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第53章 シシリーの業火

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1944年2月21日 午前7時

イタリア王国 シシリーシチリア南岸 ジェーラ海岸

アメリカ陸軍・第7軍 前線海岸堡

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夜明けの地中海の海風は、硝煙と焦げたゴム、そして兵士たちの汗の匂いに満ちていた。


前日(2月20日)、アメリカ海軍・第8艦隊司令官のヘンリー・K・ヒューイット中将が率いる数千隻の上陸大船団は、艦砲射撃によってシシリー島の海岸線を文字通り更地へと変え、電撃的な上陸を果たした。


カイザー造船所で暴力的速度によって大量建造された戦車揚陸艦(LST)と歩兵揚陸艇(LCI)が浅瀬に乗り上げ、巨大な艦首の観音開きドア(バウ・ドア)を開け放つ。そこから、デトロイトの自動車工場ラインで粗製濫造されたばかりの新品の『M4シャーマン中戦車』と、完全武装のアメリカ兵が次々とヨーロッパの大地へと吐き出されていった。


「ハッハァ! マカロニ野郎(イタリア軍)どもは、艦砲射撃の音を聞いただけで尻尾を巻いて逃げ出しやがった! 撃ち殻の薬莢より脆い連中だぜ!」


アメリカ陸軍・第1機甲師団のM4シャーマン車長、ウィリアム・G・ガーナー軍曹は、キューポラから身を乗り出し、無抵抗のまま白旗を揚げて列をなすイタリア陸軍・沿岸防衛第207師団の捕虜たちを見下ろして大笑いした。彼らの傍らには、絶望に打ちひしがれたトーチカ守備隊長、アルベルト・ロッシ大尉の姿もあった。


海岸線にはすでに何千トンという弾薬と食料、そして数百両のM4シャーマンがひしめき合い、巨大な集積所(海岸堡)が形成されつつある。


アメリカ陸軍・第7軍司令官、ジョージ・S・パットン中将は、象牙のグリップのコルト・リボルバーを腰に揺らしながら、上陸用舟艇からジェーラ海岸の砂浜へと意気揚々と降り立った。


「素晴らしい光景だ! デトロイトの工場からヨーロッパの戦場まで、合衆国の巨大なベルトコンベアが見事に繋がったぞ!」


パットンは分厚い葉巻に火をつけ、陽気に笑った。


「イギリスのモントゴメリー将軍が東のシラクサ周辺でもたもたしている間に、我々第7軍がこの島を完全に制圧し、一気にイタリア半島本土(メッシーナ海峡)へと突き抜けてやる。ブルガリア・クレタ島経由という細いストローで息を繋いでいるアフリカのロンメルは、これで完全に棺桶の蓋を閉じられるというわけだ。……全軍、補給が済み次第、内陸部へ向けて進撃を開始しろ!」


しかし、パットンが思い描いていた「無血の快進撃」は、イタリア軍の降伏という見せかけの勝利によってもたらされた、致命的な慢心であった。


彼らが上陸したジェーラ海岸の背後、なだらかな丘陵地帯の奥深くには、同盟国の体たらくを見限り、自らの手でアメリカ軍を海へ叩き落とさんとする「本物の怪物たち」が、息を殺して待ち構えていたのである。



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同日 午前8時

シシリー島内陸部 ジェーラ北方丘陵地帯

ドイツ国防軍・第1降下装甲師団『ヘルマン・ゲーリング』陣地

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イタリアの陽光を遮るオリーブ畑の木陰に、巨大な四角い鋼鉄のシルエットが無数に潜んでいた。


「……アメリカの成金どもめ。船と戦車の数を揃えれば、戦争に勝てると思っているのか」


ドイツ国防軍・第1降下装甲師団の重戦車中隊長、マクシミリアン・フォン・マイヤー大尉は、愛機である重戦車『VI号戦車(ティーガーI)』の砲塔に寄りかかり、双眼鏡で眼下のジェーラ海岸を冷ややかに見下ろした。


視界の先には、海岸を埋め尽くすアメリカ軍の揚陸艦と、無防備に密集するM4シャーマンの群れが見える。


マイヤー大尉の背後には、彼のティーガーIをはじめ、長砲身の7.5センチ砲を積んだIV号戦車(G型)や、III号突撃砲など、合わせて100両近いドイツ軍の精鋭装甲部隊が、エンジンをアイドリングさせながら出撃の時を待っていた。彼らは、イタリア軍が早々に降伏していく中、ヒトラーの死守命令を受けてシチリアへ緊急展開したドイツ国防軍・第14装甲軍(司令官ハンス=ヴァレンティン・フーベ大将)の中核戦力である。


