第13話 共犯者らしくなってきましたね
「共犯者らしくなってきましたね」
馬車へ乗りながらフィーネが言った。
「嫌か?」
「いいえ」
答えが早かった。本人も気づいたらしい。耳が一度跳ねる。
「......今のは忘れてください」
「無理だ」
「そればかりですね」
「覚える価値のあることが多い」
「あなたは時々、本当に性格が悪い」
「知っている」
馬車が動き出す。ベルネスの石壁が遠ざかった。街道はしばらく平地を走り、その後、低い丘陵へ入る。秋の終わり。草は薄い金色に変わり、遠くの山にはもう雪が見える。王都へ向かう大街道と違い、旧街道は人が少ない。フィーネの顔色も少しずつ戻った。ただし、耳と尾は隠せない。馬車の窓を閉じている間だけ、外套を外している。
そのため。ユーフェミアの視界の端では、ずっと銀白の尾が動いていた。一定ではない。地図を読んでいる時は止まる。セリアに薬を飲まされる時は不満そうに揺れる。ナディアが第五環の改善値を読み上げると少し立つ。ユーフェミアが見ると止まる。非常に分かりやすい。
「殿下」
「何だ」
「監視をやめてください」
「地脈調査の一環だ」
「私の尻尾と地脈に何の関係が」
「反応が正直だ」
「ありません」
尾が床を叩いた。
「今のは?」
「馬車が揺れただけです」
「そうか」
「納得していない顔ですね」
「いつもと同じだ」
「それも返してください」
前の席で、ナディアが額を押さえた。セリアが小声で言う。
「大変ですね」
「そちらほどでは」
「聞こえています」
フィーネが言う。
「聞こえるように言いました」
セリアは平然としていた。ユーフェミアは少しだけ口元を緩めた。こういう時間は悪くない。そう思った。すぐに打ち消す。仕事中だ。数刻後。馬車は小さな村で止まった。馬を休ませるためだ。街道沿いに十数軒の家。古い共同井戸。その横に、小さな結界柱が立っている。柱の根元には、新しい魔晶石が嵌め込まれていた。
ユーフェミアは見覚えのある刻印に気づく。王都郊外の祠で見たものとは違う。もっと新しい。王都の一般工房が使う規格印。だが、支払い証明の金属札に刻まれた商会紋が、昨日ベルネスで聞いた名前と同じだった。フィーネが匿名で地方の結界修理費を出していた商会だ。ユーフェミアが柱を見る。フィーネが見る。
目が合った。
「偶然です」
「まだ何も言っていない」
「顔に書いてあります」
「この村も?」
「知りません」
「商会紋が同じだ」
「商会は多くの依頼を受けます」
「修理日は三か月前」
「よく見ていますね」
「仕事だからな」
「便利な言葉です」
村の老人が近くを通った。ユーフェミアが軽く声をかける。
「この結界柱は最近直したのか」
「ああ。夏前までは毎晩消えかけててねえ」
「誰が費用を?」
「さあ。役所じゃないらしいよ。どこかのお金持ちが、名を出すなって」
フィーネが咳払いした。
「殿下。馬が休めたようです」
「まだ五分だ」
「十分です」
「馬に聞いたのか」
「顔で分かります」
「便利だな」
「行きますよ」
フィーネが馬車へ戻る。銀白の尾が外套の中へ隠れた。老人が首を傾げる。
「あの綺麗なお嬢さん、どこかで見たことがあるような」
「気のせいだ」
ユーフェミアは答えた。そして馬車へ戻る。中へ入った瞬間。
「余計なことを」
フィーネが言った。
「何が」
「村の方へ聞いたでしょう」
「確認しただけだ」
「匿名の意味がありません」
「私は誰にもお前の名前を言っていない」
「そういう問題では」
「では、なぜ払った」
「後で穀物価格が上がると困るだけです」
「この村は穀倉地帯ではない」
「街道が止まれば流通費が上がります」
「この旧街道の交通量は少ない」
「少なくてもゼロではありません」
「なるほど」
「何です、その顔は」
「お前は随分、国中の穀物価格を心配しているらしい」
「伯爵家の人間ですので」
「そうか」
「そうです」
