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クーデレ王女とキツネ令嬢  作者: 芦名 雅
第六章 共犯者になりませんか

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第8話 共犯者になりませんか


 合同地脈視察の申請は、驚くほど早く通った。正確には、通さざるを得なかった、という方が近い。


「フェンリシア東部の地脈低下中心と、レグリア国境高原の旧地脈施設が一致する可能性あり」


 フィーネは朝食の席で、昨日作った申請書の写しを読み返していた。その下には、王室記録庫で確認した河川・結界予算の増額。治療院で得た、聖冠系統の魔力供給変動。フェンリシア使節団の測定値。三種類の資料が添付されている。


「お嬢様」


「何ですか」


「パンを食べてください」


「読んでいます」


「目で申請書を、口で朝食を。両立できます」


「できません」


「では申請書を置いてください」


 セリアが焼いたパンを皿へ追加した。


「昨日も夕食が遅かったでしょう」


「記録庫を出た時間を考えれば仕方ありません」


「はいはい、合理的ですね。では合理的に食べてください」


 フィーネは黙ってパンを取った。勝てない。こういう時のセリアには。


「それで」


 セリアが紅茶を注ぐ。


「本当に行かれるのですね」


「ええ」


「国境高原」


「正式な視察です」


「昨夜まで、お嬢様の口から一度も聞いたことのない言葉ですね」


「何がです」


「正式」


「失礼ですね」


「褒めています」


「どこがですか」


 フィーネは申請書を畳んだ。昨日までなら。夜に出る。供を減らす。必要なら身分を隠す。そうして七年間、四つの環を直した。誰にも知られないことが、一番の安全だと思っていた。けれど今回は違う。フェンリシア第一王女がいる。国境を跨ぐ異常がある。隠れて動けば、発覚した時にそれ自体が外交問題になる。


 だから、正面から申請した。レグリア王室評議会。国境管理局。フェンリシア使節団。三者の印を揃えて。


「出発は正午です」


「荷物は?」


「最低限で」


「却下です」


「なぜ」


「高原へ行くのに最低限という言葉を使う人は、たいてい必要な物を忘れます」


「私は忘れません」


「では、包帯」


「あります」


「予備の触媒」


「あります」


「防寒具」


「あります」


「食料」


「現地で」


「はい、忘れています」


「......」


 セリアが勝ち誇った顔をした。


「お嬢様は術式のことになると、食事を設備扱いしないので」


「設備ではありません」


「だから忘れるんです」


 言い返せなかった。セリアは満足そうに頷く。


「今回は私も行きます」


「危険ですよ」


「存じています」


「古代術式が残っている可能性があります」


「存じています」


「では」


「お嬢様が一人で行くより安全です」


 即答だった。フィーネは少し黙った。セリアは、十七歳の頃から、夜間外出の衣装を用意し、馬車を手配し、帰宅時間を誤魔化し、何も聞かずに、必要なものだけを置いてきた。


「......分かりました」


「はい」


「ただし、危険なら下がってください」


「それはお嬢様にも適用されます」


「私は作業者です」


「私は侍女です」


「理由になっていません」


「お互い様ですね」


 セリアは笑った。



 正午。王宮北門の前には、フェンリシアの紋章をつけた馬車と騎馬が待っていた。大きな一団ではない。外交使節団の本隊は王都に残る。向かうのは、ユーフェミア。ナディア。フェンリシア側の測量具を積んだ荷馬車。レグリア側からはフィーネとセリア。それに国境管理局の文官二人と護衛数名だけ。あくまで。


 合同地脈視察。表向きは。


「遅い」


 ユーフェミアが言った。濃青緑の軍装。腰には長剣。赤金色の狐耳が、陽射しを受けて少し明るく見える。


「集合時刻の5分前です」


 フィーネは答えた。


「私は10分前に来た」


「殿下の勝手です」


「ユーフェミア殿下」


「......」


「昨日決めただろう」


「決めていません」


「呼んだ」


「一度だけです」


「なら二度目だ」


 フィーネは無視した。ナディアが隣で小さくため息をつく。


「殿下」


「何だ」


「出発前から他国の伯爵令嬢を困らせないでください」


「困っているのか」


 ユーフェミアがフィーネを見る。


「いいえ」


「なら問題ない」


「お嬢様」


 今度はセリアだった。


「顔は変わっていませんが、耳飾りを触っていますよ」


 フィーネの手が止まった。左耳。銀の耳飾り。


「癖です」


「存じています」


 最悪だ。味方が二人いると、逃げ道が減る。


「行くぞ」


 ユーフェミアが馬へ乗る。


「フィーネ」


「......はい」


 返事をしてから、少しだけ後悔した。



 王都から国境高原までは、まっすぐ進んでも数日かかる。最初の二日は、ルーネ川沿いの街道を北東へ進んだ。肥沃な平原。水車。麦畑。葡萄畑。王都から離れるほど、聖堂の尖塔は小さくなり。代わりに、地面に立つ結界石が増えていった。農地を魔獣から守るもの、水路の凍結を防ぐもの、夜間の街道灯へ魔力を供給するもの。


