませんが、もうしばらくこの作品にお付き合いしていただければ幸いです。それでは皆さん、良いお年を。来年もよろしくおねがいします。

零治と星の血液が混ざった血溜まりから、BDの力をも借りた事でこの世に誕生したもう一人の星。後は彼女をあるべき場所へと還せば全て終わりだったのにそうはならなかった。零治からこの世界を去るように告げられたが、もう一人の星はこれを拒否し、己の生きる権利を勝ち取るべく一騎打ちを申し出てきたのだ。厄介な事この上ないがこれは零治としても望む所である。どうせこの件はスムーズに片付けられないと分かりきっていたし、この方法ならば確実に大陸に新たな戦争の火種を残す事も無い。



「…………」


「フッ。構えは様になっているが、実力の方はどうなんだろうな……?」


「父上。私を見くびらない方が身のためですぞ」


「なら、それを口ではなく力で示してみろ。まさか舌戦をするためにお前はこの場に立っているわけじゃあるまい……?」


「良いでしょう。参りますぞ…………父上っ!」



もう一人の星は口火を切って地面を蹴り、低姿勢でダッシュして零治との間合いを瞬時に詰めた。その動きは決して見様見真似などというものではなく、本物の星と遜色が無い。つまり、もう一人の星は武人としての力もしっかりと受け継いでいるという事。零治を間合いに捉えた彼女は深紅の龍牙を両手で持って思いっきり後ろに引き、身体の捻りも加えて右腕を前に突き出して渾身の一撃を放った。



「せいやぁ!」


「なるほど。いい動きだな。……ふんっ!」


「くぅ……っ!」



零治はもう一人の星の動きに感心するがそれで終わらせるはずもなく、彼は左手に持つ叢雲を振り上げて鞘による打撃を穂先に打ち込んで突きの軌道を逸らし、彼女ごと後ろへと押し返したのだ。もう一人の星はバックステップして零治との間合いを開いて体勢を立て直すが、零治の先程の一撃が右手にも伝わっておりビリビリとまだ痺れていた。



「流石は父上。私の一撃をこうも容易く弾き返しますか」


「お前に褒められても嬉しくないな」


「やれやれ。娘である私の賛辞を受け入れられないとはとんだ父親ですな」


「まだそんな減らず口を。……だが、そういう所は母親似だな」


「零治殿、今のはどういう意味です」


「言葉通りの意味だが?」


「父上。私が母上から受け継いだのは口の利き方だけだと思わない事ですぞ。武術の方もしっかりと受け継いでいますのでな」



胸を張り、誇らしげに語るもう一人の星。その姿はまるで子供だ。確かに先程の動きは本物の星が見せる華麗な動きと全く同じだった。決して見様見真似の動きなんかじゃない。そこは零治も認めざるを得ないだろう。だが動きは受け継いでいても、受け継げていないものもあると先程の一撃で零治は感じ取っていた。彼はニヒルな笑みを浮かべながらそこを指摘する。



「確かに今の動きは星の動きと遜色が無い。だがそれだけだったな……」


「……なんですと」


「お前のさっきの一撃、あまりにも軽かったな。星には遠く及ばない一撃だ……」


「言うではありませぬか。ですがそれも今の内だけですぞ。父上のプライド、私がボロ雑巾のようにズタズタに引き裂いてさしあげましょうぞ……」


「面白い。やってみろ……」



零治の挑発的な言動にもう一人の星は怒りはしないが反応はしており、表情に影を落として零治を睨みつけながら深紅の龍牙を構え直し、その場にピリピリとした一触即発の空気が張り詰めた。桃香や一刀はハラハラとした表情で二人の勝負の行方を見守り、他の三国の首脳陣達も静観している。亜弥達も零治ともう一人の星の様子を見ていたが、彼女の言動に感じる部分があったのだ。



「亜弥、もう一人の趙雲が言った今のセリフだけど……どう思う?」


「ええ。彼女、喋り方は星と同じですが、さっきのセリフ……零治が言いそうな単語がいくつか混じってましたね」


「ああ。丁寧語ながらも汚い言葉も混じってる。つまり口の悪さは零治譲りって事だな」


「えっ? そうなんですか?」



亜弥達の会話が耳に入り、気になって横から口を挟んできたのは桃香だった。親子というのは容姿だけでなく、性格や言動も似てくるものなのだ。零治と星は否定しているが、もう一人の星は容姿と口調、性格も母親と認識している星に似ている。そして髪と眼の色は完全に零治と同じで口の悪さも似ていると恭佳は考えている。ここまで来るともう周りから親子と言われても仕方ないレベルだ。しかし桃香は星の事は知っていても零治の事までは詳しく知らない。だからこそ知りたいのだろう。いま目の前で零治と対決しているもう一人の星が本当に二人の娘なのかどうかが。



「あの、今の話、もっと詳しく聞かせてくれませんか?」


「ん? アンタ、劉備だったか。何? そんなに零治の事が気になるの?」


「えぇっと、正確には零治さんっていうより、あの娘の方が気になっちゃって」


「あぁ、自称零治と趙雲の娘の方ね」


「はい。それで、あの娘ってそんなに零治さんに似てるんですか?」


「そこまでハッキリとは分かってないけど、アイツの口の悪さが零治に似ているのは恐らく確かだと思うよ」


「へぇ~。あの、もしかして貴方が零治さんのお姉さんですか?」


「ん? そうだけどよく分かったな」


「試験の時に姉が居るって聞かされてましたから」


「ふ~ん。あぁ、アタシの名は音無恭佳だ。よろしくな」


「あっ、こちらこそ。私は劉備、字は玄徳です」



恭佳はいつもの軽いノリで右手を軽く上げて挨拶するが、桃香は丁寧にペコリとお辞儀をして名乗った。こういう所はやはり人の性格が出てくるのだろう。しかしそれは悪い事ではない。挨拶は人付き合いで大事なコミュニケーションなのだ。とはいえ、恭佳は性格上その姿に苦笑いを浮かべずにはいられなかった。



「劉備は堅いねぇ。もう少し気楽にしたら? アタシ堅苦しいの嫌いだし」


「恭佳。劉備は真面目な性格だからそれは無理だと思いますよ」


「あの、お二人とも私の事は桃香って呼んでください。その代わり、私もお二人を下の名前で呼ばせてもらっていいでしょうか?」


「おいおい。そんな軽々しく真名を預けていいわけ? アタシは別に下の名前で呼ばれても気にしないけどさ」


「皆さん悪い人じゃないですし、これから一緒にやっていく仲間同士で他人行儀なのも良くないじゃないですか」


「ふむ。確かにそれは一理ありますね。なら、私の事は亜弥と呼んでください。桃香」


「アタシは恭佳だ。改めてよろしくな、桃香」


「はい! こちらこそよろしくお願いしますねっ! 亜弥さん、恭佳さん」


(……この殺伐とした状況で桃香は何してんだ。脳天気な奴め)



あれが桃香の良さだという事は零治も理解しているので流石に口には出さずにいたが、内心ではいつものように毒づいていた。いま自分はもう一人の星とまさに命の取り合い、真剣勝負をしている最中なのだ。桃香達がしている会話はあまりにも場違いだ。しかし、今は目の前の事に集中せねばならないので零治もスルーしていたが、そんな彼の心境などお構い無し向こうは向こうで勝手に話を進めていた。



「では、わたくし達も自己紹介しましょうか。わたくしは樺憐。わたくしの名前はこれ一つですのでお好きに呼んでくださいな。こちらはわたくしの娘、奈々瑠と臥々瑠ですわ」


「始めまして、奈々瑠です。よろしくお願いします」


「アタシは臥々瑠。よろしくね」


「…………」



樺憐、奈々瑠と臥々瑠の母娘三人が桃香に軽い挨拶を交わすが、桃香は何も言わずにただ黙ってポーっと樺憐達三人の姿に見惚れていた。その様子を亜弥と恭佳は横で不思議そうに見つめて首を傾げた。確かに樺憐は絶世の美女と言っても過言ではない程の美人だし、娘である奈々瑠と臥々瑠も可愛らしい容姿をしている。しかし周りを見れば魏、蜀、呉と三国の陣営も美人揃いだ。そこまで見惚れるほどなのだろうかと考えていて、その様子を樺憐も不思議に思い、どうしたのかと首を傾げた。



「あの、どうかなさいましたか?」


「……か」


「か?」


「可愛いーーーーっ!」


「はっ?」


「その頭についている耳、すっごく可愛いですっ! あの、それって本物なんですか!? もしかして三人は美以ちゃん達の親戚か何かなんですか!?」



さっきまで黙っていたかと思えば、今度は顔を輝かせてハイテンションで樺憐達三人の頭にある特徴的な犬耳に食いついてきたのだ。樺憐達はもうこの光景には見慣れている。頭についている特徴的な犬耳はこの世界の住人からすればとても物珍しいだろうが、桃香みたいにここまでオーバーな反応をしてるのは初めて見る光景だ。



「あの、劉備さん……?」


「桃香でいいですよぉ。ほらほらご主人様! 見て見て! この娘達、美以ちゃん達みたいに頭に耳がついてるよ!」


「えっ?」



零治ともう一人の星との間に広がるピリピリとした空気をそっちのけに桃香が樺憐達の頭にある犬耳について他の者にも知ってもらいたいのか、手をブンブンと振って一刀をこちらへ呼び寄せた。零治達の様子も気がかりだが、桃香に呼ばれた以上無視するわけにもいかない。とりあえず一旦零治ともう一人の星の事は置いておき、桃香の方へと足を進めていった。



「桃香、美以達がどうしたって?」


「見てよこの三人! 頭に耳がついてるよぉ。美以ちゃん達にそっくりだと思わない?」


「ん~?」



一刀はまさかと思いながら樺憐達三人の頭頂部に眼を向けてみた。すると確かに桃香の言う通り、彼女達の頭には特徴的な犬耳がついており、つけ耳にしては妙にリアルに出来ている。樺憐、奈々瑠、臥々瑠の三人はもうこれにも慣れているが毎度の事ながら少々ウンザリもしていた。いちいち口で説明するも面倒なので、本物だと示すように三人は犬耳をピョコピョコと動かしてみせた。



「なっ! 動いたっ!?」


「本物なのですから動かせるのは当然ですわよ」


「ほ、本物なんだ。……ん?」



犬耳が動く事にも驚かされた一刀だが、樺憐達の三人の姿を観察しているとある物が眼に止まった。それは三人の腰のあたりから垂れ下がっているフサフサとした毛の束である。樺憐と奈々瑠は髪の毛が長いので頭髪の一部にも見えなくはないが、臥々瑠は二人と比べると短いショートヘアーなのでやはり違和感がある。もしやと思い、一刀は樺憐に内に抱えている疑問をぶつけてみた。



「あの……もしかして三人って尻尾もあったりします……?」


「ええ。ありますわよ」


「…………」



動物の耳と尻尾を有した人間など一刀はフィクションの世界でしか見た事など無い。しかし現にこうして目の前に実在しているのだ。居るわけがないと否定のしようがない。零治の世界について一刀は詳しく知らず、せいぜい自分が生きている時代より未来の世界って程度の認識だ。だがここまで来るともう何でもありの世界なのではないかと思わざるを得なかった。



「まさか零治の世界だと、それって普通なんですか?」


「普通ではないですわね。わたくし達はかなり特殊な存在ですので」


「で、ですよね……ははは」


「ねえ、ご主人様。やっぱりこの人達って美以ちゃん達と何か関係があるんじゃないかなぁ? 例えば親戚とか」


「いや、生きている世界が違うから親戚は考えにくいぞ。美以達がこの三人と何か関係があるって可能性は考えられなくはないけど、実際はどうなんだろ?」


「……ねえ。さっきから二人して言ってるその美以ちゃんって誰?」


「孟獲ちゃんの事だよ。あっ、でも今の名前本人の前で言っちゃ駄目だよ? 真名だからね」


「それは分かりましたけど……そんなに私達と孟獲さんって似てるんですか? ちょっと気になるから会わせてくださいよ」


「あっ、だったら私が呼んでくるよ。ご主人様、ちょっと行ってくるね」


「うにゃ? 兄、とうか。みんな集まって何してるにゃ?」



と、桃香達に声をかけてきたのは、四人組の少女達。先頭に立つ淡いグリーンの頭髪の少女は頭に大きな動物のトンガリ耳があり、服装もホワイトタイガーの毛皮を彷彿とさせる物を纏ったかなり肌の露出が高い服装だ。更に両手には猫の手のような手袋を着用していてご丁寧に肉球まで再現されている。その姿は三国志の世界とはあまりにもかけ離れすぎている。この少女一人だけでも衝撃的なのに、後ろに続いている三人の少女達も何やら頭にデフォルメ化された虎の顔を再現した帽子のような物を被っていて、腰には虎の毛皮のような布らしき物を巻き付け、胸に至っては黒い布地をクロスさせて着用しているだけ。完全に水着姿である。あまりにも奇抜な衣装を纏った四人組の少女達の出現に亜弥達は眼を丸くせざるを得なかった。



「えっ? 亜弥……なんなのコイツら……」


「私に訊かないでくださいよ。……桃香、この娘達は一体……?」


「この娘が美以ちゃん、つまり孟獲ちゃんです。それから仲間のミケちゃん、トラちゃん、シャムちゃんです」


「亜弥、孟獲って南蛮人なんだよな。南蛮ってどこなの?」


「一応この中国大陸内を指していますから、ざっくばらんに言えば大陸の出身になるんですけど……」


「いや、アレどう見ても中国大陸の服装じゃないじゃん。どっちかと言えばどこか辺境の地の部族みたいなコスプレじゃん」


「もうこの世界はそういうものなのだと割り切った方が楽ですよ? 今更そんなあれやこれやとツッコミを入れてたらキリが無いですから」



亜弥の言う通り、この世界は普通の三国志の時代の世界とは全く違う。歴史上の英雄達の性別が反転しているだけでも充分非常識なのに、沙和の私服が妙に現代寄りなデザインをしていたり、真桜が使用している愛槍の絡繰り仕掛けの螺旋槍も穂先は完全にドリルだ。それ以外にもツッコミ所が満載のこの世界で、恭佳の疑問など亜弥から言わせれば何を今更というレベルなのだ。



「ほらほら。美以ちゃん見てよ。この人達にも頭に耳が付いてるよ。もしかして親戚とかだったりしない?」


「うにゃ?」



桃香に促されて孟獲は樺憐達をジッ見上げた。それに倣ってミケ、トラ、シャムと桃香に紹介された三人の少女も首を傾げてクリクリと眼を動かしながら樺憐達を見つめるが、どういうわけか四人の視線はすぐに樺憐一人に集中したのだ。何か気になる点でもあるのかと思い、樺憐は孟獲達の様子を窺いながら首を傾げていたが、その孟獲から思わぬ言葉が飛び出したのだ。



「おお~。大きなおっぱいだにゃ」


「はい……?」



孟獲が指摘したのは樺憐達の頭についている犬耳ではなく、樺憐の大きな胸である。確かに彼女の胸は男性だけでなく女性から見ても視線が釘付けになるほどの巨乳である。だが桃香は確かに孟獲達には樺憐達の頭についている犬耳について話をしていたのに、視線は全く別の所に向いている。もしかしたら背が低いから樺憐の胸が眼に付きやすいのかもしれない。まあそれは置いておくとして、今や孟獲の興味心は完全に樺憐の胸に移っており、彼女はトテトテと近づいて両手を懸命に伸ばしてきたのだ。



「にゃ~。ちょっと触らせてほしいにゃ」


「だいおーだけずるいにゃー! トラもさわりたいにゃ!」


「ミケにもさわらせるにょ!」


「ふわぁ~……シャムもさわってみたいにゃん」


「あらあらぁ。なんだか娘が増えたみたいですわねぇ」


「ご、ごめんなさい。樺憐さん。美以ちゃん達ったら失礼な事を」


「いえいえ。わたくしも悪い気はしてませんのでぇ。……うふふ。可愛らしい娘達ですわねぇ」



本来ならいきなり胸を触らせろなんて要求は失礼以前に人としてどうかと思える発言なのだが、樺憐はそれにも全く動じず、穏やかな笑みを浮かべてその場にしゃがみ込んで孟獲達の頭を優しく撫で回し始めた。流石は二児の母親をやってるだけあって子供の扱いは手慣れたものである。しかも心が広いのか器がデカイのか、彼女は孟獲をヒョイッと抱き上げて望みを叶えてやる事にしたのだ。



「はぁい。これが気になるのですかぁ? 触っても構いませんわよぉ」


「……おぉ~っ! ぽよぽよしてて抜群の触り心地だにゃ!」


「だいおーずるいにゃー! はやくトラとかわるにゃ!」


「つぎはミケのばんにょー!」


「ふわぁ~……つぎはシャムにゃん」


「はいはい。ケンカしちゃ駄目ですわぁ。ちゃんと順番ですわよぉ」


(スゲェ。こんな場面にも全く動じてない。それにしても美以達が羨ましすぎるっ!)


「……ご主人様。いま美以ちゃん達の事羨ましいって思ったでしょ」


「っ!? い、いえ、ソンナコトアリマセンヨ……?」



ジト眼を向ける桃香の指摘に一刀は否定するが口調が棒読みだし、かなりキョドっている。誰が見ても本心と言葉が真逆になっているのは明らかである。樺憐も一刀が一人の健全な男子なのだとは理解しつつも、今のである程度はどういう人種なのかも把握したらしく、孟獲達に向けている穏やかな笑みとは似ても似つかない、眼が笑わず口元だけが笑っている氷のように冷たい笑みを一刀に向けた。



「あらあら。わたくしも女性なので男性からそういう眼で見られるのはそこまで悪い気はしませんわ。ですので……その腕をブッ千切られる覚悟があるのでしたら触ってもよろしいですわよ……?」


(っ!? 怖っ! この眼は冗談じゃなくてマジだっ!)



樺憐から向けられている射るような視線に一刀は冷や汗を流しながら首をブンブンと激しく左右に振った。これで相手が零治だった場合、樺憐の対応は間違いなく真逆になっていた事だろう。まあそれは置いておくとして、今この場では緊迫した状況が展開しているのに、孟獲達が樺憐に寄ってたかって胸を触らせろとせがんでいて中々にカオスな事になっている。その場違いな発言は嫌でも零治の耳にも入ってきて彼は徐々に苛立ちを募らせ始め、最初は無言を貫き通していたのだが、遂に堪忍袋の緒がプッツンと切れてしまい、孟獲達に向かって怒鳴り散らしたのだ。



「だーっ! うるせぇんだよガキんちょども! いつからここは託児所になったんだっ!」


「隙きありっ!」



それまで睨み合いを続けていた零治の注意が孟獲達に向けられたので、もう一人の星はここぞとばかりに低姿勢で地面を蹴ってダッシュをして間合いを詰め、高速を超える神速と語っても過言ではない突きの一撃を放った。しかし、その軌道があまりにも直線的すぎるが故に零治にはお見通しだったようだ。



「隙きなんかありゃしねぇ!」


「なっ!?」



零治は素早く身体の向きをもう一人の星に向け直し、右手で握り拳を作ってフックを打ち込むように振り抜いて深紅の龍牙の穂先を殴りつけ、突きの軌道を無理やり横に逸したのだ。しかもその一撃は力が強くて衝撃が全身を駆け巡り、彼女の身体の動きも一瞬封じたのである。その隙きを零治は見逃さず、彼は振り抜いた右腕をそのまま腰に下げてある叢雲の柄にまで持っていき、もう一人の星に勝るとも劣らない神速にして一撃必殺の居合を放った。



「くぅっ!」



零治の予想もできない行動にもう一人の星は面食らい隙きを見せてしまうが、素早くバックステップをして零治の反撃を躱すが叢雲の切っ先が前髪をかすめたので紅い頭髪が数本宙を舞った。ギャラリーである華琳を始めとした面々も零治の立ち回り方に凄いと思いつつ非常識とも感じていた。相手の槍の穂先を殴りつけて突きの軌道を強引に逸らすなんて荒業は見た事も聞いた事もない。元から強いというのもあるが、こういう非常識な行動がこの世界の武人達には読めないからこそ彼に勝つのは難しいのだろう。



「全く。槍を殴って攻撃の軌道を逸らすなんて……随分と乱暴な事をなさいますな。父上」


「ケッ! 闘いに乱暴もクソもあるか。いちいち手段を選んでいては、勝てる勝負も勝てなくなる。オレにとって闘いとは生きるか死ぬか、それだけだ……」


「なるほど。確かに仰る通りですな。私はこの世界で生きる権利を勝ち取るために闘っているのだ。母上の流儀には反しますが、ここからは私も手段を選ばずに行かせてもらいましょうぞ……」


「何……?」


「はあぁぁぁぁ……」



意味深なセリフが気になる零治をよそに、もう一人の星は己の闘気を高めて手に持つ深紅の龍牙を正面にかざして己の闘気を高めるべく、低い声を発した。するとそれに呼応するように彼女が持つ龍化の穂先がボンヤリと蒼色に発光しだしたかと思えば、バチバチと派手な音を鳴り響かせながら迸る電流の如く周囲に光の奔流を撒き散らし始めたのだ。



(これは……奴の魔力の奔流かっ!?)


