第98話 大陸に持ち込まれた災厄
ひとまず原作ストーリーはここで一旦終了。ここから先は完全なるオリジナルの展開を見せていきます。どうぞお楽しみに。
「くぅぅ……っ。さすが武神と謳われる関雲長。劣勢でありながら手強く抗うか……!」
「当たり前だ! 私は桃香様とご主人様の矛! 例え最後の一人になろうとも、負けるわけにはいかんのだ!」
戦況は決して芳しくない。オマケに黒狼達は不在。この絶望的状況であるにもかかわらず魏武の大剣と謳われる春蘭に肉薄するは五虎将の筆頭である関羽だ。その闘志の源は敬愛する主君である劉備と北郷一刀を、そして国を護る想いから。敵であるが関羽の想いは春蘭も理解できる。自分も同じ立場ならば、華琳のために最後の一人になろうとも命を投げ出す覚悟で一人でも多くの敵を道連れにし、息絶えるその瞬間まで戦い抜くだろう。
「その志……分からんでもない。しかし貴様の剣、曹孟徳のために折らせてもらおう……!」
こんな状況でなければ、関羽とは良いライバル関係を築けたかもしれない。その事を少々残念に思う春蘭だったが、それはそれ。これはこれだ。今やるべき事は、眼前に立ちはだかる全ての敵を倒す、それが春蘭の役目なのだ。
「関羽、無事か!」
「孫策殿か!」
「……ちっ。流石にこの二人相手は……」
いくら百戦錬磨の春蘭といえど、軍神と謳われる関羽、それに戦狂いとして有名な孫策の二人を同時に相手にするのは骨が折れる。ここまで来た以上敗けるつもりはないが、もう後が無く追い詰められた相手は何をするのか予測が出来ない。つまり最悪の場合は自分が死ぬ可能性すら出てくる。となると、こちらも同じように同等の実力を持った将兵がもう一人居てくれれば何とかなるのだが、都合の良い事にその頼もしい援軍が来てくれたのだ。
「関羽! 見つけたでぇっ!」
「その偃月刀……! 張遼か!」
「応よっ! 張文遠から逃げられると思ったら大間違いやで、関羽!」
「良い所に来た! 霞、関羽の相手を!」
「言われんでもやったるわい! 関羽! 今度こそウチと決着つけてもらうでぇっ!」
「なら、私は……」
「……私が相手をさせてもらう。ふふふ……孫策、貴様と剣を交えてみたかったぞ!」
武人として関羽とも雌雄を決したい願望はあるが、その関羽の相手は彼女をとことんまでライバル視している霞に譲り、春蘭は孫策の相手を買って出た。これまで孫策とは何度か刃を交えてきたが、結局最後まで決着がつく事はなく、いつもウヤムヤな形で終わっていたのだ。今の状況はその決着をつけるのにおあつらえ向き。春蘭の中に流れる武人としての血が久しぶりに滾り、ここに来て内なる闘志が極限まで高まった。
………
……
…
「もう降参しろ! ちびっこ!」
「何おぅ! そっちこそ降参しろ、ちびっこ!」
「ちょぉぉぉぉりゃぁぁぁぁっ!」
「うりゃりゃりゃあああああっ!」
劉備軍本陣の護りの最後の砦の一つでもある張飛隊にいち早く接敵した季衣はというと、それこそ反董卓連合時から犬猿の仲である張飛と激突し、季衣はさっさと倒そうと岩打武反魔を振り回すが、張飛も負けじと蛇矛を振るって飛来してくる鉄球を弾き返して一進一退の激しい攻防戦が続いていた。今の所季衣が敗けるような様子は見当たらないが、彼女の援護のために来た奈々瑠と臥々瑠は後ろから見ていてどうしたものかと困っていた。
「……ねえ、奈々瑠。季衣、助けた方がいいのかな?」
「別に必要無いんじゃない? 見た所他に指揮官クラスの武将も見当たらないから。それに余計な事をして一騎打ちの邪魔をするなとかギャーギャー言われるのも嫌だしね」
「それはそうなんだけど……これじゃアタシら何のためにここまで来たのか分からなくなるよ」
「今はとりあえず季衣さんの様子をこのまま見守るわよ。もしも横槍を入れるような奴が現れたら、そいつらを優先的に倒していけばいいわ」
援護のためにここまで来たが、その対象である季衣は今の所いつも通りに奮戦している。いや、寧ろ仲が悪い張飛を相手にしているおかげでいつも以上の実力を発揮しているようにさえ見えた。現状では季衣の助けに入る必要はないだろうが、無粋な兵士が余計な横槍を入れようとしてくる可能性はある。そういう輩が現れた時のために対処できるようこの場に留まるのが良い選択だろう。今はただ、季衣と張飛の一騎打ちの様子を静観しながら周囲の警戒をしておけば充分だと奈々瑠は判断し、臥々瑠と共にここに留まる事にした。
「投降した兵士を攻撃する事はまかりならん! しかし、刃向かってくる者には容赦するな!」
「秋蘭様、敵の増援が……!」
「……増援にしては遅いな。城内の護衛部隊が、一足遅れで支援に来たという所か……?」
流琉から敵の増援部隊の出現の報告を受けるが、秋蘭は相手の動きが遅い点に疑問を感じていた。単純に考えれば向こうが対処に向かうために動くのが遅かったから。そう考えるのが妥当なのだろうが、弓使いである秋蘭はもう一つの可能性を考えていた。動きが遅いのはワザと。そうする事で部隊の持ち味を最大限まで発揮できる可能性、それを確かめるために秋蘭は矢を一本弓に番えて素早く弦を引き絞り、こちらに向かってくる増援部隊に射撃してみた。
「秋蘭様?」
秋蘭の突然の行動に流琉は不思議そうにしていたが、矢を放った秋蘭は見落としていなかった。自分が放った矢は敵部隊まで届かなかったのだ。原因は飛距離が足りなかったからではない。向こうの弓使いがこちらの矢を撃ち落としたのだ。劉備軍でそんな芸当が出来る人物、秋蘭の中に心当たりは一人しか居なかった。
「撃ち落とされたか。……なるほど。ようやくお出ましか、黄忠!」
「夏侯淵! 貴方達を自由に動かす訳にはいかないの! 足止めさせてもらいます!」
「……へぇ~。秋蘭の支援に来たら、見覚えのある奴が居るじゃないか」
「なっ!? 貴方は……っ!」
秋蘭と流琉の指揮する部隊の後方に立つ一人の人物。その者の顔を見るなり黄忠は驚愕した。現れたのはソウルイーターを肩に担ぎながら不敵な笑みを浮かべている恭佳である。彼女は兵を率いておらず単独でここに来ているが、兵を率いていようがいまいが恭佳という存在が今の劉備軍にとってどれほど厄介な存在なのかは言わずもがなだ。
「恭佳。なぜお前がここに?」
「華琳の指示さ。アンタらの支援に行けってな」
「そうか。助太刀感謝する」
「気にすんなって。……よお。黄忠。定軍山以来じゃねぇか」
「まさか魏の御遣いまで来るとはね……」
「フフフ。アタシが怖いんなら、黒狼達に助けを求めたらどうだ? 呼べるものならな……」
「っ!?」
恭佳の意味深な言葉に黄忠は嫌な予感を感じた。だが出来るだけ平静を装ってこちらが抱えている最悪の問題を悟られないように振る舞うが、どちらにせよ今の状況がよくない事に変わりはない。一人とはいえ魏の御遣いがこの場に現れたのだ。何としてもここで食い止めなければ、更に被害が拡大してしまうだけである。
「流琉、隊の指揮は任せてよいか? 黄忠の相手は私が引き受けた」
「はい。分かりました! 秋蘭様仕込みの用兵術、答えは後の報告で!」
「うむ。期待させてもらおう。……恭佳、お前も流琉と共に周囲の兵の掃討を頼む」
「はいよ。任された。秋蘭、必ず勝てよ?」
「ふっ。お主に言われるまでもない」
魏の御遣いの一人である恭佳の相手はせずに済んだが、これはこれで悪い状況である。一刻も早く自分の足止めにかかっている秋蘭をどうにかしなければ、流琉と共に周囲の兵の掃討を行う恭佳を止める事が出来ない。そうなれば被害の拡大に歯止めがかからなくなる。秋蘭の隊の足止めに来たつもりの黄忠には、とんでもない難問が降り掛かってしまった。
「くっ! 早く彼女を止めないと被害の拡大が……っ!」
「二人の邪魔はさせんっ! 黄忠、貴様にはここで私の相手をしてもらうぞ!」
………
……
…
「星! 加勢に来たぞ!」
「要らん!」
「要らんって、お前なぁ!」
場所は変わってこちらは星が率いている部隊が担当する戦地。公孫賛の部隊が援軍として到来したというのに、星はそれを突っぱねたのだ。普通なら感謝こそされど突っぱねられる筋合いはないはず。というより、公孫賛から言わせるとどう見ても助けが必要な状況に思えたのだ。
「はあああああっ!」
「見ての通りだ。こちらに痛打は入っておらぬ」
「てえええええいっ!」
星は凪、真桜、沙和の三人を同時に相手にしているのに、ここは実力差故なのだろうか。星は凪と真桜の巧みな連携攻撃を物ともせず、まるで舞でも舞うかのように流麗な動きでヒラリヒラリと躱して余裕の姿を見せていたのだ。
「いや、だからって。どう見ても三対一で大変そうじゃないか……」
「えーーーいっ!」
「とうっ!」
「きゃんっ!」
沙和も奮戦するが、星が放ったカウンターの蹴りの一撃を受けて情けない悲鳴を漏らして地面に尻もちをついてしまった。公孫賛は大変そうだと指摘してるが、本人はどう見ても大変そうに見えない。逆にまだまだ余裕だと言わんばかりの様子ですらある。だが、その余裕を一瞬にして打ち砕く人物が単独で到来してしまった。
「全く。警備隊の小隊長が三人揃って情けない姿を晒して……」
「亜弥様っ!? なぜこちらに!」
「なぜって、華琳の指示で貴方達の支援に来たんですが……何なんですか。揃いも揃って無様な姿を見せて」
「いやだって、この姉ちゃんめっちゃ強いもん」
「言い訳は聞きたくないですね。やれやれ。ここに来たのが私で良かったですね。もしも今の姿を零治に見られたら、後でどんな小言を言われるか分かったものじゃないですよ?」
「あう……決戦の後に隊長の小言なんて沙和は聞きたくないのー……」
ここまで死ぬ気で頑張って戦い抜いてきたのだ。蜀との決戦が終わって無事に生還した後に小言なんか聞かされても全く嬉しくはない。寧ろ逆によくやったと褒めてもらいたいくらいなのだが、星を相手にこんな醜態を晒してしまっているのだ。褒められる要素はどこにも無いが、今の姿を零治に見られてなくてよかったと凪達三人は内心安堵していた。
「まっ、決戦が終わったらこの件は零治にキッチリ報告はしますがね」
