87.手を伸ばすことをやめた二人……
さて、本当にどうしたものか。
ピシ……ピシピシ……。
今、私が放った天災級魔法――
決して溶けない氷の墓標と、魔導書に記されていた“氷天葬歌”に、
ひとつ、またひとつと亀裂が走り始めている。
ピシ……ピシピシ……
その亀裂は、一気に広がっていく。
ビシビシバキバキ……!
バキバキン――ドドドドドドド……!
「さてさてぇ~……。
これは本当に、覚悟を決めなければいけませんねぇ~……」
砕け、崩れ落ちていく氷の瓦礫の中から、
翼をはためかせるアウグストが、己の身体を確かめるように手を握り、開いた。
金色の炎を纏っているが、先ほどまでとはまるで別人のように感じられる。
特に、金色の中に混じっている――
「その“禍々しい炎”はぁ、増禍薬の影響でしょうかぁ~?」
問いかけると、アウグストは静かにこちらへ視線を向ける。
その瞳には、底冷えするような冷たさを宿していた。
「ああ、そうらしい。
体への影響はなさそうだが……エルシェリアよ。
貴様にはどう見える?」
「そうですねぇ~……。
淀んでいて気持ち悪いですねぇ~」
警戒しながら答えると、アウグストは短く「そうか」とだけ返し――
その姿を、消した。
「っ!?」
瞬転を使う余裕なんてない。
私はとっさに前方へ大きく飛びのく。
――直後。
ドゴン!?
先ほどまでいた場所で爆発が起こる。
肩越しに振り返れば、拳を地面に叩きつけたアウグストの姿。
しかも彼は片手をこちらへ向け――
およそ二十センチはある、大きな金炎弾を撃ち放ってきた。
「くっ!? 容赦がないですねぇ~!」
文句を言いつつ、体をひねり防御姿勢を取る。
ドゴォン!?
衝撃音とともに、金炎に呑まれ、私は後方へと吹き飛ばされた。
“どうやら、上手く適応できたようだ”
――そんな声が、聞こえた気がした。
だが、そんなことを考えている余裕はない。
「しまっ――!?」
背中へ凄まじい衝撃が叩き込まれ、
メキ、と骨が軋む音が響く。
そのまま身体が弾き飛ばされた。
「ぐぅっ!?」
呻きながら、なんとか体勢を整えようと身体をひねる。
だが――
ドゴンッ! ドゴンッ! ドガァァンッ!!
次の瞬間、視界の先にはすでにアウグストの姿。
宙へと蹴り上げられ――
さらに回り込まれ、地面へと叩きつけられる。
「ゲホッ……グッ!? ガハ……ハァ……ハァ……」
追撃を防ぐため立ち上がろうとした瞬間、
胸から口へと込み上げる熱に耐えきれず――
私は血を吐き出した。
数度の攻撃。
たったそれだけで、全身が悲鳴を上げる。
≪これはもうダメですねぇ~。
おかわりが怖くてもぉ、まともに動けそうにありませんよぉ~≫
状況は、最悪と言っていい。
最後の防御手段とも言える【天竜燐】は、
まとわりつく金炎によって再生を阻害されている。
つまり――次は、まともに受けるしかない。
「ふむ……力加減が難しいものだな」
そんな言葉が聞こえ視線を向けると、
地面へと降り立ったアウグストの存在感が膨れ上がる。
魔力と竜力が、肌で感じるほどに溢れ出しているのだ。
「さて、エルシェリアよ。
やることがまだ残っていてな……これが最後だ」
【再生】スキルによって体の傷が癒えはじめ、
倒れていた体を起こし、アウグストを見据え言葉を待つ。
「ともに来い。
そして、俺の女になれ――エルシェリア」
「ハァ……ハァ……。
まるで告白ですねぇ~」
「そう取っても構わん。
俺は、お前を認めているのだ」
竜族らしい告白だな、と思いながら――私は目を閉じて考える。
生き残るためには、アウグストの提案を受け入れるしかない。
だが、答えはすでに出ていた。
≪アウグストの近くにはぁ、私の大切なものがないのですよねぇ~≫
そうして目を開け、アウグストを見ると、
彼はすぐに察したのか、ため息をこぼす。
「意外と強情なのだな……」
「幼女…趣味の……男性は……ハァ……ハァ……。
お断り……ですぅ~……」
「はぁ……仕方あるまい。
俺も貴様の力を見くびっていた。
今のまま連れて行けば、寝首をかかれかねん」
そう言いながら、アウグストは先ほどよりもさらに力をためていく。
