第47章 鉄鳥の飛翔と教本(マニュアル)の衝撃
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1943年12月中旬
美濃国 陸海軍統合航空審査基地(岐阜・各務原飛行場)
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伊吹山から吹き下ろす冷たい空気が、滑走路のコンクリートを鋭く撫でる美濃・各務原飛行場。
ここは、豊栄大日本帝国が誇る陸海軍および各財閥の新型航空機が、正式採用前に極限のテストを受ける帝国最大の「航空審査基地」である。しかしこの日、抜けるような冬の青空を引き裂いて飛んでいたのは、日の丸を背負って生まれた国産機ではなかった。
「……信じられんほどの重さだ。まるで空飛ぶ鉄の塊(金庫)を操縦しているかのようだな」
上空4,000メートル。濃紺の塗装に白い星のマークを残したままのアメリカ製新鋭艦上戦闘機『F6F ヘルキャット』の操縦席で、帝国海軍が誇るベテラン審査操縦士、黒川大尉は無骨な操縦桿を握りながら独りごちた。
タラワ沖で鹵獲された新鋭空母『エセックス』の飛行甲板から無傷で接収された、推定750機に及ぶアメリカ軍機の一部である。
黒川の操るF6Fの背後には、模擬空戦の相手として、岐州重工(織田家)が開発した帝国の最新鋭機である四〇式艦上戦闘機『烈風』が、まるでツバメのような軽快さでピタリと張り付いていた。
「黒川大尉、聞こえますか。そちらの旋回性能をテストします。一杯に引いてください」
無線機から、烈風を操縦する同僚の余裕に満ちた声が響く。
黒川はスロットルを押し込み、2000馬力を叩き出すプラット・アンド・ホイットニー製R-2800エンジンの巨大な咆哮とともに、操縦桿を力任せに手前に引いた。
しかし、機体は極めて鈍重だった。美しい流線型と極限の軽量化によって空気の壁を切り裂く日本の戦闘機とは異なり、F6Fは空気を力ずくで押し除け、強引に機首を振り回すような暴力的な挙動を見せた。数秒の旋回ののち、背後を振り返るまでもなく、烈風は完全にF6Fのインコースに食い込み、必殺の射撃位置(機首)を黒川へと向けていた。
「勝負あったな。格闘戦の性能ならば、我が国の『烈風』や『天風』の敵ではない。十回やれば十回、我々が勝つ」
黒川は無線でそう答えながらも、彼の顔に慢心の笑みはなかった。むしろ、その表情は深い戦慄に覆われていたのである。
「だが……なんだ、この『絶対にパイロットを死なせない』という強烈な意志は」
黒川は、分厚い革手袋でキャノピー(風防)の正面ガラスを叩いた。
日本の戦闘機の風防が、少しでも重量を削るために薄いガラス一枚でできているのに対し、このF6Fの正面には、12.7ミリの重機関銃弾すら弾き返すであろう、極厚の「防弾ガラス」が標準装備されていた。さらに、黒川の背中と頭部を守る座席の後ろには、分厚い防弾鋼板がそびえ立っており、機体の燃料タンクは被弾しても自動的に穴を塞ぐ「防弾ゴム(セルフシーリング)」で完全に覆われているのだ。
日本の戦闘機が「一撃の鋭さと機動性」を極めるために搭乗員の命を装甲ごと削り落としているのに対し、アメリカは「パイロットをいかにして生かして基地へ帰すか」に異常なほどの重量と工業力を割いている。
さらに、黒川を驚愕させたのは「操縦席の快適性」であった。
計器盤のレイアウトは極めて論理的で視認性が高く、足元のペダルや操縦桿は、長時間の飛行でも疲労が蓄積しないよう、絶妙な油圧アシストが組み込まれている。「職人の勘」を要求するじゃじゃ馬な日本機と違い、このF6Fは、トラクターを運転できる程度の若者であれば、誰でも数週間の訓練で飛ばせるように「システムとして完成」されていたのである。
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同日 午後1時
各務原飛行場 第1格納庫(鹵獲機解剖審査会議)
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テスト飛行を終えたF6Fヘルキャットは、第1格納庫にて、岐州重工や中島飛行機、細川ゴム工業から派遣された技術者たちの手によって、すでにネジ一本に至るまで完全にバラバラに解剖されていた。
「黒川大尉の報告通りです。航空力学的な美しさや機動力においては、間違いなく我が国の戦闘機が勝っています。……しかし、この『基礎工業力の暴力』には反吐が出ますな」
岐州重工の設計技師が、分解されたエンジンの部品を長机の上に並べながら忌々しげに語った。
「見てください、この配線と点火プラグを。高高度の極寒や熱帯の湿気の中でも絶対に漏電しないよう、極めて高品質な樹脂とゴムで完璧にコーティングされています。我が国の戦闘機が熱帯でエンジン不調に陥るのは、設計が悪いのではなく、こうした『名もなき消耗品』の品質がアメリカに比べて劣悪だからです」
さらに技術者は、切り裂かれたアメリカ製燃料タンクの断面を指差した。
「このセルフシーリング・タンクの防弾ゴム技術は、我が国のものより遥かに化学的に安定しています。さらに、パイロットの背後を守る防弾鋼板や、キャノピーの防弾ガラス……。彼らは機体を重くしてでも、徹底して『人間の命』を守ろうとしている。我々が職人技で鍛え上げたエースパイロットを使い捨てにしている間に、彼らは新兵をこの空飛ぶ金庫に乗せて、絶対に死なせないよう保護しているのです」