「ちょっ!? 姉さん、それは堪忍してやーっ!」
「それは貴方達の今後の働き次第ですね。さて、おふざけはここまでです。三人共下がってなさい。彼女の相手は私が引き受けましょう……」
凪達との会話で見せていた亜弥の穏やかな表情は一瞬にして消え、代わりに表情に影を落としながら星に鋭い眼光を向けたのだ。その表情は神威亜弥という一人の女性の物ではない。五色狼が一人、白狼の表情である。亜弥は弓形態の双龍を左手に携えながら一歩ずつゆっくりと前に進み出て星に対峙した。
「久しぶりですね、星。貴方とこうして直接顔を合わせるのは、反董卓連合以来になりますか」
「亜弥殿。まさか貴方が来るとは思ってもいませんでしたよ……」
星は亜弥の動向を警戒しつつも周囲に視線を走らせ、他にも誰か居ないのかを確認した。これには、この場に現れた魏の御遣いが亜弥以外にも居る可能性が考えられる。星はそれを確かめたかっただけだが、彼女のこの行動にはもう一つ意味がある。その胸中を見透かしたかのように亜弥はそれを言い当ててみせた。
「零治ならここには居ませんよ」
「っ!」
「彼は私達の主の警護に就いている。一番強い人間が王の守護をするのは当然の事では?」
「そう、ですな……」
「ふむ。私が相手では不服ですか? ……ならば金狼をこの場に呼べばいい。そうしてくれれば私は奴の相手をしてあげますよ」
「…………」
「どうしました? 誰かに助けを求めるのは別に恥ではありませんよ? それとも……呼びたくても呼べない事情があるのですかな……?」
「亜弥殿。まさか貴方は……」
「ええ。理由までは分かりませんが、黒狼達が不在なのはもう知っているのですよ。でなければ、私が一人でわざわざこんな所まで出張るわけ無いでしょう……」
「なるほど。何もかもお見通しの上でここまで来られたのか。全く。やはり貴方達を敵に回すのは恐ろしいですな」
星はやれやれと自虐的な笑みを浮かべて首を小さく左右に振った。こちらが最後まで隠し通したかった問題を見抜かれてしまい、亜弥がここに現れたのだ。だが星はいつかはバレるだろうと心のどこかで思っていたが、こんなにも早くにバレてしまったのは予想外だった。状況は最悪だが、星はこの状況を愉しんですらいる。相手が零治ではないのは残念だが、それでも魏の御遣いの一人と闘う事が出来るのだ。星は亜弥に対して武人としての敬意を払い、彼女と闘う意志を示すかのように龍牙を構えた。
「伯珪殿! 私が亜弥殿を食い止める! 兵の指揮を頼むぞっ!」
「いやいや! お前相手は天の御遣いの一人だぞ!? 星一人でどうにかなる相手じゃないだろ!」
「なら、伯珪殿が彼女の相手をなさるか?」
「無茶言うなよっ! 私なんかが魏の御遣いを止められるはずないだろっ!?」
「そういう事だ。この絶望的状況でも、伯珪殿の指揮ならいくらか盛り返せる気が万に一つもしないでもない!」
「どんだけ消極的な期待だ! ……あーもう! やるよ、やってみせるよ! いつまでも残念な私じゃないぞ!」
「うむ。そう願おう。……伯珪殿の万に一つあるか無いか微妙な所の覚醒に賭けてみるのも一興だ」
星の言葉の一つ一つは誰がどう聞いても仲間に檄を飛ばす言葉とは思えない。どう考えても貶しているだけである。これは星の性格に捻くれた部分があるためなので蜀の面々から言わせると見慣れた光景なのだが、事情を知らない亜弥達から言わせると、驚きを通り越して呆れるの一言に尽きる。何とか場を盛り返そうと仲間に檄を飛ばしているはずなのに、この言い方では逆効果なのではないかと思ってすらいた。
「星。貴方は公孫賛を何だと思っているんですか……」
「おおっ。良かったですな、伯珪殿。魏の御遣いの一人である亜弥殿は、影が薄い貴方の名をご存知のようだ」
「うぅ……こんな時まで人が気にしている事を……っ! うー、くそぉ! 残念じゃない! 私は残念じゃないぞー!」
「……頭痛がしてきましたよ」
まだ闘ってすらいないというのに、星が公孫賛を弄り倒す光景を前にして亜弥は右手で頭を押さえながら俯いていた。それどころかいま目の前に立つ人物は本当に自分が知る星と同一人物なのかと疑ってすらいたが、紛れもなく同一人物なのだ。まあ、言い方はアレだが、公孫賛がやる気を出してくれたのは事実。彼女はこれ以上弄らせはしないと言わんばかりに剣を振りかざし、兵達に指示を飛ばした。
「総員、周りの敵から片付ける! 残念な公孫賛隊を返上するぞ! 突撃ぃ!」
「凪! 真桜! 沙和! 公孫賛の相手を頼みますっ! こちらは私が引き受けました!」
「はっ!」
「がってんや!」
「任せてなのーっ!」
「亜弥様、ご武運をっ!」
凪の最後の言葉に亜弥は返事こそしなかったが、背中でちゃんと返答はしていた。音無警備隊が発足してからもう長い付き合いになるが、当時はまだ未熟だった三人も今では立派な将兵に成長している。星との闘いでは無様な姿を晒していたものの、命は落としていない。それだけでもよくやったと褒めてやりたかったが、今はまだその時ではない。全てはこの決戦の決着をつけた後だ。でなければ、三人のためにもならない。自分達に課せられてる結末の事を考えれば尚更だ。亜弥は気持ちを切り替え、メガネを外してコートの下に仕舞い、右手に魔力を集中して矢を一本生成し、双龍の弦に番えていつでも闘えるように臨戦態勢に入った。
「さて……ではこちらもそろそろ始めましょうか……」
「……亜弥殿。眼鏡を外しても前がちゃんと見えるのですか?」
「ええ。私はもともと眼がいいんですよ。良すぎるくらいにね。このメガネはその視力を抑えるために使ってるに過ぎない……」
「なるほど。だから定軍山であれ程の狙撃が出来たというわけですか。そしてそれを外したという事は、最初から全力で来るという意味ですな……」
「そういう事です。星、この決戦に勝ちたければ、私と刺し違えるくらいの覚悟で臨む事です。貴方の主に勝利を掴ませたいのならばね……」
「ご忠告痛み入りますな。……では、趙子龍…………推して参りますっ!」
天の御遣いと称される人物と刃を交える事が出来る。相手が零治ではないにしても、星にとってこれほど嬉しい事は無いだろう。武人として己の実力がどこまで通じるのか試したくなるというもの。しかも亜弥と刃を交えるのはこれが初めてだ。星の中からは零治と闘えないという残念な気持ちは完全に消え失せ、亜弥の実力がどれ程のものなのかを早くこの身で感じてみたい。その欲求が闘志の炎を燃え上がらせ、龍牙を手に亜弥に突撃していった。
………
……
…
「……ここまで来て、押し返されるか」
本陣から戦場を見つめる周瑜は誰に言うのでもなく呟いた。魏の御遣いが予想以上に早い段階で出撃したせいでこちらの作戦は当初の予定通りに進める事が出来ず、逆にこちらが痛手を負わされる結果にはなったものの、それでも魏軍の兵力を確実に削ぎ落とし、圧倒的な差があった兵力を互角にまで持ち込んだのだ。しかしそれでも結果は見ての通りだ。逆転するどころかこちらが押される一方。この状況は最早、奇跡でも起きない限り引っくり返る事は無いだろう。
「相手の虚も、こちらの勝機も、兵の鍛錬も完璧でしたけど……」
「……そうですね。しかし、その完璧さ、そして勝てるかもしれないという油断が、私達に僅かな慢心を生んだのかもしれません……」
鳳統と諸葛亮も、確実に敗北に進みつつある今の戦況を前にしてどこに落ち度があったのか、何が敗因に繋がってしまったのかを確かめるように自問自答していた。この決戦が始まる直前まで、兵の鍛錬は完璧に仕上げていた。相手の虚を突く作戦にも問題は無く、そこから勝機に繋がる道筋も見えていた。だがその全てが潰されてしまった。魏の御遣いが予想を裏切って出撃してきたという誤算はあったが、それでも修正は可能な範囲だった。そう。黒狼達が居れば。
「そして相手は、連続する戦いに追い詰められて、その闘争心を剥き出しにした……」
「私達の背水の陣を破るため、そして自軍に本気を出させるための、あの苦戦と犠牲だったという事ですか……?」
呂蒙と陸遜の疑問に答えられる人物はここには居ない。居るとすればそれは魏軍を支えている三軍師である桂花、稟、風だけだ。諸葛亮もこの点には疑問を感じていたが、やはり自分で考えても答えは見つからない。だが、一つだけ分かっている事がある。呂蒙と陸遜の疑問に答えるようにその点を伝えた。
「それは荀イクさんや程イクさんに訊いてみないと分かりませんけど。……でも、曹操さんはそういう案を出されても、判断の出来る人です」
「劉備や北郷には無理だな、その判断は」
「はい。……もっとも、それが桃香様とご主人様のいい所でもあるんですけどね」
………
……
…
「みんな…………」
「桃香……」
本陣内で憂いを帯びながら前線を見つめる劉備。最後の戦いの火蓋が切って落とされてからというもの、敵味方と多くの兵士がその命を戦場で散らしている。その隣に立ち、彼女の支えとしてこの場に居る一刀も胸が締め付けられるような思いに駆られていた。勝てる可能性はゼロではないにしても、それこそ奇跡とも言えるほどに低い確率だ。だが逃げ出す訳にはいかない。関羽を始めとした多くの将兵が自分達のために、危険も顧みずに戦い続けている。頼みの綱だった黒狼達も行方知れずだが、それでも戦いを最後まで見届ける。それが王としての責任。しかしそれも束の間。劉備軍本陣にも、遂に危機が訪れたのだ。
「きゃあっ! な、なんで貴方が……っ!」
「……勝負はついたようね、劉備」
孫尚香を弾き倒し、華琳が劉備軍の本陣に姿を見せたのだ。誰もが予想も出来ない事態である。魏軍の将兵の誰かが本陣に乗り込んでくる事はあったとしても、敵軍の大将自らが本陣に乗り込むなど非常識どころの話ではない。目の前の光景に誰もが眼を丸くして驚いていた。
「え……? 曹操さん……っ!?」
「大人しく投降なさい、劉備。さもなくば、貴方の大事な関羽や張飛まで命を失う事になるわよ?」
「大将が敵陣に乗り込むなど……一体どういうつもりだっ!」
