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第42章 血の十字路

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1943年9月中旬 地中海中部 「血の十字路」海域

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シチリア沖での艦隊決戦が痛み分けに終わり、連合軍のイタリア本土上陸(ハスキー作戦)が一時停止したことによって、地中海の海原は人類史上かつてない、極めて特異で凄惨な「兵站の交差点(血の十字路)」へと変貌していた。


ヨーロッパの地図を見下ろせば、その異常な混線状況は一目瞭然であった。

北のイタリア半島(ナポリ、ターラント)から、南のアフリカ大陸(チュニス、トリポリ)へ向けて、ロンメルのドイツ・アフリカ軍団を支えるための「枢軸国の南北補給ライン」が伸びている。 一方で、西のジブラルタル海峡から地中海を横断し、東のエジプト(アレクサンドリア)で防衛戦を張るイギリス第8軍へ向けて、アメリカのレンドリース物資を届ける「連合国の東西補給ライン」が貫いている。

この二つの巨大な動脈が、地中海の中央──マルタ島とシチリア島の周辺海域で、完全に「十字」に交差していたのである。


「右舷前方、火柱! アメリカの輸送船(リバティ船)がやられました! Uボートの雷撃です!」


ジブラルタルからアレクサンドリアを目指していた連合国輸送船団の護衛駆逐艦で、見張員が絶叫した。 1万トンの貨物船が、積載していたM4シャーマン戦車や105ミリ榴弾砲もろとも、真っ二つに折れて暗い海へ沈んでいく。


アメリカの膨大なマニュファクチャリングが吐き出す輸送船団を待ち受けているのは、ドイツ海軍のUボート群だけではなかった。空からはイタリア南部の基地から発進したルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)のJu88爆撃機が、急降下で次々と爆弾を投下してくる。

しかし、この地中海で血を流しているのは連合国だけではなかった。


「敵機襲来! ブリストル・ボーフォート雷撃機と、アメリカのP-38です!」


同じ日の午後、イタリアのナポリからトリポリへ向けて重油と88ミリ砲弾を運んでいた枢軸国のタンカー船団が、北アフリカ沿岸から飛来した連合軍の猛烈な空襲に晒されていた。 アメリカが供給したVT信管(近接信管)を搭載した護衛艦艇の弾幕を潜り抜け、連合軍の攻撃機がイタリアのタンカーに魚雷を突き刺す。巨大な火炎のキノコ雲が上がり、ロンメルが喉から手が出るほど欲している数千トンのガソリンが、一瞬で黒煙となって地中海の空へ消え去った。


「また油が燃えたか……! 3隻出港して、トリポリに無事着くのは1隻あれば御の字だ」


船団を護衛するイタリア海軍の駆逐艦長は、炎上するタンカーを見つめて血の涙を流した。

双方が、相手の動脈を食い破るためにあらゆる航空機と潜水艦を投じ、同時に自らの動脈を守るために莫大な護衛艦隊をすり減らしている。 アメリカの「無限の生産力」をもってしても、この地中海を無傷で横断することは不可能であり、枢軸国もまた、東部戦線(対ソ戦)用の備蓄を切り崩してまで、決死の思いでタンカーをアフリカへと走らせていた。

地中海は文字通り、一隻の輸送船を通すために数隻の軍艦と無数の人命が海底に沈む、底なしの「血の十字路」と化していたのである。


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1943年10月上旬 エジプト・リビア国境 ファルファヤ峠(ハルファヤ峠)

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地中海の血みどろの十字路を経て、ようやく一滴のガソリンと一発の砲弾が前線へと届けられる。その凄惨な兵站の代償は、砂漠における両軍の殺意を極限まで研ぎ澄ませていた。

エジプトの玄関口たる国境の要衝、ファルファヤ峠。 一ヶ月以上にわたり不気味な睨み合いを続けていた両軍の均衡が、ついに破られた。


「ドイツ軍の補給が整う前に、決着をつける! 全砲門、撃て!」


イギリス第8軍司令官、バーナード・モントゴメリー中将の号令とともに、防衛線の後方に並べられた数百門のアメリカ製155ミリ榴弾砲(M1)が、一斉に大地を揺るがす咆哮を上げた。 アメリカの大量生産がもたらした天文学的な数の砲弾が、ファルファヤ峠の西側に陣取るドイツ・アフリカ軍団の陣地へと雨霰と降り注ぎ、砂漠を文字通り「沸騰」させる。


「全車、前進! ファシストどもを砂漠の砂に変えろ!」


砲撃の土煙の向こうから、星条旗とユニオンジャックを掲げたM4シャーマン中戦車の群れが、地平線を埋め尽くすように姿を現した。アメリカのデトロイトから地中海の血の十字路を越え、アレクサンドリアで陸揚げされたばかりの新品の戦車数百両による、圧倒的な物量の突撃である。

