第103話 生まれいづる者
星への伏線回収の話が遂に来た。色々と悩みましたが、これが私なりに考えて出した答えです。少しでも楽しめていただけたら幸いです。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ!」
「フッ。蒲公英、よく頑張ったな。合格だよ」
「ぜぇ、ぜぇ……し、死ぬかと思ったぁ……っ!」
「そりゃそうだろ。何せこっちはお前を殺しにかかってたんだからな。しかしまさか蒲公英まで試験を突破するとはな。人間、死ぬ気になると案外なんでも出来るものなんだな」
「うぅ~……音無さん、少しは手加減してくれてもいいじゃんかぁ……」
「アホか。手加減したらそれこそ訓練にもならんだろ。合格できたんだから文句を言うんじゃない」
「ぶ~。おまけに折角横で束ねてた髪も斬り落としてくれちゃうし。おかげでたんぽぽの髪も台無しだよ……」
「それも心配無い。この世界で受けた事象は全て現実世界のお前には反映されない。つまり現実に戻れば髪も元通りなんだよ。この場に居る間は我慢するんだな」
クジ引きで順番を決めて関羽、張飛と一人ずつ順調に試験を消化していき、蜀の首脳陣達はこの無理難題にも等しい零治の試験を見事に突破していったのだ。そして今は蒲公英の番で、彼女は零治の猛攻を死ぬ思いで必死に避け続け、制限時間の五分を迎えて無事に合格はしたが、もう体力の限界が来ている蒲公英は肩で激しく息をして地面の上にへたり込んでいるし、零治にも恨めしげな視線を向けていた。だが、零治はそんな視線などどこ吹く風と涼しげに受け流してタバコをコートの下から取り出して火を点け、煙を吹かし始めた。
「フーー……。さて、これで全員か?」
「あっ、零治さん。白蓮ちゃんがまだなんだけど」
「……誰だそりゃ? 真名で言われても分からんぞ」
「伯珪殿の事ですよ。零治殿」
「伯珪? そりゃ字か?」
「そうですが。ご存知ありませぬか?」
「悪いが聞き覚えが無い」
「ふむ。では、公孫賛と言えば分かりますか?」
「あぁ~……聞いた事があるような無いような」
星の問いかけに零治は曖昧な返答をするだけである。因みに反董卓連合軍が発足し、そこでの軍議には零治も顔を出しているし、顔合わせの時に公孫賛はちゃんと名乗っていた。だから零治が軍議に耳を傾けていたら聞き覚えはあるはずなのだが、この様子では彼の頭の中に公孫賛という名は記録されてないという事なのだろう。零治のその様子を眼にした公孫賛はガックシと項垂れており、どんよりとしたオーラをその身に纏っていたので、桃香が慌ててフォローに入った。
「ぱ、白蓮ちゃん。そう落ち込まないで。ほら、白蓮ちゃんは零治さんと戦場で会った事も無かったんだし仕方ないよ」
「あぁ、分かってる。私は気にしてないよ……」
「いやいや、桃香様。白蓮殿はもともと影が薄いお方。仮に戦場で零治殿と顔を合わせていたとしても、恐らく彼の記憶に残っていなかったと私は思いますぞ」
「うぅ……またそうやってお前は私が気にしている事をズケズケとぉ……っ!」
星は魏との決戦の時のように、公孫賛が気にしている点に言葉の鋭利な刃を彼女の心に容赦無くグサグサと突き立てたので、公孫賛はますます意気消沈してしまった。その様子を横で見ていた零治も困惑せざるを得ない。皮肉屋な性格をしているので自分もたまに一言余計な事を言って相手を怒らせてしまう事はあるが、星の場合はそれを面白がるようにズケズケと容赦無く物を言っているのだ。いくら捻くれた性格とはいえ、これはやりすぎとしか思えなかった。
「というか、星」
「はい? 零治殿、どうかなさいましたか?」
「流石のオレも戦場で会った指揮官の顔と名前ぐらいは憶えるぞ。まあ、相手が取るに足らない奴なら話は別だがよ」
「おや、そうなのですか? 私はあまりにも存在感が無いせいで、たまに隣に居る事も忘れてしまうのですが」
「ずーーん……」
「星。とりあえずお前は黙れ。これ以上公孫賛の心に言葉の刃をグサグサと突き立てるな」
「おやおや。私はただ場を和ませようとしているだけなのですぞ?」
「全く和んじゃいない。少なくとも和んでいるのはお前個人の空気だけだ。邪魔だからあっちで一刀の相手でもしてろ」
零治は今すぐ消えろと言わんばかりにビッと右手でカフェテーブルを指差すので、星はやれやれと溜め息を吐いてニヒルな笑みを浮かべながらテーブルに足を運んで椅子に腰掛けた。目の前にある見た事の無い物が目白押しのテーブルを眼にした星は興味津々であり、次から次と手に取りながらそれらの物の正体を確かめようとしていた。
「ほほぉ。見た事の無い物がこんなにも沢山。むっ? この瓶は……中身はもしや酒か? むむっ? しかしどうやって栓は開けるのだ? 引っ張っても取れないぞ」
(あぁもう! 零治の奴、どうして星をここへ来させたんだよっ!? こんなに酒が大量に置いてあるのに!)
「主よ。主は分かりませぬか? この栓の開け方を」
「いや、知ってるけど……それ零治の私物だろ? 勝手に開けていいのか?」
「ふむ。それもそうですな。……零治殿、こちらの瓶は開けてもよろしい物ですか?」
「…………」
いま星が興味を示している酒瓶はウイスキーのボトルである。中には美しい琥珀色の液体が満たされており、ゆらゆらと動いていた。零治は別に星がテーブルの上に置いてある酒を呑む事を咎めるつもりはない。彼女は試験を見事合格したのだから、後はどうしようと星の自由である。しかし今はそういうわけにもいかない理由があるのだ。なのでもうしばらくは我慢してもらう必要があるだろう。
「別にそれを呑む事自体は構わんが今はダメだ」
「なぜです? ……あぁ、私一人で呑むのが気に食わないのですかな? ならば零治殿もご一緒すればよろしい」
「そうじゃない。お前にはまだ用があるんだ。用件を済ませるまではその酒を呑むのは我慢しろ」
「私にですか? ですが私はもう試験を終えた身。合格もしたのですぞ。まだ何かあるというのですか?」
「これは試験とは別件の個人的な用だ。その時が来たらちゃんと説明してやる」
「むぅ……仕方ありませぬな。ではそれまで我慢しておきますよ」
「悪いな。……で、公孫賛だったか? 後はアンタ一人だ。早く来い。試験を始めるぞ」
「…………」
零治に呼ばれているのに公孫賛は全く動こうとしない。それはそうだろう。公孫賛も一廉の武人であり、一時期は州牧の地位にも上り詰めていた。だが治めていた州を袁紹に攻め陥とされてから桃香の所まで流れ着き今に至っているのだが、彼女の武人としての実力は良くも悪くも普通止まりなのである。良く言えばそれは癖が無いという事なのだが、言い換えると関羽を始めとした主力陣営に比べると突出した部分が無いという事なのだ。しかも本人もそれを自覚している上に相手はあの零治だ。公孫賛が彼に挑むのは、丸腰の状態でライオンが居る檻の中に放り込まれるようなものだ。いくら防戦に徹していれば良いとは言え、公孫賛の実力では合格できる可能性は皆無である。
「白蓮ちゃん、どうしたの? いつまでも零治さんを待たせるのはよくないって」
「いやそのぉ……なあ、音無」
「何だ?」
「お前が提示している試験だが……棄権する事はできるのか?」
「えっ!? 白蓮ちゃん! 急にどうしちゃったの!?」
「ん? いや、そりゃ棄権するのは別に構わんが。いいのか? 一度棄権してしまうと撤回はできないぞ?」
「ああ。構わない。それにどうせ私の実力では、お前が用意した試験に合格するなど不可能だしな」
「そんな。白蓮ちゃん、そんなのはやってみないと分からないよ」
「いやいやいや。桃香、お前も見てたなら分かるだろ? たんぽぽでさえギリギリだったのに、私が制限時間中生き残るなんて不可能だよ」
「白蓮ちゃん……」
「それに私も、自分が弱いから諦めてるとかそういうわけじゃない。いやまあ……それも多少はあるんだが……」
(公孫賛、随分自虐的な発言をする奴だな。あの様子だと、蜀軍の中でも埋もれた存在になってるのかもな)
残念な事に公孫賛が蜀軍で埋もれた存在なのは紛れもない事実である。公孫賛は決して素人レベルまで極端に弱いほど武人として実力が無いわけではなく、単に周りに居る関羽達が強すぎるのだ。実際戦でも実力が上の方の関羽や張飛などが前線で指揮し、公孫賛は後方支援の役目が大部分を締めていた。だから目立った活躍も出来ず、霞などにも誰とまで言わるほど他の諸侯達からもその存在を忘れ去られてしまったりしていたのだ。それらの事を自分で卑下するような言い回しに公孫賛は乾いた笑いを漏らし、桃香に自分なりの考えを聞かせた。
「桃香。私も本音は同行したいと思っている。しかしだ、黒狼達との決戦当日に全員で城を留守にしたら、誰がその間この成都城を護るんだ?」
「あっ……」
公孫賛の言い分に桃香は何も言えなくなる。いくら有事とは言え、城を完全に留守にするのは不味いだろう。いや、三国志の時代が幕を下ろしたので今更どこかの軍勢が首都を狙う可能性などありえないと思うが、ゼロとも言い切れない。それに城内には魏との決戦で出た大勢に負傷兵が居るのだ。もちろん全員がそうというわけじゃないが、彼らを放っておくわけにもいかないだろう。
(確かに公孫賛の言い分も分かるが、今更この状況でどこかの軍勢が攻めて来るとも思えんがな。仮に居たとしても、空に浮かんでる叡智の城見て、あっちに行く方法を探す可能性の方が圧倒的に高いだろうが、そこは黙っておくか)
「それにさ、美以達だけを残しておくのもな。誰かがあいつらの面倒も見てやる必要がありそうだしな」
「あっ、そうか。美以ちゃん達はここには居ないから事情も知らないもんね。分かったよ。白蓮ちゃん、留守をお願いするね」
「ああ。任せておいてくれ」
「話は聞かせてもらったわ」
「あっ。詠ちゃん、どうかしたの?」
「白蓮の言う事も確かにあるわ。まあ、今の状況じゃどこかの軍勢が攻めてくるなんて考えられないけど、用心するに越した事はないもの。でも、それなら兵を指揮する将だけじゃなく軍師も必要でしょ? だからボクも残るわ」
「あっ、それなら私も残ります。戦いではあまりお役に立てませんけど、負傷した兵士さん達の看病は任せてください」
と、賈駆に続いて董卓も名乗り出た。彼女は反董卓連合軍時に桃香と一刀に保護され、以来身分を隠して賈駆と共にメイドとして城内で働いてきていた。そのおかげもあって今では家事全般がすっかり板についており、その手の仕事はお手のもである。城内には軍医も詰めているが、少しでも人手が多いに越した事はないだろう。
「うん。分かったよ。それじゃあ二人共、一緒に白蓮ちゃんを助けてあげてね」
「はい」
「ええ。あんた達が留守の間、帰る場所はボク達が護ってあげるわ」
「…………ねね」
「どうなさいました、恋殿」
「……ねねも一緒に残る」
「ええ!? な、なぜです恋殿っ! ねねは恋殿にお供する覚悟なのですぞ!」
これまでずっと行動を共にしてきた呂布から残るように告げられた事が余程ショックなのか、陳宮は眼を皿のように丸くしてすがりついた。だが、呂布も別に陳宮が不要だから成都城に残れと言っているのではない。呂布は首を左右に振って静かに自分なりの考えを言い聞かせた。
「……ねねもお城に残って白蓮を助ける。ここは、みんなの居場所」
「今まで拾ってきた動物達の事ですか?」
「…………」
呂布は陳宮の問いに無言で頷いた。成都城には呂布が今まで拾ってきた犬や猫、様々な小動物も沢山居る。彼女にとってそれは大切な存在、家族同然なのだ。その居場所を護ってほしいから陳宮に残るように告げたのだ。長い付き合いなので陳宮も呂布の意図を理解し、表情を引き締めて力強く頷いた。
「分かりました。お任せください。恋殿が留守の間の護りはこの陳公台がお引き受けいたしますぞっ!」
(これで四人数が減ったか。後は亜弥達だな。何とか全員を不合格に出来てるといいんだが)
公孫賛が試験を棄権したので一仕事片付いたので、零治は発動しているBDの力を解除して叢雲と左腕の融合を解き、いつも通りの専用のベルトに差し込んで左腕の拘束具も全て装着して元の姿に戻した。後は魏と呉の結果待ちだけだ。
「あら。その様子だと試験は終わっているようね」
「ん? ……華琳」
「ああ~っ! ほらぁ。みんながもたもたしているから黒き閃光さんの闘いを見逃しちゃったじゃないの!」
「孫策も」