「どうもこうも。他に本陣に乗り込める子が居なかっただけの事よ。……使える駒が無いのなら、王を使えば良いだけ。違う?」
孫権の問にも華琳は涼しげに返した。実に彼女らしい返答だ。実際、春蘭を始めとした魏軍の主力メンバーは全員、蜀の主力の将兵の対処に当たっており、本陣に乗り込む余裕など無いのだ。つまり、現状で魏軍の中で自由に動けるのは華琳の本隊だけなのだ。だからこそ、王自らがここまで来たのである。
「でも、こっちにはまだたんぽぽ達が……!」
「ふふ……威勢がいいわね。でも、この二人を前にしても同じ台詞が言えるかしら?」
華琳の後に続くように現れた二つの人影。零治と樺憐の二人も無言でこの場に現れ、華琳を護るように彼女の両脇に控えた。魏の御遣いが二人も、それも実力が最強とまで言われている零治と樺憐の二人である。二人の強さを嫌でも知っている者が守備隊として蜀軍の本陣に詰めている将兵ばかりなので、零治と樺憐の二人の姿を見るなり、全員が表情を青ざめさせていた。それは劉備と一刀も例外ではない。その様子をタバコを口に咥えて煙を吹かしながら見回した零治は落胆したような視線を彼女達に向けた。
「フーー……。やれやれ。こっちの本陣の守備隊は、どいつもこいつも取るに足らん連中ばかりだな……」
「零治さん。それは言いすぎですわよ。彼女達も仮にも歴戦の英傑達なのですから」
「まさか……あの黒き閃光が本陣まで乗り込んでくるとは……っ!」
「舐めるな曹操! ここまで来た事を後悔させてやるっ!」
「あ、バカっ!」
劉備に心酔している魏延はこの状況にも臆する事なく、愛用している大型の棍棒、鈍砕骨を振り上げながら華琳に挑みかかった。蒲公英が魏延を制止するもその言葉は彼女の耳には届かない。魏延はここで華琳を討つ事で魏軍が総崩れになる。そういう考えがあって挑んでいるのだ。当然ながら華琳も相手がその考えから行動するのは予測済み。だからこそ最強の護衛を二人もつけてここに居るのだ。役目が来たと言わんばかりに、樺憐が静かに華琳の前に進み出た。
「零治さん、ここはわたくしが」
「ああ。一撃で黙らせてやれ」
「承知。……はあっ!」
「ぐあああああっ!」
樺憐は魏延が棍棒を振り下ろすタイミングに合わせてお得意の格闘術を披露し、高速の回し蹴りを鈍砕骨に叩き込んで魏延ごとそのまま吹っ飛ばしてやった。まさにあっという間の出来事。遠巻きに見ていた劉備や一刀、守備隊として詰めている蒲公英達も何が起きたのか全く理解できていない。そんな彼女達の様子をよそに、樺憐はバサッと髪を掻き分けて優雅に佇み、地面の上にのびている魏延を見ながら口を開いた。
「貴方のような三下如きがわたくし達の王に触れられると思うな。雑魚に用はありません。死にたくなければ道を開けなさい……」
「嘘……焔耶が、一瞬で……?」
孫尚香は目の前の光景が未だに信じられずにいた。魏延はまだ未熟な部分があるため、劉備軍の中でも実力は下の方の扱いだが、それでも将兵として確かな実力者。それこそ魏軍の季衣や流琉のようなパワーファイターなのだ。そんな人物が一瞬にして、しかも一撃で倒されてしまった。樺憐の行動は相手の出鼻をくじくどころか戦意を完全に喪失させるほどである。その様子が面白いのか、零治が笑いを堪えるように身体を震わせていた。
「おいおい。樺憐、今のはやりすぎじゃねぇのか?」
「零治さん、ああいった輩はこれぐらい痛めつけた方が良い薬になるのですわよ」
「バカに付ける薬は無いとも言うぞ」
「ふふっ。これで理解できたかしら? 貴方達程度の実力では、我が曹魏の御遣い達を止める事など不可能だという事が」
華琳の言葉の前に誰一人として何も言う事など出来やしない。劉備軍の本陣に詰めている守備隊は蒲公英、魏延、孫権、孫尚香、甘寧だが、このメンバーの中に零治と樺憐の二人を止められる実力の持ち主は居ないのだ。現に樺憐の手によって魏延は一撃で倒されてしまっている。今の劉備軍にこの状況を打開する手段は無い。決戦が始まる直前まであった切り札を失ってしまっているのだから。劉備達はこの件をまだ隠せているつもりでいるのだろうが、それも最早無意味だという事を思い知らせるべく、零治は劉備に冷ややかな視線を向けて言い放った。
「劉備。この状況を打開したいのならば、黒狼達をこの場に呼ぶ以外に方法は無いぞ。さっさと呼んだらどうなんだ……?」
「…………」
「どうした? なぜ呼ばない? ……フッ。いや、呼ばないんじゃない。呼びたくても呼べないんだろ? 理由は分からんが、奴らは忽然と姿を消しちまったらしいからな……」
「えっ! そんな、どうして……っ!?」
「こちらを甘く見たな。ウチの二人の御遣いが城に潜入して秘密裏に調べ上げたのさ。お前らが黒狼、金狼、銀狼という切り札を失ってる事はもうバレてんだよ……」
「そういう事よ。劉備、そちらの切り札である天の御遣い達が全員居ない今、貴方に勝ち目は一切無いわ。これ以上大事な仲間を死なせたくないのならば、降伏する以外に選択肢はないのよ」
「……いや、華琳。まだ一人残っている奴が居る」
「何ですって?」
零治は口に咥えているタバコを足元に吐き捨てて靴底でグリグリと踏みにじり、劉備達に視線を向けると叢雲を抜刀して右手でクルクルと弄ぶように回転させながら鋭い切っ先を突きつけた。陽光を受けて煌めく叢雲の刃。その切っ先の先に立っている人物。それは……。
「お前だ。一刀……」
「お、俺ぇっ!?」
「そうだ。お前も天の御遣いに数えられている一人。だからこそ……同じ天の御遣いとして、ここでオレとサシで勝負しろ」
「何だって……?」
「魏と蜀。双方の国に降り立った天の御遣い。天の加護を真に受けている国はどちらなのか、この場でハッキリさせ、この決戦にも幕を下ろそうじゃないか」
零治の口から告げられたとんでもない申し出。一刀に自分と一対一で勝負しろと言ってきたのだ。確かに零治の言う通り、一刀も蜀に、劉備の元に降り立った天の御遣いの一人として数えられている。だから劉備軍は天の御遣い全員を失った訳ではない。劉備軍にとって零治達への対抗手段が蜀の天の御遣い達なのならば、一刀もそれに含まれる。だからその切り札を今ここで使えというのだろう。
「一刀、お前は華琳と劉備の舌戦を見て、何を感じた……」
「何って……いきなりなんだよ?」
「彼女が掲げる理想を実現させてやりたい。そう思わなかったのか?」
「…………」
「オレは、華琳が描く大陸の未来……それを実現させてやりたい。そのためならいくらでも戦える。そう思えた。まさかお前は、その程度の覚悟も持たずにここに居るわけじゃないだろうな……?」
「そんな事はないっ! 俺だって、桃香の理想のために協力を惜しんだりしない!」
「ならば闘え。そして、お前の天の御遣いという肩書が、ただのハリボテではないという事を今ここで証明してみせろ」
零治と一刀の会話を華琳は後ろで興味深げに、劉備達はハラハラとした表情で見守っていた。一刀が零治と一対一で勝負をするなど、無謀どころかただの自殺行為だ。一刀は零治と違って普通の人間なのだ。知識面では自分が生きてきた世界の情報を提供して劉備達を支えてきたが、戦いにおいてはからっきしである。誰が見ても勝ち目など無い。そんな事は本人だって分かっている。だが、ここで逃げ出してしまえば、劉備のために協力を惜しまないと言った言葉は嘘になり、天の御遣いという肩書も本当にただのハリボテなのだと自分で認めてしまう事になる。一刀にも意地がある。彼は両手をギュッと強く握りしめ、表情を引き締めながら零治を正面から見据えた。
「いいだろう。その勝負、受けて立つっ!」
「フッ。良い返事だ。腰に下げてるその剣がただの飾りじゃない事を願うぜ?」
「ご主人様っ! 無茶だよ!」
「桃香。言われなくても分かってる。だけどここで逃げるわけにはいかない。もし逃げ出したら……俺は今まで桃香やみんなのために協力してきた事、その全てを自分で否定する事になる。それだけは絶対にやっちゃダメなんだよっ!」
「ご主人様……」
「思春、たんぽぽ! みんなを呼んできて! このままじゃ、一刀が……!」
「承知!」
「分かった!」
「ククク。愛されてるな、一刀。全員がここに集まるまで保ち堪えてみせろよ……?」
零治は孫尚香の命を受けて本陣内から走り去っていく甘寧と蒲公英を横目で見送り、叢雲をクルクルと回転させながらゆっくりと鞘にしまい、右手を柄にかけていつでもお得意の居合が放てるように佇んでいた。構えとは程遠い立ち姿だが、誰が見ても分かる。今の零治には隙きがどこにも無い事を。一刀も元いた世界で剣道を学んでいる身だった。だからそれが分かる。初めて見る零治の姿に一刀は思わず息を飲むがその恐怖心を気合で押し殺し、護身用という名目で蜀の名匠に造らせた無名の剣を鞘から引き抜いて剣道で言う所の正眼の構えを取り、零治に対峙した。一刀が持つ剣は諸刃ではあるが刃の太さは日本刀に近い物だ。劉備の家宝の剣、靖王伝家にも似た装飾が刃の腹の部分に施されており、まるでお揃いの剣みたいだった。
「一刀。やるからにはオレを殺すつもりで来い。その剣でオレを討ち、曹魏の兵達に声高らかに宣言すればいいさ。それが出来ればお前ら蜀の勝利は約束されたも同然だ」
「……俺はそこまでする気はない。だけど零治、俺が勝ったらその時は……桃香のために曹操と一緒に力を貸してくれ」
「ケッ! 実に甘ちゃんらしい提案だな。砂糖のように甘ったるくて吐き気がするくらいにな。まっ、それがお前ら蜀の流儀なら、そうしてやろうじゃないか。勝てたらの話だがな。……華琳、お前はどう思う?」
「ふふっ。面白いじゃない。良いでしょう。もしも零治に本当に勝てたら、その時は私も協力してあげましょう」
「そうか。悪いな。勝手に話を進めちまって」
「何を今更。……零治、やるからにはこの決戦の最後を飾るのに相応しい闘いを劉備達に見せてやるのよ」
「こっちは言われなくてもそのつもりだが……それは向こうの頑張り次第かもな。なあ? 一刀……」
「…………」
「さあ、ケリをつけようぜ……」
