第49章 西海岸の巨炉と新たなる鋼の翼
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1943年12月中旬
アメリカ合衆国 ワシントンD.C. ホワイトハウス 大統領執務室
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……以上が、太平洋方面軍からの最終報告です。真珠湾は完全に陥落。我が軍の太平洋における最大の兵站拠点は、ジャップの手に落ちました」
合衆国海軍作戦部長兼合衆国艦隊司令長官であるアーネスト・J・キング大将は、血の滲むような声で報告書を読み終えた。
彼の目の前で車椅子に深く腰掛ける第32代アメリカ合衆国大統領、フランクリン・D・ルーズベルトの顔には、深い疲労の影が落ちていた。
「ハワイの陥落だけで済めばよかったのだがな、アーネスト。タラワの海で、フランクリン・J・フレッチャー中将が油を絶たれ、我が国の最新鋭空母である『エセックス級』を含む8隻を無傷でジャップに引き渡したという事実は、合衆国建国以来の最大の恥辱だ」
ルーズベルト大統領は、震える手でシガレットホルダーを弄んだ。
真珠湾の陥落と第5艦隊の完全降伏。この二つの事実は、もし一般市民に公表されれば、ワシントンで暴動が起き、政権が吹き飛ぶほどの歴史的惨敗であった。現在、政府は徹底した報道管制を敷き、サンタクララバレーの地下へ逃れた暗号解読部隊(ステーションHYPO)からの断片的な情報をかき集めながら、辛うじて戦線の崩壊を食い止める方策を練っていた。
「大統領閣下。海軍の失態は万死に値します。……しかし、戦争は終わっていません」
沈黙を破ったのは、陸軍参謀総長のジョージ・C・マーシャル大将であった。彼は極めて冷静な、氷のような眼差しで地図を見つめていた。
「我が国は、一時の艦隊や前線基地を失った程度の三流国ではありません。ジャップがハワイのドックでちまちまと我々の残骸を弄っている間に、我々は西海岸の工業地帯を『完全な戦時体制』へと移行させました。……海軍が失った8隻の空母など、明日からの生産計画の誤差に過ぎません」
「マーシャル大将の言う通りだ」
キング大将も、屈辱を噛み殺しながら立ち上がった。
「西海岸のカイザー造船所をはじめとする巨大ドック群では、すでに『エセックス級』の追加建造枠24隻がフル稼働で進められています。彼らが8隻盗んだのなら、我々は来年中にその3倍の空母を進水させる。さらに、リバティ船の船体を流用した『カサブランカ級護衛空母』に至っては、週に1隻というペースで西海岸から吐き出されています。ジャップの『大和』が何発大砲を撃とうと、我々は文字通り『鋼鉄の津波』で太平洋を埋め尽くす」
ルーズベルトは深く息を吐き、シガレットに火をつけた。
「よかろう。海の再建はキング、君に任せる。……だが、ジャップの防空網と航空機は厄介だ。タラワでは我々の誇るF6Fヘルキャットでさえ、かなりの出血を強いられたと聞いている。陸軍航空隊の状況はどうだ?」
「それについては、私がご説明しましょう」
部屋の隅に控えていた陸軍航空軍司令官、ヘンリー・H・“ハップ”・アーノルド大将が一歩前に出た。
「ジャップの戦闘機『烈風』や『天風』の性能は、我が方の事前の予測を遥かに超えていました。現在、太平洋戦線に配備されている陸軍の『P-40 ウォーホーク』や『P-39 エアラコブラ』といった旧式機では、もはや彼らのカモでしかありません」
アーノルド大将は、机の上に数枚の真新しい航空機の青写真を広げた。
「ですが大統領、ご安心を。我々はすでに、旧式機の生産ラインを容赦なくすべて停止させました。この12月より、西海岸の巨大航空機工場から、ジャップの航空戦力を完全に過去のものとする『次世代の怪物たち』がロールアウト(完成)し始めています」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同日
カリフォルニア州 イングルウッド ノースアメリカン航空工場
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ワシントンでの会議と同じ頃、アメリカ西海岸のカリフォルニア州イングルウッドにあるノースアメリカン航空の巨大工場では、鼓膜を突き破るような爆音とともに、真新しい戦闘機が次々と滑走路へと引き出されていた。
「旧式のP-40は全部スクラップにするか、ソ連へのレンドリースに回せ! これから太平洋の空を支配するのはこいつだ!」
現場を視察していた陸軍航空軍の調達将校が、誇らしげに叩いたのは、流線型の機体──『P-51B マスタング』であった。
