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第78章 帳簿の精算と大連邦の完成

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1944年7月下旬

豊秋津島オーストラリア東岸 シドニー旧英連邦租界

港湾部 インフラ接収現場

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冬を迎えた南半球の冷たい海風が、シドニーの広大な港湾を吹き抜けている。しかし、その肌寒い空気とは裏腹に、港一帯は地響きのようなエンジン音と怒号、そして熱狂的な活気に包み込まれていた。


「おい! イギリスの旧式クレーンのワイヤーはすべて引き抜け! 荷重計算が甘すぎる! 浅野港湾の特務ウインチと、細川ゴム工業の油圧ホースに規格を統一しろ! 今日中に港の荷役能力を倍に引き上げるんだ!」


浅野港湾・特務技師長の浅野あさの 鉄平てっぺいが、安全ヘルメットを被り、メガホン越しに血走った目で怒号を飛ばしていた。


彼らの眼下に広がるシドニー港。かつて大英帝国が150年間にわたり南半球の支配の拠点とし、日本の喉元に突き刺してきた「英連邦租界」は、前月、日本軍の圧倒的な包囲網の前に無条件降伏を余儀なくされていた。今、この港を埋め尽くしているのは、誇り高きイギリス王立海軍ロイヤル・ネイビーの艦艇ではない。


そこにあるのは、タラワやハワイの砂浜でアメリカ海軍から無傷で強奪し、日本の規格で魔改造を施された黄色の『キャタピラー社製D8ブルドーザー』や、モータースクレイパーといった最新鋭の巨大土木重機群であった。


「……見事なものだな。大英帝国が150年かけて築き上げたレンガ造りの倉庫群が、アメリカの重機の暴力的なパワーで次々と更地にされ、我が帝国の新しい兵站基地へと作り替えられていく」


島津重工・特務工兵大尉の島津しまづ 義明よしあきが、真新しい図面板を広げながら満足げに笑った。


彼らは、捕虜となった数万人の英連邦オーストラリア軍の兵士たちを国際法の労役規定に従って動員し、イギリスの旧式インフラを徹底的に解体・再構築していた。和泉国堺の商工組合が取り仕切る共通規格『堺公差』に基づき、ネジ一本、レールの一本に至るまで、シドニーの街は完全に「豊栄大日本帝国」の血液が流れるシステムへと書き換えられつつあった。


「シドニーとメルボルンの租界を完全に接収したことで、豊秋津島オーストラリア大陸の沿岸部を塞いでいた『邪魔な蓋』はすべて消え去りました。これで、内陸部の毛利鉱山(鉄・石炭)や、南天の金鉱脈から掘り出された富は、一滴の滞りもなく本土へと還流します」


浅野鉄平が、真っ赤に錆びたイギリス製の歯車を海へ蹴り落としながら言った。


アメリカの土木技術を用いて大英帝国の遺産をすり潰し、自国の帳簿に組み込む。この泥臭くも冷徹な現場の作業こそが、帝国の絶対的な強さの根源であった。南半球における大英帝国の物理的な痕跡は、今まさに完全に歴史から削り取られようとしていたのである。


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1944年8月上旬

帝都・東京 江戸城本丸跡・幕府最高臨戦評議場

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シドニーの港湾が新たな産声を上げていた頃。

そのすべての「脳髄」たる江戸城の地下要塞、幕府最高臨戦評議場は、極めて静謐で冷酷な空気に満ちていた。


「……極東からインド洋、そして南半球に至るまで。大英帝国が所有していた物理的な拠点は、すべて我が軍の制圧下に置かれました」


国家財務総監・水野みずの 忠徳ただのりが、重厚なマホガニーの円卓に一冊の分厚い革張りのファイルを置いた。


そのファイルには、厳重な封印が施されている。


「そして、これもです。……1942年8月、ドイツ軍がロンドンを陥落させた際、外務防諜局の特務調役・鳥居とりい 忠道ただみちが、イングランド銀行の地下金庫から物理的に回収し、持ち帰った『原本』です」