「ああ。……勝負だ! 零治っ!」
………
……
…
「でやああああっ!」
「くぅっ!」
霞は裂帛の気合と共に飛龍偃月刀を振るい、高速の連撃を放って軍神と謳われるあの関羽をものの見事に押し返していた。決戦が始まってから連戦続き。以下に百戦錬磨の英傑といえどそろそろ疲労が蓄積し始める頃合いだ。だが霞はそれを全く感じさせないほどの身のこなし。長きに渡って関羽をずっとライバル視して、獲物も彼女の青龍偃月刀を真似た物にしているのだ。そしてようやく巡ってきた関羽との対決。その喜びが今の霞をここまで突き動かしているのだろう。
「何や! 関雲長もその程度か! ウチを失望させんといてんか!」
「まだまだっ! 貴様こそ、身のこなしが甘くなり始めたぞ! でええええええいっ!」
敗ける訳にはいかない。ここで敗けてしまえば全てが終わる。劉備と一刀のためにもと、関羽も気合だけで身体を持ち直して霞に斬りかかった。関羽も霞同様に疲労が身体に溜まり始めている。身体のコンディションは双方共に五分五分の状態。となると勝敗を分けるのは武人としての力量だけでなく、想いの強さがどこまで身体を動かしてくれるかにかかってくるだろう。
「なるほど……! 官渡で戦っていれば、これだけの太刀筋が来たわけか……!」
「あの時と同じにされては困るわねぇ~」
春蘭と孫策の一騎打ちも昔とは比べ物にならないものだ。まだ江東が袁術の支配下に置かれていた頃の孫策は、戦においても決して本気を出してはいなかった。官渡の戦いでも春蘭と刃を交えてはいたが、当時の彼女は袁術の命令に従って動いていただけ。心の底から仕えていない人物のためになぜ本気を出す必要があるのか。そんな考えから当時の孫策は手を抜き、防戦に徹していたのだが今は違う。今は奪われた祖国をもう一度この手で取り戻すために戦う。全力でだ。
「今の私の剣術は袁術なんかのためじゃない……孫呉の誇りを、私自身の誇りを守るための剣! はあああああっ!」
「ぐぅ……やるっ! だがっ!」
戦狂いとまで言われる程の強さを誇る孫策の今の太刀筋は並大抵のものではない。高速の連続斬りを春蘭が持つ七星餓狼に打ち込むと、魏武の大剣と称される彼女も押し返すが、春蘭もここで退いたりはしない。華琳の描く天下統一まで後一歩の所まで来ているのだ。必ず勝つ。その想いを胸に秘めて体勢を立て直し、孫策に斬りかかろうとしたその時だった。彼女達の一騎打ちに割って入り、蒲公英が本陣から駆けつけてきたのだ。
「愛紗! 孫策さん! ご主人様が……っ!」
「どうした! 何があった!」
「音無さんと城門の前で一騎打ちを……!」
「む……無茶な! ご主人様が音無に勝てるわけがない……っ! ええい! 孫策殿!」
「ええ。あの男が相手なら、せめて関羽か呂布……私じゃなくては手も足も出ないでしょうね」
「張遼……」
関羽は霞に懇願の眼差しを向け、その眼はこう語っていた。頼む、行かせてくれと。敬愛している主の危機なのだ。霞としてはまだまだ一騎打ちを続けて関羽を倒したいのが本音だが、今の関羽と闘って勝っても本人も嬉しくも何ともない。今の関羽は主の危機に一刻も早く駆けつけたい。それしか頭に無いのだ。つまり、本来の実力を発揮できない相手との闘いに継続する価値など無い。それに関羽の懇願の眼差しを見て完全に興が削がれたのだ。霞はやれやれと言わんばかりに嘆息した。
「ったく。そんな顔されたら興醒めやな。ええで。やる気失せたわ。どこへなと行き」
「……すまん。行くぞ、孫策殿」
「ええ」
関羽は孫策、蒲公英と共に疲労が蓄積している身体に鞭を打ち、本陣が構築されている成都城の城門前まで駆け抜けていった。辺りを見渡せば、先程まで周囲に響いていた剣戟や兵達の雄叫びもすっかり聞こえなくなっており、ここが戦場とは思えない程静まり返っていた。蜀との決戦も遂に最終局面を迎えたという事なのかもしれない。
「音無が居るという事は、華琳様も動いたのだな。ならば、この戦も最後の局面、か……。霞、我々も華琳様の元に急ぐぞ!」
「応よっ!」
………
……
…
「ぐああああっ!」
「……もう終わりか?」
「はぁ、はぁ、はぁ……まだまだぁ……っ!」
「ご主人様!」
「北郷!」
「愛紗……孫策……」
関羽と孫策が本陣まで駆けつけてみると、一刀はもうボロボロの状態だ。地面に片膝を突き、護身用の剣を杖代わりにしてようやく立ち上がろうとしている状態。衣服も砂埃であちこち汚れているし、口から血も流している。零治との一騎打ちが始まってまだそれほどの時間は経過していないのにこの有様。一刀が以下にして零治に一方的に攻められているのかが見て取れた。
「そんなにボロボロになって……くっ、おのれ……音無っ!」
「何だよ? 文句でもあるのか?」
「隙きありっ!」
「フッ……」
零治が関羽に気を取られ、一瞬よそ見をしたので一刀は全身に駆け巡ってる激痛を気合で押し殺し、素早く立ち上がって間合いを詰め、袈裟斬りを放つが零治はその一撃を上半身を右に捻ってあっさりと躱すと同時に一刀の懐に右腕を潜り込ませて鳩尾に向かって肘鉄を喰らわせた。零治が本気を出せばその一撃で相手の内臓は確実に破裂する程のダメージが入るだろうが、手加減はしているのでそこまでには至らない。だがそれでも一刀には充分すぎる程の一撃だ。一刀は剣を手から落として両手で鳩尾を押さえながら地面に崩れ落ち、蹲ってしまった。
「ぐっ……がはっ……!」
「今のが隙きだと? オレを舐めんのも大概にしろよ、一刀……」
「ぐぅ……はぁ、はぁ……」
「ご主人様、私にお任せください! このような男、我が偃月刀で……」
「待ちなさい、関羽。二人の闘いに割って入る事は、北郷に代わって私が許さないわ」
「何ですと?」
「ほぉ~。外野のくせにこの闘いの意味をもう理解したか、孫策。流石は呉の王様だな」
「それはどうも」
「はあああああっ!」
「フッ……突きはもっと腰を落としてかかれよ。お前ホントに剣道やってたのか?」
ようやく息が詰まりそうな苦しみも多少は治まり、一刀はもう一度立ち上がって剣を拾い上げて零治に突撃して突きを放つが、零治は彼にカウンターを喰らわせるように身体を回転させて一刀に向き直る瞬間のタイミングに合わせて腹部に強力な回し蹴りを叩き込み、一刀はまるで風に吹かれたように吹っ飛ばされて地面の上に背中を叩きつけられた。
「ぐあっ!」
「ダメだ! もう見てはおれん……!」
「それを見守るのも、臣下の務めだろう」
「星……!」
星だけではない。いつしかこの場には話を聞きつけ、魏、蜀、呉の諸侯全員が集まり、亜弥、恭佳、奈々瑠と臥々瑠も居て、皆が零治と一刀の一騎打ちの行く末を静かに見守っていたのだ。零治は一刀が諸侯全員が集合するまで保ち堪えられるのか疑問視していたが、その点はクリアしたと言っていいだろう。まだ一刀は倒れていないし、闘う意志も折れていないのだ。
「はぁ、はぁ……孫策や、星の……言う通りだよ。愛紗」
「ご主人様!」
「零治は、俺に勝負をしろって言ったんだ。愛紗でも鈴々でもなく……この俺に!」
「そうだ。これは天の御遣い同士の……オレと一刀だけの闘いなんだ。何者にも邪魔をする権利など無い。……ほら。立てよ、一刀。立ってお前の全てを懸けて闘え。それが蜀に、劉備の元に降り立った天の御遣いの務めだ。それとも、負けを認めるか?」
「まだ……俺はまだ負けてないっ! でええええいっ!」
一刀は剣を杖代わりにして何とか立ち上がり、身体中に走る痛みのせいで足元がフラフラしているが気合で体勢を立て直して呼吸を整え、剣を両手でしっかりと握りしめながら後ろに大きく引き、姿勢を可能な限り低くして走り出して零治との間合いを詰め横薙ぎの一閃を放った。だが……。
「なっ!?」
「さっきよりはマシな攻撃だな。だがまだまだ詰めが甘いぞ……」
「ぐふっ!」
一刀の一撃が零治に届く事はなかった。零治は一刀の横薙ぎの一閃を左腕のガントレットの装甲板で防ぐと同時に刃を掴み取って受け止め、呆気にとられている一刀の顔面に右ストレートの一撃を叩き込んで彼を殴り倒した。一刀の口の中は既に切れていて血で紅く染まっており、さっきから鉄の味が広がりっぱなしだ。地面にうつ伏せに倒れた一刀は剣を手から離して動く事も出来ない。普通ならもう止めに入るべきだろう。だが誰にもその権利は無い。この勝負を終わらせる事が出来るのは、零治と一刀の二人だけなのだ。
「どうした一刀。お前の力はそんなものか? オレはまだ叢雲を抜いてすらいないんだぞ……」
「ぐっ……うぅ……」
「立てないのか? 全く……」
ダメージが蓄積しているので声をかけても呻き声を出すだけの一刀の様子に、零治は呆れたように嘆息すると足で一刀を転がして仰向けにすると、無防備な胸ぐらに右手を伸ばして掴み、彼を片手で軽々と持ち上げてみせたのだ。持ち上げられた一刀の四肢は力が無く、だらしなく振り子のようにユラユラと揺れ動いているだけだ。
「おい。このままじゃ本当に勝負が終わっちまうぞ。それでいいのか? お前は今、蜀の、そして劉備達の想いをその背に背負って闘ってんだろうが。威勢がよかったのは最初だけか……?」
「ぐっ……くぅ……。……ふんっ!」
「づっ!?」
一刀は意識が朦朧としている中気合を入れ直し、宙ぶらりんになっている状態を利用して両脚を思っきり曲げて力を溜め、無防備な状態の零治の胸元にドロップキックを放った。一刀の予想もしなかった行動に零治は完全に不意を突かれ、その一撃をまともに喰らって怯んで一刀を手から離したので彼は背中から地面に転がり落ち、零治はよろめきながら数歩後ろに下がりつつ、地面の上に情けなく倒れている一刀に感心の眼差しを向けた。
「ほぉ~。まだそんな元気が残ってたか。まっ、痛くはなかったが、今の攻撃は悪くなかったぞ?」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ほら。続けるぞ。さっさとかかって来い。そしてお前の想いの強さ、ここに居る連中全員に見せてやれよ」
「……俺は……俺はさ、零治の事が羨ましかったんだと思う……」