尾が、少しだけ。左右へ揺れた。ユーフェミアは窓の外を見る。笑いそうになったからだ。フィーネの言葉は、いくらでも取り繕える。合理性。利益。価格。損失。だが、尾は嘘をつけないらしい。その夜、一行は街道沿いの小さな宿へ入った。四人で一つの大部屋を取る。フィーネの正体を隠すためだ。宿主には、外国王女の警護上の都合と説明した。
間違いではない。夕食後。ナディアとセリアは机の反対側で翌日の道程を確認していた。ユーフェミアは窓辺で本国への報告書を書く。第五環修復後。フェンリシア東部の地脈値は平均で僅かに改善。まだ誤差範囲に近い。だが、複数地点で同方向の変化が出た。一時的な変動か。修復の効果か。判断には継続測定が必要。
断定しない。期待も書かない。事実だけを書く。
「殿下」
フィーネが隣へ来た。
「何だ」
「その文面なら問題ありません」
「読んでいたのか」
「見えました」
「信用されていないな」
「外交文書ですから」
「そうか」
「それと」
フィーネは少し迷ってから。
「ありがとうございます」
「何が」
「村で」
「村?」
「私の名前を出さなかったことです」
「出す理由がない」
「そうですね」
フィーネはそれだけ言って離れた。だが、尾先が、ユーフェミアの椅子のすぐ横を通った時。少しだけこちらへ寄った。触れない。あと指二本ほど。その位置で止まる。ユーフェミアは手を動かさなかった。フェンリシアでは、他人の尾へ勝手に触れるのは失礼どころではない。家族。伴侶。あるいは、本人が特別に許した相手。
それだけの距離だ。フィーネ自身がどこまで知っているかは分からない。母親が妖狐族なら、教わっている可能性は高い。だから、触れない。こちらからは、その代わり。
「フィーネ」
「何です」
「尾が出ている」
「知っています」
「私の椅子の横だ」
尾が止まる。完全に、フィーネがゆっくり振り向いた。無表情。耳は真横。
「......偶然です」
「そうか」
「そうです」
「なら動かさなくていい」
「なぜです」
「邪魔ではない」
耳が、ぴくりと動く。尾は、しばらくそのままだった。ユーフェミアは報告書へ視線を戻した。自分の心臓が少し速い理由は、長旅の疲れということにした。翌朝、セリアが荷物を整理している時だった。
「あら」
小さな声。
「どうした」
ユーフェミアが見る。
「いえ。お嬢様の荷物が少し崩れて」
革鞄の中から、布包みが落ちていた。古い。色は淡い灰青。端に細かな刺繍がある。枝のような曲線。その周りを巡る七枚の細長い葉。中央には、小さな白い獣を思わせる意匠。ユーフェミアの目が止まった。
「待て」
セリアが手を止める。
「それを見せてくれ」
「殿下」
後ろからフィーネの声。ユーフェミアは振り向く。フィーネが立っていた。髪をまとめる途中らしく、銀白の髪が肩へ落ちている。耳も出たまま。
「母のものです」
「触らない」
ユーフェミアはすぐ言った。
「ただ、刺繍を見たい」
フィーネが少しだけ迷う。
「......どうぞ」
セリアが机へ布を広げた。ユーフェミアは手を触れずに覗き込む。やはり、見覚えがある。幼い頃。王族教育で見た。フェンリシア建国以前の氏族紋章集。王家ではなく。もっと古い。地脈と森を守っていた一族。
「ヴァルネ」
フィーネの耳が動いた。
「何です?」
「旧守人家だ」
「守人家?」
「フェンリシアの古い家系。今は本家が絶えている」
ユーフェミアは刺繍を見る。
「この七枚の葉と、枝の組み方が似ている」
「同じですか」
「断定はできない。細部が違う」
フィーネが布へ視線を落とす。
「母は、フェンリシア出身でした」
「知っている」
「ですが、家名についてはほとんど話しませんでした」
「ミレイア・ラグランジュになる前の名は?」
「......ミレイア・ヴァルネ」
室内が静かになった。ユーフェミアはフィーネを見る。フィーネも、同時に、
「白楡館」
二人の声が重なった。ナディアが眉を上げる。