「父上っ! この技、捌き切れますかな!」


「っ!?」


「はあっ!」



もう一人の星はクルッと身体を回転させて零治に向き直る瞬間のタイミングに合わせて手に持つ深紅の龍牙を振るい、三日月状の斬撃をこちらに飛ばしてきたのだ。しかもそれは一発だけではなく、弧を描くように振り上げたと思えば今度は逆に身体を回転させて龍牙を振り下ろして二発目、もう一度逆に身体を回転させて薙ぎ払うように龍我を奮って合計で三発の三日月の形状をした蒼に光り輝く斬撃を飛ばしてきたのだ。



「飛び道具とはやってくれるなっ! クソガキがぁ!」



相手は普通の人間ではない。それは零治も分かっていたつもりだったが、もう一人の星が斬撃を魔力で形成した刃という形にして飛ばしてくるのは予想外だった。零治もその行動に面食らうが、それ以上に動じる事もなく、叢雲を振るって飛来してくる魔力で形成された斬撃の刃を全て切り裂いて己への被弾を避けてみせ、斬り裂かれた事で二つに分かれた斬撃は地面に着弾して小さなクレーターを作るだけで終わっり、零治は叢雲を右手の中で回転させて鞘に収めた。



(コイツ、魔力を刃に形成してこちらに飛ばしてくるとはな。これは思っていた以上に面倒な仕事になりそうだな……)


「流石は父上。私の技をこうも容易く凌ぎますか。しかし……次はどうですかな!」


「オレが同じ技を二度も使わせると思うなっ!」


「っ!?」



もう一人の星が使う斬撃を飛ばす技は確かに厄介だろう。だが彼女が使用した今の技はモーションが大振りな上に見え見えなのだ。だから距離を詰めてしまえば何の問題も無い。零治は口火を切って低姿勢でダッシュして間合いを詰め、叢雲を抜刀して高速の居合を放った。



「ぬぅ……っ!」



しかし、もう一人の星も負けじと深紅の龍牙を振るって穂先の刃を打ち込み、零治の一撃を受け止めガキンと派手な金属音が鳴り渡って火花を散らした。零治は彼女の立ち回りに感心しつつもここぞとばかりに叢雲を両手で握り締めて競り合いに持ち込んでいく。



「なるほど。お前が見かけ倒しじゃない事はよく理解できた。なかなかやるじゃないか」


「…………」


「しかも魔力で形成した刃を斬撃という形にして飛ばしてくるとはな。どこでそんな芸当を憶えたんだ?」


「フフフ。父上、貴方も意外と鈍いお方なのですな……」


「なんだと……?」


「どこで憶えたも何も、あの技は父上……貴方から受け継いだものなのですよ?」


「オレから受け継いだだと……?」


「まだ分かりませぬか? では、答えをお見せしましょうか……」



斬撃を飛ばすあの技が零治から受け継いだものともう一人の星は説明するが、零治は全く身に憶えがなかった。叢雲のアンリミテッドモードを起動すれば同じような技は確かに使えるし、赤壁での黒狼との一騎打ちで使用した経験もある。だがこれはあくまでも叢雲を介して使える技であって零治本人の技ではない。だから先程の自分から受け継いだという説明には繋がらないのだ。考えれば考えるほど分からなくなる。そんな零治の様子を面白がるようにもう一人の星は含み笑いを漏らし、零治の一撃を受け止めた時から下に向けていた顔をゆっくりと上げて閉じている両眼を開いた。開かれた瞼の下から姿を覗かせた両眼、それが答えだった。



「っ!? 貴様っ! その眼の色は……っ!?」


「フフフ。これが先程の答えですよ、父上。この眼の色、貴方も身に憶えがありますでしょう?」



もう一人の星が見せた両眼の色、それは零治と全く同じ澄んだ蒼色ではなく、白眼の部分は墨を流し込んだように真っ黒く、そして瞳の部分は蒼とは真逆の血を彷彿とする紅色に変色した眼だ。これは血の魔導書ブラッド・ディクテイターの力を発動した時の証。つまり、もう一人の星も同じように魔導書の力も使えるとういう事なのだ。



「今の血の魔導書は貴方の左腕と一体化している。つまり身体の一部。だからこそ、先程の技も父上から受け継いだものになるのですよ……」


「ご親切にどうも。だが……これで勝った気になってんじゃねぇぞ……」


「そう言っていられるのも今の内ですぞ、父上。残念ですがこの勝負……勝つのは私だっ!」


「なっ!?」



もう一人の星が深紅の龍牙を振り抜き、競り合いに持ち込んできた零治を逆に押し返してみせた。それにより零治は後ろに数歩よろめきながら体勢を崩されて大きな隙きを晒してしまう。もう一人の星にとってここまでは狙い通り。後はこの勝負の流れを自分の方へと引き寄せるだけなのだ。



「父上っ! 覚悟っ!」


「生意気言うんじゃねぇ!」



もう一人の星は深紅の龍牙を両手で握り締めながら大きく後ろに引き、穂先に己の魔力を集めながら稲妻のように蒼い光を放ち、電流の漏電のように激しく迸り始めた。そしてここぞとばかりに零治の首筋に目掛けて薙ぎ払うように大きく振り抜いたのだ。



「くぅ……っ!」



零治は咄嗟に首を後ろに振ってもう一人の星が放った凶刃を紙一重で躱すと同時に大きくバックステップをして間合いを広げ、安全圏まで退避した。反応が少しでも遅ければあの一撃で零治の首は地面の上に転がり落ちていた事だろう。久しぶりに肝を冷やし、もう一人の星が侮れない相手だと嫌でも思い知らされ、零治はどう立ち回るか思考を巡らせていた時だった。左頬に小さに痛みが走るので、不審に思った零治は痛みがする箇所を左手で軽くなぞって目の前に手を持ってきてみた。左腕を覆っているガントレットの装甲板が同色なので分かりにくいが、指先が濡れているのは流石に分かった。これは自分の血であり、先程の一撃がかすった証拠なのだろう。



「かすったか。やるじゃないか……」


「ようやく私の実力が理解できたようですな。しかし次は外しませぬぞっ!」


「ヒュー。コイツは驚きだぜ。まさかアイツ、俺様の、つまり血の魔導書の力まで使えるとはよ」


「BD! 一体どういう事ですっ! どうしてあそこに居るもう一人の星は魔導書の力が使えるんですかっ!? まさか貴方が彼女に力を与えたのですか!」


「おいおい。俺様はそこまでお人好しじゃねぇぞ。まあ、アイツが生まれた一番の原因は確かに俺様だけどよ」


「ならなぜ!?」


「ハッキリとは言えねぇが、アレはアイツが元から持っている力なのかもな。生まれた経緯が何であれ、奴は俺様……つまり魔導書の欠片のような存在だ。奴のこの世界で生きたいという強い想いが力を引き出したのかもな」


「……人間で言う所の火事場の馬鹿力のようなものだと?」


「そんな所だろうな。この発見は驚くに値するが……俺様も放置しておくつもりは無ぇ。……おい。相棒」


「何だ……」


「そいつが魔導書の力を使うというのならば……どうするべきかは分かるよな?」


「ああ。コイツにレクチャーしてやらないとな。力の使い方というものをな……」



もう一人の星が血の魔導書の力をどこまで使えるのかは分からないが、対抗手段はこちらにもある。目には目を。歯には歯を。魔導書には同じ魔導書で対抗すればいいだけなのだ。零治は血の魔導書の力を使って何度も危機を切り抜けてきているのだ。アドバンテージはこちらにあるが過信は禁物だ。相手の力の全貌が不明であるからには、安全に立ち回るべき。まずは防御面を固めていくべきと零治は判断し、最凶の鎧を用意する事にしたのだ。



「フー……拘束術式、一から一〇〇までを開放。……血ノ鎧ブラッド・アーマー創造クリエイト


「おいおい。俺様のセリフを取るなよなぁ」



今の零治にBDの不満など耳には届かず、彼は叢雲を鞘に収納して左手でしっかりと持ち、両手を軽く宙に掲げて両眼を閉じ、そして意識を集中した。すると零治の周囲の空間が歪み、彼の身体は揺らめく炎のような血の魔導書の力を発動した時の紅いオーラに包まれ、周囲に渦巻く無数の粒子が回転して金属版へと変化した。その金属板は意思を持っているかのように空中内で勝手に動き、零治の手足と所定の位置に密着すると他の金属板も続けざまに組み付いていき、次第に鎧の形を形成したのだ。まるで全身に敵の返り血を浴びた紅い鬼を連想させるような禍々しい鎧にだ。そして兜に視界を確保するための細い空間から、深紅に発光する禍々しい瞳が姿を覗かせ、もう一人の星に射るような視線を向けたので、彼女は思わず恐怖して数歩後ろに後ずさってしまう。だが恐怖したのは周りで様子を見ている亜弥達も同じだ。何しろこの零治の姿を見た経験があるのは恭佳と樺憐の二人だけなのだ。初めて見れば誰だって恐怖で怯むだろう。



「何て悪趣味な鎧なんですか。まるで呪いでもかかってそうな見た目ですよ」


「いやいや、亜弥。確かにアンタの言う通りあの鎧は見た目も悪趣味だけど、本当に悪趣味なのはあの鎧が持つ能力の方さ」


「ん? 恭佳、貴方はあの鎧の秘密を知っているのですか?」


「ああ。何せ使う所を直に見た事があるからね。いい趣味してるよ、ホント」


「わたくしも同感ですわ。あの鎧を纏った零治さんとは勝負したくありませんわね。何しろ相性が最悪ですので」


「樺憐にそこまで言わせるなんて……一体あの鎧に何が隠されてるんですか?」


「見てれば分かるよ……」



いくら訊いても恭佳と樺憐は多くを語ろうとしないので、亜弥達は仕方なく零治ともう一人の星の勝負の行方を見守った。初めて目の辺りにする零治の別の姿に誰もが言葉を失い、息を呑んでいる。それは対峙しているもう一人の星も同じ。だが彼女は沸き立つその恐怖心を押し殺し、あくまでも気丈に振る舞ってみせた。



「なるほど。鎧を全身に纏い防御を固めますか。悪くない判断ですな」


「…………」


「ですが、それも今の私には無意味っ! その装甲ごと刺し貫くっ!」


「やってみろ。この鎧に手を出したその瞬間、貴様の敗けが確定するがな。クックック……」


「安っぽい挑発ですな。だが今は……敢えてその挑発に乗ってあげましょう! はああああああっ!」



もう一人の星は裂帛の気合を放ちながら地面を低姿勢で駆け抜け、零治との間合いを詰めていく。対する零治は何もしようとせずただ棒立ちしているだけ。迎え撃とうとする様子は一切無い。その様子を見ている華琳達は鎧を過信し過ぎなのではないかと思っていた。いくら金属製とはいえ、鎧にもダメージが蓄積すれば破損する可能性はいくらでもある。そうなれば下に隠された身体が剥き出しになり防具の意味を成さなくなる。だが零治は過信などしていない。そもそもこの鎧は普通の鎧とは訳が違う、悪質な秘密があるのだ。



「父上! これで終わりですっ! お覚悟を!」


「フッ。覚悟するのはお前の方だ。愚者が……」


「せぇぇいっ!」



もう一人の星が零治を自分の間合いに捉えると身体を大きく右に捻り、零治に向き直る瞬間に合わせて思いっきり右腕を突き出して片手で深紅の龍牙を駆使した渾身の突きを胸に目掛けて放った。事の成り行きを見守っていた桃香は思わず顔をそむけて眼を瞑るが、穂先が零治の鎧に触れた瞬間この大陸に生きる者達にとってあまりにも非現実的な出来事が起きたのだ。



「がはぁっ!?」



それは一瞬だった。もう一人の星が放った高速の突きが零治の鎧に命中したその瞬間、二人の間で爆発が起きたのだ。激しい轟音とともに業炎と爆風がもう一人の星に襲いかかり、彼女は龍牙を握り締めたまま風に吹かれた木の葉の如く吹っ飛ばされ、背中から地面の上に叩きつけられてピクリとも動かなくなり、所々が焼け焦げた衣服から煙を立ち上らせていた。誰もが眼を疑い混乱し、言葉も失っていた。何が起きたのかさっぱり理解できない。分かっているのはもう一人の星が今の爆発を正面からモロに喰らって致命傷を負い、動かなくなってる事。それだけなのだ。



「き、恭佳。一体何が起きたのです。零治ともう一人の星の間で爆発が起きたようですが……零治は爆弾でも隠し持っていたんですか?」


「いいや。零治は爆弾なんか使っちゃいない。今の爆発はアイツの鎧の装甲その物から起きたのさ」


「装甲その物が爆発……? っ!? ちょっと待ってください恭佳っ! なら零治が着用しているあの鎧、まさか爆発反応装甲で出来ているというのですか!?」


「そういう事。今の零治はまさに歩く爆弾なのさ。それもこっちから手を出したら爆発する悪質な」


「……なるほど。それなら樺憐があの姿の零治との勝負を嫌がるのも頷けますよ。確かに相性は最悪ですね」


「ええ。わたくしの拳であの装甲板を砕く事は可能でしょうが、それで爆発を無効化できる保証はありません。それに爆発の条件が通常の爆発反応装甲と同じとも考えられませんのでね」


「本来は防御目的で使用するERAを殺傷目的で、しかも鎧として使用するなんて。常識外れもいいとこですよ。しかし、爆発反応装甲なら一度使用してしまえばそれまでなのでは?」


「ヒヒヒ。俺様が考案した血ノ鎧を甘く見るなよ? 確かに普通の爆発反応装甲は一回こっきりしか使えない代物だ。だがあの装甲は爆破しても相棒の魔力を消費して勝手に修復されるから何度でも使用可能だ。おまけに俺様という燃料タンクもあるから魔力切れの心配も皆無ってわけさ」


「なんとまあ……それじゃあ本当に切り崩しようがない絶対防壁じゃないですか。なんて悪質な……」



本来は戦車の防御目的で使用する爆発反応装甲は補助装甲としては非常に優秀だ。しかしこれも万能ではなく、敵が使用するHEAT、つまり対戦車榴弾を防ぐために装甲を爆破してその衝撃で横合いから殴りつけるように敵弾を弾き飛ばすのだ。そして爆破した装甲は使い捨てなため一度使用してしまえばそれっきりである。しかし零治が着用している血ノ鎧の装甲は魔力を使用すれば自己修復されるのでその欠点を完璧にカバーし、何度でも使用できるようにしている。今の彼はまさに歩く要塞にして爆弾。軍に携わる人間にとっては比較的身近な存在である爆発反応装甲をこんな形で使用するのは零治以外に居ないだろう。亜弥達は今の話で何が起きたのか理解できたが、横で話に耳を傾けていた華琳や孫策、桃香はチンプンカンプンだ。やはり気になるのだろうか、華琳が疑問を投げかけてきた。



「亜弥、横で話を聞かせてもらったけれど、一体なんなの? その爆発反応装甲というのは」


「爆発反応装甲とは一種の補助装甲ですよ。といっても、装甲を爆破するため使い捨てのですがね」


「補助装甲なのに使い捨てなの? それって矛盾してないかしら?」


「それに爆破する装甲を鎧に使うなんて……御遣い君達の世界の人は過激な物を造るわねぇ」


「孫策殿。誤解しているようなので訂正さてもらいますが、本来爆発反応装甲とは人間が着用する鎧に使用する物ではありませんよ。そんな事をしたら、装甲を爆破した時の衝撃が間違いなく着用者にも伝わって無事ではすみませんからね」


「そんな堅苦しい呼び方はやめてよ。普通に雪蓮って呼んでいいのよ?」


「何さり気なく真名を預けようとしているのですか、貴方は」


「別にいいじゃない。これから苦楽を共にする仲間に対してよそよそしいのは良くないでしょう?」


「貴方の真名を預かるかどうかはひとまず置いておいて、本題に戻らせてもらいますよ。爆発反応装甲とは本来、人が身に着ける物ではなく戦車などの車両に取り付ける補助装甲になります」


「……あの、亜弥さん。せんしゃって何なんですか?」



次に質問してきたのは桃香である。彼女だけでなく華琳と孫策も戦車がどういう物なのか想像できないのだ。無理もないだろう。この世界ある車両といえば馬車とかそういった類になる。車両としては分類できるかもしれないが、戦車は攻撃能力を備えた装甲車両なのだ。この世界にそんな物は無い。亜弥も出来るだけ分かりやすく伝わるように頭をフル回転させて言葉を選んで説明を始めた。



「あぁ~、分かりやすく言えば攻撃能力を備えた戦闘車両ですよ。装甲板でガチガチに固めた頑丈なね」


「装甲板で固める……亜弥、それでは強度は得られても重くて動かせないのではなくて?」


「そうねぇ。それにいくら頑丈にしても人や馬で動かす車両じゃ乱戦には不向きだしね」


「華琳と孫策殿がどんな車両を想像してるのかは分かりますが、戦車は人力車や馬車とは根本的に違う物です。この世界だと豪勢な絡繰りとでも言えばいいのでしょうかね」


「豪勢な絡繰り、ねぇ。……なら、その戦闘車両にわざわざ使い捨ての補助装甲をつける理由はなんなの?」


「戦車とは重装甲、高火力を主体にした車両です。そのため戦場で最前線に出れば真っ先に狙われます。もちろん戦車もそこをちゃんと想定して装甲は分厚い構造をしています。なので並の兵器では太刀打ちできません。それこそ歩兵が戦車に正面切って戦うなど自殺行為でしか無い」


「ふむ」


「ですが、私達の世界では対戦車用の兵器、飛び道具も存在しており、それは装甲を貫徹するほどの破壊力がある。いくら頑丈な戦車でも、装甲を貫かれたらただの鉄の棺桶です」


「なるほど。ならばその爆発反応装甲は、さしずめその対戦車兵器の攻撃を防ぐ目的で造られた物なのね」


「そうです。中には装甲を単純に分厚くしただけでは防げない物もありますし、防げても何度も攻撃受ければ最終的に装甲は貫かれる。そこで爆発反応装甲の出番というわけです」


「あの、亜弥さん。亜弥さんの説明は分かったんですけど、頑丈にするんなら使い捨ての装甲より、普通の装甲で分厚くした方が強度は得られないですか?」



桃香が投げかけた疑問はこの世界の人間から言わせると至極当然の事だろう。そもそもこの世界には爆発反応装甲という概念が無いのだ。何か重要な物の強度を高くするとなるとどうしても単純な方法になってしまう。だが時代が進めば戦いも複雑化する。そうなれば単純な方法では切り抜けられない事案など掃いて捨てるほどにある。次はそこも含めて説明せねばならないようだ。