ふらつきながらも一刀は立ち上がって剣を拾い上げ、今まで抱え込んでいた零治に対する気持ちを吐露するように呟きながら剣を振るった。気力だけで身体を動かすのが精一杯だが、彼なりに懸命に剣を振るう。零治もその気持を受け止めるように、ここに来てようやく叢雲を抜刀し、一刀の一撃を弾いて受け流した。
「羨ましい? なぜそう思うんだ?」
「強くて、何でも出来て……っ! 何も出来ない俺と違って……俺には無い物を全部持っていたから……っ!」
「おいおい。こんな場所で自分は無能ですと告白でもしてんのか? お前さぁ、もうちょっと空気読めよ。そんな事言うんなら逆に訊くが、お前は今まで何をしてきた? 何がしたかったんだ?」
「それは……! 蜀のみんなの……桃香と一緒に、王として!」
「みんな仲良くと声高に叫んだだけか?」
「そう……さっ! 俺は、みんなと仲良く過ごせれれば……それでいいと思ってた!」
力任せに振るい、放たれる一刀の一撃。唐竹割りのように垂直に振り上げた剣を一刀は力一杯零治に向かって振り下ろした。こんな見え見えの一撃、いつもの零治ならば躱して適当にあしらう所だろうが、この太刀筋には一刀の想いが籠められている。ボロボロになりながらも自分に立ち向かう一刀に最大限の敬意を払うべく、零治は叢雲の刃を寝かせて左手も添えて頭上で水平に構え、その一撃を受け止めるとガキンと激しい金属音が鳴り響いて火花を散らした。
「今のは悪くない太刀筋だな……」
「晴れた日は愛紗と畑を耕して……雨が降ったら、朱里や雛里とみんなで鈴々に勉強を教えて、教えられて……っ!」
「それで?」
「みんなで笑って、仲良く過ごせれば良かったんだ!」
「なら、お前はなぜ劉備と共に戦おうと思った? この乱世に立つという覚悟を決めたのはなぜだ?」
「俺達だけが笑って過ごせる世界じゃ、意味が無いって分かってたから! この世界は俺が思っているよりも広いんだ! 分かってたさ!」
喚き散らしながら力任せに剣を振るう一刀の闘いぶりは、お世辞にも褒められた姿じゃない。だがそれでも、そんな彼の姿を、そして想いを籠めて放つ全ての太刀筋を零治は決して蔑ろには扱わない。その一撃を、一刀の想いの全てを受け止めるべく、叢雲を使って受け止め続けた。
「みんなが笑っていたい世界には、盗賊や山賊、朝廷も腐敗して悪が蔓延っていた! だから俺は桃香と一緒に創りたいと思ったんだ! 彼女が目指す、みんなが笑って暮らせる優しい国をな!」
「それで?」
「甘いって、そんなの幻想だって言われても仕方ないと思うさ! けれど、幻想を幻想と笑っていたらダメなんだよっ! だから俺は桃香と一緒に立ち上がったんだ!」
「それで?」
「初めは戸惑ったさ。だけど桃香や愛紗、鈴々や朱里とも一緒になって一人じゃ出来ない事もみんなが居れば出来たんだ。だから思ったんだよ! みんなで力を合わせれば出来ない事は無いって!」
「そりゃ良かったじゃないか。で?」
「零治……俺は、桃香の理想を実現させまいとするお前や曹操が……許せないんだよ! 邪魔なんだよ! この大陸を平和にするためには……お前や曹操のやり方じゃダメなんだよっ!」
「そんな事……一体誰が決めたってんだぁっ!」
「ぐあっ!?」
ここに来て初めて零治は一刀に対して怒りを露わにし、その怒りをぶつけるかのように叢雲を振り抜いて高速の一撃を一刀の剣の刃に打ち込み、彼を後方へ吹っ飛ばした。一刀の実力と身体に蓄積しているダメージ量を考えれば、零治の一撃を完璧に受け止める事など不可能である。背中を地面に叩きつけられて激痛から立ち上がる事の出来ない一刀に向かって零治は叢雲を片手にズンズンと足を進め、怒りの籠もった視線で彼を見下ろした。
「一刀。オレの事はいいさ。だがな……華琳を邪魔者扱いする事は、例え神が許してもこのオレが許さねぇ……」
「はぁ、はぁ……」
「華琳が邪魔だと? そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ。オレから言わせればお前や劉備の方がよっぽど邪魔だ。砂糖のように甘ったるい理想を掲げているお前らの方がな……」
「甘くなんか……ない……っ!」
「いいやっ! 大甘だ!」
一刀は零治に対して言ってはならない言葉を口にした。様々な考えのもと、人は行動する。そして考え方は人それぞれ。十人十色という言葉があるように。故に必ずしも全ての人間が一つの考えに対して共感する事は決して無い。しかし、一刀の先程の言い方、あれではまるで華琳の行動の全てが悪だと決め付けられていたように零治は感じた。だから彼はここまで怒ったのだ。だがまだ怒りが収まらない零治は未だに地面に倒れている一刀の胸ぐらに左手を伸ばして掴み上げ、彼を無理やり立ち上がらせた。
「一刀。確かにお前や劉備から見れば、華琳のやり方は間違っているようにしか見えないだろうよ。だがな……それはお前らの主観的な意見だろうが!」
「…………」
「どんな物事も視点を変えれば善にも悪にもなる。お前はその歳でそんな事も分からねぇほど視野が狭い大バカ野郎だったのかよっ!? それでよく今まで蜀の王が務まったものだな!」
今じゃ一部の諸侯達から乱世の奸雄とまで称されている程の道を歩み続けてきた華琳。彼女はそれもこの大陸に覇道を唱え、その道を歩み続けた結果得られた名誉ある称号だと思っていた。その事にさえ零治はこれといった反応を見せなかったのに、今の彼は自分の事であそこまで怒ってくれている。華琳はそれが心の底から嬉しく思えた。これがいつも通りの戦ならば止めに入っている所だろうが、この一騎打ちには特別な意味がある。例え王でも零治と一刀の間に割って入る権利は無いのだ。だからこそ、華琳は最後まで見届けようと思った。零治と一刀の一騎打ちの行く末を。
「お前は劉備と共にその背に多くの人々の命を背負っているというのに、揃いも揃って理想だらけの考えを唱え、共感しない者は悪と決め付けて否定しやがるっ! 王としての責任も果たせないような奴が、現実も直視できない奴が偉そうな事を抜かすなっ!」
「現実は朱里や雛里が見てくれているっ! なら、その上に立つ者はもっと遠くを見るべきだろ!」
「そうかい……。なら、お前や劉備を信じて死んでいった兵達の墓前や、その遺族達にも今と同じ事が言えるのかよっ!? ああっ!」
「な……に……?」
「お前の今のセリフは、お前や劉備が掲げる理想のために死んでいった者達の事は見ていないようにしか聞こえないんだよっ! 少なくともオレにはなぁ! どうなんだよ……? 何とか言えよ! 北郷一刀っ!」
零治のこの問いかけに対して一刀は何も言えなかった。こんな問が来るとは予想もしていなかったからだ。そしてその様子を遠巻きに見ていた翠蓮も耳が痛かった。零治に命を救ってもらい、その対価として劉備と一刀の教育係を引き受けたのにこの有様である。彼女は口にこそしなかったが、恩人である零治にこんな汚れ役を結果的にやらせる事になってしまった事態に対して心の中で詫びの言葉を述べていた。
(零治、済まない。あたしが約束を果たせなかったばかりに、あんたにこんな汚れ役をやらせる事になっちまって……)
「どうした一刀。何も言えないのか? ……この程度の問いかけに反論の一つも出来ないような奴が王なんかしてんじゃねえよ!」
「俺はただ……みんなの手助けがしたいだけだったんだ。ご主人様とか、御遣い様なんて言われなくたっていい……。一刀が居てくれてよかった、助かったって言ってくれればそれでよかったんだ。別に王なんて……御遣いなんて……っ!」
「王も御遣いもやりたくなかったってか……?」
「っ!? 零治……」
「一刀。お前はこの世界には不釣り合いなくらいに優しすぎる。それは素晴らしい事だし、お前の考えも人としては立派だと思う。しかしそれだけではこの世界を渡っていく事は出来ない。冷たい事を言うが、時には仕方ないと割り切るドライな感情も持たねばならないんだ。この世界で王をやる場合は特にな」
「零治……俺は……間違っていたのか……?」
「さあな。……だが安心しろ。もうそんな事を考える必要もなくなる。オレが今、お前を王と御遣いの責務から開放してやる。そしてもう一度、一からやり直せ。今のオレにはそれしか言えんよ」
零治から先程までの怒りと剣幕は完全に消え失せ、その表情は慈愛に満ちたもの。まるで言う事を聞かない悪友と派手にケンカして拳で説得してくれる学校のクラスメイトのようにすら思えた。零治は一刀の胸ぐらからパッと左手を離すと、叢雲を素早く鞘に収めて居合の構えを取り、一刀が持つ剣に狙いを定め、神速の居合を放った。無防備の状態からその一撃をモロに受けた一刀は衝撃を受け止める事すらままならず、派手に吹き飛ばされて背中から地面に叩きつけられて剣を手から離し、その場にカランと軽快な金属音が鳴り渡った。その様を見て、劉備、関羽、張飛、星と四人が駆けつけ、劉備が一刀をそっと地面から抱き起こした。
「ご主人様っ!」
「大事は無い。気力を消耗しすぎただけだろう」
「……桃香、愛紗。ごめんな。俺、負けちまった……」
「いいよ。ご主人様は最後まで頑張ってくれたよ。みんなのために……っ!」
「華琳、後は任せるぞ……」
自分の役目は終わった。この決戦の最後を締め括るのは零治ではなく、魏軍を率いる華琳の役目だ。叢雲を鞘に収めて踵を返して下がっていく零治と入れ替わり、華琳が前に進み出た。零治と一刀の一騎打ちは魏と蜀の決戦の勝敗を決める闘いでもあった。一刀が零治に敗北したという事は、蜀の敗北も意味している。華琳がどのような采配を下すのか、零治は亜弥達と一緒に後ろでその動向を静かに見守った。
「……さて、劉備」
「曹操……貴様ぁ……っ!」
「お姉ちゃんとお兄ちゃんは討たせないのだ!」
「左様。我らが戴く主は、劉玄徳と北郷一刀のみ。それを討つとあらば、この趙子龍……容赦はせん!」
「劉備と北郷を討つ気なんて、最初から無いわよ」
「何……?」