水野の言葉に、円卓を囲む重鎮たちの視線がそのファイルへと集中した。


それこそが、19世紀末に日本が豊秋津島のインフラ整備のためにロンドンのシティから借り入れ、その後、大英帝国が日本の首を絞めるための「金融の罠(担保接収の口実)」として使おうとした、天文学的な額の『ポンド建て南洋開発インフラ国債』の借用書と抵当権の絶対証明書であった。


「ロンドンはナチス・ドイツの軍靴に踏みにじられ、シティの金融網は完全に灰燼に帰しました。チャーチルはカナダへ逃亡し、国家としての実体を失った。そして……債権の証拠となるこの『原本』は、債務者である我々自身の手の内にあります」


水野は、扇子を開いてパチンと鳴らした。


「これにて、近代法理において、大英帝国が我が帝国に対して主張できる一切の債権、および豊秋津島のインフラに対する抵当権は『永久に消滅』したことを宣言いたします。我々の帳簿から、大英帝国の借金は一円残らず完全に消え去りました。完全なる『精算』です」


評議場に、深い、そして重い安堵の溜息が漏れた。

150年間にわたり、帝国の喉元に突き刺さっていた見えない金融の鉄鎖。それを断ち切るために始められたこの狂気的な世界大戦の「最大の目的」が、武力と法理、そして極限の防諜戦によって、ついに完璧な形で達成された瞬間であった。


「見事なソロバンの弾きっぷりだ、水野殿。そして小栗殿」


評議場総裁にして永世宰相たる徳川とくがわ 家正いえまさが、パイプの紫煙をゆっくりと吐き出し、深く頷いた。


「ロンドンの帳簿は焼き捨て、蘭印(オランダ領東インド)の油田はオランダ亡命政府からの合法的割譲によって我が王土とした。ハワイとミッドウェイを奪い、アメリカの太平洋艦隊はタラワで一隻残らず鹵獲した。……我々が描いた『米英に依存しない完全無欠のブロック経済圏』の構築は、これにて第一段階を完了したと言ってよい」


家正宰相はゆっくりと立ち上がり、壁面に掲げられた巨大な世界地図を見渡した。


青色で塗りつぶされた帝国の版図は、ユーラシアの東端からインド亜大陸、そして南太平洋の果てまで、地球の半球を覆い尽くすほどの途方もない広がりを見せている。


「だが、諸君」


家正の眼光が、一段と鋭く冷酷な光を放った。


「これほど広大な生存圏を、我々日本人の『武力』と『恐怖』だけで永久に支配し続けることは不可能だ。かつて大英帝国がインドで反乱を起こされ、自滅の道を辿った愚行を、我々が繰り返すわけにはいかん」


家正の言葉に、幕府特務・防諜総監の小栗おぐり 忠純ただずみが静かに同意した。


「その通りです。力による抑圧や単なる資源の強奪は、いずれ必ず現地民の蜂起という形で破綻を招きます。我々が構築したこの巨大な生存圏を『永久不落の要塞』とするためには、新たなシステムのOS(基本設計)の書き換えが必要です」


「大連邦制、だな」


家正宰相が、指揮棒で地図の上の蘭印、フィリピン、マレー、そして豊秋津島を大きく円で囲んだ。


「我々が目指すべきは、単なる植民地帝国ではない。今日この日をもって、我が帝国はこれらすべての地域を包含する『豊栄大連邦ほうえいだいれんぽう』の設立を宣言する」


地下要塞に、帝国の次なる千年を見据えた壮大なビジョンが響き渡った。


「現地の民に対し、徹底したインフラ投資と教育(同化政策)を施すのだ。シドニーでアメリカの重機を使って道路を敷いているように、蘭印やマレーにも鉄道を通し、近代的な病院を建て、現地の経済を豊かにして彼らの生活水準を根本から引き上げる。そしていずれは、彼ら自身の手で自治を行わせ、独立した国家としてこの『大連邦』という一つの巨大な経済共同体の傘下へ組み込む」