「桃香の言いたい事も分かりますよ。ですが、これを人に置き換えて考えてみてください」


「人に置き換えて?」


「ええ。例えば兵士が使う鎧、生存確率を上げるなら頑丈である事に越したことはありませんが、頑丈さだけを求めると動きが鈍重になったり、使える場面もかなり限定されてしまいませんか?」


「あっ……」


「鎧は革製から金属製までと幅広くありますよね? 頑丈さなら当然金属製の方が圧倒的に高い。しかし装甲が分厚い鎧を着用しては動きが鈍くなり、的にもなりやすくなる。戦車も同じです。単純に装甲を分厚くすれば動きが鈍るどころか移動そのものが困難になる。かといって逆に機動性を優先すれば今度は防御面が脆くなる。何事においても万能は無い。必ず一長一短がつきまとう。要はその一長一短とどう付き合っていくかなんですよ」


「なるほど。ありがとうございます、勉強になりました」


「はいは~い。お姉さんに私もしつも~ん」


「……なんか凄く小バカにされている気がするのは私の気のせいですかね」


「気のせい気のせい。……貴方の言いたい事は分かったのだけれど、まだ爆発反応装甲とやらの説明が出来てないわよ? 装甲を爆破する事に何の意味があるの?」


「あぁ、確かにそっちの説明がまだでしたね。ん~……」



孫策の疑問に答えるべく亜弥は右手を顎の下に添えて唸り声を出しながら思考を巡らせた。どう説明すれば理解しやすいのか。少し考えていると、亜弥は何かを思いついたかのように地面に落としていた視線を上げた。偶然とはいえ、先程零治が非常に分かりやすい例を実演してくれていたのだ。



「あっ、そういえば零治がさっきとても分かりやすい例を実演していましたね」


「御遣い君が?」


「ええ。さっき零治が、もう一人の星の突きを凌ぐために槍の穂先を殴りつけて攻撃の軌道を横にずらしたのを憶えてますよね?」


「憶えてるけど……あれがどうかしたの?」


「爆発反応装甲の理屈は、アレと殆ど同じなんですよ」


「どういう事?」


「私達の世界にある対戦車兵器は、一直線に飛来してくる物が主です。まあ強力な弓矢とでも考えてくれればいい」


「ふむふむ」


「そして戦車は人と違って停まった状態から素早く動けないので咄嗟の回避が中々出来ないのです。そこで爆発反応装甲の出番なのですが……っと、その前に絵があった方がより分かりやすいですね」



亜弥はその場にしゃがんでその辺に落ちている小枝を拾い上げ、地面の上に線を引いて絵を書き始めた。一方に横線を一本引き、その上に少し斜めに傾いた四角い図形を平行に書き連ねていく。反対側には矢印のような絵を書いて先端部分を横線の方向に向けていた。確かにこれなら分かりやすいだろう。横線が戦車の装甲、上にあるキザギザの四角形が爆発反応装甲。そして矢印は対戦車用榴弾、HEAT弾というわけだ。



「この横線が戦車の装甲。反対側に書いている矢印は対戦車兵器の弾……まあ、大きな弓矢とでも思っていてください」


「ええ」


「この飛来してくる大きな弓矢は一撃で装甲を貫徹するほどの破壊力がありますが、戦車は移動しながら攻撃が出来ないわけではありません。ですがそれだと狙いは安定しません。なので攻撃する時は停止してからが主なのですが、さっきも言ったように戦車は一度停止すると素早く動けないのです。だから格好の的になる。で、横線の上に書いたこのギザギザが爆発反応装甲なのですが、このように連なって装着されているんです」


「ふむ」


「さて、ここで話がまた先程の零治の行動に戻りますが、この矢印をもう一人の星の槍に置き換えて零治がとった行動を説明しますね。彼はこのように……」



亜弥は予め書いていた矢印の右側に放物線を描いた別の矢印を描き、零治のあの時の行動を絵で表した。亜弥が書いている絵を見ながら華琳、桃香、孫策の三人も亜弥の説明に耳を傾けて零治のあの時の行動を頭の中に描いてみる。一瞬の隙きを突いたかのようにもう一人の星が高速の突きを放ち、零治が右フックを打って穂先を殴りつけて攻撃の軌道を強引に横へ逸らす。それが鮮明に蘇ってきた。



「零治は槍の穂先をこのように殴りつけたので、もう一人の星の突きは当然殴られた方向へと逸らされてしまう。爆発反応装甲もこれと同じで、装甲に敵の攻撃が当たるとその衝撃を感知して装甲を爆破する。その爆破の衝撃を使って敵の攻撃を横合いから殴りつけるように弾き飛ばすんです」


「なるほどねぇ。ならさ、その爆発反応装甲ってどういう構造なの?」


「……なぜそこまで訊くんです。まさかとは思いますがこっちの世界で造るつもりじゃないでしょうね」


「だって気になるじゃない」


「気持ちは分かりますが、平和になった大陸にこんな物騒な物は不要です。すみませんが構造まで教えるつもりは無いですよ」


「ちぇ~。ケチねぇ」


(孫策め。血ノ鎧で爆発反応装甲に興味を示すなんてな。物珍しいと思う気持ちは分かるが、亜弥の言う通り、この世界にこんな危険物は不要だ)


「相棒。いつまで突っ立ってんだ。いい加減そいつにとどめを刺してやれよ」


「ああ……」



もう一人の星は受けたダメージが大きいため、未だに地面から起き上がろうとしない。とどめを刺すなら今が最大のチャンスだ。零治は左手に持っている叢雲を鞘から引き抜き、刃を煌めかせながら一歩ずつ歩み寄っていく。その様子を見ている星は何とも言えない複雑な心境に駆られていた。



「……っ!」


「星、どうしたんだよ?」


「翠……。いや……」


「星姉様、もしかしてあの人が気になるの?」


「……気にならないと言えば嘘になる。別人とはいえ、姿形は間違いなく私なのだ。だが、私にはどうする事も……っ!」


「出来ないと思っているのかい? 星」


「翠蓮殿……」


「まあ、確かに複雑な事情だからそう思うのも無理ないだろうが、たまにはあれこれ考えず、突っ走ってみたらどうだい?」


「突っ走る……」


「まっ、あたしにはこれぐらいしか言えない。後は自分で決めな。あんたがどんな結論を出したとしても、誰もあんたを咎めはしないさ」


(私は……)


(翠蓮。余計な事を。星の情がコイツに移る前にさっさと始末するか……)



これ以上時間を無駄に浪費していてはまた状況がややこしくなりかねない。零治は歩く速度を早めてもう一人の星に近づき、叢雲を逆手に持ってその刃を胸に突き立ててとどめを刺そうとした。だがその時だった。



「うっ……ぬぅ……」


「っ!?」



もう一人の星の左手の指がピクリと動いて地面を引っ掻き、彼女はムクリと上体をゆっくりと起こした。更にそのまま右手にある深紅の龍牙を地面に突き立てて杖代わりにしてフラフラと立ち上がってみせたのだ。しかも驚くべき事に、もう一人の星は先程受けた爆発で衣服が所々破れたり焼け焦げたりしているが、目立った外傷が見当たらないのだ。強いて言うなら顔などの露出している地肌が砂で汚れている程度である。



「はあ、はあ……やってくれますな。父上……」


「あの爆発を正面から受けたのに立ち上がるか。その様子だとダメージは入っているようだが……貴様、目立った外傷が無いって事は持ってるんだな。血の魔導書から得られる治癒能力も……」


「はあ、はあ……。ええ。おかげさまで爆死は免れてるのですよ。ですが、さっきのは本当に痛かったですし、今も痛いですよ。何しろ私が持つ治癒能力は父上ほど完璧ではありませんのでね……」


「…………」


「娘を爆殺しようとするとは酷い父親ですな」


「何度も同じ事を言わせるな。お前はオレの娘じゃないし、オレはお前の父親でもない」


「……あくまでも私を否定するのか……っ! 父上……貴方は私を…………本気で怒らせたなぁ!」



全身に残る痛みをもう一人の星は気合で跳ね除け、深紅の龍牙の穂先に内包する魔力を集めると、眩い蒼色の光が辺りを照らし出し、漏電している電流のように激しく迸り始めた。この様子だともう一度斬撃を魔力の刃を形成して飛ばすあの技を使うつもりなのだろう。だが、今の零治は血ノ鎧で全身を覆っているのだ。明らかに無駄な行為でしか無い。



「また斬撃を飛ばすつもりか? 無駄だ。そんなものでこの血ノ鎧の装甲は破れん」


「はあ、はあ……私を……見くびるなぁ!!」


「っ!?」


「飛翔せよ龍牙っ! 天翔ける龍となってっ!」



もう一人の星はまるで槍投げ選手のように大きく振りかぶり、右腕だけで零治に向かって深紅の龍牙を投げつけた。投擲された深紅の龍牙は穂先を零治に向け、更にもう一人の星から流し込まれた魔力が爆発したかのように溢れ出て龍の形を描き、一直線に飛来してきたのだ。その光景には誰もが驚いたが、星と翠はこの光景に見覚えがあったのだ。



「なっ!? 星っ! あれって確か……っ!?」


「ああっ! あれは黒狼の腹を刺し貫いた……っ! 零治殿っ! 避けてください! その技は黒狼の腹を刺し貫いたのと同じものですっ!」


「ほお。これがか。面白い。受けて立とうじゃないか……」


「零治殿っ! 何をしているのですか!? 早く逃げてくださいっ!」


「フッ……」



星が鋭く叫ぶが零治はその言葉に耳を貸さず、鼻を鳴らして棒立ちするのみ。眩い蒼色の光を放ちながら龍の姿を描き、迫り来る深紅の龍牙の穂先が鎧の胸部の装甲に穂先がぶつかった次の瞬間、その場で凄まじい大爆発が起こり、辺りに爆煙と爆風を撒き散らして地面の砂を舞い上げ、ギャラリーである華琳を始めとした人達の衣服が激しくバサバサとなびき、周囲の庭木も大きく揺れ動いて葉を大量に撒き散らした。爆心地である零治が立っていた場所にはモウモウと黒煙が吹き上がっており、彼の姿も視認できない。その様子にもう一人の星は確かな手応えを感じ取っていた。



「はあ、はあ……やったぞ。私の一撃は確かに父上に届いた……」



自分が放った奥の手とも言える一撃は確かに零治に届いた。直撃するその瞬間も見届けた。仮に零治が無事だったとしても、先程の爆発の凄まじさから彼が無傷では済まないと容易に想像できる。もう一人の星は零治との勝負に勝ったのだと確信し、心の中でガッツポーズをしていたがそれは束の間の安息に過ぎなかった。激しく肩で息をしているもう一人の星の前に、クルクルと空を斬る音を鳴らしながら自分が投擲した深紅の龍牙が空中から落下してきて、目の前の地面に深々と突き刺さったのだ。



「ん? これは私の槍……?」



なぜ自分の槍が目の前に落下してきたのか、もう一人の星には理解できなかった。いま放った技が零治に直撃したのであれば、槍が目の前に落下してくるなどあり得ない。あの技は如何なる物も貫通する破壊力があるのだ。不審に思ったもう一人の星は目の前で未だに吹き上がっている黒煙の先を見つめた。煙は時間が経つにつれて晴れていき、その中からボンヤリと一つの人影が浮かび上がったのだ。その時、突如として一陣の風が吹き付けて辺りの煙を吹き飛ばし、人影の正体が露わとなった。零治である。しかも驚くべき事に、彼はあの爆発の中に居ながら全くの無傷だったのだ。



「なっ!?」


「ククク。残念だったな。お前の一撃、オレには届いていないぞ」


「そんなバカな。確かに直撃をしたはずなのになぜ……っ!?」



理解できない。確かに先程の一撃は直撃していた。無事で済むはずがない。なのに零治は全くの無傷。いくら考えても答えは見つからない。あの時何が起きたのかもう一人の星にはさっぱり理解できていなかった。だがそれは亜弥達も同じ。魔法が絡んだ闘いだが、今の一撃は百戦錬磨の零治でも直撃していては無傷で居られるはずがない。なのに彼は傷一つ負っていない。考えれば考えるほどわけが分からなくなるだけだった。



「どういう事ですか。あれだけの爆発が起きた中、いくら鎧で全身を防護しているとはいえ全くの無傷なのは不自然だ」


「姉さん。兄さんって、防御系の魔法とか使えましたっけ?」


「いいえ。彼はどちらかというと攻撃系に特化したタイプです。防御系の魔法は殆ど習得していませんし、叢雲の固有スキルも防御系とは違う」


「ならもしかして、あの鎧のおかげで防げたんじゃないの?」


「臥々瑠、いくら何でもそれは無理があると思いますよ」


「ククク。珍しく鋭いじゃねぇか、おチビちゃん。その通りだぜ。相棒はもう一人の趙雲の一撃を血ノ鎧で防いだのさ。完璧にな」


「何ですって? BD、あの鎧はそこまで頑丈に出来ているんですか?」


「そういう意味じゃねぇ。相棒はあの攻撃を爆発反応装甲で防いだんだよ」



もう一人の星が放ったあの大技を爆発反応装甲で防いだ。BDはそう断言しているが亜弥達はとても信じられなかった。爆発反応装甲の防御能力が優秀なのは知っているが、それにも限界がある。いくら爆発反応装甲の性能を以ってしても防げる攻撃と防げない攻撃があるのだ。何より先程の大爆発は爆発反応装甲で起こせるような規模ではない。防御目的であそこまで派手に爆破しては自分自身もただでは済まないはずだ。BDは亜弥達が一つ勘違いをしているようだと気付き、やれやれと言わんばかりに首を左右に振って説明を始めた。



「あのなぁ、お前ら何か勘違いしてないか? 血ノ鎧の装甲は『普通の』爆発反応装甲とは違うんだぜ?」


「と言いますと?」


「通常の爆発反応装甲は二枚の鋼板の間に爆薬を挟み込み、そいつを爆破している。だが血ノ鎧の装甲の中に仕込まれているのは爆薬ではなく、圧縮された魔力の塊。後はそれを開放して爆破している。つまりあの爆発は魔法と同じなんだよ。だから爆発の威力も自在にコントロールできる」


「なるほど。しかしそれがさっきの攻撃を防いだのとどう説明が繋がるんですか?」


「まだ分からねぇのか? 同程度の威力のある二つの魔法がぶつかったら何が起こる?」


「そんなの決まってますよ。相殺されて消滅……。っ!? そういう事でしたか。あの爆発はもう一人の星の技のせいで起きたのではなく、零治が起こしたんですね。彼女の技の威力に合わせて魔力を高めて」


「そうだ。結果もう一人の趙雲の技は相棒が起こした爆発で完全に相殺された。だから相棒も無傷なんだよ」



ここまで来ると零治が使用している血ノ鎧は完全なチートツールである。BDの話通りならば、血ノ鎧の装甲を貫くには、装甲が持つ爆発反応装甲の性能を上回る程の威力の魔法をぶつけなければならない。そんな芸当が出来るのは神器使いぐらいだろう。零治と対峙しているもう一人の星も神器使いと遜色ない力の持ち主かもしれないが、いま放ったあの大技。彼女にとって出しうる全ての力を注ぎ込んだ一撃と見ても良いだろう。だがそれが零治に届く事は無かった。つまり、これはもう一人の星の実力では零治に勝てないという事が証明されたのだ。しかしその現実を受け入れられていないもう一人の星は、無傷の零治を呆然とした表情で見ているだけだった。



「あり得ない。確かに私の一撃は直撃した。なのになぜ……っ!?」


「それが今のお前の限界なんだよ。所詮は紛い物の存在ではオレに勝てはせん……」


「っ! 紛い物……ですと……っ!?」


「違うとでも言うのか? お前は何者にもなれない存在。星の出来損ないだ。この世界にお前の居場所など無い。理解できたのならば、いい加減あるべき場所へと還るんだ」



いくら己の存在を主張しても零治は考えを変えない。どこまでも存在を否定し、この世界で生きる事を認めない。挙句の果てには紛い物呼ばわりまでし、何者にもなれない存在、星の出来損ないと冷徹な言葉続けざまに言い放った。内面がまだ子供であるもう一人の星の心をへし折るために零治はここまで言ったのかもしれない。しかしこれは逆効果だった。もう一人の星は闘う意志が無くなるどころか、怒りでワナワナと身体を震わせていたのだ。



「私は……私は……っ!」


「ん?」


「父上……。私は…………紛い物なんかではないんだぁぁぁぁっ!」



怒りの咆哮を上げたもう一人の星は地面に突き刺さっている深紅の龍牙に手を伸ばして引き抜き、穂先で自分の左手を斬りつけてその血を穂先に塗りつけた。そして深紅の龍牙をしっかりと右手で握り締めながら地面を蹴り、低姿勢で零治に向かって突撃してきたのだ。



「また向かってくるつもりか? 愚かな。何度やっても結果は変わらんぞ」


「はああああああっ!」



もう一人の星は完全に頭に血が上るのか、零治の忠告にも全く耳を貸そうとしない。だがこの状況は零治としては好都合。相手が考え無しに突撃を繰り返して無闇に血ノ鎧に攻撃を仕掛ければ、爆発反応装甲の爆破を正面から喰らって自滅してくれる。つまり何の苦労もしないでもう一人の星を倒す事が出来るのだ。零治はこの状況を歓迎して内心ほくそ笑みながら自分に向かってくるもう一人の星を傍観した。対する彼女は愚直という言葉が相応しいくらいに零治に向かって一直線に突撃し、間合いに捉えて右腕を突き出して高速の突きを放った。もうこれで勝負ありだ。何度攻撃しても今の零治には通用しないのだ。二人の勝負の行方を見ている華琳達も、もう一人の星が爆死する結末を予想していた。だが、そうはならなかったのだ。



「はあ、はあ……っ!」


「ぐっ……づぅっ! 貴様ぁ……っ!」



誰もがもう一人の星の攻撃が当たり、血ノ鎧の装甲が爆発すると思っていたのに、肝心の爆発が起こらなかったのだ。なぜなのかと周りの人間は二人の様子を観察してみると、もう一人の星の深紅の龍牙は穂先がギリギリの所で止められているので血ノ鎧に当たっていなかったのだ。これでは一体何のために零治に突撃したのか華琳達は理解できなかった。模擬戦ではないのだから寸止めなどしても全くの無意味だ。だがこれは寸止めなどではない。もう一人の星の攻撃であり、今度は確かに零治に届いたのだ。



「フフフ。父上。私を見くびり、その鎧の力を過信していたからこうなるのですよ……」


「知ったふうな口を……っ!」



零治が痛みを堪えるように身体を震わせていたので、勝負の行方を観戦していた亜弥達の表情は怪訝な物へと変わった。今の零治は全身を鎧で、しかも使用している装甲が爆発反応装甲というおまけ付きの悪質な物で完璧に防護しているのだ。普通の攻撃など絶対に届くはずがない。だが、零治ともう一人の星の間に血の雫が地面に向かって垂れ落ちており、小さな血の池を作り上げていたのだ。



「フッ」


「くぅ……っ!」



もう一人の星がフッと小さな笑みを浮かべると前に突き出していた右腕を大きく後ろに引き、両手で空中に掲げてヘリのローターのようにクルクルと回転させて振り下ろすと、地面の上に紅い一筋の線が描かれた。恐らく零治の血だろう。その零治は後ろに数歩ふらつきながら下がり、右手で左腕の肘の内側を押さえながら忌々しげにもう一人の星を睨みつけている。一体どうやってあの状態の零治に攻撃を当てたのか誰もが気になるだろう。全員が注意深くもう一人の星の様子を観察していると、自分と全く同じ姿だからなのだろうか。異変にいち早く気づいたのは星だった。