聞き覚えのある声がしたのでそちらを見れば、亜弥と恭佳、そして華琳を始めとした魏の首脳陣達全員、そして樺憐、奈々瑠と臥々瑠、孫策を始めとした呉の首脳陣達が勢揃いしていた。彼女達がこの場に居るという事は、魏と呉の試験も終わったという事なのだろう。となれば後は結果である。それを知るために零治はまず、亜弥と恭佳に視線を向けて口を開いた。
「亜弥、そっちの結果は?」
「ふぅ……すみません、零治。全員に合格を許してしまいましたよ」
「何? ……姉さん?」
「おいおい。そんな眼で見るなよ。アタシらはちゃんと仕事はしたよ。だけどコイツらが予想以上の実力を発揮してあの無理難題の試験を突破しやがったんだよ」
「マジかよ。樺憐の方は?」
「申し訳ありません、零治さん。こちらもです。誰一人不合格には出来ませんでしたわ」
「皆さん予想以上に粘ってくれて。まさかここまでやるなんて予想外でしたよ」
「ホントだね。一番弱そうなチビっ子まで合格したのは驚きだったよ」
「ちびって言わないでよっ!」
魏と呉、こちらの組も全員が試験を見事に合格。この結果は完全に零治の予想外であった。何人かは不合格者も出るだろうと予測していたのに、それは見事に裏切られてしまった。この結果を前にして零治は右手で顔を覆って俯き、首を何度も左右に振って目の前の状況をボヤいてしまう。
「あぁ……クッソォ。三国揃いも揃って人の計画をブチ壊しにしてくれやがって。こんな事になるって分かってたら、試験のハードルももっと上げてやってたってのに……」
「ん? 零治、その様子だとひょっとして貴方の所も……?」
「ああ。自主的に城に残る奴が四人居るが、残りの連中には合格を許してしまった。手を抜いたつもりは無かったんだがな」
「ふふっ。どうやら私達全員をこの試験で不合格にするという、貴方の思惑は完全に外れてしまったようね。これは私達の力を甘く見た結果よ、零治」
「ぬぅ……ぐうの音も出ないとはこの事を言うんだろうな」
「そうね。……さて、零治。私達はこの通り貴方が用意した試験で結果を出してみせたわ。まさかとは思うけれど、ここに来て無しにするとか言うつもりじゃないわよね?」
「……オレも男だ。一度言った事を撤回する気は無い。同行を認めようじゃないか」
こうなってしまっては華琳達の同行を認めざるを得ないだろう。それに今更一度言った事を撤回するなどみっともない行為だ。こうして華琳達は結果を出している。後は当日、彼女達の力を信じつつ自分達で出来る限りのフォローをして護ってやるしかない。しかし本当にこんな結果になると零治は予想もしていなかった。自分の考えを亜弥達も理解していたから手を抜くはずがないし、自分も手加減はしていなかった。これはつまり、自分達も特訓が必要なのかもしれないという事だ。
「はぁ~。しかしこんな結果になってしまうとは。どうやらオレ達自身も特訓が必要なのかもしれんな。そう思わないか? 亜弥」
「むぅ……そうかもしれませんが、まさか今からやるというのですか?」
「いや、オレにはまだやる事がある。そっちは日を改めてだな。……あぁ、お前ら全員、後は好き勝手にしていいぞ。ここで誰かと特訓をするなり元の世界に戻るなり好きにしろ」
「あら、なら御遣い君。私と勝負してくれない? ここなら全力で貴方と殺り合えそうだし」
「今とても不穏当な文字が混ざってたような気がするんだが。というか、孫策。なんでそんなに馴れ馴れしいんだ。ついこの前まで敵対していた上にそこまで親しい仲じゃないと思うんだが」
「そんな堅い事言わないでよぉ。これからは一緒にやってく仲間じゃない。あっ、それだったら真名も預けた方が良いかしら?」
「悪いが後にしてくれ。オレにはまだ大事な用があるんだ。遊び相手を探してるんなら他を当たりな」
馴れ馴れしく纏わり付いてくる孫策を零治は適当にあしらってスタスタとその場を足早に移動し、BD、一刀、星が使用しているカフェテーブルの方へと進んでいった。その後姿眼にした孫策はとても不満げに口をへの字にし、完全に子供のような姿である。
「もう。つれないんだからぁ……」
「孫策。ウチの零治に言い寄って何をしようって言うの……?」
「別に何も。ただお近づきになりたいだけよ?」
「とか言って、本当は孫呉に引き抜くつもりなんじゃないの? 悪いけれど、ウチの御遣い達は誰一人として貴方に渡すつもりは無いわよ」
「あらあら。なら彼らを賭けて勝負でもする?」
「面白いわね。ならば今一度、我が曹魏の恐ろしさをその身に刻み込んであげようじゃないの」
「へぇ~。そんな事言って、後で恥をかいても知らないわよ?」
「ちょ、ちょっと雪蓮さん! 曹操さんも! 喧嘩はやめてくださいよ!」
華琳と孫策が零治達を巡ってバチバチと火花を散らすので桃香が慌てて間に入って仲裁をした。もちろん二人は本気で言ってるわけじゃないのだろうが、冗談にも聞こえないからタチが悪いと言える。その様子を横で見ていた亜弥達は複雑な心境である。あれは彼女達にそれだけ評価されている事の表れなのだろうが、賭けの対象にされては物扱いされているとしか思えないのだ。
「全く。冗談なんでしょうけれど、私達を賭けの対象物にしないでほしいですね」
「そうかい? まあ、亜弥の言いたい事も分かるけど、それだけアタシらが評価されてるって事じゃん。歴史上の英雄に評価されるなんて光栄じゃないか」
「恭佳さんの言ってる事もそうですが、姉さんの言いたい事も分かりますね。やっぱり賭けの対象物にされるのはいい気分じゃないです」
「同感だね。おまけにアタシ達なんか周泰に猫と勘違いもされたし」
「臥々瑠。人は間違える生き物なのよ。いつまでも引きずらないの。……それにしても、零治さんのやるべき事とは何なのでしょうか?」
「それは分かりませんね。ただ、それを理由に零治が蜀の試験を担当したとなると、恐らく蜀の関係者が関わっていると思うのですが」
零治が抱えている個人的な用件、その全貌を亜弥達も知らない。彼が自分から蜀を担当すると言い出したからそこが関係しているのは分かるが、そこから先はさっぱりである。今は静観するしかないだろう。亜弥達のそんな心境をよそに、零治はカフェテーブルと対になっている椅子に腰掛け、クーラーボックスに右手を伸ばして缶コーヒーを一本取り出して蓋を開け、グビグビと飲み始めた。
「んっ、んっ、んっ」
「零治殿。それも酒ですか?」
「ふぅ~。……お前はオレが手にする物全部が酒に見えるのか?」
「そういうわけでは。ですが、いま手にしている物、私が受け取った物より小さいですが同じ容器のようですので」
「あぁそれでか。まあその話は置いておこう。今はコイツの説明より大事な話がお前にあるんだ」
「大事な話? 私にですか?」
「ああ。……ふ~む」
零治は一度言葉を区切って缶コーヒーの空き缶をゴミ箱に投げ捨て、チラリと一刀に視線を向けた。この件にはBDの協力が必要不可欠なので彼は居ても問題無いが、一刀はどうだろうか。別に聞かれても問題無いかもしれないが、横から口を挟まれると少し困る。やはり離れてもらうべきだろうと零治は思った。
「一刀。悪いが席を外してくれ」
「えっ? 俺が居ちゃまずいのか?」
「そういうわけじゃないが、少々複雑な話なんでな。頼むよ」
「…………」
「フッ。安心しろ。お前から星を取ったりはしねぇよ」
「なっ!? 俺は別にそういうつもりじゃあ……っ!」
「何だ違うのか? オレはてっきりそういう間柄になってるから気にかけてるのかと」
「違うってばっ!」
「主よ。そこまで力一杯否定されるとかえって不審に見えますぞ?」
「うぅ……これ以上からかわれたくないから俺は行くよ」
居心地の悪さを感じた一刀は苦虫を噛み潰したような表情でいそいそと席を立ち、足早にカフェテーブルから離れていった。その後姿に星は含み笑いを漏らし、零治も頬杖をついて鼻で軽く笑っていた。形が何であれ、一刀がこの場から離れてくれたのは零治としては喜ばしい状況である。
「フッ。アイツもまだまだガキだな。この程度の事であそこまで狼狽えるとは。思春期でもあるまいに」
「全く。零治殿も意地が悪いですな。不意打ちであのような事を主に言うとは」
「ククク。褒め言葉として受け取っといてやる。……さて、本題に入ろうか。星、お前に重要な話があるんだ。お前の今後の人生を左右するほどのな……」
「私の人生を左右するほどの? ……ほほぉ。さてはこの私に愛の告白でもしてくれるのですかな?」
「悪いがそういう話じゃない」
「やれやれ。ここは冗談でも乗ってくるのが常識ですぞ?」
「星」
「っ! どう……なさいました」
「オレは真剣なんだ。茶化しとかそういうのは一切抜きで真面目に答えろ」
「……失礼いたしました。どうぞ続けてください」
零治の表情から余程重要な内容の話なのだと星も悟り、普段の飄々とした態度は奥に引っ込めた。流石の星も空気を読むべき所はちゃんと読むのだ。傍から見ていても零治が何か重要な話をしているのだと理解できるが、零治と星の様子を見ている華琳はどうしても気にある事があったので、その疑問を亜弥にぶつけてみた。
「亜弥。貴方に質問があるのだけれど、構わないかしら?」
「別に構いませんけど、今更私に何を訊きたいんですか?」
「零治と趙雲の関係よ。彼、趙雲の真名を普通に呼んでいるし、趙雲も零治を下の名前で呼んでいるわ。おまけに『殿』までつけてね。随分親しそうだけれど、零治はいつの間に五虎将の一人にも数えられている趙雲と仲良くなったのよ」
「あぁ、その事ですか。まあ今更隠す必要も無いですね。華琳、私達と初めて出会ったあの日は憶えていますよね」
「ええ」
「実は私達、この世界に来て最初に出会った人間は貴方達じゃないんです。星、風、稟の三人だったんですよ」
「なるほど。って、亜弥。貴方も趙雲の真名を?」
「ええ。預かりましたよ。で、当時貴方が追っていた賊に絡まれて撃退したんですが……その時に色々ありましてね。以来星は零治をとても気に入ってしまったようで」
「それで真名も許される程親しくなったと。けれど、どうして黙っていたのよ」
「当時の彼女達は旅の途中で、軍の関係者と接触したくなかったんですよ。黙っていたのは私達に友好的に接してくれたので、その恩返しの意味合いもあっての事です」
「そういう事。まあ、私も今更そんな昔の話で貴方達を咎めるつもりはないわ。それにしても、そんな僅かな間にどうしてそんな関係に? ……まさか零治が趙雲を口説いたとか?」
「彼がそんな事をする人に見えますか?」
「……見えないわね」
真面目な話をしている最中だというのに、自分の事をこうもボロクソに言われては零治も少々腹が立つ。今は星に大事な話をしている所なので無視を決め込んでいるが、どうしても聞こえてくるので流石の零治も毒づかずにはいられなかった。
「ったく。自分だって素直じゃねぇくせに人の事を好き勝手言いやがって……」
「ふふっ。零治殿、ならばもっと情熱的になればよろしいのでは? 私でよろしければいくらでも練習相手になってさしあげますぞ?」
「暇があったらな。って、それはどうでもいいんだよ。星、オレが訊きたいのはお前自身についてだ」
「私について? 何をお聞きになりたいのですか?」
「お前……ここ最近、自分の身体に何か変化は無かったか」
「変化ですか? ……いえ、特に何も」
「そうか。ならお前の身の周りで何か不可思議な出来事が起きたりとかはしなかったか」
「不可思議な出来事……」
一度きりだが不可思議な出来事は確かにあった。長年愛用し続けている龍牙がいきなり宙に浮いて独りでに動き、黒狼の腹を刺し貫いたあの出来事だ。あれ以来同じ事は起きていないが、星もこれにはずっと疑問を感じていたし、黒狼が去り際に残した意味深なセリフも憶えている。そしてその内容は零治にも言われた事と酷似している。だがこんな事誰にも相談できないだろうが、相手が零治なら話は別だ。彼なら何か分かる。そう考えた星は当時の出来事を零治に打ち明けた。
「……一度だけですが、不可思議な出来事は確かにありました」
「何っ!? それは一体……っ!」
「魏との決戦が始まる前の晩の事です。細かい経緯は割愛しますが、黒狼にいきなり刃を向けられる事態になりましてな」
「それで」
「私が奴の追い詰められた時でした。私の槍が……突然宙に浮いて独りでに動き、黒狼の腹を刺し貫いたのです」
(これは……星の槍も神器へ変異している兆候が強くなっているな。……ん?)