これだけ激しい戦いを仕掛けてきた人物の口から告げられた思いもよらぬ言葉。誰もが呆気にとられていた。一体何の考えがあってこんな事を口にしたのか。零治達も華琳の口から告げられた意外な言葉を耳にして驚いていたが、口を挟むような真似はせずに話の続きを見守り続けた。
「劉備」
「はい……」
「孫策」
「私も……?」
「二人とも私に仕え、この大陸を建て直す力を貸しなさい」
「…………え?」
「劉備には蜀、孫策には呉の地を預けるわ。そこを見事発展させ、我が魏に負けない国にしてみせなさい。……出来るかしら?」
「……それは、魏の属国という事?」
孫策は訝しげな視線を向ける。確かに華琳の今の言い分を単純に解釈すると魏の属国という捉え方が出来る。だが孫策にとってそれでは、袁術に江東を支配されていた頃と全く変わらない。自分が天下を取るかどうかはさて置き、孫策にとってそれは無意味な立場。自由無き生など彼女は望んでいないのだ。孫策から向けられる視線の意味を読み取った華琳は、彼女の視線を受け流すように涼し気な表情で口を開いた。
「さあ? そんな形式など、私には興味が無いわ。私は大陸の平和を乱さない限り、貴方達の国の在り方には干渉しない。自分の国を連合の一角と見るか、我が曹魏の属領と見るかは……それぞれの自由にすれば良い。それと……馬騰」
「何だい」
「西涼の連合は、各々が一つの国だと聞く。それは貴方の国の属領としての国かしら?」
「いいや。西涼はあたしを盟主とした、多くの諸侯が集う国の連なり。盟主は代表だが王ではない。西涼の諸国が主と仰ぐのは天子のみだよ」
「ならば、その理屈を大陸全土に与えても不自然ではないでしょう。そうではなくて? ……諸葛孔明。周公謹よ」
華琳がチラリと視線を向ける先に居るは蜀と呉を支え続けてきた天才軍師の二人だ。華琳が提示した内容は、今の大陸にとって最も理想的な形と言えるだろう。この三国志の時代のように、多くの血が流される大規模な戦が起きる可能性もゼロとは断言できないが限りなく低い。それは本当の意味での平和がこの大陸に訪れる事だ。とても喜ばしいのだが、気になる点が彼女達にはあったので、まだ手放しで華琳の言葉を信じる事は出来なかった。
「……ただ一点を除いてな」
「はい。西涼の翠蓮さんは公平な盟主でしたが、大陸連合の長が公平な人物を頂けるかどうか……」
周瑜と諸葛亮が華琳の提案を全面的に信用できない理由がこれだ。華琳が連合の王にならないにしても、彼女が魏、蜀、呉の三国に対して公平な采配を下す人物を頂かなければ大陸連合を発足させても全くの無意味である。逆に魏を贔屓にする人物を据え置く可能性も捨てきれない。そうなれば間違いなく新たな争いの火種になる。それではこの戦いの終結も意味を成さないのだ。
「それも一理あるわね。……ならば今、ここで約束をしましょう。私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。貴方達が私を討ちなさい」
「「……えっ!?」」
「……我々が裏切るとは考えないの? 再び大陸制覇の野望に駆られ、理屈をつけて貴方を攻めるかもしれないわよ?」
周瑜が言った仮定の話は大いに有り得る事だ。人間とは野心を抱く種族。それは時代が証明している。全ての人が当てはまらないにしても、このような時代なら探せばいくらでも居るだろう。それはそれで平和を乱す新たな争いが起こる事を示唆するが、華琳は周瑜の言葉にも涼し気な表情で返した。
「ふっ、大陸制覇ですって……? 劉備も孫策も、そんなつまらない事のために戦っていたのかしら? もし、そうなったとしたら……私の王を見る眼が節穴だったという事でしょうね。それこそ、遠慮なく討ちに来れば良い」
周瑜の仮定の話が現実となれば、それは人選を見誤った華琳の責任。彼女は王としてその辺はキッチリと割り切り、誰かに責任転換をするような愚か者ではない。しかし、華琳もそうなればそれだけで終わらせるつもりなど無い。もしも裏切るような真似をすればどうなるか、キッパリと宣言した。
「けれど、その時はもはや容赦はしない。私が与えた信頼を裏切った罪、万死をもって償ってもらいましょう。しかし、劉備も孫策もそんな愚行はしないと思っているわ。……違うかしら、周公謹」
「……そうだな」
「ならば下らない仮定の話をするな」
「御意」
「それで……貴方達の答えは?」
「……ふふっ。どうやら負けのようね」
王としての器量の大きさを見せつけられ、小覇王と謳われていた孫策も負けを認めざるを得なかった。だが、その表情はとても清々しかった。華琳の提案は間違いなくこの大陸を建て直し、平和を維持していける。それだけでなく、悲願だった祖国をもう一度治める事も出来るのだ。断る理由などありはしない。
「私は我が父祖の地、江東の自由のために戦ってきた。その自由と平和を与えると言われて、矛を収めない理由は無いわね」
「もはや戦う理由も無い、か……」
「……劉備の答えは?」
「桃香……」
「うん……」
一刀に促され、劉備は彼の手を握りしめながら小さく頷いた。二人も答えは同じ。決戦には負けたが、まだ蜀という国が、そして二人で目指してきた理想が頓挫したのではない。寧ろここから始まるのだ。この大陸の未来を創るための、新たな日常が。
「曹操さん、私がここで負けを認めれば……みんなが笑って過ごせる国を、本当に目指してくれますか……?」
「私が願うのは、この国に住む全ての民の平穏と幸福。それが貴方の目指す世界の姿と同じならば、その願いは叶うでしょう」
「……分かりました」
「桃香様!」
「お姉ちゃん!」
「みんな、ごめんなさい。今まで力を貸してくれたのに……」
「俺も謝らせてくれ。みんな、済まない……」
劉備に抱きかかえられながら、一刀は彼女と一緒に今まで力を貸し続けてくれた関羽達に詫びの言葉を述べた。結果がどうあれ、負けられないと思っていた決戦に負けてしまったのだ。だが、関羽達はもうそれはどうでもよかった。負けた事は確かに彼女達も悔しい。しかしまだ全てが終わったわけではないのだ。これからも未来のために劉備と一刀に力を貸し続ける、その想いに変わりはなかった。
「曹操。国を治めるのであれば、桃香様とご主人様にも家臣は必要だな」
「ええ、そうね」
「鈴々達は曹操の家臣にはならないのだ! これからもずっと、ずぅっとお姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒なのだ!」
「私が家臣に一番に求めるのは絶対な忠誠。それが無い者に興味はないわ。どこへなりと行ってしまいなさい」
「なら……!」
「劉備、北郷。その辺りに有能そうな将が転がっているわよ。拾うなら今の内ではなくて?」
「うん!」
「ああ!」
「春蘭、秋蘭」
「はっ!」
「ここに!」
「総員に戦闘停止命令を出しなさい」
「「御意!」」
戦いもこれで終わりだ。次に一番にやるべき事は負傷者の手当。魏軍、蜀と呉の同盟軍の双方ともに多くの負傷者が出ているのだ。命を落とした者達はもう手厚く葬ってやる以外に手はないが、まだ助かる可能性のある者も少なからず居るだろう。助かる命がまだあるのであれば、救える者は救い、新たな時代の幕開けを共に謳歌させてやるべきなのだ。
「劉備、負傷者の手当に、貴方の城を使わせてもらうわよ」
「うん。でも、薬や機材が足りないから……」
「そちらは充分な準備があるわ。貴方達の負傷者に使っても構わないから、搬入させて」
「それなら……雪蓮さん」
「思春、明命。曹操の本陣に行って、機材の運搬の指揮を執ってくれる?」
「「御意!」」
「沙和。甘寧と周泰の案内をしてあげなさい」
「分かったの!」
華琳の命に従い、沙和は甘寧と周泰の二人を連れて魏軍の本陣まで一目散に走り去っていった。負傷者の手当の方もこれで何とかなるだろう。華琳は晴れ晴れとした気分で空を見上げると、その眼に美しい青空が映っている。長い戦いが集結したが、これから新たな未来を創る日々が始まるのだ。それは決して容易な道ではないだろうが、華琳はそれを楽しみに思えた。この青空の下で過ごす新たな日常が。
「これで殺し合いはお終い。でもまだ、この国を建て直す戦いが待っているわ。劉備、孫策。貴方達の力を復興に役立てなさい。そして民達の笑顔を取り戻しなさい」
「はいっ!」
「ええっ!」
「ここに永きに渡る戦いの終結を宣言する!」
華琳の力強い宣言の後、戦場の各所で歓喜に満ちた声が大爆発した。とても力強く、生命力に満ちあふれた歓声。零治も戦いがようやく終わり、その事を喜んでいるが周りの兵達のように騒ぐのはガラじゃないし、必要以上に騒がしい場所もあまり好きではなかった。彼は人気を遠ざけ、タバコをコートの下から一本取り出して火を点けて煙を吹かしていたが、その時にまだ劉備の腕に抱きかかえられている一刀の姿が眼に止まったので、彼はタバコを口に咥えながらそちらに無言で歩み寄った。
「あっ、音無さん」
「零治。どうしたんだ?」
「……ほらよ。掴まれ、一刀」
「あっ……」
零治は口に咥えているタバコを左手で持ち、右手を一刀に差し伸ばした。彼の気遣いを理解した一刀は右手を伸ばして零治が差し出している右腕をしっかりと掴み、彼も一刀の右腕をガッチリと掴んでそのまま引っ張り上げて立ち上がらせ、一刀の肩にポンッと軽く右手を置いた。
「悪かったな。お前をこんなにズタボロにしちまってよ」
「いや、もういいんだよ。零治は俺のためを思ってやってくれたんだろ? 逆に感謝しているよ。ありがとう、零治」
「フッ。礼を言うのは、華琳の信頼に見事に応えてからにしな」
「……そうだな。じゃあ、これから改めてよろしく」
「ああ。よろしくな」
一刀が右手を差し出してきたので、零治も右手を出して二人で握手を交わした。零治と一刀の間に、反董卓連合時から始まったあの険悪な雰囲気はもうどこにも無い。これからは二人が顔を合わせても、零治が悪態を吐いたり、一刀も彼に対して喧嘩腰になる事も無いだろう。
「あーっ! ご主人様ずるいよー! 音無さん、私も私も! これからよろしくお願いしますねっ!」