「ん? 何だ……あれは」


「星、どうしたんだ? 何か分かったのか?」


「翠、よく見てみろ。あの者が持っている槍の穂先を。奴が使っている槍は私の物と全く同じ形だったはずだが、穂先の中央に針のような物があるんだ」


「何だって? ……本当だ。でもさっきまであんな物無かったのに。どうなってんだよ?」



星が指摘する通り、確かにもう一人の星が待っている深紅の龍牙には、穂先の二股に分かれて空洞になっている部分から細長く、紅色をした金属質なスピアが生えているのだ。この世界の人間から見れば、槍の穂先から針が生えるなんてまさに不可思議な出来事でしか無い。だが、この現象にBDは心当たりがあった。というかそれ以外にありえないのだ。何よりもう一人の星は自分で言っていた。血の魔導書の力も受け継いでいると。



「そういう事か。アイツ、まさかあそこまで出来るとはな。もっと早くに気付いておくべきだったぜ」


「どうしたんだよ、BD。何か分かったのか?」


「ああ。アイツが相棒に突撃する前、自分の左手を槍の穂先で斬り付けて血を塗りつけただろ。そして奴の槍の穂先から生えているあの紅いスピア……アレは血ノ剣ブラッド・ソードと同じ魔法だ」


「なっ!? もう一人の星はそこまで出来るというのですかっ!?」


「現にやってのけてるんだからそうとしか言えねぇだろうが。あの女は相棒に突きを放つ瞬間に槍に塗りつけた自分の血に魔法を施し、穂先の間からスピアを生やしたんだ。そして針の穴に糸を通すように、血ノ鎧の可動域である僅かな隙間にピンポイントで突き刺したってわけだ」



万能、絶対無敵の防御を誇っている血ノ鎧には弱点など無いかと思われていたが実はあったのだ。と言っても、それは普通に考えると弱点とは言えないようなものだ。もう一人の星はBDの推察通り、自分の槍の穂先に塗りつけた血を利用して二股に分かれている空洞部分に細長いスピアを生やし、鎧の関節部分である可動域の僅かな隙間にまさに針の穴に糸を通すかの如くピンポイントで狙い、零治の左腕に突き刺したのだ。鎧の可動域に通すため針自体はそこまで太くないので普通に考えればそこまで相手に大きなダメージは与えられないだろうが、刺す場所が関節部となれば話は別だ。腕の関節部、肘なら腕を動かせなくなり、膝なら脚が動かせなくなる。戦闘において手足の自由を奪われるのは非常に命取りなのだ。幸い先程の左腕に喰らわされた一撃の傷は既に血の魔導書から得られる治癒能力で傷口は塞がり、出血も止まっているので一発程度なら大した脅威ではない。しかし連続して各関節部を攻撃されたら話は別だ。こうなってくると血ノ鎧の防御力もあまり当てには出来なくなってくるだろう。



「さて、父上。次はどうします? 頼みの綱であるその鎧、もう私の前では役に立ちませぬぞ……?」


(コイツ……血ノ鎧の僅かな隙間の可動域を弱点として的確に攻撃してくるとは。オレとの闘いを通して成長しているっていうのか。だとしてもこの成長速度は異常だぞ。やはりコイツの存在は危険すぎる。何が何でも排除しなければ……)


「考える時間など与えませぬっ! その鎧を父上の棺桶にしてさしあげましょうぞ!」


「抜かせぇっ!」



深紅の龍牙を片手にもう一人の星が突っ込んできたので、零治は咄嗟にバックステップをして距離を取ると、彼女に向かって右手を開きながら前に突き出した。だが手には武器らしき物は見当たらない。誰が見ても意図が読み取れない無意味な行為にしか見えなかった。もう一人の星は零治の謎の行動についてあまり深く考えず、彼が纏う血ノ鎧の僅かな隙間である可動域に狙いを定め、突きの体勢に移行した。



「そんな事をしても無駄ですぞ! 今の私にはどんな小細工も通用しないっ!」


「……かかったな」


「何っ!?」



兜の目出しの部分から姿を覗かせる深紅の瞳が不気味に発光し、零治が何かしようとしているともう一人の星は感じ取ったが一足遅かったようだ。彼女が零治から不穏な気配を感じ取った次の瞬間、右腕を覆っている装甲板がバネ仕掛けのように弾け飛んでバラバラになり、腕を防護している長い装甲板の一部がもう一人の星の目の前で宙を舞い、零治は右手で握り拳を作って腕を後ろに引いて狙いを定めた。



「消し飛びなぁ!」


「っ!」



零治は振りかぶった右腕を思いっきり前に突き出してもう一人の星の前で空中を漂っている装甲板の内側を全力で殴りつけた。普通の爆発反応装甲ならばこんな事をしても何の意味もないが、これは魔法で創り上げた鎧。だから使い手の意思次第でどうとでもなるのだ。殴られた衝撃を感知した装甲板は前方に向かって爆発を起こし、その爆炎がもう一人の星に襲いかかってきた。



「くぅ……っ!」



もう一人の星は咄嗟に両脚で地面をしっかりと踏みしめて踏ん張り、身体全体にブレーキを掛けると同時に素早くバックステップをして零治との距離を取って難を逃れた。いくら普通の鎧とは違うとはいえ、こんな非常識な使い方をするだなんて誰が予測できようか。出来るはずがない。零治としてはこの一撃で終わらせたかったのだが、もう一人の星も負けじと回避したので牽制で終わってしまった。



「今のは驚きましたが、苦し紛れの策ですな。父上……」


「生意気言いやがって……」


『相棒。挑発に乗るな。そんな事したらそれこそ奴の思うつぼだぞ』


『んな事分かってる。ってか、なぜわざわざ念話で話しかけるんだ、BD』


『何。相棒が珍しく手こずってっから手を貸してやろうと思ってな。直接声に出しちまうと、そいつにも聞かれちまうからな』


『……悔しいが手こずっている点は否定できないな。コイツ、オレとの闘いを通して異常な速度で成長し続けている。闘いの経験がそもそも無いはずのコイツがなぜここまでやれるんだ』


『それについちゃ俺様も分からねぇな。だが安心しろ。もうそいつに成長する余裕なんて与えねぇさ』


『何かいい作戦でもあるのか?』


『ああ。相棒、まずは血ノ鎧を捨てろ。そして俺様にかけられている拘束術式を三〇〇まで開放するんだ』


『三〇〇まで開放だと? まさか前みたいに背中に翼を生やして闘えってのか?』



零治は以前BDに自分の身体を貸して呉軍と戦わせ、彼は自分にかかっている拘束術式を三〇〇まで開放して背中にコウモリのような禍々しい翼を六枚も生やして空を飛び、人ならざる者と表現するに相応しい凄惨な戦いを繰り広げた。確かにあの時のように空中戦に持ち込めばもう一人の星は手も足も出せなくなるだろう。そうなればこの勝負も確実に勝てるはずである。だがBDの作戦はそれとは違うようだ。



『そうじゃねぇよ。それにこんな狭い場所でそんな目立つ真似はさせたくねぇんでな』


『じゃあ何なんだ?』


『相棒に古の記憶を貸し与えてやるのさ』


『何だそりゃ? 訳が分からんぞ』


『いいから言われた通りにしな。後は相棒と最も相性の良い記憶とリンクしてくれるはずだ。そうなれば分かるぜ。俺様の言っていた意味がな……』


『分かった。なら始めよう』



BDの説明は肝心な部分が抜け落ちているため何を言っているのか零治には理解できなかった。だがそれはこれまでもそうだったが、今まで何度もBDの言う通りにしたおかげで危機を切り抜けてきたのだ。だからこそ説明が不充分でも信用するに値する。後は実行に移すのみ。零治は両眼を閉じて纏っている血ノ鎧に意識を集中した。



「アーマー、パージ……」



零治の命令術式により纏っている血ノ鎧の各部にある隙間から小さな火柱が多数吹き上げ、左腕を覆っている拘束具の役割もあるガントレットを除く全ての装甲がバラバラと剥がれて無造作に地面の上に転がり落ち、役目を終えた血ノ鎧の装甲板はサラサラと細かな紅い粒子へと少しずつ変化して風に流され、完全に消滅したのだ。



「鎧を捨てましたか。父上、今度はどうするおつもりで? 積極的に攻めて来るのですかな? 攻撃は最大の防御とも言いますからな」


「フーー……拘束術式…………三〇〇までを開放っ!」


「何っ!?」



零治の行動にもう一人の星は咄嗟に身構えるが、特に大きな変化は見られない。だが、零治がゆっくりと両眼を開くと、瞳の部分が激しく発光している。しかも右眼の方はバチバチと小さな電流が奔流を起こしているように魔力の光が溢れ出ていて、まるで小さな炎が灯されているかのように瞳から漏れている光が揺らめいているのだ。



「ヒャハハハハっ! いいじゃねぇか相棒! 今のお前、誰が見てもビビるほど清々しい姿だぜ!」


「BD! 何なんですかあれはっ!? 零治の身に何が起きているんですか!」


「勝負に出たのさ。血の魔導書の力を更に開放してな。それにしても、魔力のオーラが全身からではなく、眼から重点的に溢れ出てくるとはな。こんな現象は初めてだな」


「零治の身体に影響は無いのですよね……?」


「今の相棒は以前と違って一皮どころか二皮も剥けてるんだ。何の心配も要らねぇ」


「なら良いんですが……」



一抹の不安はあるが、あの零治がもう一人の星を相手にして手を焼かされているのだ。つまりここまでやらないと安全に倒せる相手ではないという事。何よりこの勝負にはこの世界に新たな戦争の火種を残さないという重要な意味があるのだ。故に敗北は許されないし、手段も選んでいられない。多少のリスクは覚悟の上で勝たねばならないのだ。



(……特に変化は無いようだが、これで何が変わるんだ? まあ、周りの連中が顔を青ざめさせてるから、また見た目に何か起きてるのは確実だな)



周りの反応から自分の見た目に何か異変が起きているのは零治も嫌でも分かってしまう。だが見た目の変化など、せいぜい相手に恐怖心を与えるぐらいだろうが、もう一人の星にそんな事は無意味だ。現に彼女は血ノ鎧を纏った零治を前にしても、恐怖心を気合で跳ね除けて果敢にも積極的に攻めてきたのだ。今の零治が最も欲するのは見た目の変化ではなく、この勝負で絶対的な優位を保てる圧倒的な力である。しかし今の所そういった力の向上などの効果は全く感じられないので零治はこれでどうするんだと考えてたその時だった。視界が一瞬、テレビの砂嵐のようにノイズが走って乱れたのだ。



(ぬっ……何だよ今のは。一瞬視界が乱れて……)



零治は眼の疲れを訴えるように両眼をギュッと閉じて右手で眼頭を押さえながら俯き、首を左右に振った。その様子にもう一人の星は怪訝な表情を見せるが、そこから動こうとはしない。自分も血の魔導書の力が使えるとはいえ、あくまでもほんの一部しか使用できない。対して零治はオリジナルである本物の血の魔導書の所有者。零治もまだ血の魔導書全ての力を使った経験は無いが、ここの差はどうやっても埋めようがない。しかも彼は血の魔導書の力を抑えつける拘束術式を三〇〇まで開放したのだ。今度は何をするのか予測もつかない。だから未だに警戒しているのだ。だが肝心の零治は両眼を右手で押さえ、俯いたままで未だに動く様子が見られなかった。



(鬱陶しい! 一体何なんだ!? 眼を閉じても視界にノイズが走りやがるっ!)



眼を閉じているのに零治の視界内には頻繁にテレビの砂嵐のようなノイズが走り続け、挙句の果てにはあの特有のザーザーとした音まで頭の中に響き始めたのだ。それに伴ってノイズも激しさが増し、初めはぶつ切りのように一瞬しか走ってなかったが、遂には常にノイズが走り始めたのだ。零治の視界が完全にノイズに支配されたと思いきや、徐々にノイズが薄れていき、何かの映像が視界内に映し出されたのだ。



(ん……? 何だ。この映像は……?)



経年劣化を起こしたVHSのようにノイズが所々に混じって見にくいが、零治の視界に何かの映像。もっと具体的に言うと零治とは別の誰かの視点の映像が今の彼には見えているのだ。今見えている映像の場所がどこなのかは特定できないが、周囲は煙が混じった風が吹いており、壁や家具の類も見当たらないので外なのではないかと推測できた。



「くっ……ぬぅ……っ!」


「おっ? どうやらヒットしたようだな。さて、『どれ』の記憶に当たったかなぁ? ヒッヒッヒ……」


「記憶? BD、一体何の話だ?」


「相棒に闘う手段を増やさせてやたのさ。叢雲のスキルは移動や回避には特化しているが、攻撃面では乏しくそこは使い手の剣術の技量で補うしかない」


「確かにそうですね。不意打ちなどにはうってつけのスキルですけど、そこから先どうするかは零治の力量に依存してしまいますね」


「そうだ。もう一人の趙雲があそこまで相棒と肉薄するとなると、それだけじゃ決定打に欠ける。アンリミテッドモードを発動すれば攻撃面も大幅に強化されるが、あの女相手にそれはリスクに見合う価値が無い。だからこそ今の相棒には攻撃面に特化した別の力が必要なんだよ」


「……だったらアレを使えばいいだろ。定軍山で蜀の兵士の胸を内側から刺し貫いた魔法を」



恭佳の指摘は最もだ。あれ以来零治は一度もあの魔法を使用していないが、血の魔導書を得た事で使用できるようになった魔法。あれこそ攻撃面に最大限まで特化した最強にして最凶の魔法と言えるだろう。わざわざ敵に近づかなくても魔法をかけてしまえば相手の身体を内部から刺し貫き、一撃で仕留める事が出来るのだ。



「それは相手が普通の人間なら通用する手だ。だが、もう一人の趙雲は血の魔導書の治癒能力も持っている。完璧じゃないにしてもな。爆発反応装甲の爆発を正面から喰らっても死んでねぇのがいい証拠じゃねぇか」


「確かにそうだけど、こっちの方が確実なんじゃないのかい?」


「奴は相棒との闘いを通して異常な速さで成長し続けている。おまけに魔導書の力も使えるんだ。何をきっかけにして血の魔導書の魔法への対抗手段……アンチ魔法を習得するとも限らねぇんでな」


「……最強にして最凶と言われてきた血の魔導書にしてはらしからぬセリフですね、BD。だいたいそんな魔法が本当に存在しているんですか?」


「あくまで可能性の話だ。それに、毒は毒をもって制するって言うだろ? つまりはそういう事だ」



BDの言う事は二人の闘いを見ている亜弥達も嫌でも分かってしまう。もう一人の星が普通の人間とは違う存在とはいえ、あの零治を相手にここまで接戦しているのだ。選択肢を誤れば間違いなく自分の首を絞める事態になる。だからこそBDは零治に最善の方法を提供したのだ。今はBDを信じて零治を見守るしか無いだろう。



(何なんだこれは。……誰かの視点……記憶か……?)



零治が視ている映像、これがBDが言っていた古の記憶。現実にいま起きている出来事ではない。そもそもセピアカラーの風景が見えている時点でそれが現実ではないのだとすぐに分かる。だが、いま視せられているこの映像は、誰だか分からないが知らない人間の視点がそのまま自分の視点となって、まるでFPSのように視せられているので、現実なのかと錯覚しそうになる。とりあえずこの映像から分かる情報といえば、場所は特定できないが外だという事だけ。色がセピアなので時間帯が昼なのか夜なのかは分からないし、周りには何も無い。建物らしき物も存在していないし、草木も見当たらない。だが砂漠に居るわけではないようで、地面は砂ではなくしっかりとした土だ。砂埃が混じった風が吹き付けていくるので恐らく荒野なのかもしれない。



(これがBDの言っていた古の記憶なのか? しかしこんな映像が何の役に立つってんだ?)



謎の映像を視せられて零治が困惑していたその時だった。不意に視界が右に動き、その先には人型をしているが、両眼が発光して全身が黒色でデコボコした凹凸だらけの異形の何かが両手を伸ばしてゾンビのようにのたくら歩きながらこちらに迫ってきたのだ。視線の主は異形の者を迎撃するべく右手を腰に下げている刀の柄へと伸ばし、まだ明らかに間合いにも入っていないのに居合を放ったのだ。抜かれた刀の刃は空を斬っただけだったが、刃の軌道に沿うように異形の者に一筋の光の線が走り、胴体から真っ二つに斬り裂いたのだ。一刀両断された異形の者は地面の上に崩れ落ち、粒子化して風に吹かれながら消滅した。



(なっ!? 今の一撃は……っ!?)



まさに今のは非常識な光景。手にしている刀の間合いに相手は入っていないのに、刃を振るえば迫りくる異形はその身体に走った一筋の光の線により一閃されたのだ。零治は突然の出来事に唖然としていたがそれも束の間。新手の異形が左方向から三体出現し、先程斬り捨てた異形と同様に両手を伸ばしてノロノロと歩きながらこちらに迫っていた。だが、刀の主は慌てる事もなく一度鞘にしまって構え直し、先頭を歩いている異形をさっきと同じように遠距離から居合を放って斬り倒し、続けざまに片手で斜め、横と連続して刀を振るうと、やはり異形達の身体に一筋の光の線が走って斬り裂かれて三体とも地面の上に崩れ落ちて消滅したのだ。そしてこの攻撃手段、零治には見覚えがあったのだ。



(この技……まさか次元斬ディメンションスラッシュ? ならこの刀は村正なのか……?)


『ソノヨウダナ』


『その声、叢雲。お前にも視えるのか?』


『アア。イツノ時代カマデハ分カラヌガ、コレハ間違イ無ク村正トソノ使イ手ノ記憶ノ映像ダナ』


『やはりそうなのか。しかし、こんな物を視て何の効果が得られるってんだ?』


『ソレハ我ニモ分カラヌ』



叢雲の言もあって、いま視せられている映像が過去の出来事。しかも神器の一つにもされている村正とその使い手の出来事の記憶だという事が判明した。これは驚きに値する事なのだろうが、この映像を視て何の効果が得られるのかそれは未だに不明だ。その疑問は解消されないまま過去の映像は進行していき、村正の使い手は周囲に視線を走らせて残敵が居ない事を確認すると村正を鞘に収めた。



「……ククク。素晴らしい力だな、これは」


『ご丁寧に音声付きか。声からしてこの村正の使い手は若い男みたいだな。おまけに映像はセピアカラーだから古い映画を観せられてるみたいだぜ』


『……主ヨ。ソレハソコマデ重要ナ情報ナノカ?』


『いちいち細かい事にツッコミを入れるな』



念話で叢雲と何気ない会話をしていたその時、村正の使い手の視線が不意に右下へと動き、右腕を自分の腰の方へと回して何かを取り出そうとしていた。その男は探し物を掴むと手前に引き寄せ、それを黙って見つめた。村正の使い手が右手に持つ物を視せられた零治は驚愕してしまう。それは表紙が血のように真っ赤で、一面にびっしりと魔法陣やら奇妙な形の文字やらが書き込まれた一冊の本である。この形は定軍山で一度きりしか見ていないが忘れるはずがなかった。



『なっ!? これは……血の魔導書じゃないか!』


『ヤハリコレモ所持シテイタカ。トナルト、コノ映像ハ相当前ノ過去ノヨウダナ』


『どういう事だ叢雲っ! お前知っていたのか!?』


『確信ガアッタワケデハナイ。ダガ、神器ト血ノ魔導書ハ切ッテモ切レヌ関係ダカラナ』


『何……?』


『主ヨ。気ニナル気持チハ理解デキルガ、今ハ目先ノ問題ノ解決ニ専念スルノダナ。イズレ真実ヲ知ル時ハ来ル』


『……ああ』



思い返せば血の魔導書と神器には特別な繋がりがあるのかもしれない。定軍山で樺憐もそれを示唆するような事を言っていた。そして今の零治もまさにその状態。定軍山で銀狼に切断された左腕を修復するために自分の意志で血の魔導書を手にしたが、この選択が果たして吉と出るか凶と出るか。それは誰にも分からない。なるようにしかならないのだ。だが今はそれよりも、まずはこの過去の映像に集中する事。それだけだ。



「クックック。この刀と魔導書があれば俺は敵無しだ。だがどうせなら、もっと多くの武器が欲しい所だな。この魔導書を使って増やすとするか。ククク……」



映像はそこでテレビを消したかのようにプッツリと途切れて零治の視界はブラックアウトしたので、彼はハッとした表情で両眼を開いた。どうやら過去の記憶の閲覧は本当に今ので終了したようで、零治の視界に飛び込んできたのは成都城の中庭、目の前で深紅の龍牙を構えて警戒の表情を向けながらこちらの様子を窺っているもう一人の星の姿である。ちゃんと現実世界に居るようだ。零治は視線を落として自分の右手を見て閉じたり開いたりを繰り返し、次に左手に持っている叢雲の鞘に視線を向けた。特に身体にも違和感は無く、身体的異常は見られないようだ。



(特に何も起きてなさそうだが……あの映像を視て何が変わったんだ?)


