表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
60/112

第51章 熱砂の迎春

ーーーーーーーーーーーーーーー

1944年1月1日 午前6時

エジプト・アレクサンドリア東方 砂漠地帯

ドイツ・アフリカ軍団(DAK)最前線

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


西暦1944年の元日。人類の歴史が血と鉄によって最も激しく書き換えられようとしているその年の幕開けを、エジプトの砂漠は祝祭の鐘の音ではなく、腹の底を揺るがす絶え間ない重低音と爆発の閃光で迎えていた。


前年12月上旬、大英帝国の中東における絶対的防波堤であったアレクサンドリア要塞を陥落させたドイツ・アフリカ軍団(DAK)は、地中海艦隊という海からの脅威を排除したことで、その機動力を完全に解放していた。彼らは止まることなくエジプト内陸部へと雪崩れ込み、首都カイロ、そしてその先にあるスエズ運河への進撃を開始したのである。


「……右舷前方、距離2,000! 砂煙多数! 敵戦車、M4シャーマン! 数……少なくとも100両以上!」


ドイツ・アフリカ軍団 第10装甲師団の戦車中隊長、ハインツ・フォン・クライスト大尉は、重戦車『VI号戦車(ティーガーI)』の車長用キューポラから双眼鏡を覗き込み、地平線を緑色に染め上げて迫り来る無骨なシルエットの群れを睨みつけた。


「アメリカの素人どもめ、アレクサンドリアが落ちたというのに、まだ物量だけで我々をすり潰せると思っているのか。……目標、先頭のシャーマン! 徹甲榴弾、撃て(フォイア)!」


クライスト大尉の鋭い号令とともに、ティーガーの主砲、8.8センチ(88ミリ) KwK 36 L/56 戦車砲が凄まじい咆哮を上げた。650馬力を叩き出すマイバッハ・エンジンの振動をも掻き消す轟音とともに放たれた初速800メートル毎秒の徹甲弾が、朝の冷気を切り裂き、2,000メートル先のM4シャーマンの前面装甲をまるでボール紙のように貫通した。内部のガソリンと弾薬が誘爆し、アメリカの戦車は一瞬にして巨大な火柱へと変わる。


「次弾装填! 左の車両を狙え! 奴らの75ミリ砲では、500メートルまで近づかなければこの前面100ミリ装甲は絶対に抜けないぞ!」


ティーガーの無敵の火力と装甲は、アメリカ軍のシャーマンに対して絶対的な盾であった。クライストのティーガーは、まるで砂漠の王のように君臨し、アウトレンジから次々とアメリカ戦車を火だるまのスクラップに変えていく。


だが、アメリカ軍は「ティーガー1両にシャーマン10両が破壊されるなら、11両のシャーマンを向かわせればいい」という狂気的なマニュファクチャリング(大量生産)ドクトリンで、燃え盛る残骸を乗り越えて果てしなく波状攻撃を仕掛けてきていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

同日 午前10時

エジプト・スエズ運河西岸 連合国・エジプト防衛軍合同司令部

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


前線から百数十キロ離れた合同司令部の大型テントの中では、巨大な戦況図を囲んで三人の将軍が対峙していた。


イギリス陸軍・第8軍司令官、バーナード・モントゴメリー中将。

アメリカ合衆国陸軍・第7軍司令官、ジョージ・S・パットン中将。

そして、ワシントンから急派されたアメリカ陸軍需品軍団(兵站部門)司令官、ブレホン・B・サマーヴェル中将である。


「パットン将軍。貴官の第1機甲師団は、今朝の戦闘だけで早くもM4戦車を50両以上喪失したと報告が上がっている。アレクサンドリアを失った今、ロンメルの士気と勢いは最高潮だ。ドイツの88ミリ砲とティーガーの前に、無謀な突撃を繰り返すのは自殺行為だ。カイロの手前まで一度兵を退き、防衛線を再構築するべきだ!」