「あっ、あぁ……」
何が気に入らなかったのかその場にいきなり劉備が割って入り、一刀の手を無理やりどかして零治の右手を両手で握りしめ、顔を輝かせながらブンブンと激しく上下させた。今まで敵対していた関係なのに、なぜいきなりここまで出来るのか劉備の考えが全く理解できない零治は困惑の表情を一刀に向けた。
「なあ、一刀……」
「何?」
「劉備って……いつもこんな感じなのか……?」
「う~ん。まあ、大体は」
「そ、そうか。……ってか、劉備。そろそろ離してくれないか。そんなに腕を激しく上下されると痛いんだが……」
「あっ! ご、ごめんなさい! ……それから、音無さん」
「今度は何だ」
「私の事は、桃香って呼んでください。その代り、私も音無さんの事を下の名前で呼ばせてくれませんか?」
「桃香様っ!? いきなり音無に真名を預けるなど、一体何をお考えになって……っ!」
劉備の突然の行動に口を挟んできたのは関羽だった。それはそうだろう。三国志の時代が終結したとはいえ、ついさっきまで敵だった相手なのだ。その人物にいきなり真名を預けるなど非常識も甚だしい。零治の人柄も、敵だった時の事しかまだ分からないのである。劉備がお人好しなのは今に始まった事ではないが、これはいくらなんでもその範疇を超えている行動だ。
「愛紗ちゃん、そんな事言わないの。確かに音無さんは敵だったけど、悪い人じゃないんだから」
「ぐぬぬ……っ! で、ですが、この男は桃香様の理想を貶した……っ!」
「愛紗よ。折角戦いが終わっためでたい場で、そんな昔話を蒸し返すのはあまりにも無粋だぞ」
「星っ! お前まで何を……っ!?」
「良いではないか。桃香様も零治殿に何か感じるものがあったのだ。だから真名を預ける事にしたのだろう? ならば我らに口を挟む権利など無いぞ?」
「そういう事。……それで、音無さん。どうでしょうか? 私の真名、預かってくれますか?」
「はぁ……もう好きにしろ。お前の真名は確かに預かってやるし、オレの下の名前も呼びたければ勝手に呼べばいいさ……」
「やったーっ! それじゃあ、改めてよろしくお願いしますね! 零治さんっ!」
「おい。その激しい握手はもうやめろ。それ以上やられるとオレの腕が千切れちま――。……ん?」
またもや劉備、もとい桃香が零治の右手を両手で力一杯握りしめて腕をブンブンと激しく上下させていたその時、何やら不穏な気配を感じ取った零治は気配がする方角に眼を向けた。視線の先には魏、蜀、呉と三国の兵士達が戦争終結の喜びに浸り、意味もなく天を仰いで叫ぶ者、地面に両膝を突いて泣いている者などと鎧を纏った人々がひしめき合っていたが、その人混みの中に一人だけ不釣り合いな格好をした者が居たのだ。着ているのは鎧ではなく、白い道士の衣服を纏い白っぽい薄茶色の頭髪をした青年。その姿を零治は見忘れてなどいなかった。
「っ! 左慈かっ!?」
「北郷一刀っ! その命、貰い受けるぞっ!」
「狙いは一刀か! やらせはせんっ!」
「きゃっ!? れ、零治さん! どうしたんですかっ!?」
姿勢を低くし、三国の兵士達がひしめき合う人混みの中を左慈は一直線に駆け抜け、一刀めがけて突進してきた。一刀を殺させはしないと、零治は桃香を乱暴に押し退けて叢雲の柄に手をかけて低姿勢でその場を駆け出して鋭く叫んだ。
「桃香っ! 一刀の傍を離れるな! 星! いや、この際誰でもいい! 二人の身を護れっ!」
「むっ、よく分かりませぬが、零治殿があそこまで言うとは緊急事態のようですな。主、桃香様。私の傍を離れぬように。愛紗、鈴々。二人も協力しろ」
「分かっている!」
「応なのだ!」
零治の指示にいち早く従った星は一刀と桃香を護るために龍牙を手にして二人の傍に立ち、関羽も青龍偃月刀を手にし、張飛も蛇矛を肩に担いで三人で円陣を組み、一刀と桃香の身の安全を確保して零治の方に眼を向けた。
「邪魔をするなっ! そこをどけ! 音無零治っ!」
「どけと言われてオレがどくと思うんじゃねぇぞ!」
「ならば貴様も北郷と一緒にあの世へ送ってやるっ!」
「やってみろっ!」
三国の兵士達がひしめき合う人混みの中だというのに、零治と左慈の二人は誰とも接触せずに猛スピードでその場を駆け抜けて距離を縮めていく。接敵まであと僅か。零治の眼光は鋭さを増し、一撃で終わらせようと叢雲の柄を右手で握りしめ、居合の体勢に入ったその時だった。零治の後方から別の人影が駆け抜けて彼を上回るスピードで横を素通りし、深紅に煌めく細身の剣を右手に持っていて振りかぶり、左慈とすれ違う瞬間のタイミングで振り抜くとそのまま数メートル先に進み、両足で踏ん張ってブレーキをかけて止まると同時に右手の中で剣をクルクルと回転させて、まるでズボンのポケットに仕舞うように素早く腕を振り下ろすと剣は一瞬にして姿を消した。零治も顔負けの見事な居合術である。
「あの後ろ姿……まさかっ!?」
所々にハネ毛がある異様に長い漆黒の頭髪。そして全身黒ずくめのロングコート姿。見間違えるはずがない。左慈を斬り、髪とコートを風になびかせて佇んでいる人物は黒狼である。彼が左慈を斬ったのだ。黒狼とすれ違った左慈は徒手空拳の構えを取ったまま一歩も動こうとしないが、小刻みに身体を震わせており、口からは血も流していた。またもや黒狼に一杯食わされた左慈は忌々しげに後ろを振り返った。
「黒狼……貴様ぁ……っ!」
「フンッ。抜け出したのは貴様一人のようだな。于吉がこの場に居ないのは不幸中の幸いだったか……」
「またしても……俺の邪魔を……するか……っ!」
「それはこちらのセリフだ。次元の狭間へ堕としてやったというのに、まさか力づくで抜け出すとはな。貴様のその執念深さには呆れるを通り越して敬意を払いたくなるほどだぞ……」
「ごふっ! だが……こんな事をしても……俺は……っ!」
「貴様が死なん事ぐらい百も承知だ。だから貴様は次元の狭間ではなく、地獄へ堕としてやる。折角だから死も体験して逝け……」
黒狼は左慈の方を振り返り、落ち着いた足取りで近づくと彼の無防備な背中に右足を当てて、そのままグッと押す動作をしたのだ。するとどうだ。左慈の上半身がスゥッと前にずれて胴体から真っ二つに斬り裂かれた事が白日の下に晒され、彼の上半身と下半身は二つに分かれて地面に転がり、切断面からおびただしい量の血が溢れ出てきてその場に深紅の池を作り上げた。
「魔王剣よ。その目障りな男を地獄まで連れて行け……」
黒狼の右手に再び魔王剣が姿を見せると、彼は切っ先を左慈の遺体が作り上げた血の池に突き立てた。すると、血の池から左慈の遺体を囲むように複数の波紋が浮かび上がり、波紋の中心点からまるで影のようにペラペラで真っ黒に塗りつぶされた掌がニョキニョキと地面から生えるように出現したのだ。複数の掌は左慈の遺体をガッシリと掴み取ってそのまま血の池の中へと引きずり込んでいき、左慈の遺体と共に影のような複数の掌も一緒に沈んでいってその場には血の池だけが残っていた。突然の出来事にそれまで辺りを包んでいた歓声は完全に消え失せ、三国の首脳陣達と兵士達にはどよめきが走り、全員の視線が零治と黒狼の二人に集中した。
「クックック。赤壁以来だな、影狼……」
「黒狼、なぜ貴様が左慈を……。いや、この際そんな事はどうでもいい。おかげで捜す手間が省けたぜっ!」
なぜ黒狼が左慈を殺したのかは疑問だが、今の零治にとってそんな事はどうでもよかった。重要なのは、目の前に倒すべき宿敵が現れたという事実。零治が居合の構えを取ると、亜弥、恭佳、奈々瑠、臥々瑠、樺憐も駆けつけてその場に一触即発の空気が張り詰めるが、その息が詰まりそうなほどの空気にも臆する事無く、彼らの間に割って入ってきた人物が一人居たのだ。
「零治さんっ! やめてください!」
「……桃香。邪魔をするな。これはオレと黒狼の問題なんだ。いくらお前でも口を挟む権利は無い」
「それでも殺し合いなんて駄目ですっ! やっと大陸が平和になったんですよ! 零治さん、私に黒狼さんと話をする機会を与えてください! この通りですからっ!」
桃香は周りの人目も気にする事なく零治に大きく頭を下げて懇願した。天の御遣いという肩書があるとはいえ、零治は一将兵に過ぎない。王という立場にありながらここまでしてきたのだ。それに今では真名も預けられた間柄になっている。話し合った所で意味など無いと零治は考えているが、桃香の想いも踏みにじりたくはないと思っていたので抜きかけていた叢雲を鞘に収め、居合の構えを解いた。その姿を見た桃香は零治に礼の意味も含めてもう一度頭を下げてから黒狼に向き直り、静かに口を開いた。
「黒狼さん」
「ククク。劉備よ。貴様いつの間に影狼に真名を許したのだ? その男とそんなすぐに仲良くなれるとは大したものだな……」
「はい。黒狼さんが居ない間に、色々とあったんですよ。本当に」
「…………」
「黒狼……お前今までどこで何してたんだよ!?」
桃香と黒狼の間に怒鳴りながら割り込んできたのは一刀だった。今の彼は怒り心頭だ。三国志の時代が幕を下ろし、大陸に平和が訪れた今となっては決戦に負けたのはもうどうでもよかった。だが、それでも一刀は黒狼の事が許せなかった。大事な決戦中になぜ突然姿を消したのか、その事を彼は怒っているのだ。
「ご主人様! やめて! 私はもうその事は気にしてないんだから!」
「いいや、良くないさっ! 俺も決戦に負けた事はもう気にしていないけどなぁ……どうして突然居なくなったりしたんだよっ!? まさかあの時……お前は俺達の事を見捨てたのか! 答えろよっ!」
「……フフフ。北郷、貴様意外と鋭い所もあるのだな」
「なっ!? じゃあお前、やっぱり俺達を……っ!」
「フッ。敗北の決まった戦いに付き合っても時間の無駄でしかないからな……」
「何でそう言い切れるんだ! お前らが居たら、もしかしたら違う結果だって!」
「いいや。変わらんさ。この決戦の結末こそが、この外史のシナリオなのだからな……」
(っ! 外史だと!? やはり黒狼……この世界だけでなく、外史という世界の存在も知っていたのか!)