『……ナルホド。血ノ魔導書メ。ソウイウ意図ガアッタカ』


『ん? 叢雲、お前は何か分かったのか?』


『アア。今ノ我ラハ村正ノ記憶トリンクシテイル状態ダ。我トシテハ他者ノ力ヲ借リルノハ癪ダガ、コレモ主ニ勝利ヲ掴マセルタメ。故ニ我慢シヨウデハナイカ』


『他者の力? ……おい、まさかそれは』


『言葉デ説明スルヨリモ実践スル方ガ早イ。丁度目ノ前ニオ誂エ向キノ相手ガ居ルカラナ』


『ふむ……』



叢雲の言葉で零治も何を意味した事を言ったのか察しはしたが、正直半信半疑である。だが確かめるには叢雲が言っていたように、言葉の説明を聞くよりも実践するしか方法は無い。そしてそれを試すのにうってつけの相手が目の前に居る。これでちゃんとした効果が得られているのであれば、勝負に確実に勝てるかどうかはともかくとして、優位に持っていけるはず。零治はそう考えながらもう一人の星を睨みつけながら居合の構えをとった。



「…………」


「フッ。父上、そんな所で構えても意味が無いのでは? まさか私がノコノコとそちらの間合いに近づくほどの間抜けだとお思いなのか?」


「ククク。オレはそこまで楽観的ではない。お前が近づくまで待つつもりなど無いし、こっちから近づく必要も無い……」


「何ですと……?」


『主ヨ。アレハ一見万能ソウニ見エル技ダガ、欠点モアルゾ』


『そんな事は分かってる。だからカラクリを知られる前に仕留めてやる』


『ソウ焦ルナ。事ニ移ルノハ我ノアドバイスヲ聞イテカラデモ遅クハアルマイ』


『アドバイス?』


『良イカ? 神器ノ力ハ使イ手ノ意志次第デイクラデモ変化スル。新タナ力ガ発現スル、或イハ元々アル力ガ更ナル変異ヲシテ強化サレルナドダ』


『ほぉ……』


『ダカラ強ク願エ。アレノ欠点ヲ克服出来ルト信ジヨ。力ヲ渇望シ、ソノ想イヲ乗セテ我ヲ振ルエ!』


「フー……」



零治は大きく息を吐き、力への渇望をその胸に抱きながらもう一人の星を見据え、己に言い聞かせた。なぜあの力は見ている場所しか斬れないのか。万能そうに思えて視界から標的が外れてしまえば意味が無い。だからこそもっと強力な力であるべき。見てない場所も、そして一ヶ所ではなく複数の場所を同時に斬れるほどに。もしくは一か所に一太刀だけでなく複数の太刀筋を一瞬で放ち、重点的に斬れるほどの強い力。その渇望に呼応するように右眼から溢れ出ている魔力のオーラの奔流が激しさを増し、チロチロと燃えている小さな火を彷彿させていた物が大きくなり、まるで燃え盛る炎のようになると、零治は遂に動いたのだ。



「フッ!」


「っ!? なっ!?」



零治の右手が一瞬叢雲を抜き放ったかのようにブレて動いたかと思えば、叢雲は鞘に収めたまま。しかしその次の瞬間、もう一人の星が立っている場所の空間が球体状に歪み、彼女は不穏な気配を感じたのですぐに右方向へと飛び退った。もう一人の星が飛ぶその瞬間に歪んだ空間内に一筋の紅い光の筋が横に一本走ったかと思えば、歪んだ空間内で曲線を描いた紅い光の筋が無数に出現して渦を巻いた。しかも空間内に僅かに入っていたもう一人の星が後ろで束ねている尻尾髪、それの先端部分が切断されて斬り刻まれたのだ。



「今の技は一体……っ!? 斬撃を飛ばしてきたのとは違う!」


「ジッとしていられる余裕があるのか?」


「っ! くぅ……っ!」



零治の右手がまたしても一瞬、しかも三回連続してブレる動きを見せたので、もう一人の星は低姿勢で駆け抜けてその場から離れると、彼女の移動先を追うように三ヶ所で空間の一部が球体状に歪み、やはり先程の攻撃と同じように横に一本の紅い光の筋が走ったかと思えば、歪んた空間内で曲線を描いた紅い光の筋が渦を巻いた。まるで芝刈り機の回転刃のようである。零治がどういう攻撃をしているのか華琳達は全く理解できないが、亜弥達は違った。零治がいま使っている技には見覚えがあったのだ。



「ま、まさかアレは……!?」


「亜弥。零治がいま使った技って……次元斬じゃないのかっ!?」


「えっ!? き、恭佳さん! そんなのあり得ないですよ! 兄さんの叢雲にあんな力は無いじゃないですか!」


「そうだよ! だって次元斬って村正のスキルじゃん! 村正は銀狼が持ってるし、村正無しで使えるなんておかしいじゃん!」



神器使いにとって、神器を知っている人間から見ればこれは絶対にあり得ない非常識な光景だ。だがどれだけ否定しようが、零治がもう一人の星に対して使用しているあの技はどう見ても次元斬である。しかしこのスキルは村正の所有者である人間にしか使えない力だ。零治は村正を所持していないし、銀狼から奪い取ってもいない。何より村正無しで使える事自体がそもそもおかしいのだ。これも充分な疑問点だが、亜弥にはもう一つ疑問があった。



「確かに村正を所持していないのに零治が次元斬を使えるのはおかしいです。何よりあの次元斬……私が知っているのとはまるで違う……」


「違う? 亜弥さん、それはどういう意味なのですか?」


「村正の次元斬は本来、所有者が見ている場所を斬るスキルです。所有者が村正を振るえば、振るった数だけ光の太刀筋が村正を振った軌道で見ている場所に現れる。時間差で斬った場所に光の渦を巻く太刀筋を出現させるスキルもあるみたいですが、それとも違う。零治が使用した次元斬に時間差は見られなかった。一体どうやってあんな芸当を……」


「ヒヒヒ。そうか。相棒は村正の記憶にヒットしたか。確かに同じ刀の神器だから相性が良かったのかもしれねぇなぁ」


「BD、何か知ってるんですか?」


「ああ。相棒は俺様にかかってる拘束術式を三〇〇まで開放した。そして古の記憶……村正の情報と力を俺様が相棒に貸し与えたのさ。だから村正のスキルが今の相棒には使えるんだよ。村正無しでもな。当然相性さえ良ければ、村正だけに限らず他の神器の力も使用できるはずだ」


「なっ!? なら、血の魔導書を所持していれば、所持していない神器の力が使える言うのですか!?」


「ああ。だが所有者全てが出来る芸当じゃない。これも相棒が持つ神器使い、そして魔法使いとしての突出した才能があってこそ出来るのさ。全く。相棒は本当にとんでもねぇ逸材だぜ」


「しかし、情報と力を貸し与えているということは……BD、貴方の中には全ての神器の情報が記録されているという事なのですか?」


「まあな。神器ってのは血の魔導書と切っても切れない関係にあって、その情報が俺様の中には記録されてある。……一つ例外もあるがな」


「例外?」


「……あの神器……魔王剣ディスキャリバーの情報だけは無いんだよ」


「ん? それはなぜです?」


「……悪いが今は言いたくねぇ。まあ、気が向いたらいつか話してやるよ。それに今は、相棒たちの動向に集中するんだな。こんな愉しいショー、二度と見られないかもしれねぇぞ? ヒヒヒ……」



BDの先程のセリフから推察するに、彼と魔王剣には何か深い因縁のような関係がある、亜弥にはそう思えた。気にはなるが今はBDの言う通り、零治ともう一人の星の勝負の行方を見守るのが大事。とはいっても、もうこうなっては零治を止める事は不可能に近い。彼は今居る位置から一歩も動かずに叢雲を振るい、距離が離れているもう一人の星に容赦ない斬撃を浴びせにかかっているのだ。しかも斬撃も直前まで視認すら出来ない。これでは接近するのは不可能と言っても過言ではないだろう。



「チョロチョロと逃げ回ってばかりだな。さっきの勢いはどこへ行ったんだ……?」


「父上、言わせておけば……。私を舐めるのも……いい加減にしろぉ!」


「フッ。星に似て沈着冷静かと思えば、頭に血が上ると直情型のバカに成り下がるか。だが……その方がこちらとしては好都合だっ!」



零治の挑発的な言葉に過剰なまでに反応したもう一人の星は完全に冷静さを失い、深紅の龍牙を宙に掲げてヘリのローターのようにグルグルと回転させたかと思えば、ブンッと振り下ろし姿勢を低くして零治に向かって一直線に突撃したのだ。今の零治に闇雲な突撃はただの愚策でしかない。彼は不敵な笑みを浮かべながら居合の構えを維持し、狙いを定めて次元斬を放った。



「甘いっ!」



だが、それを予測していたもう一人の星は前転するように大きく跳躍して零治が放った次元斬の一撃を躱し、何も無い空間が球体状に歪み光の斬撃が空を斬っただけで終わった。零治の一撃を躱したもう一人の星は彼の背後に着地して、その無防備な背中に向かって突撃した。



「後ろを取りましたぞっ! 父上! 今度こそ終わりにさせてもらいますっ!」


「お前がそう来る事は予測済みだっ!」



零治はもう一人の星が先程の一撃を躱す事を読んでいた。逆にこの状況を作るように彼は誘導したのだ。零治は本命の一撃を放つべく行動したが、その動きはまたしても亜弥達を驚かせる動きだった。彼はもう一人の星に背を向けたまま居合の構えを維持し、右手が一瞬叢雲を抜き放つようにブレると、背後から向かってくるもう一人の星に狙いを定めたかのように彼女が走っている軌道上に球体状の歪みが出現したのだ。



「なっ!? おのれぇ……っ!」



もう一人の星は咄嗟に両脚で地面を力一杯踏みしめてブレーキを掛けて急停止しすると、バックステップをした。その動きとタッチの差で歪みの中に光の斬撃が渦を巻き、間一髪の所でもう一人の星は難を逃れた。だが、これこそが零治の狙い。目の前に直前まで見えない斬撃が出現したらもう一人の星は必ず回避するはず。そう予測していた。彼の本命の攻撃は今の一撃ではなかったのだ。



「フッ……お前の敗けだっ! 紛い物が!」


「っ!? ぐあぁっ!」



もう一人の星が後方に飛び退った瞬間、零治の右手が瞬時に三回連続してブレた動きをすると、彼女の退路を退路を断つかのように左右、そして後ろの空間が球体状に歪んで光の斬撃が渦を巻いた。左右の次元斬は完全に外れだったが、もう一人の星の背後に放った次元斬はクリーンヒットし、彼女の背中を斬り付けて無数の刀傷を残して傷口から鮮血が吹き出し、もう一人の星は鋭い痛みに顔を歪めて地面に片膝を突いた。



「何だよ今のはっ!? 零治の奴、後ろにも眼がついてんのか!?」


「やはりあの次元斬、村正が持つ本来のものとは明らかに違う。彼が使う次元斬は見ていない場所も斬れるというのか……っ!?」


「ヒヒヒ。まさか村正のスキルを使いこなすだけじゃなく、オリジナルを超えるほどの強化までしたのか。俺様もいろんな主を見てきたが、ここまでの逸材は初めてだぜ」



村正のスキルである次元斬は使用者が見ている場所を斬る技だ。だからさっきの状況だと、本来ならば零治は身体の向きを後ろに変えて視線もそちらに向けねばならない。なのに零治は身体の向きを変えず、もう一人の星に背を向けたまま次元斬を四回も連続して放ち、本命の一撃を見事に当てたのだ。これはもう完全に銀狼の村正を超えているとしか言いようがない。唖然としている亜弥達をよそに、零治は居合の構えを解いてゆっくりと後ろを振り返り、深紅に光る禍々しい眼で地面に片膝を突いて背中から大量に出血しているもう一人の星の無様な姿を見据えた。



「フッ。無様だな。お前が母と慕う星ならば、あんな安っぽい挑発に安易に乗ったりはしなかったぞ」


「はぁ、はぁ……っ! 私が……未熟だとでも言うのか……っ!?」


「ああ。確かにお前はオレとの闘いを通じて異常な速度で成長した。だが、精神面は成長してくれなかったようだな。それがお前の敗因だ……」


「私は……私はまだ敗けていないっ!」



もう一人の星は深紅の龍牙を杖代わりにし、背中に走る激痛も気合で誤魔化してなんとか立ち上がるが、それでも背中の傷からは容赦なく血が溢れ出てきて彼女の足元には紅い鮮血の池が作り上げられていく。その様子を遠巻きに見ていた星は思った。あそこまで危機的状況に陥った経験は無い。しかしもしも自分が同じ状況に追い詰められても、自らが使えている主、一刀と桃香のために活路を切り拓くためならば命も惜しまない。もう一人の自分が見せる気丈な姿に、星は何を思うのか。



「そういう所が未熟だと言うんだ。そもそもその有様で……このオレに勝てると思うな!」


「くぅ……っ!」



口火を切った零治がまたしても次元斬を放ったので、もう一人の星は残された力を振り絞って右方向に跳躍してその一撃を辛うじて躱す。しかし一撃を躱した所で焼け石に水だ。零治はその行動を予測したかのように、彼女が逃げた方向に容赦なく次元斬を放った。



「ああっ!」



地面から脚が離れている状態からの一撃だったので、当然急な方向転換とかは出来やしない。もう一人の星の逃げた方角の空間が球体状に歪み、無数の光の斬撃が渦を巻いて彼女の右腕と右脚を斬り付けて多くの血が吹き出した。



「フッ。まだまだ行くぞっ!」


「ぐああああああっ!!」



零治の猛攻は止まらず、叢雲の柄に添えている彼の右手が二回連続でブレるような動きをすると、もう一人の星の左側と中央の空間が先程と同じように歪み、渦を巻く光の斬撃が彼女に襲いかかり手足どころか身体中を斬り付け、もう一人の星は全身から血を流して動けなくなり深紅の龍牙を右手に持ったまま地面の上にへたり込んでしまった。



「うっ……うぅ……」


「手こずらせやがって。今度こそその息の根を止めてやる……」


「くっ……うぅ……なぜ……なのですか。父上……っ!」



顔だけを上げてかすれるような声を出しながらもう一人の星は零治に訴えかけた。力も限界を迎えたのか、彼女の両眼の色は元の蒼色に戻っており、顔も血で汚れているため分かりにくいが、彼女は泣いていた。今のもう一人の星に、零治に対する敵対心は無い。もう闘える力も気力も残されていないのだ。彼女はただ訴えかける事しか出来ない。父と慕う零治に娘として。



「どうして……どうして私を否定するのですか……っ! 私がそんなに憎いのですか。父上……」


「…………」


「私はただ……この世界で父上と一緒に生きたい。父上の傍に居たいだけなのです……っ!」


「フー……これ以上面倒事を増やさないでくれ。今のオレはお前に構える余裕など無いんでな」


「父上……父上ぇ……っ!」


「恨みたければ恨めばいい。人に恨まれるのには慣れている。……せめてもの情けだ。痛みを感じる間も無く、一瞬で殺してやるよ……」



これ以上語り合う事など無い。語り合った所で零治にはもう一人の星に対して情など一切湧かないが、他の誰かが彼女に対して情が移る可能性はあるだろう。それはそれで困る。零治にとって目の前に存在するもう一人の星はこの世界に災いしか呼び込まない新たな戦争の火種でしかないのだ。例え周りから人でなしと罵られようが構わない。この世界に新たな混乱をもたらさないためにも、彼女はここで殺さねばならないのだ。零治は顔に影を落として深紅に輝く禍々しい瞳を嗚咽混じりに涙を流しているもう一人の星に向けて叢雲の鞘に右手をかけ、一撃で終わらせるべく地面を蹴って彼女に迫った。だが……。



「零治殿っ!」


「っ!? とっと……っ!」


「母……上……?」



突如として星が二人の間に割って入り、もう一人の星をかばうように両腕を大きく広げて立ちはだかったので、零治は咄嗟に右脚を前に突き出して踵で地面を思いっきり踏みしめて急ブレーキをかけた。誰もが星の突然の行動に面食らっただろう。零治だって驚いているが、それと同時に内心溜め息も吐いていた。星と翠蓮の会話が耳に入り、こうなるのではないかもしれないと嫌な予感がしていたがそれが見事に的中してしまったのだ。しかしここで怯む零治ではない。彼は姿勢を直して居合の構えを維持したまま星に鋭い視線を向けて静かに口を開いた。



「星。これは何の真似だ……」


「零治殿。お願いです。どうかこの娘を殺すのはおやめください」


「……お前、自分が何を言っているか分かってるのか」


「分かっています。その上で貴方にこうしてお願いをしているのです」


「悪いがそれは聞き入れられない願いだ。星、そこをどけ……」


「……それは出来ません」


「もう一度言うぞ。星、そこをどくんだ……」


「…………」



血の魔導書の力を発動させた禍々しい瞳で射るような視線を向け、居合の構えを維持したまま低い声でどくように零治は言うが、星は両腕を大きく広げてもう一人の星を護るように庇い、零治の鋭い視線にも怯まず頑なに無言を貫き通した。星は妙な所に頑固な部分があり、何があっても決して譲らない。そのおかげで零治との間にも因縁にも似た腐れ縁のような関係が続いて今に至っているのだ。しかし、零治もここで折れるわけにはいかない。星が妙な所で頑固なのは彼女の悪い癖の一つだと認識しているが、それが零治にとって最悪な形で障害となっている。とはいえ星が間に入ってるため強硬手段は取れない。とにかく彼女の説得が必要だろう。



「耳が聞こえなくなったわけじゃあるまい。オレはお前にどけと言ってるんだ……」


「何度言われようと答えは変わりません。私はここをどくつもりはありませぬ」


「まさかお前……そいつに情が移ったとでも言うのか……?」


「…………」


「無言は図星と解釈していいんだな。一体何を考えている。お前はそいつになんの思い入れも無いはずだろ。なぜそうまでして頑なにその女を護ろうとする」


「零治殿こそ、なぜそうまでしてこの娘を殺す事に固執するのです」


「それは説明しただろ。そいつはお前の変異している部分を情報化して抜き取り、人の姿を得た存在だ。そしてそいつの闘いぶりを見て理解したはずだ。その女がどれだけ危険なのかをな……」


「…………」


「そんな危険人物を生かしておく理由がどこにある? それともお前は、こんな危険人物を野放しにして平和な大陸をまた争いが続く時代に逆戻りさせるのがお望みなのか……?」


「そんな事はありませぬ。……しかし零治殿、貴方は私にこうも説明しましたな。この娘は私の中に存在する『もう一人の私』だと」



確かに零治は星にそう説明した。もう一人の星が生まれた時、彼女がどういう存在なのか説明するために星に確かにそう言っていた。BDが分かりやすくするために特徴のある部分の色は本物と真逆にしてるし、喋り方こそ星と同じだが性格は異なる。だから完全な生き写しとは言えない。しかし、情報化して抜き取った部分も紛れもなく星の一部と言っても過言ではない。そういう意味では星の中に存在するもう一人の星という説明が一番しっくり来る。そういう考えから零治は星に説明したのだが、なぜ今このタイミングでその話を出すのかが分からなかった。