星の話を聞き、星本人だけでなく彼女の槍にも変異の兆候が強まっていると零治は確信する。だがそれと同時に別の疑問が浮上したのだ。星は今、自分の槍が黒狼の腹を刺し貫いたと言ったのだ。つまり槍は貫通したという事になる。これが事実ならば黒狼は死んだという事になるのだ。しかし黒狼は魏と蜀の決戦が終結した直後に姿を見せている。おかげで別の事実確認をする必要が出てきてしまった。
「星、お前今……なんて言った?」
「はい? いえ、ですから、私の槍が宙に浮いて独りでに動いたと」
「違う。その後だ」
「黒狼の腹を刺し貫いたと」
「……その話が事実ならば、槍は黒狼の腹を貫通したという事になる。普通なら間違いなく死んでいるはずだが……その時黒狼は?」
「……死んだと思っていましたが、生きておりました。何事も無かったかのように平然と立ち上がって。おまけに腹の傷口も一瞬で消え、衣服も修復されたのです」
「ならばあの時姿を見せたのは間違いなく黒狼本人という事になるな。こうなってくると奴は人という種族を超越した存在と認識するしかないな。ハハハ。もう笑うしかねぇわ……」
「零治殿……」
「はぁ……話が逸れたな。本題に戻ろう。星、さっき一度だけと言っていたが、それ以降同じような出来事は起きていないんだな?」
「はい」
「……BD。どう思う?」
零治の中では星の今の話を聞き、彼女に身に起きている変異の最大のトリガーが何なのかは確信している。だが自分は専門家ではない。何しろ星の身に起きている出来事は異例中の異例。元いた世界ですら無かった事なのだ。だからこそ、この出来事を最も理解しているBDに尋ねるべきだと思い、零治は彼に声をかけた。BDはテーブルに頬杖を突きながら両眼を閉じて、星の話に耳を傾けていて、零治が声をかけると眼をゆっくりと開けて零治に視線を向けた。
「ああ。その出来事が覚醒の兆候を一気に跳ね上げたのはもう確定だな。相棒、後はお前がそいつに説明をして決めさせろ。ここから先は現実世界に戻らねぇと進められないからな。じゃ、俺様は消えるぜ」
BDはそう言って席を立ち、中庭にある自分がこの場に現れるために零治が創り上げた紅い鉄格子の扉の前まで足を進め、扉を開いて先へと進んで暗闇の奥へと姿を消した。今更だが三国の首脳陣達はなぜ零治がこの場に二人居るのか疑問を感じていたが、今はそんな説明をしている暇など無いし、BD本人もここから姿を消してしまったのだ。零治にとって今重要なのは、星と進める話の方なのだ。
「星」
「どうなさいました? 急に改まって」
「一つ訊きたい。お前はオレが信じられるか?」
「はい? いきなり何を言い出すのです」
「黙って質問に答えてくれ。もう一度訊くぞ。お前はオレが信じられるか?」
正面から見据える零治の表情は真剣そのもの。これには何か重要な理由がある。桃香の元に仕えるまでこの広い大陸を旅して見識を広げてきた星にはすぐに分かった。ならば自分が出すべき答えは一つだけ。星は穏やかな笑みを浮かべ、自分の右手を零治の右手に伸ばしてそっと重ねて口を開いた。
「零治殿。今更そんな分かりきった質問をする必要などありませぬ」
「ん?」
「私は始めから貴方を信じておりますとも。でなければ、私はこの場に居ないのですから」
「星。ありがとう」
話を一方的に進めているというのに、星は自分の事を信じてくれている。零治は星に頭を下げて礼を述べた。普通なら不審に思われても仕方ないはずだ。星に重要な話があると事前に言っているが、肝心な部分は伏せているのだ。話を聞かされる星からすれば訳が分からないとしか言えないだろう。それでも彼女は零治を信じている。それだけ信頼しているという事なのだろう。ならば自分もその信頼に応えてみせようと、零治は己に言い聞かせた。
「ならばそろそろ本題に入るか。星、お前にも少しばかり協力をしてもらうぞ」
「貴方に協力を惜しむつもりはないのですが、零治殿、その前に一つだけ教えていただきたい。先程の質問の内容から察するに、私の身に何か起きているのですか? 黒狼にも意味深な事を言われたのですが」
「……ああ。そうだ。今お前の身体にはある異変が起きている。そのせいでお前の人生の道は歪んでいる状態なんだ」
「その異変とは何なのです。私の槍が独りでに動いたのと関係しているのですか?」
「……今のお前は『こちら側』……オレ達と同じ存在になりかけているんだ」
「零治殿達と……同じ存在……っ!? ……ですがなぜそのような事に」
「全ては赤壁でのお前との勝負。お前がオレの左眼を斬った際に浴びた返り血、槍の異常は穂先に付着していたオレの血が原因なんだよ。さっきまでこの場に居たBDが言うにはな」
と言って、零治は専門家であるBDが帰っていった鉄格子の扉を後ろ手で指差した。BD本人は既に居ないがやはり疑問を感じずにはいられないだろう。なぜ双子でもないのに全く同じ姿をしていたのか。BDの正体も未だに気になっているので星はそれを零治に訪ねてみた。
「ふむ。なぜ零治殿の血を浴びてそうなったのかも気になりますが、さっきの男は何者なのです。なぜ零治殿と同じ姿をしていたのですか」
「アイツの正体はオレが持つ魔導書に宿る意思、一種の人格だ。現実世界では肉体を持たないが、この仮想世界で奴はオレの姿を真似てここに存在していたんだ」
「魔導書の意思……では、あの時の戦いではその意思が零治殿に乗り移っていたと?」
「まあそういう事だ。お前の身体に起きている異変についても気になるだろうが、これ以上説明に時間を割きたくない。そろそろ始めよう」
「一体何をするおつもりで?」
「お前の人生の道に生じている歪み、それを今から矯正する」
「そのような事をどうやって? ……いや、訊くだけ野暮ですな。私は貴方を信じているのです。全てお任せるだけだ」
「すまんな。なら一緒に来てくれ。まずは元の世界に戻るぞ」
「はっ」
話を終えて零治と星立ち上がって席を離れ、この仮想世界と現実世界を繋いでいる出入り口の緑の扉まで進んでいく。他のメンバーにはここで特訓をするなり勝手にしろと言っているので、零治は周囲には眼もくれずに真っ直ぐ出入り口の扉を目指していたが、その様子が気になったのか華琳が呼び止めてきた。
「零治、どこへ行くの?」
「ん? 現実世界に戻るのさ。ひとまずここでのオレの役割はもう終わってるんでな」
「なるほど。ならば貴方は趙雲を連れて何をする気? まさか……他国の将と逢引きでもするつもりじゃないでしょうね」
「お前はオレを何だと思ってんだ。そんなんじゃない。星にはまだ用があるんだ。そしてその用事は現実世界に戻らないと出来ない事なんでな」
「ふむ」
「これで理解できたか」
「ええ。……なら、私も同行させてもらうわよ」
「はっ?」
「まあ、貴方に限ってそんな事起こり得ないと思うけれど、五虎将の一人にも数えられている趙雲と間違いが起きては蜀への、そして劉備への非礼になるわ。そうなったら私が落とし前をつける事になるもの」
「つまり監視しようってのか?」
「そういう事」
「ホントお前は失礼な奴だな。マジでオレを何だと思ってやがる。星とそんな事が起こるわけないだろうが」
「おや。私は零治殿とのそういう出来事は喜んで歓迎しますがな」
「星。お前も悪ノリしなくていい」
これまで戦場で刃を交えるという形でしか星とはコミュニケーションを取っておらず、彼女が見せる日常での飄々とした態度、その姿に零治は頭が痛くなってきた。まあそれはどうでもいいとして、零治は気を取り直して現実世界と繋がっている出入り口の緑色の無機質な金属の扉のノブに手をかけて開けようとすると、その様子が気になって桃香と孫策も声をかけてきたのだ。
「あれ? 零治さん、どこに行くんですか?」
「ちょっとちょっと御遣いく~ん。私と勝負してくれるんじゃなかったのぉ?」
「あぁ~、ったく。次から次へと。……オレにはやるべき事がまだあるんだ。そのために現実世界に戻らなきゃならんのだ。分かったか?」
「あの、それって星ちゃんも関係しているんですか?」
「……まあな」
ここで下手な嘘を吐くのは良くないだろう。星を同行させる以上、彼女が無関係でないのは誰が見ても分かる。流石に細かい説明まですると時間がかかりすぎるのでそこは端折るが、とりあえず星が関係していると分からせるだけで充分だ。ただ、これにより更に零治の予定が狂わせられる事態になってしまった。
「それなら私も行きます。仲間として星ちゃんを一人にしたくないですから」
「桃香。付いて来てもお前に出来る事は何も無いぞ」
「例えそうだとしても、一緒に居るだけで星ちゃんを励ませられるかもしれない。だから私も行きます」
「零治。桃香はこういう性格だから何を言っても無駄だよ」
「みたいだな。って、一刀。お前も来る気か?」
「もちろん。仲間を放っておくなんて俺には出来ないからね」
「はぁ……もう勝手にしろ」
「あっ、なら私も同行していいわよね?」
「……孫策。アンタは蜀と共闘したとは言えそれこそ無関係のはずだろ。なんで一緒に来たがる?」
「ん~……なんか面白そうだって思ったからかな」
「訊いたオレがアホだった。もうこれ以上時間を無駄にしたくないからオレは行く。星、お前もさっさと来い」
「はっ」
「ちょっと御遣い君! 今のはどういう意味よ~っ!?」
後ろで何やら孫策が文句を言おうとギャーギャー騒いでいるが、時間をこれ以上無駄に割きたくない零治は彼女の言葉には一切耳を貸さず、扉を開けてさっさと現実世界へと戻ってしまい、星もその後に続いた。続いて華琳、桃香、一刀も二人の後を追い、遅れて孫策も扉の奥へと進んでいった。三国の王が現実世界へと戻るための出入り口の先に進んだので、各国の首脳陣達もそれに続き、亜弥達も零治の後を追った。結局この場に居る人間全員が現実世界へと戻るのだった。
………
……
…
「ったくよぉ。相棒、人をいつまでも待たせてんじゃねぇよ。女の買い物じゃあるめぇし」
「なっ!?」
現実世界に戻るためのドアを潜り抜け、仮想世界ではなく本物の成都城の中庭に戻ると零治は自分の眼を疑った。中庭に戻るとなんとBDが出迎えてきたのだ。彼は余程退屈だったのか中庭にある飾りの大きな岩に寝転がって顔だけを動かしてこちらを見ている。零治は幻なのかと思い、右手で自分の眼を擦ってもう一度確認するが、そこには間違いなく仮想世界で仮初の肉体、つまり零治の姿を真似たBDが確かに居たのだ。
「BD、なぜお前がここに居るんだっ!?」
「ああ? 俺様がここに居ちゃ何か問題でもあるのか?」
「そうじゃない! 現実世界で肉体を持っていないお前がどうしてここに存在しているんだ!?」
「あぁ、そっちか。な~に。あの仮想世界で相棒が俺様用の出入り口を用意しただろ? あそこからこっちの世界に繋げて無理やり来てやったのさ」
「ならその身体は何だ」
「コイツは霊的肉体、エーテル体の一種さ。お前の姉貴と似たようなものだな」
「……正直よく分からんが、今のお前は実体が無い存在と解釈すればいいのか?」
「ああ。それで充分だぜ」
正直イマイチ理解できていないが今はBDの存在については置いておくべきだろう。零治にとっていま重要な案件は星に関する事であって、BDの存在を問いただす事ではない。だが確認しておくべき事もあるだろう。何の目的があってわざわざこの場に姿を見せているのかだ。
「BD、一体何の目的があってお前はこの場に居るんだ?」
「別に深い意味は無いが、これからこの場で起きる出来事は俺様にとっても歴史的な出来事になる。だからこそ、この眼で直に視たいのさ。全てをな……」
「……何か企んでるわけじゃないんだな」
「相棒。ちったぁ俺様の事を信用してもいいだろうがぁ。今までどれだけ助けてきてやったと思ってんだ」
「それについては感謝してるが、お前の日頃の行いと言動を考えるとな……」
「やれやれ。そこまで言うかね。ひでぇ主を持って俺様は幸せだね。……って、おい。相棒。肝心の趙雲が居ねぇじゃねぇか。アイツが居ねぇと話にならねぇんだが」
「すぐに来るさ」
後続者はまだ来ていないようなので、零治はBDがくつろいでいる岩に腰掛けてタバコを一本コートの下から取り出して火を点け、煙を吹かし始めた。その直後、仮想世界へと繋がる緑色の金属の扉がギィィッと軋む音を立てて開け放たれて眩い光が放出され、その中から複数の人影が浮かび上がると星がまず出てきて、華琳、桃香、一刀、孫策と順に出てきて、魏、蜀、呉と三国の首脳陣がゾロゾロと、そして最後尾に亜弥達が出てきて全員が中庭に揃った。
「おーおー。揃いも揃ってゾロゾロと。まあいい。今日のメインイベントはギャラリーが多い方が盛り上がるから丁度いいぜ。ヒッヒッヒ……」
(コイツ……まさか自分が愉しみたいがためにわざわざこっちの世界に来たんじゃないだろうなぁ……?)