「珍しいですね」
「何がだ」
「息が合ってきました」
「違います」
フィーネが即答する。尾が左右に揺れた。ユーフェミアは見ないふりをした。それから四日後の昼過ぎ。一行は旧街道から南西へ折れた。丘陵を越える。葡萄畑が増えていく。ラグランジュ領だ。フィーネの故郷。だが本人は、窓の外をあまり見なかった。代わりに、母の刺繍布を膝の上へ置いている。
「今まで気づかなかったのか」
ユーフェミアが聞く。
「七という数が重要なのは分かっていました」
「なら」
「私には、ただの母の刺繍でした」
フィーネは布を見る。
「幼い頃から何度も見ています。だからこそ、疑わなかった」
「近すぎるものは見えにくい」
「殿下にもあるのですか」
「ある」
「例えば?」
ユーフェミアは考える。
「ナディアが私の命令を聞かないこと」
「それは毎日見えているでしょう」
「確かに」
前席から声が飛ぶ。
「聞こえています」
「聞こえるように言った」
「それ、便利ですね」
セリアが笑う。
「真似しないでください」
フィーネが言った。尾が少しだけ揺れた。夕暮れ前。白い幹の楡が並ぶ細い道の先に、屋敷が見えた。白楡館。二階建ての石造り。華美ではない。窓枠は深い緑。長く使われていないのか、庭の低木は少し伸びている。それでも荒れてはいない。定期的に管理されているらしい。門前で待っていた年配の管理人が、フィーネを見るなり深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
フィーネの足が止まる。
「......久しぶりですね、オルド」
「五年ぶりでございます」
「そんなになりますか」
「はい」
管理人はフィーネのフードを見た。だが何も聞かない。古参使用人なのだろう。
「お部屋はすぐ使えます」
「急で申し訳ありません」
「旦那様から、生前に言いつけられております。お嬢様がいつ来ても困らぬように、と」
フィーネが何も言わなくなる。耳が、ゆっくり伏せた。ユーフェミアは視線を外した。今は見ない方がいい。館へ入る。古い木の匂い。乾いた紙。磨かれた床。壁には、若い頃のアンリとミレイアの肖像があった。フィーネは見ない。真っ直ぐ廊下の奥へ進む。
「研究室は?」
「当時のままです」
管理人が答える。
「書庫も?」
「鍵をかけたままにしております」
「鍵は」
「こちらに」
古い真鍮の鍵が差し出された。フィーネが受け取る。指先が僅かに震えた。ユーフェミアは何も言わない。研究室は二階の奥にあった。扉を開ける。埃の匂い。乾燥させた薬草。古い魔晶石。机。棚。壁一面の本。そして、部屋のさらに奥。もう一つ、細い扉がある。
「鍵付き書庫です」
セリアが言う。
「奥様が、ご自分で管理されていました」
フィーネが真鍮の鍵を差し込む。一度。回らない。
「錆びていますね」
「貸せ」
「結構です」
「壊すなよ」
「壊しません」
二度目。固い音。三度目。かちり。鍵が回った。扉が開く。中は狭い。書棚が三つ。箱が二つ。机が一つ。フィーネが魔法灯を灯した。淡い光が広がる。ユーフェミアは部屋の隅を見る。
「フィーネ」
「何です」
「あれは?」
机の上。革紐で束ねられた紙の山がある。一番上に、楽譜。古い童謡らしい。五線ではない。レグリアで昔使われた数字譜。だが、音符の横に、見覚えのある記号が並んでいる。円を横切る三本線。波。樹。鉱石。港を示す古い灯台印。そして、七つ。全部で、七つの印。フィーネが息を止めた。
「母の字です」
紙の余白には、細かな書き込みがあった。同じ数字が繰り返されている。三。五。七。方角を示す古語。そして、一番下。小さな文字。――歌は、帰る道を忘れない。フィーネの銀白の尾が、静かに止まった。ユーフェミアも、もう冗談を言わなかった。第五環。母の刺繍。ヴァルネ。七つの記号。七環返路。また一つ。
ばらばらだったものが、一本の線へ繋がった。