家正は、パイプを灰皿に置き、両手を力強く広げた。


「『日本と共にいる方が豊かで安全だ』と現地民に信じ込ませ、彼ら自身が自らの血を流してでもこの連邦を守りたいと思わせる。武力ではなく『経済的恩恵』と『共通の防衛利益』で縛るのだ。これこそが、いかなる兵器よりも強固な、絶対に崩壊しないブロック経済の完成形である」


この冷徹かつ壮大な大連邦構想は、諸侯院に席を置く外様大名(島津忠重や毛利元道など)たちにもすでに根回しが済んでいた。彼らもまた、現地でのゲリラ戦に軍資金を浪費するより、インフラ投資によって現地の購買力を高め、新たな巨大市場を開拓する方が、長期的には遥かに「算盤に合う」と判断したのである。


武力による強奪から、経済と教育による「永遠の管理」へ。

豊栄大日本帝国は、世界大戦の業火の中で、己の国家システムそのものをさらに洗練された怪物へと進化させようとしていた。


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同日 午後2時

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しかし、帝国の脳髄たちが新たな千年王国(大連邦)の青写真に酔いしれることは許されなかった。


「……宰相閣下。我々が未来の算盤を弾いている間にも、太平洋の向こう側の『現実』は、待ってはくれません」


小栗忠純が、一枚の極秘レポートを円卓の中央へ滑らせた。その声には、平素の冷徹さを破るほどの、深い焦燥が滲んでいた。


「美濃の竹中数理演算所と、筑前の黒田精機が展開している電磁傍受網から、最悪の報告が上がってきました。アメリカ本土・西海岸における『マニュファクチャリング・モンスター(大量生産の怪物)』の稼働状況が、我々の想定した臨界点を完全に突破しました」


小栗は、戦慄すべき数字の羅列を読み上げた。


「タラワで8隻の空母を失ったアメリカですが、カイザー造船所をはじめとする西海岸および東海岸の巨大ドック群から、すでに『エセックス級』の追加建造枠20隻以上が進水を終え、続々と就役を開始しています。さらに、リバティ船の船体を流用した『護衛空母(カサブランカ級など)』に至っては、週に1隻というペースで海へ吐き出され、その数はすでに50隻を超えました」


「……何だと? わずか半年足らずで、それほどの数を揃えたというのか」


水野忠徳の顔から、血の気が引いた。


「艦艇だけではありません。デトロイトの自動車工場を全面転用した航空機ラインからは、分厚い装甲を持つ『F6Fヘルキャット』や、長大な航続距離を持つ『P-51マスタング』が、月産数千機というペースでロールアウトしています。……そして極めつけは、シアトルのボーイング社工場から飛び立ち始めている『B-29スーパーフォートレス』です。高度1万メートルの成層圏を飛び、我が国の戦闘機が届かない高さから一方的に都市を焼き尽くすための、超重爆撃機の大群です」


小栗は、アメリカ西海岸の偵察写真を机に叩きつけた。そこには、サンフランシスコ湾を隙間なく埋め尽くす、黒々とした鋼鉄の大艦隊の威容が写し出されていた。


「ルーズベルトは、ハワイやタラワでの敗北など、ただの『古い在庫の処分』としか考えていません。彼らは、我々が構築したこの巨大な『豊栄大連邦』の絶対防衛圏を、外側から順番に、地形ごと物理的にすり潰すための『両洋大反攻展開』の準備を完了させました」


沈黙が、江戸城の地下要塞を重く、冷たく押し潰した。


「……来るか。鋼鉄の津波が」


徳川家正宰相は、眼鏡の奥の瞳を鋭く細め、太平洋の海図を睨みつけた。


帳簿の精算を終え、大連邦という永遠の理想郷を打ち立てた帝国。

だが、その楽園の門を叩き割るために、西半球の全生産力を結集したアメリカ合衆国の「絶対的な質量」が、怒濤の津波となって今まさに太平洋へと解き放たれようとしていた。


知略と職人技の極致か、それとも規格化された無尽蔵の暴力か。

人類史上未曾有の純粋な「鉄と血の削り合い」となる最終決戦の足音が、不気味な地鳴りとなって、帝国のすぐ目の前まで迫っていたのである。

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