「マイヤー大尉。師団長のパウル・コンラート少将より、総攻撃の命令が下りました」


副官のハンス・シュミット中尉が、装甲指揮車から降り立ち、敬礼とともに告げた。


「目標はジェーラ海岸のアメリカ第7軍。敵の海岸堡が完全に構築される前に、装甲部隊の楔を打ち込み、奴らを地中海へ物理的に叩き落とせとのことです」


「よかろう」


マイヤー大尉は、黒革の戦車兵の手袋をはめ直し、ティーガーのハッチへと身を翻した。


「アメリカの戦車は、ベルトコンベアで大量生産された粗悪な消耗品に過ぎん。我々マイスター(職人)が鍛え上げた本物のゲルマンの鋼鉄と、88ミリ砲の真の威力を、奴らの柔らかい頭蓋骨に叩き込んでやる。……全車、エンジン始動パンツァー・マルシュ! 海岸のアメリカ兵を一匹残らず轢き潰せ!」


650馬力を叩き出すマイバッハ・エンジンの重低音が丘陵地帯に響き渡り、オリーブの木々をへし折りながら、黒十字を掲げたドイツの精鋭部隊が、怒涛の勢いでアメリカ軍の海岸堡へと雪崩を打って突撃を開始した。



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同日 午前10時

シシリー島 ジェーラ海岸線

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「前線より緊急入電! 北方の丘陵地帯から、所属不明の装甲部隊が猛スピードで接近中! 数……およそ100両! ドイツ軍です!」


海岸に設営されたばかりのアメリカ第7軍の仮設司令部で、通信兵が血相を変えて絶叫した。


「なんだと!? イタリア兵はすべて降伏したはずだぞ!」


パットン中将が葉巻を落とし、双眼鏡をひったくって北の丘陵地帯を睨みつける。

土煙を上げて猛進してくるのは、見慣れたイタリア軍の豆戦車ではない。前面100ミリの垂直装甲と、長大な8.8センチ砲の砲身を突き出した怪物──ドイツ軍のティーガーIを先頭とする、本物の装甲師団であった。


「敵戦車、距離1,500! 迎撃しろ! シャーマンを前に出せ!」


アメリカ陸軍・第1歩兵師団の将官たちがパニックになりながら号令を飛ばし、砂浜に待機していたM4シャーマン数十両が、慌てて砲塔を北へ向ける。


しかし、マイヤー大尉率いるドイツ装甲部隊の射撃は、アメリカ軍の想像を絶する精度と速度であった。


「距離1,200! 徹甲榴弾、撃て(フォイア)!」


ティーガーの8.8センチ砲が凄まじい咆哮を上げ、初速800メートル毎秒の徹甲弾が空気を切り裂く。ガーナー軍曹の乗るM4シャーマンのすぐ隣にいた僚車が、正面装甲を豆腐のようにブチ抜かれ、内部の弾薬に誘爆して数十メートルの火柱を上げた。


「クソッ! 撃ち返せ! ドイツの野郎どもをスクラップにしろ!」


ガーナー軍曹が絶叫し、M4の75ミリ砲が火を噴く。砲弾はマイヤーのティーガーの正面装甲に正確に命中したが、甲高い金属音とともに火花を散らして無惨に弾き返された。


「弾かれただと!? 距離1,000ヤードで装甲を抜けないのか!」


「無駄だ、アメリカ人。お前たちの豆鉄砲で、このティーガーの装甲に傷はつけられん」


マイヤー大尉は冷酷に笑い、次弾の装填を命じた。

ドイツ軍の戦車は走りながら次々と正確な射撃を行い、海岸で密集していたM4シャーマンをアウトレンジから一方的に火だるまに変えていく。アメリカの歩兵たちは、ティーガーとIII号突撃砲の同軸機銃による猛烈な掃射を受け、身を隠す場所もない砂浜で次々と血の海に沈んでいった。


デトロイトの工場で大量生産されたアメリカの「量」が、ドイツの極限まで洗練された「質と戦術」の前に、完全に蹂躙されつつあった。海岸堡の防衛線は崩壊の危機に瀕し、一部のアメリカ兵は恐慌状態に陥って海へ向かって逃げ出し始めていた。


「クソったれ! 俺のアメリカン・ボーイズが、ナチスの野郎どもに一方的に屠られているだと!」


パットン中将は、自らのコルト・リボルバーを抜き放ちながら激昂した。


「陸軍の戦車ではティーガーの装甲を抜けません! このままでは海岸堡が突破され、全軍が海へ叩き落とされます!」

幕僚が悲鳴を上げる。


「ならば、陸の兵器で足りない分は、海と空から規格外の質量を叩き込め!」


パットンは通信機のマイクをひったくり、沖合に展開するアメリカ海軍の護衛艦隊と、空母部隊へ向けて怒髪天を突く勢いで吠えた。


「ヒューイット中将! 海軍は何をしている! 目の前の丘にいるナチスの鉄屑どもへ、持てるすべての艦砲射撃と航空爆弾を『面』で降らせろ! 丘の形が変わるまで撃ち続けろ!」



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同日 正午

ジェーラ沖合 アメリカ海軍 第8艦隊

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パットンの血を吐くような要請は、即座に沖合に展開するアメリカ艦隊に伝達された。


「目標、ジェーラ北方の敵装甲部隊! 陸軍のM4を狙っているティーガーだ!」


第8艦隊の砲術支援指揮官、リチャード・L・コノリー少将は、旗艦の巡洋艦の艦橋から冷徹な号令を下した。


「我が合衆国海軍の火力は、点ではなく『面』で制圧する。全巡洋艦および駆逐艦、主砲一斉射撃ブロードサイド! あの丘を物理的に消し飛ばせ!」


ズドォォォォンッ!!!