「零治殿。お待たせしま……した……?」
現実世界の中庭に辿り着いた星は眼をパチクリとさせてしまう。それはそうだろ。何しろ目の前に零治が二人居る。仮想世界で見た光景がまだ続いているのだ。後から続いて出てきた一刀と桃香、華琳や孫策も自分の眼を疑っていた。その様子を面白がるようにBDは下卑た笑い声を漏らしてニヤニヤと笑っている。
「ヒヒヒ。相変わらずなリアクションだな」
「ええっ!? 零治さんがまた二人居るっ!?」
「御遣い君って双子だったの?」
「いや、これには複雑な事情が……」
「……貴方」
目の前の光景に桃香と孫策は困惑の表情だったが、華琳はなぜか違っていた。彼女だけは冷静で、BDをジッと見つめながら静かに口を開いている。その様子に零治ももしやと思っていた。華琳は一度だけだがBDと零治の身体を介して話をしているのだ。だからこそ気付いたのかもしれない。その正体に。
「貴方……もしかして血なの……?」
「ほぉ~。よく俺様の正体が分かったな、曹操。流石は魏の王様だな」
「その禍々しい瞳と相手を見下す下卑た喋り方、忘れようにも忘れられないもの。もしやとは思っていたけれど、やはりそうだったとはね」
(たったそれだけの情報で別人と見抜くとは。華琳の王としての資質もあるんだろうが、この世界の人間は色々とおかしいんじゃねぇか……?)
華琳の相手の正体を見抜く眼力は驚嘆に値する物だろう。零治はもう慣れたつもりではいたが、ここに来て改めて華琳の王としての資質、それを目の当たりにさせられた。彼女がBDの正体を一目で見抜いたのは見事だが、いま重要なのはそこではない。星の身に起きている異変、これを解決する事なのだ。
「さて、随分待たされたが役者も揃った事だし、そろそろ始めるか」
「まだそれを言うか。星に説明しろと言ったのはお前だろ」
「要点だけちゃっちゃと言ってさっさと連れてくればいいだろうが」
「それは説明とは言わん」
「へいへい。そうですかい。……さて、時間も惜しい。とっとと始めるぞ。まずは相棒」
「何だ」
「相棒の血を使って地面に血溜まりを作ってもらうぜ。ただし、それなりに大きい血溜まりじゃなきゃダメだからな」
「ったく。仕方ねぇな……」
BDがそれなりに大きい血溜まりと注文をつけたとなると、必要な血の量はかなり多いのだろう。となると、仮想世界で鉄格子の扉を創った時と同量では間違いなく足りないので、掌をナイフで刺し貫く程度じゃダメなのだろう。零治は諦めたように嘆息し、着ているコートから右腕を引き抜き、更に下に着ているカッターシャツの袖も捲くって地肌を露わにすると、左手から血ノ剣を生やした。正直気は進まないが、零治は左手の血ノ剣で右腕を思いっきり刺し貫き、更にそのまま一気に振り抜いて右腕を斬り裂いたのだ。これで大量の血は確保できるが、その激痛は並大抵のものではない。
「あぁっ……ぐぅ……っ!」
「零治っ! 何をしているのっ!?」
「華琳は黙ってろ。これは必要な事なんだよ……っ!」
「おーおー。まさか右腕を斬り裂くとはねぇ。相棒、それかなりいてぇんじゃねぇか?」
「痛いに……決まってるだろ……っ!」
右腕から全身に駆け巡るこの激痛。その痛みは定軍山で銀狼に左腕を斬り落とされたあの嫌な出来事を思い出してしまうほどだ。だが今はその事で文句を言っている場合ではない。全てはこの大陸に、そして星に訪れる可能性のある最悪の未来を消すためなのだ。零治は肩で激しく息を切らしながら自分の右腕を見るが、斬り裂かれた腕の傷口からはおびただしい量の血が流れ出ており、自分の足元に血の池を作り上げていた。常人なら腕の痛みでショック死、そうならなくても大量の失血で倒れるはずなのに零治は耐えてみせていた。しかし、いい加減終わらせたいのが本音である。
「おい……まだなのか……っ!?」
「……もう充分だろうな。相棒、腕を思いっきり押さえて意識を集中すれば、傷もすぐに塞がるはずだぜ?」
「言われなくてそうするわ……っ!」
零治は左手に生やしている血ノ剣を即座に引っ込め、自分でやったとはいえ縦に引き裂かれてプラプラしている右腕に左手を素早く伸ばすと、折り曲げて身体に押し付けながら思いっきり力を入れて握り締め、右腕の切断面を可能な限り密着させてBDのアドバイス通り意識を集中した。するとBDの言った通り、右腕の修復がすぐに始まり傷口はみるみる塞がってあっという間に元通りになったのだ。ただし、痛みは未だに腕に残っているし、血で濡れて真っ赤の状態である。
「あぁ……クソが。誰か水の入った桶を持ってきてくれないか」
「零治さん。こちらにご用意してあります」
「ふぅ。お前の仕事ぶりにはいつも頭が下がるばかりだな。樺憐」
「勿体なきお言葉ですわ」
いつの間にか樺憐が水の入った木桶を用意してくれていて、彼女の仕事の早さに零治は感服するばかりだ。彼女から桶を受け取ってそれを自分の足元に置くと、零治はその場にしゃがんでジャバジャバと右腕を紅く染め上げている血を洗い落とし始めた。桶の水は瞬く間に紅くなってしまい、一通り腕の血も洗い落とせたので零治は右腕を軽く振って余計な水分を振り落とした。
「零治さん、この手ぬぐいもお使いください」
「おっ、悪いな。……痛みはまだあるが、とりあえず動かす事は出来そうだ。で、次はどうするんだ?」
「次は趙雲。相棒が作ったその血溜まり、そいつに触れてもらおうか」
「この血に触れというのか? 私にそんな悪趣味な事をさせて何の意味がある」
「お前は黙って言われた通りにすればいいんだよ。いちいち説明なんかしてられっか」
「仕方あるまい。私もお主のような輩と話すのは不快なのでな。早々に済ませるとしよう」
「おやおや。嫌われてんなぁ、俺様」
「お主を好きになる理由など私には無いのでな」
やはり星も姿形が同じ零治でも、全く別人であるBDを好ましくは思ってはいないようだ。言動は下卑ていて挑発的であり相手を見下し、気を許した相手でなければ基本的に喧嘩腰だ。好感を持てる要素などどこにも無い。そして星の場合、特別視している零治の姿を真似ているので尚更好きにはなれないのだ。まあその話は置いておくとして、まずは零治が今から行おうとしている星の歪んだ人生の道の矯正。これを進めねば話にならない。星はその場で片膝を突いてしゃがみ、零治が作り上げた血溜まりに手を伸ばして手形を残すように右掌を押し付けた。すると血の池に異変が起こり、星が手を触れている周辺の血の一部がまるで触手のように細い糸状になって伸びて纏わり付いてきたのだ。
「なっ! 零治殿っ! これは一体……っ!?」
「落ち着け。害は無いから安心しろ」
取り乱す星に零治は落ち着くように言い聞かせてきたので、彼女は一度大きく息を吐いて気持ちを落ち着けて自分の右手を観察してみた。血の池から伸びて纏わり付いている触手のような物は相変わらず今もあるが、特に痛み等を感じるわけではない。何か変化があるとすれば、纏わり付いている触手が紅く発光しているぐらいだろうか。だがその光り方もただ明滅をしているのではなく、星の右手に纏わり付いている触手の先端から池に向かって一定の間隔で小さな光が流れるように走っているのだ。何かの情報を読み取っているかのように。しばらくして事が済んだのか、血の触手は星の右手から離れていき池の中へと消えていった。
「……よし。もう手を離してもいいぜ」
「全く。お主のおかげで私の右手は血で真っ赤だぞ……」
「すまないな、星。ほら、この手ぬぐいで拭くといい」
「わざわざすみませぬな、零治殿」
「気にするな」
「……さて、私の役目はこれで終わりなのですか?」
「いいや。まだお前には協力してもらう事がある」
「ふむ。次は何をすれば良いのでしょうか?」
「……お前の血が必要なんだ」
「私の血ですと……?」
「そうだ」
「…………」
流石にこんな頼みをされるとは星も予想はしていなかった。表情こそ変えていないが、素直に首を縦には振れない。零治が血を要求しているという事は、それで何かをするという事なのだろう。現にBDをこの場に呼び出す時も自分の血を使って扉を創り上げた。だが彼はその際に使用する血を用意するために自分の右手をナイフで刺し貫いたのだ。そういう事をされるのではないのかという不安があろうのだろう。零治もそこを察して星を安心させるように言葉を続けた。
「心配するな。短剣でお前の手をブッ刺す真似はしねぇよ。必要な血も少量だしな」
「それなら良いのですが、あまり痛くしないでいただきたいですな」
「武人なんだからそこは我慢しろ。いま容器を用意するから、お前はそれを手で持って――」
「あぁ、相棒。趙雲の血だが、傷口から滴らせてこの血溜まりに直接垂らした方がいい」
「何でだ?」
「どうせ使うんなら鮮度のいい血が欲しいのさ。その方が完璧に仕上げられる気がするからなぁ。ヒヒヒ……」
「悪趣味な奴め。……星、そういう訳だ」
「承知しました」
零治に促され、星は自分の右手を前に突き出して血溜まりの上まで持ってきた。後はこの血溜まりに星の血液を混ぜるだけだ。だが、これで一体どうしようというのか。星には零治が何をしようとしている皆目検討もつかない。それは零治も同じだ。BDから大筋の説明は受けているが、正直半信半疑な部分もある。しかし今はこれが唯一の希望。零治は自分にそう言い聞かせ、自作のバタフライナイフをコートの下から取り出した。
「じゃあ星、始めるが痛くても文句は言うなよ?」
「はっ」
零治は左手を伸ばして血溜まりの上まで差し出している星の右手の甲を掴んで掌を反転させた。ガントレットのひんやりとした冷感が伝わるがそれも束の間。零治が右手に持っているナイフの先端を掌に浅く突き刺し、そのままスーッと引く事で一筋の斬り傷がつけられて鋭い痛みが走ったので、星の表情は苦悶のものに歪んだ。
「つぅ……っ!」
「すぐに済むから我慢しろ」
零治が星の右掌を斬り裂いた事で傷口から血が滲み出て、足元の血溜まりにポタポタと一滴、また一滴と血の雫が滴り落ちていく。これで一体どうしようというのか。星も、周りで見ている三国の首脳陣達も全く分からない。今はとにかく零治に全て任せるしかないのだ。しばらく星の掌から血を滴らせると充分と判断したBDが口を開いた。
「よーし。もう充分だろ」
「そうかい。……悪かったな、星。これで傷口を押さえてろ」
ナイフをしまい、コートの下から一枚のハンカチを取り出した零治はそれを星に手渡した。ハンカチを受け取った星は適当な大きさに折り畳み、傷口にあてがって左手で押さえるが、まだ出血は止まっていないので血が滲み出てきて純白のハンカチはたちまち紅く染め上がってしまった。
「やれやれ。なかなかに痛かったですぞ」
「だから悪かったって言ってるだろ。とはいえ、理由が何にせよオレがお前の掌を斬り裂いたのは事実だ。……樺憐、星……趙雲の右手の手当を頼む」
「承知しました」
こっちはこっちでやる事があるので、星には悪いが右手の手当に時間を割いている暇はないので他の誰かに頼むしかない。そういう意味ではあらゆる面で細かい気配りが出来る樺憐がうってつけだろう。現に彼女は一体どこから用意したのか、包帯や消毒薬などが入った、最低限の応急処置が出来る救急箱を持ってきていたのだ。