「確かにそう言ったな。だがそれがどうした。まさかそんな理由でその女を助けたいとか言うわけじゃねぇだろうな……?」


「初めは信じられませんでしたよ。ですが、貴方とこの者の戦闘中の会話に耳を傾けて私は確信したのです。この娘は間違いなく『私』なのだと」


「ほぉ~。つまりお前には闇雲に力を振りかざすバカな一面があるって事なのか?」


「そこではありませぬ」


「ならどこだよ?」


「……今はまだ言うべき時ではありませぬな」


「話にならん。そこが明かされないようではそいつを生かす理由も必要性もオレには無い。力の使い方も、そして大きすぎる力を持つ事の意味も分からない輩はこの世界に必要など無いんだ……」



もう一人の星が持つ力はあまりにも異質。零治の言う通りこの世界には必要性が全く無い。しかも彼女は神器使い並の力を持っているどころか、一部だけとはいえ血の魔導書の力も持っているのだ。所持している力だけなら零治と同等という事になる。零治は力の使い方を理解しているが、もう一人の星が同じという保証はない。今でこそ零治に痛めつけられて最早闘う気力も無く弱々しく地面にへたり込んでいるが、ついさっきまであの零治を手こずらせるほど奮戦したのだ。だから零治にとってもう一人の星はこの世界では単なる危険人物でしかない。だが星の考えは違う。確かに危険な所はあるが、今こうして零治と会話をしている間ももう一人の星を救う方法を頭の中で模索していたのだ。



「確かに零治殿の仰る事も分かります。ですが零治殿……貴方の考えはあまりにも極端すぎるっ!」


「…………」


「この娘を殺さずとも、大陸を危険に晒さない方法はあるんですっ!」


「あるのか……? 言ってみろよ」


「今のこの娘は力の使い方も分からぬ無邪気な子供かもしれませぬ。ならば、私達が教育してやればいいのです! 親として!」


「……はっ?」


「この娘にとって私は母、貴方は父だ。であるならば、子の教育は親の責務ですぞ。私達がこの娘に力を持つ意味、そして正しい使い方を教えてやるのですよ。そうすれば大陸に危険がまた訪れる事も決してありはしませぬ」


「お前……そう来るとはな……」



星の口からこんな言葉が出てくるとは流石の零治も予想が出来なかった。しかも自分まで巻き込んできている。これはかなり厄介な状況である。それも二重の意味でだ。さっきまでこちらのやり取りをハラハラとした表情で見守っていた桃香や一刀は顔を希望に輝かせているし、孫策は面白がるように腹を両手で抱えて笑いを堪えている。ここはまだいい。問題は華琳だ。零治は恐る恐るの表情で眼を動かし、彼女の様子を窺った。その視線の先に居たのは、右手が赤くなっているほど力を入れてギリギリと絶を握り締め、米神に青筋を浮かべてピクピクと痙攣をさせて背には怒りの炎を燃え盛らせている華琳の姿があった。その怒りっぷりが何に対してなのかは今の零治は考えたくもない。ひとまずそれは置いておき、まずは星との話にケリを着けねばならない。



「星。お前は本気でそいつを自分の娘として扱うつもりでいるのか……?」


「無論。私は本気です」


「血迷ったか? そいつはお前が腹を痛めて生んだ娘ではない。それ以前に人間ですらないんだぞ」


「そんなのは些細な事だ。誰がどう言おうが、どう思われようともこの子は私の娘です」


「…………」


「零治殿。これが私の考えです。それでも貴方が考え方を変えぬというのであれば……私も次の手を打つしかありませんな」


「どうする気だ? まさか今度はお前がオレと勝負をするのか? そいつを護るために……」


「今の貴方に私の実力では敵わぬ事は分かりきっている。ですから……こうするのですよ」


「あっ……母上」



星は全身から流血して地面にへたり込んでいるもう一人の自分の隣に歩み寄ると、その場でしゃがんでそっと抱き寄せたのだ。星が着ている衣服は布地が白なのでもう一人の星の血が染み付き、瞬く間に白とドス黒い赤のまだら模様になって折角の着物が台無しになってしまう。だが、今の星にとって服がどうなろうと良いのだ。最も大事なのは異質な存在ながらも自分を母と慕う娘を護る事である。



「母上、離してください。折角の着物が私の血で汚れてしまいます」


「服など後で着替えれば良い。だが、お主は代わりがきかぬ存在だ」


「星、何のつもりだ……」


「見ての通りです。我が子を護らぬ親がどこの世界に居ますか。零治殿、娘を殺すというのであれば……私ごと斬り捨ててください」


「星ちゃんっ! いきなり何を言い出してるの!?」


「桃香様、良いのです。この趙子龍、我が子も護れずして大陸の平和を護れるはずがありませぬ。娘も護れずに生き恥を晒すくらいならば、娘とともに死ぬまでです」


「星ちゃん……。零治さん! 私からもお願いですっ! その娘を殺さないでください! それに星ちゃんの言う通り、力の正しい使い方を教えてあげれば悪い事なんて絶対にしませんよっ! 私もお手伝いしますから!」


「零治! 俺からも頼む! 考え直してくれよっ!」


(桃香、一刀……。星、これがお前の狙いだったか……っ!)



星の決死の覚悟とそれをほのめかす言葉。先程のセリフが本気なのか演技なのかはさて置き、この空気と流れは零治としては非常によろしくないだろう。星の言葉に感化され、桃香と一刀も説得に乗り出して彼女の味方についたのだ。自分一人でダメなら周囲も巻き込んで味方に引き入れ、もう一人の星を殺させない空気を作り上げる。してやられたと零治は内心思いながら星を忌々しげに睨みつけていた。



「ふふっ。星も中々やるじゃないか。……零治、あたしも桃香と一刀に同意見だ。その娘、助けてやりなよ」


「翠蓮……」


「まあ、あんたの言う事も分からなくはないさ。だけど星が言ってたようにあんたの考え方はあまりにも極端すぎるよ。もう少し長い目で子供の成長を見守ってみたらどうだい?」


「何度も言わせるな。コイツはオレの娘じゃない……」


「あんたがどう思うがそこは自由だ。ただ、その娘を教育するのはいい考えだと思うよ? 何ならあたしも子育ての助言ぐらいならしてやるよ? これでも手のかかるじゃじゃ馬娘の母親なんだからね」


「母様っ! じゃじゃ馬ってあたしの事言ってんのかよ!?」


「他に誰が居るんだい?」


(まずい。星の味方がどんどん増えていく。少なくとも蜀の連中は間違いなく星の味方だ)


「はいは~い。私も桃香と北郷の意見にさんせ~い」


(あぁ~……とうとう呉の王様にまで波及しちまったよ……)



零治にとって一番困る事態に状況は流れつつあった。それが星の考えに蜀のメンバーだけでなく他国の人間も同調する事だ。早速呉のメンバー内、しかも寄りにも寄って国のトップである孫策が星の考えに同意してしまったのだ。まあ彼女の場合、面白がって賛同している可能性もあるが、それでも他国の王が味方につく点は星にとって非常に有利な流れには違いない。



「おい、雪蓮。またお前は勝手な事を言って」


「何よ冥琳。私は趙雲の娘を純粋に助けたいだけなのに」


「とか言って、本当は単に面白がっているだけではないのか?」


「まあそれもあるけれど……あの娘を助けたいって気持ちは嘘じゃないわ。それに彼女、物凄く強そうだしね」


「単に闘ってみたいだけじゃないか。正直私は音無の考えに賛成なのだがな」


「どうして?」


「あの女は音無の言う通り、大きすぎる力を持った危険人物だぞ。この大陸の新たな争いの火種になりかねないほどのな」


「そこは大丈夫よ。優秀な両親と周りがしっかりと教育してくれるはずでしょ?」


「……そこは普通、お前も協力するべき場面だと思うのだが?」


「えぇ~? だってそんなの面倒じゃな~い」


(ダメだ。孫策の話を聞いてると頭痛がしてきた……)



孫策が星の味方についたのは単純に面白がっているだけなのか。そうとしか思えない言動に零治は頭が痛くなってきた。しかし、呉のメンバーは誰も孫策を止めようとしない。むしろ表情がいつもの事だと言わんばかりに半ば諦めてすらいる。これは呉の首脳陣全員を味方につけたも同然である。残るは自分が身を置いている魏のトップ、華琳がどのような采配を下すかだ。とはいえ、蜀と呉が星に同調している以上、多数決ではこちらの敗北である。零治はチラリと華琳に目配せをし、意見を聞かせろと促す。華琳は両眼を閉じて黙っており、やがて結論が出たのか両眼を開いて零治を見据えて口を開いた。



「零治。今回ばかりは貴方の完全な敗けよ。素直に趙雲の意見を尊重してあげなさい」


「なっ!? 華琳っ! 分かってるのか!? コイツを生かす事がどれだけ危険なのかを!」


「言いたい事は分かるわ。けれど、その娘は過程が何であれ、貴方と趙雲の間に生まれた娘。即ちそれは天の御遣いの血を引いている貴重な存在なのよ」


「こんな危険人物のどこに貴重性があるってんだ……」


「天の御遣いの血を受け継いだ者がこの大陸に生を受けた。それは大陸の民達にとっても大きな存在なのよ。それこそこの大陸を外敵から護れるほどのね」


「だから大陸の平和を維持する象徴として生かせというのか」


「そういう事。安心なさい。その点はまだ公にはしないし、その娘の教育には私もちゃんと協力してあげるわ。だから剣を収めなさい」


「…………」


「私がここまで言っているのよ。それとも……貴方はこの私に恥をかかせるつもりなの……?」


(あぁ、華琳のあの眼。もう何を言っても無駄だわな……)



自分が身を置いている国のトップにあそこまで言わせてしまったのだ。なのにゴネるような事をしていては、華琳の言う通り本当に彼女に恥をかかせる事になる。そんな事をすれば今度は春蘭や桂花も黙っていないだろう。そうなったらそれこそ本当に事態に収集がつかなくなる。もう何を言っても自分の意見は聞き入れてもらえない。強硬手段を取れば非難轟々。三国の同盟にも間違いなく亀裂が走る。零治は地面に視線をとして俯き、叢雲の柄にかけている右手を小刻みに震わせながら大きく息を吐き、手を離して居合の構えを解いて星に視線を向けた。



「…………」


「零治殿……」



零治がようやく叢雲から手を離したので誰もがその姿を見て安堵した。だが、彼の両眼は未だに血の魔導書の力を発動した禍々しい深紅の色だし、右眼から溢れ出ている魔力の光も収まっていない。零治はギリギリと歯ぎしりをしながら星をしばらく睨みつけると、右手から血ノ剣を生やして、血が滴り落ちる刃の鋭い切っ先を彼女に突きつけた。



「やってくれたな。お前はとんだ策士だぜ。女狐が……」


「…………」


「今回はお前の勝ちにしてやるよ、星。望み通りそいつを殺すのはやめてやる……」


「零治殿……ありがとうございますっ!」



零治の言葉には棘があるし、計画を台無しにされた事を彼は間違いなく怒っている。だがそれでも、周りからの助力があったおかげとはいえ、零治がこちらの我儘を受け入れてくれたのだ。星は最大限の感謝の意を零治に示すべくもう一人の星から手を離すと、両手を地面について額を擦り付けるほど頭を下げて礼の言葉を述べた。しかし、今の零治には感謝の言葉など心に響かないし、保険はかけておくつもりだ。まだ言っていない続きの言葉を頭を下げている星に投げかけた。



「だが忘れるな。そいつを生かすのは今回だけだ。この先、オレが危惧している未来が現実のものになろうとする事態に直面したら……今度こそそのガキをオレは殺すっ! 星、その時はお前にも責任を取らせるからな!」


「肝に銘じておきます。ですが零治殿、そうなるか否かは貴方にもかかっている事をお忘れなきように」


「誰が口答えしていいと言った……」


「申し訳ありません。少々言葉が過ぎましたな」


「父……上……」


「あぁ……?」



それまで無言で事の成り行きを見ていたもう一人の星が、母と慕う星の背中に隠れながらおずおずと顔を覗かせてこちらを見ていた。その様子は戦闘中だった凛々しいものではなく、まるで捨てられた小動物のようだ。普通ならこれで心がキュンっとしたりするのだろうが、今の零治には逆効果なようで寧ろ苛立ちが募るだけだった。



「そんな眼で見るな。なんかムカつくんだよ……」


「父上。私を……認めてくださるのですか……? 私はこの世界で生きても良いのですか……?」


「ケッ! 星に……いや、星だけじゃない。ここに居るお人好し全員に感謝するんだな」


「母上……?」


「安心しろ。もう何も恐れる事はない。今日からここがお主の居場所だ」


「母……上……。母上ーーーーっ!」



父と慕う零治に存在を認められた。居場所を与えてもらった。生きる権利を獲得したのだ。もう一人の星にとってこれほど嬉しい事はない。感極まって大粒の涙を流して母と慕う星に抱きつき、胸に顔をうずめて脇目も振らずに泣きじゃくり始めた。



「わあああああああん! 母上ーーーーっ!」


「おぉ、よしよし。分かったからもう泣くでない。私の娘ならその泣き虫は直さねばならんな」


「チッ! これじゃオレが悪者みてぇじゃねぇか。胸クソわりぃぜ……」



零治は踵を返して右手に生やしている血ノ剣を引っ込め、スタスタと歩きながら眼元を右手で隠してパッと離すと眼の色が一瞬で元通りになり、右眼から溢れ出ていた禍々しい魔力の光も消えていた。零治は右手をコートの下に突っ込んでタバコを一本取り出すと火を点けて煙を吹かし、BDの方まで足を進めていった。



「ヒヒヒ。よお。見事に計画がブチ壊しにされちまったじゃねぇか。相棒」


「お前ケンカ売ってんのか……?」


「そうカリカリすんなよ。確かに予定は台無しにされたが、相棒自身の訓練も出来たんだ。全くの無駄じゃなかっただけマシだろ?」


「それは否定せん。だがオレの機嫌が悪いという事実は消えんぞ。……BD、酒を出せ。仮想空間内で出した偽物じゃなくて本物をな」


「んだよ。ヤケ酒でもする気か?」


「呑まなきゃやってらんねぇんだよ。早く出せ……」


「へいへい。じゃあ何が欲しいのか言ってくれよ」


「……アードベッグのスタンダードボトルだ」


「何だその武器みてぇな名前は。ホントに酒なのか?」



零治が注文をつけた名前にBDは眉をひそめるが、アードベッグはれっきとした酒の名前、ウイスキーの銘柄名の一つだ。アードベッグはスコットランドのアイラ島で生産されているアイラモルトウイスキーの一つで、根強い人気がある銘柄である。他に有名所だとボウモアやラフロイグが該当するだろう。しかしアイラモルト系のウイスキーはその人気とは裏腹に味のクセがとても強く、万人向けのウイスキーではなくどちらかと言えば玄人好みの味がするウイスキーなのだ。中でもアードベッグはその味が一番強烈で、それこそ初心者が呑むとウイスキーを嫌いになると言われるほどだ。味だけでなく香りも特徴的で、ボトルの栓を開けるとヨードチンキのような薬品臭が鼻を刺してくる。香りについてはアイラモルトを製造している蒸溜所の大半が海辺に建造されており、その海辺から来る潮の香りがウイスキーにも染み付いているとか。味も一言で言ってしまえば煙のような味がするのだ。なぜこのような味がするかと言うと、アイラモルトウイスキーは原料である麦芽をアイラ島の湿原から取れるピートと呼ばれる泥炭を燃料として使って乾燥させるのだが、この時に燃焼するピートから出てくる匂いが麦芽にも染み付き、それが特徴的な味に反映されているのだ。このように話だけ聞くと旨いウイスキーとはとても想像できないが、一度ハマると病みつきになる魅力がアイラモルトウイスキーにはある。零治もその魅力にハマった一人なのだ。



「れっきとした酒だ。もっとも、『滅びの日デストラクション』を迎えたオレの時代よりも遥か昔の酒で、オレの時代にあるのは持てる技術を駆使して再現した模造品だがな。まあそれでも旨い事に変わりはない。早く出せ」


「へいへい。なら相棒の記憶を探らせてもらうぜ」



BDは無造作に何も無い空間に右手を突き出すと、そこから小さな紅い魔法陣が出現して彼はその奥に右手を突っ込んだ。何かを探すようにゴソゴソと腕をしきりに動かしていた。しばらくして何かを見つけたのか、スッと右腕を魔法陣から引き抜くとBDの右手には深緑色の流線型のボディをしたボトルが一本握られていて、用が済んだのか魔法陣は一瞬にして消滅した。



「これがそうなのか? ウイスキーって酒のボトルは基本的に透明だと思ってたんだが……色のせいでワインのボトルみたいだな」


「ボトルの色なんざどうでもいい。重要なのは味だ。よこせ」



零治はBDから有無を言わさずにウイスキーのボトルを引ったくると、右手で自分の目線までボトルを掲げてジッと観察し、中身も充分に満たされているようで不機嫌な表情も少しは柔らかくなってウンウンと小さく頷いた。が、それとは正反対にBDは零治の乱暴な行動に表情は不機嫌そのものである。



「おいおい。引ったくる事はねぇだろ」


「そりゃ悪かったな。感謝するぜ、BD。おかわりが欲しくなったらまた出してくれ」


「へいへい。ショーも終わった事だし、俺様もそろそろ消えるわ。じゃあな」



BDは零治の左腕に自分の手を伸ばして触れると、エーテル体の身体が細かい紅色の粒子に変化して零治の左腕に集まり、弾け飛んで消滅した。言うまでもなく消滅したのは仮初の身体だけ。意思は本来在るべき場所へと還っている。BDの要件も済んだので、零治は彼から受け取った酒瓶を片手にタバコを吹かしながら城の中へと戻ろうとし、ひとしきり星に抱きつきながら泣き喚いていたもう一人の星がいつの間にか泣き止んで彼の後ろ姿が眼に止まったので、星から離れて小走りに近寄って声をかけた。



「あっ、父上。まだ私は話が……」


「ついて来るんじゃねぇ!」


「っ!?」



もう一人の星に呼び止められた零治は足を止めて後ろを振り返り、彼女を怒鳴りつけて一喝した。その怒声にもう一人の星はビクリと肩を震わせて足を止めてしまい、シュンと縮こまって何も言えなくなって俯いてしまった。その様子に星は呆れたように溜め息を吐いてその場から立ち上がって娘として扱うと決めたもう一人の星に歩み寄って肩にそっと手を乗せ、零治の今の態度について注意をした。



「零治殿。娘をいきなり怒鳴りつけるのは感心できませぬぞ。ほら、すっかり怯えてしまっているではありませんか」


「お前もオレの神経を逆撫でする気か。オレは今メチャクチャ機嫌が悪いんだ。誰とも話したくないくらいにな。分かったら呼び止めるな……」



零治は不機嫌な表情で星の注意も適当にあしらい、口に咥えているタバコを地面に吐き捨てて踵を返し、さっさと城内へと足を運んでいってしまった。その後姿に亜弥がやれやれと言わんばかりに首を左右に振って嘆息し、零治が吐き捨てたタバコの火を消して拾い上げ、自分が所持している携帯灰皿に捨てた。



「全く。久しぶりに見ましたよ。零治があそこまで不機嫌になった姿は」


「同感だ。ありゃ今夜は相当荒れるねぇ。BDにわざわざ酒まで用意させてたし」


「亜弥殿。やはり私が原因なのでしょうか?」


「ええ。間違いなく貴方のせいですよ。星」


「そうはっきり言われると傷つくのですが」



そう言っている割には星の表情はとても穏やかである。娘として扱うと決めたもう一人の自分を救えたからだろうか。とはいえ、亜弥が指摘したように自分の我儘が原因で零治を怒らせたのは事実だ。この件も放置するわけにはいかないが、こういう時はどうすれば零治は機嫌が直るのかを星は知らない。となれば、ここは零治との付き合いが長い人間に助言をしてもらうのが最善だろうと思い、まずは亜弥に訊こうと思ったのだが察しのいい彼女は訊くよりも先に答えてくれたのだ。