会議室に重い沈黙が下りた。日本が「熟練の技」で戦っているのに対し、アメリカは「規格化された工業製品」で戦っている。その圧倒的な哲学の違いを見せつけられたからだ。
しかし、日本軍にとって最大の衝撃は、機体のハードウェアそのものではなかった。
情報将校の参謀が、机の上に一冊の分厚い「冊子」を置いたとき、会議室の空気は決定的に変わることになる。
「タラワで降伏した米第5艦隊の司令部は、暗号機や艦隊の作戦計画書といった重要機密文書を、降伏の直前にすべて焼却、あるいは海中へ投棄していました」
参謀は、そのオリーブドラブ色の表紙を指で叩いた。
「しかし、完全な隠滅作業の最中において、敵の将校たちにも『盲点』がありました。鹵獲したエセックス級空母の下級士官室……経験の浅い新米パイロットの個人ロッカーの奥底から、この『戦闘機戦術マニュアル(教本)』の謄写版が、奇跡的に無傷で発見されたのです。おそらく、夜な夜なベッドの中で勉強していた若者が、破却命令のドサクサで提出し忘れたのでしょう」
それは、アメリカ海軍航空隊がパイロットに配布している、標準化された戦術マニュアルであった。翻訳を終えたばかりのその中身を見た審査部隊の将校たちは、アメリカの「真の恐ろしさ」に戦慄することになる。
「読んでみましたが……ここには、我が国の航空隊が教え込むような『大和魂』や『必殺の気合』といった精神論は、ただの一文字も書かれていません」
参謀は、マニュアルのページをめくりながら冷や汗を拭った。
「書かれているのは、極めて冷徹な『数学と論理』です。『日本の烈風と単機で格闘戦をしてはならない』。『常に高度と速度の優位を保ち、一撃離脱に徹せよ』。そして極めつけは……『必ず二機一組で行動し、一機が追われたら、もう一機が交差するように飛んで敵の背後を取る』という、完全なシステム化された相互支援戦術の図解です」
黒川大尉が、マニュアルの図解を覗き込んで息を呑んだ。
「……つまり、個人の職人技(エースの技量)を、戦術という『システム』で無効化しようとしているのか。こんなものを配られ、この防弾ガラスに守られた重装甲機に乗せられれば、昨日までトラクターに乗っていた農場の若者でも、数週間で『絶対に死なず、確実に我々の熟練工を削り落とす80点のパイロット』として量産されるぞ」
アメリカは、機体だけでなく「戦い方」そのものをマニュファクチャリング(大量生産)していた。
どんな凡人であっても、マニュアル通りに機械を操作し、マニュアル通りに編隊を組めば、日本の誇る「一騎当千のサムライ」をシステマチックにすり潰せるという恐るべきロジックの完成であった。
「……背筋が凍るような合理主義だ。ルーズベルトの奴め、戦争を工場のベルトコンベアと同じだと考えているのか」
だが、驚愕と戦慄ののち、格納庫に広がったのは絶望ではなかった。
他国の優れた技術を強奪し、自らの血肉として咀嚼することにかけては、豊栄大日本帝国以上の合理主義者はこの地球上に存在しない。
「敵がそれほどまでに優秀なシステムを持っているというのなら……丸ごと盗み出せばいいだけの話だ」
岐州重工の主任技師が、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。
「細川ゴム工業! あんたのところの化学工場をフル稼働させろ。このアメリカ製の極上な防弾ゴム(セルフシーリング)の成分を今すぐ解析し、我が国の『烈風』と『天風』の全機体に標準搭載させる! 多少重量が増えようが、我が国の誇るエンジンの推力ならば十分に相殺できる!」
「防弾ガラスと電気系統もだ!」
別の技術者が叫ぶ。「アメリカ製の高品質な点火プラグと配線を『堺公差』で完全コピーし、すべての国産機に換装する。パイロットの背後には越前松平の特殊鋼板を叩き込み、操縦桿には藤堂の油圧アシストを組み込め。……アメリカが『凡人を死なせない』ために造った安全装置を、我が国の『一騎当千のエース』にすべて纏わせるのだ!」
そして、情報参謀はロッカーから見つかった戦術マニュアルを高く掲げた。
「このマニュアルは、直ちに何万部も印刷して全国の航空隊と訓練基地へ配布する! 我々も精神論を捨て、彼らの合理的な『相互支援戦術』を我が国のドクトリンに組み込むのだ。我々の職人技による空戦機動に、アメリカのシステマチックな戦術論が融合すれば、我が国のパイロットは永遠に撃墜されない『完全無欠の猛禽』となる!」
タラワの海で一発の銃弾も交えずに鹵獲されたアメリカの最新鋭の戦闘機と、名もなきパイロットのロッカーから偶然見つかった一冊の教本。
それは、帝国に「基礎工業力の重要性」と「マニュアルによるシステム化」という、アメリカ最大の強みをそっくりそのまま献上したに等しかった。
「使える技術と戦術は、敵の懐からでも躊躇なく奪い、自らの生存確率を極限まで上げる」
かくして、アメリカの膨大な工業力と合理主義が生み出した「パイロットの命を守る盾」と「戦術のシステム」は、帝国の極限の職人技と見事に融合を果たしつつあった。
空飛ぶ金庫の堅牢さを手に入れた帝国の名刀が、太平洋の空でアメリカの物量そのものを切り刻む悪夢の時間が、いま静かに胎動を始めていたのである。