「イギリスのロールス・ロイス社が開発した傑作エンジン『マーリン』を、我が国のパッカード社が大量生産(ライセンス生産)してこいつに積み込んだ。高高度での圧倒的な速度、そして何より、落下増槽を付ければ、爆撃機に随伴して太平洋のどこまででも飛んでいける『異常なまでの航続距離』を持っている」
日本の戦闘機が、防弾装甲を削って航続距離と機動性を得ていたのに対し、このP-51マスタングは、重装甲と大火力を維持したまま、流体力学を極めた「層流翼」と大馬力エンジンによって、日本の『烈風』すら置き去りにする速度と航続距離を両立させた奇跡の機体であった。
「マスタングだけじゃないぜ。ニューヨーク州のファブリックデール工場からは、こいつの相棒も西海岸へ向けて続々と貨車で輸送されてきている」
将校の背後には、マスタングよりも一回り以上巨大で、まるで空飛ぶビール樽のような異様な太さを持つ戦闘機、『P-47 サンダーボルト』が並んでいた。
2000馬力級の巨大なエンジンに、排気タービン過給機を無理やり詰め込み、主翼には12.7ミリ重機関銃を8丁も配置した「空飛ぶ重戦車」である。
日本の職人が軽量化のためにフレームの肉抜きを1グラム単位で計算している頃、アメリカは「機体が重いなら、その分エンジンをでかくして力ずくで飛ばせばいい」という、暴力的なまでの基礎工業力で新鋭機を空へ押し上げていたのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ワシントン州 シアトル ボーイング社 第2工場
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
西海岸の空の刷新は、戦闘機だけにとどまらなかった。
カリフォルニアからさらに北、ワシントン州シアトルに広がるボーイング社の巨大な生産ラインでは、人類の航空史を塗り替える「終末の兵器」が、ついにその全容を現しつつあった。
工場を視察に訪れたアーノルド大将の特命使節は、天井を覆い尽くすほどの巨大な銀色の機体を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……これが、アーノルド大将が社運を、いや、国家の命運を賭けて開発を急がせた『超重爆撃機』か」
特命使節が見上げる先には、全長30メートル、全幅43メートルという、これまでのB-17やB-24といった四発爆撃機が子供のおもちゃに見えるほどの巨大な怪鳥が鎮座していた。
「はい。『B-29 スーパーフォートレス(超空の要塞)』の初期量産型です」
ボーイング社の主任技師が、分厚いマニュアルを片手に胸を張った。
「機体内部は完全に『与圧』されています。つまり、乗員は分厚い防寒着や酸素マスクをつけることなく、高度1万メートルというジャップの戦闘機や高射砲が届かない成層圏を、ワイシャツ姿で快適に飛行できるのです。さらに、防御用の機関銃座はすべてアナログな手動から『アナログ計算機による遠隔操作』へと移行しました」
「高度1万メートルから、一方的にジャップの都市と工業地帯に焼夷弾の雨を降らせるということか」
使節は、その銀色の機体に触れながら震える息を吐いた。
「ええ。キング大将の海軍が、空母を何隻失おうが知ったことではありません。海軍が太平洋の島々を一つ一つ血を流して奪い返すのに1年かかるというのなら、我々陸軍航空隊は、このB-29の編隊で太平洋を直接飛び越え、ジャップの兵器工場もろとも、彼らの国家そのものを灰燼に帰してみせます」
主任技師の言葉には、アメリカ合衆国という国家が持つ冷徹な合理主義が凝縮されていた。
前線で兵器が通用しないと分かれば、決して精神論で補おうとはしない。即座に古い生産ラインをスクラップにし、より巨大で、より暴力的で、よりシステマチックな新兵器を、湯水のように資金を投じて量産する。
タラワでの敗北も、ハワイの陥落も、ルーズベルト大統領の命を受けたアメリカの巨大な軍産複合体にとっては、ただの「古い在庫の処分」に過ぎなかったのだ。
1943年12月中旬。
日本がハワイの地下室でアメリカの「計算機」という頭脳を盗み出し、職人技との融合に熱狂しているその同じ瞬間。
アメリカ西海岸の空と海は、それを遥かに凌駕する圧倒的な速度で、P-51、P-47、そしてB-29といった「次世代の鋼の翼」、そして無数の新造艦艇によって完全に塗り替えられようとしていた。
日本の「質の錬成」と、アメリカの「暴力的な兵器のアップデート」。
決して相容れない二つのパラダイムが、広大な太平洋を挟んで、次なる絶滅戦争の炎を静かに、そして確実に燃え上がらせていたのである。




