第83章 動脈切断
1944年11月。
大西洋においては、アメリカ合衆国がその無尽蔵の工業力の全質量を注ぎ込み、ナチス・ドイツの軍靴に踏みにじられている大英帝国の旧き王土を直接海から奪還するための史上最大の逆上陸作戦──『リターン・キング作戦(王の帰還)』の準備が、いよいよ最終の臨界点へと到達しつつあった。
アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.の最高首脳陣は、このヨーロッパ第一主義による凄惨な出血を許容する一方で、太平洋における対日戦線への巨大な増援の布石をも、極めて冷徹かつ機械的に打ち続けていた。
合衆国の工業力は西海岸だけに留まらない。東海岸のニューヨーク海軍造船所や、バージニア州のニューポート・ニューズ造船所、さらにはメキシコ湾沿岸に点在する無数のドックにおいても、基準排水量3万トン級の最新鋭航空母艦『エセックス級』の第二陣や、新鋭高速戦艦『アイオワ級』が次々と進水を終え、太平洋の戦線へと合流するための航海の準備を整えていたのである。
しかし、彼ら「東海岸・メキシコ湾生まれの鋼鉄の怪物たち」が、決戦の地である太平洋へと到達するためには、絶対に通過しなければならない「一本の細い糸」が存在した。
北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を繋ぐ、中米の極めて細い地峡。そこを人間の力で引き裂いて造られた、人類の土木工学の結晶にして、合衆国の二つの大洋を結ぶ最大の兵站動脈──『パナマ運河』である。
もし仮に、この運河が何らかの理由で機能停止し、通過不可能になったとすればどうなるか。
東海岸で建造された新鋭艦艇や、膨大な兵員と兵站物資を満載したリバティ船(戦時標準船)の群れは、南アメリカ大陸の最南端、荒れ狂う暴風雨と巨大な氷山に閉ざされた『マゼラン海峡』を、優に数万マイルも迂回しなければならなくなる。それは、太平洋への到着を数ヶ月から半年も遅延させるという、戦略上の致命的なタイムロスを意味していた。
江戸城地下の幕府最高臨戦評議場に座す「帝国の脳髄」たちは、このアメリカの地政学的な最大のアキレス腱を決して見逃してはいなかった。彼らは、アメリカがヨーロッパ奪還へ向けて大西洋側へ気を取られ、太平洋側の防備が手薄になっているこの黄金の間隙を縫って、合衆国の巨大な生産力を「地理的」に真っ二つに叩き割るための、極めて冷酷にして異形の「非対称戦略兵器」を、暗黒の深海から解き放ったのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1944年11月1日 午前3時00分
太平洋東部 パナマ運河西岸沖合 100海里
豊栄大日本帝国 第六艦隊 第1潜水戦隊
第十八号型特型潜水母艦『伊号第四百潜水艦』 甲板上
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
漆黒の太平洋。星明かりすら分厚い熱帯の雨雲に完全に遮られた、赤道直下の重く淀んだ海原に、巨大な黒い山脈のようなシルエットが、一切のスクリュー音も立てず、不気味なほどの静寂を保ったまま海面へと浮上してきた。
薩摩国・島津重工(西国重工)の巨大な地下ドックで極秘裏に建造された、基準排水量3,300トン、全長120メートルを超える世界最大の潜水艦──第十八号型特型潜水母艦『伊号第四百潜水艦』である。
その巨体は、単なる一隻の潜水艦という概念を遥かに逸脱していた。それは地球の裏側まで単独で到達する航続距離を持ち、敵の絶対的な安全地帯の只中へ「航空機」という名の短刀を突き立てるために造り出された、深海を潜行する動く要塞そのものであった。
「……周囲の海域ならびに上空に敵影なし。米軍の電波探知機の走査波も確認されず。浮上成功いたしました」
「よし。ただちに耐圧格納筒、開放! 機体を甲板へ引き出せ!」