イギリスの伝統的な戦術理論に基づき、被害を抑えようとするモントゴメリーの進言を、パットンは葉巻をくわえたまま鼻で笑って遮った。


「モントゴメリー将軍。貴官はまだ、大英帝国が世界の覇者であった時代の『古い帳簿』で戦争をしているようだな。我がアメリカ合衆国の帳簿は、桁が違うのだよ」


パットンは指揮棒で、戦況図に配置されたアメリカ軍の戦車の駒を無造作に押し出した。


「デトロイトの工場は1日で燃えた戦車の倍の数を吐き出している。なあ、サマーヴェル将軍?」


話を振られたサマーヴェル中将は、分厚いバインダーを開きながら事務的な口調で答えた。

「その通りです。現在、カイザー造船所から紅海を経由してスエズの港には、毎日平均してM4シャーマン中戦車200両、そして訓練を終えたばかりの新兵1万名が淀みなく陸揚げされています。パットン将軍、どうぞ心置きなく前線の戦車を燃やしてください。明日の朝には、新品を倍の数お届けしますよ」


「聞いたか、イギリスの友よ」


パットンは冷酷な笑みを浮かべた。


「ロンメルのティーガーがどれほど硬かろうと、弾薬と燃料には限りがある。我々はただ、砂漠の狐が弾切れになるまで、この無尽蔵の戦車の波で押しつぶし続ければいいのだ。今日燃えたなら明日、カイロで燃えたならギザで。奴らがスエズに辿り着く前に、我々の物量で窒息させてやる」


だが、パットンのこの「直線的で傲慢な物量信仰」こそが、百戦錬磨の砂漠の狐が最も待ち望んでいた「致命的な隙」であった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1944年1月17日

エジプト・カイロ南方 ギザ近郊

ドイツ・アフリカ軍団(DAK)前線司令部

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


アレクサンドリアを突破してからの約半月。

ロンメルのドイツ・アフリカ軍団は、アメリカ軍の無尽蔵の戦車と航空支援による出血を強いられながらも、驚異的な戦術機動によってエジプトの内陸部を食い破り、ついにピラミッドがそびえるギザの平原まで進出していた。


しかし、アメリカ軍の抵抗もまた凄まじかった。パットンの言葉通り、倒しても倒しても翌日には倍の数のM4シャーマンが砂漠を埋め尽くし、アフリカ軍団の弾薬と燃料を急速にすり減らしていたのである。


「……アメリカ軍の第1、第2機甲師団が、我が軍の中央突破を図り、シャーマン戦車の大群で直線的に突進してきています」


アフリカ軍団参謀長、フリッツ・バイエルライン少将が、作戦図板を指し示しながら報告した。


ドイツ・アフリカ軍団司令官、エルヴィン・ロンメル元帥は、埃にまみれた軍服のまま、獰猛な猛禽類のような笑みを浮かべた。


「パットンの奴め、我々が正面からの殴り合いで弾切れになると踏んでいるようだが、アレクサンドリアで我々がイギリス軍から接収した『戦利品』の存在を完全に忘れているようだな。……バイエルライン、作戦通りだ。中央の第15装甲師団に『偽装退却』を命じろ。アメリカの素人どもを、キルゾーン(殺戮地帯)の奥深くまで引きずり込め」


午前7時。

アメリカ軍の第1機甲師団の戦車長、ウィリアム・G・ガーナー軍曹は、自らのM4シャーマンのハッチから身を乗り出し、後退していくドイツ軍のIII号戦車やIV号戦車の背中を見て歓喜の声を上げていた。


「見ろ! ナチスの野郎どもが逃げていくぞ! 奴らの弾薬が尽きたんだ! このままスエズの分まで一気に押し返せ!」


数百両のシャーマン戦車群が、土煙を上げて一斉に追撃を開始した。

だが、彼らが砂漠の巨大な窪地ワジへと雪崩れ込んだ瞬間、周囲の砂丘の稜線から、カモフラージュネットが一斉に振り払われた。


「な……なんだあれは! 88ミリ砲じゃないぞ!」

ガーナー軍曹が絶叫する。


稜線にずらりと並んでいたのは、ドイツの88ミリ高射砲だけではなかった。それは、アレクサンドリア要塞でロンメルが無傷で鹵獲した、イギリス軍の『25ポンド砲』やアメリカ軍からレンドリースされていた『105ミリ榴弾砲』の山であった。ロンメルは、アメリカの物量に対抗するため、敵から強奪した火砲をすべて最前線の伏兵として並べていたのである。