しかし、その圧倒的な「量」を迎え撃つドイツ・アフリカ軍団の司令官、エルヴィン・ロンメル元帥の顔に、焦りの色は微塵もなかった。


「……血塗られた地中海を越えて、本国が届けてくれた『牙』の鋭さを教えてやれ」


ロンメルが無線で冷徹に命じた瞬間。 イギリス軍のシャーマン戦車の群れが、見えない壁に激突したかのように次々と爆発し、巨大な火柱を上げた。


「な、なんだ!? 敵の姿は見えないぞ! どこから撃たれている!」


イギリス軍の戦車長がハッチから身を乗り出して絶叫した直後、彼の乗るM4シャーマンの砲塔が、凄まじい衝撃音とともに根元から吹き飛ばされた。


「……距離2,000! 次弾装填、急げ!」


ファルファヤ峠の稜線。完全にカモフラージュされた岩陰から砲煙を吹き上げていたのは、ハインツ・フォン・クライスト大尉が乗る重戦車『ティーガーI』をはじめとする、ドイツ軍の重装甲部隊であった。

アメリカ製のM4シャーマンに搭載された75ミリ砲では、距離500メートルまで近づかなければティーガーの前面100ミリ装甲を貫通できない。しかし、ティーガーの8.8センチ(88ミリ)砲は、距離2,000メートル以上のアウトレンジから、M4の装甲をまるでボール紙のように易々とブチ抜くことができるのだ。


「右翼の敵部隊も我々の射程に入りました!」


「88ミリ高射砲陣地、水平射撃開始フォイア!」


さらに、砂漠の地平線に隠蔽されていた数十門の88ミリ高射砲が、水平射撃で戦車砲弾を放ち始めた。初速800メートル毎秒を超える徹甲弾が、砂漠の陽炎を切り裂いてシャーマン戦車の側面に突き刺さる。

アメリカの工場が狂気的な速度で生み出した数百両のM4シャーマンは、ロンメルが緻密に配置した「ティーガーと88ミリ砲のキルゾーン(殺戮地帯)」の前に、近付くことすら許されずに次々と火だるまのスクラップへと変えられていった。


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1943年10月中旬 ファルファヤ峠 英第8軍

前線司令部

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「……第4機甲旅団、壊滅! 後続の第7装甲旅団も、敵の88ミリ砲の弾幕に阻まれ、前進不可能です! 峠の防衛線の一部に、完全に風穴を開けられました!」


通信参謀の絶望的な報告が、砂埃にまみれた前線司令部に響き渡った。

モントゴメリー中将は、双眼鏡越しに西の地平線を見つめ、ギリッと奥歯を鳴らした。 視界の先には、黒焦げになった数百両のアメリカ製戦車の残骸の向こうから、無骨で巨大な四角いシルエットを持つ『ティーガーI』の群れが、マイバッハ・エンジンの重低音を響かせながら、じりじりと、しかし確実に防衛線を押し破って接近してきている。


「……アメリカの物量をもってしても、あの化けティーガーの装甲と火力には正面から対抗できないというのか」


モントゴメリーは、手元の海図を強く握りしめた。 アメリカの工場は確かに無尽蔵の戦車を造り出せる。しかし、地中海の「血の十字路」による輸送の限界と、エジプトの港湾の荷揚げ能力が、その物量を戦場へ投射するスピードのボトルネックとなっていた。 対するロンメルは、補給線こそ細いが、届いた一握りの「極限まで洗練された質の暴力(ティーガーと88ミリ砲)」を完璧な戦術で運用し、アメリカの『量』を局地的に完全に凌駕していたのである。


「司令官! ロンメルの主力装甲師団が、ファルファヤ峠の南側を迂回し、エジプト領内へ雪崩れ込もうとしています!」


「……後退だ。予備の対戦車陣地まで軍を下げろ」


モントゴメリーは、血を吐くような思いで後退の命令を下した。


「ここで全滅すれば、アレクサンドリアもスエズ運河もすべてナチスの手に落ちる。なんとしても、ロンメルの足を止めるのだ」


1943年10月中旬。 血塗られた地中海の補給線を決死の思いで繋ぎ、一握りの血液ガソリンと鋼鉄の牙を手にした砂漠の狐は、ついにイギリス軍の物量の壁を食い破った。

エルヴィン・ロンメル元帥率いるドイツ・アフリカ軍団は、ファルファヤ峠の国境線を蹂躙し、スエズ運河という「ユーラシア打通」の扉をこじ開けるべく、エジプトの王土へと圧倒的な優位を保ったまま深く侵攻を開始したのであった。

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