第54章 西海への展望
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1943年12月25日 午前6時
インド中央部 ナーグプル東方 最終防衛線
マレー・ビルマ攻略軍(印度方面軍) 最前線
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キリスト教徒たちが降誕祭を祝うその朝、インド亜大陸の中央部を貫くデカン高原の東縁は、祝祭の鐘の音ではなく、人類の流血の許容量を限界まで試すような凄惨な砲撃の轟音に支配されていた。
「撃てェッ! アメリカの物量ごと、イギリスの陣地を土砂もろとも削り取れ!」
伝習隊重砲兵連隊の中隊長、野村健太郎大尉の軍刀が鋭く振り下ろされる。
大地を震わせる咆哮とともに、水戸徳川造兵工機製の『一五〇ミリ重加農砲』120門が一斉に火を噴いた[105, 197]。備前・池田化学が合成した高威力遅延信管を備えた重量40キロを超える徹甲榴弾が、空気を引き裂く不気味な飛翔音とともに、英インド防衛軍が構築したコンクリートのトーチカ群へと次々と降り注ぐ。
だが、このナーグプル東方の絶対防衛線の厚みは、これまでの遅滞陣地とは比較にならなかった。
「……第12陣地、依然として敵の反撃が激しいです。アメリカ製の105ミリ榴弾砲による対砲兵射撃が、我が方の重砲陣地へ向けて正確に撃ち返してきています!」
土嚢の積まれた前線指揮所で、泥にまみれた観測将校が受話器を握りしめたまま怒鳴った。
カナダのオタワへ逃れた大英帝国首相、ウィンストン・チャーチルからの「いかなる犠牲を払ってでもインドを死守せよ」という厳命を受けた英インド防衛軍総司令官、アーチボルド・ウェーヴェル大将は、アメリカからのレンドリース(武器貸与法)物資のすべてを、このナーグプールの防衛線にコンクリートとともに埋め込んでいたのである[299]。
「アメリカの大量生産がもたらした弾薬の壁か。だが、いくら弾を撃ってこようが、我々は引かん」
印度方面軍総司令官、山下奉文少将は、防塵ゴーグル越しに戦場を睨みつけながら低く唸った。
「装甲部隊を前へ出せ。水戸の砲で耕した隙間へ、越前松平の鉄の楔を打ち込むのだ」
山下の号令を受け、土煙の中から越前松平重工業製の新鋭『四〇式中戦車 鎧』54両が、加賀・前田発動機製のV12空冷ディーゼルエンジンを唸らせて突撃を開始した[155, 306]。避弾経始に優れた分厚い鋳造装甲に、イギリス軍が放つ対戦車砲弾が火花を散らして弾かれる。
直後、『鎧』の長砲身75ミリ砲が火を噴き、防衛線に車体を隠していたアメリカ供与のM4シャーマン中戦車の砲塔を至近距離からカチ割った。その後方からは、三五式の車体に150ミリ榴弾砲を直接搭載した『四〇式自走重榴弾砲 震天』36両がキャタピラを軋ませて追従し、トーチカを直接射撃で容赦なく土砂もろとも吹き飛ばしていく[306]。
「正面は幕府の旦那方に任せろ! 遊撃隊、アメリカの重機で敵の側背へ回り込むぞ!」
島津財閥の一門たる島津忠久少将の号令で、第一機動陸戦旅団(財閥遊撃隊)が荒れ地を時速40キロで爆走する[106]。南太平洋でアメリカ海軍から強奪したキャタピラー社製のD8ブルドーザーが強引に道を切り拓き、その後を佐賀鍋島精密機械製の『百式機関短銃』を構えた兵士たちが雪崩れ込み、英印軍の塹壕を近接面火力で制圧していく[107, 160]。
しかし、陣地を一つ制圧しても、その奥の尾根には再び無数のM4シャーマンと重機関銃が口を開けて待ち構えている。
血と泥にまみれたナーグプル東方の決戦は、アメリカの無尽蔵の生産力に支えられたイギリス軍と、日本の双頭の鉄脚が、文字通り数メートル前進するごとに数百の命と鉄を消費する、終わりの見えない挽肉機と化していた。大英帝国の息の根は、まだ全く止まっていなかった。
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1944年1月15日 午前10時
インド西岸 ボンベイ(ムンバイ)市街地
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ナーグプールの前線でウェーヴェル大将がアメリカの物量を盾に必死の遅滞戦闘を続けていた頃、彼らの遥か後方──インド西岸最大の軍港都市にして、アメリカのレンドリース陸揚げ港の一つであるボンベイ(現在のムンバイ)の内部で、決定的な「時限爆弾」が作動した。
「同胞たちよ! イギリスの軛を打ち破る時は今だ! 立ち上がれ!」
ムンバイの広場で、自由インド仮政府の首班、スバス・チャンドラ・ボースの声が拡声器を通じて響き渡った。
彼の演説に呼応し、蜂起した数万人のインド国民軍(INA)の兵士たちと民衆が、怒涛の勢いでイギリスの官公庁や軍の補給集積所へと殺到する。
彼らの手には、日本の幕府特務機関(鳥居忠道)を通じて密かに持ち込まれていた佐賀鍋島精密機械製の『三八式機関短銃』と、無数の手榴弾が握られていた[297]。
ダダダダダッ!!