「何を訳の分からない事を言って――」
「北郷。私は貴様に用は無いのだ。これ以上下らん言い争いに私を付き合わせるつもりならば……今しがた始末した男と同じように、貴様も真っ二つに斬り捨ててやるぞ……」
「っ!?」
黒狼から放たれる威圧的なドス黒い殺気。それは今まで戦場で放っていた殺気とは比べ物にならない程だ。一刀は否が応でも押し黙って数歩後ろに後ずさるが、それでも逃げ出そうとはしない。今まで苦難の道を共に歩んできた桃香も気丈に振る舞って耐えているのだ。ならば自分だって耐えねばならない。その様子に黒狼は面白がるように鼻を鳴らして殺気を収め、グルリと辺りを見回して口を開いた。
「ふむ。三国の首脳陣もお揃いとは……実に好都合だな……」
「ふふっ。蜀に降り立った天の御遣いの一人であり零治の宿敵でもある貴方が私達に何の用? 何かありがたい話でも聞かせてくれるというのかしら?」
「ありがたい話なんてしてくれるの? 私どうも彼だけは苦手なのよねぇ。口数も少なくて何考えてるのか全然分かんないし」
あの黒狼を前にしても華琳は余裕の笑みを絶やさず、孫策も軽口を叩いて黒狼が何を語ろうとしているのかを静かに見守った。どうかこれ以上争うような事はしないでほしい。桃香も胸元で両手を組んで握りしめ、祈るような気持ちで黒狼を見つめていたが、その祈りが通じる事は無かった。黒狼が右手を宙に掲げると魔王剣が禍々しい姿を現し、彼は手にした魔王剣を振り下ろして全員にその鋭い切っ先を突きつけた。
「時は満ちた。私は今この瞬間、大陸全土に対して宣戦を布告する……」
「何ですって……?」
「存在する価値も無い無意味な世界、私はこの世界を跡形も無く破壊し尽くしてやる……」
黒狼の口から告げられたとんでもない言葉。それは大陸全土への宣戦布告だ。しかも世界を破壊し尽くすとさえ言っている。この世界での宣戦布告のレベルを遥かに超えた内容だ。黒狼の突然の宣言に誰もが言葉を失い、その場は沈黙が支配するも、その静寂を打ち破る者が一人居た。零治である。
「フッ……クックック。ハハハハハ……ハーッハッハッハっ! 黒狼、しばらく見ない間に頭がおかしくなったのか?」
「…………」
「世界を破壊し尽くすだと? 確かに貴様は強いが、貴様一人にそんな芸当が出来るほどの力があるとはとても思えんがなぁ」
「確かに私一人如きではそれは無理だろうな。だが……『アレ』を使えば出来るさ……」
「アレだと? 一体何の事だ……」
「クックック。貴様もよく知っている物さ。…………さあ、来るがいいっ! 我が居城よ!」
黒狼は鋭く叫びながら魔王剣を逆手に持ち替えて足元の地面に深々と突き立てた。すると彼を中心点に深紅に発光する巨大な魔法陣が浮かび上がり、それと全く同じ物が空にも浮かび上がって強大な魔力が稲妻のように辺りに迸り、大地が揺れ始めて黒狼を除いたその場に居る者達全てが足をふらつかせて地面に片膝を突いたり転倒したりする者が続出した。
「なっ!? 地震かっ!」
「零治、違いますっ! この振動……空間その物が揺れているんです!」
「空間その物が揺れるだとっ!? 黒狼! アンタこの世界に何しやがったんだ!」
「っ!? 兄さん! 空を見てください! あの魔法陣、だんだんヒビが入っていきますよ!」
「何っ!?」
奈々瑠が指差す先の空に浮かんでいる巨大な深紅の魔法陣は彼女の言う通り、まるでガラスのように無数のヒビが入り始めていた。そのヒビは留まる事なくどんどん魔法陣全体に広がっていき、最終的には魔法陣の中心部分が窓ガラスのようにバリンと派手な音を立てて割れてしまい、その先に漆黒の闇が広がる巨大な穴が開いたのだ。
「ええっ!? 空が……割れたぁっ!?」
「臥々瑠、違うわ。あれは空が割れたのではない。次元の壁が破られたのですわ」
黒狼が使用した大規模な魔法で次元の壁が破壊されて巨大な穴が空に出来上がると同時に空間の振動も収まり、地面にも出現していた巨大な魔法陣も消失した。その場に居る者達全員は立ち上がって空に出来た巨大な穴を見つめ、辺りにはどよめきが走る。しかし、黒狼の魔法はまだ終わりではない。穴を見つめていた一人の兵士が何かを見つけて指差し、鋭く叫んだのだ。
「おい! 見ろっ! 穴から何か出てくるぞ!」
陰っていてよく見えないが、空に出来上がった大穴から確かに巨大な何かがゆっくりと姿を見せてきた。徐々に徐々にそれは陽の光に照らし出されるが、出てきたのは生物ではない。所々から反射光も煌めかせていて、見た限り金属で出来た何かのようだがまだ正体が判別は出来ない。零治達は息を呑んで次元の壁が破られた先から出てくる金属の物体を静かに見つめていると、その一部分がようやく姿を見せた。それは塔のような建造物がいくつも連なっていて建物のようにも見えた。穴から出てくる巨大な物体はまだ完全に姿を見せていないが、穴から進み出る事で塔のような建造物の背丈もどんどん高くなり、まるで山のようだ。ようやく半分ぐらい姿を見せた所で建造物の中央部分も見えたが、姿を見せたのは宙に浮く巨大な城だ。その大きさはこの大陸に建造されている城など足元にも及ばない程のビッグサイズである。次元の壁の穴から城が完全に姿を現すと穴はゆっくりと塞がって空は元通りになったが、辺り一面の地上は影に覆われて薄暗くなった。宙に浮かぶその城に華琳、桃香、孫策の三人は圧巻して言葉を失い、呆然と空を見つめていた。衝撃を受けたのは零治達も同じだが、その受け方は違う。彼らはあの建造物に見覚えがあったのだ。
「なっ!? あ、あれはまさか……っ!?」
「バカなっ! 叡智の城だと!?」
「ククク。どうだ、影狼。これが私の最強の切り札であり、私達の血戦を飾るのに相応しい舞台だ……」
「貴様! 一体どうやって叡智の城をこの世界に……っ!?」
「アレもこの世界に転移していた……いや、正確には転移しそこねて次元の狭間を漂っていた。それを私が見つけてこちら側へ呼び寄せたのさ……」
「次元の狭間を漂っていただと!? なぜ貴様がそれを見つける事が出来るんだ!」
「魔王剣が私に存在を教えてくれたのさ。そして向こう側への行き方もな……」
「まさか、金狼や銀狼も……っ!」
「ああ。一足先に私が連れて行ってやってるぞ。では、挨拶はこの辺で終わらせて私も戻るとするか。向こうで色々と準備もあるのでな……」
「逃がすかっ! 貴様の息の根をここで止めて、全て終わらせてやる!」
口火を切った零治は居合の構えを取り、地面を蹴って低姿勢でダッシュして黒狼に突進したが、黒狼は一度地面から引き抜いた魔王剣をもう一度足元の地面に軽く突き立てて転送魔法陣を呼び出し、零治が黒狼に斬りかかった次の瞬間に彼の姿は瞬時にしてその場から姿を消した。零治の一閃は空を斬り、彼は右足で踏ん張って身体にブレーキを掛けてそのまま右足を軸にして反転したが、やはり黒狼の姿は見当たらない。
「なっ! 消えただと!?」
「零治っ! 消えたのではありません! 今のは空間転移の魔法ですよっ!」
「フッ。残念だったな、影狼……」
「っ! どこに居る!? 姿を見せろっ!」
「貴様の頭上、叡智の城からスピーカーを使って話しかけているのさ。影狼、私を止めたければここまで来る事だ。行き方の手段については、後で何らかのか形で連絡して教えてやる。せいぜい楽しみにしておけ。クックック……ハッハッハッハッハ……」
「おのれ黒狼…………貴様ぁぁぁぁぁぁっ!」
黒狼の手によってこの大陸の空に出現し、宙に浮かんでいる叡智の城を睨みつけながら、零治は天を仰いで怒りの咆哮を上げた。三国志の時代が幕を下ろし、ようやく大陸に訪れたはずの平和は一瞬にして遠ざかってしまい、黒狼、金狼、銀狼の三人の天の御遣い達の叛乱によって破壊されようとしている。大陸に降り掛かった新たな危機。この危機に対して零治達は、そして三国の英傑達は一体どうやって立ち向かうのだろうか。
零治「お前が同じ月に話をまた投稿するとは珍しい。GWのおかげか?」
作者「まあね。特に予定も無かったから連休中に八割ぐらい書けたからな」
亜弥「なるほど。しかし……またとんでもない事をしてくれましたね。貴方という人は」
作者「何が?」
恭佳「何がじゃないよ。よりによって叡智の城を話に持って来るなんて。この先、恋姫の世界観が完全にブッ壊れる展開が予測できるじゃん」
作者「いやいや。オリキャラでチート仕様の方々が何人も居るだけで世界観なんて崩壊してるじゃん。それに前に言ったろ? お前らの決戦に相応しい舞台を用意するって」
奈々瑠「まあこの作品、確かにスタート地点が叡智の城からですから相応しいといえば相応しいのでしょうけれど」
臥々瑠「でもこれはやっぱりやりすぎなんじゃないの? それに左慈が何気に登場したけど役回りが前回と同じじゃん」
作者「悪いがこの作品でアイツに与えれる役回りなんてこれぐらいしか無いんだよ」
樺憐「ホントに酷い扱いですわねぇ。あれなら居なくても話は普通に進めれると思ったくらいですわよ?」
作者「もう左慈の事はいいだろ? 重要なのは、この作品の今後の展開だ」
零治「まあ、ここから先は完全オリジナルストーリーになるから書くお前も大変な事になるのは予測できるな」
亜弥「ですね。全部一から考えないといけないんですから」
恭佳「まっ、期待させてもらおうじゃないの。アタシらにどんな活躍の場が与えられるのかをね」
奈々瑠「そして、恋姫の登場人物達がどのように関わってくるのかも」
臥々瑠「……まさかあの筋肉達磨コンビも登場したりしないよね?」
樺憐「わたくし、あの物体Xとは関わり合いたくありませんわね……」
作者「そうなるかどうかはオレのアイディア次第だな。まあ、気長に待って楽しみにしてくださいな」