 どれも、少しずつ弱っている。


「三年前より暗いな」


 夕方。街道脇の宿場で、ユーフェミアが結界灯を見上げた。


「以前ここを?」


「国境会談で一度」


「よく覚えていますね」


「暗かった場所は覚える」


「なぜ」


「護衛配置に関わる」


 フィーネは納得した。王女。次期女王。観光客ではない。景色を見る時も、たぶん、守る場所として見ている。


「お嬢様」


 セリアが宿場の小さな管理所から戻ってきた。


「少々よろしいですか」


「何ですか」


「結界管理の方が、お礼を申し上げたいそうです」


「私に?」


「はい」


 嫌な予感がした。管理所から出てきたのは、五十代ほどの男だった。作業着。日に焼けた顔。帽子を胸に抱えている。


「ラグランジュ様」


 深く頭を下げた。


「昨冬は、本当にありがとうございました」


「......何のことでしょう」


「北側水路の結界石です。あれが割れた時、交換用の魔晶石代を」


「人違いです」


「ですが、こちらの侍女さんが」


 男の視線がセリアへ向く。セリアが、珍しく。目を逸らした。


「セリア」


「申し訳ございません」


「何をしたのです」


「去年、代理で支払い手続きを」


「匿名でと言いましたよね」


「匿名でした」


 男が困った顔をする。


「その......送り主のお名前は聞いておりません。ただ、王都から来られたこの方を覚えておりまして」


 セリアを見る。


「本日ご一緒でしたので」


「......」


 完全な事故だった。フィーネは小さく息を吐く。


「礼は不要です」


「ですが」


「交換が必要だったから交換した。それだけです」


「おかげで冬の水路が止まらずに済みました」


「なら結構です」


 男はもう一度深く頭を下げた。去っていく。沈黙。フィーネは振り返らなかった。見なくても分かる。ユーフェミアがいる。


「何ですか」


「何も言っていない」


「顔が言っています」


「お前にそれを言われるとは思わなかった」


「何が言いたいのです」


「慈善嫌い」


「......」


「地方の結界修理費を匿名で出す慈善嫌い」


「投資です」


「何への」


「水路が止まれば作物が減ります」


「それで?」


「穀物価格が上がります」


「それで?」


「ラグランジュ家は製粉と河川交易に出資しています」


「つまり」


「後で穀物価格が上がると困るだけです」


 ユーフェミアが黙った。ナディアまで黙った。セリアは口元を押さえている。


「何ですか」


「いや」


 ユーフェミアの耳が、ほんの少しだけ立った。


「分かりやすいなと思っただけだ」


「何がです」


「お前が」


「意味が分かりません」


「そうか」


 短い。それ以上言わない。腹が立つ。なのに、なぜか。昨日より不快ではなかった。



 四日目の午後。一行は国境都市ベルネスを抜け、高原へ入った。空気が変わる。平原の柔らかい風ではない。岩肌を削る、乾いた風。背の低い草。灰色の石。遠くに針葉樹の帯。その向こうがフェンリシア領だった。国境線そのものに壁はない。石標が一定間隔で並ぶだけ。大地の下を流れるものにとって、人間が引いた線など。


 最初から意味はない。


「旧監視塔」


 ユーフェミアが前方を指した。崩れた石塔が見える。第五環の位置を割り出す基準点。


「ここから北北東」


「岩峰が三本」


 フィーネが答える。


「見えるか」


「二本だけです」


「三本目は重なっている」


 ユーフェミアが馬を少し横へずらした。角度が変わる。奥にもう一本。細い岩峰が現れた。


「......本当に地図読みが得意なのですね」


「疑っていたのか」


「王女殿下の自己申告を無条件で信じるほど素直ではありません」


「私もお前の噂を信じなかった」


「それとこれとは別です」


「そうか」


 一行は馬を降りた。ここから先は足場が悪い。荷物を分ける。測量具。触媒。小型魔晶石。刻印針。水。ロープ。セリアがフィーネの鞄へ食料まで押し込もうとする。


「作業中に食べません」


「終わった後です」


「重いです」


「殿下」


 セリアがユーフェミアを見る。


「これを」


「ああ」


 ユーフェミアが受け取った。


「なぜ殿下に渡すのです」


「お嬢様より体力がありますので」


「正しい」


「ユーフェミア殿下まで」


「事実だ」


 反論できない。さらに腹が立つ。ナディアが地面へ測量棒を刺した。


「殿下。遊んでいるなら置いていきますよ」


「遊んでいない」


「では働いてください」


「ああ」


 王女への扱いが雑だ。少し羨ましいと思った自分に、フィーネは気づかないふりをした。



 三本の岩峰に囲まれた窪地は、地図で見るより広かった。中央には、何もない。少なくとも、普通に見れば。


「ここです」


 フィーネはしゃがみ込んだ。土へ指を近づける。触れない。まず。感じる。流れ。方向。残っている魔力の癖。甘い。苦い。鉄のような冷たさ。言葉にすればそうなる。けれど実際は匂いではない。大地の下を走る魔力が、どちらへ引かれているか。どこで擦れているか。どこに古い術式が残っているか。それが感覚として重なる。