「星。今の零治には何をしても無駄ですよ。ああなった彼の扱いは私達でないとどうにも出来ませんから」


「よく分かりましたな。私が何を訊こうとしていたのか」


「そりゃ分かりますよ。まっ、そういうわけですので、零治の事はこっちに任せてください。……それはそうと、星。私も貴方に訊きたい事があるんですけど」


「何ですか?」


「そっちの彼女……もう一人の自分を本当に娘として育てるつもりなんですか?」


「無論です」


「ふむ。……だそうですよ、恭佳」


「何でそこでアタシを見るんだよ」


「貴方は零治の姉なんですから無関係ではないでしょう?」


「いや、それはそうかもしれないけど……」



恭佳の心境は複雑だろう。もう一人の星は零治と星を両親として慕っているし、星も目の前に存在するもう一人の自分を娘として育てるつもりでいる。彼女は生まれた経緯こそ特殊だが、そうなれば零治の実の姉である恭佳も無関係とは言えない。それこそ間柄が伯母と姪になるのだ。姉として零治には幸せになってほしいと思っているが、恭佳は星の事をよく知らないし、直接話したのも定軍山の件が最初だ。だから印象があまり良くはないので、見極めの時間が欲しい所である。そんな恭佳の考えをよそに、もう一人の星はスタスタと恭佳の前まで進み出てきた。



「おぉ、貴方が父上の姉上なのですか。という事は私にとっては伯母上になるのですな」


「フフフフフ……」



もう一人の星の何気無い言葉に恭佳は抑揚の無い乾いた笑いを出しながらスゥッと右手を伸ばし、もう一人の星の頭を鷲掴みにしたのだ。今の恭佳は口元は笑っているが眼が全く笑っていない。そんな顔でなぜもう一人の星の頭に右手を伸ばしたのか。少なくとも撫でるためではない。現に撫でる動作をしていないし、力を入れて頭を握り潰すかの如くガッシリと掴んでいるだけだ。おかげでもう一人の星の頭からミシミシと骨が軋むような音が聞こえてきてさえいる。



「お、伯母上。そのように頭を掴まれては痛いですよ……っ!」


「フフフ。お嬢ちゃん。一度しか言わないからよーく聞くんだよ……」


「な、何ですか……?」


「アタシはな、まだオバさんなんて言われる歳じゃねぇんだよ……」


「いや、恭佳。彼女が言った『伯母』は年配の女性に使われる『おば』とは違うと思うんですが」


「あぁん? だったら亜弥、アンタがアタシと同じ立場ならどう思う? 言われても平気なの?」


「……いやまあ、そりゃ嫌ですけど。私まだ二十代ですらないんですから」


「だろ? ……さて、お嬢ちゃん。さっきの続きだがねぇ」


「は、はい……」


「またアタシを『伯母上』なんて呼んだりしたら、次はこの程度じゃ済まさないよ。アタシの事は名前かお姉さんと呼ぶようにしな。分かったな……?」


「わ、分かりました。姉上……」


「よ~し。理解が早くていい子だねぇ……」



恭佳の凄みのある姿を前にしてもう一人の星は顔を引きつらせて恭佳の要求に従わざるを得なかった。もう一人の星が思いの外素直にこちらの言い分を聞き入れてくれたので、恭佳は表情を普段通りのものに戻して鷲掴みにしているもう一人の星の頭から手を離した。正直姉上という呼称は周りから言わせると色々とややこしいが、本人が納得しているので触れない方がいいのかもしれない。



「それはそうと、アンタその全身の血の汚れを何とかしろよ。血生臭いしその姿も怖いんだよ」


「同感ですね。樺憐、彼女の手当をしてあげてくれますか?」


「あっ、ご心配なく。傷はもう塞がっていますので、濡らした手ぬぐいで拭き取れば良いと思いますので」


「あれだけ零治に斬り刻まれたのにもう傷も塞がってんのかよ。恐ろしい奴だね。……樺憐、そういうわけだ」


「承知しましたわ。ではこちらへ」


「はっ」



もう一人の星は樺憐に促されて彼女の前まで進み出て、樺憐は水の入った桶と手ぬぐいを用意すると、手ぬぐいを水に浸してギュッと絞って余計な水分を落とす。そしてもう一人の星の全身を汚している血を落とすため顔から順に丁寧に拭き上げ始め、ついでに衣服に付着している砂埃の汚れもはたき落とした。血を拭き上げると透けるような白い素肌が露わとなり、出血の原因だった斬り傷は一切見当たらないし、痛がる様子もない。どうやら本当に傷は完全に塞がっているようだ。



「驚きましたわね。本当に傷口が塞がっていますのね。それどころか傷跡すら見当たりませんわ」


「当然です。私には父上から受け継いだ力があるのですから」


「しかし服はどうなさいますの? こんなボロボロに破れた服ではみっともないですし、外も出歩けませんわよ」


「そうですな。後で父上に頼んで、替えの服を用意してもらいたい所ですな。ただ、さっきの様子では今日は無理かと思いますが」


「まあ、それについては私達が今夜、零治に言っておきますよ。今の彼を放置するわけにもいかないですしね。下手をしたら一刀にもとばっちりが行くかもしれませんのでね」


「えっ!? ……あの、亜弥。酔った零治ってそんなに危険なの……?」



亜弥の意味深な言葉を耳にして一刀の表情は不安一色だ。何しろ彼はいま零治と部屋が同室になっているのだ。零治が用意した酒をどこで呑むのかは分からないが、自分に割り振られた部屋、つまり一刀の部屋で呑む可能性は充分にある。そして亜弥の口からとばっちりという単語が出てきた以上、無視はできない案件なのである。



「一刀。ご心配なく。零治は別に酒癖が悪いわけじゃありません。ただ、彼はヤケ酒なんて滅多にしない人ですから、何をしでかすか予想もできませんので」


「えぇ~……。それじゃあ俺は今夜どこで寝ればいいの……?」


「大丈夫ですよ。そうならないように私達が総出で零治を説得しますから。とはいえ、しばらくは彼にも一人で酒を煽る時間ぐらいあげましょうか。適当な時間に私達が零治の相手をしますので、一刀はそれまで別の場所で時間を潰してください」


「はぁ……仕方ないか。分かった。じゃあ零治の方は任せるよ」


「ええ。任されました。……はい、では皆さんも部屋に戻ってください。見世物は終わりですよ。黒狼達の所へいつ向かうのか、その辺の細かい話は明日にでもしますので、今日の所は全員休んでください」



もう一人の星の存在を巡って零治との間にあれだけの激しい闘いが繰り広げられたのだ。おまけに零治は当初の計画を星に台無しにされて荒れており、BDに用意させたウイスキーのボトルを片手に城へと戻ったので確実にヤケ酒を始めるだろう。少なくともこんな状況では今日中に黒狼達が居る叡智の城ヴァイスハイトへ向かうのは無理だ。とりあえず三国の首脳陣達は亜弥の言葉に従い、全員城内へと戻っていく。



「さて、では私も娘と戻らせてもらいますよ」


「あぁ、星。実はもう一つその娘について訊きたい事があるんですが」


「何ですか?」


「彼女、名前はどうするんですか?」


「あぁ……まあ、姿形が全く同じとはいえ、名前まで同じにするわけにもいきませんからな。ひとまず今は置いておいて、この娘の名については日を改めて零治殿と一緒に考えようかと」


「それが一番でしょう。まっ、彼が素直に考えてくれるかは別ですがね。では、私達もこれで失礼しますよ」



亜弥達も中庭を去り、一刀もとりあえず適当な時間までどこかで時間を潰そうとひとまず城内へと足を運んでいき、残ったのは星とその娘であるもう一人の星だけ。お互いに顔を見合わせるが、もう一人の自分を見つめている星は、彼女を娘として扱うと決めたが、頭髪や瞳の色に違いはあれどここまで瓜二つだとどうしても鏡を見ているような気がしてならなかった。とりあえずこの辺は時間をかけて慣れるしかないのだろう。



「さて、我らも部屋に戻るとしようか」


「はい。母上」


………


……



もう一人の星を自室に招き入れると、彼女は部屋に備え付けられている寝台の上に倒れ込んで我が物顔で占領し、いつしかそのまま深い眠りについてしまった。恐らく零治との闘いの疲労がピークに達したせいなのだろう。起こすのも気の毒と思い、星は彼女をそのまま寝かせ、人間ではないので風邪を引くのかどうかは不明だが、身体を冷やさぬように掛け布団もちゃんとかけてあげた。もう一人の星は無防備な寝顔を見せて穏やかな寝息を立てている。まさに無垢な子供だ。部屋の主である星は娘の血でまだら模様になった普段着の着物を着替えて、娘の寝姿を備え付けの小さなテーブルとセットになっている椅子に腰掛けながら自前の酒をチビチビと呑んで黙って見つめていた。



「零治殿とあれだけ激しい闘いを繰り広げたかと思えば、今度は寝台の上で無防備に寝るか。まるで遊び疲れた子供だな」


「すぅ……すぅ……」


「私も寝ている時は、このような寝顔をしているのだろうか。……きっとそうなのだろうな。この娘は紛れもなく『私』なのだから」



零治ともう一人の星が繰り広げた闘い。その中で交わされていた言葉の数々。もう一人の星が零治に向かって訴えかけた己の想い。その中に星は自分の心に響いたものがあった。だからこそもう一人の自分を救う決意が固まり、娘として育てると零治にも言ったのだ。周りからの助力もあって零治は我儘を受け入れてくれたが、それにより彼は非常に不機嫌になってしまった。今頃割り当てられた一刀の部屋でヤケ酒をしているのかもしれない。星はそれが気がかりだった。



「亜弥殿は自分達に任せておけと言っていたが……やはり気になるな。元はと言えば零治殿を怒らせたのは私なのだ。ここは私がきちんと謝罪をするべきだな」



零治と不仲な関係になるのは今の星としては好ましくないだろう。何しろこれからイレギュラーな形でこの世に誕生した娘を育てていくのだ。肉体的にはもう充分に成長しているだろうが、精神面はまだまだ未熟だ。自分一人では中々に手を焼かされる事だろう。そうなると零治にもやはり協力してもらう必要がある。だがその零治はもう一人の星の存在を巡ってこちらの我儘を押し通し、その結果彼は現在とても不機嫌なのだ。零治がこうなるといつまでも引きずるように機嫌が悪いのか、それとも数日後には綺麗サッパリ水に流してくれるのか、星はその辺を全く知らない。となるとやはり、ちゃんと詫びを入れて少しでも零治の機嫌をとって良好な関係を築かねばならないだろう。そう思い至った星はスッと立ち上がるが、自分の足がテーブルの脚に当たってガンっと大きな音が鳴ってしまい、その音でもう一人の星は眼を覚まして右手で自分の眼を擦りながら気怠そうに起き上がった。



「うっ……うぅ~ん……」


「むっ。すまない。起こしてしまったか」


「ふわぁ~……母上。こんな夜更けにどちらへ行かれるのですか?」


「零治殿の所へだ」


「父上の所っ!? 母上っ! 私も行きます!」



星が零治の所へ行くと知るなり、もう一人の星もベッドから素早く降りて顔を輝かせながら抱きついてきた。これは何が何でも一緒に連れて行けという事なのだろう。あんな出来事があった後だが、もう一人の星が今でも零治に対して父親という認識、娘としてなついているのが見て分かり、それ自体はいい事だろう。しかし今その零治は不機嫌だし、ヤケ酒をしているはずだ。そんな時に彼女を連れて行ったら話が余計にややこしくなるのではないかと星は不安だった。



「いや、お主は来ない方が良いと思うが」


「なぜです?」


「零治殿はいま非常に機嫌が悪いようだからな。お主が来ると余計にあの方の機嫌が悪くなるやもしれぬ。そうなると、昼間のようにまた怒鳴られるかもしれぬぞ?」


「ならば黙っています。私が何も言わなければ父上も怒鳴りはしないでしょう?」


「まあ、確かにそれならあの方も怒らないと思うが……なぜそうまでして零治殿に会いたがるのだ。あの方の顔を見るなど今じゃなくとも出来るではないか」


「もしも出来るのであれば、私は父上に一言謝りたいのです。私は父に刃を向けた悪い娘ですから……」


「あれは、お主はただ生きるために闘っただけであろう? 誰もお主が悪いとは思っておらぬはずさ。無論、零治殿も。そして私もな」


「そうだと良いのですが」


「そうだとも。では、零治殿に会いに行くとするか」


「はい」


………


……



零治が一刀と同室になっているのは既に分かっている事なので、まず目指すは一刀の自室だ。彼の部屋がる廊下を星ともう一人の星は二人並んで歩いている。時間帯は既に夜なので明かりは灯されているが、上空に存在している叡智の城ヴァイスハイトのせいで月明かりが城内に差し込んでこないので、やはり普段と比べるといつもより暗く感じる。とはいえ、こればかりはどうしようもないので慣れるしかない。それに真っ暗闇ではないし明かりがあればちゃんと前も見える。移動には何の問題も無かった。そんなこんなで一刀の部屋の扉が見えてきたのだが、扉が少しだけ開いていて中の明かりが廊下の外に漏れていた。



「ん? 扉が開いているな。全く。主も不用心だな」


「母上。もしかしたら開けっ放しにしたのは父上では?」


「本人の前では言うなよ。……むっ? 話し声が聞こえるな」



軽く開いている扉の隙間から話し声が漏れてきていて、耳を澄まして聞いていみると女性の声がする。それも複数人分だ。少なくとも先客が何人も来ているというのは分かるが、恐らく亜弥達かもしれない。だが楽しげな会話をしているように感じられない。よく聞き取れないので、星ともう一人の星は扉の隙間から中を覗き込んで様子を窺ってみた。



「この隙間では中が見えませんな」


「しかし開けて中に入るのも今は気が引けるな。……この声、亜弥殿か?」


「零治、もうそろそろいい加減にしたらどうなんですか」


「んっ、んっ……あぁ~。何がだぁ?」


「何がじゃありませんよ。一体何杯呑めば気が済むんですか。二日酔いになっちゃいますよ?」


「オレがこの程度の酒で二日酔いになるかよ」


「……話の様子から察するに、どうも零治殿は既に相当呑んでいるようだな」


「私のせいなのでしょうか」


「いや、私が原因を作ったのだから私の責任だな」


「むむむ。気になりますぞ。父上は今どういう状況なのでしょうか」



好奇心旺盛なもう一人の星は中の様子が気になりだし、部屋の扉をもう少し開けようとするが母である星にそれは止められた。ただでさえ零治はもう一人の星に対して好意的ではないのだ。そんな中で覗き見などしてそれが発覚すればますます関係がこじれてしまう。まあ、既に盗み聞きをしているので五十歩百歩といった所だが。そして二人が気にかけている零治はというとだ、一刀が仕事などで使用している机と椅子を占領し、どこから用意したのか透明のロックグラスにウイスキーを三分の一ほど注いでそれを何度も煽り、その姿を亜弥、恭佳、奈々瑠、臥々瑠、樺憐の五人は呆れた視線を向けてもう酒をやめるように説得しているのだが本人は全く聞き入れようとしない。因みに一刀もこの場には居るのだが、彼は来客用の椅子に腰掛けて机に突っ伏しながら遠巻きに様子を見ていた。



「んっ、んっ……ふぅ~。ウメェなぁ」


「零治。マジでいい加減にしなって。もう充分呑んだだろ?」


「いいや。まだ全然だね」


「はぁ……ちょいと貸しな」



恭佳の言葉にも耳を貸さない零治は空になったグラスを片手に、ボトルの栓を開けて次の一杯をグラスの三分の一辺りまで注ぐ。その姿に呆れたように溜め息を吐いた恭佳は零治からグラスを奪い取ったが、これで呑むのをやめさせれるとは思えない。なぜならウイスキーのボトルが零治の手元にあるのだ。普段の零治なら絶対にしないだろうが、今の彼は荒れに荒れてるのでラッパ呑みも辞さないだろう。



「おい、何すんだよ」


「零治。呑み過ぎは身体に悪いんだよ。コイツはアタシが代わりに呑んでやる」


「……意味が分からん」


「分からなくていいよ。……んっ、んっ」



零治からグラスを引ったくり、恭佳は口をつけて淡いイエローをしているアードベッグを流し込むがすぐに顔を歪めた。口の中に真っ先に広がってきたのは、アイラモルト特有の強烈に煙たいスモーキーフレーバーだ。恭佳もウイスキーを嗜んでいるが零治と違ってアイラモルトの味は得意ではなく、彼女はどちらかと言えばバーボンなど甘みが強いタイプのウイスキーを好んで呑む方なのである。アイラモルトにも後からほのかに甘みが来たりするタイプもあるし、アードベッグのスタンダードボトルも後から甘みが感じられる。しかしこの味に慣れていない恭佳はその甘味を感じる事は出来ない。苦手な味だが恭佳はなんとか我慢してグラスのウイスキーを呑み干してグラスを机に置いた。



「うげぇぇ……相変わらずすんげぇ味がするウイスキーだねぇ。アンタよくこんな物平気な顔して呑めるな」


「オレのお気に入りをこんな物って言うな。嫌なら呑まなきゃいいだろうが」



アードベッグの味に悶ている恭佳に呆れつつ、零治はグラスを手前に引き寄せてボトルの栓を開け、もう一度中身をグラスの三分の一辺りまで注ぐと、手に取って鼻に近づけてまずは香りを愉しんだ。当然ながら香ってくるのはヨードチンキにも似た薬品のような匂いだ。だがこれもアイラモルトの特徴だし零治は慣れているので不快には思わない。



「う~ん。良い香りだ」


「どこがだよ。完全に薬の臭いじゃないか。アタシはもっと甘やかな香りの方がいいんだがね」


「ウイスキーは甘さだけが全てじゃない。まあ確かにコイツは人を選ぶ酒だから、不評も仕方ないだろうがな。……んっ、んっ……うん。旨い」



味に慣れてない人間からすれば、アイラモルトウイスキーは酒とは思えない味だが、慣れている零治にとってこれは美酒になる。彼はグラスに注いだウイスキーを一度呑むと、予め用意しといたもう一つのグラスに入ってる水を飲んで口の中をリセットした。因みにこれはバーなどで強い酒を呑んで口直しする物でチェイサーと言う。



「んっ……ふぅ。さてもう一杯いくか」


「もう。兄さん、いい加減にしてください」



酒のグラスが空になったので零治がもう一杯注ごうとボトルに手を伸ばすが、彼が手に取る前に奈々瑠がそれを奪い取った。やはり止めるならグラスではなく酒瓶を奪うべきだろう。奈々瑠はボトルを両手で抱きかかえて数歩後ろに下がり、零治に呆れた視線を向けている。



「おい、奈々瑠。瓶を返せ」


「返しません。呑み過ぎは身体に毒です」


「ケッ! この程度で呑み過ぎと言われる覚えはないし、オレは酒に弱くない」


「強い弱いは関係ありません。兄さん、これってアルコール度数が四十度以上もあるお酒じゃないですか。肝臓を悪くしちゃいますよ。未来の妻としてこれ以上の暴飲は見過ごせません。……ほら、臥々瑠。アンタも未来の妻として兄さんを説得するのよ」


「……そんな事言われてもどうすればいいのさ? アタシ酔った兄さんの相手の仕方なんて知らないよ」


(未来の妻っ!? ……零治って婚約者が居たのか。しかも二人も)