「では、趙雲さん。右手の手当をしますのでこちらへ」
「ん? うむ。承知した」
星は樺憐の方へと歩み寄り右手を差し出すと、樺憐は慣れた手付きで傷の手当てを始めた。まずは綺麗な布切れを一枚と、消毒薬の入った瓶を箱から取り出した。次に瓶の蓋を開けて布をあてがい、瓶を逆さまにして消毒薬を布に染み込ませて、それを使って星の掌の斬り傷の消毒を行う。当然ながら染みるので消毒薬が傷口に入った事で鋭敏な痛みが走り、星は表情を苦悶のものに歪めた。その様子を横で見ている零治は手当の方は問題無さそうだと判断し、BDに視線を移した。
「で、ここからどうする。もう始められるのか?」
「まだだ。まだ趙雲の槍の情報が欠如している。それもこの血溜まりに移す必要がある」
「星の槍か。だがそんなものどうやって移す。血溜まりに突き立てりゃいいのか?」
「ああ。それでいい」
「ふむ。……樺憐、手当の方は済んだか?」
「もう少しですわ。後は包帯が解けないようにしっかりと縛って……はい。これで大丈夫でしょう」
星の掌を消毒し、傷口に綺麗な別の布切れを折り畳んで掌に収まるサイズにしてあてがい、そこから包帯をグルグルと巻き付けて最後に解けないように手の甲の所でしっかりと縛り上げて傷の手当が完了した。星は右手をクルクルと回転させて観察し、何度か手を握ったり開いたりの動作を繰り返してみるが、指を動かす時に違和感は感じないし、痛みも落ち着いている。これならば特に問題も無さそうである。
「ありがとうございました。樺憐殿」
「いえいえ。わたくしは零治さんの命に従っただけですので」
「命に従う? まるであの方に忠誠を誓っているかのような口ぶりですな」
「ええ。そうですわ。零治さんはわたくしの恩人にして主、愛しき飼い主様ですので」
「飼い主……?」
「んっんんっ! ……樺憐、周りに誤解を与えるような発言は控えてもらおうか」
今この場には魏だけではなく、蜀と呉の首脳陣も揃っているのだ。魏のメンバーは樺憐が零治に対して普段どういう態度で接しているのか、どれだけ心酔しているのかを理解しているので彼女の意味深な言葉を聞かれても問題は無いかもしれない。だがその事情を知らない人間が聞けばどう思うか。間違いなく誤解されるだろう。それを避けるべく、零治はワザとらしく咳払いをして樺憐に釘を刺した。
「あらあら。零治さん、堂々としていれば誤解などされませんわよ?」
「それは言い方と内容によるだろうが……」
「ふむ」
「ん? 何だよ? 星」
「いえ……零治殿も主に似ているなと思いましてな」
「それはどういう意味だ……?」
「ふふっ。そこはご自分で考えられる事ですな」
意味深な含み笑いを漏らす星の姿を眼にした零治は右手で顔を覆って俯き、やれやれと言わんばかりに首を何度も左右に振っている。星は間違いなく樺憐の言葉の意味を違う意味で解釈しているはずだ。おまけに一刀に似ているとまで言われた。それが何を意味しているのかは気になるが、今は聞きたくないし正直知りたくもない。何よりまずは目の前のやるべき事を片付けるのが先である。零治は気を取り直して星に視線を向けた。
「はぁ。全く……。星、お前にもう一つ頼みがある」
「まだ何かあるのですか? やれやれ。今日の零治殿は私への注文が随分と多いですな」
「必要な事なんだから文句を言うな」
「分かっております。今のは冗談ですよ。で、次は何をすればよいのですか?」
「お前の槍を貸してほしい」
「私の槍を? 別に構いませぬが何のために? まさか今更槍術の練習でもなさるおつもりか?」
「そういうわけじゃない。すぐに返すから言われた通りにしてくれ」
「ふむ。まあいいでしょう。……どうぞお持ちください」
「ああ」
星は零治の要求通り愛用している龍牙を差し出したので、零治はそれを右手で取ってマジマジと見つめてみた。手に取ってみると、所有者以外触れる事も認めない神器特有の拒絶反応は無かった。この場合、考えられる理由は二つ。一つ目は龍牙がまだ完全に神器として変質していない。二つ目は零治が初めて華琳と出会った時、彼女は零治の叢雲に興味を示して見せるように要求してきた。零治はこれを受け入れて華琳に叢雲を手渡すと、叢雲は華琳に鞘に収めた状態だが触る事を認めたのだ。だが、あくまでもそこまで。抜く事までは認めなかったが、これは異例中の異例。後者の可能性は低いと思うが決めつけはよくない。零治はBDにチラリと視線を向けて念話を送った。
『BD、どう思う? 今オレは普通に触れてるが』
『微妙だな。見た所まだ完全に神器として変異はしていないようだが、かといって普通の槍として見れるかと言われるとそう判断も出来ん』
『つまりまだ中途半端な状態って事か?』
『そういう事だ。まあ、どっちににしろやる事に変更はない。相棒、その槍を血溜まりに突き立てろ』
『ああ』
零治は星から受け取った龍牙の穂先を下に向けて、血溜まりの出来た地面に深々と突き立てた。すると、星が血溜まりに触れていた時と同様に血溜まりの一部が触手のように細い糸状になって伸びてきて穂先に絡みつき、触手の先端から血溜まりに向かって等間隔で紅い光が流れていく。星を始め、三国の首脳陣達もその様子を観察しているが、現時点では零治が何の目的で動いているのか全く見当がつかない。今はとにかく静観するしかないのだろう。周りの心境をよそに、穂先に絡みついている触手の様子を観察していた零治は、触手が発光しなくなり穂先からな離れて血の池へと戻っていったので、龍牙を地面から引き抜いて血を振い落して星に返した。
「ほらよ。協力感謝するぜ」
「ふむ。しかし零治殿、あの血溜まりで何をするつもりなのですか?」
「説明しても時間の無駄にしかならん。黙って見てな」
「はあ」
「つっても、ここから先はオレの仕事じゃないがな。……BD」
「はいよ。なら、始めるとするか……」
「封印は出来そうか?」
「……微弱な力ならそれでも問題ないだろうが……コイツはもう一定の段階まで増長しちまってる。アッチの方法でやるしかねぇな」
「そうか……」
ようやく出番が来たと言わんばかりにBDは中庭にある飾りの岩から降りて、ゆっくりとした足取りで零治の血で創り上げた池へと近づいていく。ここから何を始めようというのか。それに零治とも封印がどうとか気になる会話をしていたが、二人の様子を見るとそれは実行できないようである。全員の視線が今度はBDに集中し、もう一つの実行するために彼が血溜まりの前でしゃがんで右手を伸ばしたその時だった。零治がBDを制止した。
「BD、ちょっと待て」
「ああ? 急に何だよ?」
「一つ確認したい。この光景……黒狼達にも視られてるんじゃないのか……」
と、零治は遥か上空に存在している叡智の城を指差した。あの黒狼は基本的に他人に対して全くの無関心だが、自ら大陸全土に対して宣戦を布告した上に宿敵である零治が自分の近くに居るのだ。こちらの様子を叡智の城にある監視カメラ等の機器を使用して覗き見している可能性はあるだろう。だが、そういった問題もBDが既に解消してくれていた。
「あぁ……その心配なら無用だ」
「なぜ断言できる」
「俺様の記憶に間違いがなければ、確かに叡智の城には監視カメラの類はあったはずだ。内部だけじゃなく、外の様子も見れるくらい高性能な奴がな。だからジャミングをしておいてやったぜ。試験は始める前からな」
「随分用意がいいな。覗き見されると察知でもしていたのか?」
「いいや。可能性を考えただけだ。それに敵にまでこれから起きる出来事をタダで見せてやるほど俺様はお人好しじゃねぇ」
「ふむ。まあとにかく、黒狼達に視られてる心配は無いって事か。ならば続きを頼む」
「ああ」
先を促されてBDは血溜まりに右手を伸ばして指先で軽く触れた。そのまま両眼を閉じて意識を集中すると、血溜まりの下に紅く光る大きな魔法陣が浮かび上がったのだ。その魔法陣はゆっくりと回転しており、陣内には図形やら奇妙な文字がいくつも浮かんでいる。だがこれだけでは終わらず、魔法陣が出現してから少し遅れて血溜まりにも変化が起きた。まるで沸騰しているお湯のようにボコボコと泡立ち始めたのだ。あまりにも非現実的な光景に三国の首脳陣達も言葉を失っている。一刀もこんな光景はせいぜいホラー映画ぐらいでしか見ていないだろう。そんな周りの様子を面白がるようにBDは立ち上がってグルリと三国の首脳陣達を見回し、まるでショーを進める司会のように口を開いた。
「ヒッヒッヒ。さぁ~、三国の英雄さん達よ。よ~く見ておきな。今から最高のショーが始まるぜ!」
ボコボコと音を立てながら泡立つ血溜まりには更なる変化が起こり、血がまるで磁石に引っ張られているかのように上に伸びていき、人の形へと変化していったのだ。最初はただ粘土を人の形にしたような血の塊だったが、それはユラユラと揺らめきながらちゃんとした人間の形へと変わっていく。しかも胸に膨らみなども出来ている点から成人の女性がベースとなっている人型のようで、しばらくしてその血の塊は完全に成人女性の姿へと変化したのだ。髪も再現されていて明確なシルエットが浮かんでいる。その代わり、それは全身が血の塊という点は変わらずである。
「れ、零治。何だよこれは。これって……人なのか……?」
「一刀。悪いがこれを『人』として扱っていいのかはオレにも分からん。……BD、これで完成なのか?」
「まださ。ここからが仕上げだ」
BDは口の端を吊り上げて右手の指をパチンと弾いて軽快な音を鳴らした。一体何が起きるのかと全員が眼をパチクリとさせて血の塊を見つめていたら、その血の塊に更なる異変が起きた。人型をした血の塊の全身を覆っている血が、まるで水で洗い流されるかのように頭頂部から徐々にゆっくりと地面に流れ落ちて行ったのだ。それにより頭頂部を覆っている頭髪が露わになり、ドス黒い血の下から現れたのは燃え盛る紅蓮の炎を彷彿とさせる零治と同じ色の赤毛だった。
(ん? 赤い髪? ……どういう事だ? 星の髪は水色なのになぜ)
零治は目の前に立つ人らしき者の頭を覆っている髪の色に疑問を抱くが、今はそれは後回しだ。問題はこの血の塊の完成形態こそが重要なのである。頭頂部からゆっくりと流れ落ちる血の下から次第に顔も見えてきて、頭部の血が完全に流れ落ちると零治とBD以外の人間全員が眼を疑った。特に星が一番驚いているかもしれないだろう。
「なっ! これは……私っ!?」
人型をした血の塊の頭部が露わになり、そこから見せたのは星と全く同じ顔をした者。眠っているかのように両眼を閉じていて周りの音などにも一切反応しないので生きているのかは不明だが、これは誰がどう見ても星である。髪の色こそ真逆の赤色をしているが、顔は間違いなく星と瓜二つ。零治がこの場に二人居るのも驚きなのに、星まで二人になるとは。あまりにも非常識な光景に三国の首脳陣達はついていけてない。だが零治はそんな事は気にもとめず、目の前に立つもう一人の星の様子を静観していた。頭部の周囲が流れ落ちた事で続いて身体周りの血が落ち始めて首回りから肩が露出したが、透けるような白い地肌が剥き出しになった事で零治は違和感を感じた。
(ん?)