「強い」


「何が」


 ユーフェミアが隣へ来る。


「王都へ向かう引きです」


「前の祠より?」


「比べものになりません」


 フィーネは地面を見た。


「ここは支点ではない」


 一度。息を吸う。


「環そのものです」


 セリアの顔から軽さが消えた。ナディアも周囲を見る。


「掘るのですか」


「少しだけ」


 フィーネは古地図と現地を照合する。三本の岩峰。旧監視塔。地下水の流れ。日没時の影。四つの基準を合わせる。


「ここ」


 地面へ印をつけた。護衛が表土を慎重に除ける。土。砂利。古い石。さらに、半刻ほどして、円弧が現れた。黒い石。人の腕より幅がある。地面の下へ埋め込まれた古い環。表面には、削れた溝が何本も走っている。


「これが」


 ユーフェミアが言う。


「七つの一つか」


 フィーネは少し迷った。最初に地図を見せた時は、七つの全体構造を消した地図しか見せなかった。昨日。残り三環の一つだと口にした。ここまで来たなら。もう、


「はい」


 答えた。


「古い《七環返路》の一つです」


「七環」


「大地へ偏った魔力を返すための環路。少なくとも、母の資料にはそう残っていました」


 母。また言った。今度は、前ほど喉に引っかからなかった。


「今は逆になっている?」


「ええ」


 フィーネは溝へ触れない距離で指をなぞる。


「王都へ集める向きに改変されています」


「直せるのか」


「直します」


「質問への答えになっていない」


「七年間、それでやってきました」


「今は一人ではない」


 静かな声だった。フィーネは顔を上げる。琥珀色の目。まっすぐ。


「できるか」


 もう一度。聞かれた。フィーネは環を見る。


「......分かりません」


 初めて、そう答えた。



 問題はすぐに見つかった。


「周期が合わない」


 フィーネは膝をつき、三本目の測定針を見た。揺れる。止まる。また揺れる。


「壊れている?」


 セリアが聞く。


「器具は正常です」


「では」


「流れそのものが二つあります」


 レグリア側から王都へ引かれる流れ。フェンリシア側から国境へ押し戻される流れ。二つが、この環でぶつかっている。今まで修復した四環にはなかった状態だった。フィーネは刻印紙へ数字を書く。一周期。二周期。三周期。揃わない。


「このまま触媒を置けば?」


 ユーフェミアが聞く。


「最悪、両方へ跳ね返ります」


「範囲は」


「分かりません」


「国境都市まで?」


「可能性はあります」


 ナディアの耳がぴくりと動いた。


「では中止を提案します」


 即座だった。


「情報を持ち帰り、専門家を増やして再調査するべきです」


 正しい。フィーネもそう思う。けれど、


「待て」


 ユーフェミアが測量図を広げた。


「二つの流れと言ったな」


「ええ」


「レグリア側しか測っていないから、周期がずれて見えている可能性は?」


 フィーネの手が止まる。


「......」


「フェンリシア側の観測点は、ここから北東へ、馬で一時間もかからない」


 ユーフェミアが指す。


「本国から持ってきた測定記録は、向こう側の値だ」


 ナディアも地図を覗く。


「同期時刻は揃っています」


「出せ」


「はい」


 帳面が開かれる。時刻。出力。波形。地脈圧。フィーネは自分の記録と並べた。違う、いや。


「違わない」


「どっちだ」


「周期は同じです」


 フィーネの指が数字を追う。


「位相がずれている」


「分かるように言え」


「こちらが上がる時、向こうが下がる」


「押し合っている?」


「違います」


 一枚。紙を重ねる。


「受け渡しているんです」


 その瞬間。母の楽譜の一節が頭に浮かんだ。二つの音。片方が上がる時、片方が下がる。交互に、同じ旋律を渡す。


「そういうこと」


「何が」


「この環は、一国の中だけで完結する構造ではありません」


 フィーネは顔を上げる。


「両側の流れを読まないと、起動周期が分からない」


「つまり」


 ユーフェミアが言う。


「お前一人では直せなかった」


 その言い方に、少しだけ腹が立った。けれど、否定できない。


「......そうですね」


「珍しい」


「何がです」


「素直だ」


「今すぐ帰ってもいいですよ」


「断る」


 ユーフェミアの耳が、ほんの少し立つ。楽しんでいる。たぶん、


「修復手順を言え」


「まず、フェンリシア側の周期を基準にします」


「私が読む」


「できますか」


「地図と測定値なら」


「では」


 フィーネは一瞬迷って、測定板を渡した。


「お願いします」


 ユーフェミアが受け取る。それだけの動作が、妙に重く感じた。七年間。自分の道具を、自分の作業を、誰かへ任せたことがなかった。



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