「撃てェッ!!」


ロンメルの号令とともに、数百門の鹵獲火砲と88ミリ砲による「完全な十字砲火」が、窪地に誘い込まれたアメリカ軍の機甲師団に降り注いだ。

M4シャーマンの薄い側面や背面装甲が次々とブチ抜かれ、窪地は一瞬にして数百両の戦車が炎を上げる巨大な「火の海」と化した。


「罠だ! 退け! 退却しろ!」


ガーナー軍曹が無線で絶叫するが、彼らの背後──退路となる砂漠には、いつの間にか迂回を完了していたハインツ・フォン・クライスト大尉が率いる『ティーガーI』の群れが、巨大な壁のように立ち塞がっていた。


「戦訓に学ばないアメリカの素人どもめ。戦車の量産はできても、戦術は相変わらずだな」


クライスト大尉が冷酷に引き金を引く。ティーガーの8.8センチ砲が、逃げ惑うシャーマンを背後から容赦なく串刺しにしていく。

パットンが頼みとした「圧倒的な物量」は、ロンメルの天才的な機動包囲と、敵の兵器すら自らの牙とする柔軟な用兵の前に、完全にすり潰され、数千人のアメリカ兵が砂漠の死体と化したのである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1944年2月2日

エジプト スエズ運河 西岸

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


アレクサンドリア東方での最初の激突から約一ヶ月。

ギザでの壊滅的打撃によってパットンの機甲師団が足を止められ、モントゴメリーのイギリス軍もスエズの東岸へと潰走を余儀なくされた数日後。


エルヴィン・ロンメル元帥が乗る装甲指揮車は、焦土と化したエジプトの大地を踏み越え、ついにそのキャタピラを、青く静かに流れる巨大な水路──「スエズ運河」の西岸へと到達させていた。


「……ついに、着いたな」


ロンメルは装甲車から降り立ち、エジプトの熱風に軍服の裾をはためかせながら、目の前に横たわる運河を見つめた。

1ヶ月に及ぶアメリカ軍の絶望的な物量波状攻撃を、戦術と鹵獲兵器の運用で完全に食い破ったのだ。その後方には、無数のティーガー戦車やハーフトラック、そして鹵獲したアメリカ製のジープに乗ったアフリカ軍団の将兵たちが、泥と硝煙にまみれた顔に歓喜の涙を浮かべて整列している。


「元帥閣下。先遣隊が運河の橋頭堡を確保。対岸のシナイ半島に逃れたイギリス軍とアメリカ軍の残党は、パレスチナ方面へ向けて潰走を続けております」


バイエルライン少将が、震える声で報告した。


「よくやった、バイエルライン。……全将兵に伝えろ。我々はついに、大英帝国の心臓を貫き、中東への扉をこじ開けたのだ!」


ロンメルの高らかな宣言に、砂漠の空気を震わせるほどの凄まじい「ハイル!」の歓声が沸き起こった。


スエズ運河の陥落。

それは単なるエジプトの占領ではない。大西洋から地中海、そしてインド洋へと至る大英帝国の「大動脈」が、物理的に完全に切断された瞬間であった。


ロンメルは、双眼鏡を東──シナイ半島のさらに先、中東の油田地帯と、遥かインドの方角へと向けた。


「パットンもルーズベルトも、我々を1ヶ月で飢え死にさせられると過信した。その慢心が、彼らの首を絞めたのだ」


ロンメルの眼には、狂気的なまでの野心の炎が燃え盛っていた。


「これよりアフリカ軍団はスエズを渡河し、シナイ半島を抜け、中東の油田地帯イラク・イランへと進撃する! 尽きることのない石油を我々の血液とし、その先にあるインドで、日本軍と握手を交わすのだ!」


1944年2月。

アメリカのマニュファクチャリング・モンスターがもたらした1ヶ月に及ぶ無尽蔵の物量すらも、砂漠の狐の極限の戦術と執念の前に食い破られた。


エルヴィン・ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団による「スエズ打通」の完了。

それは、枢軸国による「ユーラシア大陸完全横断」という人類史上最も恐るべき悪夢の第一段階が、ついに現実のものとして世界に突きつけられた、歴史的瞬間であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