肩の地肌が見えた事で、零治は内心もしやと思いながらある不安を感じつつ目の前に立つもう一人の星の様子を見ていたのだが、その嫌な予感が的中してしまった。ここに来るまで衣服らしき物が全く見当たらず、胸周りの血が流れ落ちると完全な丸出し状態になったのだ。つまり、ここに居るもう一人の星は生まれたままの姿、丸裸という事になるのだ。一瞬だが丸出しにされた胸を零治は見てしまい、彼は顔を真っ赤にして大声を出しながら素早く後ろを向いた。
「っ!? なああああああっ!」
「…………」
「っ!? 一刀っ! 何見てんだっ! お前もこっちを向けっ!」
「ぐえっ!? 零治っ! 痛いじゃないか!」
横に居た一刀が唖然としながらもう一人の星の裸体に完全に見惚れていたので、零治は彼の顔に両手を伸ばして強引に後ろを向かせて身体も百八十度回転させた。だが、いきなり乱暴に顔を後ろに向けられたので、首からグキッと嫌な音が鳴り、骨から音が鳴る感触も走って痛みもあったので流石の一刀も文句を言わざるを得なかった。
「やかましい! 女の裸をガン見する方が悪いんだろっ!」
「零治……」
「っ!? な、何でしょうか。亜弥さん……」
亜弥に恭佳、樺憐、おまけに華琳からも射るような冷ややかな視線が向けられており、声をかけてきた亜弥の声も抑揚が無くて不気味であった。その声を聞かされた零治はビクリと肩を震わせ、表情も引きつり気味だ。状況だけで見れば完全に女性陣から誤解されるシチュエーションである。理由は不明だが、零治が自分の血を使用し、そしてBDの力を使ってもう一人の星を創り上げたのは否定のしようがない。しかも丸裸なのだ。何かよからぬ目的で創り上げたと思われても仕方ないだろう。
「零治。貴方は一体何の目的があって星の複製など創ったんです。しかも彼女、素っ裸じゃないですか……」
「……零治。アンタまさか、そいつを自分専用の何とかドールにするつもりじゃ」
「んなわけあるかぁ! 姉さんはオレを何だと思ってるんだっ!? それにコイツは複製じゃねぇ!」
「零治さん。娘達という者がありながらそんな物を用意するなんて。欲求不満なのですか? でしたらわたくしが娘達と一緒に一肌脱いでさしあげますわよ?」
「えっ!? あの……母さん? まさかそれって……」
「ほえ? お母さん、一肌脱ぐって何?」
「だから違うって言ってんだろうがぁ! 樺憐っ! お前もサラッととんでもない事を言うなぁ! 自分の娘まで巻き込むんじゃないっ!」
「なら何が目的なんですか。ちゃんと事情を説明しないと女性陣全員を敵に回す事になりかねませんよ……」
「色々と事情が複雑なんだよっ! ってか、BD! このバカ野郎があぁぁぁぁっ!」
「ああん? 人をいきなりバカ呼ばわりとは失礼がすぎるんじゃねぇか」
「これをバカと言わずしてなんて言えってんだ! 何で服を用意してねぇんだ!? お前のおかげで今オレは針のむしろ状態なんだぞっ! さっさとそいつに服を着せろぉ!」
「へいへい。分かりましたよ」
背を向けながら怒鳴り散らす零治の様子にBDはやれやれと言わんばかりにヒョイッと肩を竦め、右手でパチンとまた指を弾いて打ち鳴らした。するともう一人の星の胸周りと腰回りに下着のシルエットの白い光が浮かんでそれは一瞬にしてシンプルなデザイン、装飾等が一切無い純白の下着に変わって着用された。その次にまたしても彼女の身体、まずは頭頂部に帽子と思われる白い光のシルエット、全身には着物のような袖をした白い光のシルエットが浮かび、それは本物の星が普段から着用しているアゲハ蝶の柄があしらわれた着物と帽子になったのだ。
「相棒。服は着せたぜ。もう見ても大丈夫だぞ」
「…………」
BDの言葉が信用できない零治は右手をコートに下に入れ、自作のバタフライナイフを一本取り出してグリップを掌の中で回転させて留め金を外し、グリップの間に収納されている刃を出してナイフの形状にした。零治はそれを両手で持って正面にかざし、刃の角度を微調整しながら後ろの様子を映して確認すると、煌めく刃に黒い衣服を纏ったもう一人の星の姿が映し出されたので、零治はナイフをしまって一刀と一緒に前を向いた。
「…………」
「零治。これって……星、だよね……?」
「……そうなるのかな」
「でも、色々と違う所があるね。まず髪の色が赤いし、着ている服と帽子のデザインは同じだけど……色が白じゃなくて黒だし」
「BD、これには何の意図がある」
「ああ? 全く同じにしたら区別ができねぇだろ? だから分かりやすく特徴のある部分の色を逆転させたのさ」
「……って事は眼の色も逆転してるのか?」
「そういう事だ」
零治は改めて目の前に立つもう一人の星の姿を観察してみた。本物の星の髪は水色だが、目の前に立つ星は紅蓮の炎を連想させるような赤色をしている。次に纏っている着物と帽子だが、これもデザイン自体は全く同じだが色が白から黒に逆転している。袖にあしらわれているアゲハ蝶の柄の色は同じだが、蝶を象るラインが黒から白に変更されている。
(赤い頭髪に黒ずくめの服装……確か星の瞳の色は紅だったな。この色が蒼色に逆転していたら完全に女版のオレじゃないか)
「相棒、いつまでも見惚れてんじゃねぇぞ。そろそろコイツを起こすぞ」
「ああ……」
「さて……おい、いつまで寝てんだ。とっとと起きろ」
「あうっ……うぅ……」
直立不動で両眼を閉じたまま微動だにしないもう一人の星にBDが一発デコピンを喰らわせると、彼女は小さな呻き声を漏らし、眼をゆっくりと開けるがまだ半開きで気怠そうの様子を見せている。誰が見ても寝ぼけているようにしか見えない。それは置いておくとして、零治が気になるのは彼女の眼の色だ。半開きの瞼から姿を覗かせているのは紅色の瞳ではなく、零治に似た澄んだ蒼色の瞳だった。
(あの眼の色……完全にオレと同じだ。それに声は星と全く同じだな)
「起きたか? 寝坊助」
「……う~ん。ここ……は?」
「ここがどこかはどうでもいいだろうが。おい、俺様が誰か分かるか?」
「貴方は……血の……魔導書」
(横文字発音もちゃんと出来るのか)
「よーし。俺様を『認識』出来ているのならば成功していると見ていいだろうな。次の質問だ。あの男が誰か分かるか?」
「ん~? ……あっ」
「…………」
BDが零治を後ろ手で指差して見るように促すと、もう一人の星は寝ぼけた眼で彼に視線を移した。零治の姿を視認すると彼女はハッとしたように声を出し、眼もハッキリと開いた。もう一人の星はしばらくの間無言で零治を凝視していたが、そこからゆっくりと歩きだしてこちらへ一歩ずつ近寄ってくるのだが、その直後、もう一人の星はとんでもない事を口走って顔を輝かせながら駆け寄り始めたのだ。
「父上ーっ!」
「はあっ!?」
いきなり自分を父親呼ばわりしてきて唖然とする零治にもう一人の星は猛スピードで駆け寄り、彼に思いっきり抱きついてきた。抱きつかれた零治は完全に思考が停止しているし、周りも眼が点の状態だ。零治とBDの手によって生み出されたもう一人の星が零治の事を父と呼ぶ。状況だけで見ると彼女は零治の娘という事になるが、彼に娘が居るなんて話は誰も聞いた事が無い。となると隠し子という事になるが、そんな者居るわけがないし、何よりこの二人は誰がどう見ても歳が近い同年代同士だ。そんな親子関係など絶対にあり得ない。それは零治本人が一番良く分かってるのだ。まずはこのもう一人の星がなぜ自分を父親呼ばわりしているのか、それを確かめる必要がある。
「父上! こうしてお会いできた事、私はとても嬉しく思いますぞ!」
「ちょっと待て! なんでオレがお前の父親になるんだっ!?」
「なんでとは異な事を仰っしゃりますな。私がこうしてこの世に生を受けたのは貴方のおかげ。ならば父と呼ぶのは当然ではありませぬか」
「おいBD! 一体どういう事だ!? 説明しろっ!」
「ああ? 俺様がそこまで知るかよ。まあ、アレだ。コイツは相棒の血がベースになって生まれた存在だ。だがらお前を父親として認識してるんじゃねぇか?」
「なんだその無茶苦茶な理屈は。……ん? ちょっと待てよ」
確かにここに居るもう一人の星を生み出すために零治は自分の血を大量に使用している。だがたったそれだけの理由で父親呼ばわりするなどあまりにも無茶苦茶だし、零治も堪ったものじゃない。そしてそれと同時にもう一つの疑問が彼の中で浮上してきた。今の理屈だと親として認識される人物がもう一人居るのだ。嫌な予感はするがこれはハッキリさせておく必要がある。もちろんその予感が的中してしまうと余計に話がややこしくなるのは確実だが背に腹は代えられない。零治は気持ちを落ち着けて未だに抱きついているもう一人の星を引き剥がして内なる疑問をぶつけてみた。
「おい。いい加減離れろ。……所でお前に一つ確認したい事がある」
「何でしょうか? 父上」
「父上って呼ぶな。……お前にとってアイツは何になるんだ?」
「はい? ……あっ」
零治が右手の親指でピッと指差している人物は星である。彼女も目の前の状況に頭がついていけず、眼が点になっている。だが星のそんな心境などお構いなしにもう一人の星は零治から離れて今度は彼女に駆け寄って抱きついてきたのだ。
「母上ーっ!」
「なっ!?」
(やっぱりそうなるのかーっ! コイツにとって星は母親になるのかよーっ!)