沖合に展開していた軽巡洋艦『サバンナ』『ボイシ』、そして数十隻の『フレッチャー級』駆逐艦から、数百門に及ぶ6インチ(15.2センチ)および5インチ(12.7センチ)砲が一斉に火を噴いた。

何百発という大口径の榴弾が、放物線を描いてジェーラの丘陵地帯へと降り注ぐ。


さらにその頭上からは、東海岸で建造され、大西洋を経由して地中海へ緊急配備された新鋭空母『イントレピッド』から発艦した、デイヴィッド・ミッチェル大尉率いる数十機のSBDドーントレス急降下爆撃機が、サイレンを鳴らして突入してきた。


『イントレピッド』の艦橋では、艦長のトーマス・スプレイグ大佐が無線を通じて冷酷に指示を飛ばす。


「ジャップの防空網が相手ではないのだ、遠慮はいらん。ナチスの装甲ごと、1000ポンド爆弾で粉々にしろ!」


ミッチェル大尉のドーントレス編隊が、穴あきダイブブレーキを展開して垂直に降下し、巨大な1000ポンド(454キロ)爆弾をティーガーの密集する陣形の中央へと次々と投下していった。


ドドォォォォンッ!! ズガァァァァァァンッ!!


「な、何事だッ!?」


快進撃を続けていたマイヤー大尉のティーガーが、直近に着弾した6インチ艦砲の凄まじい衝撃波で、57トンの車体ごと空中に持ち上げられ、横転しそうになった。


アメリカ海軍の艦砲射撃と航空爆弾の飽和攻撃は、戦車の装甲の厚さなど完全に無意味にする「質量の暴力」であった。

直撃せずとも、至近距離に落ちた艦砲の爆発が、ティーガーの複雑な千鳥足型サスペンションを粉砕し、乗員の鼓膜と内臓を衝撃波で破壊する。上空から降り注ぐ1000ポンド爆弾は、オリーブ畑の地形そのものを抉り取り、ドイツ軍のIV号戦車や突撃砲を土砂もろとも文字通り「蒸発」させていった。


「……退け! 後退しろ! 海からの火力が異常すぎる! これでは一方的な虐殺だ!」


マイヤー大尉は、血塗れになった顔でハッチから身を乗り出し、全車に後退を命じた。

副官のシュミット中尉の乗る装甲指揮車は、すでに爆撃の直撃を受けて完全に消滅していた。彼が誇ったマイスターの芸術品である精鋭装甲部隊は、アメリカ兵の顔を直接見ることすらできない距離から、巡洋艦と空母の「無機質な弾薬の浪費」によって、わずか1時間でその半数をスクラップに変えられてしまったのである。


「これが……アメリカの、デトロイトの暴力か……!」


マイヤーのティーガーは、片側のキャタピラを引きずりながら、炎と黒煙に包まれた丘を這々の体で後退していくしかなかった。



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同日 午後3時

シシリー島 ジェーラ海岸

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艦砲射撃と航空爆弾の嵐が去った後の丘陵地帯は、完全に更地と化し、至る所でドイツ軍の戦車が黒焦げの残骸となって煙を上げていた。


「見ろ、ナチスの化け物どもが尻尾を巻いて逃げていくぞ!」


砂浜に伏せていたガーナー軍曹が、煤にまみれた顔を上げて歓喜の声を上げた。


「ハッ! ティーガーの装甲がいくら厚かろうが、海軍の砲弾の雨の前ではただの鉄屑だ! 我がアメリカン・ボーイズの敵ではない!」


パットン中将は、焼け焦げたオリーブ畑を見上げながら、再び太い葉巻に火をつけた。


「よし、海岸堡の安全は完全に確保された。LSTから残りのM4戦車と物資をすべて陸揚げし、明日からシチリア島の内陸部へと一気に進撃する。メッシーナ海峡を越えてイタリア本土へ風穴を開け、ヒトラーの脇腹を抉り出すのだ!」


ドイツ軍の精鋭による水際反撃を、アメリカ合衆国が誇る「マニュファクチャリング・モンスター」の無尽蔵の火力支援で力ずくですり潰したこの日。


それは、北アフリカのエジプト国境で戦うロンメルの「打通の夢」を支えるはずだった地中海の補給線が、物理的に完全に切断されることが確定した瞬間であった。細々と繋がっていたブルガリア・クレタ島経由の東地中海ルートも、シチリアが陥落すればアメリカ軍の航空機によって完全に封鎖される。


その太平洋で苦戦するアメリカだったが、ヨーロッパの「柔らかい下腹」において、その狂気的な質量でファシズムの牙城を内側から確実に食い破り始めていた。


世界総力戦の天秤は、一国一国の命運をすり潰しながら、さらなる流血の地獄へとその傾きを深めていくのである。

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