「未来の妻ですと!?」



一刀は口に出さないものの奈々瑠の爆弾発言ともとれるセリフに内心では驚いていた。だが、声に出して反応してしまった人物が居たのだ。もう一人の星である。彼女はバンっと乱暴に扉を開いて一刀の部屋に踏み込んできたので全員の視線が何事かと集中し、その後ろには開け放たれた扉の手前で星が右手で顔を覆いながら俯いた姿が確認できてやれやれと言わんばかりに首を小さく左右に振っていた。二人の姿を見るなり、零治の表情はたちまち不機嫌になってジト目を向けて口を開いた。



「星、何しに来た。後なんでコイツを連れてきた……」


「いや、そのぉ……零治殿の様子が気になりまして。娘も一緒に行くと聞かなかったので……」


「ほぉ~。それで母娘揃って盗み聞きか。いい趣味してんじゃねぇか」


「……申し訳ありませぬ。盗み聞きするつもりは無かったのですが」


「言い訳なんざ聞きたかねぇな。……で、何の用で来た? オレを笑いにでも来たのか?」


「零治。どうしてそう捻た物言いしか出来ないのですか」



酒が入っているせいなのか、それとも二人の姿を見たからなのか零治の言動には棘があるし口調も喧嘩腰だ。今の零治にとって星ともう一人の星は一番顔を見たくな人物なのだ。彼がこうしてヤケ酒をしている原因は二人にあり、星もそれを自覚しているので零治のトゲトゲした言葉に対して何も言えない。そんな二人の心境など露知らず、もう一人の星は零治に詰め寄ってバンっと乱暴に机を両手で叩いた。



「父上っ! 母上という者が居ながら二人も未来の妻が居るとはどういう事です! 浮気ですかっ!?」


「……お前は本当に場の空気を引っ掻き回すのが好きみたいだな。そういう所も母親に似たのか?」


「話を逸らさないで質問に答えてください! 父上っ!」


「はぁ~……ったく」



零治は椅子から重い腰を上げて立ち上がり、落ち着いた足取りで歩いてもう一人の星に歩み寄って行く。彼は既にウイスキーをストレートで五杯以上も呑んでいるのだ。アードベッグはスタンダードボトルでもアルコール度数が四十六度もあり、通常のウイスキーの度数が平均で四十度ピッタリなのに対して高めなのだ。なのに零治の足取りは千鳥足ではないので、彼が酒に対して強いのは事実なのだろう。零治はもう一人の星の横を素通りし、奈々瑠に近寄ると右手を素早く伸ばして彼女が奪い取ったボトルを引ったくった。



「あっ!」


「ふんっ! 奈々瑠、油断し過ぎだな」



完全に油断しきっていた奈々瑠は零治にあっさりとボトルを奪われてしまい、彼はそれを片手に椅子に戻って腰掛け、栓を開けて中身をグラスに注いだ。今度は誰にも取られないように零治は周到にボトルを自分の足元に置き、グラスに注いだウイスキーを軽く煽った。



「んっ……ふぅ。お前は何か勘違いをしているようだな」


「勘違いですと?」


「まず、オレは奈々瑠と臥々瑠の二人と結婚を予定はしていない。母親の樺憐は望んでいるようだが、現時点でオレにそのつもりは全く無い。そもそも交際すらまだしてないんだからな」


「ふむ」


「次に、お前が母親として認識している星ともそんな関係にはなってない。つまり浮気がどうこうとオレを責め立てるのは筋違いだ。ちゃんとその頭に叩き込んどけ」


「……分かりました。騒いで申し訳ありませぬ、父上」


「なんだ。昼間と違って妙に素直だな。……ん?」



もう一人の星が妙に素直なのに疑問を抱いた零治だが、何やら妙な視線を感じたので元を辿ると奈々瑠と樺憐がやけに哀しげな表情でこちらを見ていたのだ。最初はどうしたのかと眼で訴えかけてみたが、零治はすぐに察した。この場を誤魔化すために先程自分の口から奈々瑠と臥々瑠の二人と結婚の予定は無いと言ってしまったのだ。自分に恋心を抱く奈々瑠と、娘達との結婚を期待している樺憐にとってこれは死刑宣告にも匹敵する言葉である。これはフォローを入れておく必要はあるが、実際に言葉にすれば当然周りの人間全員に聞かれる。もう一人の星も例外ではない。そうなれば話が堂々巡りになる。となると念話を使って樺憐に話すしか無かった。



『樺憐、何だその眼は』


『零治さん。今のは酷すぎますわ。結婚を予定していないだなんて……娘達を愛してはいないのですか……?』


『あぁもう。ああでも言っとかないとここに居る自称オレの娘が納得してくれなさそうだったし、他に言い訳が思いつかなかったんだよ』


『では、本心ではありませんのね?』


『…………ああ』


『それを聞いて安心しましたわ。零治さん、早くわたくしに孫の顔を見せてくださいな』


『その話に今は触れるな。樺憐、悪いが奈々瑠のフォローは任せるぞ』


『はい。お任せを』



とりあえずこれで樺憐と奈々瑠の方は大丈夫だろう。後はこの二人の来客の対応である。星は様子見で来たようだし、正直いまは顔を合わせても毒づく事しか出来ない気がするが、無下に追い返すのも気が引けた。一応話ぐらいは聞いてやろうと思い、零治はチェイサーを飲んで口の中をリセットし、空になったグラスにウイスキーをもう一杯注いだ。



「零治。もうホントいい加減にしないと身体に悪いですってば」


「分かってる。だがこのボトルを空にするまで止める気はねぇ。それにだ、今のオレにこの二人の相手は酒無しじゃ無理なんでな」


「全く。明日どうなっても面倒は見ませんからね」


「はいはい。……全員悪いが星と自称娘の三人だけで話がしたい。席を外してくれ」


「はぁ……しょうがないですねぇ。そういうわけですので皆さん、外に出ましょうか」


「零治。俺も……?」


「当たり前だ」


「分かったよ。けどなるべく早く済ませてくれよ? じゃないと俺、今夜は食堂で寝る羽目になっちゃうから」


「はいはい」



一刀の懇願を零治は右手をヒラヒラと振りながら適当にあしらい、彼は亜弥達と一緒に部屋を退出していく。部屋には零治ともう一人の星が残り、星は未だに部屋の扉の手間で立っているだけで中に入ろうとしない。やはり昼間の件と盗み聞きしていた事で気まずいと感じているのかもしれない。



「星。お前もいつまでそこに突っ立てるつもりだ。お前がそこに居ちゃ話ができないんだが?」


「はっ。では、失礼します」



星は律儀に一礼して部屋へと入り、開けっ放しの扉をそっと閉めた。姿勢を正して星は落ち着いた足取りで足を進め、零治が使用している机の前まで移動したが、何だか話しづらい雰囲気がある。零治は溜め息を一つ吐いて椅子から立ち上がった。



「全く。堅苦しいったらありゃしない。二人共そこの椅子に座れ」


「むっ。承知しました」


「はい。父上」



零治が先程まで一刀が使用していた来客用のテーブルを指差したので、星ともう一人の星は言われた通りテーブルと対になっている椅子に腰掛け、零治もアードベッグのボトルを脇に抱えながら両手でウイスキー用とチェイサー用のグラスを持って三つ目の椅子に腰掛け、ボトルとグラスをテーブルに置き、ウイスキーの入ったグラスを片手に口を開いた。



「で? 何か用があって来たんだろ? 早いとこ要件を言えよ」


「…………」


「どうした? そんなに言いにくい事なのか? ……それとも『これ』が気になるのか?」



と、零治は意味深な言葉を口にすると右手にあるグラスを目線の高さまで持ち上げて軽く円を描くように揺すった。それにより中に注がれている淡いイエローの液体がユラユラと揺らめく。確かに星は零治が呑んでいる酒も気にはなっている。だが彼女は酒を呑むためにここへ来たのではない。



「いえ、そのような事は」


「フッ。自分に嘘を吐くな。外で話を聞いていたなら分かってんだろ? これが酒だと」


「ええ」


「まあ、別に呑ませてやっても構わんが、これは諦めろ。何しろコイツは初心者お断りのどぎつい味がする代物だからな」


「構いませぬ。私は酒を呑みたくて来たわけではありませんので」


「そりゃ殊勝な事だな。……んっ、んっ。あぁ~、ウメェ」


「父上。少々呑みすぎですぞ」


「お前まで亜弥達と同じ事を言うのか。悪いがボトルを空にするまで止める気はねぇぞ」


「むぅ~。父上の身体を思って言ってますのに……」


「誰のせいでヤケ酒なんかしてると思ってんだ」


「……零治殿」


「ん?」


「この度は誠に申し訳ございませんでした」



星はいきなり机に両手を突いて額を擦り付けるように零治に向かって大きく頭を下げ、詫びの言葉を述べた。突然の星の行動に零治は眼をパチクリとさせてしまい、リアクションに困ってるし、もう一人の星も不思議そうに母と慕う星を見つめていた。その場に奇妙な沈黙が広がるので、とりあえず話を進めねばならないと思って零治は口を開いた。



「星、何をしている」


「昼間の件、私が我儘を押し通したばかりに、貴方を悪者扱いするような結果にしてしまいました。その事をちゃんとした形で謝罪したかったのです」


「……はぁ。もうその話はいい。過ぎた事だ」


「ですが」


「もうやめろ。オレは昼間の件も忘れたくてこうして酒を呑んでるんだ。これ以上思い出させるな。折角の酒が不味くなる……」


「では、許してくださるのですか?」


「許すも何も、今更オレにはどうする事もできん。もうなるようになれとしか言えねぇな。……んっ、んっ……うぅ~」



酒が入っているおかげなのか、先程まで零治が纏っていたトゲトゲとした雰囲気はいつの間にか消え失せていた。それにもう一人の星が居ても、昼間のように感情的な反応も見せない。その様子を眼にした星は内心安堵していた。簡単かどうかは分からないが、これならばこの先、自分から生まれたもう一人の自分を共に娘として育てていく事も出来るやもしれない。星はそう確信し穏やかな表情を見せた。



「ふふっ。その様子ならば、この先もお互いにより良い関係を築く事が出来そうですな。零治殿」


「あん? そりゃどういう意味だ?」


「いえ、別に深い意味はありませぬよ」


「ふ~ん。……んっ。あぁ~……」



グラスに新たに注いでいたウイスキーを零治は呑み干し、チェイサーで口直しをするとボトルの栓を開けて注ぎ口を傾けてまたしても一杯ウイスキーを注ぎ、ボトルの栓を戻してテーブルに置いてグラスを手に取るが、零治は項垂れてそれを呑もうとしない。それにさっきから身体を左右にユラユラと軽く揺すってすらいる。零治は酒豪ではあるが、昼間の件の疲労と眠気もあって流石に限界が近いのかもしれない。



「ふぅ……うぅ。そろそろ限界かもしれん。この一杯で最後にするか」


「それがよろしいかと。いま貴方に体調を崩されては皆困りますし、娘にも心配をかけてしまいますぞ?」


「オレはこんなクソガキに心配されるほどヤワじゃない」


「むっ!? 父上っ! 娘である私をクソガキ呼ばわりするとはどういうつもりですかっ!」


「そうやってムキになる所がガキだって言ってんだよ」


「むぅ~……」



零治のもう一人の星に対する接し方は昼間と違って殺伐としたものではないが、どこか扱いにぞんざいな一面があり、彼女は口をへの字にして不満げな様子を見せる。しかし、昼間のバチバチとしたぶつかり合いに比べればこれはとても可愛い光景だ。星は零治がもう一人の自分に対して接し方が少しだけ丸くなった事に安堵し、含み笑いを漏らした。



「ふふっ。その様子ならば、娘との仲の心配も無さそうですな」


「それはコイツの今後次第だ」


「父上……私も謝らねばなりません。昼間はすみませんでした」



母である星に倣い、もう一人の星もテーブルに両手を付けて深々と頭を下げて零治に謝罪の言葉を述べた。昼間という単語が入っていたので、何に対して謝っているのかは零治もすぐに分かったが、彼は困惑の表情を浮かべざるを得ない。事情を考えれば謝るのは筋違いだからだ。



「おいおい。お前まで何なんだよ?」


「私は父上に刃を向けた悪い娘です。理由が何であれ、子が親に刃を向けるなどあってはならぬ事です」


「…………」


「これからはちゃんと父上と母上の言う事も聞いて良い子になります。だから父上……どうか私を見放さないでください。私を娘として傍に居させてください」


「……もういい。お前はただ生きるために闘った。自分を殺そうとしている相手が目の前に居るのに、黙って殺される人間がどこに居る。今更その事を責めたりはしない」


「父上……」


「だからこれからは、オレや星の手を焼かせないいい娘に育ってくれよ? じゃないと、また殺伐とした親子喧嘩をする羽目になるからな」


「父上……父上ーーーっ! 大好きですぞ!」



零治がようやく自分を娘として受け入れてくれた。それが心の底から嬉しいもう一人の星は感謝感激のあまり零治に思いっきり抱きついてきた。何かあるたびに彼女はこうやって所構わず抱きつく癖があるので、これがもう一人の星なりのスキンシップなのかもしれないが、人前でやられると堪ったものじゃない。



「あぁもう! いちいち抱きつくな! 鬱陶しいんだよっ!」


「いいじゃありませぬか。これが私なりの愛情表現です。……ですが父上、酒臭いですぞ」


「酒に酔ってんだから当たり前だ。いい加減離れろ」


「嫌です。父上、今夜は一緒に寝ましょうぞ」


「それは色々とまずいから絶対にダメだ」


「ふふっ。仲がよろしいようでいい事ですな」


「星。見てないでコイツを引き剥がせ」


「やれやれ。つれない父親ですな。……ほれほれ。そろそろ離れてやらぬか。あまり父に迷惑をかけては嫌われるぞ?」


「ええ~。やです、母上ぇ。今夜はここで父上と一緒に一夜を共にするんですからぁ」


「誤解を招くような事を言うな。誰に似たんだ。ったく……」



零治と一緒に居ると言って聞かないもう一人の星をどうどうとなだめながら星が引っ張るので、彼女は零治の首に絡めている両腕を渋々と離してようやく離れてくれたが、その表情は名残惜しそうである。やはり娘としては父親である零治の傍に居たいのだろう。



「全く。そのような顔をするでない。これが今生の別れになるわけではないのだぞ?」


「はぁ~い……」


「はぁ。とても星から生まれた奴とは思えんな。……んっ、んっ。あぁ~。さて、一刀を呼び戻してオレも寝るかな」


「では、我らもそろそろ失礼いたします。もしも主を見かけたら声もかけておきますよ」


「ああ」


「あぁ、そうそう。零治殿。明日でも構いませんが、娘の替えの服の用意をお願いします。こんなボロボロの格好で外を出歩かせるわけにはまいりませんので」


「はいはい」


「それと、娘の名前も一緒に考えてくださいよ?」


「……趙雲二世とかでよくね?」


「父上。そんなふざけた名前を私につけたらグレますぞ……」


「昼間オレにケンカ売った奴がよく言うぜ。まあ、今のは冗談だ。ちゃんと考えてやるよ。気が向いたらな」


「むぅ~……約束ですよ。父上」


「はいはい。分かったからもうオレを寝かせろ」


「ふふっ。では、お休みなさいませ。零治殿」


「お休みなさい。父上」


「ああ。お休み」



白と黒と実に対称的な二人の星は部屋の出入り口の前で零治に挨拶して一礼すると、部屋の扉を開けて出ていきそっと扉を閉めた。一人になった零治は椅子にもたれながら両腕を大きく伸ばして伸びをし、頭を軽く振って迫りくる眠気を追い払い、椅子から立ち上がって一刀を呼び戻しに行こうとドアノブに手をかけるが、そこである事に気付いてしまった。



「ん? そういや一刀の奴、今どこに居るんだ? ……まあいいや。適当に手近な場所を探して、見つからなかったら先に寝ちまおう。どうせ放っておけば向こうから勝手に戻って来るだろうからな」


………


……



「すぅ、すぅ……」


「やれやれ。先程まであれほどはしゃいでいたというのに、私の部屋に着いた途端眠くなってそのまま眠るとはな」



場所は変わってこちらは星が使用している自室だ。一刀の部屋を後にしてから彼女は娘であるもう一人の星と共に自室に戻ると、娘は親である星を差し置いてベッドを独占して深い眠りについたのだ。その様子に星は苦笑を浮かべながらも、普段着用している着物を全て脱ぎ、下着姿になって娘と添い寝をしていた。だが、ベッドの持ち主である星は中々眠れず、娘として扱うと決めたも一人の自分の寝顔を見つめ、時折手を伸ばして愛おしげに頭を撫でたりとそんな事を繰り返していたのだ。



「こうして改めて見ると、本当に内なる私とは思えないな。……だが、この娘は間違いなく私なのだろうな。それはこやつが抱えている零治殿に対する想い、それが良い証拠だ」



零治に対する想い。もう一人の星が内に抱えているその想いは、娘として父親の傍に居たい。子供が抱くごく一般的な欲求だ。そしてオリジナルである星も零治に対してある感情を抱いている。彼女にとってそれは特別な感情。娘として扱うと決めたもう一人の星とは異なるが、零治に対する想いという根幹は同じである。昼間の件で星はそれを知り、もう一人の自分を生かしてもらうために零治との間に割って入るという無茶までして彼女を救ったのだ。ただ唯一違う点は、娘と違って星はこの感情を素直に口に出来ない所だろう。



「零治殿の傍に居たい、共にこの世界で生きたい。それを素直に口にできる所は正直羨ましいな。……私もいつか、お主みたいに素直になれる日が来ると良いのだがな」



零治に対して素直に想いを打ち明けられるかどうか、それは結局己次第。他者から助言を受けても最終的に決めるのは自分自身だ。それが果たしていつになるのか。それは星自身にも誰にも分からない。或いは一生来ないかもしれない。星は零治に対して抱いている感情と向き合い、気長に付き合っていこうと自分に言い聞かせながら娘の頭を優しく撫でながら両眼を閉じて深い眠りにつく。三国の英傑達にとってとても長く、波乱に満ちた一日はようやく終わりを告げたのだった。

零治「オレ……娘が出来ちゃった」


作者「おめでとう。これからは天の御遣いと父親という二足のわらじを履かねばならねぇな」


亜弥「相変わらずノリが軽いですねぇ」


恭佳「なあ。あのもう一人の星は当初から生かす予定だったの?」


作者「いや、殺す方の結末も考えてみたんだが……敵サイドってわけでもないからそれは酷いと思って生かす方向にシフトした」


奈々瑠「うぅ……私だって兄さんとの子供が欲しいのに、どうして星さんばかり贔屓するんですか……っ!」


作者「もうその話は勘弁してよ……」


臥々瑠「後もう一つ気になったんだけど」


作者「何だよ?」


臥々瑠「あっちの星って一応オリキャラに該当するよね? もしかしてここにも来るの?」


作者「その予定だ」


樺憐「ふむふむ。でしたら名前が必要ですわねぇ。彼女の名はどうしますの?」


作者「それも考えて次の話でつける予定。ただ本気でどういう名前にしようか悩んでんだよなぁ」


零治「まっ、好きに考えろよ。ただくれぐれも安直な名前はつけるなよ?」


作者「はいはい。……それでは読者の皆さん」


零治「今年は色々と大変な一年だったかもしれないが、この作品に付き合ってくれて感謝する」


亜弥「来年も亀更新になるかと思いますが、私達もこの作者と共に完走を目指していきますよ」


恭佳「そういうわけなんで、来年もアタシらに付き合ってくれると嬉しいぜ」


奈々瑠「来年は私が兄さんの子供を妊娠する話が来ますで期待しててくださいっ!」


零治「奈々瑠。お前の願望をここで捩じ込もうとするな……」


臥々瑠「ってな事で、来年も『真・恋姫†無双 ~戦乱を駆ける狼達~』をよろしくねっ!」


樺憐「それでは皆さん、良いお年をお過ごしください。また来年お会いいたしましょうね」

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