機関短銃の猛烈な連射音がムンバイの市街地に響き渡り、イギリスの治安部隊や駐留兵が次々と血祭りに上げられていく。
「倉庫と港湾を制圧しろ! アメリカから届いた武器弾薬は、前線のイギリス軍ではなく、我々インド人民の解放のために使うのだ!」
ボースの指揮下にあるインド国民軍は、ムンバイの港に陸揚げされたばかりのアメリカからのレンドリース物資の倉庫群や、ナーグプルへと続く大陸鉄道の結節点を急襲した。前線のウェーヴェル大将の元へ届けられるはずだった高オクタン燃料や105ミリ砲弾が、次々と反乱軍の手によって強奪され、あるいは放火されて灰燼に帰していく。
大英帝国が二百年かけて搾取してきた二億の民のルサンチマンが、日本の提供した「物理的な牙」を得たことで、インド亜大陸の全土で完全に制御不能な大爆発を起こしたのである。
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1944年2月28日 午前9時
インド中央部 ナーグプル市庁舎跡
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外からは山下と島津が率いる「双頭の陸軍」が容赦なく鉄槌を振り下ろし、内からは二億の民の反乱が兵站を食い破る。これこそが、大英帝国を完全に解体するための完璧な「両面挟撃」であった。
兵站の血液(ガソリンと弾薬)を絶たれたウェーヴェル大将の英印軍は、ついにその限界を迎え、ナーグプールの防衛線は内部から崩壊した。
数ヶ月に及ぶ血塗られた泥沼の進撃の果て。
赤茶けた土煙が晴れたナーグプールの市街地は、完全に日本軍の支配下に置かれていた。半壊した市庁舎の広場には、武装解除され、力なくうなだれる数万のイギリス軍および英印軍の捕虜たちが長い列を作っている。
「……終わったな」
印度方面軍総司令官・山下奉文少将は、アーチボルド・ウェーヴェル大将の署名が記された「降伏文書」を副官に渡し、ナーグプールの乾いた空を見上げた。
「ええ。インド中央部のへそたるナーグプルが陥落したことで、インド亜大陸は東西に分断され、大英帝国の組織的な抵抗力は完全にへし折られました」
島津忠久少将が、銀張りのシガレットケースから葉巻を取り出し、ゆっくりと火をつけた。
「しかし、山下将官。まだ『頭』が残っています」
島津は、作戦図板の上に広げられたインド全図の西岸──アラビア海に面した巨大な港湾都市「ボンベイ(ムンバイ)」を太い指で叩いた。
「イギリス東洋艦隊の残存部隊、そして無数の駆逐艦群が、いまだにあのムンバイの港とセイロン周辺に睨みを効かせています。彼らがアラビア海に居座る限り、インド洋を完全に我が帝国の『内海』とすることはできません」
山下少将は腕を組み、鋭い眼光を西へと向けた。
「分かっている。ムンバイを落とし、アラビア海への出口を完全に制圧する。そうすれば、紅海・スエズ運河を突破して中東へ迫っているドイツのアフリカ軍団(ロンメル元帥)と、我々が物理的・海路的に直接繋がる。……枢軸国による『ユーラシア大陸打通』の、これが最後の仕上げだ」
ナーグプールの陥落は終点ではなかった。
日本の双頭の鉄脚は、休むことなく、大英帝国最後の海の牙城たる「ムンバイ」へとその矛先を向けたのである。
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1944年3月5日 午前11時
ナーグプル旧市庁舎 印度方面軍・臨時司令部
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ムンバイ攻略に向けた再編成が急ピッチで進むナーグプールの司令部に、頭上の空気を震わせて、けたたましい4発の巨大なエンジン音が響き渡った。