潮風が吹きすさぶ濡れた甲板で、整備長が防喉送話器越しに低く、しかし極めて鋭い怒号を飛ばす。
艦橋の構造物と完全に一体化し、艦体の中心線からわずかに左舷へオフセットされて設置された、直径3.5メートル、全長数十メートルに及ぶ巨大な鋼鉄の筒。その分厚い水密扉が、重々しい油圧の駆動音とともにゆっくりと開かれると、内部の暗がりから、主翼と水平尾翼を極限までコンパクトに折り畳まれた銀色の機体が、専用のレールに乗って次々と甲板上へと引き出されてきた。
村上産業が持てる航空技術のすべてを注ぎ込み、この潜水空母の極度に狭い格納筒に搭載するためだけに一から開発した、四三式特殊水上攻撃機『晴嵐』一一型である。
「主翼展開! 回転軸の固定ピンを確実に叩き込め! 暖機運転を急げ! 夜明け前に目標上空へ到達せねば、奇襲の意味が根底から失われるぞ!」
整備兵たちが、暗闇の中で懐中電灯の赤いセロファン光だけを頼りに、狂気的な手際で『晴嵐』の組み立てを行っていく。主翼の折り畳み機構は、ピンを一本抜くだけで油圧の力により90度回転し、そのまま機体に沿って後方へ折り畳まれるという、極めて複雑かつ精緻なギミックであった。
通常ならばクレーンを用いた大掛かりな作業で数十分から一時間を要する水上機の組み立てを、彼らは血の滲むような猛訓練と、和泉堺の商工組合が極限まで規格化した『堺公差』のジョイント機構によって、暗闇で波に揺れる甲板の上でありながら、わずか三分で完了させるという神業を見せつけていた。
伊四百型潜水艦の艦橋で、第一潜水戦隊司令である有泉 龍之介大佐は、黒革の手袋で暗視双眼鏡を握りしめ、東の暗闇──アメリカ大陸の細い地峡、パナマの方角を冷徹な目で見つめていた。
「アメリカの連中が、欧州のイギリス本土奪還(リターン・キング作戦)のために全質量を大西洋へ注ぎ込み、東海岸のドックで船を必死に造っているこの瞬間。……その全く無防備な背中側から、彼らの心臓の最も柔らかい部分に、我々が極上の短刀を突き立てる」
有泉大佐は、手元の防水海図のパナマ地峡の部分を指でなぞった。
パナマ運河は、単純に中米の大地を平らに掘り割っただけの水路ではない。その中央部分には、海面から26メートルもの高所に位置する広大な人工湖「ガトゥン湖」が横たわっている。太平洋側と大西洋側から進入する巨大な戦艦や輸送船は、この湖の高さまで船を持ち上げるための巨大な水のエレベーター、すなわち「閘門」を三段階にわたって通過しなければならないのだ。
つまり、この何千万トンというガトゥン湖の莫大な水量を堰き止めている「巨大な二重の鋼鉄の扉(水門)」を物理的に粉砕しさえすれば、湖の水はすべてカリブ海側へと一気に流れ出し、運河の心臓部そのものが干上がって、数ヶ月から半年にわたり完全に機能停止するのである。
「……第一攻撃隊、全機射出準備完了いたしました」
『晴嵐』攻撃隊の隊長、浅村 健太大尉が、飛行服と救命胴衣を身につけたまま艦橋を見上げて有泉大佐に敬礼した。
浅村大尉が乗る一番機の『晴嵐』の腹下には、長門毛利家(防長化学)が独自に開発した新型高爆速火薬を限界まで詰め込んだ、重量800キログラムの巨大な徹甲爆弾が重々しく懸架されている。
「浅村大尉。目標は大西洋側の出入り口である『ガトゥン閘門』の巨大な二重鉄扉だ。あれの基部を正確に破壊すれば、アメリカの東西を繋ぐ動脈は完全に切断される。太平洋への兵力投射は致命的に遅延し、帝国は完璧な防衛線を構築するための黄金の時間を手に入れる。……頼んだぞ」
「お任せを。……帝国の千年を見据えた冷徹な算盤の辻褄、我々の命に代えても合わせてみせます」
浅村大尉は不敵に笑い、機体へとよじ登り、風防を閉めた。
1400馬力級の液冷発動機(アツタ三二型エンジン)が咆哮を上げ、短い単排気管から青白い炎を噴き出す。
「射出!」
甲板長が青いランプを振り下ろす。肥前国の鍋島家(佐賀精密機械)が極限の精度で削り出した、全長数十メートルに及ぶ前甲板の四式一号一〇型高圧油圧射出機が作動した。
ドゴォォォンッ!!