「母上ー! お会いしとうございましたぞ!」
「ちょ、ちょっと待て! お主はさっきから何を言って……っ!?」
流石の星もこの状況に冷静には対応できない。色違いな部分はあれど、姿形が全く同じ人物にいきなり抱きつかれて母親呼ばわりまでされてどうリアクションしろと言うのだ。大陸を旅して見聞を広めてきた星といえど、こんな常識外れもいいとこの事態に冷静に対処など出来るはずがなく、もう一人の自分に抱きつかれたまま微動だにする事が出来ず、周りからあれやこれやと質問攻めされる羽目になったのだ。
「せ、星ちゃん……零治さんといつの間にそんな関係に……?」
「桃香様っ!? ご、誤解ですっ! 私は零治殿とそのような関係は築いておりませぬっ!」
「ならばそいつはなぜお前を母と呼ぶのだ。確かにどう見ても同年代だから実の娘では無いのだろうが……もしや養子か?」
「愛紗まで何を言って……。零治殿っ! 代わりに説明してくださいよ!」
蜀の主だったメンバーから質問攻めに合う中、星は零治に助けを求めて声を張り上げながら彼に視線を向けたが、その零治も今はそれどころではなかったようだ。まずその場で正座をさせられていて華琳が首筋に絶を突きつけているのだ。いや、よく見ると軽く皮膚に刃が当たってすらいる。いま華琳が絶を持つ右手をスゥッと後ろに引いたら首筋の皮膚は間違いなく斬れるだろうし、華琳本人もキレる寸前なのだろう。口調こそ普段通り落ち着いているが、米神に青筋が浮かんでさっきからピクピクと痙攣を繰り返しているのだ。
「さて、零治。これはどういう事なのかしら……?」
「いえ、どういう事なのかと訊かれましても……」
「貴方……いつの間に趙雲との間に子供など儲けていたの……」
「いや、ですから、さっきから何度も言ってますよね。それは誤解だと……」
「そうね。どう見ても同年代だから実の娘ではないようね。ならば養子かしら……」
「それも違います。オレは養子など迎えてないし星とそんな関係にだって……。って! おいぃぃぃぃっ!? 絶を後ろに引くな! 斬れる斬れる斬れるっ! オレの首がマジで斬れるからぁ!」
もう一人の星の姿が素っ裸の時も針のむしろ状態だったのに、零治はまたしても針のむしろ状態に陥ってしまう。今この場で下手な事を言うと本当に零治の首が飛びかねないだろう。これは人間関係だけに限った話ではないが、人と人、企業同士や国同士の付き合いに必要な信頼関係。信頼とは勝ち取るのには大変な時間を要するが、失うのは一瞬だ。それこそ些細な出来事がキッカケで積み上げた積み木が一瞬で崩れ落ちるかの如く。零治の今の状況はまさにその一歩手前まで来ている。これは誰かが助け船でも出さない限り収集がつかないだろうが、今の所誰一人として零治を弁護してくれそうになかった。
「華琳様っ! いくら音無といえど、こんな恥知らずな真似をする奴を許す必要などありませぬっ! 即刻首を刎ねるべきですっ!」
「春蘭の言う通りです! 他国の将と不埒な関係を知らぬ間に持つなど我が国にとって最大の恥です! この変態が犯した罪は万死に値しますっ!」
何かと零治に食って掛かる傾向にある春蘭や桂花は今すぐ零治の首を刎ねろと言わんばかりにギャーギャーと喚き散らし、周りの視線など気にもとめずに内なる怒りを零治に向かってぶち撒けていた。その耳障りな喚き声を零治は両耳を塞いで遮りたかったが、そんな事をすれば絶対に春蘭と桂花はやましい事があるのだと曲解するに違いなので何とか今は我慢していた。
「なあ、秋蘭。零治のあれ……どう思う?」
「うーむ……正直私は信じられんぞ。そもそも音無に他国の将と関係を持つ暇などあったのか?」
「せやなぁ。ウチもそこには同感やで。どう考えてもそんな暇あるはず無いもんなぁ。けど実際はどうなんやろ?」
(あぁ……秋蘭と霞はまだマシな反応だが、疑惑については全否定してくれないんだな……)
「兄ちゃん……」
「兄様……」
(季衣、流琉。そんな哀れむような眼で見ないでくれ……)
季衣と流琉は特に何も言わず、ただただ零治に哀れむような視線を向けるだけである。ちょっとした誤解から生じたこの疑惑に対して心の底から疑っている訳ではなさそうだが、秋蘭と霞同様に全否定はしてくれないので、やはり零治を信じきれていない半信半疑の状態なのだろう。頭ごなしに決めつけられるよりはマシだが、これはこれで精神的に堪える。
「隊長っ! 気を落とさないでください! 自分は隊長の事を信じておりますっ!」
「いやいや。凪、分からんでぇ。隊長も男なんやき、ウチらの知らん所で知らん女と親密な関係になってた可能性もあり得るかもしれんでぇ?」
「おまけにこんな大きな隠し子まで居たなんてぇ。沙和、隊長の事見損なったのー……」
「真桜、沙和……人の気も知らないで言いたい放題言いやがって。後で憶えてろよ……っ!」
「ふーむ。風達の知らない所でお兄さんが星ちゃんと隠し子が居る程の親密な仲になっていたとはー。お兄さんには女誑しの称号を与えねばなりませんねー」
「何その不名誉な称号は。嫌すぎるんだけど……」
「あぁ、零治殿。我らの知らぬ間に星殿と禁断の愛に目覚め、挙句の果てに隠し子まで……っ! 人目を忍んで密会して二人はくんずほぐれつっ! ……ぶっはっ!」
「はいはい稟ちゃん。とんとんしましょうねー」
魏と蜀、話題の中心人物である零治と星はそれぞれの面子から質問攻め。ただし零治の場合は質問攻めというより完全に好き勝手言われ放題の状態であるが。おかげで呉の陣営は完全に蚊帳の外扱いで二つの陣営のやり取りを遠巻きに観察しているが、どうしたものかと頭を悩ませていた。
「なんかどっちも大変な事になってるわねぇ。……冥琳。何とかしてよ」
「無茶を言うな。我らは無関係の第三者なんだぞ。こればかりは当事者同士で解決するしかないだろう」
「それはそうだけど、誰かが止めないとこのままじゃいつまで経っても話が先に進まないじゃない」
孫策が周瑜にこの状況を何とかするように頼むも、それはあまりにも無茶な注文である。周瑜が言うように呉の陣営はこの件に関しては完全に無関係の第三者。しかも事情も複雑なので止めに入るのは難しすぎる。しかし誰かが止めないと話がいつまでも先に進まないのもまた事実。もうこうなったら自分が間に入って止めようかと孫策が考えていたその時だった。いきなりドカンッと何か硬い物を砕く激しい音が鳴り響いたので、何事かと全員の視線が音がした先に集中した。
「テメェら……まだショーの途中なのになに好き勝手にギャーギャー騒いでんだ……」
先程の派手な音を立てたのはBDのようで、彼はこの状況に苛立ちを募らせてそれが遂に限界を迎えたのか、椅子代わりに使用していた大きな飾りの岩に右手で裏拳を叩き込んだのだ。殴りつけられた岩は打痕を中心点に蜘蛛の巣のように放射状の無数のヒビが入っており、まだ岩の原型は留めているがふとした拍子で粉々に砕け散りそうになっている。BDは表情に影を落とし、その下から姿を覗かせている深紅に発光する禍々しい瞳でこちらを睨みつけ、ドスの利いた声で言葉を続けた。
「テメェらの好き勝手な妄想で話を止めてんじゃねぇよ。ここに居るテメェらはショーを観ている観客でしかねぇ。観客如きが異議を申し立てて進行を遮るな。これ以上時間を無駄にするつもりなら……見せしめに誰かに血を見てもらう事になるかもしれぇぞ。それでもいいのか。ああ……?」
(ふぅ……BD。いい仕事してくれたな。ってか、今のアイツはエーテル体のような存在なんだよな。どうやって岩を砕いたんだ? ……まあいい。今はそんな事気にしてる場合じゃねぇしな)
BDの凄みのある脅し文句の前に誰も何も言えない。彼はやると言ったら本気で言った事を実行するほど攻撃的な性格をしている。だがそれが功を奏してこの騒ぎに歯止めをかけてくれた。今回ばかりはBDの凶暴性に零治は内心で心の底から感謝していた。それはさておき、BDのおかげで周りも静かになってくれたので、零治はようやく立ち上がる事が出来て星の方に歩み寄り、未だに抱きついているもう一人の星を引き剥がした。
「お前もいつまで星に抱きついてるんだ。いい加減離れろ」
「あうっ。……父上ー。私はもう少し母上に包容を交わしたく」
「だから父上って呼ぶんじゃない……っ!」
「……零治殿。そろそろ説明してくれませぬか。このままでは私と貴方は二人揃って一生周りに誤解されたままになりますぞ」
「それくらい言われなくても分かってる。……まず最初に言っておくが、コイツはオレと星の間に出来た娘ではない。そもそもオレは星とそういう関係を持ってもいない」
「はい。私もその点は断言できます。私は零治殿と関係を持ってはいませぬ」
「ふむ。だったら零治、そこに居るもう一人の星は何者なのです。血溜まりから生まれたとなると、普通の存在とは違うのは私も分かりますけど、この世界の住人達には理解できないと思いますよ」
亜弥が指摘する通り、このもう一人の星がどういう存在なのか。血溜まりから生まれた点を踏まえると零治達はある程度は理解できるだろうが、この世界の人、つまり華琳達は完全には理解できないだろう。唯一分かるのは人間じゃないって事ぐらいだ。もちろん零治もそこもちゃんと説明するつもりだが、難しい話になるだろう。何しろ事情が非常に複雑なのだ。
「あぁ、それも分かってる。……まずこのもう一人の星だが……分かりやすく言うなら、星の中に存在していたもう一人の自分と言った所だな」
「もう一人の私? 零治殿、それは一体?」
「星、ここに戻る前に説明したな。お前の身体にある異変が起きていると」
「はい」
「アイツはその異変を情報化し、お前の身体から抜き取って媒材である血溜まりに移し替えて人型となった存在なんだ」
「ふむ。なぜそんな回りくどい事を? 零治殿ならその程度の問題、わざわざこのような事をしなくても解決できたのでは?」
「簡単に言うな。これは怪我や病気とは訳が違うんだ。それに最悪の場合、お前を殺す事でしか解決できない可能性すらあったんだからな……」
「なっ!?」
零治から告げられた衝撃の言葉に誰もが顔を青ざめさせていた。三国志の時代がようやく終わりを告げた中、零治が星を殺害するなんて真似をすればそれは魏と蜀の間で新たな戦争の火種にだってなりかねない。折角結んだ三国の同盟関係も確実に破綻してしまうだろう。だが幸いにもその最悪の未来だけは回避できたのだ。でなければ零治がわざわざこんな誤解を招く方法を実行するはずがないのである。
「おい。落ち着けって。そんな事はしないから安心しろ。だからこそ、こんな誤解を招いた方法を実行する事が出来たんだ。幸か不幸か、それが話題の中心人物である星おかげとは何とも皮肉な話だがな」
「それはどういう意味です?」
「星、お前は自分の周りで不可思議な出来事を体験した。だがそれを自分が原因、あるいは自分の身に何かが起きていると考えた事はあったか?」
「……零治殿や黒狼に意味深な事を言われて私に何か起きてるのかと思った事はありますが……それだけですね」
「そこだ」
「はい? そことは?」
「お前が自分の身に異変を感じている……だがあくまでその程度にしか『認識』出来ていなかった。そのおかげでオレはお前を殺さずに済み、今回の解決策が実行できたんだ」
「聞けば聞くほどますます話が理解できませんな。もう少し分かりやすく説明してほしいですぞ」
「無茶な注文をしてくれるなぁ。ただでさえ話が複雑なのによ」
星に分かりやすく説明してくれと注文をつけられたが、零治から言わせるとそれは無茶でしかない。この件について例えば亜弥などが情報を共有していれば彼女の協力を得てそうする事も可能かもしれないが、如何せん事情を把握しているのは零治とBDだけなのだ。かといってBDに説明を求めても、彼は口が悪すぎるため話がスムーズに進まなくなるのは間違いない。つまりどう考えても現状でまともに説明できるのは自分だけ。面倒だがやるしかないのだ。
「ふぅ……まあオレも出来る限りの努力はしよう。星、お前に起きていた異変についてだが、まずは赤壁でオレの返り血を浴びたのが原因。ここまではいいな?」
「はい」
「オレの血を浴びた結果、お前の身体にある器官が構築されかけていた。異変の正体はコイツだ」
「ある器官? それは一体……」
「そこの説明まですると話が長くなりすぎるから端折るが、オレや亜弥達が使う術、これを行使するのに必要不可欠な物だ。この世界で言うと、『氣』が該当するな。氣にも通り道がある。それと似たような物だ」
「なるほど。それなら私にも分かりますぞ。しかし私の身体の異変の正体がそれだとして、私を殺さずに済んだ理由は何なのです?」
「これはあくまで仮説なんだが、お前の身体に構築されかけていたある器官、お前はその存在を自分の一部だと認識できていなかった。その結果、構築こそ進んでいたが身体に完全に定着はしなかったんだ。おかげで情報化して抜き取る……つまりお前の身体から切り離す事が出来たんだ」
「……もしも定着していたら?」
「人為的に除去する事も出来なくはないが、必要な設備が無いこの世界でそれは無理だ。つまりオレがやった方法も使えなくなる。これ以上は言わなくても分かるな……」
「なるほど。しかしまだ分からない事が一つあります。私を殺そうとしてまで私の異変を止めたかった理由は何なのです?」
「言わなければ分からないのか。この世界にオレ達みたいな異質な存在を無闇に増やさない以外に理由などあるものか」
「私では零治殿と同じ存在になる器ではないと言うのですか」