東海岸からインドの内陸水路へと豪快に着水したのは、村上産業が誇る三六式大型飛行艇『蒼海』であった。日本本土の帝都・東京から、長距離を一直線に飛び越えて降り立った、幕府からの「特使」の乗機である。
泥と硝煙の匂いを纏った日本軍将校たちによって埋め尽くされた司令部の大広間。
大理石の床を軍靴で鳴らし、最前列へと歩み出た特使の姿に、山下少将と島津少将は即座に居住まいを正し、深く敬礼した。
その男は、将軍の「血のスペア」として機能する御三卿の筆頭、一橋徳川家当主にして、幕府の最高機密を管理する御側御用人(最高機密総覧)、徳川達道であった。
国家の意思決定のプロセスを徳川の純粋な血統のみで守り抜く「中枢の防壁」である彼が、わざわざ戦地の最前線へ赴くことの意味を、その場にいる全員が理解していた。
「山下奉文少将、ならびに島津忠久少将。マレー国境の突破より長きにわたる血と泥の進軍、大儀であった」
徳川達道は、手にした漆塗りの木箱を副官に持たせ、静かに、しかし威厳に満ちた声で口を開いた。
「江戸城地下の最高臨戦評議場において、徳川将軍家第十七代当主・徳川家正宰相は、貴官らの功績を『帝国建国以来、最大の版図を切り拓いた無双の武勲』と極めて高く評価された。特に山下少将。貴官は幕府直轄の伝習隊と外様財閥の遊撃隊という、思想の異なる二つの刃を見事に統率し、インドの心臓たるナーグプルを陥落させた」
達道は、木箱の蓋を開けた。
真紅のビロードの上に鎮座していたのは、黄金色に輝く真新しい階級章──すなわち、「中将」の襟章であった。
「山下奉文少将。これより貴官を中将に任ずる。ならびに、インド亜大陸からアラビア海全域を管轄する『印度・中東方面軍』の総司令官として、全権を委任する。これは、天子様からの大命を帯びた家正宰相の直々の内命である」
広間に、水を打ったような静寂が下りた。
山下奉文は、一歩前へ出ると、その震える極太の指で真新しい中将の階級章を受け取った。
「……身に余る光栄に存じます。しかし、この階級章の重みは、私個人のものでは決してありません」
山下は、襟章を握りしめながら、背後に並ぶ泥だらけの将校たち、そして島津忠久を振り返った。
「マレーのジャングルで熱病に倒れた者、インパールの泥濘で水戸の重砲とともに散った伝習隊の兵士たち。そして、アメリカの重機を駆り、我々の血路を切り拓いてくれた諸藩の遊撃隊の者たち。この『中将』の星は、彼らが流した数万の血と泥の結晶そのものです」
山下の言葉に、島津少将は不敵な笑みを浮かべて肩をすくめた。親藩・譜代の正規軍と、外様財閥の私兵。相反するドクトリンを持ちながらも、彼らはこの過酷な戦場において、互いの背中を完全に預け合う真の「双頭の鉄脚」へと昇華していたのである。
「山下中将。喜びに浸るのは、ムンバイを落としてからにしていただこう」
徳川達道は、背後の壁に掲げられたインド全図の「西岸」を指揮棒で鋭く叩いた。
「貴官に昇進と新たな全権を与えたのには理由がある。現在、アフリカではドイツのロンメル元帥がスエズ運河を制圧し、中東への扉をこじ開けた。……山下中将、貴官の次なる至上任務は、ムンバイを物理的に粉砕・占領し、アラビア海からペルシャ湾に至る制海権を完全に確保することだ。イギリス艦隊の息の根を完全に止め、海路を通じてアフリカのドイツ軍と『打通』の握手を交わせ」
「承知いたしました」
山下中将は、自らの襟に輝く真新しい中将の星に触れ、獰猛な闘志をみなぎらせて深く頷いた。
「イギリスの残党がムンバイの港にどれほどの艦艇を並べようとも、我が双頭の鉄脚が、陸からすべての防波堤を叩き割ってみせます」
1944年3月。
泥塗れの将星・山下奉文中将の誕生は、大英帝国がアジア・中東においてその命脈を完全に絶たれる秒読み段階に入ったことを告げる歴史的象徴であった。
東洋の怪物は、ユーラシア打通という未曾有の地政学的野望を完遂すべく、インド西岸の最大の軍港都市・ムンバイへ向けて、ついに最後の死の進軍を開始したのである。