強烈な作動油の圧搾音とともに、1400馬力エンジンを全開にした『晴嵐』が、凄まじい加速度とともに漆黒の夜空へと蹴り出されていく。
計3隻の伊四百型潜水艦から次々と射出された10機の『晴嵐』一一型は、暗黒の太平洋から中央アメリカの深い密林を越え、アメリカ合衆国が「我々の裏庭であり、絶対に攻撃されるはずがない」と信じ込んでいた最も脆弱な急所へ向けて、音もなく滑空を始めたのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同日 午前4時45分
パナマ地峡 ガトゥン閘門 上空
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パナマ運河の大西洋側に位置するガトゥン閘門。
海面から26メートルの高さにある広大なガトゥン湖へ、太平洋と大西洋を往来する巨大な軍艦や輸送船を引き上げるための、長さ300メートル、厚さ数十センチ、重さ数百トンにも及ぶ巨大な二重鋼鉄扉を備えたこの巨大土木施設。それは、アメリカ合衆国の覇権と、巨大な兵站を支える大動脈の真の心臓部であった。
熱帯の深いジャングルに囲まれた閘門周辺には、アメリカ陸軍の対空陣地や探照灯が多数配置され、さらには対空レーダー網も敷かれていた。しかし、守備隊の兵士たちの警戒は極めて怠惰であり、多くは微睡みの中にあった。
ヨーロッパから何千マイルも離れ、太平洋の戦場からも遥か彼方に位置するこのパナマ地峡へ、日本の航空機が直接飛来してくることなど、彼らの常識では誰一人として想像すらしていなかったのである。
「……目標視認。眼下にガトゥン閘門の巨大な鉄扉群。……対空砲火、まったくありません。完全に寝静まっています」
『晴嵐』の操縦席で、浅村大尉は照準器のオレンジ色の十字線に、月明かりに照らされて鈍く光る巨大なコンクリートと鉄の構造物をピタリと捉えた。
「アメリカの連中、自国の裏庭が絶対に安全だと思い込んでいるようだな。その傲慢な慢心ごと、この毛利の800キロ徹甲爆弾で根本から粉砕してやる」
浅村大尉は、機体の空気抵抗を限界まで減らすため、機体下部に装着されていた巨大で重いフロート(浮舟)の切り離しレバーを力強く引いた。
ガコンッ! という鈍い金属音とともに、左右の巨大なフロートがパナマのジャングルへと落下していく。フロートを捨てた『晴嵐』は、帰りの海面への着水が完全に不可能になり、攻撃後は太平洋上に不時着して搭乗員のみが潜水艦に回収されるという、事実上の「片道切符」となる。
しかし、その重い足枷を捨てたことで空気抵抗から完全に解放された『晴嵐』の機動力と降下速度は、並の急降下爆撃機を遥かに凌駕する極致へと跳ね上がったのである。
「全機、突入! 閘門の鉄扉の基部、油圧制御室の分厚いコンクリートを正確に狙え!」
10機の『晴嵐』が、空冷星型エンジンには出せない液冷エンジン特有の、サイレンのような凄まじい風切り音を轟かせながら、月明かりの空から完全な垂直降下を開始した。
「て、敵機ッ!? ジャップの飛行機だ! どこから来たんだ!?」
アメリカ軍の高射砲陣地が、頭上から降り注ぐエンジンの爆音でようやく異常に気づき、慌ててサイレンを鳴らして探照灯の光芒を空へ向けたが、すべてが遅すぎた。
「落ちろォッ!」
高度400メートル。浅村大尉が操縦桿の投弾レバーを力強く引き絞る。
腹下から切り離された800キロ徹甲爆弾が、重力と降下速度のすべての運動エネルギーを乗せて、ガトゥン閘門の巨大な鋼鉄の扉の根元──分厚いコンクリートで固められたヒンジ部分へと向けて、まるで隕石のように正確に突き刺さった。
ズドガァァァァァァンッ!!!!
毛利の防長化学が鍛え上げた新型高爆速火薬が、分厚いコンクリートの基礎と、何百トンという鉄扉を支える巨大な鋼鉄のヒンジを内側から完全に吹き飛ばした。
凄まじい閃光と爆風が熱帯の夜空を真昼のように照らし出し、続く僚機たちの爆弾が次々と閘門の制御施設やポンプ室、予備の鉄扉群を木端微塵に粉砕していく。アメリカ軍の対空砲火がようやく空へ向けて撃ち上げられ始めたが、フロートを切り離して身軽になった『晴嵐』の群れは、猛烈な速度でジャングルの上空へと引き起こし、闇の中へと消え去っていった。
そして、次の瞬間であった。
メキメキメキッ……ドバァァァァァァッ!!!