――今度は、私がため息をこぼす番だった。
「死体く……らい……残し……てくれてもぉ~……?」
「すまんが、エルシェリア。
さっきも言ったが、貴様を高く評価しているのだ」
なるほど、その評価が高いがゆえに、
助かる可能性は完全に消し去りたいらしい。
――とんだ迷惑な話だ。
≪結局、私の求めるものは得られませんでしたねぇ~≫
最初からアウグストを殺す方法はあったが、
それは私の矜持に反するし、今となってはもう遅い。
≪弟君もセリィちゃんも強くなりましたしぃ、
私はぁ十分に仕事をしましたからねぇ~≫
もう会えなくなるのは寂しいけれど、
このまま生き続けても、辛いだけ……。
私が求めたものは――遠すぎた。
これまでの生で、唯一出会えた可能性は、すでに失われている。
そして、またその時を待つには……長すぎる。
もう、疲れてしまった。
「ノクティア姉さま、あとはお任せします。
そして弟君……シンシアちゃんだけでなく、セリーネも大切にしてくださいね」
すでに再生を終えた身体に、私は苦笑する。
アウグストの頭上に浮かぶ、太陽のような金炎。
きっと、あれも避けられるだろう。
だが――
私にはもう、戦意どころか、
生きたいという意思すら残っていなかった。
「なんだ、もう再生したのか」
「アウグストがぁ、十分に時間をくれましたからぁ~」
「ほう……。
しかし、闘志が見えんな……」
「クスクス。
そう警戒しなくても、避けませんよぉ~」
「……なぜだ?」
そんなアウグストに、私はどう答えようかと少し考える。
彼は、“増禍薬”などというくだらないものに手を染めてまで、強くなろうとした。
それが本当に私を手に入れるためなのかは分からない。
だが、それでも――
竜族として、血縁よりも、己の力を求める意志。
それ自体は、尊敬に値する。
「そうですねぇ~。
私自身が、諦めてしまったからでしょうかぁ~」
「戦うこと……いや、なにを諦めた?」
「欲していたものへと――手を伸ばすことを」
私がそう口にすると、アウグストが目を見開く。
「エルシェリアよ。
先ほどから敬称がなくなっていたこともそうだが、その喋り方と雰囲気は……?」
どうやら、無意識に素を出してしまったらしい。
だが、これほど早く気付くとは……。
存外、アウグストは私をよく見ていたようだ。
「まあいいでしょう。これが素ですよ、アウグスト。
ああ、敬称を付けないのは――貴方が明確な敵になったからです」
「ククク……。確かにそうだな。
だが、もっと早く――今のエルシェリアと会いたかったぞ!」
彼は、そう言って笑う。
この男も笑うのだな――と、
死に際になって新しい発見をするとは……。
≪まあ、するならセリーネか弟君……。
いえ、ユウト様の発見がしたかったですねぇ……≫
そんな思考がよぎったあと、私はアウグストへ声をかける。
「まだ、お話しますか?」
「いや……。
名残惜しくはあるが、もう終わりにしよう」
「おやおやぁ~?
私は構いませんよぉ~?
いくらでも付き合ってあげます♪」
「であれば、俺とともに来い!」
「それは、謹んでご遠慮申し上げます」
丁寧に、きっぱりと断る。
もはや、殺す者と殺される者の会話ではない。
「そうか……。本当に残念だ」
「貴方にそう思っていただけたこと、誇りに思いましょう。
そして――“増禍薬”などというくだらない物に手を染めてまで、
強くあろうとしたことにも敬意を表します」
言い終えると、私たちは言葉を止めた。
しばしの静寂。
その中で響くのは、
アウグストの頭上に待機する、金色の業火の燃え盛る音のみ。
「さらばだ……」
「ええ、さようなら」
そしてアウグストは、
太陽とも呼べるほどのエネルギーを持つ、巨大な炎塊を放った。
「さようなら、セリーネ、ノクティア姉さま。
そして――本当に楽しかったですよ、ユウト様……。
願わくば、転生し……今度こそ、あなたを……」
ゆっくりと迫り来る、巨大な金炎の玉。
その前で、私は静かに目を閉じた。
そして――
「瞬転――これが俺の、全力全開だぁぁーーー!!?」
その声とともに、
突如として、大小二つの轟音が響き渡った。