「お前が良く出来た人格者なのは分かるさ。だがな、周りの連中はどう思う? 桃香達は良くてもそれより先の世代の連中は異質な存在となったお前を危険視しないと断言できるか? そうなればお前の未来にまともな人生などありはしない。人間はお前が思っているほど賢くないからな……」
「それは……」
これについては星も何も言えない。零治が言った事は紛れもない事実だからだ。零治達は天の御遣いと称されているので周りからもそこまで恐れられなかったからまだいいが、星の場合はどうなるだろうか。人間とは単純な生き物ではない。そして見知らぬものや異質な存在を恐れ、恐怖する。長い時間をかければ受け入れる場合もあるが全てがそうなるとは限らない。もしも星が神器使いとして覚醒すれば、彼女にまっとうな未来の人生を過ごせる保証など無いのだ。
「これで理解できたか?」
「……はい。私もこれ以上は何も言いませぬ」
「それでよろしい。……さて、話を進めるか。次はお前の番だぞ」
「おお。父上、私と遊んでくださるのですか?」
「だから父上って呼ぶなと何度言えば分かるんだ……っ!」
もう一人の星は何度も父と呼ぶなと言っているのに全くそれを聞き入れないので、零治の中で怒りの炎がチロチロと小さいが燃え盛り始めている。しかしここで怒る訳にもいかない。彼女は喋り方こそ星と同じだが、言動の中に子供っぽさが含まれている。つまりもう一人の星は見た目こそ大人だが、内面はまだ子供なのだろう。子供の扱いは得意ではないがやるしかない。零治は一度深呼吸をして内なる怒りを抑えつけて静かに口を開いた。
「ったく。だいたいこんな所で何をして遊ぶつもりだ?」
「ん? そんなの決まってるではありませぬか」
もう一人の星は右手を前に突き出して掌を開き、両眼を閉じて意識を集中した。すると彼女の右手の中に紅い棒状の光が出現したのでもう一人の星はそれを手に取ってブンッと振り抜いた。その勢いで紅い光は粒子となって空中で散り散りなり消滅する。そして光の中から出現したのは、色こそ全体が血のように真っ赤だが、それは星が愛用している槍。龍牙だったのだ。
「これで真剣勝負をしましょうぞ。あっ、もちろん刃は潰していませぬぞ」
「いや、そこは潰せよ。後そんな遊び物騒だからやめてくんない……?」
内容は中々に物騒だが会話だけだと親子に見えなくもない。ただ零治ともう一人の星は誰がどう見ても同年代同士なのでやはり親子には見えず、どちらかと言えば兄妹の方が近いかもしれない。事情を知らない人間が見ても同年代の片割れが相手の事を父と呼ぶのは異様な光景だし、知っていてもやはり異様だ。特に恭佳は複雑な心境で二人の様子を見ていた。
「う~ん……」
「恭佳。どうかしたんですか?」
「いやぁ、零治が本当に結婚して子供も出来たら、アタシもこういう光景を見る事になるのかなぁって思ってさ」
「まあ、そうなるんじゃないですか? 彼女は零治の娘ではないようですけど」
「星さんに先を越された。星さんに先を越された。星さんに先を越された……」
「お母さん。奈々瑠が壊れちゃったんだけど……」
「奈々瑠、大丈夫よ。あの娘は零治さんの実の子供じゃないんだからまだ先は越されてないわよぉ」
「はっ!? そ、そうですよねっ! まだチャンスはあるはずっ! こうなったら、機会を窺って夜中に兄さんの部屋に押しかけて既成事実を……っ!」
「おいそこぉ! なに怪し気な話進めてんだぁ!」
ただでさえ星がもう一人この場に出現した事で話がややこしくなっているというのに、奈々瑠が妙な対抗心を燃やして不穏当な発言をしていたので零治が怒鳴り散らしてそれを止めた。こんな状況ができた原因は零治にあるが、これ以上問題事が増えては困るだけだ。何しろ現時点で一筋縄では解決できそうにない問題が転がっているのだ。
「父上ー。早く遊びましょうよー」
「ええいっ! お前もいちいち抱きついてくるんじゃない!」
「ふ~む。しかし本当に彼女は何者なんですかねぇ? どうして零治の事を父親呼ばわりしているんでしょうか?」
「BDなら分かるんじゃないの? ……お~い。BD」
「あぁ? あんだよ? なんか用か?」
「アンタに訊きたい事がある。さっきから零治に纏わり付いてる趙雲は何者なのさ? なんか零治は趙雲の中に居るもう一人の趙雲って説明してたけど」
「アイツは趙雲の中に構築されかけていた魔導管を情報化し、媒材である相棒の血に移し替えて人となった存在だ」
「星の中に構築されかけた魔導管……っ!? BD、ちょっと待ってください! なぜそんな事が起きてたんですかっ!?」
「話すと長いんだよ。そっちの説明は今度別の機会にしてくれや」
「むぅ……まあいいでしょう。なら次の質問です。彼女が零治と星を親呼ばわりするのはなぜです?」
「ああ~、俺様も確証があるわけじゃねぇが、媒材の血には相棒と趙雲の物を使用している。そしてアイツはその血から生まれた。だから親って認識してるんじゃねぇのか?」
「無茶苦茶な理屈ですねぇ。なら後一つだけ訊きたい事があります」
「まだ何かあるのか? 今日はやけに質問される日だなぁ、おい」
BDは訊かれた事には基本的にちゃんと答えはするが、面倒くさがりな性格をしているため次々と質問をこうやってぶつけられてくると答えるのが億劫になるのだ。だが亜弥は後一つだけと事前に言っている。つまりこの質問に答えればこれ以上は質問されないはず。面倒ではあるが、後一つぐらいなら答えてやろう。そう考えたBDは両手を頭の後ろに組んで身体をユサユサと左右に振りながら気怠そうに口を開いた。
「はぁ。まあいいだろう。で、何が訊きたいんだ?」
「零治が星をもう一人創り上げた目的です。彼は何の理由があってこんな事を……」
「それは見てれば分かるさ。まあ、俺様の予想が正しければ、ここからもう一波乱あると思うぜ。何しろアイツは明確な自我を持っちまってるからな。ヒッヒッヒ……」
口角を吊り上げて邪な笑みを浮かべるBD。彼がこんな表情をするのは戦闘を純粋に愉しんでいる、あるいはそれに近しい出来事が目の前で起きている場合だ。今回は確実に後者になるだろう。ここからもう一波乱あるという事は、最悪の場合血を流すような出来事が起こる可能性がある。ただでさえ今は問題が山積みなのにこれ以上のトラブルは真っ平なのが亜弥の本音だが、零治ともう一人の星の存在の件に関しては彼に任せるしかない。亜弥は皆と一緒に祈るような気持ちで二人の動向を静観した。
「むぅ~……父上。私と遊んでくれないのならば何のために呼んだのですか」
「…………」
全く自分に構ってくれない零治の素っ気ない態度に、もう一人の星は口をへの字にして子供のように頬を膨らませて不満を露わにした。そんな彼女の様子に零治は何も言わず、ただ黙って正面から見据えるのみ。そもそも零治は彼女と遊ぶ目的など無い。もっと別の理由があって本物の星、それと彼女の愛用している龍牙から変異している部分を情報化して抜き取り、媒材の血に移し替えて人の形に仕上げたのだ。しかしこれもここからスムーズに事が進むとは零治も考えてはいない。だから最悪の事態は想定しているが、願わくばそうはならないでほしいと思っている。だが所詮は希望的観測。現実はそこまで優しくないのだ。零治は自分が抱いている希望は頭の片隅の置いておきつつ、本題の話を進めだした。
「お前を呼んだ理由を聞かせる前に質問したい事がある」
「何ですか?」
「お前は何の理由があってこの世に存在している」
「知れた事をお訊きになるのですな。理由などこの地に生きて探すまで。今の私はこの世界で己の人生を謳歌する。それが私の存在理由なのです」
「つまりこの世界に身を置く。それがお前の、今の生きる理由か」
「そうです」
「…………」
零治の質問に対してもう一人の星が出した答えは明確な内容ではなく漠然としたものだ。しかし特にやましいような点は見受けられない。遠巻きに様子を窺いながら話を聞いていた華琳や桃香、孫策や亜弥達は思っていた。だが零治は違う。もう一人の星が出した答えを聞き、やはり事態は最悪の方向に動くのだと確信しつつ口を開いた。
「悪いがそれを認めるわけにはいかないな」
「えっ? 父上、今なんと……?」
「お前がこの世界で生きる事は認められない。そう言ったのだ」
「そんなっ! なぜなのですか!? 父上っ!」
「オレがお前をこの地に呼んだ理由は一つだけ。お前にはあるべき場所へと還ってもらうためだ」
「私のあるべき場所はこの地ですぞっ! 他に還る場所などありませぬっ!」
「お前は血の魔導書から生まれたイレギュラーな存在だ。人間ではない。異質なお前はこの世界で生きていくのは無理だ。だからこそ、この世界から消えてもらうぞ……」
零治から告げられる無情な言葉。彼の言葉を聞いて亜弥達は察した。何の理由があって零治は星をもう一人創り上げたのかを。零治達はこの世界に留まる事が出来ない。そんな中で本物の星が神器使いとして覚醒してしまえば、それは新たの戦争の火種になりかねないだろう。だからこそ零治は彼女の変異している部分を情報化して抜き取り、もう一人の星にするという形を取ってそれを阻止したのだ。しかしこれだけでは不安の芽は摘み取れていない。星の変異は止められても変異の元が人という形でこの世界に留まっては意味が無いのだ。故にもう一人の星にはここで消えてもらわねばならないのである。だがその事情を知らないのと、共に戦ってきた仲間と全く同じ姿をしている人物を桃香や一刀は放っておけずに口を挟んできた。
「待ってください零治さん! 私にはその子が悪い事をするようには思えません! お願いですから考え直してくださいっ!」
「零治、俺も桃香に同意見だ。今の話を聞いた限りじゃ悪い子には俺も思えない。いきなり消えろだなんてそれはあんまりじゃないか」
「お前らは口を挟むな。それにコイツは姿形こそ星と同じだが、中身は異質な力を持った全くの別人だ。力の使い方も分からない奴は火遊びを覚えたガキと同じ。やがてそのガキはそこら中に火を点け回る放火魔に豹変する。コイツはそれだけ危険な存在なんだ……」
「……なるほど。あくまでも父上は私の存在を認めない。そう仰るのですな……?」
(ん? コイツ……雰囲気が変わった……っ!?)
もう一人の星が発した声は、先程までの天真爛漫で子供っぽさを彷彿とさせるものではなく、抑揚が無くて涼やかで冷静な声だった。声調こそ本物の星と遜色ないが、喋ると同時に発せられているプレッシャーが並大抵のものではない。零治はもう一人の星に警戒の眼差しを向けながら左手で叢雲の鞘を握り締めた。
「父上が考えを変えないのはよく理解できましたよ。しかし、私から言わせればそれはあまりにも身勝手ですな。私という存在を生み出したのは他ならぬ貴方自身ではありませぬか。父上……」
「…………」
「父上が私の存在を否定するというのであれば……私は生きる権利を力で勝ち取るまでだっ!」
「結局こうなってしまうのか。仕方ないな……」
もう一人の星は自分の手で創り上げた深紅の龍牙を零治に向かって突きつけて鋭く吠えると同時に、本物の星と同じように構えたのだ。つまり、彼女は零治と一騎打ちをして自らの力でこの世界で生きるための権利を勝ち取り、己の存在を周囲に認めさせるつもりなのだ。だがこれは零治としても望む所。面倒事ではあるが、この方がシンプルで分かりやすい。彼も最初から全力で行くのを示すように、叢雲の鞘を腰の専用ベルトから左手で引き抜いた。
「零治殿っ! 何をなさるのですか!?」
「星、口を挟むな。この件は元はと言えばオレが原因なんだ。その責任をこの場で取らなきゃならないんだよ……」
「父上、私にも譲れないものがある……。故に貴方が相手でも容赦はしませぬぞっ!」
「フッ。分かりやすくて結構な話だ。……いいだろう。ならばオレも遠慮無く行かせてもらうぞ。来いよ。この場で文字通り始末してやる……」
もう一人の星から放たれる気迫は本物の星と同等のレベル。その姿はまさに常山の昇り龍と謳われる趙子龍その人である。だがその姿を前にしても零治は不敵な笑みを絶やさない。所詮は紛い物。本物には遠く及ばないと見ているからだ。狼と龍の間より生まれた黒衣を纏う龍。その実力や如何なるものなのか。
零治「おい。何だこの回は。なんでオレが子持ちになってんだよ……」
作者「星の伏線をこういう形で回収したからですが?」
亜弥「また突拍子もない思いつきでやったんですか?」
作者「いいや。星に張ってた伏線に対して、もう一人の星を登場させるのは前々から考えてた」
恭佳「ならあのキャラは何だよ? なんで零治を父親呼ばわりしてるのさ」
作者「ここはオレもどうしようかと考えてさぁ。星と全く同じキャラにしたら会話の時区別が難しいだろ? 絵が無いから」
亜弥「確かに」
作者「で、もう一人の星が誕生した経緯を踏まえて、こういうキャラにした方が分かりやすいと思ってな」
恭佳「なるほどねぇ。……零治、手のかかる娘を持っちまったねぇ」
零治「だからアイツはオレの娘じゃない!」
奈々瑠「……兄さんっ!」
零治「っ!? な、何だ……?」
奈々瑠「私も兄さんとの子供が欲しいですっ! 今から子作りしましょうっ!」
零治「はあっ!? いきなりなに言って……って、おい!? なに上着脱いでんだ! 後こっちに来るなっ!」
奈々瑠「兄さん! 逃げないでください! すぐに終わりますから!」
臥々瑠「お母さん。奈々瑠がこっちでも壊れちゃったよ……」
樺憐「臥々瑠は追いかけなくていいのぉ? 貴方も零治さんとの子供が欲しいでしょう?」
臥々瑠「……黙秘しとく」
樺憐「あらあら。なら子作りだけでも楽しんだら――」
作者「だーっ! 樺憐さんっ! それ以上はダメですよっ!?」
亜弥「相変わらず騒がしい場所ですね」
恭佳「全くだ。では今回はこの辺で。次回をお楽しみにな!」