アメリカの土木技術の粋を集めた巨大な二重鉄扉が、爆発によって根本の支えを完全に失い、海抜26メートルの高さに堰き止められていたガトゥン湖の途方もない水圧に耐えきれずに、凄まじい金属の引き裂かれる音を立てて完全に崩壊したのである。
何千万トンという莫大な水量が、まるで巨大なダムが決壊したかのような怒涛の濁流となって、カリブ海側へと一気に押し流されていった。濁流は周囲の施設や作業用の重機を木の葉のように飲み込みながら、運河の底を猛烈な勢いで削り取っていく。
「……作戦完遂。ガトゥン湖の水位低下を確認。運河の機能、完全に停止しました」
上空を旋回しながらその地獄のような光景を見届けた浅村大尉は、水が猛烈な勢いで抜け落ち、巨大な泥の底を露出させていくパナマ運河の無残な姿を、冷ややかに見下ろした。
アメリカが世界に誇る二つの大洋を結ぶ大動脈は、日本の放った深海の暗殺者によって、文字通り物理的に切断されたのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1944年11月1日 午前9時00分(東部標準時)
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ホワイトハウス オーバル・オフィス(大統領執務室)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
秋の冷たい雨が窓ガラスを叩くオーバル・オフィス(大統領執務室)。
その室内は、ナチス・ドイツの占領下にある大英帝国の旧き王土を海から直接奪還するための史上最大の大上陸作戦、すなわち『リターン・キング作戦(王の帰還)』の進捗報告のために集まった最高首脳陣の、異様なほどの熱気と興奮で満ちていた。
「プレジデント(大統領)。アイゼンハワー大将が指揮する欧州遠征軍は、すでにアイルランド海周辺の港湾に天文学的な数のトランスポート(輸送船)とLST(戦車揚陸艦)を集結させています。ナチス・ドイツの占領下にあるイギリス西海岸への大逆上陸は、予定通り来週にも決行可能です」
合衆国陸軍参謀総長のジョージ・カトレット・マーシャル大将が、巨大なヨーロッパ海図を指示棒で指し示しながら、自信に満ちた声で報告を行った。
「素晴らしい。ナチスの鉄屑どもをロンドンの市街地から完全に叩き出し、我々のマニュファクチャリング(大量生産)の恐るべき力をヨーロッパの連中に見せつけてやるのだ」
車椅子に深く身を沈めた第32代アメリカ合衆国プレジデント(大統領)、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、シガレットホルダーをくわえながら満足げに深く頷いた。
「そしてパシフィック(太平洋)への兵力投射の方も、準備は整っているな?」
ルーズベルトが視線を向けると、合衆国海軍作戦部長のアーネスト・ジョゼフ・キング大将が、誇らしげに胸を張った。
「イエス、プレジデント。イースタン・コースト(東海岸)のニューヨーク海軍造船所やニューポート・ニューズで建造を終えた新鋭のエアクラフト・キャリア(航空母艦)『エセックス級』の第二陣十数隻、そして新鋭バトルシップ(戦艦)『アイオワ級』の数隻が、すでに艤装を終えて出港しました。彼らは数日以内にパナマ・カナル(パナマ運河)を抜け、太平洋へ合流します。これらが西海岸で建造中の艦艇と合流すれば、太平洋で我々を待ち構えているジャップの艦隊を、海面ごと完全に消し飛ばすだけの『鋼鉄の津波』が完全に仕上がります」
「よし。ジャップの生意気な算盤も、我々の圧倒的な質量の前にへし折られる運命だ。奴らがどれほど地下要塞を掘ろうとも、すべて更地にしてやる」
ルーズベルトが冷酷な笑みを深めたその瞬間であった。
バンッ!!
オーバル・オフィスの重厚なマホガニーの扉が乱暴に蹴り開けられ、海軍情報局(ONI)の将校が、文字通り顔面を蒼白に引きつらせ、帽子を落とすのも構わずに雪崩れ込んできた。
「プ、プレジデント! エマージェンシー(大至急報)です! パナマ・カナルから緊急通信が……!」
将校の震える手から報告書をひったくったキング大将は、その文面に目を通した瞬間、心臓を直接鷲掴みにされたかのように息を呑み、完全に言葉を失って固まった。
「どうした、アーネスト! 何が起きた!」
ルーズベルトが怒鳴りつけると、キング大将は紙片を握りしめ、まるでデスパレート(絶望)の底から這い上がってきたような掠れた声で答えた。
「……パナマ・カナルが……破壊されました。ジャップのアンノウン(正体不明)の航空機群によるピンポイント・ボミング(精密爆撃)です。大西洋側のガトゥン・ロックス(ガトゥン閘門)の巨大な水門が粉砕され、ガトゥン湖の莫大な水がカリブ海側へすべて流出……。運河は完全に干上がり、機能停止しました。復旧の目途は……立っていません」
「……なんだと!?」
ルーズベルトは、麻痺した脚を忘れたかのように、車椅子から強引に立ち上がろうとして上半身を激しく前のめりに倒し、机の上のコーヒーカップを床に叩き落とした。熱いコーヒーが最高機密の書類を茶色く染める。
「ジャップの航空機だと!? パナマは我々の裏庭だぞ! あの東洋のサルどもが、どうやって太平洋を横断してパナマまで爆撃機を飛ばしてきたというのだ!」
「分かりません! カナル周辺の広域レーダー網は、爆撃機のような巨大な機影など一切捉えていなかったのです! 恐らく……奴らは未知の巨大なサブマリン・キャリア(潜水母艦)を用いて、我々の広大な哨戒網の下を潜り抜けて深海から接近し、至近距離から攻撃機を射出したとしか……!」
キング大将の言葉に、マーシャル大将も血の気を失って天を仰いだ。
「神よ(ジーザス)。……運河が使えないとなれば、イースタン・コースト(東海岸)やガルフ・オブ・メキシコ(メキシコ湾)のドックで建造されたエセックス級空母やアイオワ級戦艦は、太平洋へ出るためにどうなる?」
「……サウス・アメリカ(南アメリカ)大陸の最南端、ストレイト・オブ・マゼラン(マゼラン海峡)を大きく迂回するしかありません。波の荒い極寒の危険な航路を、優に数万マイルも余分に航行することになります。しかも、あの海峡の幅と水深では、新鋭艦の無事な通過すら保証できません」
キング大将は、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「つまり、太平洋へ向かう予定だった我々の増援艦隊の到着は、最低でも『三ヶ月から半年』は完全にディレイ(遅延)します。……我々が太平洋へ投射しようとしていた巨大な質量は、地理的要因によって真っ二つに分断されたのです」
「フゥゥゥゥック!!!」
ルーズベルト大統領の腹の底からの怒声が、オーバル・オフィスに響き渡った。
彼らが「ヨーロッパ第一主義」のもと、イギリス本土奪還(リターン・キング作戦)へ向けて大西洋側へ膨大な物資と兵力を集中させている、その最も無防備な間隙。
江戸城の地下に潜む徳川家正宰相ら「帝国の脳髄」たちは、アメリカがヨーロッパへ気を取られているその瞬間を冷徹に計算し尽くし、アメリカのロジスティクス(兵站)の最も脆弱な首根っこであるパナマ運河を、深海の暗殺者を用いて見事にへし折ってのけたのだ。
「ジャップどもめ……! 我々のマニュファクチャリングの津波が太平洋へ合流する前に、水門そのものを壊したというのか……!」
ルーズベルトは、額に青筋を浮かべ、両手で車椅子の肘掛けを握り潰さんばかりに激しく震えていた。
このパナマ運河の破壊により、アメリカが太平洋で絶対的な反攻を開始するために必要な「質量の集中」は完全に頓挫した。
そしてそれは同時に、豊栄大日本帝国が太平洋の絶対防衛圏にさらなるコンクリートを流し込み、次世代ジェット戦闘機や超大和型戦艦の建造を進めるための、完璧な「黄金の猶予」を彼らに与えてしまったことを意味していた。
二つの大洋を結ぶ動脈を切断され、地理的に完全に分断されたマニュファクチャリング・モンスター。
ワシントンの首脳陣は、東洋の怪物が仕掛けた冷酷極まる地政学の刃の前に、ただ血の涙を流して激怒することしかできなかったのである。




